Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

燕岳山行

2013年07月20日 18時52分12秒 | 山行・旅行・散策
 合戦尾根を登ったのはいつだったか。写真が残っていないのだが、この自分のブログの記事で探すと2011年8月5日から2泊3日であった。そのときは2泊目目は常念岳を越えて蝶ヶ岳ヒュッテ。3日目に下山している。
 今回は妻と共に靴の足慣らしを兼ねて、合戦尾根の往復をすることにした。穂高駅まで中央線の特急でおもむき、バスで中房温泉登山口のひとつ手前の有明荘を予約した。ここまで来るのに新しい靴で擦れて困ったことは先ほどアップした記事に記載済み。
 穂高駅でバスまで1時間余。駅前の蕎麦屋で昼食後、まだ時間があるので見渡すと近くに「碌山美術館」の看板。碌山とは、ようやく思い出したが彫刻家の萩原守衛のことである。いい機会と思いそこまで歩いたが実質見る時間は10分も無いし、700円とということで妻の×印も出たし、さらに彫刻は鑑賞力も無いということで断念とあいなった。

   

         

 宿についた頃には雲も低く山が隠れていた。夜中過ぎには土砂降りの雨となり、朝になっても雨があがらない場合は、山行は中止と決めていた。しかし晴れ女である妻の霊験あらたか、私の雨男ジンクスよりは強烈のようだ。出発予定を大きく過ぎていたが、8時前には晴れ上がっていた。



 中房温泉の登山口までは500メートル。ここからコースタイムで4時間、ひたすら急登を登ることになる。登山口の公衆便所前で靴の点検、荷物の点検をして、今回はちょうど8時に登山口を出発した。

         

 登山道からすぐに、樹林帯の中の日の当たらない急登が始まるが、すぐになだらかな道となり、第1ベンチはすぐ。ここは水場であるが、給水が必要な状況ではないのでそのまま通過。急登が再開し、第2ベンチ付近で道は合戦小屋の荷揚げケーブルと交差する。第3ベンチも快調に過ぎ、4番目の富士見ベンチからは名前のとおり富士山が遠くに見えるはず。ちょっと見にくいのだが、富士見ベンチの標識を正面に見る位置にベンチがしつらえてあり、ここから遠くに見えることになっているが、登りの初日は残念ながら見ることは出来なかった。しかしこの方向に樹林が切れてほっと一息入れたくなる場所でもある。

         

 合戦小屋は宿泊は出来ないが、うどんとスイカ一切れ800円が飛ぶように売れていた。屋根付のテーブル・椅子席もあるが、日当たりが良ければ外のテーブルが明るくていい。合戦尾根の名称の由来板は見ているうちに眠くなるほど天気がよくなって来た。
 この合戦小屋を過ぎるとすぐに樹木の背の高さが低くなり、樹の密度もまばらになってくる。白樺・岳樺の幹も細くなり、青空が美しい。登っていくと突然のように尾根というより稜線上に飛び出る。行く手に燕岳、燕山荘がのしかかるように迫ってくる。これに圧倒されて登る意欲がなくなるか、逆に登る力が湧いて来るか、山に慣れているかどうかの分かれ道かもしれない。
 稜線の左側には大天井岳から槍ヶ岳への東鎌尾根、槍ヶ岳から穂高岳への稜線が手に取るように見えた。特にこの日は薄い雲が頂上を掠めるように次から次に動いていくので遠近感が強調されて見ることができた。燕岳の右手には東餓鬼岳のある尾根が迫っていた。

                        

 ちょうど白い小ぶりの開花し始めたシャクナゲ(ハクサンシャクナゲかな?)の花とハイマツの美しい緑と赤い花が美しかった。ここら辺から高山植物が一挙に目につくようになる。ハイマツとシャクナゲは混成しているのにあらためて気付いた。
 同時に白樺も岳樺も一層矮性化が進み、根が直角に曲がり何ともいえず情けなくなってくる。
 小屋を目指して最後の急登・急階段はなかなか厳しい。妻も大分足が遅くなってしまったが、何とか登り詰めることが出来た。
 13時半に小屋に到着。実質4時間の歩行時間、昼食時間と休憩を入れて5時間半。妻同伴であるので、充分満足の行く時間で登ることが出来た。

 一昨年訪れたとき、この道は燕山荘のテント場に上り詰める。しかし今回はこの夏道が大きく雪田に遮られているということで、小屋の裏手に出るようになっていた。ちょっと勝手が違っていてびっくり。



 小屋についてみると確かにテント場では雪を掻いてテント場の確保に職員が奮闘していた。
 小屋で宿泊の手続きをして、部屋で荷物を整理の上、燕岳をめざして出発したのが14時15分。


         

 燕岳は風化した花崗岩がそそり立つ独特の景観を持っている。斜めに立っている多くの岩槐をいろいろな物に見立てて名前を付けている。イルカに見立てたものもある。この日は天候は再び悪く変わり始め、風が強く歩くのがつらかった。しかし斜面のザレ場にコマクサがしがみつくように弱々しく、しかし大量に点在しており、妻はいたく感激していた。
 頂上からの景色は残念ながら雲が2700メートル位の線でかかっていて眺望は今ひとつ。しかし穂高から笠が岳、黒部、鷲羽、水晶岳方面の斜面とそこに残る雪渓の迫力は満喫できた。
 天候が急激に悪くなり、雲が黒く低く垂れ込めてきたため、早々に頂上から小屋に戻った。その頃には少し雨も落ちてきた。

まだ夏休み前ということで、混雑もそれほどではなかったがそれでも夕食は2回に分けてとった。私などの頃とはちがうようで、「夏休み前」ということで、中学か高校生の集団(といっても5~6人単位)で4組ほど。自炊でもなかったし、サークルの合宿なのかどうか見当もつかない。

 夜中からは天候は急激に回復、満天の星空はすばらしかった。0時の星空、夏の大三角(こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ)、天の川、大熊・小熊・カシオペアなど一挙に目に飛び込んでくる。ちょうど月が西空に沈む頃でこれも美しかった。合羽は着たが寒くて10分ほどで退散。妻は3時ごろにも目を覚まし再度星空を見に出たとのこと。



 日の出は4時40分頃ということで、ちょうど部屋の窓から望めるので楽をして窓越しに1枚。
 この頃は雲ひとつなく、雲海も厚く日の出を見るにはコンディション抜群であったが、朝に弱い私はまだ眠かった。

               

 朝食後外に出て、八ヶ岳の向こうには国師岳まで見えた。さらに南に富士山、富士山の右手には甲斐駒ケ岳、左へ北沢峠を経て仙丈ケ岳、仙塩尾根、白根三山、塩見岳と続く南アルプスの眺望。
 北アルプスも南の蝶ヶ岳から、穂高岳から槍ヶ岳までの稜線、笠が岳から黒部五郎岳、鷲羽・水晶から立山、針ノ木から鹿島槍、そして朝日岳の三角形の山容まで充分に見渡すことが出来た。五竜・白馬はちょっと見分けがつかなかった。手前には餓鬼岳・東沢岳の異様な山塊もある。これだけの眺望はまず見られない雄大なものであった。

 小屋から表銀座を30分ほど大下りの頭方面に散策。ゲイロ岩といわれる場所まで行き、景色とコマクサの群落を楽しんだ後、小屋に戻った頃には朝の寒さも和らいできた。
 8時過ぎに小屋を出発、昨日と同じ合戦尾根をひたすら下山した。



 途中富士見ベンチで富士山が見えることを確認、第1ベンチ脇に道祖神を発見して妻はご満悦。
 10時50分に中房温泉にたどり着いた。
 有明荘にもどれば立ち寄り入浴料が無料になるかもしれない、という妻の言葉と、まだ入ったことの無い中房温泉がいいという私の意見、結局は無料という現実的な誘惑の意見を採用して再び有明荘に。入浴と昼食と昼寝とお酒(ワイン)で至福の3時間半を過ごし、再びバスで穂高駅まで。
 新宿まで直通の一日1本だけのあずさ26号に偶然乗ることができた。横浜の自宅に戻ったのが19時。

 入らなかった中房温泉のパンフレットを掲載しておく。もしまた行く機会があれば入浴したいものである。

   


ミンミンゼミと登山靴

2013年07月20日 13時43分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩横浜に戻り、住んでいる団地の敷地に足を踏み入れたら、かすかに秋の虫の声が聞こえた。蝉の短い声を1回聴いただけで、もう虫の声がする季節に飛んでしまったのかと耳を疑ったが、間違いがなかった。
 ススキや夾竹桃の根っこの雑草のあたりから聞こえてきた。不思議に思いながら、帰宅してリュックの中から汚れ物を取り出し、若干の後片付けをして夕食をとり、それ以上は外の気配に耳を傾けることなく寝てしまった。
 朝、今度は蝉の声で目を覚ました。ミンミンゼミが盛んに鳴いている。何かホッとした気分になった。しかし今年は蝉の発生数は少ないのかもしれない。
 ミンミンゼミは寿命が6~7年で、羽化してから2~3週間で寿命が終わるとのことなので、今から6~7年前の夏も少なかったか、あるいは異常気象で産卵数が少なくなったのかもしれない。あるいは全体に個体数に波のような変化があるのだろうか。そこら辺のことについてはまったくわからない。

 燕岳で撮影した写真を整理していたら、午前中にいかなければならなかったかかりつけの内科に行き忘れた。薬はまだあるからいいのだが、月曜には行かなければならない。




さて、先日購入した登山靴。店で購入するときは左右とも履いて見て、登山道になぞらえた小さな斜面を幾度も上り下りし、店内も2週ほど歩かせてもらった。その上で購入した。
 家を出て、八王子駅で中央線に乗り換えようとするまでは快調に歩いた。ところが次第に右足の外側のくるぶしの上、約7センチほどのところが痛い。靴の一番上部が当たるのだ。
 しかし左足は何とも無い。とても快調で気持ちがいい。くるぶしの上7センチも被る靴は初めて購入した登山靴以来これまで履いてこなかった。30年ぶりくらいにそのような靴を履いて見て、最近の靴はとても履き心地がよくなったと感心していた。左足は確かにぴったりである。歩いていてとても気持ちが良い。痛くないどころか、優しく左足を包んでくれているようで軽快にも感ずる。右足だけ足の形が違うのかと列車の中で足を眺めてみたが、よくわからない。
 列車の中や、宿泊する温泉までのバスの中でいろいろ工夫したが、右足のくるぶしの上部の痛みはだんだんひどくなる。思い切って靴紐を極端にゆるくし、最上部は紐をまわさずに一段下で紐を止めた。
 これではしかし宿のまわりを歩くと靴がぶかぶかで脱げてしまう。今度は踵部分は少しきつめにしてここで一端固結びで止めたあと、その上はごく軽く靴紐をまわす程度に二段だけで紐をまわした。これで何とかいけそうだと判断し、翌日の山行に出かけた。
 当初は多少右足の外側のくるぶしの上部は擦れて痛かったが、次第に何とも無くなった。一時間後には靴が少し脱げそうな感じがしないでもなかったが、翌日下山するまでそれで通すことが出来た。ただし、右足だけ上部がゆるいので砂や泥や枯葉が入る。ショートスパッツが必要であった。
 帰りの列車の中で、左右の足を再びじっくりと観察したところ、右足の外側のくるぶしの上部が少し腫れている。
 この腫れが、この山行で靴が擦れたから出来たものなのか、もともと右足が少し変形しているのか、判断が出来ない。しばらく様子をみて、この腫れの行方を見極めた上で対処方法を考えなくてはいけない。
 腫れが引いてくれて、再度この靴を履いて見て痛くなければそれでいい。痛いならばどうするのか。私としては左足は極めて良い具合なので、左足はこのままで行きたい。右だけ、これまでのようにくるぶしより少し上程度の深さの靴に変えなければならないのだろうか。もしも変形している可能性があるならば、整形外科での診断も視野に入れる必要があるかもしれない。
 ちょっとショックであった。