散歩者goo  (自選ブログ集参照)

タイトルのgooは、他人の同名HPやブログと区別の為。村ぶろの「散歩者」は本人作成。HPの「散歩者」は、無関係。

昨日記140330日(ジム・ラン時速9.6km30分 消費税UPの需要)

2014年03月31日 16時06分07秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨・曇 17.1/13.2℃
昨日は、4時ごろからジムに行った。
日曜日の午後にもかかわらず、ジムは混んでいた。
昨日は、ランニングを中心に行う予定だったが、トレッドミルは空くとすぐ次の人が使用する状態だった。
仕方なく、筋トレをしている間に、空いたので急いでランニングを始めた。
時速9.6kmで30分間走った。
前回終了4分前に時速9.8kmに上げて走ったので、今回は6.5分前からスピードを上げた。
ところが、疲れが残っているせいか、スピードを上げて2分ほどすると息が上がりだした。
数ヶ月前にも、スピードを0.2km上げて、息が上がったことがあり、似ていると思った。今回は、息が上がると、スピードは変えずに計測用バーにつかまりながら走り30分間4..8Km走った。
今後2-3ヶ月の間に時速9.8kmで30分間走れるようになればいいという感じで、トレーニングに励みたい。
実際に時速9.8kmで30分間走れるようになるかどうかわからないが、とにかくチャレンジするだけだ。

世間では、4月から消費税が5%から8%に上がるので、すさまじい買いだめや駆け込み需要が続いているようで、実際近所のスーパーでも客でごった返していて、多くの客が買い置きの出来る商品を沢山購入している。
まるでバブル期のような感じである。
年金生活で、しかも生活保護以下かもしれない収入の私にとっては、縁のない話しだ。
とにかくPCの買い替えのタイミングを、消費税後にして本当に安くPCが入手できるかだけが気がかりである。

XPのサポート終了は確か9日なので、それまでに新しいPCを購入するか、その後にするか、考え中だ。
サポート後の購入になれば、新しいPC購入までは、安全のためネット接続を最小限にしなければなるまい。
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昨日記140329土(ベニバスモモ ギャラリー廻り )

2014年03月31日 11時49分08秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨/曇 21.5/12.1℃
29日(土)午前中は、前日の飲み疲れもあり漫然とTVを見ながら過ごした。
昼前になって、昼食の支度が全く出来ていないことに気付き、大急ぎで前日購入した食材を、9食分に切分、その中の一食を使い昼食を作った。
その後予定していた。ギャラリー巡りをすることにした。
前日、ジムで走り、その後の展覧会の後、遅くまで飲んで、多少疲れている感じもした。、靱公園の2kwギャラリーまで足を伸ばすのは、普段のコースから外れるかなり遠回りになるので、行くのか迷った。
だが、疲れは余り感じていなかったので、男の気合で行くことにした。

2kwギャラリーへ行くには、法円坂を越えて、本町通を四ツ橋筋まで走らねばならない。
先ず、森之宮に出て、中央大通り・法円坂を登るのだが、その前に大阪城公園の入口に寄った。
大阪城公園の桜は少し咲いていた。
入口の桜と間違う大木の桃色の花は、もう散り始めていた。
この樹の名前を確認した。
記憶どおりその木は「ベニバスモモ」というスモモの樹で桜ではなかった。
この樹は大阪城公園の入口の左右に数本ずつ植えられていて、向かって左の樹も美しい花を咲かせているが、樹に隠れて、余り気付かれない。
桜が咲く直前の、3月中旬に花を咲かすが、ほとんどの観光客が、これを早咲きの桜と間違えて記念撮影をしている光景を、毎年見ている。
これと同じ樹が途中の市立幼稚園に植えられていて、そこには、桜や桃も植えられている。
このスモモの樹の花を見て、桃色とは、この色ではないかと思った。

この樹がスモモと知ったのは、2008年3月からシルバー人材センターで大阪城公園の清掃を1年間担当したとき、始めのころに先輩から、この花が桜でなく桃であることを教えられた。
そのとき確かめた、樹木名の名札は、今も健在だった。

その後、中央大通りに戻り、高速道路下の坂をトップギヤのままで登った。
以前は、この坂をトップでは上りきれず、一段落として登ることが多かった。
ジムで鍛えている成果が出ているようで、法円坂も少し息を弾ませながら駆け上り、そんなに汗をかくことも無く、大阪府警とNHK・歴博の間を通り本町通を下った。

2kwギャラリーで、2つの個展を見た。
二人ともよく知る作家で、一人は今回は詩作のみで、詩のイメージから、別の作家が紙版画でイメージを作っていた。
紙版画は聞いたことが無く、作家さんに技法について聞いた。
その後老松通りのギャラリーを見て回った。

帰りは天満橋のカフェにより、読書を楽しんだが、時々眠気に襲われた。
疲労感はなかったが、眠気が出た事実を見ると、一昨日の疲労と、今日自転車でいつもより長い距離しかも坂越えをして走ったことが重なり、多少疲労の影響が出たようだ。

帰宅途中、大阪城公園を通って帰ったが、堀端の桜も3部咲きの感じだった。
私は、シルバー時代に、2度花見シーズンを体験している。
その清掃作業は大変だったことを思い出す。

シルバーで働いていた時期に、借金返済に絡んで過払い請求するため司法書士に相談に行ったところ、結果的に返済見込みなしということで自己破産申請となり、裁判所に認められたのもこの年の秋であった。(借り入れは大手金融機関からの借り入れのみだった。)
もう、6年近く前のことになる。
自己破産の借金の原因はギャラリー経営にあったが、その間の十数年間は、まさに私にとって暗黒の重苦しい絶望の淵から這い上がろうともがいた挑戦の時代だった。
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昨日記140328金(ジム・ランニング時速9.6km30分 水垣尚展 )

2014年03月31日 10時09分27秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴・曇 21.5/7.4℃
28日は夜に、水垣尚展に行く予定をしていたので、昼食後すぐにジムに行くことにした。
幸い27日に痛みのあった、背筋群の痛みは無くなり、推定通り背筋群の過労が原因であることがはっきりした。
ジムでは、27日に購入した新しいランニング用シューズを履いて走った。
快調に走ることが出来、靴にも問題はなかった。
ただ履く前は、靴が足に入りにくく、靴べらを使用しないと入らなかった。
スポーツシューズのサイズは、通勤靴より一回り大きいが、履いた感じはぴったりであった。
時速9.6kmで30分間走った。
25分近く走ったときに多少余裕がありそうなので、走り始めて26分になったときに時速9.8kmにスピードUPして走った。
なんとなく、時速9.6km走行が思ったより早い時期にクリアできた
今後は、時速9.8kmに挑戦だ。
ただし、体力的にはまだ9.6km走行にも慣れていない可能性があるので、体調を見ながら時速9.6kmを基本に、時速9.8kmを少しずつ増やす予定だ。

帰宅後、翌日(3/29)の九食分の食材が無いので、2軒のスーパーを回った。
そのとき、足の疲れを感じたので、やはり体力的に無理をしていると感じた。
(記録<体力>を伸ばすためには、多少いつもより無理しなければ伸びない。)
それでも数週間すれば、時速9.6km30分間走っても、慣れて疲労しなくなるはずである。

食材を買い終えて、すぐに大阪市中央区の黒門市場からすこし歩いたところにある、アートスペース御蔵跡に向かった。
このギャラリーには、以前数回行ったことがある。
普通の民家の2階なので分かりにくい。
行くまでに、少し迷った。
2階は、民家の畳敷きの3-4畳の間を2つ合わせた広さだ。

そこで、片側のスペースで、水垣氏が缶ビールの空き缶を平らに潰したものを、大量に使用しインスタレーションを作っていた。
その横では、Kさんがカタルシス・バーを開いていた。
畳の上に四角のちゃぶ台を並べ、車座になりそれを取り囲み、お酒と持ち込まれたあてを食べながら、盛り上がっていた。
席は満席で座るところも無いと思ったが、空けてもらいそこに座った。
この展覧会は、現在神戸のBBプラザで行われている堀尾貞治展と、連動しているという。
(展覧会タイトルは、:2013御蔵跡 堀尾貞治 遠隔操作展 第8回「非絵画(表現的でなく表現的)」水垣尚2014.3/17(月)~29(土)  となっている。)
堀尾さんは、現在フランスの展覧会に招待を受けていて、私が会場に着く前に、会場の人たちと電話でコンタクトを取ったという。(参加者のほとんどは、堀尾さんのファンでもある。)
しばらくして、水垣氏のパフォーマンスが始まった。
パフォーマンス終了後も何人か参加者が増え、食卓を増設した。

参加したときは6割以上が女性で、女性の方はKさんを除き、ほとんどの方が全員初対面と思っていたが、後で聞くと隣の席の人は、多分年に数回以上行き、話もする画廊のオーナーのAさんだった。
Aさんに良く似ているとは思っていたが、ここに来ているとは思わず、全く知らない人とばかり思っていた。
そういえば、以前も港区の画廊でAさんを見かけ、Aさんと訪問先の画廊のオーナーが話をしていたので声を掛けなかったが、そのときAさんのことを、どこかで見た作家さんだなと思いつつ思い出そうとして分からなかったが、画廊を出てかなりたってから多分画廊のオーナーだと思い出した。

私は、若いときから人の名前と顔を覚えるのが苦手で、年に数回しか会わない人の場合、どこかで見た人だなと言う程度でしか思い出せない事が多かった。
(認知症ではありません。)
ところが、名前を聞くと以前あったときの状況まで思い出すことが多いのだ。
多分、顔かたちで覚えるより、名前を中心に覚えているらしい。
名前を見ると、顔を思い出せるが、顔を見ても名前が出てこないことがある。(学生時代からの癖だ。)

実は、翌29日もギャラリーを回ったが、なんとなく見覚えのある人に出会い「作家さんですか」と聞いて、聞き覚えのある名前を名乗られた。
多分その人と、1年以内にその人の個展会場で会って話したことを思い出し、すぐに非礼をわびた。
その人は私がギャラリーをしていたときにも何度か来場され、それ以来知っている人だった。(その後、数年に1回展覧会で会うかどうかという程度の感じだが、)

今回参加した展覧会では、後から来た人達は、ほとんどの人が顔見知りでその人達と話が弾んだ。
こんな感じで、28日は帰宅したのは11時を過ぎた。
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寿命を縮める健康・医療情報の無知。

2014年03月29日 23時38分47秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
近年ずっと健康ブームがつづいている。
TVでは、NHKの「今日の健康」を初め民放を含め、多くのバラエティー番組で健康医療問題を取り扱っていて、そうしたものを見れば、かなりの最新知識が身につく。
時間が無ければ番組HPや、ネット情報でも厚生省や、大学、医療機関、その他有力サイトから、多くの正確な健康医療情報が流されている。(医療健康情報で、古い情報は危険である。)

ところで、先日もあるところで、70代の人たちの世間話を横で聞いていたが、薬の名前はよく知っていても、糖尿とか血圧と塩分の関係といった基礎知識が無い人が多いのに驚いた。
多分老人の多くの人が、医師の話を聞き、自分の誤った解釈を加え、尾ひれをつけて、お互いかかりつけの医師の評価をしたりして、薬を沢山くれる先生がいいというような世間話をしているのでは無いかと心配になる。(世間話の友人知人からの誤った話が、信用されやすい。)

私は、30年数年余り前にA型肝炎で入院したことがきっかけで、それ以来健康問題に関心を持つようになった。
そもそも入院のきっかけは、会社で仕事をしていて、急に寒気に襲われ、風邪のような症状がでて、熱っぽくなったことから始まった。

トイレに行くと、小便から赤茶色になり臭いがして、泡立った。
異常なものを感じ、残業をやめて病院に行った。
そのとき、目の前が黄色く見え出した。
帰宅途中の救急病院の外来で、診察を受けた。
一通り、若い医師が診察して、風邪ですねといった。
そこで、私は「小便も異常に黄色いし、目の前がちょっと黄色く見えるのですが」といった。
すかさず看護師が、私の顔を覗き込んで、「先生黄疸じゃないですか。」といったので、医師は私の目を見て、「あ、そうかもしれないな」といい、「翌日検査して入院することになるので、その用意をして来てください。」といった。
「この病院、大丈夫かかいな。」と思いつつ、他に行くあてが無いので、翌日同じ病院に行き、そのまま検査後入院となった。

入院後、その救急病院では病名や病状説明も無く、看護師に主治医を聞いたが分からず、治療方針も分からなかった。
相部屋の人に聞くと、入院した病院の評判は良くなく、大病院への専門科への転院待ちの患者もいて、大病院の先生が関係する患者だけをわざわざ診察に来ていた。

入院しても病状は改善せず、むしろ悪化しているように思えた。
一週間後には黄疸が強くなり、体は非常に重くまたかゆみもでた。
新聞を5分読むことさえ非常にだるくて、ベッドに横になるようになった。

不安になり、母親に現状を説明して、評判の病院を近所の人に聞いてもらった。
ついに、自分の命は自分で守るしかないと思い、何があっても転院する決意をした。
母親は転院を止めたが、決心は固く、病院に紹介状を書いてもらい、自分で一人で荷物をまとめてタクシーに乗り、評判の良いという病院へ向かった。

転院先の外来では、前例が無いので驚いていたが、医師が強い黄疸を見てすぐに入院手配をした。
劇症肝炎が発生する可能性のある、極めて危険なレベルということで個室に緊急入院し、24時間点滴等の集中治療を受けた。
転院前の救急病院では、様子を見ましょうということで、診察もほとんど無く薬も少なく注射や点滴も無く、食事も質素でたんぱく質もほとんど無かった。
転院後の病院の食事は、蛋白を多く摂り、治療もその前の病院と正反対で、多くの種類の点滴や飲み薬が続き、数日間は一日に何度も医師の回診があった。

その後外出許可が出るまでに回復したときに、肝臓関係の医療関係者向けの新書版程度の専門書を買って読み医療知識の大切さを知った。
その後、A型肝炎は完治し、問題なく献血も出来るようになった。(何度もA型肝炎完治を告知して、日赤で献血している。)

また、数十年前に良性の不整脈<24時間心電計でチェック>があったときには、心臓関係の専門書を読み、自分の症状を理解した。(不整脈は、良性で問題なく気にすることは無いということで、薬も出なかった。今は読んだ内容は忘れてしまったが本は残っている。)

そのような体験を通して、健康は自分で守るべきものと信じているので、正確な健康・医療情報は、本やマスコミ情報を含め、できる限りチェックしているし、健康診断も積極的に利用している。
医療健康情報については、正確な最新情報(人からの伝聞は危険、大学・医療機関からの情報やニュースや信用できるマスコミ報道がよい)が大切で、10年前に言われていた事が、間違っていたということは多くある。

最新の医療・健康情報(食品の栄養機能も含む)の知識の積み重ねは、人生のQOL(生活の質)を大きく左右する。
いくら裕福な生活をしていても、行動に支障が出て生活が不自由になったり、頻繁に病気をしたり、早死にしたりするようでは問題といえるのではないか。
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昨日記140327木(背筋過労の筋肉痛 園芸作業・移植 運動靴購入 )

2014年03月28日 12時28分43秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴 17.0/10.0℃
昨日記140320の終わりに書いたように、昨日は背中から腰の筋肉に、軽い痛みがあった。
一昨日の、久しぶりの背筋の運動と、激しい跳躍運動の繰り返しで、跳躍や着地の衝撃に耐え姿勢のバランスをとるため、起立筋やその他多くの背筋を酷使したために発生した背筋群の筋肉疲労による痛みと考え、ジムでのトレーニングはやめ背筋に負担がかからないようにした。

その結果、今朝は背筋の痛みや違和感は全くなくなり、快調である。
自分の体の状態を知り、原因を考え、それに応じた対策をとるセルフケアは、大切だ。
自分の体は、自分で守るしかない。
医療が必要なレベルか、自分で治せる簡単な傷害や病気かの判断も、自分自身でするしかないのだ。
自分の健康は自分で守るという、信念を待つようになったいきさつについては、後のブログに記載予定。

午後、園芸作業を行った。
先日購入した沈丁花・クチナシ・イチゴ・クロッカスの移植作業である。
移植には、先ず植木鉢やプランターの置き場所や、どの鉢やプランターを使うか、とか土と肥料をどうするかといった問題を決定することか始まり、土つくりと肥料の混入、植付作業が続く。

大変なのは、土である。
とりあえずナスを植えていた大きなプランターから、土をとり篩いにかけた。
すると土の中から大きな白いイモムシが、いくつも出てくる。
カナブンブンの幼虫だ。
これが発生し始めてからナスの生長が止まり、実をつけなくなった。
当時、家の中によくカナブンブンが侵入するので不思議に思っていた。
そしてあるとき、ナスのプランターの土の中に丸々と太った、イモムシが。
はじめカブトムシの幼虫かと思ったが、クヌギ等の樹木の下ならわかるが、おかしいのでネットで調べると、どうやらカナブンブンと分かった。
それのみか、成虫のカナブンブンが葉を食べているところも目撃した。
それ以来、カワイイと思っていたコガネムシは、駆除の対象となり、彼らに罪は無いが、植物を守るために、見つけ次第幼虫も成虫も踏み潰すことにした。
それまでは、すべてのコガネムシは、表で逃がしてやっていた。
その後、ナスやトマトのプランターから、とってもとってもコガネムシの幼虫が大量に出てきた。
それ以来、真夏も過ぎ実はほとんどつかなくなった。
そして、昨日、土の中から冬眠中のコガネムシの幼虫を大量に見つけて、再び驚いた。
土を篩いにかけずに、そのままプランターに植えようか迷っていたが、土を篩いにかけてよかった。
とにかく、労力と手間はかかったが、臨時に移植予定の植物は、移植できた。
5月頃に茂りだすと、もう一度移植しなおす予定だ。

夕方からお茶を飲みに行き読書をした。
帰りに、新聞チラシを出していた靴屋に行った。
初めて行く靴店だった。
丁度今使っているランニングシューズに、いくつも穴が開き始めていた。
底はしっかりしていて、減りも無いが、上が穴だらけでは困るのだ。
新しい、メーカー物のランニングシューズを購入した。
セールということで、多分スーパーの靴店のセールよりは安く購入することが出来た。
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昨日記140326水(ジム筋トレ 筋肉痛と対処法)

2014年03月27日 11時39分07秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨/曇 16.5/12.1℃
昨日は、ジムに行き筋トレをした。
一昨日、は、ランニングで、時速9.6km30分間走り、かなり疲労していたが、一夜明けると疲労は回復していたようで、疲労感も無く足の疲れや痛みも無かった。
従って、2-3週間前から始めた、筋トレ前の準備運動にジャンプ力といった瞬発性を加える運動を行い、筋トレも支障なく行った。

前半のジャンプ力と瞬発性を高める運動では、跳躍を50回したが慣れてきたので70回跳んだ。
初めて跳躍した日は50回で息が上がったが、そのようなことは無くなった。
それまで、普段全く使わなかった筋肉を使った影響で、息が上がったようだが、今後使っていなかった筋肉の運動を始めたことにより、始めの間は筋肉が急速に付いてくると思っている。
跳躍後は、反復横跳びをやったが、これもリズムをつかみ、早く横跳びできるようになった。
今20往復で初回は息が上がりなかなか回復しなかったが、今は初回と比べると息の上がり方は随分落ち着いている。
頃合を見計らって、横とびの回数を増やそう。

その次にやったのは、ステップを使った運動だ。
ステップは高さ5-6センチの台を4・5枚積み重ねて20センチ程度の踏み台にしてある。
ステップへの連続足掛けでは、左右の足を交互にステップにかける。
足を入れ替えるときに、片足ジャンプで、ケンケン状態になる。
出来るだけ早く足を切り替えるのだ。
これも、敏捷性とジャンプ力やリズム感が鍛えられる。

最後に行ったのは、両足そろえてのステップへの上がり降りだ。
これが一番きつい。
これを始めた時は、両足そろえてステップに飛び上がられるかさえ自信が無かった。
これを、20回(自分で勝手に決めた目標)両足をそろえたまま上がり降りするのだが、15回程上がり降りすると、息が上がり、足も疲れて、どうしても一息つかないと継続できない状態になる。
休みを入れて、トータル20回やることにしている。
慣れてくれば、回数を増やす積りだ。

これで新しく取り入れた、前半の足の敏捷性やジャンプ力を鍛える運動が終了し、後半の今まで継続している、筋トレに入った。
最近、週に一階程度しか筋トレしていない状態(ランニングが中心)のため、一部記録が低下し始めた。
これから、筋トレも強化し記録をUPしたい。

ジムの帰り上半身の筋トレした筋肉に強いだるさを感じた。
筋肉を急に使ったための筋肉疲労と思われ、寝る前まで続いた。

今朝は、上半身の筋肉疲労はまったく感じなくなり、正常な状態に戻った。
寝ている間に、筋肉が修復され強化されていると思っている。

しかし、朝食後、背中に軽い痛みや腰痛の前駆現象のようなものを感じた。
とりあえず、背中に湿布薬を貼った。
多分、筋トレで2-3週間ぶりに背筋の運動をしたため、今まで使っていなかった筋肉が疲労したのと、調子に乗ってジャンプをやりすぎて、ジャンプの着地等の衝撃に対し姿勢を保つための筋肉が広範囲に疲労した可能性がある。

ここ数日、筋肉疲労を悪化させないため、要注意である。
筋肉疲労を乗り越えると、筋肉はそのたびに強化されるのだから。
(ただし、疲労を取るためのマッサージや血行促進の工夫や、筋肉の材料となる栄養補給をしなければ、逆効果)

以前から続いていた、右足のお尻から太ももにかけての、筋肉群?の痛みは、慢性疲労?で拘縮していた硬い筋肉の発見により、該当する筋肉の揉み解しと、ストレッチの効果で、徐々に痛みが少なくなり、現在はほとんど気にならない状態になっていて、痛みの原因が、筋肉の慢性疲労によるものという推定があたっていたようだ。
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昨日記140325火(ジム ランニング時速9.6km30分)

2014年03月26日 12時35分48秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
曇 18.8/12.5℃
昨日は、最低気温が12.5度と10度以上で、このシーズン初めて10度以上になり、いよいよ本格的な春が来たことを感じさせる。
桜の開花も話題となり、ここ1-2週間は花見シーズンとなる。

昨日は、1日おきに訪れる、6食分の丼鉢に肉やキャベツを入れる作業に追われた。
数年前までは、毎食温野菜を作っていたが、昨年半ばから、大量生産方式を開発し温野菜セットを量産するようになったので、トータルの調理時間は随分短縮された。
しかし、浮いた時間を有効活用しているかは、別問題である、というより無駄に過ごしていることのほうが多いようだ。

夕方から、ジムに出かけた。
今後火曜日は筋トレにし、水曜日をランニングにしようと考えていた。
火曜日は、その前のランニングから日が開くので、急に走ると疲労が激しいので、火曜日に、筋トレを行いつつ、短距離の高速ランニングをして体を慣らし、翌水曜日に走ったほうが楽に走れると思ったからだ。

しかし先週は、日曜日にジムで走っていて中一日の休みを取っているので、体にとって問題ないと思い、走ることに決めた。
時速9.6kmで30分間(4.8km)走った。
最後の5分は息が上がり苦しかったが、足は疲労していなかったので、がんばって走り抜いた。
多分、今後だんだんと体が慣れて、楽に走れるようになると思っている。
ジムの帰りに、足も適度に疲労していることが分かった。
昨日は寝るまで、少し疲労感があったが、今日は疲労が解消されていた。

帰宅後少し休息をとり、プロテインとコーヒーとココアを混ぜた飲み物を作り栄養補給した。
その後、昨晩に9食分切り分けた野菜がなくなるので、3箇所のスーパーに、肉と野菜の買出しに出かけた。

最近はずっと、12じ15分から1時の間に寝ていて、起床は6時と決めている。
睡眠時間は5時間台なので、意識して朝食後15分から30分程度の昼寝?をしているが、
どうも私の場合昼寝しなくても問題ないことも多い。
60歳以上の睡眠時間は6時間以上が良いと、先日政府機関から発表があったが、私の場合中年以降睡眠時間は5-6時間ぐらいのことが多かった。
たまに、目覚ましなしだと7-8時間ぐっすり寝ることもあるが、そんなときの夜は、寝つきが悪い。
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昨日記140324月(植木市・沈丁花購入)

2014年03月25日 12時06分46秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴 18.7/6.5℃
昨日は、午後から大阪城公園の植木市に行った。
先日植木市を通ったときに沈丁花を売っていたのを見た。

去年まで、沈丁花の鉢を裏庭に置いていて、冬の終わりから早春にはいい香りを放っていた。
その沈丁花は、葉が縮れていて多分病気にかかっていると思っていた。
毎年肥料をやっても樹勢が衰える感じだった。
根を洗ったりして手当てしたが、治らなかった。
そして去年、枯れてしまった。

昨日もホームセンターで売れ残った沈丁花を見たが、大阪城公園のことを思い出し、購入するのを止めていた。
植木市では、いくつかの店が沈丁花を売っていた。
価格も2000円台から1000円以下まで大きなバラツキがあった。
一番安かった店で価格差の理由を聞いた。
大きさの違いだけで、大きくなればどれも同じという返事だった。
それが決め手で、800円の沈丁花を買った。

今まで、投売りの草木を沢山購入し、ほとんどが、枯らさずに立派に育ててやったし、立派に実をつけたトマトやゴーヤや花の類もあった。
その一方で、水やりや肥料等の管理不十分で、隅に置かれている草木を枯らしたのも、少しはあるが、そのたびに反省している。
特に隅のほうにあって、散水していても夏場に水が充分行き届いていない植物は、すぐに枯れる。
最近も鉢植えのイチゴが隅のほうにあるのを知っていたが、冬なので数日間水をやっていなかった。
先日見ると、枯れていた。
少なくとも、鉢植えの植物は、人間が世話しない限り枯れる運命にあるのだ。
イチゴに申し訳ないと思った。
ここ数日新しく購入した植物には、できるだけ天寿を全うするか、きっちりと役目を終えるよう育てたい。

夕方から再び外出し、天満橋のカフェで読書。
土曜日に図書館から借りてきた本を読んだ。


昨日フランス人Lや機関のことに触れたが、早速FBでアメリカ人E氏の近況の投稿があった。
考えすぎかもしれないが、また偶然かどうか分からないが、以前から気付いていたがLのことを書くと、その後に、ほぼ必ずといって良いほどE氏の近況写真の投稿がある。
余計なことを言うなよ、という警告か?偶然か?。
L氏もE氏も私が、25年以上前に1年余りアメリカに語学留学したときの親しい友達なのだが。
(E氏はアメリカ人のルームメイト<当時大学院生で宣教師?>、L氏はE氏にお世話になった留学生で、当時E氏を介し私とも親しい友人となった。)
米ロ関係や北朝鮮や日中関係が騒がしくなっている。
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昨日記140323日(植物購入 梅の手入れ ランニング時速9.6km30分達成)

2014年03月24日 23時10分41秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴 15.3/4.5℃
昨日昼前から、ホームセンターに出かけた。
肥料と、植物を買うためだ。
植物は、クチナシとイチゴとクロッカスを買った。
クチナシは、初夏に美しい蛾の幼虫に葉を食べられ、丸坊主になったうえ、根腐れを起こして枯れてしまったので、新しく買った。
以前も植えていて、クロッカスはいい香りがするし、50円と安かったので衝動買いだ。
日本水仙(白と黄色)もあれば買ったのだが、黄色しかないので止めた。

昼食後、梅を裏庭から出して、表で剪定と土の入れ替えを行った。
この冬に、剪定を行ったがまだ大きく、家の中を通すのに、枝が引っかかったり折れたりした。
表で更に短く剪定した。
梅の鉢の移動は、非常に重く私の体力の限界に近く、困難だった。
表で梅を鉢からはずし、表面の土を取り除き、鉢の底に肥料を混ぜた別の土をたっぷり入れてやり、周囲にも新しい土を入れてやった。
今年の冬は、手入れが悪く、一輪も花が咲かなかったが、来年は沢山咲いてくれるだろう。
とにかく、梅の手入れは、大仕事だった。

夜になって、ジムに行った。
トレッドミルで走った。
とにかく時速9.6kmで走れるところまで走る積りだった。
ところが、ハンドルに頼らず、普通の走りで、時速9.6km30分間走れた。
目標達成まで、かなり時間がかかると思っていたが、あっけなかった。
とても嬉しかった。
体力がついているらしい。
あと3回程時速9.6kmで30分間走り、次は時速9.8km30分間に挑戦だ。
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昨日記140322土(市立中央図書館 家電量販店)

2014年03月24日 13時44分08秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴 11.9/4.7℃
3月22日は、土曜日で3連休の中日だ。
無論、年金暮らしの私には関係の無い話だが。
土曜日は、借りていた図書の返却日なので大阪市立中央図書館へ出かけた。
最近はサボリ癖がついて、朝はTVを見たりごろ寝して、昼頃に昨日記を書いている。
よく生活のリズムや反省記事が多いことを、ブログで強調しているがサボリ癖・しまりの無い・ダラダラ生活への反省の現れである。
当日も昼に昨日記を書き、父の思い出等を書いていたため長くなり、2時ごろまでかかった。そのため、食事はずれ込み2時から3時の食事となった。
こんな調子で、所定したことがどんどん翌日回しとなり、結局4時ごろから地下鉄に乗って図書館に行く事になった。
本を借りなおしたが、数冊は読了していたのでそのまま返却した。
以前に読了したが、確認したいことがあった本は、貸し出されているのか見当たらなかった。
必要な考古学関連と、免疫関連の本を借りて帰った。

帰宅途中、なんばで地下鉄を降りて、家電量販店のヤマダ電器に行った。
初めて行く店だ。
いつも行くヨドバシ梅田とは全く違う雰囲気だ。
価格をヨドバシと比較してみたい。
PCに関しては、メーカーの社員ではなく、NTTやauやソフトバンクの担当者が前面に出て、PCとセットでネットの切り替え販売をサポートしていた。

そこで各社のPCのデスクトップの性能と価格を調べた。
担当者に聞いたが、結局NTTのブースで散々乗り換え割引の話を聞かされた。

結局1時間余り見て歩いて、かなり候補は絞られた。
後は、最終決定の時期と購入日の問題だ。
消費税が5%から8%に上がる4月1日の前か後ろか。
ウインドウズXPのサポートの切れる、前か後か、いろんな要素が考えられる。
これから2-3週間PC変更で時間をとられそうだ。


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FBにタグ付けしたLのパートナーとの写真

2014年03月24日 12時11分35秒 | エッセイ &余談 ・片言雑事
FBで自分で分類した分野別の友達のフォルダーを見ていると、あるファイルで、先月来日したパリ在住のL(ギャラリー経営者)のパートナーと私が二人仲良く写っている写真を、ホルダーの表紙にでかでかと掲載されていたので驚いた。

なぜフォルダーの表紙に、2月に撮影されたこの写真が選ばれたか分からない。
私は彼女とは、今年2月にLと再会した時が初対面で、面会して最初にLがこの写真を撮影した。(彼は、去年も何度か来日し、私も彼と2回?会っている。)
そのときの彼女との面談時間は撮影後の数分で、その後彼女はすぐに近くにあるという実家に帰った。
まるで、Lがこの写真を撮ること<私の最新映像?>が目的のように思えた。

彼女はパリでLと暮らしていて、二人で来日中で、東京で様々な仕事をこなして最終日に大阪に来たようだ。
この写真に何の説明も無ければ、彼女は私の親しい女性かと誤解される。
(誤解されても、独身の私には何も影響も無いが、誤解は無いに越したことはない。)

しかもLと私の関係は、単純な親しい二十数年前にアメリカに行ったときの旧友という関係ではないのだ。(無論男女間とか同性愛とかでは無い。<私は同性愛の趣味や傾向は全く無い>彼は親しい友人ではあるが、機関が絡む可能性は捨てきれないと信じている。<犯罪組織ではない>詳細や推定の根拠はブログに記載。)

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昨日記140321金(父の話 西天満の画廊回り 物性論の思い出 )

2014年03月22日 13時57分36秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴・曇  10.4/4.5℃
昨日は、春分の日であった。
一昨日の夜、昨日が春分の日であることを思い出し、確か春分の日又は前が父の命日で合ったと思い出し、古い日記帳のメモを見た。
父は1981年3月21日に亡くなったのだった。
もう、父が亡くなって30年余りになるのだ。
父が生まれたのは、明治34年(1901年)なので、今から110年以上前に生まれたことになる。
父が亡くなったのは、近くの病院で、肺炎が原因で亡くなった。
父は、田舎暮らしを望んでいたようで、私が会社に勤めだしてからは、父だけが一時期故郷の実家に戻っていた。

当時、父の実家には、父の実家の長男(私の伯父さんが、大阪でのサラリーマン生活を終え帰郷していて、その子供達は、大阪に出ていた。)がいたが、伯父さんは亡くなり、当時誰も住んでいなかった。
そこで、父は一人暮らしを始め、畑を耕したり、魚を獲って暮らしていたようだった。
父の夢は、故郷に家を建て、船や漁具を買い漁師をすることが夢で、私が中学生の頃私に漁師になれと、何度も言ってきたことがあったが、私と母は反対したので、父が一人で故郷へ帰り、その後父は故郷と大阪を行ったり来たりしていた。
父の実家は、網元で農地も持っていた。
しかし、長男は実業学校を出て大阪の製薬会社に勤務し管理職になっていて、父は長男の紹介で大阪に出て、百貨店や銀行の守衛をしていて、実家は跡継ぎがなくなったのであった。

戦時中一家は、父を除き父母の実家に疎開していた。
私の長男は、多分母方の実家から、工業専門学校(福山又は笠岡?)に通っていたようだ。
長男は、私が大阪で小児麻痺になる前に白血病で亡くなったといい、故郷の墓地に一人だけ先祖の墓と並んで、海の良く見える見晴らしのいい場所に墓標が立っている。
調べてみないと分からないが、当時原爆の後始末で動員された可能性も考えられる。
次男の兄は、父方の実家にいて小学校に通っていたようだ。
そして終戦を迎え、実家の農地は不在地主ということで農地解放で接収され、伯父さんもその後会社を退職したが、潤沢な退職金は、通貨切り替えで価値を失った。
戦後しばらくして大阪に戻った私は、当時流行していたという小児麻痺にかかるし、この時代は、一族多難の時だったのだろう。
近所に住む伯父さんは、私のために元勤めていた製薬会社から、多くのビタミン剤を調達してくれた。
なんとなく、ポリタミン等の名前は覚えている。
最近までそうしたことに思い至らなかったが、今このように書き出してみるとドラマさながらに大変だったであろうと思う。

父の生き方も変わっている。
実家の漁師を継ぐのが嫌で、朝鮮の鴨緑江で国境警備隊に行った。
そこで、親が決めた縁談で父の実家で結婚式をし、母が父のいる駐屯部隊に行ったという。
当時、満州国境では、馬族が頻繁に出没し、国境警備隊の駐屯所が襲撃され全滅した塞もあったようだ。
両親は、国境警備隊の勤務は、天国だったといっていた。
現地の人が親切にしてくれて、時には仕留めた熊なんかも持って来てくれて食べたという。
両親は、昭和10年以前(多分昭和のはじめから昭和8-9年)に国境警備隊をやめ、実家に戻り地元で小売商をしたが、失敗したらしい。
その後、伯父さんを頼り大阪に出て、昭和10年ごろ私が生まれ育った長屋に入居したという。
始めは、伯父さんの紹介で梅田の百貨店の守衛をしていて、その後御堂筋にある銀行の守衛をして、定年まで勤めた。

途中父は、招集されて中国戦線に従軍したという。
武漢サンチンの話をよくしていた。
日本軍の、富豪の家への略奪行為も、憲兵の目を逃れてよくあったと話していた。
実弾が飛び交う山野の戦場の話もしていた。
父は、病気(マラリア?)になり除隊され、日本に帰ったという。
兵士の中には、塹壕から足や手を出して弾に当たれば帰れると言って、出していた者もよくいたという。

父はよく、大阪大空襲の話をしていた。
当時父は宿直で銀行にいて、その様子を見ていたという。
あたり一面火の海となり、銀行の前にも焼夷弾が落ち燃え上がったという。
銀行を含め、百貨店等焼け残った石やコンクリート製のビルが、パラパラと焼け跡にたっていたという。

私が小学生の頃は、朝早く出て行く父が頬ずりをして出て行くので、いつもそれで起こされ、更にひげが痛くて嫌だった。

夏は、出島海岸に海水浴に行った。
一般の人は、少し南にある浜寺に海水浴に行き、小学校の友達からも、その話を聞かされていたので、両親に浜寺に行こうといっても、行かなかった。
浜寺の方には多くの人がいるようで、にぎやかなのに、出島はガラガラで寂しかった。
後で理解できたのだが、出島港は父の故郷の漁港と同じ空気を持っていたのだ。

そして、両親がそこで繰り返し言ったことが、堤防のある場所を指して、「ここでお前が急にガタガタ震えだして小児麻痺になったんだ」、という話だった。
そうした話は、当時何度も現地で繰り返し聞かされていたが、何も思わなかった。
20歳過ぎて人生経験を重ね、その話を思い出すにつけ、その後の両親の苦労が推察できるようになった。
今は、両親や周りの人に感謝しても仕切れないと思っている。

こうした話は、断片的に印象に残った話だが、本来父の命日に単独の話として書けばよかったのかもしれない。
改めた、我が家の思い出話も物語風にでも書きたいとも思うが、時間もかかるし資料も整理できていない。

昨日は午後に、食料品の買物を済ませ、夕方から西天満の画廊街を回った。
帰りに天満橋のファストフーズで読書と、お決まりのコースでその日を終えた。
帰宅後は、いつもの温野菜もなんとなく飽きたので、手間はかかるがカレーにした。
手間がかかるといっても、いつも使っている出汁をやめ、温野菜を水炊きにし、後でカレーのルーを加え、再加熱することと、カレー皿を使う程度である。

寝る前にTVを見ていると、Eテレ白熱教室で、量子力学の話をしていた。
特に不確定性原理の話は懐かしかった。
私は、工業高校の時にそうしたことを学んだことが、誇りだった。
下村先生という方が、教科書を作り当時最先端の量子力学・物性論の知識を分かりやすく教えてくれたのだ。
金属を軽く接触する程度で電流が流れることが、当時最先端の理論だったトンネル効果によるものであることも知った。
先生が作った教科書は、工業高校・短大の教科書として長い間使われていた。
我々は、ゲラ刷りの教科書を使い、ひょっとすると当時大学一部の大学でしか教えていなかったことを勉強していた可能性があった。
半導体の原理を知るのに必要な知識だったのだ。
(事実、当時大学の教科書を探しても、それに該当するような適切な本は無かった。)
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昨日記140320木(ジム・筋トレ こり・慢性筋肉疲労の対策)

2014年03月21日 12時09分52秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨  12.3/7.7℃
昨日は、夕方からジムに行った。
一昨日時速9.6kmで30分間走り多いに疲労した。
これには、中4日の休みで間が空いたのと、その間に京都に行って、夜遅くまで勉強したり飲んだりと、かなり不規則な生活をした影響が大きいと思っている。

酒をある程度飲んだ後の、最初のトレーニングでのランニングは、息が上がり消耗が激しく、その後の疲労感が強い。
多分、疲労が蓄積し、飲酒による老廃物質が体内に蓄積して肝臓が疲れていたりして、体がある意味さび付いて、ミトコンドリアによるエネルギー供給や肝機能による老廃物処理がといった運動サイクルがうまく行かないからではないかと思う。

一昨日の、ランニングの疲れをどの程度残しているか気になったが、昨日は基本的には筋トレを行うと決めていたので気持ちは楽だった。
ジムに行って、トレッドミルが空いていたので、始めに体を慣らすためにランニングをする気になった。
一昨日の疲れも考慮して、ランニングは無理をせず、10分から15分程度で終えようと思った。
時速9.6kmで走り出すと、筋肉の疲労は感じなかった。
そこで走り出してスピードを1分後時速9.8kmに上げた。
限界近くのランニングのときの0.2kmのスピードアップはかなり体に影響し、すぐに息が上がり、筋肉が疲労することは、最近何度か体験して分かっていたので、息が上がればそこで終わろうと思っていた。
結局かなり息が上がったが、無理をして時速9.8kmで9分間+時速9.6km1分間走った。
その後、筋トレを行った。

運動終了後の疲労感は初め、足の筋肉が少し疲れていると感じたが、帰宅してからは体全体に疲労感は無くなっていた。

昨日は、終日雨が降ったりたまに止んだりの、うっとおしい天気だったこともあり、全体に無気力に過ごした。

体は、ほぼ快調だが、ここ1ヶ月ほど右足の原因不明の痛みを感じるときがある。
運動時には痛みは出ない。
たたみに座るときや、かがんだときに尻の大殿筋や太ももの後ろのハムストリングに一部に強い痛みが走る。

神経が原因か、筋肉の慢性疲労か区別がつかなかった。
そこで、自分で治療可能な、筋肉の慢性疲労として対応することに決めた。(以前ブログにも記載。)
それで治らなければ、神経性の問題として神経科を受診しようと思っていた。
その場合、神経関係なら、私はポリオ経験者なので、ポストポリオ症候群の可能性もあるし、ヘルペスも疑われる。

とりあえず慢性筋肉疲労の仮説にたって始めたことは、慢性疲労部位の特定であった。
過去には、左足の慢性疲労を確認し、ストレッチや揉み解しで、徐々に症状をなくした全快した経験がある。

そこで太ももの後ろの筋肉を探り、それらしい拘縮した筋肉の塊を見つけた。
それ以降、その筋肉に関係する筋肉も含め、揉みほぐしと、ストレッチを繰り返した。
例えば、椅子に座り右足を机の上に高く上げ、その筋肉がかなり痛い状態で4-5分姿勢を保ったりもした。
その結果、ここ数日、畳に座るときや、かがむときの痛みが、かなり軽減されている。
どうやら、筋肉を使いすぎ、その後の手当てが悪かったために慢性疲労になり、拘縮を起こしていたようだ。

筋肉が慢性疲労を起こし固まった場合は、血管が筋肉の塊で圧迫され、筋肉への血行が滞っている。
その対策として、ストレッチや揉みほぐしや湿布薬等で、固まった筋肉を緩めることで、血管の通りを良くし、筋肉への血液の供給を良くすることで、老廃物の排出を促進する。
更に、プロテインとビタミンを摂取して筋肉に栄養分を補給して、筋肉の再生を促進させることが重要だ。
経験的に、慢性化して凝り固まった筋肉は、湿布薬以外に物理的に揉み解してやる必要があるように思っている。
(鍼灸整骨院で、あんまやや針やマッサージを受けるのが良いのかも知れない)
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昨日記140319水(障がい者アート ジム通いの成果 ジム・ランニング)

2014年03月20日 12時24分01秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
晴  17.5/7.4℃
昨日は、午前中メールをチェックしていると、「インクルーシブ・カフェ」の案内があったので申し込んだ。
インクルーシブ・カフェは障がい者のアートについての勉強会で、障がい者アートに関していくつかの本を書かれている現在大学教員の服部さんを講師に招いての勉強会だ。

私自身、幼いとき小児麻痺で全身麻痺だったといい(記憶はほとんど無いが、近所の人からも関連した話はよく聞かされた。)、一歩間違ってれば、私自身障がい者であった可能性が強く、実際後遺症は小学校のときに出ていて、体育はいつも1で良くて2だった。
しかも中耳炎のおかげで片耳が難聴である。(左右の立ち位置を除き、生活や音楽鑑賞にまったく支障は無い。)
市立中学校に入学したときにいい成績で入学し、その後成績が極端に低下したので、担任の教師が、私を聾学校に転校するよう熱心に薦めたのは、ショックだった。(その教師は途中でいなくなった。)
そうした意味で、障がい者問題は私にとっては、他人事とは思えないのである。

そもそも、障がい者アートに接したのは、私が、画廊をしていたときに、塔本賢一さんの関連で、塔本シスコさんや、障がい者の方の展覧会を何度か開催させていただいたのが、障がい者アートに関心を持つきっかけだった。

当時は、初めて接する障がい者アートに面食らった。
その後、様々な現代美術や障がい者アートに接するに従い理解を深めるようになった。

今も、現代美術と障がい者アートとの関連(アールブリュットその他)について関心を持っていて、いろんな事実や実態や考え方を比較しながら、自分なりの答えを考えている。
私は、現在直接の当事者ではないので、空席があれば、参加したいと思っている。
その案内メールは、拡散OKだったので、FBにも載せておいた。

午後からジムに行った。
ジムでは、高齢者用定期券を購入した。
今、筋力や持久力や健康を維持できているのも、ジム通いの効果だと信じている。
ジム通いは、60歳近くになり、体力の衰えを感じ近くの公園で、我流のランニングを始めていた。
ところが、長距離に加え、短距離で速く走る力をつけようとダッシュして、多分ふくらはぎの筋肉か腱を切り肉離れを起こした。
一時、痛くて普通に歩けなかった。
その痛みは、半年以上続いたし、その後数ヶ月間はランニング出来る状態ではなかった。ランニングを再開しても、ビッコをひきながらのランニングで、私自身問題を感じていた。
そして60歳を迎えたとき、これを機に、ジムで科学的トレーニングを受けようと思った。
ただ、費用だけが、気がかりだった。

決断を促したのは、医療費問題だった。
当時借金の返済に追われていた私にとって、何かの病気にでもなって医療費が増えれば生活保護に頼るしかないと思っていた。
医療費が増加するよりは、ジムにカネを使って、健康管理をして病気を予防を予防したほうが良いというのが私の結論だった。

そういうことがあって、年が明けてすぐに、初めて大阪市のスポーツセンターの門をくぐった。
それは、今から9年余り前のことであり、途中一時期経済的問題で半年以上や数ヶ月休んだときもあったが、その後も継続し現在に至っている。

その結果、ジムに通いだしたときより、体力や持久力は大幅に伸びていて、健康面にも全く問題はない。
ジムに入ったときに、体のゆがみを指摘されていたが、今はゆがみはほとんど無くなった。

さて、昨日はジムでランニングをしたが、非常に厳しかった。
時速9.6kmで30分間走ったが、15分以降トレッドミルの脈拍計測バーを5分に1分間もって走り、25分過ぎからは、苦しくて、半分ぐらい掴まっていた。
時速9.6kmで30分間未だ走れないが、多分ここ1ヶ月の間には普通に30分間走れそうな気がする。
その次は、時速9.8kmにチャレンジだが、今の調子だと3-6ヶ月かかりそうな気がする。
時速10km30分間の走りが、将来可能かどうか自信はないがチャレンジしたい。
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昨日記140318火(食事のための家事)

2014年03月19日 14時59分41秒 | 日記 (昨日記・最近の話を含む)
雨・曇  17.5/9.8℃
昨日は、雨が降ったり止んだりのうっとうしい天気であった。
午前中昨日記を書いているうちに、いろんなことを書き、ついつい長くなってしまった。
そのため、昼食時間も遅くなった。

丁度準備していた、温野菜セットが無くなったので、午後からは食材を買出しに回った。
夜は、とりあえず夕食だけ作って食べ、その後5食分の丼鉢にキャベツや削り節や昆布と鶏肉を入れたセットをつくり、野菜切分セット3食分をその上に入れて、3食分の温野菜セットを完成させた。
今日(3/19)は用意しておいた野菜の切分セットが昨日使いきり無くなったので、昨日購入した野菜の9食分の切分セットを作らねばならない。
明日は、再び6食分の野菜肉入り丼鉢を作らなければ!
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