Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆吉良上野介が悪人だったというのはウソ

2023-09-24 11:44:54 | Weblog

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毎年12月頃になると、必ずといっていいほど忠臣蔵が話題になる。
忠臣蔵は、侮辱された藩主の無念を晴らす為、
家臣の赤穂浪士が当事者の吉良上野介を討ち果たす忠義の物語だ。
これまで数え切れないほど映像化、書籍化された忠臣蔵だが、
吉良上野介は決まって嫌味な悪役で、討たれて当然であるかのように描かれる。
だが、三河国にあった領地では、悪人どころか名君として現在でも慕われているのだ。
吉良上野介こと吉良義央は幕府の儀式を司る旗本高家出身で、足利氏の流れをくむ名門中の名門である。
大名を虐めていたとか横柄だとかという記録があるが、
一方で領地経営に於いては治水事業や新田開発などの功績を残しており、
赤馬に乗って領内を見ながら領民の話に耳を傾けていたという逸話まで残っている。
その為、悪役として名高い吉良上野介も、領地の愛知県西尾市吉良町では現在でも人気が高いのだ。
  


                           教科書も間違っていた 歴史常識のウソ
                                 人物にまつわるウソ 「日本編」


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◆「目には目を」のハンムラビ法典が復讐法というのはウソ

2023-09-24 11:35:58 | Weblog

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ハンムラビ法典が記された石碑の上部 (ルーブル美術館所蔵)

「目には目を、歯には歯を」の条文で知られるハンムラビ法典。
紀元前18世紀に現在のイラク周辺を治めたバビロニアで発布された法典で、
「やられたらやり返せ」と復讐を認めているように解釈できる。
しかし、実際はその逆で、行き過ぎた復讐を阻止する為の条文だったと考えられている。

世間一般に広がっている「目には目を」という箇所は他の書物からの引用で、
実際の条文には「人もし、自由人の眼を傷つけたる時には、彼自身の眼も傷つけられるべし」とあり、
罪を犯した者はそれと同等の報いを受けると規定されている。
これを見る限り復讐を認めているとは言えないし、
別の条文には頬を打つくらいの軽い罪なら金銭による償いで十分だと記されている。
ただ、これは身分が対等の者同士の話で、
奴隷や下位者に対して罪を犯した場合は刑罰が軽く済むと決められており、
逆に奴隷が罪を犯せば重罪が科された。
それでも、平民は富者よりも安い医療費で済むなど一定の配慮もされていたようだ。
 
       


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                                      政治と事件のウソ






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◆ハロウィーンは村人を生け贄にする儀式?!

2023-09-24 11:23:27 | Weblog

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ハロウィーンの発祥はケルト人


 毎年10月31日に行なわれるハロウィーンでは、仮面を被った子供たちが歌いながら家々を訪れては、
お菓子をねだって楽しむ。日本でもスッカリお馴染みになった。
最近では、この日に仮想パーティーで盛り上がる若者も増えている。
ところが、こんな微笑ましいお祭りが、
初めのうちは幽霊祓いの為の呪術的な儀式だったと云うのには驚かされる。

ハロウィーンは、紀元前5世紀にアイルランドに住んでいた
古代ケルト族が始めた「オール・ハローズ・イヴ」と云うお祭りが起源である。
夏が終わる日とされていた10月31日の晩に、ケルト人たちは暖炉の火を消し、
悪魔やお化け魔女の格好をし、騒がしい音をたてながら家の中や外を歩き回った。

人々は死んだ人の魂はあの世に行くまでの十二か月間、動物や人間に取り憑くと考えていた。
その動物や人間を探す10月31日には、自分たちが取り憑かれない様に奇妙な格好をしたり、
大きな音をたてたのだ。そして、村はずれのかがり火を焚いた場所に集まったケルト人たちは、
そこで儀式を行なった。
僧により、夏の収穫を太陽の神に感謝すると共に、幽霊を追い祓う為の祈願が行なわれた。
おまけに、すでに霊に取り憑かれたと思われる村人をかがり火に投げ込み、霊への見せしめにしたという。
その後、ローマ人がハロウィーンの習慣を取り入れたが、
紀元61年に人間を生け贄にすることが法律で禁じられた為、人形を使うようになったとされている。

ヨーロッパからアメリカにハロウィーンが伝わったのは、1840年代、
ジャガイモ飢饉でアメリカに逃れて来たアイルランドの移民たちによってである。
お化けカボチャの提灯を作る習慣もこの時持ち込まれた。
また、子供たちがお菓子をねだるのは、
9世紀のヨーロッパで行なわれていた「ソーリング」から来た習慣だといわれている。
当時のキリスト教徒は万聖節の日に、
ソールケーキと呼ばれるジャム付きの四角いビスケットを求めて家々を回り、
その代わりに亡くなった親類縁者の為に祈りを捧げた。
これが後にハロウィーンの習慣として残ったという。

楽しいハロウィーンが、元々人間を生け贄にする恐ろしい儀式だったとは何とも意外な話だ。
 
                          呪い あなたの知らない不気味な世界
                              -あなたも当事者かも知れないー
                                   習俗に秘められた魔の呪術




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