新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

3月31日「今日の礼拝堂」

2024年03月31日 | 今日の礼拝堂

  主の復活の主日    

今週の祈り: 憐れみ深い神様。主イエスは生きておられます。私たちはもはや主イエスを死者の中に捜しません。主イエスは生きて、私たちの命の主となられました。復活のキリストと共に生きる私たちを強め、永遠のいのちに至るまで神の民として成長させてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  アーメン

 

〇 主の復活の主日  説教 (週報掲載説教要旨)

                 「さあ、ガリラヤへ」 岡田 薫牧師  使徒10:34-43 コリント一15:1-11 マルコ16:1-8

 2024年の復活祭を迎えました。クリスマスと同様に、いまこの時にも命の危機に瀕している人たちが確かにいる、その現実の中で、私たちは手放しで喜び祝っていいものだろうかと戸惑ってしまう、モヤモヤしたものを抱えながら今日を迎えました。でも、だからこそ、私たちは、主イエス・キリストの十字架と復活に目を注ぎ、復活の主が共にいてくださるという約束に望みを置き、わかちあい、伝えていく必要があるのではないかとも思います。

 《安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った》(16:1-2)とありますが、その足取りは決して軽いものではなかったはずです。それぞれの胸の内には愛する者を奪われた悲しみ、救えなかった後悔などがあったでしょう。墓をふさぐ入口の石は、生きている者と死んだ者とを隔てるという意味だけでなく、彼女たちが直面している厳しい現実を象徴しているかのようです。

 墓に到着してみると、すでに彼女たちの心配事の一つは解決されていました。入り口の大きな墓石が脇へ転がしてあったのです。さらに、墓の右手に白い長い衣を着た若者がいて《驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない》(16:6)と告げたのです。ところが、空の墓に入り主の復活を告げられた女性たちは、墓を出て逃げ去ってしまいました。福音書記者マルコは《震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである》(16:8)と物語を締めくくっています。

 なんとも不思議な福音の物語の終わり方です。おそらく当時の誰もがナザレのイエスが十字架で死んだことによって、“すべてが終わった”と、考えていたことでしょう。あの日、墓に行った女性たちもそうでした。彼女たちの目的は満足に施せなかったお弔いの儀式をあらためて行うことだったのですから。しかし、《あの方は復活なさって、ここにはおられない》という見ず知らずの若者の言葉を聞き、墓の中に主イエスの遺体を見出すことは出来ませんでした。目的を見失い、さらなる恐れと不安を感じたであろう彼女たちの姿は、想定外の出来事、自分の思いを超えた出来事に遭遇した時の人間のありのままの姿なのだと思います。

 しかし一度は墓から逃げ去った女性たちでしたが、だんだんと落ち着きを取り戻していく中で、かねてから主が言われていた言葉に思いを巡らし、墓で聞いた若者の言葉に心を留めていくうちに、沈黙を破り、聞いたことを、見たことを語り始めたのです。女性たちが《あの方は、あなたがたよりも先にガリラヤへ行かれる》という若者の言葉を主の弟子たちに伝えたからこそ、この知らせを聞いた弟子たちが、ガリラヤに行って復活の主イエスと出会い、赦しを得て、福音宣教へと押し出されていった。だからこそ、信じる者たちの群れが生まれ、現代に生きる私たちもこうして主の復活の喜びをわかちあうことができているのです。主イエスは確かに復活され、私たちの現実の中に共におられるのです。(岡田)

 

  《来週の礼拝》                              

#4月7 午前10時30分 復活後第2主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「もう恐れない

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:蔵谷俊夫さん

礼拝当番:小川敦子、小笠原里子さん

聖  書:使徒言行録 4:32-35、ヨハネの手紙一 1:1-2:2、ヨハネ 20:19-31

讃  美 歌:105、351、増補52

 


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3月24日「今日の礼拝堂」

2024年03月25日 | 今日の礼拝堂

 主のエルサレム入城の主日    

今週の祈り: 王である神様。御子の仕える姿を通して、あなたは私たちの心の中に新しい掟を授けてくださいました。聖霊によって日ごとに御子を主と告白し、賛美する喜びの列に加えてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  アーメン

 

〇 主のエルサレム入城の主日  説教 (週報掲載説教要旨)

                                     先週の福音から 

             四旬節第5主日 「  大を望みて小を棄つる  」 小泉基牧師                                        

                エレミヤ31:31~34 ヘブライ5:5~10 ヨハネ12:20~33                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

 イエスさま十字架を前に、イエスさまの宣教がユダヤから世界に向けて広がっていくことが示されるのが、今日の箇所でギリシャ人達が訪ねてきた、という出来事。

しかし、イエスさまが語られる「人の子が受けるべき栄光の時」とは、わたしたちがイメージするような輝かしいものではない。一粒の麦が死ぬことによって多くの実を結ぶというような栄光である。

イエスさまの宣教は、イエスさまが死なれることによって肉体を越えて世界へと無限に広がっていく自由を得た。わたしたちも肉体の欲から解放されて神さまの心を生きる自由を望み見ている。

それは決して安易な道ではない。また成果の見えない果てのない道にも思える。けれども、わたしたちが、神さまの大きな愛を知り、遠くの大きな山を見上げるような思いで歩みはじめるとき、わたしたちはただそのように歩みはじめることによって人間中心の古い自己愛を越えていく可能性を得る。

身の回りの些末な出来事を棄ててでも、わたしたちは神さまの大きな愛に生きる自由を望み見ることが出来るに違いない。(小泉)

  《来週の礼拝》                              

#3月31 午前10時30分 主の復活の主日(イースター)聖餐礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「さあ、ガリラヤへ

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:楢戸恵子さん

礼拝当番:小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 25:6-9、使徒 10:34-43、マルコ 16:1-8

讃  美 歌:97、91、増補12(1,3,5,8)

 


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3月17日「今日の礼拝堂」

2024年03月18日 | 今日の礼拝堂

 四旬節第5主日    

今週の祈り: 神様。あなたは変わらぬ愛をもって私たちを御許に引き寄せ、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。聖霊の実をもたらすことができるように私たちを強め、生きるにしても死ぬにしても御子のうちに歩むことができるようにしてください。                                   あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  アーメン

 

〇四旬節第5主日  説教 (週報掲載説教要旨)

                 「  天の声、再び  」 岡田薫牧師   エレミヤ31:31-34 ヘブライ5:5-10 ヨハネ12:20-33

 

 主イエスは《人の子が栄光を受ける時が来た》(12:23)とご自身に定められた時が迫っていることを告げられると、続けて《はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。》(12:24-25)と語られました。どのような最期を迎えるかをたとえておられるのです。これが、主ご自身にとっても容易なことではないことが《今、わたしは心騒ぐ》(12:27)という言葉からも明らかです。真の神であって真の人間でもある主イエスは、ご自分に迫ってきている栄光の時がどのようなものであるかを理解されているからこそ、平静ではいられないのです。しかし、葛藤を口にされながらも《わたしはまさにこの時のために来たのだ。》(12:27)、と宣言されます。

 漠然とした時間や時刻の事ではなく、そのような特別なタイミング、そのような重大な事柄と結びついていく時間があると思います。まさにそのような意味で、主はここで《わたしが来たのは今このときのため》だと宣言されているのです。そして、主が《父よ、御名の栄光をあらわしてください》(12:28)と願われると、再び天からの声が地に響きました。傍にいた群衆たちは「雷が鳴った」という者もいれば、「天使がこの人に話しかけた」と言う者もいてざわめきます。これに対して主は《この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。》(12:31)と答えられます。そして、この世が裁きを受け、この世の支配者たちが追放され、主が地上からあげられるときにすべての人を御自分のもとへと引き寄せようと言われます。

 《まさにこの時のために》と主が言われたその《時》は、現代の私たちから見ればかつて訪れた過去のひと時のように思えるかもしれません。しかし、すべての人間のために、命を賭けた神の子、主イエス・キリストが、そこから復活の命の栄光をもって、天に挙げられつつ、今も私たちのいのちの中に、この信じる者の集いや交わりの真ん中に、生きてくださっていることは現在進行形です。

 主イエス・キリストはかつておられ、今おられ、これからも共におられるお方です。この方を通して神は栄光をあらわしてくださいました。その声は、天から地に響き渡っています。その宣言を聞いた者たち、そしていま福音として聞く私たちはこの約束に生かされています。それぞれの人生の途上において、倒れても立ち上がることができ、たとえこの世の命が終わっても、本当の意味で命を与えられる、という希望に生かされているのです。(岡田)

 

 《来週の礼拝》                              

#3月24 午前10時30分 主のエルサレム入城 礼拝 (配信礼拝で行われます) 

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「エルサレムに入る

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:楢戸恵子さん

礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖  書:イザヤ 50:4-9a、フィリピ 2:5-11、マルコ 15:1-30

讃  美 歌:296、81増補49

 


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3月10日「今日の礼拝堂」

2024年03月11日 | 今日の礼拝堂

 四旬節第4主日    

今週の祈り: 憐れみ深い神様。御子の辱めによって、あなたは堕落したこの世を引き上げ、死の絶望から私たちを救われました。あなたの光の中へ私たちを導き、私たちのすべての行いがあなたの愛を映し出すことができますように照らしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  アーメン

 

〇 四旬節第4主日  説教 (週報掲載説教要旨)

                                     先週の福音から 

                四旬節第3主日 世界祈祷日「  愛をもって忍耐する  」 小泉  基 牧師

                             エフェソ4:1-3 ヨハネ15:12,13,17

 

   パレスチナの女性たちの声に耳を傾けましょう。

わたしの名前はリナです。2022年5月11日、叔母のシーリーンが亡くなりました。ジャーナリストでしたがジェニンで殺害されました。わたしにとってシーリーンは、パレスチナが経験した理不尽な環境下においても生き抜く、強い風にも耐える、 まるでオリーブの枝のような人でした。

シーリーンの死は、パレスチナが一人の偉人を失ったことでもありました。アルジャジーラの有名なジャーナリストであったからです。

その上、彼女はわたしにとって叔母であり、 バプテスマを受けた時のゴッドマザーであり、親友でもありました。物心ついた時から、手本とする存在であり、パレスチナの若い女性たちにとっても手本となる存在でした。成長するにつれ、わたしもシーリーン叔母さんのように成功したいと思うようになりました。

専門職をもち、いつも人の気持ちに寄り添える人になりたいと思いました。夏休みに家族を訪ねてきた叔母と過ごし、さまざまなことについて語り合ったひとときは、今もわたしにとって、かけがえのない宝物です。

25年間、シーリーンはパレスチナ人の経験を語り、真実の声となるために彼女の人生をささげました。そしてテレビを通してパレスチナとアラブのすべての家を訪問していました。葬儀の日には、シーリーンがパレスチナ人らの心に確かに届いていたことが証明されました。寄せられた溢れるほどの連帯のしるしは、パレスチナの共通の記憶として深く植えつけられ、わたしは決して忘れることはないでしょう。

イスラエル軍からの脅迫にも屈せず、棺を担いでくれた強く勇気あるパレスチナの人々に、わたしたちは感謝してもしきれません。

シーリーンがパレスチナ人キリスト者だったということを、多くの人は知りません。シーリーンは信仰によって、宗教が違う人たちを愛をもって忍耐し、受けいれました。彼女は、すべての傷ついた人たちに寄り添っていました。エルサレムの聖地に入ることのできるイスラム教徒とキリスト者、双方のために奮闘しました。真実を語り続けるということは、占領者に対してさえ愛をもって忍耐するということでした。真実を語ることは、愛をもって抵抗するということの一つの形です。なぜなら抑圧する人の人間性を回復させる力があるからです。シーリーンという一本のオリーブの枝は、こんなにも早く切り落とされてしまいましたが、 彼女の遺したものは生き続けます。シーリーンの記憶は、この地球を豊かにし、わたしたちに、真実を語り正義を求め続ける勇気を与えてくれるのです。 (小泉)

            

 《来週の礼拝》                              

#3月17 午前10時30分 四旬節第5主日 礼拝  

司  式:小泉 基牧師

説  教:小泉 基牧師「大を望みて小を棄つる

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:小笠原里子さん

礼拝当番:蔵谷俊夫さん、小笠原里子さん

聖  書:エレミヤ 31:31-34、ヘブライ 5:5-10、ヨハネ 12:20-33

讃  美 歌:76、72増補49

 


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3月3日「今日の礼拝堂」

2024年03月04日 | 今日の礼拝堂

 四旬節第3主日    

「つどいの祈り: 三位一体の神よ、あなたが住まわれ、教えられたその土地を、わたしたちと共に歩んでください。わたしたちの目を開き、この土地に住んでいる者たちの受けている苦を見せてください。世界中で苦しんでいるすべての人たちと共に行動し、祈る力と勇気をわたしたちに与えてください。  アーメン

〇四旬節第3主日 世界祈祷日 説教 (週報掲載説教要旨)

                 「  その時を待ち望む  」 岡田薫牧師   エフェソ4:1-3 ヨハネ15:12,13,17

 2024年に世界中でパレスチナに思いを寄せて祈るようにと促されているところに、人知を超えた方の計らいがあるように感じます。悪化の一途をたどっているパレスチナ情勢を考える時に起点をどこに置くのかということがとても重要になります。この一帯は肥沃な三日月地帯と呼ばれるように豊かな土地であり、アジア、アフリカ、ヨーロッパとつながる要所でもあるため、常に権力者たちにとって魅力的な地域でもありました。紀元前8世紀のアッシリア侵攻から数えると、人類の歴史の長さに匹敵するほどの暴力や苦しみがこの地方で起きていることがわかります。

 第一次世界大戦後、欧州のキリスト者の多くは、ユダヤ人がパレスチナに移住することを支持し、神から与えられた「約束の地」であると主張していました。シオニズム運動です。欧州から見ればパレスチナは人の住んでいない不毛の土地。入植がはじまります。しかし、パレスチナは豊かな農業地帯、「乳と蜜」の流れる地であり、多様な人々が住んでいました。パレスチナのキリスト者たちも長年そこに生活していたのです。もちろん、キリスト者だけでなく、イスラム教やユダヤ教はじめ異なる信仰を持つ人々と共に互いに認め合いながら・・・。しかしホロコーストの影響もあり、第二次世界大戦後、国際連合は1947年にパレスチナの分割を決議し、パレスチナとイスラエルという二つの独立した国家の創設とエルサレム市に特別な国際的な地位を与えることを決議しました。

 しかし、1948年5月15日にイスラエル国家が樹立され、今日に至るまでパレスチナに自治権はありません。1988年に独立宣言をし、2019年に国連加盟国のうち138か国がパレスチナを国家として認めてもなお、二国共存は実現せず大きな不均衡があるだけです。パレスチナ人は5月15日を「ナクバ」(大惨事)と呼んでいます。これは1947年から1949年の間に、少なくとも75万人のパレスチナ人が故郷から追放され、村や都市の破壊、虐殺行為などで約15,000人に上るパレスチナ人の犠牲が起きたことに加え、現在に至るまでの継続的な占領、さらにはパレスチナ領土や難民キャンプでの迫害と強制移住によって難民の帰還権の否定、恒久的な難民の形成、パレスチナ社会の破壊と民族浄化に対する抗議の意味があります。

 式文の中には3人の女性たちの証言があります。彼女たちや家族たちが経験した痛みは、未だ癒されていません。それでも彼女たちは自分たちがパレスチナ人キリスト者として生きる意味を問い、キリストに従う歩みを続けています。そして、いつか家に帰ることが出来る「その日」が来ることに希望をつないでいるのです。主イエスが命じられる《互いに愛しあう》という姿は、具体的な行為をともなう実践的なものです。それは、相手を差別せず、区別せず、限定することなく、友となり、相手に仕え、その身代金としてご自身をお与えになった主イエスの姿にならうようにとの招きです。主の呼びかけと共に、パレスチナの人々からの「愛をもって互いに忍耐しなさい」との呼びかけに私たちも応答し、共に生きる者でありたいと願います。(岡田)

            

 《来週の礼拝》                              

#3月10 午前10時30分 四旬節第4主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「見上げた先にあるもの

奏  楽:若井裕子さん

聖書朗読:小川敦子さん

礼拝当番:小笠原里子さん

聖  書:民数記 21:4-9、エフェソ 2:1-10、ヨハネ 3:14-21

讃  美 歌:299、71増補49x3

 


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