Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高島野十郎の絵(その4)

2010年08月25日 18時15分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
からすうり

 本日は銀座美術館に出かけて、高島野十郎展を見た。その中から特に印象に残った「からすうり」「雨-法隆寺塔」「月」を取り上げてみる。

 高島野十郎のこの「からすうり」は蝋燭と月以外ではもっとも好きな絵だ。実際には見たことはないが、「やぁお久しぶり」という感じの絵である。ただし、物理学的には辻褄の合わない絵でもある。上端でまとめられ、くくられているような蔓のようだ。しかし烏瓜の茎が多少強さがあったとしても、これだけの長さで身をつけている蔓が末広がりに広がるはずがないのだ。作者は学生時代は当時の俊英である。こんな初歩的な物理法則を知らないわけがないし、綿密な標本図を描いてもいた人である。
 この絵はそんな物理法則を超えて、人をひきつける。それはからすうりの熟れ具合の違いによる微妙な色の差であり、個性溢れる実の形、そして枯れた蔓と葉のバランス、そして黒い実(この実は何の実か私にはわからない)のアクセントである。これが物理法則に適って平行に垂れ下がっていたのでは残念ながらそれほど人を惹き付けないような気がする。
 色の違いと重なり具合、そして蔓の輝き具合による不思議な遠近法を感じる。すべての実と葉に焦点が合っているのに、遠近感がある。これは「葡萄」と題された絵も同じだ。ただしこちらは緑の葉すべてに焦点が合っているが、葡萄の実については、葉の後景に甘んじている。主題が葉だ。からすうりは実が主題とはいえ、枯れた葉にも焦点が合い、重要な要素となっている。
 標本の細密画のように画面のすべてに焦点が合っていて、不思議な感じがするのが、高島野十郎の静物画の特徴といえないだろうか。風景画の「流」などもそうだ。
 高島野十郎に独特な遠近法といっていいのだろうか。

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