新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

7月23日「今日の礼拝堂」

2023年07月25日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第8主日    

今週の祈り: 憐れみ深い裁き主・まことの神様。あなたはあなの子どもたちを確信と憐れみのうちに顧みてくださいます。御子の道に根ざすことができるように、御国に生きる私たちをあなたの霊によって養ってください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

  

〇 聖霊降臨後第8主日  説教 小 泉 基 牧師(週報掲載説教要旨)

                                      先週の福音から

         「ちょっとずれている」

社会全体に宗教・キリスト教への期待が大きくは感じられないないこの時代にあっても、宣教のためには環境を整備しつつ、地道な伝道の業を続けていくほかない。では教会においでになるのはどのような方なのか、誤解を恐れずにいえば「ちょっとずれている人」だといってよい。世の中には、効率よく、楽して儲かることを良しとする価値観があり、イエスさまのメッセージとは、明らかにズレがある。

イエスさまが語られる「種を蒔く人のたとえ」も、そのことを物語る。耕作可能な場所を選んで広く種を蒔いていくという古代パレスチナの農業では、種はあちこちに飛んでいかざるを得ない。環境の良くない地に落ちた種は、実を結ぶことがない。イエスさまはご自身で、この種とはみ言葉のことであると解説しておられる。わたしたちが誰かを励ましたり、慰めたりする言葉も、聞く人たちとのあいだに信頼関係がなければ、実を結ぶことはない。

オンラインで神学生たちと日本キリスト教史を学んでいて、ちょうど日本における農村伝道について学んだところだった。戦前戦後に米国の宣教師が日本の農村に建てた教会は、大規模な資金投入があったにもかかわらず、かならずしも大きな成果をもたらしたとは言えなかった。一方でデンマークをモデルとして各地で取り組まれた農民福音学校などの取り組みは、三愛運動と呼ばれ、小規模でも地道なネットワークが築かれている。

そのひとつである愛農学園高校は、一時は生徒募集に苦戦し、苦闘する時代があったにもかかわらず、時が巡って有機農業が注目されるところとなり、昨年はグッドデザイン賞ベスト100を受賞するなど、全国で最も注目される学校となったという。確かに、折が良いときも悪いときもあるが、み言葉が飛んでいく場所を選ぶことなく、倦まずにみ言葉の種をまき続けることが求められている。たとえこの世的には愚かな働きに見えたとして、そのただひとつの種が、30倍、60倍、100倍もの豊かな実を結んでくれるとするならば、茨の中の種も、石地の種も、無駄な種であるとはいえない。砂漠に水をまくような、無駄で地道な取り組みこそが、2000年にわたって、このキリストの教会を生かし続けてきたことに心を留めつつあゆみたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#7月30 午前10時30分 聖霊降臨後第9主日 礼拝  *オンラインで礼拝を行います。

司  式:小泉 基牧師

説  教:小泉 基牧師「よく見れば見える

礼拝当番:小笠原里子さん

聖  書:列王記上 3:5-12、ローマ 8:26-39、マタイ 13:31-33&44-52

讃  美 歌:278、289,増補41

 


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7月16日「今日の礼拝堂」

2023年07月17日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第7主日    

今週の祈り: 全能の神様。私たちに御言葉の種をまいてくださり感謝いたします。聖霊の助けによって、喜びをもって御言葉を受け入れ、御言葉に従って生き、信仰と希望と愛において成長することができるようにしてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

  

 

〇 聖霊降臨後第7主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

               「 土 を お こ せ 」        

    人間は、“いったい何者であるのか”という問いを私たちはずっと問われ続けていると思います。聖書はこれに“ただ愛されているから”と答えます。主イエスは山上の説教の中で《今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。》(マタイ6:30)と語りかけてくださっています。この愛だけが私たちの空っぽ、空虚をうめるものです。

 私たちは今日、イザヤ書を通して、とても勇気を与えられる御言葉をいただいています。悲しく空虚な人間のために、主は十字架を負ってくださいました。十字架という最後の永遠の御言葉を下さったのです。イザヤは《雨も雪もひとたび天から降れば、虚しく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与えるそのようにわたしの口から出るわたしの言葉も、虚しくは、わたしのもとに戻らない。》(イザヤ55:10-11)と預言しています。

 私たちは思い違いしてはいけません。主イエス・キリストが、教会を通して御言葉の種を蒔くという道を選ばれたのは、実に効率の悪いことでした。けれども、これは主が選ばれた道です。ここで蒔かれるのは、いかなる虚しい知識でもなく、神の口から出る神の言葉です。キリストの口から出るキリストの言葉です。それは決して、虚しく神の元に返ることはないと約束されています。

 地上の教会は、元気なときもあれば弱っているときもあります。場合によっては、その場所から消滅せざるを得ない場合もあります。実際、パウロが伝道し、各地に形成されていった教会はすでに存在しません。釧路や池田の礼拝堂もなくなりました。けれども、そこで確かに語られた御言葉は人の心から心へと蒔かれ続け、地域も世代も超えて、一人ひとりの魂を生かし続けていま す。《雨も雪もひとたび天から降れば、虚しく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える》とある通りです。

 確かに今は、荒れ地に種を蒔くような時代です。他者に対してもさることながら、自分自身に対しても、いまひとつ育っていかないものがあるのを感じます。皆さんはどうでしょうか。しかし、失望も絶望も無縁です。御言葉を蒔かれているのは主イエス御自身なのですから。 《雨も雪もひとたび天から降れば、虚しく天にもどることはない》のです。主の御心が完全に実現するときが必ず来る。私たちは今、心の中で呻きながら悶えながらもその時を待ち望み、土を起し耕しながら主イエス・キリストという希望によって救われているのです。(岡田)

 

《来週の礼拝》                               

#7月23 午前10時30分 聖霊降臨後第8主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「聞いているつもり・・・

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:小川敦子さん

礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 44:6-8、ローマ 8:12-25、マタイ 13:24-30&36-43

讃  美 歌:162、181,増補41

 


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7月9日「今日の礼拝堂」

2023年07月11日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第6主日    

今週の祈り: 神様。偉大なあなたをほめたたえます。あなたに向けて創られた私たちはみもとに憩うまで安らぐことができません。あなたを信じ、あなたに依り頼み、あなたを知り、仕えようとする私たちの願いを聞き入れてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。  ♪ アーメン

  

 

〇 聖霊降臨後第6主日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

               先週の福音から 

            「 あればなおよい 」 

「わたしたちは、キリスト者としてどういきるか」。それが、洗礼を受けて5年後も、20年後も、50年後も変わらずに問われていて、そしていつもわたしたちの人生の問題である。はっきりしていることは、わたしたちの人生には目的があるということ。わたしたちをお造りくださった神さまに喜んでいただくことがそれである。

 ■持って生まれた能力や生まれてきた環境は、ひとによってそれぞれに異なるとしても、それゆえに人を羨んだり、また逆に優越感を抱いたりするのではない。それぞれに異なった役割や存在意義が与えられているのだから、神さまを信頼してあゆんでいく。そのことによって、わたしたちは目的を持った人生を歩むもの、つまり意味ある人生を歩むものとなる。

 ■もちろん目的地に向かう道筋は千差万別である。会社での仕事を通した貢献、子育てすること、音楽やスポーツで人々に勇気を与えること、あるいはただそこに存在することによって、人を癒やしたり、笑顔を与えるものとなること、育て、育てられること、学び、学ばされること、祈り、祈られること、支え、支えられること。さまざまな働きは、神さまに喜ばれる存在として生きる、という目的地へとつながっていく。

 ■この日のテキストは弟子たちに向けての派遣説教の締めくくりであるとされている。世に派遣される弟子たちには当然おおきな不安がつきまとっただろう。その弟子たちを励ます言葉をイエスさまは語られる。「あなたたちは、わたしが人々に受け入れられるのと同様、人々から受け入れられるに価する存在なのだ。そしてわたしがあなたたちを遣わすのは、わたしを遣わした天の父が、あなたたちを遣わしてくださっている、ということなのだ」、というメッセージは、この12人を活かしたのみならず、それから数十年後、世界宣教へと乗り出していくマタイの教会の巡回伝道者たちをも励ましたことだろう。そしてわたしたちをも。

 ■わたしたちは、イエスさまによって世に派遣される「受け入れられるべき価値ある存在である」。たとえ小さく、貧しい働きしか出来ないような者であっても、「冷たい水の一杯」を受け取る価値のある者とされている。わたしたちの貧しい働きをも、神さまによって覚えられ、用いられているということを信じて、感謝してあゆむ者でありたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#7月16 午前10時30分 聖霊降臨後第7主日 礼拝  

司  式:小泉 基牧師

説  教:小泉 基牧師「ちょっとずれている

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:清水美年子さん

礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 55:10-13、ローマ 8:1-11、マタイ 13:1-9&18-23

讃  美 歌:149、394,増補41

 


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7月2日「今日の礼拝堂」

2023年07月06日 | 今日の礼拝堂

    聖霊降臨後第5主日    

今週の祈り: 神様。あなたは私たちを恵みによって導き、正義と憐れみの御言葉により世界を造り直してくださいます。御言葉を受け入れ、互いに仕える民へ私たちを形づくってください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

  

 

〇 聖霊降臨後第5主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

                     「 少しであっても 」        

 主イエスが《自分の十字架》(10:38)と言われているのは、直接には、信仰のために負う十字架です。しかしそれだけではありません。主イエスが負われた十字架が、キリスト自身のものでありながら、他者のためであったように、私たちもまた、自分の十字架を、自分のものとして主と共に背負い切ることによって、他者を生かす力を与えられるのです。逃げることによっては何も与えられません。何も得ません。

 私たちが主の十字架と復活によって、神と和解させていただくとき、同時に隣に生きる他者と“共に生かされる隣人”としての関係を主イエスの執り成しによって、新たに結ばれるという意味なのです。つまり福音は、この世的な集団の支配ではなく神の支配へと私たちを招くもの。天地創造の時に極めて良いという祝福のもとにあった状態に戻すということです。

 人には必ず、それぞれに逃げてはいけない悲しみや痛みが与えられます。大人にも子どもにも、それは与えられます。それが信仰に関わることであればなおさら、たとえ信仰に関わることではなくても、自分で負うべき苦しみ悲しみ、それを引き受けること、それこそが「私」が負うべき十字架なのではないでしょうか。人は、それから逃げることによって多くのものを失い、それを負うことによって、多くのものが与えられます。なぜなら主イエスは十字架を負うものと共にいてくださると言われているからです。

 主は弟子たちにそれぞれの十字架を担う時、ご自身も共に背負ってくださると約束されます。そして、その約束に生きる喜びを知ることこそが神から与えられる賜物であると思うのです。主に知られ主を知る喜び。どんなに深い闇や孤独にあえいだとしても、もはやそれは真の孤独ではなく、暗闇の中にも、深い淵にも共にいてくださる主の愛を知る喜びがあるのです。

 今日の福音は、主イエス・キリストによってもたらされた剣は人間の鎖を断ち切るが人間関係を解体することが目的ではなく、新しい人間関係を作るというものです。それは、主が派遣される弟子たちを受け入れることからはじまります。《あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人はわたしを遣わされた方を受け入れるのである》(10:40)とあるように、主は弟子たちを通して私のもとに来てくださいました。主の弟子たちから脈々と続いてきた、信仰の先輩たちの証しが、信仰のバトンとして私たちに届けられているのです。そして、私たちはそのバトンをまた誰かにお渡しするために、現代の弟子として召しだされています。信仰共同体であるこの教会にも様々な個性を持った一人ひとりが集められています。小さな群れではありますが主イエス・キリストはご自身を中心にして私たちが信仰の絆で結ばれた者として互いに受け入れ、共に世に仕えていくようにと促されています。(岡田)

 

《来週の礼拝》                               

#7月9 午前10時30分 聖霊降臨後第6主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「安らぎの場所」

奏  楽:若井裕子さん

聖書朗読:青木比呂子さん

礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖  書:ゼカリア 9:9-12、ローマ  7:15-25a、マタイ 11:16-19&25-30

讃  美 歌:306(1-4)、399、増補41

 


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