横浜市域には雷注意報は発令されていない。しかし夜になって遠雷の音が長く低い音で絶え間なく響いてくる。
どこらへんで鳴っているのだろうか。これでけひんばんに続くということならば雷注意報が発令されてもおかしくないのだが‥。最初、この音は何なのか不思議な気分であった。サッカー場の歓声や応援の鳴り物の音ではない。確かに雷の音のような気がする。
22時半を過ぎてからこの音が弱くなったが、ときどきはする。
空は小望月、満月の前の待宵月である。天の川は認識できないものの、七夕の星である牽牛(アルタイル、わし座)・織女(ベガ、こと座)星もよく見えている。ところどころ雲が浮かんでいて月を見るにはいい夜である。
★かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
大伴家持 (新古今集・冬・620)
百人一首である。
「かささぎの渡せる端」:天の川のこと。中国の七夕伝説では、織姫と彦星を七夕の日に逢わせるため、たくさんのかささぎが翼を連ねて橋を作ったとされる。
「おく霜の 白きを見れば」:「霜」はここでは天上に散らばる星のたとえ。
この冬の歌から七夕伝説を思い浮かべるのは現代のわれわれにはなかなか難しい。家持の歌とされているが、後世に家持作とされた歌といわれる。
★織女(たなばた)し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ちわたる
大伴家持(万葉集巻7・3900)
「織女(たなばた)が舟で乗りだしたようだ。鏡のように清い月夜に、雲が立ち渡っている。雲が織女の乗った船の水しぶきのようだ。」といったところか。20歳くらいのときの家持の歌。内舎人として出仕したころの若々しい歌。
七夕の歌は宴会歌が多い中で、ひとりで天の川を仰いで作った歌ということになっている。「哀愁を讃えた抒情歌」の家持と称されるが、そんな側面が窺われる作品である。
どこらへんで鳴っているのだろうか。これでけひんばんに続くということならば雷注意報が発令されてもおかしくないのだが‥。最初、この音は何なのか不思議な気分であった。サッカー場の歓声や応援の鳴り物の音ではない。確かに雷の音のような気がする。
22時半を過ぎてからこの音が弱くなったが、ときどきはする。
空は小望月、満月の前の待宵月である。天の川は認識できないものの、七夕の星である牽牛(アルタイル、わし座)・織女(ベガ、こと座)星もよく見えている。ところどころ雲が浮かんでいて月を見るにはいい夜である。
★かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
大伴家持 (新古今集・冬・620)
百人一首である。
「かささぎの渡せる端」:天の川のこと。中国の七夕伝説では、織姫と彦星を七夕の日に逢わせるため、たくさんのかささぎが翼を連ねて橋を作ったとされる。
「おく霜の 白きを見れば」:「霜」はここでは天上に散らばる星のたとえ。
この冬の歌から七夕伝説を思い浮かべるのは現代のわれわれにはなかなか難しい。家持の歌とされているが、後世に家持作とされた歌といわれる。
★織女(たなばた)し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ちわたる
大伴家持(万葉集巻7・3900)
「織女(たなばた)が舟で乗りだしたようだ。鏡のように清い月夜に、雲が立ち渡っている。雲が織女の乗った船の水しぶきのようだ。」といったところか。20歳くらいのときの家持の歌。内舎人として出仕したころの若々しい歌。
七夕の歌は宴会歌が多い中で、ひとりで天の川を仰いで作った歌ということになっている。「哀愁を讃えた抒情歌」の家持と称されるが、そんな側面が窺われる作品である。