Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆イスラエル民族の至宝 「モーセの十戒」の石板が今なおあの地に

2019-02-09 03:55:34 | Weblog

古代イスラエル民族の至宝である「契約の箱」。
これは、モーセがシナイ山で神に授けられた十戒が記された石板を納めた箱なのだが、ただの入れ物ではない。
中の石板はイスラエル民族と神の契約の証で、かけがえのないものであることは言うまでもない。旧約聖書によると、箱も神の細かい指示に従って、純金で覆ったアカシア材で作られ、蓋の両側には翼を広げた天使像が記されていたと謂う。その箱と石板は、まさにイスラエル民族の信仰の拠り所なのである。

*超自然的なパワーを有する「イスラエル民族の象徴」
 旧約聖書によると、契約の箱は金箔張りの担ぎ棒で運べるようになっていたとされ、イスラエル民族の放浪時代、移動の際には常に人々の先頭にあって、宿営の時には天幕と呼ばれるテント式の神殿に据えられたと謂う。而もこの箱は超自然的なパワーを有しており、イスラエル民族の危機に於いてはその力で彼らを助け導いたと謂う。戦場に運ばれてはエリコの城壁を崩壊させ、ペリシテ人に持ち去られた際には、ペリシテ人に対して様々な災いをもたらすといった、強い力を発揮している。
紀元前1000年頃、イスラエルを統一したダビデ王は、契約の箱を首都エルサレムに運び、その子ソロモン王はエルサレムに神殿を築いて、契約の箱を安置した。これは、民族の苦しい放浪の終わりと隆盛を意味した。
だがその後、イスラエル王国が南北に分裂し、北のイスラエル王国が紀元前722年に、南のユダ王国が紀元前586年にそれぞれ滅亡する中で、契約の箱はいつしか姿を消し行方不明となってしまった。その後、新たな第二神殿が建てられた時も、至聖所(神殿内で最も神聖な場所)に契約の箱は安置されなかったのである。

*諸説語られる「契約の箱の行方」
 契約の箱の行方に関しては、多くの人々が様々な説を展開し、時には捜索も行われて来た。
そうした中で、最も有力とされるのが、紀元前587~586年に新バビロニア王国がエルサレムを陥落させ、ユダ王国を滅ぼした際に、神殿もろとも焼失したと謂うものである。
だが、新バビロニア軍の襲来前に、預言者エレミアが持ち去って深い洞窟に隠したという説もあり、それは今ヴァチカンの地下にある、死海の畔のクムランに埋没している、ネボ山に隠されているなど、更に諸説に分かれる。

*「契約の箱を保管している」と主張する教会
 そして遠いエチオピアの地にも、契約の箱が存在しているという言い伝えがあるのだ。1世紀頃、エチオピア北部にアクスム王国という国が建国された。この国は4世紀頃にキリスト教を国教として繁栄したが、7世紀以降は衰退し、辺り一帯はイスラム化して行った。それでも現在に至るまで数多いキリスト教徒がいて、エチオピア正教と呼ばれるキリスト教の信仰が続いている。伝説によると、アクスムの初代国王は、ソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリクという人物で、そのメネリクが契約の箱を神殿から持ち出し、アクスムまで運ばせたというのだ。またエチオピアのファラシャ族は、現在も自分たちは契約の箱を運んで来たユダヤ人の子孫だと自任している。
エチオピア正教会は、アクスムのマリア・シオン教会に、何百年も前から契約の箱を保管していると公に主張しており、その主張は今現在も変わることがない。アクスムの教会で行われる年に一度のティムカット祭では、契約の箱のレプリカである「タボット」が、マリア・シオン大聖堂から出て巡幸を行なう。香が焚かれ、ベルやトランペットが鳴り響く中、豪華な衣装をまとった祭司たちに担がれたタボットの周囲で、人々は歌い踊るのである。とはいえ、ここに本当に契約の箱があるのかは謎のまま、契約の箱の行方を捜す試みは世界中で今も続けられている。

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