Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ジョルジョ・デ・キリコ展」感想

2014年11月15日 11時16分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 さて、パナソニック汐留ミュージックで12月26日まで開催されている「ジョルジョ・デ・キリコ」展は5つのセクションに分かれている。

1.序章-形而上絵画の発見
2.古典主義への回帰
3.ネオ・バロックの時代
4.再生-新形而上絵画
5.永劫回帰-アポリネールとジャン・コクトーの思い出

 内覧会ではプレスリリース用のチラシを貰った。個々の作品は著作権の関係でひかえた方が良いとのことだったが、このチラシの掲載は問題なしとのことであった。今回はこれをアップする。

            

 キリコの作品、私たちが目にする機会があるのはこのチラシの最初のページの絵(古代的な純愛の詩、1970年頃)、ないしこれと同じような一連の作品(イタリア広場等々)や、表情のないマネキン人形のような人物像(吟遊詩人、1955年)、あるいは赤い縁取りのある黄色い奇妙な形の太陽を描いた絵(燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場 1971年等)などである。しかし頻度としてはそれほど多くはない。断片的に見るだけである。
 少なくとも私はそうだ。それでも私はとても印象の深い絵である。いつかまとまって見てみたいと思っていた画家の名である。
 今回の展覧会では「謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気」という表現がなされている。私は「無機質な都市の中の孤独、複数の時間が混じりあう画面の中を彷徨する魂の軌跡」という表現をしてみたい。
 形而上絵画、古典への回帰、幻想絵画とニーチェの影響等々のことが云われるが、私の鑑賞のポイントは、イタリア人の両親のもとギリシャで生まれ、青年期をドイツのミュンヘンで過ごし、23歳でバリに出てシュールレアリストと交わり、パリとローマを行き来し、ローマで亡くなったという軌跡だと思っている。
 パリでコスモポリタンとしての出発点の時期は、奇しくも日本からやってきた藤田嗣治がやはりモンパルナスで画家として出発した時期と重なる。フジタが2年長で年齢もほぼ同じだということである。両者の意識的な交流はあったのだろうか。フジタの関する文庫本で見る限りはないようだ。
 ともに母国というアイデンティティーをどこかに秘めてパリという都市で彷徨を開始したようだ。キリコがローマで西洋絵画の原点のイタリアの絵画や彫刻を貪欲に吸収しようとしたのが、当時のパリのシュールレアリスト達に原点回帰、伝統回帰に見えてしまったようだ。しかしアイデンティティーと画家自身の持つイメージの原点との落差、乖離は表現者にとっては避けてとおってはいけない道のようである。原点回帰・伝統回帰として批判してしまうのは底が浅い芸術論に聞こえる。
 イメージの原点を常に確かめながら表現の質の世界性の獲得、時代の先端との格闘なくして画家としての表現の飛躍は無いのではないか。その方法論がイタリアで確立した遠近法などの技法の否定と新しい空間構成の確立、イメージを喚起する素材の新しい配置などに結実させたのではないかと私は感じている。あくまでの私の感覚でしかないが、そんな鑑賞をしてみたい。
 それまでのアトリビュートや決まり事の否定の上に建って、神話や宗教的な秩序を否定して、画家自身の過去や現在にとって切実なものを、新しい遠近法に基づく不思議な空間の中に配置して湧き上がるイメージ、これはヨーロッパの絵画伝統に対して、個人のイメージの優位性をキリコなりに宣言したようなものだという理解を私はしてみたい。
 個々の絵画に描かれたさまざまなもの、たとえば魚の黒い影やトランプのカード、ビスケット等々の品々は画家個人にとっては切実なあるイメージを内包しているのであろう。しかしそれがなんであるかは提示されていない。絵画の伝統からも表面上は切り離されている。もっとも「魚」「黒い長い影」等々というものから喚起されるイメージは絵画の伝統とは違った意味で存在する。神話や宗教上の伝統イメージと、そこから一定の距離を置いた生活感に根ざしたイメージ、そして画家個人の持つイメードとの微妙な関係が作品鑑賞の基礎である、との認識は手放してはならない。
 また室内にあるはずの家具に囲まれながら、海や崖などの背景として描かれる。別々の時間と空間を同在させている。これは異時同在という古い絵画のあり方の画家独特の再生であるようだ。
 地面と建物の配置がゆがんだり、過去の物語を背負って存在する現在の人間はマネキン・ロボットの様に表情があらかじめ喪失していることによって、鑑賞者にさまざまなイメージを想像することを迫ってもいるようだ。
 さらに一連の「馬」を描いた作品がある。馬の躍動感に感心していると突如、馬であるのか、人間の肢体であるのかわからなくなるような馬が登場してくる。思わずケンタウロスのような馬を思い立ったが首から頭は馬のまゝである。滑稽味を添えたのだろうか。もっと別の意図があるのか。わからなかった。古代の風景から鑑賞者のいる現代に突如現れた馬、そこには二千年を超える時間を背負った重みがあるのだろうが、そこに託した画家の思いは私には謎である。
 見方によってはさまざまな仕掛けをしながら、キリコという画家は結構絵の背後で鑑賞者の表情を覗き込みながら、楽しんでいるのかもしれない。あるいは部屋の片隅で鑑賞者や同業者、批評者の反応をニャッと笑っている画家がいる。

 ギリシャ風の建物、真ん中に穴の空いたギリシャ建築独特の石の柱を横に切ったもの、樹木の無い山、これらは多分古代の時間、神話の時間に鑑賞者を誘う素材として描かれている。しかしそれ以外のものがどのような仕掛けをもって描かれているのかは解説でもなかなかわからない。解説にもわからないということが記されている。
 わかりにくいといえば、1970年代以降の最晩年の一連の作品は時事的な問題を取り上げているらしい。ジャン・コクトーの作品なども読まないと理解できないものもあるようだ。黄色と黒の太陽、プールに立つ裸身の男、ボートを漕ぐ男、バイオリン属の弦楽器にあるf字孔を思われる形態、馬‥。これらは古代ギリシャと近世イタリアをどこか彷彿とさせるイメージでもあり、現代の時事的な問題とを結ぶものでもあるようだ。90歳にという高齢で亡くなった画家の時代への飽くなき感心も垣間見せてくれてはいるが、理解できない。しかし理解したみたいという欲求を掻き立ててくれる作品であることもまた事実である。

 ここまで記述してみて、まだまだ考えたいものがいくつかある。答えは出ていない。それは私が画面から受け取る「孤独」の影、そして画家のアイデンティティーとは何だったのか、フジタはアイデンティティーの獲得については残念ながら政治という陥穽にはまってしまって大きな挫折というか復讐を受けた。キリコはどうだったのか。

 展示の最後の方で「城への帰還」という絵が掲げられている。私はこの作品が一番気に入った。馬と騎士は黒。背景の城と、馬と騎士が渡っている橋は灰色。このモノクロームの絵の右上に鮮やかな黄色の三日月が印象的である。馬と騎士の様は図録の解説文で想像してほしい。
 「馬に乗ったひとりの騎士が城へ帰ろうとしている。。なぜか馬と騎士は、紙の切り抜きというか影というか全く奥行きがなくギザギザしている。ギザギザしていて黒一色であることから、やみから出てきたような怖い印象も与えられるが、幻の世界でひとりきりで過ごしているような悲しい印象も感じられる。」
 私はドン・キホーテを思い浮かべたが、長い槍も持っていないし、サンチョ・パンサがいない。さらに私はこの絵にもとてつもない画家の孤独の影を連想した。帰還しようとする城はギリシャ風ではなく、中世ヨーロッパ風の尖塔の並ぶ城である。イタリアかドイツ・フランスか、特定できない。生まれたギリシャではなくギリシャが辺境となったヨーロッパの土地が帰ろうとする城の暗示なのだろうか。騎士も古代ギリシャの戦士ではない。
 この絵を解くことが私のキリコ理解の大きな入口のような気がした。

 なお汐留ミュージアムは会場としては狭い。ジョルジュ・ルオーのコレクションが有名で私もよく行く。収蔵しているルオーの作品にはいい広さである。また二川幸夫の写真展、南部鉄器の展示などではこのスペースを実にうまく使っていると感心した。しかしキリコの展示には狭いと感じた。内覧会という少ない人数ならまだしも、大きな作品はもう少し距離を取ってみたかった。贅沢をいえばきりがないのは理解しているが、ちょっと残念な気もした。混雑したら見づらいと思う。早目に行くことをお勧めしたい。


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