Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

牽牛・織女伝説と大伴家持の歌

2017年07月07日 23時25分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜市域には雷注意報は発令されていない。しかし夜になって遠雷の音が長く低い音で絶え間なく響いてくる。
 どこらへんで鳴っているのだろうか。これでけひんばんに続くということならば雷注意報が発令されてもおかしくないのだが‥。最初、この音は何なのか不思議な気分であった。サッカー場の歓声や応援の鳴り物の音ではない。確かに雷の音のような気がする。

 22時半を過ぎてからこの音が弱くなったが、ときどきはする。

 空は小望月、満月の前の待宵月である。天の川は認識できないものの、七夕の星である牽牛(アルタイル、わし座)・織女(ベガ、こと座)星もよく見えている。ところどころ雲が浮かんでいて月を見るにはいい夜である。

★かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
大伴家持 (新古今集・冬・620)
 百人一首である。
 「かささぎの渡せる端」:天の川のこと。中国の七夕伝説では、織姫と彦星を七夕の日に逢わせるため、たくさんのかささぎが翼を連ねて橋を作ったとされる。
 「おく霜の 白きを見れば」:「霜」はここでは天上に散らばる星のたとえ。
 この冬の歌から七夕伝説を思い浮かべるのは現代のわれわれにはなかなか難しい。家持の歌とされているが、後世に家持作とされた歌といわれる。

★織女(たなばた)し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ちわたる
大伴家持(万葉集巻7・3900)
 「織女(たなばた)が舟で乗りだしたようだ。鏡のように清い月夜に、雲が立ち渡っている。雲が織女の乗った船の水しぶきのようだ。」といったところか。20歳くらいのときの家持の歌。内舎人として出仕したころの若々しい歌。
 七夕の歌は宴会歌が多い中で、ひとりで天の川を仰いで作った歌ということになっている。「哀愁を讃えた抒情歌」の家持と称されるが、そんな側面が窺われる作品である。


「熱中症予防」と「振り込め詐欺防止チラシ」

2017年07月07日 21時29分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は最高気温が31℃となり、かなり暑かった。

 この暑い中を退職者会のホームページ用に「熱中症」と「振り込め詐欺防止用チラシ」を探して着た前者は市の施設に環境省の作成したものが置いてあった。これはなかなかわかりやすい。これはコンビニでスキャンして画像データとして取り込んだ。
 後者は15時を過ぎていたこともあり、銀行・郵便局のATMコーナーを5か所ほど探してみた。郵便局では職員に探してもらったが、警察がつくった貧弱なチラシしか置いていない。銀行では、それぞれの銀行名が入り、その銀行の相談窓口の連絡先が記入してある。残念ながらこれでは、普遍性がないので、退職者会のホームページに利用できるものではない。全国銀行協会なり、政府なり自治体ようなわかりやすいものが置いてなかった。
 後者の振り込め詐欺防止用のチラシをネットで検索したところ、全国銀行協会のホームページにはチラシがあり、ダウンロードできるようになっていた。高齢者を対象としたチラシであることを考えると、ネット上に置いておくのではなく、各金融機関の窓口やATMの近くに置いておくべきものと思われる。むろんそれだけではなく各種講習会や老人クラブ、町内会等で活用はされているのかもしれないが、窓口に置くことも有効ではないのかな、と素人なりに感じた。
 われわれのホームページだけでは伝わらないので、会としては隔月刊の新聞や、コピーをして郵送などの手立てを講じた方が良いと思われる。

 今晩はこの2種類のチラシをアップしておこう。熱中症も、振り込め詐欺も退職者会の会員にとっては他人事ではない切実な課題でもある。

幣原喜重郎と「戦争放棄条項」

2017年07月07日 11時39分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 一昨日に手に入れたパンフレットが「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(昭和39年2月 平野三郎記)というもの。発行は「憲法調査会事務局」。
 憲法調査会についてはwikiによると、

両議院
国会の各議院の憲法調査会は、国会法の一部改正により2000年(平成12年)1月20日(第147回国会(常会)召集日)に衆議院と参議院に個別に設置された委員会的組織(それぞれの名称は「衆議院憲法調査会」、「参議院憲法調査会」)である。
国会法の一部改正により2007年(平成19年)8月7日に両議院に後継組織として憲法審査会が設置されたことに伴い廃止された。

内閣
内閣の憲法調査会は、憲法調査会法の規定に基づき1956年(昭和31年)6月11日に内閣に設置された委員会的機関である。構成は委員総数50人以内(うち国会議員30人以内、学識経験者20人以内)で、委員間の互選により会長1人、副会長2人が選出された。他に必要に応じ専門委員を増置するほか、常設の事務局が庶務を処理した。1964年(昭和39年)7月3日に内閣と国会へ「憲法調査会報告書」を提出し実質的な活動を終え、1965年(昭和40年)6月3日に廃止された。


 この記述から類推すると、このパンプレットは後者のすでに廃止された「内閣の憲法調査会」の事務局の発行のように思える。

 これパンフレットは、なかなかすごい。友人と読み合わせをしようかと思っている。

第9条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 この第9条が、決してマッカーサーのによる「押し付け」ではないことも含め、成立した状況の一端がわかるようになっている。