Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

退職にあたっての挨拶状

2012年05月09日 16時55分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、以下の文面で先輩・友人・知人に一応の区切りとして挨拶状を60通投函した。葉書バージョンでは30通、親族あてに別に15通。あわせて105通の挨拶状となった。


 皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 私はこの3月31日をもちまして、横浜市を定年退職し、横浜市との雇用関係を解消しました。定年退職後の再任用・再雇用の選択も行わないこととしました。何とか37年間、定年まで職務を続けてこられたのは、公私にわたり皆様にいただいたご厚情の賜物と思っております。深く感謝申し上げます。
 37年間、仕事と労働組合との二足の草鞋を履き通すことにこだわり続けました。出先の道路・下水・河川の維持管理を行う職場に事務職として在籍しとおしましたが、最初の16年間は、組合の分会の役員として、そして反主流派としての単組横断的活動も加え、さらに当然仕事も抱え、いつも何かしら20件近い案件を抱え込んでいたと思います。
 24時間365日働きづくめの、昔の流行言葉で言えば企業戦士も足元に及ばない、我ながらびっくりするほどの活動を続けてまいりました。
 行政職が行う運転業務の位置づけを要綱として整理し成文化した発端の闘いは分会役員になる前から職場の組合員とともに当時の分会・支部執行部の統制を飛び越えて運動として突出することができました。そして横浜市全体の要綱へと波及させることができました。職場からの疑問や問題提起を中心に組合役員の当事者能力喪失を乗り越えて、達成できた大きな経験だったと思います。
 また現業職員の合理化・減員攻撃に対してどのように反撃するか、模索を始めました。「現業職員には、仕事を与えない、教えない、必要な器具機材を配備しない」という3無い攻撃に対し、業務・職域の拡大方針を対置することの重要性を認識し、現業の仲間の理解を得ながら準備しました。これには労働安全衛生法上の資格取得・作業長制度の導入などさまざまな法律上の武器を基本から勉強しなおしました。
 仕事も下水道の膨大な公共投資で1年で1万箇所の許認可をこなし、また放置自転車対策事業に最先端で取り組むなど仕事は最も忙しかったと記憶しています。
 次の15年間は組合の非主流派と一体となった自治労系組合の支部三役として、交渉ごと、組織活動の中心を担い続けました。全労連系が圧倒的多数派の領域で現業職場が次々に縮小・廃絶の攻撃をうけ、もろくも敗北していく事態に歯止めをかけ、単組の旗・支部の旗を揚げ続け、踏ん張りきることができたと思っております。
 現業職場の活性化をめざした取り組みは、自治労の全国現業統一闘争の内容深化と、当局に土木現業全廃方針を再検討させるに十分なインパクトを与えたと自負できます。
 仕事も大規模公共投資後の大量の落ち穂拾いである下水道料金の徴収開始業務を行い、一つの区で数千件の徴収開始を行ったことも忘れられません。また出先職場に移管されたものの未整理で膨大な文書の整理も5年かけました。組合役員という立場上、超勤代も代休も満足にもらわずに仕事に追われたことも多くありました。
 この合わせて31年間、災害配備では常に第一線で、雪や台風のたびに区内の道路の確保・下水道の施設管理に徹夜の業務に従事したのが忘れられません。これは都市基盤整備の第一線にいたからこその誇りでもあります。
 最後の6年間は支部長として組合の業務量は半減したものの、心臓をむしり取られるような、非公式な交渉ごとを1人で取り仕切りました。精神的につらかった6年間でもありました。仕事の量は半減していたが‥。

 労働組合としては、現業の自治労といわれ、現業課題については食らいついて離さない交渉スタイルを支部で確保したと思います。初めて組合の役員になった時、「この職場の現業職員は定年まで職があり続けられるだろうか」、と現業の同期に入った仲間に問いかけられ、「私が役員をやっている間は存続させる、だから一緒にやろう」と応えたのを今でも覚えています。結果としてこの間、減員はくらったものの仕事の領域を拡大でき、土木現業は存続しています。この約束を守ることができたのが私の最大の誇りです。
 20代半ばの小生意気な決意表明でしたが、この決意・約束を守るために私は本当に必死でした。現業職場縮小の合理化提案が出るたびにこの約束・決意を思い返してきました。
 災害配備のたびに、そして日常の業務でも、現業の仲間の存在・活用を管理職に嫌われるほど訴え続け、組合の枠を超えて仲間にも現業の存在価値の自覚を促し続けてきました。ある意味では地を這うような組合活動にまい進してきたと思います。

 今思うと、よくこれだけの業務をこなしてきたものだと自分でも思います。いったいいつ睡眠を取っていたのか、とも不思議に思います。17年目の時に狭心症の発作に襲われました。27年目からは大腸の潰瘍に3年悩まされました。身体が悲鳴を上げたのだと思います。

 世の中は決して私の思う方向には向かっていないような気がします。国政は頼りなく、そして方向が見えてきません。それに対する不満を掬い取るような、強権的で勇ましく歯切れの良い、しかし胡散臭い自治体首長の主張が横行しています。どのような国家像を目標とするのかが明らかにされないまま、選挙に勝つことを主眼とした主張・政策が大手を振っています。
 行政への信頼がうすい時代が続いていますが、公務員批判をしさえすればそれでこと足れリとする風潮に対し、自治体行政の側は地道に、一層誠実にかつ胸襟を開いて市民と向き合いつづけることが必要であり、それ以外に方策はないと思われます。また、ためにする公務員批判を前提として末端の地方公務員と対峙する不毛も双方に取り不幸な出口のない対立となることは必然です。

 さて私は、60歳以降の再任用・職の確保には応じませんでした。生活水準の確保より、ぎりぎりの生活でも精神的な落ち着きに心惹かれたからです。60歳の区切りは人生の大きな区切りとしてけじめをつけたかったともいえます。今後職を離れますが、特にこれといった予定は立てていません。妻とつつましくも心持だけは豊かな生活をめざします。これからいかなる生活が待っているやら。楽しみです。
 なお、私のブログがあります。インターネット検索で「Fsの独り言・つぶやき」と検索していただければたどりつけます。日々の生活での感想や、趣味の俳句、エッセイなどをつづっています。お立ち寄りいただき、コメントなど投稿願えれば幸いです。

 これからの皆様のさらなるご活躍とご健勝をお祈りして、退職のご挨拶に代えさせていただきます。