Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

小糠雨

2013年02月15日 19時30分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中のジョギングの途中から細かな冷たい雨が降ってきた。小糠雨という言葉があたっているのか自信がないが、霧雨のような雨である。小糠雨は季語にはないので、季節に関係なく細かい雨のことを言うのだが、それがどの程度なのかわからない。最近まったく聞くことのない言葉だ。こういう言葉は使うのがますます難しくなる。下手に使って違うイメージであったりするととても恥ずかしい。
 ネットで検索したら「こまかい雨。ぬかあめ。《広辞苑・第五版》」という解説と共に私のよく参照するホームページに、
「音もなく降る細かな雨の事ですから季節に限定はされない言葉ですが、私のイメージでは春または秋の頃に降る雨です。夏や冬といった強い性格の季節にその柔らかな感触がそぐわないと思うためでしょうか。また、春と秋とではまたその性質が違うように感じます。春に降る小糠雨はほんのりと暖かく、秋のそれは薄寒いといった違いです。傘を差しても傘に落ちかかる雨音も聞こえず、またいつの間にか衣服がしっとりと湿ってしまうような雨でもあります。「親爺の小言と小糠の雨は後で効く」なんていう諺もある」(一部省略)
という説明があった。なかなかいい文章だ。

 ジョギングに特に支障はなかったものの、それでも500メートルも走ると眼鏡に水滴がつき、見にくくなる。そして雨が頭について汗と共に垂れてくる。髪の毛を切ったばかりなので、というよりも正直に言うと薄いので、髪の毛の間にとどまる水滴はほとんどない。ただちに皮膚をつたって顔や首筋に垂れてくる。眼鏡の水滴よりも不快だ。夏に陽射しよけに被る野球帽を被ってくればよかったと思ったが、気づくのが遅すぎた。

 午後になって本降りになり、何となく外に出そびれて一日が暮れてしまった。本降りといっても音もなく降り続け、立春を過ぎたのに冬の寒さに押し込められたような午後であった。
 私は、明日の懐かしい友人たちとの集まりに向けた資料を印刷しているうちに夜を迎えた。
 18時半過ぎに外を見たが、すでに雨は上がっていた。明日はおだやかな1日になってほしいが‥。
 

1ヶ月に1度の散髪

2013年02月15日 08時27分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日1ヶ月ぶりに散髪をしてもらった。ここ10年近く1回1000円の店にしか行ったことがない。月に1回、1年で12回ぐらい。左右と後ろはバリカンで刈り上げてもらい、残ったところは調髪程度か、長くても5センチくらいに切る。
 髪型は10年変わらずだとおもう。変わらずというよりも、これだけ髪の量が少なくなると変えようがない、と言った方が正しいかもしれない。

 この1000円のお店、「10分の身だしなみ」がうたい文句。土日祝日は満員の盛況だ。だから昨年の退職後は、平日の午後に行くことにしている。10分ということで、シャンプーも顔剃りもない。髪を切り整えるだけに徹している。というか、悲しいかな、特に私の場合は左右と後ろ以外に髪をいじる必要があまりないと言った方が正しい。結構女性も来ている。

 女性や髪の長い、或いは髪の多い人は10分では終わらないこともあるがおおむね平均では10分のようだ。ということは、そう、私のように髪がかなり薄い場合は時間が短い。
 私なんかは5分くらいで終わってしまう。実に寂しい。働いている人はおそらく刈った人数に応じた歩合制、ないし出来高払いだとおもう。かなり安い報酬額と思われる。だから、5分で終わったら500円にしてくれとはとても言えない。
 
 そんなことをしていたら採算など取れずに店の経営も成り立たず、雇用も危ういと思う。でも5分で終わってしまう寂しさに変わりはない。出来れば5分で終わってしまわず、せめて7から8分位は椅子に座っていたい。

 何かやっている風に時間をのばしてもらいたい気もする。客の回転を高めるにはそんなことやってられないのはわかる。でも残念ながらこの寂しさを何とかして貰いたい。

朴葉味噌を使って

2013年02月14日 19時18分04秒 | 料理関連&お酒
 本日の夕ご飯、妻が珍しく冒険というか新しい料理法に挑戦した。
 実は12月の高山の旅行で購入した朴葉味噌、記載しているとおりの調理法でおいしく食べた。固形燃料を使って朴葉の上に味噌を乗せ、そのまま焼いて食べた。お酒のおつまみにも適しているので、私はとても気に入っている。
 ところが本日妻が突然、「あの味噌をチャンチャン焼きに使ってみようと思う」と言い出した。私はあの甘味が果たしてチャンチャン焼きに適しているのか何とも判断できなかった。
 しかしチャンチャン焼を作る場合、味噌に味醂や砂糖、酒を加えている。私も酒と砂糖を加えて作った記憶がある。
 はたして出来上がったものを食べてみて、何の違和感もなかった。ちょうどよい、くどくない甘味が口に広がった。なかなかいい感じだ。

 このような冒険は妻にしては初めてではないだろうか。チョッとびっくりした。


「日本の民家1955年」展(補足)

2013年02月14日 18時11分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の朝日新聞の夕刊で「二川幸夫『日本の民家1955年』展」についての記事が載っていた。



 私はブログで素人の図々しさで感じたことをそのまま記載したのだが、それがどの程度に的を得ているのかまったくわからず、頓珍漢なことをかいたのかな、とも思っていた。
 この記事の中で「造形の美、群の美、道の美といった多様な美が浮上する」という表現があり、私の感想も頓珍漢ではなく、それなりに的は外れていなかったと、とりあえずはホッとした。
 新聞の社会面の記事や政治面の記事、地方版の記事については、仕事で現役時代にいつも苦い、いらだたしい、腹立たしい思いを常にさせられてきた。ニュースソースに忠実ではないし、「取材」とは程遠い記者の思い入れだけが先行する記事ばかり出くわしてきた。だからいくら文化面の記事とはいえ、信用したくはないという思いは極めて強い。そうはいってもとりあえず同じような感覚の人がいるということでホッとした程度のことは記しておこう。
 私がとても気に入った作品が掲載されていないのは極めて残念であるが、これはやむを得ないというしかない。
 ただ、新聞の片隅に掲載された作品を見て、実際に展示されているものから受ける印象との落差には驚いている。作品に対する思い入れが強すぎるからかと思ったが、そうでもないようだ。新聞に載っている写真が絵葉書的な風景写真のように見えてしまう。実際はもっと見るものに迫ってくるような迫力を私は感じた。大きさだけが原因ではないと思う。モノシーンの諧調がより鮮明だからだろうか。それはあたっているかもしれない。しかしそれだけでもはない。作品の大きさだろうか。展示してあるものは横が90センチくらいはあったろうか。でもそれだけでもない。
 いろいろ考えたが、ピントではないだろうか。作品は対象にキチンとピントが合っている。ピントの合っている範囲は広いので、小さな記事にするとピントのあっている範囲は全体のように思うが、実際はかすかに周囲の山や雲などの遠景はボケている。これが大きく引伸ばしたときに見るものに迫ってくる要因なのではないだろうか。絵画を見るときとは違う要素だと思う。
 絵画と写真、見る側もその違いに自覚的にならないといけないのだろうか。私の感想があたっているのか、頓珍漢なのか、どうなのだろう。


「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家」展

2013年02月13日 21時34分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中は、横浜のランドマークタワーでのNHK文化センターの「日本書紀の世界と古代史を考える」講座を受講し、終了後にすぐ傍の横浜美術館で開催している「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展を見てきた。

            

 私は、この二人がいわゆる「ロバート・キャパ」という架空の写真家の本当の名前であることなど知らなかった。ロバート・キャパは二人の作り出した幻想の写真家で、女性がなくなって後もその幻想の写真家は男性のカメラマンによって成長、といって語弊があるなら変化していったようだ。このことはチラシを見て始めて知った。その程度にしか写真というものに対する知識はない。そういった意味では少なくとも私にはいい勉強になった企画である。
 さらに私は、報道写真というのはなかなかわからなかった。いや今でもよくわかっていない。どうして目の前の人の死や、それが日常という状況でカメラを構えていられるのか、被写体と自分との関係をどのように折り合いをつけるのか、私にはわからないことだらけだ。

 絵画やその他の芸術ならばまだ、目の前の自分が目にしたことを表現するのに時間という篩をとおし、時間をかけて感情や思念が発酵するまで待つことが出来る。対象と自分の折り合いがひょっとしたらつくのかもしれない。私にはそうであっても到底無理なのだが。しかも報道写真は瞬間の時間と空間を瞬時に切り取るということで成立する。
 そんなことをいっても、報道写真が私の視覚に強烈な印象を与え、私の思念をかき回すほどの衝撃力を持つ場合があることもまた事実だ。ここら辺のことはまだまだ私には解けないことだらけ、ということで私のこれからの宿題とさせてもらおう。

 さて、この二人の写真を見ながら次のようなことに気づいた。

 27歳でスペインの内乱の現場で事故死したゲルダ・タローという女性カメラマン、この人の写真の視点、要するに撮影する写真家の目は常に動いている。動いている中から被写体を常に流動的に捉えて、そのうちの一瞬を切り取っている。対象に対する思い入れが強い。対象に自分を同値しようとしている。それが写真を取る側の勝手な思い入れに近いという危うい側面も持っている。構図や絵画的な視点は二の次であるような写真が多いみたいだ。それは彼女の持ち味なのか、わざととっているポーズなのかはわからない。
 それに対してロバート・キャパという写真家、報道写真ということなのだが、ゲルダ・タローに較べて視点は静的である。どんなに動いている場面の瞬間を捉えていても、キチンと視点を定めて撮影しているのではないかと思った。冷静に対象を観察している。そして構図や写真の効果をキチンと瞬時に計算しているようだ。被写体に対する思い入れはゲルダ・タローのように感じられるがそれでも彼女よりも自覚的にファインダーの中の対象を見つめている感じだ。
 この二人の微妙な差がいくつかの同じ瞬間の、同様の構図の写真の比較が行われていて、その似た作品にも現れている。ロバート・キャパの方が、被写体が大きくクローズアップされている。被写体の表情にその意志を汲んで写し取ろうとしている。ゲルダ・タローはチョッと引いて少し広い視野の中で、被写体自身の主張を周囲の状況から浮き上がらせているように感じる。
 またロバート・キャパがその晩年、1954年という戦後間もない頃の日本を訪れ、日本の人々を撮影している中に、奈良の東大寺の梵鐘とそれを撞いている僧侶を写した写真がある。これなど、造形写真としてもすばらしい視点と構図だ。上半分で真っ黒に梵鐘を大写しにクローズアップしている。わずかに鐘の縁が写り込んでいて鐘であることがわかる。鐘をつく撞き棒と僧侶を、鐘撞堂の柱を利用して窓枠効果のように遠く小さく写しこんでいる。これなどじっと構えて構図に配慮しながらでないと写せないもののようだ。その他の日本での写真はいづれも報道写真家らしく瞬間瞬間をすばやく、撮影しているカメラマンを被写体が意識するまもなく写しているような躍動感がある。両用の技量を持つカメラマンに思えた。残念ながら、この写真、カードとして販売していなかった。
 この二人の時代を画したカメラマンの仕事を見た感想、これ以上うまく表現できないのでとてももどかしい。これを読んで理解してもらえるか自信はとても湧いてこないが、未熟な文章表現として笑ってもらうしかない。

 ところが、展示の解説文書の中で次のようなくだりがあった。
「人物の表情に焦点を合わせる傾向があるキャパと、奥行きを強調したダイナミックなアングルなど、構図に対してより意識的なタローというそれぞれの特徴を垣間見ることができる」
 (スペインのバレンシア爆撃でのタローの)死亡した市民のアップの写真などにその特質をみるとの指摘があった。(まだノルマンディー作戦以降のキャパの写真について)、「単なる一方の側から見た戦争とは一線を画した「引いた視線」、同時に奥行きのある「人間への凝視」を認めることが出来る」と記されてあった。

 前半は、私の評価とずいぶんと違うところがあると感じた。「構図に対してより意識的なタロー」は私としてはとても同意できなかった。
 後半のキャパに対する評価は全面的ではないにしろ肯定は出来た。しかしそれもあくまでも、戦争の捉え方の変化も、あくまでも萌芽であって、キャパの死という終焉を迎えてしまったように思う。戦争そのものを相対化するということでは、未完の方向だったのではないか。1945年に終了した戦争の勝者の視点、勝者の理論を、どのようにキャパが把握していたか、それが知りたくなった。戦争全体をキャパがどのように把握したのか、知りたい。
 それはディエンビエンフーの敗北目前のフランス軍と共にベトナムの戦場を巡って撮影したベトナム人の死体らしきものが転がっている写真や、ベトナム人の無表情な写真、これからは欧米人の視点が強く感じられた。またイスラエル建国で屈託なく明るいイスラエル入植者の表情なども、当事者の一方しか把握していないような気がした。後世の私たちからはある種の違和感も感ずる写真という印象だ。あくまでも後世の私たちの視点なので、それだけで彼の業績を否定するつもりはさらさらないが‥。
 そして「ひいた視線」というのはあくまでもキャパの対象を把握する視線であって、実際に撮影する場合は「引かず」に「迫ってく迫力」があるということを私は感じた。

 さてチラシとは違うが、この企画展に即した「ロバート・キャパジャーナル」というチラシのようなものがあった。そこで長島有里枝という写真家がこんなことを書いていた。
「写真には、製作過程に横たわる身体性を示唆するもの、完成に向けて作家が費やしたであろう膨大な時間、労力、試行錯誤の「しるし」が欠如している。「しるし」はときにそれ自体が鑑賞者を圧倒して、感動に導くにもかかわらず。写真は始から「瞬間」と親和するメディアだ。写真家の中にはそのような身体性の欠如に対する負い目がある気がする。」
 なかなか面白いと思う。写真家の中に私と同じような思いをもたれる方がいて惹かれた。私も最近、写真を見て心が惹かれる場合が多くなってきたが、どこからこんな問題意識を持っている。こんな問題意識を持ちつつ、写真展をしばらく注視してみようと思う。

         

 話はまったく変わるのだが、私は年間5000円で横浜美術館協力会の会員なので企画展・常設展すべて交付された会員証を見せるだけで幾度でも入ることができる。といっても今でも年間3回から5回程度なので、プラス・マイナスだけの計算ではマイナスである。友人から元が取れていないのだから、止めたらといわれた。しかし私にはこだわりがある。
 これを会員制度が始まった当初から20年を越えて継続している。現役の頃はそれこそ年に1回か2回くらいしか訪れることが出来なかったので、トータルではまったく元は取れていない。しかしこれはあくまでも、そしてどんなにささやかであっても協力費としての私の思いで継続してきた。
 年に4回、私の自宅に会報や企画展のチラシを送ってきてくれていて、送付代と手間を考えれば、美術館にとっても赤字であろう。しかしこのような施設に対する期待感のほんの一部にでも参加することには意義がありそうだ。
 関西方面の政令指定都市の分割を主張する市長が「市に二つの美術館はいらない」などと公言したとのこと、伝聞であるが伝わってきた。この人は文楽という芸能にも喧嘩を吹っかけたようで、文化を自分の基準で裁断しようとするなどの野蛮に近い行政を推進しているとしか思えない。美術館・博物館が保存、収蔵、展示、普及、教育・啓発、発信、創造の場の提供という極めて大切な役割を果たしていることなど鼻から理解する気がないようだ。
 それ以前に、人間というものの理解があまりに薄っぺらで、こんな人が政治に携わってはいけないのである。野蛮で無知な軍人や政治家が文化統制に乗り出したあのかつての時代の轍を踏んではならない。政治が文化統制に口を挟んではならない。それは右も左も、政治体制の在り様を問わずに求められることである。えてして「左」の国家なら許されるという勘違いも横行している。赤字で垂れ流しでもすべて許されるなどと私は主張しているのではないが、赤字であればそれだけですべてゆるされない、あるいは逆に黒字であれば何でも許されるという経営の側面でしか評価できない人々もいる。
 横浜市でもそんな市長がいて、市が関係するすべての施設の価値を収入と支出という面からしか評価しようとしなかった。社会に対する理解が実に薄っぺらで底の浅い人であった。あの市長は結局のところ、横浜からはトンズラした。それも自ら提唱した開港150周年事業の数十億円の赤字を後任者と市民に押し付け、その責任を取らずに逃亡した。赤字を切れ、といっていた張本人が膨大な赤字を新たに作ってその責任を取らずに‥。しかも先ほどの関西の市長を支えながら野心丸出しにまたぞろ先の総選挙で国会議員に返り咲くという。わが国にとってはとても悲しむべき事態が起きている。
 確かにいまでも経営的側面が強調されることには変わりはなく、厳しい状況にあることは市の各種施設に共通だ。私はたかだか年間5000円であっても会員になることで、枯れ木も山の賑わい程度には美術館に対する期待になるかもしれないと、一般会員であり続けている。
 今多くの美術館や各種博物館をはじめ多くの施設が市の財政の厳しいことを背景にその活動が大きく制限され、あるいは閉館などの措置をこうむっている。収蔵品の整理・分類もままならない状況であるという声は私にはとても切実に聞こえる。またそれらは誇張でも偽りでもない。
 存続を求めるなら経常で黒字体質になるよう責められ続けている。それを声高に主張する人間が議員選挙や首長選挙で高位得票となる。このブログで処方箋を出せるほど簡単なものではないが、せめてこれを記すことで何かの提起になればうれしい。

寒い一日、明け方は雪か?

2013年02月12日 21時08分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ブログに掲載するようなこともなく、また報告するような感想もなく、時間が過ぎた。かといって無為に時間を過ごしたわけでもない。それなりにいろいろすることは出てくる。不思議なものである。

 最近は台所に立つことがなくなってしまった。月に2回は、あるいはそれ以上は、夕食を作ろうとしていたが、美術館めぐりやその報告、講座への出席が続いてついサボってしまった。こんなことで鈍る決意表明ではなかったのだが‥。
 そろそろ再開しないといけない。

 今夜半からの天候については、先週から「雪」「雨」の予報がくるくると変わった。それだけ判定が困難なのであろう。判断ミスの影響はさまざまな活動に影響を与えるので、慎重にならざるを得ないのは十分理解できる。判断の第一線にいる人々には緊張を強いられる日々が続くのだろう。なかなか大変な業務であろうと思う。
 中学・高校の頃、気象というものにも少し興味があった。コメントの指摘で思い出したが、ラジオ放送を聞きながら天気図を作ったり、観天望気の本を集めたりした。大学の受験のとき、気象大学校も受験した記憶がある。見事に落ちたが‥。数学と物理の先生に、これの種の問題は必ず出るといわれてそれが見事に的中した。しかし回答にまったくそれを反映できなかった。回答している間に「これはダメだ」と自分で納得してしまった記憶がある。
 それ以来、天気予報はよく見るが、気象に関する本を読んだ記憶はほとんどない。大学の一年生のおりに、古代の気象の変動と動植物界の進化についての講座があったが、満足に教科書にも目を通さず、他の科目同様一番下の評価で単位を取得していた記憶がある。
 遠い、本当に記憶の彼方にかすんだ受験の体験であった。

午前中はおだやかな日ざし

2013年02月11日 20時09分37秒 | 料理関連&お酒

<ピントが花にあっていませんが‥>


 本日は午前中は日当たりがあり、おだやかな日ざしであった。午後から出かけたのだが雲が出てきて日がなかなかあたらない。夕方からは風も冷たく、寒く感じる日となった。
 我が家から1時間半ほどをかけて中華街までウォーキング。
 昨日が旧正月ということで春節で何かイベント、あるいは龍舞、獅子舞を見ることができるかと思っていたが、残念ながら本日は何もなかったようだ。それでも大勢の人が出ていて大層な賑わいであった。


<媽祖廟>

 特に食べたいものもないし、買いたいものがあるわけでもなく、と手合えず中華街をひと回り、いくつかの惣菜を購入してから帰宅。といってもこの中華街に一石屋といういいお酒を扱っている酒屋があると聞き、寄ってみた。
 中華街のすぐそばにあり、中国のお酒と日本のお酒・焼酎が多数置いてある。取り立てて高いお酒が置いてあるわけではない。それがいいのだが‥。本日購入したのはこれ。芋焼酎で宮崎県串間市の「松露」という初めて聞く銘柄。名前は「うすにごり」とあるが見た目はにごってはいない。1200円未満で購入できた。コクはあるのだが、芋焼酎らしからぬ「芋」が全面に出てこない上品な感じがする。

   


エルグレコ展感想(補足)

2013年02月10日 21時01分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 エルグレコ展を見て歩いて昔からの疑問が首をもたげてきた。 
 興味のない方にはまったくどうでもいい話なのだろうが、私は昔から不思議だった。ただし不思議に思ったままそのままにしていたのだが、今回エルグレコの「十字架のキリスト」を見てこの疑問がよみがえってきた。

磔刑図1459アンドレアマンテーニャ
   

 キリストが十字架に磔にされたという聖書の記述が正しいとしても、あの姿勢は本当に磔の図なのかという疑問だ。両手に一本ずつの大釘と両足をひとつにまとめて一本の大釘という三点で人間の全体重を支えられるのだろうか?という疑問だ。私はとても無理だと思う。どんなに太い釘を用いたとしても、人間はずり落ちてしまうはずだ。
 しかしルネッサンス期以降の磔刑図はいづれもこの両手・両足でキリストを支えている。私には物理的に不可能と思われるこのような図柄がどうして画家たちに受け入れられてきたのか不思議であった。

磔刑図1500年代ミケランジェロ


磔刑図1502ラファエロ・サンディ


 ルネサンス期以降、より人間的な絵画が追求される中、客観的に疑問の多いこのような図形がどうして描かれたのかということだ。どうもローマカトリック教会の見解が大きく左右されているのではないかとようやく気がついた。


磔刑図1600エルグレコ


 ネットのウィキペディアでは「この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。イエスの死を確認するため、ある兵士が槍でイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる」。
 なかなかに生々しい記述でこれ以上は私も引用したくないのだが、当時も不思議に思われていたらしい。エルグレコもこの教義にそって描いたのではないか。

磔刑図1889ゴーギャン


 そしてこの伝統は19世紀以降、印象派の描くキリストの磔刑図にも受け継がれている。

 ところが、ネットで検索しているうちに、ルネサンス期以前ならびに正教会ではそうではないことがわかった。

磔刑図1305ボンドーネ


 14世紀の磔刑図では足に台が描かれ、キリストがずり落ちないように描かれている。物理的にはこれが当たり前の図である。

磔刑図1500年代セオファニス(クレタ・正教会)



 そしてルネサンス期以降も東方教会・正教会ではこの台を描くことが当然であったようだ。この台が後にロシア正教会などの横棒2本線の十字架の原型となったらしい。
 そうだ、これが当たり前の発想である。
 3本の釘で人体を固定することになったのはあくまでもローマカトリック教会の教義に基づくものののようだということらしい。
 しかしこのようなものが19世紀の印象派以降も疑問を呈されることもなく絵の原型とされ続けたということに、西欧におけるローマカトリックの教義の強い束縛・呪縛を私などは感じてしまう。
 自然科学の進歩を牽引してきたヨーロッパにしてこのような不思議なことが続いている。私にはとても不可解なことに思われる。


 磔の場合3本の釘だけで人の体を支えるの不可能と思われるが、どうしてそれが描き続けられたのかという疑問に対して、私自身の推論の流れはまとめると次のようになる。

・15世紀くらいまでは足元に台を描いていた事例が多そうということ。
・東方教会・各正教会では足元の台を描き続けたらしいこと。
・ルネサンス期以前は、一緒に磔にされたことになっている他の二人は足を縄で固定したり、腕を横棒に回され固定している絵が散見されることで、以前から3本の釘だけでは無理との認識があったと推定できること。
・磔刑図は対抗宗教改革で盛んに描かれたことになっていてこのころに様式が統一されたと見なして良さそうなこと。
・カトリック教会の祭壇の十字架やパンフレット類などは現代も3本の釘以外での固定は一切ないこと。

 以上、意識を失った人間がぶら下がれば肉が裂けて落下する可能性が大きいのに、3本の釘に「こだわり」続けているのは聖書の記述やその解釈にあたって教会の関与が強く作用したと考えると説明がつくのではないか。
 とりあえずここまで考えてみた。

 3本の釘だけで死に到るか否かについては、刑としての磔がどのように執行されたのか、本当にそのような刑があったのか、さらにキリストがそのような刑に処せられたという記録があるのか、そもそもキリストという人格が実在したのか、そこについては言及はしていない。
 日本では、「磔」は槍による刺突がおこわなれたと、高校の頃の日本史の授業で習った記憶がある。あの頃、あの地域での実態の研究もあろうが、私にはあまりに生々しい話なので、遠慮したい。





横浜での句会

2013年02月09日 21時31分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
この二週間での句

★陽炎や縄文土器のめくるめく
★春満月透視図法の道の先
★底冷えや人の影へと忍び寄る
★寒あかね路地へと控えめがちに射し
★枡酒に若いくちびる梅の花
★日脚伸ぶ墓銘碑無き者らへも
★冬薔薇のしかとおさまり赤灯台
★春雨やいつかは朽ちていく秘仏
★冬椿水琴窟の音に落つ
★星しずく寒北斗より首都圏へ
★春浅し北斗のしずく首都圏へ
★春浅き畑の起伏力満つ
★遠き春コーラの瓶を投げし海

本日の句会提出句

★寒の水父の輪郭我が顔に
→寒の水拭えば父の目と口と
→寒の水父の目と口我が顔に
★友の死や喉にぎくしゃく燗の酒
→陸奥の地へ喉にぎくしゃく燗の酒
★まぼろしとうつつの交差みぞれ降る
→まぼろしとうつつのあわいふぐと汁

A3版のスキャナー

2013年02月09日 12時10分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜の腹痛、皆さんにご心配をおかけし申し訳ありませんでした。

 腹痛・下痢・吐き気そしてお腹の膨満感、かなりつらかった。布団に入ってからもお腹がグルグルとさかんになっていた。それでもいつの間にか熟睡していた。
 朝になり、腹痛もおさまりお腹がなることもなくなっていた。何が原点だったのだろうか。
 朝になってなおっているということは、一過性のようだ。インフルエンザの前兆でもなさそう。夕食に食べたものは火の通ったものばかりなので原因については心当たりはない。不思議だ。

 昨日は1年半つけた梅酒を小さな瓶に移し、取り出した梅をひとつかぶりついた。砂糖をかなり控えめにした焼酎に漬けたためか、梅はシワシワにはならず、艶やかな表面である。この梅がよくなかったのかとも思ったが、梅酒自体は悪くはなっていない。いい味である。


 さて、最近の美術展のチラシは時々A3版のものをおっているものがある。A4の画面に分割できるものならばいいのだが、A3の大きさで一画面のものがスキャンできないと悩んでいた。
 私の持っているスキャナーはA4まで。普通の使用ではこれで十分なので、A3用のものは販売していない。最近のスキャナーはプリンターと一体型のものが多く、一般家庭用はインクジェットでこれもスキャナー機能ではA4までだ。A3のスキャナー機能を求めるとするとレーザープリンターなどでビジネス用のものに限られてしまうようだ。
 こんなことを悩んでいたら、つい先日コンビニのコピー機を使った折、コピー機にスキャナー機能が付属していることに気づいた。USBメモリーを持参すればそれに保存できるとのこと。
 早速昨日カラーのパンフレットを試しにPDFとJPEGにスキャンしてみた。うまく処理できている。A3一枚30円だから、A3版用のスキャナー機能付きのプリンターを高額で購入しなくても済む。
 もっと早く知っていればよかった。

 

「画の東西」展

2013年02月09日 10時34分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 先日紹介してもらった、大倉集古館で開催されている「画の東西」展を訪れた。
 大倉集古館は始めての訪問。
 ネットで検索したら「大倉集古館は明治から大正時代にかけて活躍した実業家・大倉喜八郎が設立した日本で最初の私立美術館です。当館では、喜八郎が生涯をかけて蒐集した日本・東洋の古美術品と、跡を継いだ息子・喜七郎が蒐集した日本の近代絵画などの美術品を中心として、約2500件の美術・工芸品と約1000部の漢籍(中国古典籍)を所蔵しております」との説明が出てきた。

 建物は中国風の楼閣かと思うようなちょっと異様な雰囲気である。建物の前にも仏像などが展示されているが、それには説明書きはない。建物の雰囲気とともにこれもはっきり言ってちょっと異様な感じがする。

 館蔵品展ということで、所蔵する近世・近代の作品を東西の作品の比較をしようとしうもの。その意図が私に伝わったかとなると私の理解力では心もとない。
 やはり名のとおった作家の作品に目が向いてしまう。
 狩野探幽「松竹に鶴・柳に猿」、円山応挙「雁図」、伊藤若冲「乗興図」、英一蝶「雑画帳」といった有名な作家の絵がやはり印象に残った。このうち一蝶の「雑画帳」と応挙の「雁図」はどこかで見たことがあるような印象だった。他のものは始めてみるように思う。
 応挙の「雁図」は複数の雁の群れを描いているようにも、一羽の雁の飛翔を連続して捉えたような感覚にもなる。どこで見たのだろう。保存状態は決していいものではないように見受けられるが、描線も鮮明で見ていて飽きない。
 一蝶の「雑画帳」は17世紀の作品でが、子犬などの描写の色合いが、現代的な雰囲気である。若い人はびっくりするかもしれない。
 若冲の「乗興図」、ネガフィルムのように白黒反転の絵である。これはなかなか面白い着眼点の絵だと思ったのだが、どういういわれでこのような絵を描いたのかはわからなかった。これは面白かった。



腹痛

2013年02月08日 19時37分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日訪れた大倉集古館の「画の東西」の感想を書くつもりでいたが、夕食後ひどに腹痛・下痢・吐き気、そして膨満感とそれどころではなくなってきた。
 チラシの裏・表をスキャンしたところでダウン。
 今もかなりつらい。

 本日はこの記事で終了。

温かい一日

2013年02月07日 18時10分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝からランドマークタワーの神奈川大学の公開講座に出向いて、講義を聴いてきた。人の話を聞くということの楽しみ、面白さをここ数年心から味わっている。高校三年生の時以来の、私にとっては驚愕すべき事態である。
 人の意見や主張をまずはキチンと聞くことが出来るということ、自分の思いが定まっていないとできないことなんだなぁと思うようになった。それだけ年を取ったのかもしれないが、私が大学生の頃の大学の授業を行っている「教授」などとても人の言うことなど聞く耳を持たない日とばかりであった。少なくともあの時の教授連中よりは、今の私のほうが余程他人の意見をキチンと聞く姿勢やゆとりを持っていると自負できる。

 講座の終了後、2時間ほどかけて友人達へのメールと手紙を仕上げた。どうもヤフーのフリーメールボックスが安定しない。スマホからはちゃんと表示されるのだが、パソコンからではフォルダを開くとすぐに閉じてしまう。さいわい新規メールとアドレス帳はうまく作動してくれたのだ助かったが、今後のことを考えるととても困る。これまでヤフーのメールはとても使い勝手が私には良かったので、困惑している。

 本日はこれから新宿方面に出かけて、長い付き合いの友人たちとの定例の集まり、というよりは飲み会。一人でゆっくり飲むのもいいが、月に二度くらいはわいわいと飲むのも楽しいものである。
 他のブログでは私のご褒美のお酒について、話が盛り上がっている。管理人としては複雑な思いもするが、それで楽しんでもらえる分には依存はない。

 それはそうと、新宿で飲みすぎて横浜を通り過ぎでタクシーでもどってくるような事態は避けなければならない。終電車に間に合わないということはないのだが、電車の中で寝てしまうという失態はまずい。

エルグレコ展感想(その3)

2013年02月06日 22時04分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は2回目の会場訪問となった。雪・雨ともに昼前から弱まって助かった。テレビでは都内の交通機関は大変交雑しているような報道であったが、私たちが乗った電車は空いていた。
 今回は2回目ということで、最初からじっくりと見ながらまわるのではなく、印象に残っている作品だけに時間をかけてまわることが出来た。何より良かったのは天候のため今回はとても空いていた。人を気にせず見てまわることができた。



 この作品、かなり人気があるらしく空いていた本日も人だかりがしていた。
 1571~1572年ころの作品とのことだが、クレタ島からヴェネツィアにわたり、3年後のティツィアーノの死後にローマに移住して2年後くらいの作品である。
 ビザンツィン様式の画家としての経歴からわずかにこれだけの期間で画風がまったく変わったことを物語っている。すっかりヴェネツィアのルネサンス様式に変わっているとの解説になっている。
 暗い背景に燃えさしから蝋燭に火が点火した一瞬を割りと荒い筆致で劇的に、ある意味誇張して描いている。この劇的な一瞬と言うのが、当時の絵画に求められた要素なのかもしれない。私はちょっと大げさであまりに劇的効果にこだわりすぎた絵のような感じもする。前後の時間の流れを暗示させるのだが、物語としての深みは感じられない。しかし一瞬の時間を切り取る力量というか、些細な一瞬をあたかも劇的な一瞬に仕上げる力量に脱帽する。

   

 この二つの作品、構図はほぼ同じ、筆致はずいぶん違う。会場では少し離れて展示されていたが、私としてはこれは並べて展示してほしかった。向かって左は1610~1614年頃の作品で国立西洋美術館所蔵のもの。右はゲッティ美術館所蔵で1600~1610年の頃の作品とのこと。いづれも晩年に近い頃の作品だ。右のほうが少し小さい。
 ミケランジェロの作品の影響が見られるとのことだ。磔の場面としては他のルネサンス期の当時の作品に比べ、苦痛に身を捩じらせるような劇的な描写にはなっていないと解説されている。確かに「肉体的苦痛を超越した法悦の表情」という解説は理解できる。天を見上げる表情はかえってさまざまな思念を呼び起こすようだ。
 この二つの絵、左のほうが明らかにタッチが荒い。そして背景の雲とその合間のひかりは右に較べていっそう暗く劇的である。キリストの表情に比べ背景のほうが劇的な一瞬を強調しているが、どちらかというと右の背景は少しおとなしい。実は足元の髑髏や骨の描写も、去り行く馬と人の描き方も左のほうが荒い。右の方が丁寧に描いている。
 左のほうの署名はどうもエルグレコ本人の署名ではなく真似た字体らしい。工房での手が入っているとのことだ。右の方は本人の署名と解説に書いてある。しかし腰布については右の方はあまりに精緻、フリルのついた装飾性鮮やかなレースのような布に仕上げてある。これはあまりに不自然で、後からの書き込みのようだ。
 だから、いろいろ好みはあるだろうが、左の方が現代受けする表現なのかもしれない。私としては細部での違和感はあるものの右の方が原作者のタッチに近いものを感ずる。好き嫌い、どちらがエルグレコの本位に近いかは見る人により違いがありそうだ。

 「無原罪のお宿り」という作品がある。私もよく知らなかったのだが、「無原罪のお宿り」とはキリストの受胎のことではなく、聖母マリア自身もその聖性から、その母アンナに宿った時は、原罪を免れた受胎だったというカトリックの教義によるものらしい。
 母性への崇拝を利用したキリスト教のヨーロッパでの定着に、マリア信仰は大変重要な役割を演じている。この聖母マリアの聖性の強調は対抗宗教改革の流れの中でも重要な要素だったと思われる。
 この「無原罪のお宿り」というのは、天からマリアがアンナの胎内に降下するのだから絵としては上から下への流れで理解しなくてはならない。



 この「福音書記者ヨハネのいる無原罪のお宿り」では絵の正面から眺める視線で鑑賞すると確かに天から光臨してくる流れが見えてくる。私もこれはすんなりと理解した。
 さて今展覧会の目玉である最後の作品サンニコラス聖堂の「無原罪のお宿り」はどうであろうか。
 私は知識のなかった頃この絵を見て聖母マリアの昇天、即ち聖母マリアの死を描いた作品化と思っていた。即ち下から上への流れに見えたのである。天に向かって登っていく、天に帰っていくマリアと思っていた。
 しかし題名が「無原罪のお宿り」ということを知り、またその題名の意味を知り、ずっと不思議に思っていた。



 実は先日見に行ったときは、この絵の前に人がかなりいて、少し膝は曲げたがほぼ立ったままこの絵を鑑賞して、やはり下から上への流れに見えて疑問は解消されないままだった。雪山行二氏の講演で、実際に祭壇に飾られているような見方をすると細長い人物も違和感なくながめられると教わったものの、知識としてだけ覚えていた。そしてNHKの日曜美術館でも下からのアングルで広角レンズで映したこの絵を見せてくれた時、マリアの顔が丸みを帯びて見え、スカートがとても広がって見えたのは心に残っていた。しかしそれ以上の感慨はうかばなかった。
 本日この絵の前に人だかりはしていたが、それほどでもなかったので、思い切って絵の正面でしゃがんで見上げてみた。ちょうど一番下の花の辺りに目を据えて下から見上げてみた。
 するととても奇妙な感覚に襲われた。下の天使の羽が実に目の前で浮き上がって見えたのである。羽が実に生々しい。黄の着衣も浮き上がって強調される。さらに視線を上にずらしていくと、天使からかなり距離がある上方にマリアが見える。テレビの画像ほどマリアの顔は丸くは見えなかったが、何よりびっくりしたのは天から、上方から下方に向かってマリアが下降してくるように見えたことだ。絵の頂点の精霊の鳩がとても遠い、それこそ天にあるように見える。
 私は始めてこの絵が、マリアがアンナの胎内への流れを持つ絵だと納得した。
 図録によればこの絵を見るものが動くと下の天使の羽を軸に動いているように見えると記載されているが、確かに羽を軸に絵全体が回転するようにも見えた。
 また花が、絵全体からは独立した花のようにも見えて、この花だけは絵に含まれない祭壇にかざられた花に見える。そして目の前にあるマリアの象徴としての鏡・ヘビ・泉がクローズアップされて見える。たったままの視線では見落としてしまう箇所だ。左下のトレドの町を描いたといわれる町も実に生々しい。

 しゃがんでいると周りの人も私の真似をしてしゃがみ始めたのでちょっとあわてたが、それでも私はとても興奮してしゃがみこみ続けた。ようやくこの絵の迫力がわかったような気がした。人物や天使の長い肢体も違和感なく見ることができたし、人物のうねるような回転も上から下に向かっての流れに見せる技術だったようだ。しかし膝が痛いのを我慢してしゃがみ続けたために、立ち上がるときに声を上げてしまいとても恥ずかしかった。
 実は雪山行二氏は講演で、今回はこの絵を元の祭壇にあるような位置に飾りたかったと述べていたが、改装なったこの美術館では不可能になってしまったととのことだった。以前の都美術館なら可能だったかもしれなかったとのこと。残念である。
 本日空いている日に会場で鑑賞できてとてもよかったと思った。


 エルグレコ展の感想はこれで終了。

本日は雪模様

2013年02月06日 11時31分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は横浜でも夕べからの雨が朝になって雪混じりとなり、今は雪の方が多くなった。団地の中の芝生が少し白くなってきた。ガラス戸の結露が久しぶりにひどい。
 しかし前回ほどの積雪にはなりそうもない。前回は雪掻きを失礼してしまったので、今回はキチンとしようと思っていたが、その必要はなさそうな気がする。

 実はグレコ展の2回目を予定している。前回は無料招待券が手に入ったので1人で贅沢な時間を過ごしてきた。その招待券が手に入る前にチケットショップで購入した券が2枚あり、妻と行く予定になっていた。前回ほどの雪ならば日延べという選択をしたが、今回は却って空いているのではないかという期待を込めて上野まで行ってみることにした。

 このブログにかいているグレコ展の感想、後1回で終了するつもりだから、最後に感想を記す「無原罪のお宿り」を再度ゆっくり見てこようと思う。

 さて昨日汐留ミュージアムの帰途、新橋駅で一服していたら店でテレビの放映をしていた。民放の天気予報かニュースだったのだろうか、雪対策について語っていた。それがなんと「革靴での雪・氷道の歩き方・体の動かし方の注意」を語っていた。
 一体このテレビ局は何を考えているのだろうと、虫の居所も悪かった所為かむっとした。雪が降るのがわかっていて、革靴で歩くこと自体が非常識である。せめて滑り止めを装着すべきである。すべって他人を蹴飛ばす危険すらある。革靴では出歩くなというのが、本来の呼びかけである。どうも日本のマスコミはおかしい。
 滑り止めも付けずに転んだとしても、そんなのは非常識人間の自己責任である。
 そんなことより、家の前やマンションの前を住民で雪掻きすることの大切さ、あるいは車輪へのチェーンの付け方の実演の方が大切である。
 前回の雪のときバスの遅延や高速道路の渋滞の原因の過半は、チェーンを付けないで走行してスリップした車や乗り捨てた車にある。日ごろ装着の習慣のない都会では、こちらの方が大切なキャンペーンであろう。 また、高齢化が進む都会では、隣近所で歩道の雪掻きをする習慣が、高齢者の転倒事故を防ぐ近道であることは論を持たない。

 日ごろ何かあると居丈高に人のプライバシーに踏み込んで行き、正義の代理人を気取って人を裁断する前に、マスコミとしての現代的に即した社会的役割を再検討してもらいたいものである。