中国で初めて全土を統一した秦の始皇帝。彼は万里の長城を築いたことで知られるが、
一方で不滅の肉体と命を得ることに異常なほど執着した人物でもあった。
始皇帝は不老不死の霊薬を追い求め、金も人材も惜しまずに、霊薬捜しに次ぎ込んだのである。
絶対的な権力を握った者が、何故そこまでして怪しげな薬を求めたのか。
それには、始皇帝が育って来た背景を知る必要がある。
彼は決して恵まれた幼少時代を送ったわけではなかった。
出生の状況から「秦王朝の血筋ではない」と噂され、十三歳で即位してからは、
権謀術数渦巻く王宮の中で、常に暗殺の危機と隣り合わせていたのだ。
こうして誰も信じられなくなった始皇帝は、その治世を絶対的なものとすることを願った。
しかし、寿命だけは己の意のままにはならない。
そこで、周囲を仙人や道士と名乗る者で固め、不老長寿の仙薬を作らせようとしたのだ。
しかし、ここでも始皇帝は裏切られた。
道士たちは研究費をせびるだけせびると、みな行方をくらませた。
日本に渡ったと伝わる徐福もその一人だ。
結局、始皇帝は四十九歳で病没した。どれほどの権力を以ても、不老長寿は叶わぬ夢だったのである。
(画像・始皇帝、日本に渡ったとされる徐福、日本全国にある徐福公園)
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歴史上の偉人に隠された裏の顔