Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

俳句の批評精神

2010年09月04日 17時54分24秒 | 読書
 「みすず9月号」(みすず書房)をパラパラと。巻頭の小沢信男のコラム「賛々語々6負けるまじき」は、俳句の批評精神を生かして相変わらず面白い。
 相撲界の野球賭博についてだが、さてさて、相撲賭博も昔何かの折に聞いたことはあるようだが‥。その胴元は、野球賭博問題にもかかわらず(マスコミは当然相撲賭博があるのは知っているだろうが) どのように身を処しているかのだろうか。隠しているのか、堂々と名古屋場所でも活躍して稼いでいたか。

「 負けるまじき角力を寝ものがたり哉 蕪村

 (前略)
 一番の悪党は胴元ではないですか。‥胴元はさておいて、天下の大関をクビに追い込んだとは、なんという仕打ちだろう。
 (中略)
 新聞やテレビが、よくもあんなに叩きまくれたものだ。‥賭け麻雀のひとつも知らぬげな石部金吉面を、ぬけぬけならべてまぁ。
 ‥天皇杯はともあれ、総理大臣杯のたぐいは向後いっさい無しに賛成です。たとえ白鳳でもそんなに余分は要らないでしょう。

 脱ぎ捨てて角力になりぬ草の上 太祇」

 そう、相撲が好きな人も、天皇「賜杯」や総理大臣杯が見たくて相撲ファンになっている人はいないだろう。この際、「伝統」にすがるでも神事にたよるでもなく、カンムリを捨ててみたらどうだろう。太祇の句のように何もかも「脱ぎ捨てて」相撲協会杯だけで再生したほうがよいのではないだろうか。相撲好きはそんなことには動じない根っからの相撲好きのはずだ。

 暑さひとしおの今日この頃、私の批判精神も怠け癖がついてしまった。