新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

12月25日「今日の礼拝堂」

2016年12月25日 | 今日の礼拝堂

降誕祭 merryChristmas

「今週の祈り:全能の神さま。あなたは世界の贖い主・み子イエスによって、ご自分を顕されました。人の子となられたみ子によって、罪に縛られた私たちを解放してください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

     

 

〇冬休みに入って、間もなくお正月。この礼拝堂ではまず聞いたことのない天使のような歌声の賛美が響きました。子どものぶれのないまっすぐな、そして正確な賛美の歌声で礼拝が守られました。恵み野教会から来てくださる岡田牧師が、途中であわや、交通事故という危険にさらされながら、30分くらい遅れての礼拝でしたが、ニュースを騒がす事故や事件が決して対岸の火ではないことを話してくださり、お守りくださった神さまと、何としても礼拝へと強い祈りをなさっただろう岡田牧師に、本当のクリスマスを教えられた思いでした。

            

〇その子どもたちと、学生さんたちのために「祝福の輪」をつくってくださいました。とても新鮮。とても感動的です。一人一人にお名前をきいて、牧師はその名前で呼びかけて神さまの祝福を与えてくださいます。いつものことながら、この子どもたちの人生に、戦争や争いがないようにと真剣に祈りを合わせます。

 

〇「持ち寄りでクリスマス・ランチ」を楽しんだ後、恒例のピングゲームです。もう数年、ビンゴ係が定着していて、どんどんとリズムよくすすめてくれます。景品は、ひとり300円程度のものを前もってよういしておきます。お正月の福袋のようなワクワク感がたまりません。刺激の少なくなった高齢者たちには、年に一度の楽しみです。

〇降誕祭説教      日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ヨハネによる福音書1:1-14

 

「良い知らせ」

 

クリスマスおめでとうございます。今年も皆さんと共に、私たちの救い主であるイエス・キリストの降誕を祝うことができることを感謝します。今年は、あちこちで痛ましい事件や災害が後を絶ちませんでした。悲しみや嘆きの嗚咽はいまだに止まず、人々の間には不安や動揺や怒りさえ沸き上がっています。しかし、このような暗闇のような世界であっても、私たちをあかあかと照らしてくれるただ一条の光がある−まことの光がある−という良い知らせを、私たちは毎年この季節に聞くことが許されているのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と。

 

聖書で言う「良い知らせ」とは、イエス・キリストが私たちにもたらしてくれた「福音」のことです。それは、言である神の御子が、私たちと同じように肉をまとってこの世界にお生まれになられたからこそ、もたらされたものです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」私たちの救い主が、肉をまとってこの世界に生まれてくださった!人間の罪で覆われたこの暗闇の中に、生まれてくださった!それなしに、私たちの罪で破れたこの世界のただ中に福音がもたされることはなかったし、私たちの罪がゆるされ、あがなわれることもなかったのです。それゆえ、キリストがお生まれになられたこのクリスマスは、毎年のように巡って来る私たちの誕生日とは違って、神が人間に示してくださったもっとも大きな御業なのです。

 

この「良い知らせ」は、それを伝える人がいなければ伝わらないままです。せっかくの宝も、それを土の中に埋めて隠しているだけでは、何の役にも立ちません。ですから、その「良い知らせ」を伝える足となることが、信仰者には求められています。旧約の預言者イザヤも言いました。「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ 皆共に、喜び歌う」。この世の中、他者を悲しませたり、傷つけたり、不愉快にさせてしまう知らせを伝える人はたくさんいます。私も罪人の頭ですから、時としてその一人になってしまうこともあります。しかし、主が私たちに望まれていることは「良い知らせ」を伝える人となることなのです。人を励まし、力づけ、慰め、いたわる「良い知らせ」を伝える人となること。キリストが私たちにもたらしてくださった福音を、伝える足として歩むこと。来年、宣教2世紀を迎える私たちの教会は、そのような群として遣わされて参りましょう。

 

〇2017年1月1日(日) 午前11時  主の命名日

〇司式」岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄

〇礼拝当番:小笠原里子姉

      滝田裕美姉

〇聖書:民数記:6:22-27・ペトロの手紙二1:1-⒒・ルカによる福音書2:21-24

〇讃美歌:49(1,2)・58(1-3)・52(1-4)・49(3-4)・263

〇オープンチャーチは12月28日と1月4日はお休みです。

 

 

 

 


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12月18日「今日の「礼拝堂」

2016年12月18日 | 今日の礼拝堂

待降節第4主日

「主キリストよ。力を奮ってきてください。私たちが祝いの日を迎えるとき、私たちの罪を取り除いて、永遠の喜びに仕えさせてください。あなたは父と聖霊とともにただ一人の神であって、今もまた永遠に生きて治められます。」

 

〇4本目のローソクに光が灯りました。24日にイエスさまのお誕生をお迎えする準備が整いました。牧師と神学生が一つ心で礼拝をつかさどる清々しく厳粛な、大きな恵みが満ち溢れた待降節の最終主日です。

 

〇待降節第4主日説教          野口和音神学生(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書Ⅰ:46-56

「よろこびの歌」

私たちが神様をほめたたえるのはどのような時でしょうか。たとえば、教会に新しい人が招かれた時。洗礼を受けて主の弟子とされた時。私たち自身がそうであった時、あるいは他の誰かが主の救いに導かれたこと、そしてそのために私たち一人ひとりを用いられた時に、その恵みを神様に感謝することでありましょう。マリアはエリサベトと共に、主の救いの御業の内に用いられていることへの喜びを分かち合っています。この二人の喜びは、私たちの喜びと同じものではないでしょうか。主が共におられ、信仰をもってその御業の実現のために用いられていくという幸いの中にいることを祝福する言葉が、聖霊に満たされたエリサベトからマリアに語られます。それに対してその喜びを分かち合い、マリアも神への讃美をしていくのが、今日の福音書の箇所、「マリアの賛歌」と呼ばれる箇所であります。

「わたしは主のはしためです」というマリアの有名な言葉がありますが、マリアは初めから、主イエスの母としてふさわしい、完ぺきな信仰の持ち主であったのでしょうか? 天使ガブリエルからお告げを受けた時、マリアは戸惑い、また「どうしてそのようなことがありえましょう」と否定すらしています。しかし偉大な業を成し遂げられるために、神様は御言葉に従う信仰を、そのようなマリアにもお与えになるのです。「神にできないことは何一つない」という力強い御言葉が響くとき、主のはしため、しもべとして用いられる幸いへと導かれていくのです。マリアの讃美は今日の第一日課にあるハンナの祈りを思い起こさせる言葉へと続けられます。「思い上がる者を打ち散らし」、「低い者を高く上げ」られる神様が旧約聖書の時代からその御業を行ってこられ、そして今マリア自身に起こった御業とがそれに重ね合わされるのです。その言葉はマリアを通して私たちへと響いてくる御言葉であります。罪によって低さの中に、傲慢に満たされている私たち一人ひとりを憐みによって受け入れられる神様。そしてそのような私たちを用いて救いの御業を成し遂げられる神様が、今、ここにおられるのだという喜びが、この讃美の声には溢れているのです。

教会は、主の救いを宣べ伝える共同体です。この札幌教会も宣教100年という区切りを迎えた中で、このマリアの賛歌から、私たち一人ひとりが救いの御業に用いられている幸いを思い起こします。私たちはその喜びを分かち合いながら、一人でも多くの人が救いへと導かれるために、このよろこびの歌を歌いながら、主のはしため、しもべとして仕えてまいりたいと思うのです。

 

             

〇ガラス1枚をへだてて、外は純白の真冬。その内側は窓際にもかかわらず、観葉植物が生き生きと成長しています。環境がよければ冬でも命は育つことを知らされて、心を砕いて生きることを学ぶ思いがします。

 

〇12月25日(日)午前11時  降誕祭

〇司式:岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:小川敦子姉

〇礼拝当番:堀川悦姉
      滝田裕美姉

〇聖書:イザヤ書52:7-⒑・ヘブル人への手紙1:1-9・ヨハネによる福音書1:1-14

〇讃美歌:16・34«1,2)34(3,4)・喜びは胸に・250

〇クリスマスの祝会があります。プレゼント交換があります。300円程度のプレゼントをご用意ください。

〇21日(水)オープンチャーチです。ご自由にご参加ください。


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12月11日「今日の礼拝堂」

2016年12月11日 | 今日の礼拝堂

待降節第3主日

「全能の神さま。あなたは洗礼者ヨハネによって、み子の来臨を告げ、その道を備えられました。私たちにご計画を悟る知恵と、み旨を聞く耳を与えてください。そして、キリストの来臨を語り伝え、その道を備える者にしてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

     

〇クランツのローソクに3本目の光がともされました。1本の時よりも2本が、そして3本になると、実際に礼拝堂は驚くほどに明るく感じます。1本の力の強さを実感します。そうなんだ・・・私の1本が必要なんだと、静かな勇気と希望が湧いてくる思いです。「私なんか・・私の一本なんかと思ってしまうことが多いけれど、神さまが不必要なものをこの世にお遣わしにはならない。その言葉に信頼して、私の1本を輝かし続けましょう。

〇降誕節第3主日説教        岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
マルコによる福音書1:18-23

 

「神は我々と共に」

福音書記者マタイは《イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。》と物語を始めます。しかし、ここには許婚との結婚という喜ばしい出来事を前にして、思いがけない状況に陥った一人の男性の苦悩がありました。《マリアが身ごもった》ということが明らかになったとき、ヨセフはまだ彼女と一緒になる前だったからです。

申命記22章には姦淫の罪に対して厳しい処分が定められています。すでにこの時代に石打の刑は実施されていなかったとしても、ただならぬ妊娠をしたということが公になれば、マリアにとって事実上ユダヤ社会からの抹殺を意味していました。ヨセフが宗教的に正しく振舞おうとすれば、誰の子か分からない子を宿したマリアを告発すればいいだけの話。しかし、“正しい人”であるヨセフは悩みます。なぜなら彼は律法に忠実にあろうとする一方で、同時に婚約者に対しても誠実でありたいと願っているからです。思い悩んだ末にヨセフが出した決断は《ひそかに縁を切る》というものでした。ところがヨセフの夢に主の天使が現れ《ダビデの子ヨセフ、おそれず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい》と物語は展開してゆきます。ただ一人、孤独に考えあぐねていたヨセフの悩みに神が介入されたのです。果たして、夢から覚めたヨセフは、自分の決断をひるがえしマリアを妻として迎え入れました。

福音書記者マタイが言う“正しい人”というのは、単に正義感の強い人ということではありません。山上の説教の一節に《義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる》(5章6節)とありますが、この《義に飢え渇く》というのは、自分の正しさに満足できない人のこと、むしろ、その正しさの故に、苦悶し、悲しむ人を指します。つまり、今まさに悩みの淵にいるヨセフの姿に重なります。彼はマリアと自分の間に一体何が起こっているのかを理性的に判断することは出来ませんでした。想定外の後戻りできない出来事が、彼らを襲い、決断が迫られる中で苦悩するしかなったのです。しかし、この人間の苦悩の中に神が介入されたとき、共におられる神の臨在に気づかされたのです。

私たちの現実の中にも思いがけない出来事、人知れず思い悩むことは少なくありません。けれども、そのような時にこそ私たちは「インマヌエル」と呼ばれるお方が、私たちのために生まれた、ということを思い出したいと思います。そしてどのような状況の中にあっても、《神は我々と共に居られる》という約束に立つものでありたいと願います。

 

 

      

〇100周年などの行事があって、2ヶ月ほど間が空きましたが、今日は久しぶりに代議員を迎えてエンキリディオンの学びとみんなの会を引き続き行いました。ルターが自分のこどもたちを相手に言葉をかみ砕きながら信仰の神髄を諄々と語ってくれたものを、私たちも今、聞いています。子どものように心を素直に柔らかくして、神さまのことばを深呼吸したいと思います。

         

〇北海道に住む私たちには日常の空気感なのだけど、これは「ホワイトアウト」と呼ばれる現象です。真っ白なんです。すべてが雪の世界に包まれます。駐車場から裏玄関にたどり着く前に、私は雪に溺れて倒れてしまいました。幸いに二人がかりで立ち上がらせてもらいましたが・・・・これがもし、人気のないところだったら完全に「80歳の老婆ホワイトアウトにのまれる!」報道されるでしょう。新聞に名前が載るチャンスをまたのがしてしまった。残念!残念!

 

〇12月18日(日)午前11時  待降節第4主日

〇司式:日笠山吉之牧師

〇説教:野口和音神学生

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:林三浩兄

〇礼拝当番:小笠原里子姉
      林三浩兄

〇聖書:サムエル記上2:1-⒑・ローマの信徒への手紙2:17-29・ルカによる福音書Ⅰ:46-55

〇讃美歌:7(1-3)・14(1-2)・14(3-4)・165(1-3)・聖餐258

〇14日オープンチャーチです。どうぞご自由にご参加ください。


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12月4日「今日の礼拝堂」

2016年12月04日 | 今日の礼拝堂

待降節第2主日

「今週の祈り:主よ、私たちの心を奮い立たせ、御独り子の道を備えさせてください。み子の来臨によって、悩み多い世の旅路を照らし、導いてください。あなたと聖霊とともにただ一人の神であり、今もまた、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

     

〇クランツに今日、2本目の灯りがともりました。待降節第2週です。真っ暗闇だった世の中が、私たちの心の中が、少しずつほのかな光に照らしだされていきます。やがて、24日のイブの夜、世界中の人たちが一人残らず1本のローソクを胸の前にかざして心の底から神さまに感謝の祈りができますように・・・・。昔、戦争をしていた人たちも、その夜だけは銃を置いてローソクの光にひざまずいたという話を思いだします。今も、そうでしょうか。今もそうだといいなと、涙ぐみたい思いで日ごとに更新される憎しみの連鎖を思います。それは決して他人事ではなくて、自分自身の心の中を覗いても目をつむることのできない暗闇です。イエスさまがお生まれになるまで・・・。思い切って断捨離ができますように。ただ、ただ、愛と希望の光でイエスさまのお誕生を迎えることができますように・・・・。聖壇クロスに合わせて、紫色の濃淡で今日のお花を飾ってくださったNAさんの祈りも、きっと同じだろうなと思いながら、同じ祈りをもつ友たちの涙や悲しみが迫ってくるのを感じながら、今日も静かで暖かい礼拝にあずかりました。

 

〇待降節第2主日説教                     野口和音神学生(週報掲載説教要旨)
マタイによる福音書3:1-12

 

「その声を聴く」

 

今日の福音書に登場する洗礼者ヨハネは、イエス・キリストに先立ってその道を整えよ、とイザヤによって預言された人でありました。洗礼者という名を冠するのは、当時のイスラエルにとって彼が行った洗礼がこれまでとは違う新しい意味を持っていたからです。当時行われていた洗礼とは、日常的に何度も行われる、水による清めの儀式のことを指すものでした。それは律法に従って肉体の汚れを清めるためのものであり、それを熱心に行うことは敬虔さの表れと捉えられていました。ヨハネが「蝮の子ら」と厳しく呼びかけているファリサイ派やサドカイ派の人々は、他者に敬虔さを見せつけるために、熱心に行っていたのかもしれません。しかしヨハネはそのような彼らに「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言い放つのです。他者に敬虔さを表す行為ではなく、神様に対する悔い改めのしるしとして、ヨハネは洗礼を人々に授けていくのです。

 

ヨハネが授ける洗礼は「悔い改めに導く洗礼」でありました。神様の御言葉に従って歩むことの出来ない罪を、人間誰しもが持っています。アブラハムの約束によって天の国へと招かれる約束があったとしても、その罪を人間が悔い改めることがなければ、天の国に入る以前に裁きを受けることになるのです。そのために、天の国が差し迫ってきている今、神様は悔い改めへと導いておられる、とヨハネは洗礼を授けることによって語るのです。

 

「信仰者の全生涯は悔い改めである」と宗教改革者マルティン・ルターは言いました。私たちが受ける洗礼は一度だけですが、悔い改めるたびにその洗礼の出来事を思い返すことになるということです。なぜなら私たちが悔い改めるのは、罪を赦し、救いに導こうとされる神様がそこにおられる、という恵みを知るからであります。私たちが持つ罪は、常に神様のことを考えて生き続けることを忘れさせてしまいます。悔い改めた直後は、神様から与えられたすべてのことに感謝して過ごすことでしょう。しかし忙しい日々の中において、目の前のことにばかり気を取られ、いつしか私たちが得るすべてのものが神様から与えられた恵みであることを忘れてしまうこともあるのです。だからこそ、神様は今日の御言葉を繰り返し私たちに語られるのです。「悔い改めよ、天の国は近づいた」のだと。預言者によって、洗礼者ヨハネによって、イエス様によって、そして私たちに与えられるすべての事柄の向こう側から、神様は語り掛けられておられるのです。罪によって神様から心を離してしまう私たちを赦し、何度でも悔い改めへと導かれる神様の計り知れない愛が、そこにあるのです。その御声を聞き逃すことなく、天の御国への道を悔い改めと共に歩んでまいりましょう

 

 

 

          

〇足元が冷たい季節になりました。礼拝堂のお花を活けるNAさんは、手芸も得意です。常設の小さなショップには、毛糸の帽子や靴下、手袋など、心のこもった暖かい小物が並びます。「かあさんが、よなべして、てぶくろ あんでくれた~♪」こんな歌がありましたが、もう、「なつかしの歌」ですね。今年50歳になった娘が入園した幼稚園は、冬になると、てぶくろは純毛でおかあさんの手編みで・・との決まりがあって、編み物の不得手な私はなんでこんな幼稚園に入れちゃったんだろうと嘆きました。けれど、この「めばえ幼稚園」で家族はみな救われて教会につながることができました。あの時のてぶくろ編みの苦労を乗り越えたてよかった!神さまのご計画は試練も道連れなのかも・・。

〇12月11日(日)午前11時  待降節第3主日

〇司式:岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:小川照美兄

〇礼拝当番:出口輝子姉
      林三浩兄

〇聖書:イザヤ書7:10-14・ローマの信徒への手紙1:1-7・マタイによる福音書1:18-23

〇讃美歌:

〇「おにぎり食堂」「エンキリディオンの学び」「みんなの会」があります。ご予定ください。

〇7日(水)オープンチャーチです。どなたでもご自由にご参加ください。

 


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2016・札幌教会のクリスマス

2016年12月02日 | 行事予定


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