Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

やはり十三夜の月はさっぱり見えない

2016年10月13日 23時07分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の最高気温は13時前の19℃とほぼ予報どおり。さすがに半袖では寒いので長袖にした。久しぶりの長袖、二の腕に布地があたり少し煩わしかったが、やむをえなかった。歩いているうちに少し暖かくなり、袖を肘近くまで上げていた。ズボンは今週から長ズボンを履いている。
 明日は太陽が顔を出す予報だが、果たして予報どおりになるであろうか。しかし日が当たるにもかかわらず最高気温の予報は20℃と本日とあまり変わらない。

 明日は六本木にあるサントリー美術館に鈴木其一展の後期展示を見に行きたい。
 他にもいきたい美術館はある。たとえば国立新美術館の「ダリ」展。同じ六本木である。しかし其一展だけで頭は飽和状態になると思われる。体力的にもきつい。金銭的にもきつい。


今夜は「十三夜」

2016年10月13日 19時05分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 今夜は「十三夜」。だいたいの形は写真のような形である。中秋の名月を「芋名月というのに対し、旧暦九月十三夜の月を豆名月あるいは栗名月と称した。作物の収穫時期が芋より豆・栗の方が遅いということか、あるいは栗・豆の形に由来するのか、わからない。中秋の名月は中国の風習を取り入れたものだが、十三夜は日本の風習といい、「後の月見」という。
 農事に関する風習が宮廷行事に取り入れられたのであろうというのが、私の推論。
 豆や栗などを供えて祀る。豆は団#では枝豆を使うようだ。私の小さい頃はそのようなことはしなかったし、今もそのようなことをしているのを見聞したことはない。
 私も名月の時に、芒を花瓶に活けたり、上新粉を練って作った団子を食べさせてもらった記憶しかない。
 「十五夜の月と十三夜の月はどちらも月見しないと片月見といって、良くない」という人が今でもいる。これは東京(江戸近郊)だけの話であるらしい。しかも江戸時代の吉原の客寄せのために考案したもののようだ。両日ともに登楼させて散財させるという魂胆で流行らせたといわれる。あたかも「奈良時代から続く日本の伝統」と誇らしげに講釈を垂れる人がいるが、恥ずかしいこと限りない。
 どういうわけか、今年の十三夜は本日10月13日。ちなみに来年は11月1日、2018年は10月21日、以下略。
 俳句では、後の月、十三夜、名残の月、豆名月、栗名月が季語として使われる。「華やかな名月」とは対照的に「もの寂し趣き」と規定されるが、言葉の規定力が強すぎるのもまた考えものではある。
 月を見る機会が多くなるのは、嬉しいことだ。満月、十三夜もろもろ月に関する言葉がある。それらが、夜空、月、星を見るきっかけになるのは私には好ましいことに思える。現代の都市生活は、夜空が意識の上から消えている。

 残念ながら、横浜では空はどんよりと厚い雲に覆われている。これでは雲の向こうに月のほのかな明るさすら感じることはなさそうである。

★祀ることなくて澄みけり十三夜     川崎典宏
★失いしことに指折る十三夜       川嶋隆史


本日からはじまった講座「心で感じる名画」

2016年10月13日 16時01分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日からはじまった講座は、「心で感じる名画」(講師:中村宏美美術Academy&School専任講師&アートナビゲーター)。
 第1回の本日は「音が聴こえる絵画」と題して、15世紀のマサッチオの「楽園追放」(1425-28)から20世紀絵画のパウル・クレー「鳥」(1932)まで。日本の絵画では14世紀前半の「阿弥陀如来来迎図」から会田誠の「紐育空爆之図」(1966)まで、「音が聴こえてくる」をキーワードにした2時間の講座。
 次回は「味覚や香りを伝える絵画」と題した講座。

 毎年後期に5回のシリーズで開講しているが、いつも10人くらいだった。今回は14人と少し多め。このくらいの人数が私にはちょうどいい。