降誕後主日
「全能の神さま。あなたは人を造られました。救いの御業によってそれをさらに輝かしい姿にされます。人となたれたイエス・キリストによって、私たちをあなたのおのちに生きる者としてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる御子、主イエス・キリストによって祈ります。」
〇イブ礼拝、降誕祭礼拝とクリスマスの出来事が完成して、今日はその光が満ち溢れた降誕後の第1主日礼拝でした。ローソクは全部、明るく光り輝いて、新しい年の幕開けを祝福してくれているようです。今年最後のお花はデンファレがたくさん活けられて、冬を実感させます。この寒い季節になると、暖かい国から運ばれてくるデンファレが私たちの心をいやしてくれます。この一年も、お花のかかりのNAさんご夫婦におんぶにだっこでした。ご夫婦のご好意で、礼拝堂は一度も寂しいことがなく、いつも、季節ごとのお花で飾っていただきました。お花がなくても、オルガンがなくても、礼拝は成立します。でも、このお花とオルガンがどれだけ礼拝を豊かにしてくれるかを思うと、つい当たり前のように受け取ってしまっていることに恥ずかしささえ覚えます。小さな善意、あまり目立たない行為に対して、新鮮な感謝を忘れない私たちでいたいと思います。NAさん、ご主人さま、ありがとうございました。礼拝後の、聖壇のローソクを毎週補修してくれるEHさん HAさんにも感謝です。そして、毎週、欠かさず玄関前に出す立て看板に説教題を印刷して貼りにきてくださるSMさんにも、心から感謝です。みんなの小さな力が寄せ集まって、今年も無事に終わります。終わりというのは、たとえそれが希望に満ちた次の段階へのステップだと知っていても、なぜか、たまらなく寂しく、名残惜しい思いになります。さあ、みなさんの新しい年が幸せいっぱいでありますように!
〇降誕後主日説教 岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書2:25-40
「恵みを抱いて」
ヨセフとマリアは、産後の清めと《初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される》との律法の定めに従い、幼子を神さまにささげるために神殿に行きました。そこにはシメオンとアンナという二人の預言者が、約束のメシアの到来をいまかいまかと待ち望んでいました。
シメオンには《主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない》というお告げが与えられており、《この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた》とあります。ここには彼の年齢は書かれていませんが、アンナが《84歳になっていた》とありますから相当な年齢だったことがわかります。一方のアンナは若いときには夫がいましたが、早くに死に別れてからというもの《神殿を離れることなく、昼も夜も神に仕えて》とあります。それぞれに、神さまの約束への信頼と救い主への希望を持って救い主に見(まみ)えることを楽しみにしていたのです。
神さまが、小さな乳飲み子として救い主をお与えになった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望があるからでしょうか。それだけではないと思います。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。主はもっとも大いなる力を持っておられるにもかかわらず、自らの力を行使することを放棄して、人の親に身を委ねられた。それは、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たち人間が、今私たちの腕の中に納まるほどに小さくなられた神さまの愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。
幼子を腕に抱いたシメオンは、神さまの約束が果たされたことを実感すると神さまへの賛歌を口にします。救い主の誕生を待ち望み、そして迎えることができた万感の思いが魂からあふれ出ているのです。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々へとこの嬉しい知らせを告げ知らせいています。二人は喜びに溢れ、救い主の到来を告げ知らせずにはいられないのです。
では、私たちはどうでしょうか。今年も私たちは神の御子の誕生を祝いました。嘆きや呻きの絶えないこの社会の中で、この御子と出会えたことが私たちにとっては何よりの救いであると思います。長い間、神さまの約束を信じ、待ち望み続けたシメオンやアンナの姿にならい、私たちも主の再臨を待ち望む者として、この礼拝の中で『主の救いを目の当たりに見た』ことを喜び、感謝して受け取り、証しするものでありたいと願います。
主は、私たちと共に生き、すべてを担い、信じる者すべてに永遠の命の道を開いてくださるために来てくださいました。そして、日々新たな恵みを注ぎ、私たちを愛で包んでくださいます。この一年の歩みを恵みと祝福を持って導いてくださったことに感謝し、新たに迎える年も主の導きに信頼して共に歩んでまいりましょう。
〇シメオンの賛歌と言われる美しく、希望に満ちた救いの喜びに満ちた説教でした。たくさんの聖画がある中で、このシメオンの喜びを描いたものほど、美しいものはないと感じます。人間が死の間際に神さまの救いをその目で見て死ぬ・・・それは、それを自分の眼で見るまでは死なないという、シメオンの強い信仰が成就したのだともいえるのでしょうが、そのシメオンに応えられた神さまの救いのみわざと相まって、なぜか、涙があふれる場面です。この年の最期にこの説教をいただいたことを、感謝します。
〇2016年1月3日(日) 午前⒒時 顕現主日
〇司式:岡田薫牧師
〇説教;岡田薫牧師
〇奏楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄
〇礼拝当番:秋田直枝姉
林三浩兄
〇聖書;イザヤ書60:1-6・エフェソの信徒への手紙3:1-12・マタイによる福音書:2:1-12
〇讃美歌:49(1,2)・54(1-3)・54(4,5)・49(3,4)・255(1,2)
〇2015年のオープンチャーチは終了しました。2016年は1月6日からです。