Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

梅雨に入る

2017年06月15日 23時12分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明後日の会議のための資料作りはようやく8割ほど終了。明日の午前中にどうやら終了できそうである。

★大寺のうしろ明るき梅雨入りかな    前田普羅
★世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る     高野素十
★水郷の水の暗さも梅雨に入る      井沢正江
★樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ   日野草城

 第1句、俳句では「梅雨入り」を「ついり」と読ませることもある。私はあまり「俳句ならではの読み方」というのはどうも好きになれないのだが、しかし使い慣れると不思議に使ってしまう。
 前田普羅(1884~1954)と日野草城(1901~1956)はいつかきちんと読んでみたいと思っている俳人である。どうして惹かれるのかも含めてまだまだ私の頭の中は曖昧模糊としている。

 これから久しぶりに夜のウォーキングへ。

なかなかはかどらない作業‥

2017年06月15日 18時00分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から管理組合の会議に合わせた資料作りであたふた。馴れないために全体の流れ、構造が飲み込めないので、会議のレジュメづくりにも時間がかかる。あと3カ月ほど繰り返さないとテキパキとは作れないような気がする。

 さすがに気分転換をしないとまずいと思い、ブログに旅行中に訪れた長野県美術館で開催していた「花はらくフランス風景画展」のチラシと展示目録とごくごく簡単な感想をつくり終えてから、午後2時過ぎに妻の買い物に同行した。
 旅行中はゆっくり歩いたので、ほとんど歩数はカウントしなかった。いつものとおりの速さで歩くと、実に気持ちがいい。新幹線や電車に長時間座りっぱなしの上に、ゆっくりと歩数計がカウントしない程度の歩き方というのは、体力は使わないが意外と疲れる。普段の体の動かし方とはまったく違うのが、実感できる。温泉旅行では、温めのお風呂で少し汗を流すことで、新陳代謝を少しでも活発にしないといけない。
 4日ぶりに横浜駅までの往復をしたら、気持ちよく汗をかくことが出来た。それでもまた1万歩には届かないので、夜のウォーキングをしてみたい。

 会議のレジュメを夜にかけて再び作る作業である。明日の午前中には仕上げたいものである。退職者会の友人からは国会周辺で待っているとの誘いが来ているが、こちらを片付けなくてはいけないので、イライラも募ってきた。
 地方行政に携わってきたものとしては、政権中枢からこれほど「行政の公平・公正・中立」がないがしろにされ、それも開き直るようにして情報を公開しないということがまかり通るというのが、理解できない。国会議員をはじめ、地方議員に至るまで、この基本が理解できていない人間が「政治」に携わっている現状はどう考えても、行政の根幹を曲げている。国民にとっては不幸極まりない。
 もうひとつおそろしいことは貧富・格差の拡大がますます進行していることと、その底辺の人々への手立てが行政責任としておろそかにされていること。
 もうひとつは、政治家を筆頭にして、ものを考えることを停止していると思われること、考えようとしないこと、人と会話をしながら自分も変っていくということを拒否していること。知識を得ようとしないばかりか、考えることをしないということに恥ずかしさを感じないということを強く感じる。そして他人に対して実に攻撃的であることをたしなめることをしない風潮になっている。他人を攻撃することが自己の存在根拠として当然という風潮がとても気になる。

 先の見えない作業をしていると、こんなイライラがますます募ってくる。

「花ひらくフランス風景画展」

2017年06月15日 13時46分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 長野県信濃美術館の休館前の展覧会「花ひらくフランス風景画」展を6月13日に見ることが出来た。
 宗教画や神話画の背景として描かれた風景が、風景画として確立していく過程を追って展示されている。
 宗教画として描かれたフランチェスコ・クリマルディの「聖ペテロと漁夫のいる風景」などの作品は見たことがあるが、あらためてじっくりと見ることが出来た。
 17世紀のロイスダール、18世紀のターナー、19世紀のクールベ、バルビゾン派のミレー、コロー、ドービニー、トロワイヨンなどの作品を年代順に見ることもできた。
 印象派のブータン、ピサロのほかシスレー、モネもあり多彩であった。
 これだけの作品をまとめて見る機会はなかったような気がする。

 隣にある東山魁夷館はすでに休館となっており、入ることは出来なかった。