新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

8月27日「今日の礼拝堂」

2023年08月29日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第13主日    

今週の祈り: 神様。あらゆる時代の信じる者たちとともに、いのちの岩であるあなたをほめたたえます。私たちの堅い土台となって、私たちを御子のからだに形づくり、喜んで全世界に仕える者としてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。   アーメン

  

〇 聖霊降臨後第12主日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

                  先週の福音から

              「駆け引きもプライドも要らない」

1995年、神戸で大きな地震があった時、街中が大きな不安に包まれる中で、外国人への不当なデマを拡散している人に出会った。わたしたちは強いストレスに晒され、大きな不安に取り囲まれていくとき、目の前の不確かなものに頼ってでも自分たち守ろうとし、大きな過ちを犯してしまうことがある。関東大震災時の数千人にも及ぶ外国人の殺害事件は、そのようなわたしたちの弱さを示している。次の震災や戦争でそのような排外主義の過ちに走らないために歴史を見つめたい。

イエスさまは聖書の中で、ユダヤ民族主義と厳しく対峙される。今日の箇所は15章1節からの流れで、エルサレムからやってきたユダヤ主義者達が弟子たちの律法違反を咎めるところからはじまっている。当時のユダヤがローマ帝国の支配下にあったことが、ユダヤ主義者たちの排外主義に拍車をかけ、律法を厳格に守らせることに血眼をあげさせる。

イエスさまはこうした民族純潔主義と厳しく対峙され、こうした民族主義を越えていく思想を示される。しかしそれが明示されていくのが、外国人であるフェニキアの女性との出会いであったことは興味深い。彼女は、自分がユダヤ人ではないことをわきまえながらも、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と食い下がる。彼女の謙虚で一途な信仰をイエスさまはお認めになられた。

ユダヤ人であること、律法を厳格に守っていることが、人を救いに導くのではなく、イエスさまにしかない救いを一途に求めていく。イエスさまは、その彼女の信仰を認められた。わたしたちも心の中に、国籍であるとか、クリスチャンかどうかとか、身内かよそ者か、といった沢山の線を持ち込んでおり、時に大きなストレスやパニックに陥ると、その自分に都合のよい線を大きな壁へと成長させ、その向こう側にいる敵を排除したり、攻撃したくなる。しかしそのような外面的な線や壁は、イエスさまの前にあっては意味をなさない。彼女のように謙虚にイエスさまを望み見ていくときに、イエスさまは、わたしたちの心の中の隔ての中垣を打ち壊し、わたしたちにも手を差し伸べてくださる。わたしたちはいつでも、そのイエスさまのみ手を祈りつつ待ち望んでまいりたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#9月3 午前10時30分 聖霊降臨後第14主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「戦いではなく

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:蔵谷俊夫さん

礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん

聖  書:エレミヤ 15:15-21、ローマ 12:9-21、マタイ 16:21-28

讃  美 歌:178、292、250,増補37

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月20日「今日の礼拝堂」

2023年08月23日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第12主日    

今週の祈り: すべての民の神様。あなたは呼び求めるすべての人を抱きしめるための御腕を差し伸べられます。慈しみとたしかな心で世界を愛することにより御名が全地に知れ渡ることを、御子の弟子である私たちに教えてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。   アーメン

  

〇 聖霊降臨後第12主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

            「ひとかけらでも」 

  当時、ユダヤ人たちは異邦人を「犬ども」と呼んで、自分達の優越性を誇示しようとしていました。とはいえ、その異邦人の最たるものはローマ人です。ローマ人は、異国の支配者、侵略者です。「犬ども」という言葉には、その侵略者、支配者に対する屈折した鬱憤も込められています。しかし主は「犬ども」を「子犬」と呼び変えられています。ニュアンスとしては「敵視するもの」ではなく「愛すべき者」という雰囲気に変わっているのです。 「子犬」という表現には「犬ども」に込められた憎悪と軽蔑はありません。

 この違いを敏感に感じ取ったのは、誰よりも、必死に食い下がっている異邦人の母親です。彼女はこの微妙なニュアンスを受け止めからこそ《主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです》と秀逸な切り返しをしたのでしょう。絶望的な状況にあっても光を見出す力が愛する者のために必死に生きる者にはあるのでしょう。母親はユーモアを交えつつ大胆にすがることによって《婦人よあなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように》(15:28)という主イエスの言葉を引き出したのです。日本では遠慮深いことが美徳とされているところがあります。多くの場合「人にどのように思われるか」ということを考えて、行為を控えるのが「遠慮」です。しかしこれは人間同士の間では美徳かも知れませんが神との関係ではどうでしょう?最初の人のアダムとエバは約束を破って食べてはいけない木の実を食べてしまった後、園に現われた神の前から自分たちを隠しました。神の前に胸を張って出て行くことができなくなったから御前に進み出ることを遠慮したのです。これは罪です。それも罪を犯すこと以上の罪です。なぜなら神の恵みを拒絶することだからです。あるいは無条件に与えられる恵みを条件付きで受けようとする事です。「自分は恵みを受ける資格がありません/神の御前に進み出ることはできません」と勝手に判断することは自分を神の位置に置くことと同じです。誰が神のみ前に進み出る資格がある/ないと決めることができるのでしょう?おそらく彼女や娘は何度も何度も拒絶の壁に突き当たって来たことでしょう。主イエスとのやり取りでも、最初は無下にされそうになりますが、決してあきらめません。拒絶されようとも、冷たくされてもあきらめません。一歩も引くことなく、正面からぶつかって行き、図々しく、厚かましく、恵みを受け取る・・・と言うよりも、恵みをもぎ取るような大胆さがありました。主イエスはその大胆さ、遠慮することなく真正面からぶつかってくるその姿を良しとされ、彼女の願いは聞き届けられました。さて、私たちはどうでしょう?(岡田)

 

《来週の礼拝》                               

#8月27 午前10時30分 聖霊降臨後第13主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「とこしえの恵み

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:青木比呂子さん

礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 51:1-6、ローマ 12:1-8、マタイ 16:13-20

讃  美 歌:203、328,増補46

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月13日「今日の礼拝堂」

2023年08月16日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第11主日    

今週の祈り: 私たちをお守りくださる神様。私たちの内と外に吹き荒れる嵐は私たちを恐れさせます。あなたの民を絶望から救い出し、あなたの子どもたちを恐れから解き放ち、御子を信じる信仰の内に私たちを守ってください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

  

〇 聖霊降臨後第9主日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

               先週の福音から 

                               「よく見れば、見える。」   王記上35-12 ローマ82639 マタイ1331334452

 わたしたちが見ようが見まいが、それはそこに存在している、ということがある。コロナ下で出かけられない日々の中、函館教会の庭に咲く花の写真を撮ることをはじめて、そこではじめて、いままで踏んで歩いていた地面に、よく見なければ見えないような小さな、いろんな種類の花が咲いていることに気がついた。おかげて200種類の庭の花を集めた手製の図鑑まで完成してしまった。

聖書に出てくる「からし種」は、クロガラシだとすれば成長して2m50cmにもなるが、種だとどこにあるかも気がつかない。問題は、わたしたちがそれに気づけるかどうか。畑の宝についての喩えでも、宝に気づかずに売り払ってしまった畑の持ち主と、宝に気づいてすべての持ち物を売り払ってその畑を買い取った人とが登場する。わたしたちは、聖書の語る福音にそれほどの価値を見ているか。

シドッチは禁教下の日本に宣教を志して渡航し、捕らえられて新井白石の取り調べを受けることになった。白石は彼の博識に驚き、尊敬したにもかかわらず、話がキリスト教に及んだとたんに彼の話を荒唐無稽なものとして受け入れることが出来なかった。しかし、シドッチの身の回りの世話をした老夫婦は、シドッチとふれあい、洗礼を受けた。禁教化にあって、すべてを失うことになる危険を知った上で、この夫婦は福音を受け入れた。シドッチから人生最大の宝を受け取ったに違いない。しかし、白石は学識も権力もあったがその宝に気づけなかった。

世の終わりには網の仲の良い魚と悪い魚のように、わたしたちは振り分けられることになる、とイエスさまはたとえで語られる。わたしたちは、生きている間に眼に見える保証が欲しくなり、免罪符や高価な壺にはしることもあるが、それらには効果がない。学歴主義や拝金主義や情報依存にも効果はない。しかし、わたしたちにはイエス様の十字架が示されている。白石のように賢くはないわたしたちでも、全力で神さまに信頼を捧げていくことが出来る。感謝しながら、持ち物を全て売り払うような心意気で、イエスさまに従って歩んでいきたいと思う。(小泉) 

 

《来週の礼拝》                               

#8月20 午前10時30分 聖霊降臨後第12主日 礼拝  

司  式:小泉 基牧師

説  教:小泉 基牧師「駆け引きもプライドも要らない

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:小川敦子さん

礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 56:1,6-8、ローマ 11:1-2a, 29-32、マタイ 15:21-28又は10-28

讃  美 歌:188、335,増補46

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日「今日の礼拝堂」

2023年08月09日 | 今日の礼拝堂

    平 和 主 日    

今週の祈り: 全能の神様。真理と平和への思いはすべてあなたがお与えくださいます。あなたのすべての子どもたちの心に平和を愛する心を燃やし、あなたの知恵で諸国の指導者を導き、御国が平和のうちに前進し、全地をあなたの愛を知る知識で満たしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、愛の御手による永遠の支配者、御子、平和の主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

  

 

〇 平 和 主 日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

                    先々週の (聖霊降臨後第8主日) 福音から

                                                                 『すっきりしないまま』    イザヤ書44:6-8  ローマ 8:12-25 マタイ 13:24-30, 36-43

わたしは掃除は苦手だが片付けの方は得意なので、余裕が出来るとあちこち片付けたくなる。教会でも、あちこち片付けたくなる。物事の善悪であっても、山積みになった資料であっても、これをすっきりさせたい、白黒はっきりさせたいというのはわたしたちの欲求のひとつ。しかし聖書は安易な「解決」をたしなめる。畑の毒麦を抜いてしまおうという人たちに、主人は刈り入れまでそのままにしておけと命じた、とイエスさまは教えられた。

問題は、わたしたちは自分で判断し、これを抜き去ってしまいたいと考えること。アルバイトを雇う面接をするわたしの弟は、面接でよいと思って採用した人がなかなか思うように働いてくれず、人が人を判断することの難しさを知らされているという。アルバイトひとつをとっても、人を判断するということは難しい。世の中的には、それでもあれこれ判断しながら生活していかねばならないのだが、毒麦のたとえを前に、わたしたちは、自分が判断するということの畏れおおさをわきなえなければならない者であることを知らされる。

ナチスドイツのヒトラーは、「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決をはかる」、という名目で、ヨーロッパのユダヤ人の600万人を殺害した。聖書は、それを判断されるのは、神さまご自身であり、最終的解決は神さまの手にこそある。だからこそ「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」。あなたは、そのすっきりしなささを抱えながら、その人生をあゆみ通しなさい、とすすめられている。

わたしたちの人生は、すっきりしないことだらけであっても、誰彼を裁いていい気になったり、自分をも裁いて自己卑下して落ち込むのではない。わたしたちを抜き捨てることなく、肥料をやって育ててみましょう、と育んで下さるイエスさまにこそ信頼して、その最後の判断を委ねてまいりたい。あなたの十字架によって、わたしをあなたのみ心に適う者としてください、と共に祈り続けてまいりたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#8月13 午前10時30分 聖霊降臨後第11主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「心の隙間に触れるもの

奏  楽:若井裕子さん

聖書朗読:小笠原里子さん

礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖  書:列王記上 19:9-18、ローマ 10:5-15、マタイ 14:22-33

讃  美 歌:181、465,増補46

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月30日「今日の礼拝堂」

2023年08月01日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第9主日 

今週の祈り: 愛する王である神様。あなたは御子の死と復活によって私たちを義と憐れみの御国に導いてくださいます。御子がもたらす、命を大事にする知恵を与えてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

 *本日は5週目であるため、新札幌礼拝堂ではオンラインにより礼拝が持たれました。

 

  

 

〇 聖霊降臨後第9主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

                  「 天 の 国 」   列王記上3:5-12 ローマ8:26‐39 マタイ13:31‐33、44-52

 今日の福音の物語では「天の国」について主イエスがいくつかの譬を用いながら語っておられます。「天国」とか「神の国」と聞いたとき皆さんはどのように想像されるでしょうか?空高くを見上げて、地上から遠く離れた場所や彼岸の世界、死後の世界とイメージされる方もおられるでしょう。聖書には「死後の世界」として天国や地獄が語られることがあります。けれどもそれだけではありません。今日の譬えのような場合、重点はむしろ「死後の世界」というよりも日々の暮らしの中のこととして語られています。ここで言われている「国」というのは「支配」という意味です。ですから「天国」や「神の国」という言葉は、「天の支配」「神の支配」とも訳することが出来ます。

 後半の物語では、思いがけない宝や素晴らしい真珠を見つけた者が、持ち物すべてを売り払ってまでも、その宝や真珠を手に入れたいと願ったとあります。これは言うまでもなく見つけた宝、持ち物をすっかり売り払ってでも、それを自分の物にしたいと思うほど高価な価値のある宝が《天の国》であり、神のご支配の内に私はあるという信仰によってもたらされる確信です。とはいえ、トンデモナイ暴力、戦争、不条理、痛ましい出来事などが次々と起こる現実を直視していくと神はどこにおられるのか、神はなぜ隠れておられるのか、と呻き声をあげてしまいます。けれどもその呻きをあげながら、そもそも私たちの信仰は、そこから始まったのではないかという所に思い至りました。

 最初の人たちは、神との約束を破ったことで自ら隠れ、神との交わりを遠ざけました。主イエス・キリストが待ち望まれていたメシア=救い主であることは、十字架の中に隠され、多くの人が絶望し、すべての希望が奪われてしまったようになりました。十字架は目に見える姿では悪魔の勝利です。しかし、見えない姿では神の救いでした。使徒パウロも《十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。》(コリント一1:18)と言っています。

「天の国」「神のご支配」は不思議な宝です。どこにもないようでありながら、実は至る所に満ちている。何の価値もないように見えて、実は最も尊い宝。世の宝、財産であれば相続にまつわる骨肉の争いが起きますが、この世を超えた永遠の宝は喜びと平安を与えます。私たちは主イエス・キリストによって顕かにされた神の御心に触れ、救われ、信仰によって豊かにされます。なぜなら、私たちは、どんな時にも、見いだされた喜び/見いだす喜びを与えられ神の支配の中に生かされているからです。(岡田)

 

《来週の礼拝》                               

#8月6 午前10時30分 平 和 主 日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「繋いだ手、離さない

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:蔵谷俊夫さん

礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖  書:ミカ  4:1-5、エフェソ 2:13-18、ヨハネ 15:9-12

讃  美 歌:151、436,258,増補46


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする