Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は房総半島へ日帰りバス旅行

2015年02月24日 21時55分05秒 | 読書
 明日は退職者会のイベントで日帰りバス旅行。横浜駅に7時集合で社内での飲み物の買い出しを行う。出発は横浜駅前を7時30分。
 「早春の房総半島散策」と銘打って行先は勝浦・鴨川等々。退職者で鴨川市の公認観光ガイドの資格を取得された方がいる。その方が現地で案内をしてくれるという。
 44名の申し込みがあり、バス1台を仕立てることが出来た。私の仕事は買い出しとカメラマン。

 年に2回の旅行の企画で、1回は宿泊を伴い「世界遺産を巡る旅」で今年度は平泉と東北の被災地を訪問した。1回は日帰り旅行で今年はこの房総半島になった。

 個人的にはバスに乗りずくめの旅行というのは性分ではないが、大勢でワイワイガヤガヤと行く分には便利ではある。
 さいわい天気は悪くはなさそうである。

神奈川県立歴史博物館「陸にあがった海軍」

2015年02月24日 20時48分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は関内の馬車道にある神奈川県立歴史博物館で開催されている「陸に上がった海軍」展を見てきた。終戦間際に横浜の日吉の現在もある慶応大学の敷地内を中心に作られた旧日本海軍の大規模な地下司令部等の跡が現存している。神風特攻隊の出撃命令や、片道切符で沖縄戦に赴こうとした戦艦大和の出撃命令がここの地下壕から発せられたいたという。
 存在そのものは昔から知られたいたものの、具体的な展示などの公開は今回か初めてだと思う。3月2日には現地で見学会が開催され、私も参加を申し込んでいる。その前段の予習を兼ねて訪れたみた。
 展示では、この地下壕のコンクリートが現在の基準をはるかに超えて極めて頑丈にできていることなどもコンクリートコアの採取などにより証明されている。無償の勤労奉仕などによりつくられたこれらの地下壕は、都市への無差別爆撃で当時の国民を救うことなどまったくなかった。しかも地下壕の中へは、無線の傍受により特攻隊の無惨な「戦果」や「大和」の撃沈による大量の犠牲、都市への無差別爆撃・大量破壊の模様が伝えられていたのである。
 外交交渉という手段を一切放棄したかのような当時の政治指導部のために、戦争をやめる機会を逸したまま、大量の兵士の生命を失ったばかりか、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦ややはり非戦闘員の大量死へ至った都市への無差別爆撃を招き、広島・長崎の原爆という犠牲をもたらした当時の政府・軍部の責任を、70年経った現在、免罪しようとすらしている風潮がある。
 このような戦跡をどのように保存し、伝えていくか、大きな課題として浮上している。