Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ライトアップへの違和感

2014年11月11日 20時19分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 横浜のみなとみらい地区のマークイズ前グランモール公園「美術の広場」ケヤキ並木がライトアップされた。来年の3月15日まで16時から24時までという長期間である。
 本日講座の帰り際に点灯していた。確かに見た目はきれいである。徹底して人工的な街に人工的な装飾、しかも明るい明かりは人気を博しているようである。ランドマークタワーのある風景とはマッチするかもしれない。

 しかし私はちょっと違和感がある。やはり空は星が見えるように暗くなくてはいけない。月が映えなくてはいけない。そこの情緒を私は大切にしたい。樹木に悪影響があるとの立論もある。ここまで人工的な街である以上樹木も植生もそれはあくまでも人工的な構造物であれば、自然を守れという意識では対抗できないとは思う。
 むかし天文ファンであった自分は星空や月を眺めながら感慨にふけって少年時代を過ごした。星を見ながら神話の世界に浸るも嬉しいし、星や月を眺めながらひとりでもの思いにふけった自分はとてもいとおしくもあり、大人への階段を登るための大事な時間であったと思っている。
 今の子供にそれを強要できないとは思うし、人工的な街だからそのように自分を顧みる回路が無いとは言えないことも知っている。
 しかし無限大の時間と空間を前にした自然に対する畏怖の感情は、人工的な街の中で培われるのか、というと答えは否定的にならざるを得ない。
みなとみらい地区は人工の町である。しかしここを明るく照らすということは、かなり広範囲に強い光を強要することになる。郊外でもすでにランドマークタワーの明かりは眩し過ぎる。16時から24時、それも来年3月15日までの4が月ものライトアップ。そこまでする必要があるだろうか。
 電気の無駄使いと云っているのではない。人工的であることをそこまで徹底するということは、生き方の強要でもあるということを思い至ってほしいと思う。人の生き方に対する社会の干渉・強要が強すぎないか?公共性という名の強制が強まっていないだろうか。
 ライトアップの個所もあまりに多過ぎないか。人集めの安易な手段に思ってしまうのは私だけだろうか。
 せめて期間と時間でもっと短縮できないものだろうか。

新潟県南部の紅葉を満喫

2014年11月11日 13時32分59秒 | 山行・旅行・散策
 まずは赤倉温泉の旅館から妙高山方面を見ると特徴のある山容が雨模様の空にそびえているが、山の名は残念?



 旅館の玄関前で慌ただしく一枚。


 苗名滝は日本の滝100選のひとつという。この奥に妙高山の登山口笹ヶ峰のはず。ここの標高ではもう紅葉は終わりの時期。初冬の様相。小林一茶の句碑もあるが、いつの頃のものかは不明。
                     

 君の井酒造ではお酒に目がくらんで写真は撮り忘れた。
 林泉寺では紅葉が見ごろ。ここに残るもっとも古い門、鐘楼、本堂までは歩いたが、上杉謙信の墓までは行けなかった。
            

 昼食会場で、ツワブキに蝶が数匹盛んに飛び回っていた。


 松運山荘も見事な紅葉。入口付近を散策するにとどめた。
      

 原酒造は「越の誉」のブランド名で有名。入口の直径1.4mの杉玉にビックリ。中越地震で倒壊した蔵を立て直し、現代風の建物に明るい工場内が印象的。ここでも試飲に舌鼓で2本購入。


 寺泊の市場では若干の干物等を購入した。生ものはクーラーもないので断念。
 彌彦神社には16時近くになっていた。ちょうど菊まつりが行われていたが、規模の大きさ、出品点数の多さに驚いた。また菊の「彌彦作り」というのは、伊勢菊、肥後菊、嵯峨菊3種を三段に作るもので初めて目にした。
 神馬は全身像を撮りたかったが、格子状の建物で残念ながらこの程度しか撮影できない。本殿の中ど提灯を大量に吊るしているのは初めて見た。
 だいぶ暗くなってしまっていた。名物という玉兎という菓子を購入。
                  

 すぐ近くのもみじ谷はその名のとおり見事な紅葉の庭園。これはもっと陽の高いうちに来たかった。
            

 たった三人のツアーを乗せて回ってくれた運転手さんとガイドさんに心から感謝であった。

 18時過ぎに燕三条駅に着いた時はすでに真っ暗。駅の周囲は飲食店はほとんどなく、チェーン店で夕食を済ませた。