散歩者goo  (自選ブログ集参照)

タイトルのgooは、他人の同名HPやブログと区別の為。村ぶろの「散歩者」は本人作成。HPの「散歩者」は、無関係。

昨日記141129土(図書返却・縄文と弥生 )

2014年11月30日 13時39分16秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =19.5  12.9  79  48 
昨日は、図書返却の日なので、継続借り出しの手続きをとると、1冊予約が入っていたので返却しなければならなくなった。
縄文文化と文化の基層について書かれた本でまだ読み残しがあった。

考古学は、ものすごいスピードで展開している。
新しい発見があると過去の学説がすべてひっくり返るのは、よくあることである。
今回返却した縄文文化の本は、文庫本であるが学術的にも優れた本だ。
残念ながら、そこに使用された学説は、当時最新でみんなその学説を信じていたが、現在は違う個所もある。
例えば佐原真氏の提唱された弥生文化は、伝来すると同時に短い期間で東北まで一気に広がったという説は、様々な発掘成果からかなりゆっくりしたスピードで日本に拡散し、しかも地域でむらがあったという。
同じ弥生時代に関東のように縄文的生活を送っていた地域や、同じ地域内でも弥生文化をすぐにうけいれた地域と遅い地域と混在しているところもあるといいその時代像はまだ定まっていない。
そもそも弥生時代の年代すら確定していないのだ。
ただ壱岐を経て北九州に最も早く稲作文化が伝わったことだけは分かっている。
その時の、縄文人がどのように渡来人を受け入れたかも、少しずつ分かり始めている。
大量の渡来人が来たのではなく、渡来人が混血を重ね、渡来系弥生人と縄文系弥生人がいたらしいという説もある。
このように見ると、日本文化の基層の多くが縄文文化だったかというのは、まだ早いかもしれないと思う。

ただ、西日本の照葉樹林文化と東日本の落葉広葉樹林文化の自然環境による東と西の縄文文化の違いと、その後の影響に関しての説は納得できる。
縄文文化で、食料採集や狩猟や半農耕(管理栽培)で食糧が十分確保できれば、稲作文化を受け入れる必要性が無くなるので、弥生文化の受容の分布や、一部地域で指摘されている弥生文化受容後に再度縄文化した地域がある可能性があるといわれている問題も説明がつく。
ただ、縄文晩期から弥生草創期の気候がどうだったかということも、大いにそうした議論に影響する。
縄文中期の縄文海進のように温暖になれば、中部から東北地方にかけて、縄文文化が栄え、人口も爆発的に増加している。
しかし縄文晩期から弥生草創期にかけては、縄文中期と比べ気候は寒冷化して、人口が減少していといわれるが、その前提として、縄文草創期が絶対年代でいつになるか、まだ確定しておらず、縄文から弥生の境目が、学説により紀元前600年から1000年以上前とかなりの差があるので、稲作や狩猟採集に対する、正確な当時の気候環境や影響は断定できない。
そうした時期に、中期に代表される縄文文化がどれだけ残っていたかということでもあるし、北九州の草創期の弥生遺跡?でみられるように、明らかに縄文人男性がドルメン=朝鮮系の墓制に葬られている例や、渡来系文化の遺跡に、縄文系の人が葬られているところを見ると、縄文人の多くが混血し、先進的な渡来文化に飲み込まれ、縄文文化も混じり合って弥生文化が生まれたことも考えられる。
そうした場合どこまで、弥生文化の中に縄文的要素が残っているかであろう。
この辺りは、やはり今後の発掘研究成果を待つしかない。

図書館へ本を返却しに行った後は、いつものように西天満へ出かけた。
土曜日なので、作家が多く在籍していた。
何人かの作家と話を聞いたり、対話することができた。
その後は、いつものように天満橋でお茶を飲んで帰宅した。
帰宅後は、未完であった副食作りに追われた。


そういえば、昨日の昨日記で情報機関のことに触れたが、早速イラクにいるという公開のネット情報を見て、やはりと思った。
(真偽のほどは不明だが。身内をだますことも仕事だから)
日本人のファンのお友達は、当然単なるお仕事でお出かけと思っているようだ。
オバマ大統領の、イスラム国への対応に対し共和党からの強い批判にさらされ、国防長官を事実上更迭したばかりなので(後任が決まるまで留任)、政治的駆け引きからも、強いアメリカを誇示するために、次の強力な一手準備するはずであろう。
米軍はいよいよ本格的に動き出す準備を始めたのかも知れない。
とりあえずイラクに軍事顧問団を増派するらしいので、その流れの中の活動かも知れないが。
北朝鮮の極限に近い挑発の時に彼らが初来日し動いたように、情報の実行部隊は上からの指示で休みなく日本も含む全世界で様々な工作活動や情報収集をしているのだろう。
イスラム国は、凶暴だ。
無事を祈る。


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昨日記141128金(アクセス・リンク情報収納システム設計 栄養摂取計算表)

2014年11月29日 12時27分36秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =19.8  9.7  66  48
昨日は、FBを見ていてある問題が気になったので、ネットで調べていた。
すると参考になりそうな記事があった。
それを保存しておこうと思った。
そうしたことは、日常茶飯におこる。
今まではWebのページを、名を付けて保存にするか、予め分野別に分類してあるホルダーに適当なワードのファイルを作りそこに重要なところだけをコピペする方法をとっていた。
しかし、いずれの方法も手間がかかるので、保存しようと思うけれども、手間なのでパスすることが多かった。
それに保存しても、見る時はそのエクスプローラーを開きそのフォルダーやファイルを手繰る必要があり、分野も複数にまたがる場合、どの分野に入れたか探さなければならなかった。
確か、2週間前に保存したはずと思っても、なかなか引っ張り出せないのだ。
情報はすぐに引っ張り出せなければ意味がない。

そこで、とりあえずそうした情報をまとめて一か所で保存できるシステムを作ることを考え、アクセスの設計を始めた。
アクセスはこのパソコン買い替えたとき、アクセスは標準装備されていなかったので、わざわざ購入したソフトだ。(前のXPでは、日常的に使用していた。エクセルでも代用できないことはないが、検索には使い勝手がいい。)
前のPCで使っていたアクセスのファイルは、今のPCにほとんどコピーしたが、その中にネット情報をファイルするアクセスはなかったのだ。

2-3時間余りでアクセスの設計を済ませ、入力フォームの形も整え、入力日も自動入力するようにした。
試験的に、必要なネット情報を入力した。
リンクもうまく繋がり、記事欄には概要のコピーを入力出来たので、今後役立ち情報はどんどんインプットできる。
ただ写真に関しては、ワード等のファイルを作り張り付けるか、画像ファイルとして単体で保管するして、PC内の関連リンク(ファイルアドレス)を張るしかない。
無論、この内容をブログとか外部に発表する文書に使うときは、コピペはしないし、出典表示の必要なものは、文中に入れるだろう。

このシステムで、最も有効なことは、例えばFBといったSNSでは、先方の都合で今まで保管していた記事が抹消されることが度々起きているが、そうした影響を受けなくなることだ。
私は、特に私のブログ(FBではない)に外国人の友人と情報きかん関連のことを書いた時は、毎回といっていい程、その人物の過去のFBの記事が消されていた。
初めは驚いたが、余計なことを書くなという警告のサインと思っている。
従って、その人の古い書き込みはすべてなくなるが、しばら(数か月)すると、その人のそれ以降の新しい投稿だけが掲載されるのだ。(何度も経験している。ネット上の大切な画像も一瞬でなくなる。)
一般のFBの友達ではありえない事態である。
ブログやSNSの文中にアルファベットで えぬ・えす・えー、や しー・あい・えー と入れるだけで、自動的にその記事がスクリーニングされチェックされている可能性が強いように思っている。

そうした現実に起きていること意識したこともあり、ネット上ではなく自分のPCなりクラウド内に必要な生情報をストックしておきたいと思った。
自分で作成したPC内のファイルには、外部からハッキングされない限り自由に操作されないので、抹消されることはない。(その気になれば、アメリカ 中国 ロシアといった国の情報きかんは簡単に行えるだろうが、平常時ではやらないだろう。)

アクセスの設計終了後、食事準備を始めようとしたが、自分の塩分摂取量や摂取カロリーが気になった。
実はここ1-2年で体重が約1kg増加していて、その傾向は止まっていない。
体力持久力は増加しているので、筋肉がついた結果だとも解釈されるが、客観的には分からない。
ここ1-2年食事作りの標準化を進め、特に最近は電子はかりを購入してから、食材をg単位で切り分けるようになった。

以前から予定日報表と並行して、毎食のカロリーやたんぱく質の摂取量を計算する試みを行っていた。
電子はかりを購入する前までは、正確な食材量は、5g-10単位程度しか分からなかった。
今はかなり正確に把握できている。
そこで、一気に今まで仕掛中で少しずつ改良を加えていたエクセルのファイルに更に修正追加し、一日のすべての経口食品による、栄養摂取量の総量が分かるようにした。
今までの流れから見て、調査も含め数日かかるかもしれないと思っていたが、電子ばかりを購入後、食事の作り方を標準化したために、数値の設定が非常い早く進み、その作業も1-2時間で完了した。

その結果から見ると、私の一日の摂取カロリーは2400kcalで塩分は、9.8gでタンパク質は155gである。
基礎代謝が正確には分からないが、筋肉が多少ついているので、1400kcalぐらいではないかと思っている。
ジムに行って4.5km程ランニングすると、320kcak消費される。
多分読書や、このような書き物には、大量のブドウ糖が消費されるが、その量は不明である。
ただ体重の増加が非常に緩やかなので、ある程度栄養バランスが取れているのかもしれない。

そうしたことをしたために、昼食はすっかり遅くなり、昨日記も遅くなった。
その後、7食あった1食を残し副食もすべてなくなったので、急いで食材を買いに走った。
夜は、食事作りに追われたが、いまだ完了せず、これからとりあえず昼食のみを作る予定で、その後6食分の副食を完成させ、その後西天満廻りをする予定だ。
これから開かれる、みんぱくの、いしいしんじさんのその場小説のイベントは、行きたかったがあきらめた。


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昨日記141127木(ジム・ランニング)

2014年11月28日 17時02分14秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =18.1  10.4  60  39 
昨日は、午前中昨日記を書くのに3時間近く費やした。
一昨日のブログを修正したり、みんぱくの講座で何を学んだのか振り返ったりするのに時間がかかったようだ。
何度もこのブログで述べているが、私のブログのほとんどが、打ちっぱなしで即投稿するのがほとんどのため、やたら変換ミスとか、説明不足や、文章になっていなかったり、意味が通らないような箇所が多く、以前のブログをチェックすると、必ず数か所か見つかる。
その上、文字を打ち込んでいつ時に、PCが外部とやり取り(例・ウイルや消去時に誤動作して、前の行まで消去されたりして、修正することもよくあり、それに気づかないでそのままUPすると、消去ミスが出た部分が、読み返して全く意味が通らない文章になっていたりする。

夕方になって、ジムに行った。
21日以来、中5日間休んでいた。
少し体力が落ちていることは、覚悟していた。
とりあえずランニングをしようと決めていた。
走り始めると、やはり最初は5分で息が上がり歩いた。
それ以降は、足の疲れが出てもっと短い時間で息が上がるのではないかと思っていたが、予想以上に長く走れた。
結果は次の通りだ。
時速9.8kmのランニングと、時速6.5km 2分間の歩きを交互に繰り返しトータル30分間走った。
5-2-7-2-7-2-5  単位分
トータル4.6km走った。
予想以上に記録はよかった。
筋トレをしなかったせいか、帰宅後も体の疲労はあまり感じなかった。

ロッカールームで、たまに顔を合わせると話をする現役の60代のビジネスマン?で、いつも時速10km以上で走っているタフな人が、60以上になると記録が下がる一方だと嘆いていた。
なんでも、仕事が忙しく2週間ぶりに来たのだが、体力がかなり落ちたといっていた。
そういえば羽生選手も、けがで練習を休み体力が落ちたと、記者会見で話していた。
とにかく人間は運動し続けないと、必ず体力は落ちるようだし、私もよく実感している。
体験的に、1週間休むと確実に体力は落ちるし、2週間以上休むと元に戻すのに、同じかそれ以上の時間がかかると思っている。
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昨日記141126水(みんぱく講座・グランフロント大阪)

2014年11月27日 13時37分51秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =15.7  11.9  80  69 
昨日は、日中十数食分の冷凍ご飯を作り終えてから、7食分の副食作りで肉を計量して切り分ける作業まで、工程でいうと3分の一から半分程度まで仕上げたが、外出の予定時間が来たので切り上げて、仕掛品を冷蔵した。

夕方から、大阪駅北にあるナレッジキャピタル The Lab. CAFE Lab.(グランフロント大阪北館1F:カフェラボ)に出かけた。
連続講座「みんぱく×ナレッジキャピタル ―イメージの力をさぐる―」の最終回の上羽陽子(国立民族学博物館准教授)先生が講師をされる「色と光が放つイメージ」に参加するためである。

この連続講座にはすべて参加し、特別展ツアーやワークショップにも参加した
(2014年9月12日(金)、9月24日(水)、10月15日(水)、10月26日(日)、10月29日(水)、11月12日(水)、11月26日(水)=昨日記141126  の各昨日記14xxxxに概要記載)

なぜ今回すべて参加したかということだが、答えは単純だ。
先ず知的好奇心をくすぐられたということだ。

更にその背景として、私は1990年から2000年までギャラリーくるせを経営していて、今も純粋に趣味として現代美術を見て回っている。
ところで、美術とイメージは切り離せないが、民族学的資料から派生するイメージは、美術とどのように関連するのかという疑問があった。
そうした個人的背景があったので、今回のイベントに対し、イメージと民族性をキーワードに何か疑問に答えられるものがあるのか、そして特別展のテーマの言うように、特殊性の強い民族芸術の中に、すべての民族に共通した人類共通の美意識があるのか強く興味を持った。

更にもう一つの背景として、私のもう一つの趣味との関係がある。
昔、20代末か30代の初めの失業時代に1-2か月程東大阪の石切近くの中学校で発掘調査のアルバイトをした経験があり、それ以来考古学古代史の魅力に取りつかれた。
当時は邪馬台国ブームでもあった。
その後古代史考古学の会に入ったり、本を読んで勉強したりし、一時期主要な発掘調査報告書を集めて読んだこともあった。
ところが、考古学と文化人類学は、歴史(時間軸)を対象にするのと、その時の社会構造や人間の関係性(人間と社会・宗教・風土の構造・関係性)を対象にするのとで研究対象が違うが、よく似た領域の研究が重なりある部分もある。
即ち、考古学を研究すると、その手法の中に文化人類学的な考察や参考事例として文化人類学的な事実を例示されることも多い。
私もそうしたことから、文化人類学にも興味を持つようになり、文化人類学的方面からも、今回の特別展に興味を持った。

昨日の講座では、「色と光が放つイメージ」ということで、主にインドで特に女性や幼児の服に付けられたスパンコール=鏡の働きとして、邪視(妬み・嫉妬)除けとして使われるということを強調されていた。
また、赤は吉で、黒は不吉というイメージがあるという。
講座終了後、民族資料の服を見ながら先生を囲んでの質問があった。
私は、民芸雑貨店をしていた時に扱った(日本の問屋から購入した。)インドシルクにと染色に関して質問した。
インドシルクは、本物だが、蛾の幼虫は、日本の蚕と違って、家蚕と野蚕があって、野蚕にもいくつかの種類の蛾がいるとのことだった。(因みに日本の野蚕の一種、淡い緑の天蚕の絹布は超高級品で、皇室等で使用される。日本の絹布は家蚕から作られている。)
安いインドシルクの蛾は短い糸で繭(まゆ)を作るので、綿のようにして、それを紡いで絹糸を作るので絹糸にムラが出来るとの話だった。
その話で、私の長年のインドシルクに関しての疑問は氷解した。
因みに先生は、インドで購入した長い高品質のインドシルクのストールをされていた。
また、インドの服で使われる赤の染料が気になったので尋ねたところ、カイガラムシの一種からとるということだった。
ペルーでも、別のカイガラムシから赤の染料をとって使用していることは知っていたので、なるほどと思った。

これでほとんどすべての特別展関連の連続講座も終わったが、イメージのちからの意味に関しては、自分なりの答えは、見つかっていないが、民族学的なものを一切抜きにイメージだけで展示した実験的意味は成功していると思う。
今週末は、小説家いしいしんじさんのその場小説のイベントが、みんぱく特別展関連イベントである。
石井さんとは、覚えておられるか知らないが、卍字楼やその他の場所で開かれた塔本シスコさんの展覧会の時に何度かお話させてもらったことがあるし、その場小説の催しにも参加したことがある。
今回、みんぱく特別展を見てどのような、その場小説を作られるのか興味あるが、交通費と特別展入場料を合わせると、2000円前後の出費となるので無理かも知れない。
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昨日記141125火(英語とマンネリ ギャラリー廃業直後の思い出 )

2014年11月26日 11時35分28秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =14.8  12.1  85  68 
昨日は本格的な雨が降った。
先週末から、昨日までよく動き回った。
一昨日の北加賀屋からの帰りには、珍しく歩くときに、かすかに足の筋肉痛を感じたので、今までの累積疲労が出る可能性があり、翌日に残るのではないかと気になっていたが、きのうの天気は悪かったが、体は朝から快調で疲労感は全くなかった。
やはり、たんこぶの治り方や疲労回復の速度を見ても、ジムで体を鍛えている効果が表れているように思い朝から気分が良かった。

以前から課題と考えている時間の有効活用も、目標を定めていないためいつものように、SNSを見たりこの昨日記を書いたり、新聞やTVを見たりしてなんとなく過ごした。
今まで何度も様々な目標設定をしたが、繰り返し書いているように、この昨日記その他一部はルーチンとして定着しているがほとんどのやりたいことは、3日坊主で終わっている。
英会話のためのテキストは、数年間英会話やビジネス英語のテキストを買い続けていて、朝の6時から7時までの間は、朝食を作りながら、ラジオをつけっぱなしにして、聞き流しているが、テキストは見ていないし、ビジネス英語に至っては昼頃の放送なので、聞いてもいない。
一応録音はしているので、後日順次録音を聴きながらテキストを見て勉強するつもりなのだが、始めるタイミングを逃し、大量のテキストブックの山から整理しなければならない。
よくもこれだけマンネリ化し無駄なことをしているなと思う。

そういえば、家の中の本の山の整理と、ギャラリーから持ち帰った額入りの版画類の処分(十数年前に流行したシルクスクリーンの売り絵)もしなければならない。
これらの作品は、ギャラリーくるせ廃業時の持ち帰り品である。
そのギャラリー=会社は、最後には決算を出しておらず、赤字のまま債務超過(私への借金の形)で営業を終了し、借りていた部屋を解体して原状復帰して退去しているので、多分法律に従って強制整理され(資産ゼロ)たと思っている。
これらの作品については、ギャラリーを廃業後に地方税関係で、府税事務所から税金の滞納で差し押さえの話があった時に、徴税担当者に、我が家に来て売れ残った大量の商品の絵や民芸雑貨や戦前からの古い価値のないタンス等を、すべて差し押さえて持って行ってほしいとお願いしたら、そんなもの価値がないとして断られ、それ以降何も言わなくなったままである。
私とすれば、家の中がすっからかんになって、すっきりした形で生活できればいいと思っていたのだが。
当時、現実にはギャラリーから持ち帰った、売れ残り品や様々ながらくたや椅子テーブルが積み重ねられてた状態で狭い長屋の室内が埋め尽くされ、わずかに炊事場とトイレまでの間に幅30cm程度の1本の通路が何とか確保されたが、確か数日間は、押し入れから布団を取り出すこともできず無論布団を敷くスペースもないので、その隙間にはさまれ寝袋で寝ていた。
それを知っているのは、ギャラリーからの搬送を手伝ってくれたFB友達のS氏と、最初の会社に勤めて以来の友人で会社の役員もしてもらったY氏(無償でやってもらって、いまだに恩返しもできず感謝のみ)だけである。
2000年8月の撤収の日に、手伝ってくれた人へのお礼も終わったあと、一人で再び家に戻ったその夜は、強い挫折感と不安と悔しさで寝られなかった。

結局その後、私は金融機関からの借金返済に苦しめられ、6年前に自己破産した。

なんか、語学のテキスト関連で室内の整理からいきなり話が飛躍して廃業時の思い出話になってしまったが、話を戻す。
午後になってたまったレシートの記帳を行った。

夜になって、雨も上がったので、気晴らしも兼ねていつもの店にお茶を飲みに出かけた。
終日目立ったことのない一日であった。
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昨日記141124月(昨日記141123追加修正 北加賀屋オープンストレージ)

2014年11月25日 12時53分05秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =19.9  9.1  64  40 
昨日は、勤労感謝の日で天候も気温もまずまずで、行楽日和であったが、例によって欲望を抑え我慢を決め込むものの、それに代わることは行わず、休日モードでのらりくらり過ごした。
部屋の片付や、大量の本の整理や、文献の整理やデータベース化や、楽器の練習や、文を書くことや、ジムに行くことや、・・・・やりたいと思っていることで、お金もかけずに出来て、やり残していることはたくさんあり、やる気になれば、いくら時間があっても足りない量のやれることがある。
だが、のらりくらりして過ごしている。
それでも、何の支障もなく経済的にも精神的にも生活に困らずに生きている。(無駄遣いや贅沢をしなければ、年金だけで最低限食べることだけは問題ない。)
そうした自分の行為を、客観的に俯瞰している自分の存在がいて、そうしたことを意識している。
そんな中、なぜかわからないが、たまにスイッチが入って、何かを始めることがある。
経験的に、一度何かを決めて始めると、間にさぼりや休止期間があっても結構気合を入れて長続きする。
例えば、この昨日記もそうだし、毎日予定日報表を付けることや、週に何度かのジム通いもそうだ。
冒頭から昨日の反省になった。
以前も反省だらけの文を毎日つづっていたので、そうしたことをやめようと書いた記憶があるが、繰り返してしまった。(反省することは大事ではあるが)

さて昨日は朝に書きUPした昨日記を午後になって見直すと、消し忘れや変換ミスや句読点の打ち間違いが多くあり、更に説明不足も多く見つかり、言い回しにも問題のあるところが多く見つかったので、昨日記の文章を追加し修正を加えた。
だが、修正数が多く追加もあり時間がかかった。

夕方になって、気になっていた。北加賀屋で行われていたアートイベントオープンストレージ2014を観に行くことにした。
事前に、ネットで場所を調べ、メモした紙を持って出かけた。
地下鉄北加賀屋について、長い地下道を歩いて4番出口にでた。
手持ち地図を書き取った紙を見ながら、歩き出した。
日は暮れ、周囲は暗闇だ。
そして道に迷った。
あたりには、ほとんど人影はなかった。
それでも、犬の散歩をしていた人に、道を尋ねた。
結局3人に尋ねやっとたどり着いた。
その間30分以上早足で歩いた。

会場らしきものが見つかって受付が見えたのでそのまま早足で歩いて入ろうとした途端、思い切り正面の一枚ガラスにぶつかった。
手や頭に最近では、経験したことのない強い痛みを感じた。
幸い、額にたんこぶができただけで済んだ。
たんこぶは、てっきり内出血していると思っていたが、帰宅して額を見ると、内出血はなかった。
ある意味、私の体は予想以上に血管や体の組織の老化が進んでいないのかもしれないと思った。
今たんこぶを見ると、昨夜は、はっきりと盛り上がり触っても分かる、直径3cm程度のコブだったものが、今見ると触ると痛みはあるが、触ってもコブがわからず、鏡でよく見ると少し盛り上がっている程度に回復している。

会場内に入り作品を見た。
新聞でも取り上げられて、実績もある有名現代作家達だ。
ヤノベケンジ氏の作品は、茨木で作家トークも聞きコンセプトもよく知っていた。
それ以外の作家も、新聞の美術批評を目にした人もいる。
そうした予備知識も一部あったが、前にガラスで頭を打った衝撃もあったためか、すごいとは思えなかった。
改めて、落ち着いてから見直し、考えるとまた印象が違うのかもしれない。
とにかく会場にたどり着くまで、めったにないことだが、夜のためか何度も道に迷い、ガラスで頭を強打して気が動転していたことも影響したのか、印象とすれば期待したほどではなかった。

帰りは、まっすぐ帰宅したが、昨日の歩きが影響したのか、道に迷った時の早歩きが影響したのか、僅かに足の筋肉痛を感じた。
今は筋肉痛はないが、やはり昨日は脚の疲労が完全には回復していなかったようだ。

夜は、7食分の食材の下処理も含む副食の作成に追われた。
とりあえず、夕食分だけを一食完成させ、その他6食分を途中まで仕上げ、冷蔵した。
軽い疲れを感じたので、珍しく12時頃に寝た。
今朝は、快調に起床することが出来たが、マットの裏面を見るとフローリング側に寝汗の湿気が浸透してフローリングで冷やされ結露した寝汗跡がついていた。
寝ている側(マット表面)の面では、寝汗は全くなく、さらさらしていたし、無論パジャマにも汗をかいた後はなくサラサラであった。
それなりに、新陳代謝が盛んなのだろう。
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昨日記141123日(紅葉見物・哲学の道・くろ谷 三条界隈ギャラリー廻り)<追>

2014年11月24日 13時28分17秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =20.4  9.2  64  43 
昨日は、時折曇の時もある天気だったが、寒さも和らぎ、行楽日和となった。
私は、前日の疲れもあり、休日モードで7時前に起きのんびりしたペースで朝を過ごした。
朝食後、前日のみんぱくワークショップは、昨日記に書くことが多く月曜日に書くと忘れてしまうので朝から書くことにし、仕上げて昨日記を投稿した。
ここ数日TVで紅葉情報が多く話題になっていて、昨日記を書きながら紅葉見物に出かけたいという欲望が湧いてきた。
しかし、呪文のように繰り言を唱えている私の経済状況が気になり、心の中でせめぎあっていた。
ブログを書き終えた後、紅葉見物に行くための費用考えた。
京都までの交通費だけに限ると、千円余りで済む。
それなら、今の経済状況でも行くことのできる範囲だ。
その範囲で、行けるプランを考えた。

昼は、自宅で食事してから出発し、京阪で出町柳まで行き、哲学の道を歩き法然院にも行く。
可能であれば、未だ一度も訪問したことのない黒谷の金戒光明寺に足を伸ばし、その後三条界隈のギャラリーを回り京阪三条から帰る、というプランを立てた。
無論、拝観料のいるところには、行かないことにし、くろ谷からすぐそばの紅葉の名所として有名な真如堂には、拝観料がいるので行かないことにした。
また、詳しい地図は持っていなかったが、現地調達することにした。

食事を早く済ませ、12時半ごろ家を出た。
京阪電車は、この時間空いているのだが、昨日はぎゅうぎゅう詰のラッシュ時ほどではないが、肩や体が触れ合うぐらい混んでいた。
電車の中で、三条で降りるか、終点の出町柳で降りるか迷ったが、今の日没は4時半ぐらいで4時過ぎになると紅葉が見にくくなるし、三条界隈のギャラリーは5時から6時までやっているので、出町柳で降りて行くことにした。

出町柳を降りるときに、駅の事務室で1万6千分の一の地図がついた京阪沿線ウォーキングマップを入手した。
駅を上がって小さな広場で、入手した地図しばらく見ながらコースを確認した。
出町柳から哲学の道を通り、三条界隈のギャラリーを回るとかなり長距離になり、ざっと見たところ8km程度以上になりそうだ。
哲学の道は、多分年に一度以上多い時には年に5回以上歩いている。
10年以上前は、哲学の道を三条から出町柳まで歩くと、くたくたになって疲れていた。
元々山道でも24km歩く体力を持っているが、哲学の道は、気を抜くせいか、または寄り道するせいか、なぜか疲れやすかったので、途中疲れるとプラン変更して、バスで三条まで帰ればよいと考えた。

出町柳を出発し、昔ストイックな雰囲気でクラシックを聴きたくてよく通った名曲喫茶の前を通ると、今もやっていて懐かしかった。
更に進むと、京大の学祭が行われ、多くの若者が歩道を歩いていた。
大学前には、いくつかの古本屋があり、多分質の良い古本を売っているので、見たかったが、先を急ぐのでやめた。
この辺りには、レトロな雰囲気のある喫茶店が点在したり、マスコミでもよく紹介される老舗パン屋も喫茶コーナーが人気で行列が出来ていたり、その他学生向けの店が多くあって楽しい街並みが続き、時間があれば遊びに行きたいところだ。

しばらく行くと急に人通りが増え、銀閣寺への参道と、哲学の道への分岐点に出た。
分岐点の手前にある白沙村荘庭園の紅葉は美しく色づいていた。
この辺りにギャラリーがあるようなのだが、調べていなかったので、行かずそのまま哲学の道に向かった。
疎水には、大きな鯉が泳いでいて、道に植えられた桜の紅葉は散りかけていたが、カエデやモミジの木はほとんどはなく残念だった。
人出は予想通り多く、道端のオシャレなカフェや店はどこも人で一杯だった。

法然院に行った。
人は相変わらず多く写真を撮る人も多かった。
境内はいつ見ても美しいが、人で一杯だった。
一度人気のない平日に来てみたいと思った。
法然院の境内の施設では、現代作家が展覧会をしていた。
そこでしばらく若い作家と話をした。
作家の作品は、アメリカでも売れているといい、大阪ではスペクトラムギャラリーで扱っているという。

東山の紅葉は今が見ごろで、文字どおり真紅に色付いているモミジの木もあれば、紅葉が始まったばかりの木もあったり、未だ緑のモミジもある。
全体とすれば、京都の東山の紅葉は8分ぐらいかもしれない。
しばらく歩いて、黒谷への分岐に出会ったので、黒谷に向うため哲学の道を西に曲がり、どんどん坂を下った。

地図を読むのは得意な方だが、金戒光明寺の直近で道に迷い、駐車場で管理人に道を尋ね細い裏道を教えてもらったが、よく見ると地図に載っている道であった。
しかし、1万6千分の一の地図には目印になるほどの大きな駐車場は載っていなかった。
その道を行くと、黒谷南門に出た。

確かに金戒光明寺のモミジは美しかった。
三重塔のある山も上ったが、周囲はかなり由緒ある、古い墓地で、大きな五輪の塔もたくさんあった。

金戒光明寺で随分時間を消費し、3時半を過ぎていた。
元の哲学の道へ戻るには、15分以上坂道を上らなければならない。
元へ戻るのをあきらめ、岡崎に出て動物園から美術館を通り、白川沿いにギャラリー16に行くことにした。

ギャラリー16に行くと、一階にポスターを張ってなかったので休廊と思い次のクンストギャラリーに行き、その後モーニングやスズキや虹やJARFOに行って、三条から帰ることにした。
各ギャラリーを回ったが、それぞれの感想を書くとかなり長くなるのでやめておく。
今回はそれぞれのギャラリーで、作家の友人が来ていて、熱心に話し込んでいたので、作品について作家から直接聞くこともできなかった。
横で作家が説明しているコンセプトを聞いていて、、「こじつけじゃないの」と思うようなものもあった。

現代美術には、わざと恰好を付けるため、難解な言葉や消化不良の言葉を使ったりこじつけのようなコンセプトが多いと常々感じている。
難しい言葉を使うと高級に見えると勘違いしているのではないか。
使っている語句の定義がきちっと理解出来ていないまま、そうした言葉を融通無碍・変幻自在に使っている場合を見ることも多い。
以前、そうした作家の問題を指摘すると、これはこの意味で使っていますと、聞いたことのない感覚的な定義を持ち出され、あっけにとられたこともあった。
現代芸術(美術に限らず)に関するコンセプトやステイとメントや評論には、注意が必要だ。
定義がしっかりと押さえられていなければ、議論や論理展開や批評のしようがないのだ。
言葉を融通無碍に使用すると、混乱しか残らないし、分かる人からは作家のレベルを見破られる。

三条からの帰りの電車は、ラッシュ並の混み方であった。
7時前には、出発駅につき、いつもの店でお茶を飲み一休みして帰宅した。
いつも、これだけ歩くと、かなり疲れを感じるのだが、近年その疲れ具合が軽くなった。
体力がついているように感じている。


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昨日記141122土(みんぱく ワークショップ 体感!!イメージの力)

2014年11月23日 11時33分54秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =21.0  9.8  59  35 
昨日は、朝からみんぱく(国立民族学博物館)のワークショップへの参加の準備に追われた。
イベント自体は、何も用意する必要はないのだが、1時から始まるので昼食を準備しなければならなかった。
昼食は、千里中央駅周辺や、万博公園やみんぱくのレストランでも食事できるが、経済的余裕のない私は、手作り弁当でしのがねばならない。
10月26日のみんぱくイベントの時と同じメニューで、弁当を作り出かけた。

定刻通り、みんぱくに着いた。
受付場所に集合後、みんぱくの集会場に案内され、その場のくじ引きで5人一組に班分けされた。
参加者は2-30人程いた。
各班に、みんぱくの教員(教授等)や国立新美術館の研究員がついた。
(イメージの力は、初めに東京の国立新美術館で美術展として開催され、同じ内容を現在みんぱくで開催中)
私は、国立新美術館の山田先生の班に入ったが、私以外はすべて女性だった。
先生は、美術作家のレジェとフォートリエ(現在国立国際美術館で特別展を開催中)の研究をしているとのことだ。

その後、先生に案内されて展示物を見て回った。
その中で気になる展示物について、情報カードにコメントを書くが、その時展示番号と、そのものが分かるようにイラストを描く。
イラストを描くのに時間がかかった。

展示場での見学を終えて、各班ごとに集まって集まったカードを整理し、一枚の模造紙に集約した成果を写真入りで作成するのだ。
私の所属する班では、様々な意見が出て、自分の主張を繰り返し粘り強く主張する人も多く、そうした意見に引きずられる形で、みんなのカードをKJ法的に整理する先生のまとめ方も、途中から強い声に押されて変化し、なんとなくイメージの直感だけでまとめるようになった。
ある意味、その中に潜む構造や論理を抽出する男性原理的まとめでなく、様々な感想や思い入れを並記した、感性中心のまとめ方のように感じた。
強い主張をする人たちの考え方には、明白な事実誤認や取り違えやステレオタイプ的思い込みもあった。(例アフリカとオセアニア文化の混同)
しかし、別の側面から見ると、民族学的な議論を横に置いておいて、イメージの共通性や芸術性を考えるのが今回の展示の試みなので、直観的に感性中心にまとめることも、あながち間違っているとは言えないかもしれないし、むしろ積極的に評価してよいのかもしれない、という見方も成立する。

最後に、まとめ上げてポスターにした紙を、各班別に皆の前で発表する。
私の班は全員前に出て、説明した。
私にもコメントを求められたが、それぞれの意見が多くて、まとまりにくかったというようなことしか言えなかった。

この催しが終わった時は、5時を過ぎていて、日は暮れていた。
帰りは、偶然、この催しに参加していた知人と一緒に梅田まで帰った。
その後、いつもの駅前のファストフードに寄り、お茶を飲んで帰宅した。
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昨日記141121金(ジム 筋トレ・ランニング)

2014年11月22日 21時35分43秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =17.9  6.2  55  26 
昨日は、朝昨日記を書いているうちに、運動の話がながくなったので、別ブログにした。
それを昨日投稿する予定であったが、投稿するのを忘れ、今日内容を見直し追加して投稿した。

午後に溜まったレシートを整理し記帳した。

夕方になって、ジムに行った。
19日のランニングの疲れが残っている可能性があるので、筋トレだけのつもりで行った。
筋トレは13日以来なので、記録の低下は覚悟していた。
しかし、一部のトレーニング(ラットプルダウン:頭上から肩までの引き下げ47.5kg?)の回数が15回から14回に落ちただけで、他は、19日と同じ回数出来た。
更にロウリアデルト(前から胸への引っ張り:船をこぐ動作)の負荷を57.9kg15回から60kgに上げて、13回ほど胸に引くことが出来た。
どういうわけか、ロウリアルデルトの筋力は、他の部位に比べて強く、同時にほかの人と比べてもかなり強いと思っている。
ひょっとすると、親父の家が代々漁師の網元だったので、網を引く筋肉が遺伝的に強くなっているのかもしれない。
以外と筋トレの調子が良かったので、ランニングのトレーニングもする気になった。

時速9.8kmで8分走り6.5kmで2分休むサイクルで走ってみようと考えた。
ところが実際走ると、5分間走るだけで息が上がり、耐えられなかった。
結局時速9.8kmと6.5km2分間のサイクで5-2-6-2-6-2-7のペースで約4.5km走った。
疲労感は強かった。
帰宅後も、強い疲労感に襲われた。
TVを見ていても眠くなった。
昨夜は普段通り寝たが、今朝は疲労感もなく快調だった。
時速9.8kmでのトレーニングに、少しずつ体が順応しているようだ。
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私の体・運動の経過の断片的メモ

2014年11月22日 10時09分35秒 | 健康・医療介護・食・運動
私が運動に目覚めたのは小学校のころからだが、運動が好きとか得意とかではなかった。
記憶にはないが、2歳ぐらいにポリオにかかり全身まひとなり、その後回復したが、その後遺症で運動は苦手で、小学校では卒業するまで体育は1か2だった。
小学校高学年の時に、同じ学年の合同体操があり、班単位の共同責任制で、跳び箱や鉄棒やマット体操をやらされ、私の班はいつも最後までの居残りを、よそのクラスの班と競っていた。
同じ班の友達は、目標クリアまでよく協力してくれ、私の運動能力の向上に大きく役立ち、運動能力は低いが、それまで出来なかったことが出来るという達成感を持つことで自信もついた。

こういうわけで、運動するときは、他の人に迷惑を掛けないよう、最低限人並みに出来るようにならなければという強い意識が生まれ、みんなが遊ぶ野球にも下手ながら参加し練習した。
中学になってからも、運動能力は同級生より劣ったままであったが、体育の先生が、多分努力評価でいい点を付けてくれ、自信になった。
工業高校の時は、学校が新設校のため、隣の当時の城東工業高校のプールを借り、水泳の授業があったが、クロールで泳ぐと、半分溺れながら泳いでいて、確か25mは泳げなかったと思う。

社会人になってからも、運動コンプレックスは常にあった。
野球は下手なのでやらないが、卓球は中学時代から遊びでやっていて、社会人になってからも近所の友人たちと遊びでやったりしていた。
仕事が忙しくなると、近所の友人達とも自然に疎遠になったり、友人たちが転居したりして、体を使った遊びはしなくなった。
20歳になって、成人式の後に、教育委員会が指導して親睦グループ作りがありサークルが結成され、サークル活動に参加するようになった。
先輩たちと合同で活動し、その後先輩たちが多く参加していたフォークダンスサークルにも入り、毎週フォークダンスに参加するようになった。
その当時のフォークダンスサークル(すずかけ)のメンバーは、ネットで調べるとフォークダンス協会の役員になっている。
当時、正確なことはよく知らないが、フォークダンスサークルには、YMCA系や政党系のものがあり、私が所属していたサークルは、どちらの人達も参加していたようだが、組織的には大阪市の青年団体協議会の区の組織に参加していて、日赤とよく似た位置づけで、区の行事(文化祭・体育祭)には必ず参加していた。

二十歳の時に参加した親睦サークルや、その後の受け皿となるフォークダンスサークルでは、よくハイキングに出かけた。
そこで山好きの先輩たちから、いろんなことを教わった。
というのは、多くの先輩たちは地方出身者で、集団就職で大阪で働いていたのだ。
彼らは、大阪に来るまでは特に小さいころは野山で遊んでいたので、山の知識(登山ではない)は豊富だった。
そんなことから、ハイキングや山に親近感を覚えるようになった。
その後仕事が忙しくなるにつれ、フォークダンスサークルからも離れたが、ハイキングに魅力を覚え、自分で地図を購入して行くようになった。
その根底には、普段会社で設計の仕事をしていて、体を動かしていないという危機感があり、同時に当時公害問題で、市内も排気ガス等で空もきれいな青空はなく、圧迫感を感じていた。
山には、きれいな空気や湧水があった。
そんな訳で、サラリーマン時代は近郊の山を歩き回るとともに、虚弱な足を鍛えて健脚になりたいという願望があった。
そうして、毎週のようにハイキングに出かけ、運動神経は鈍いが足だけは丈夫になり、体力も人並みにはなったと思えるようになった。

その後、スキューバダイビングにも興味を持ったが、右耳が中耳炎で人工鼓膜にしたので、スキューバダイビングはあきらめ、シュノーケルの素潜りをやっていた。
毎年夏休みには、会社の同僚たちと鳥取県の石見海岸の大羽根尾というところの民宿に泊まり、シュノーケルでの潜りを楽しみ、7-8mは潜っていた。
冬には道具を買い込み、やはり会社の仲間とスキーに行くようになり、一人でも泊りがけのツアーに参加するようになり、中級程度の滑りは出来るようになった。

20代の終わりから30代にかけて、2度の転職を経験し生活は不安定になったが、30代になってからは40代前まで同じ会社で、技術者として活躍し、忙しい日々を送り、同時に探鳥会や古代考古学関係のサークルにも参加するようになり、休日に屋外で運動する時間は少なくなった。
更に、管理職にもなり休日出勤も多くなり運動不足を感じるようになった。
そこで、休日に会議等があった場合でも、終日屋外で活動するのでなく短時間で運動できるジム(ターミナルにある民間のジム)に通いだした。

その後、40歳になった時にでサラリーマンをやめ、アメリカに英語留学した後、喫茶店や民芸雑貨店やギャラリーを始めると、経済的にも行き詰まり運動する時間も無くなった。
2000年にそうした事業に失敗し、非正規の契約社員をしたり、正社員になったりした。
そして2005年に60歳になったのをきっかけに、病気予防のために地元にある大阪市立のスポーツセンターのジムに通いだした。
年をとっても体の抵抗力がつき、大きな病気をしなくなったり、体力が年々衰え、行動範囲が狭くなるよりは、ジムに出費してもそのメリットは大きいと考えたためだ。
その結果は、大成功だった。
体力や、行動力や、体の抵抗力も高まり、大きな病気もせず、行動範囲も広くなり、疲れにくくなった。
加齢による運動能力の限界はあるが、出来るところまで、今の能力を伸ばしたり、維持したいと思っている。

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昨日記141120木(運動記録の検討 食事作り7食分 老化予防に肉)

2014年11月21日 11時52分18秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =15.3   7.1  57  30 
昨日は、一昨日のランニングのトレーニングを振り返っていた。
検討した内容の一部は昨日記141119でも書いた。
未だ時速10kmで休まず30分間走るには、とても無理だが、目標へ到達するためのトレーニングとすれば、満足すべき成果が出ているように思っている。
無論30代40代の人から比べると、軽い運動しかしていない人にとっても遅すぎる値であろうが、70歳前後になるときつい値だと思う。(正確には70歳の平均値を知らないので何とも言えないが。)
少なくとも、50代以上になると、普段から運動を心掛けている人と、運動していない人とでは、非常に大きな差が出ていると思う。
そんなことを思いつつ、ジムのトレーニング記録を見ながら、これからにランニング能力UPへのメニューを考えていた。
更に、今までの運動に対する小さい時からの経過を考えていると長文になったので、別ブログに記す。

午後になると、夕食以降の副食が全く用意されていないので、7食分の副食=温野菜を作った。
夕方まで、数時間かけたが、キャベツの分割から始まり、各種の前準備や食材の計量切り分けにも多くの時間がかかり、四分の三程度しか出来上がらなかった。
そこで一旦作業をやめ、後は残りを、毎回の食事前に準備することにした。
残した作業は、計量や切り分けの準備がいらない工程で、オクラとかシシトウやブロッコリといった単体で洗ったり、ちぎって丼に入れるだけのものを残した。

その後、駅前に行き、出金したり、薬店の特価日なので、不足しているサプリを購入したりした後、いつもの店でお茶を飲み読書した。


メモ
昨日の解説番組で、老化防止には動物性タンパク質や脂肪の摂取が必要ということが最新の研究で分かったということだ。
特に、知的能力の維持には、植物性タンパクだけでは、能力が低下するという。
昔から言われた、年相応に食事をつつましくというのは大きな誤りなのかもしれない。
実際、長寿(80-100歳)で、活躍している人の食事は、肉を摂取している人が多いのは事実だ。
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昨日記141119水(ジム ランニング時速9.8km30分 歩3回)

2014年11月20日 13時13分24秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
昨日記141119水(ジム ランニング時速9.8km30分 歩3回)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =15.9  7.1  63  40  
昨日は、16日17日18日と行事が重なり、体力や神経をすり減らした関係もあり、ほっと一息という感じで気分はよいが、何もする気にならず、朝からずっとTVを見ていた。
そうした中、高倉健さんの訃報が、大ニュースで取り上げられ、同時に京都での、大量殺人の可能性のある、青酸化合物による夫殺人事件も、それ以上に大きく報道され、解散風のニュースと重なり、報道系ワイドショーの番組を見るには面白い一日であった。

それと同時に亡くなられた高倉健さんや、殺人事件の夫婦の歳が、私と近く、運転免許更新でも、高齢者講習の時に、ずらっと講習の席についた、十数名の70から75歳代の人達を見て、私も高齢者の仲間であり、肉体的精神的にも衰え、あと数十年すれば確実にこの世からいなくなるのだと、改めて認識させられた。
同時に、普段は、4-50代と同様と思って行動しているが、実態の外見及び能力は、自分が思っているのとかけ離れ、老化しているのだろうと悟った。

しかし、それでも私は必要以上に若作りするつもりもないが、老人らしく控えめに振舞うつもりもない。
人それぞれ実年齢と比べ、老化のスピードはかなり違うように思っている。
私は常々、経済的には分相応ということを口にしているが、その原則を外すと物理的に破滅するしかなく、結果として社会的に存在を否定されることになるので、経済的には分相応に生きざるを得ない。

だが、精神的肉体的には、年齢に応じ分相応にと、なんでも控えめに行動していると、確実に老化のスピードを速めるように思っていて、気持ちの持ち方や行動は、年齢にとらわれる必要はないと考えている。
無論、身体能力から比べて、必要以上に過激な運動をすると、過労になり老化を促進するであろう。
運動と休養と栄養のバランスが必要だと思っている。
少なくとも、運動であれ、知的芸術的活動であれ、能力的に問題なければ、常により上を目指してチャレンジするつもりだし、今のところ運動に関しては、今もその成果は出ている。

話を元に戻すが、夕方になってやっとこれではいけないと思い、気は進まないが、私にとっては苦行でもある、ジムのランニングに出かけた。
肉体トレーニングは、同じことをやっていても、記録は伸びない。
少し負荷をかけてやることで、身体機能は伸びる。
現に、筋力はいまだに伸びている。
ランニングも、今まで時速9.6km30分走ることが限界だった。
確か4-5年前には、もう少しトレーニングすれば、時速10kmで30分間走れるところまで近づいたことはあるが、それ以後真夏の期間ジムのランニングをさぼり、記録は大きく後退し回復せず、たまに時速9.6km30分走れるまで回復するのがやっとで、常時その記録が出るわけではなかった。

現在では、トレーニングの成果が出て、11月7日から、時速9.8kmで30分間走れるようになるトレーニングを始めている。
昨日は、時速9.8kmのランニングと時速6.5kmの歩き(休み)を繰り返し、それぞれ6-2-6-2-8-2-4分間走り、トータル30分間で4.5km走った。
最初時速9.8kmで走った時は、4分間走るだけで息が上がった。
しかも昨日もそうだったが、筋肉にかなりの負荷がかかり、疲労していた。
即ち時速9.6kmまではよかったが、9.8km走るだけの筋肉力がついておらず、現在それに応じた筋肉が成長中ということだと思っている。
筋肉がつくには、栄養とトレーニングと休養が必要だ。
現在少し筋肉がつき始めている状況で、休みなく走れる時間も6分に伸びた。
次回は8分間休みなく走れるようになればよいと思っているが、さてどうなることやら。
12月中には時速9.8kmで30分間休みなく走れるようになりたいと思っている。
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昨日記141118火(免許更新 職安 ギャラリー廻り)

2014年11月19日 12時56分39秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
曇・晴  最高/最低℃ 平均/最低% =15.0  8.8  58  40 
今日は、朝から気分が良い。
ここ3日間の朝の慌ただしさは無くなり、寒さにも慣れゆったりとした気持ちだ。
特に昨日と一昨日の、免許更新に関連する行事が非常に大きなストレスになっていたようだ。

ということで、昨日は朝から免許更新の手続きのため、門真試験場に出かけた。
門真の試験場には、何度も行っているが門真の試験場は10年ぶりだ。(前回は警察署で手続した。)
京阪電車の古川橋を降りて歩いて行ったが、試験場方向に歩いている人は、ほとんどいなかった。
前回行ったときは、パラパラと歩いている人を見かけたので、意外だったし、かなりすいていると思った。

試験場には、大勢の人が詰めかけていて驚いた。
更新手続きは、流れ作業で行われた。
疲れ気味だったので、少し心配した視力検査も問題なかった。(体調や本やPCをやりすぎると視力が一時的に落ちるが、運動し、血行を良くするとすぐに視力は回復する。)
最後の写真撮りでは、多くの人が名前を呼ばれ撮影されるのを待っていて、待ち時間は長かった。
これが、警察で行うと写真が必要になるので、その意味でも試験場での免許更新は便利だ。
通常免許更新前に受ける講習会は、一昨日の高齢者講習で済ませているので省略された。
更に、新しい免許証が出来るまで、結構時間がかかり、試験場を出たのは11時半ごろだった。

これで夏以来気がかりだった免許更新も無事終わり、昨日はどこかに遊びに行きたい気分になった。
お金があれば、京都に行ったり映画や美術館や博物館に行ったり、買い物したり、食事を楽しんだりするが、行くあてはいくらでもあるが、そういうわけにはいかない。
先ず分相応の、貧乏人らしい最低限の生活を否応なしにしなければ、再度経済破綻するので、いかなることがあっても、この原則は死守し我慢しなければならない。
もっと貧困になれば、公共交通機関の利用もせず、食費も制限しなければならないし、無論新聞を読んだりジムに通ったりは、夢の話となる。
幸い今の年金で、最悪の貧困状態まで落ちずにすんでいるだけでも、感謝しなければなるまい。

そこで私に合った分相応の午後の時間の過ごし方を考えた。
とりあえず、京阪で淀屋橋に出て、ファストフードで簡単な昼食をとって、市立中央図書館に行って本を読んで、駐輪場に戻り、職安に行き、西天満のギャラリーを回り、天満橋でお茶することにした。

ところが、淀屋橋のファストフードで、簡単な昼食をとりながら本を読んでいると、時間がたって1時半になった。
これではすべての予定をこなせないので、中央図書館行きをあきらめ、そのまま地下鉄で、出発駅の駐輪場に行くことにした。
その後は、予定通り上町台地を上り職安にいてアルバイトを探した。
昨日は、時間に追われることなく、ゆっくりとアルバイトを探すことができたが、これというものはなかった。
職安を出て、いつものように西天満に行こうとしたが、ふと考えた。
今まで足を延ばさなかった、橘画廊や2kwギャラリーに行こうと思った。
橘画廊では、作家もいて、作品について話を聞いて、その後、初対面だったギャラリーの受付の女性としばらく芸術や美術について話し込んだ。
橘画廊を後にして、2kwギャラリーに行き、その後、近くにあるよしみ画廊に行った。
サードギャラリーは閉まっていた。
その後、西天満の画廊を一通り回り、いつものように天満橋のファストフードでお茶を飲んで帰宅した。
帰宅後は、重荷をおろした安心感と同時に、ストレスから解放されて疲れが出た感じで、なんとなくTVのお笑い番組を見ていた。
そのため、やるべき6食分の副食作りが出来ず、当日分だけの温野菜を作って夕食を終えた。


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昨日記141117月(自動車運転免許・高齢者講習)

2014年11月18日 21時23分45秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
曇・晴  最高/最低℃ 平均/最低% =16.0  7.6  65  51 
昨日は、朝から以前から予約していた自動車免許取得に義務付けられている、高齢者講習の準備に追われた。
前日に自動車学校が、どこにあるのかネットで調べ、J桜ノ宮駅から都島自動車学校までの道をノートに写した。
9時集合なので、改めてネットの地図とノートのメモを確認して出発時間を決め出かけた。
講習会場には10名余りの70代の人たちが集まった。
実技講習は、教習所の試験コースを使い、2周コースを回り、車庫入れも何度も行ないコーンを置いたスラロームやS字や右折他普通の運転試験のコースをすべてやった。

一時期は軽自動車も所有して乗り回し仕事でも重大なクレームでサービスに行くときは会社のバンに乗って顧客の店に行ったり、アメリカでもラテン系の親友Lのポンコツ車を買い取り、英語学校の通学に使っていた。
しかしアメリカから帰国後は、ほとんど車を運転する機会が無くなった。
それでもレンタカーを借り、イベントに出品のため、民芸雑貨を積み込み、友人と一緒に神戸まで軽トラを運転したことがある。
しかし、過去に体に染みついた自動車運転操作の経験も十年もすれば、記憶は薄れ感も鈍る。

そんな訳で、自動車学校での実技指導は、冷や汗と緊張の連続だった。
実技指導では、小さなミスはいくつかあったが、大きなミスはなく何とかパスした。
動体視力が平均より悪いようだが、静止視力は問題なかった。

昨日は、なんとなく日曜日の疲れと、前夜にPCを使い地図で道順を見たりして、かなり目を使ったので、昨日の朝から目の疲れを感じていた。
明るさ関係の目の機能は、問題なく平均よりはかなり良い状態だった。
シュミレーターを使ったテストもあった。
アクセルとブレーキの反応速度も、平均より良かった。
ただシュミレーターの運転時は、障害物へのハンドル操作に気を取られ、ブレーキ操作の反応が遅くなっていた。
これは練習すれば早くなるだろうと考えている。
車を持って運転していれば、慣れると思う。

とにかく高齢者講習は実技を含め、3時間のコースを無事終了し、修了書をもらうことが出来た。
帰宅後は、一昨日の奈良で自転車を走り回した疲れと、高齢者講習の実技指導の精神的ストレスで、大きな疲労感が寝るまで続いた。
そうした中、免許更新にいつ行くか、そして警察に行くか自動車運転免許試験場に行くか考えていた。
前回警察に更新申込みした時は、受付はその日にしてくれるが、運転講習は別の日に指定されることを思い出した。
それに、運転免許試験場では、写真撮りも申請コースに含まれていて、写真を用意しなくても良いので、試験場に行くことにした。
どうせ行くなら早く済ませるべきと思い、昨夜遅くに今日(11/18)行くことを決めた。
この疲れが、一晩寝てとれるか心配だったが、幸い今朝は、快調に起きることが出来た。




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昨日記141116日(奈良でレンタサイクルを借り、はならぁとを観た)

2014年11月17日 18時26分41秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =16.1   8.1  58  35 
昨日は、その前日に副食(温野菜)が全くなくなっているのに、材料はそろっているが購入したままで、調理や下ごしらえは何一つしていなかったので、朝一で、6食分の副食を作った。
時間がかかるので、朝食を抜きにして、朝食と昼食兼用のブランチにすることにし、副食が完成次第食べることにした。
他の5食も一緒に作ったので、10時頃にやっと加熱調理出来た。
その後午後の日程の当てもなかったので、何をしようか考えた。

経済的なことから、遠方には出ないことに決めていたが、天気の良いのに家でくすぶるのも、フラストレーションがたまる。
しかも、よく考えると、ブランチは済ませたので外食といった余分な費用はいらない。
そういうことであれば、奈良や京都へ行っても、美術館や博物館に行かなければ交通費だけで済ませることが出来る。
そこで、奈良で行われている、はならぁとに行くことにした。
去年は、大和郡山の会場に行ったので、奈良北町の会場に行くことにした。
そこで、試してみたいことがあった。
奈良でレンタサイクルを借りて、会場を回るのだ。

12時過ぎに家を出て奈良に行った。
電車はゆっくり座っていけた。
先ずネットで調べておいた近鉄奈良駅近くのレンタサイクル店に行き自転車を借りた。
駅周辺に近鉄系らしいレンタサイクル店があったが、そこは1日800円で私が借りた少し北に離れた店では、1日500円だった。

さて、はならぁとの会場に行こうとしたが、分からない。
そこで、とりあえずギャラリーCLASSに行き六車アキヨ展を観た。
その後近くのギャラリーOUT of PLACEに行き、中島麦展を見た。
2つのギャラリーを見た後、改めてレンタサイクル店でもらった地図を見ると、はならぁとの会場が表示されているのが分かった。
地図に従い、先ずコア会場の工場跡に行った。
工場を使ったインスタレーション的展示も面白かったが、動力源の蒸気機関が残っていて、プーリーとベルトで工場設備に動力を伝達している構造が、保存されているのに驚いた。
非常に貴重な産業遺産だ。
その後、ぷらす会場も3か所まわった。
距離にしてかなりの距離だ。
歩いて回れば非常に疲れるだろう。
レンタルサイクルで、回ることは、非常によかった。
静かに飛び火野の林を歩くのも大好きdが、展覧会等を多く見るには自転車はとても有効だ。
ただ、奈良の場合は、坂道が多く、結構体力や筋力がいりそうで、知らないうちにかなり疲れていることがあるかもしれない。
私も、帰宅したときは、かなり疲労を感じた。
かかった費用は、予定通り交通費やレンタサイクルと駐輪場の費用だけで2000円もかからなかった。
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