新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

12月27日「今日の礼拝堂」

2015年12月27日 | 今日の礼拝堂

降誕後主日

「全能の神さま。あなたは人を造られました。救いの御業によってそれをさらに輝かしい姿にされます。人となたれたイエス・キリストによって、私たちをあなたのおのちに生きる者としてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる御子、主イエス・キリストによって祈ります。」

   
〇イブ礼拝、降誕祭礼拝とクリスマスの出来事が完成して、今日はその光が満ち溢れた降誕後の第1主日礼拝でした。ローソクは全部、明るく光り輝いて、新しい年の幕開けを祝福してくれているようです。今年最後のお花はデンファレがたくさん活けられて、冬を実感させます。この寒い季節になると、暖かい国から運ばれてくるデンファレが私たちの心をいやしてくれます。この一年も、お花のかかりのNAさんご夫婦におんぶにだっこでした。ご夫婦のご好意で、礼拝堂は一度も寂しいことがなく、いつも、季節ごとのお花で飾っていただきました。お花がなくても、オルガンがなくても、礼拝は成立します。でも、このお花とオルガンがどれだけ礼拝を豊かにしてくれるかを思うと、つい当たり前のように受け取ってしまっていることに恥ずかしささえ覚えます。小さな善意、あまり目立たない行為に対して、新鮮な感謝を忘れない私たちでいたいと思います。NAさん、ご主人さま、ありがとうございました。礼拝後の、聖壇のローソクを毎週補修してくれるEHさん HAさんにも感謝です。そして、毎週、欠かさず玄関前に出す立て看板に説教題を印刷して貼りにきてくださるSMさんにも、心から感謝です。みんなの小さな力が寄せ集まって、今年も無事に終わります。終わりというのは、たとえそれが希望に満ちた次の段階へのステップだと知っていても、なぜか、たまらなく寂しく、名残惜しい思いになります。さあ、みなさんの新しい年が幸せいっぱいでありますように!

                      

〇降誕後主日説教           岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書2:25-40

「恵みを抱いて」

 

 ヨセフとマリアは、産後の清めと《初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される》との律法の定めに従い、幼子を神さまにささげるために神殿に行きました。そこにはシメオンとアンナという二人の預言者が、約束のメシアの到来をいまかいまかと待ち望んでいました。

 

シメオンには《主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない》というお告げが与えられており、《この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた》とあります。ここには彼の年齢は書かれていませんが、アンナが《84歳になっていた》とありますから相当な年齢だったことがわかります。一方のアンナは若いときには夫がいましたが、早くに死に別れてからというもの《神殿を離れることなく、昼も夜も神に仕えて》とあります。それぞれに、神さまの約束への信頼と救い主への希望を持って救い主に見(まみ)えることを楽しみにしていたのです。

 

神さまが、小さな乳飲み子として救い主をお与えになった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望があるからでしょうか。それだけではないと思います。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。主はもっとも大いなる力を持っておられるにもかかわらず、自らの力を行使することを放棄して、人の親に身を委ねられた。それは、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たち人間が、今私たちの腕の中に納まるほどに小さくなられた神さまの愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。

 

幼子を腕に抱いたシメオンは、神さまの約束が果たされたことを実感すると神さまへの賛歌を口にします。救い主の誕生を待ち望み、そして迎えることができた万感の思いが魂からあふれ出ているのです。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々へとこの嬉しい知らせを告げ知らせいています。二人は喜びに溢れ、救い主の到来を告げ知らせずにはいられないのです。

 

では、私たちはどうでしょうか。今年も私たちは神の御子の誕生を祝いました。嘆きや呻きの絶えないこの社会の中で、この御子と出会えたことが私たちにとっては何よりの救いであると思います。長い間、神さまの約束を信じ、待ち望み続けたシメオンやアンナの姿にならい、私たちも主の再臨を待ち望む者として、この礼拝の中で『主の救いを目の当たりに見た』ことを喜び、感謝して受け取り、証しするものでありたいと願います。

 

主は、私たちと共に生き、すべてを担い、信じる者すべてに永遠の命の道を開いてくださるために来てくださいました。そして、日々新たな恵みを注ぎ、私たちを愛で包んでくださいます。この一年の歩みを恵みと祝福を持って導いてくださったことに感謝し、新たに迎える年も主の導きに信頼して共に歩んでまいりましょう。

〇シメオンの賛歌と言われる美しく、希望に満ちた救いの喜びに満ちた説教でした。たくさんの聖画がある中で、このシメオンの喜びを描いたものほど、美しいものはないと感じます。人間が死の間際に神さまの救いをその目で見て死ぬ・・・それは、それを自分の眼で見るまでは死なないという、シメオンの強い信仰が成就したのだともいえるのでしょうが、そのシメオンに応えられた神さまの救いのみわざと相まって、なぜか、涙があふれる場面です。この年の最期にこの説教をいただいたことを、感謝します。

岡田薫牧師説教集・・・・岡田薫牧師随筆集

                    

〇2016年1月3日(日) 午前⒒時 顕現主日

〇司式:岡田薫牧師

〇説教;岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄

〇礼拝当番:秋田直枝姉
      林三浩兄

〇聖書;イザヤ書60:1-6・エフェソの信徒への手紙3:1-12・マタイによる福音書:2:1-12

〇讃美歌:49(1,2)・54(1-3)・54(4,5)・49(3,4)・255(1,2)

〇2015年のオープンチャーチは終了しました。2016年は1月6日からです。


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12月24日「今日の礼拝堂」

2015年12月24日 | 今日の礼拝堂

クリスマスキャンドルライト礼拝

       
〇冬至を過ぎて、気のせいかほんの少しだけ日脚が伸びてきた24日。イブ礼拝が各礼拝でもたれました。新札幌礼拝堂は午後4時からの礼拝でした。日笠山牧師と岡田牧師のダブル牧師が礼拝を執り行ってくださり、なんとも贅沢な礼拝でした。4時はすでに日が落ちて闇に包まれた中、一人一人がイエスさまのともしびを握りしめました。このともしびがこれからの一年、私たちの心を強めてくれます。途方にくれるようなときには、足元を示してくれます。イエスさまのともしびを心に抱いて、神さまに託されたこの世界をしっかりと生きていきましょう。

〇1968年のクリスマス・イブ。アメリカの宇宙船アポロ8号が初めて月の裏側を写真に収めたと言われています。なぜこんなことを覚えているかというと、そのアポロ8号に乗っていた宇宙飛行士の3人が、イブの贈り物としてNASAへと送信したメッセージは「創世記」の朗読だったという話が、心の深いところにズシーンとおさまっているからです。近代科学の粋を集めた宇宙への冒険。それを担う戦士たちが宇宙という異空間にまで達して実感したのが、神さまの創造の物語だったということが、言葉にならない感動を与えてくれます。創世記の10節までを朗読したというその実際の声を聞いたわけではないのですが、いつも創世記を開くたびに、宇宙飛行士が見た景色を重ねて思うようになりました。もう一つ、この出来事が私の記憶に強く残っているのは、その年、私の長男が生まれました。長男が生まれた年、日本で初めての心臓移植も行われました。これは札幌医大の和田教授という方が、まだ法整備のできていない時にも関わらず、小樽の海岸で水死した大学生の心臓で、宮崎信夫んという青年に移植手術をしました。教授はその後、殺人罪に問われて起訴され、移植を受けた青年も確か50日くらいの生存ののち、亡くなりました。
私はこの二つの大きな出来事のあった年に息子が生まれたことを感謝しています。科学や医学の発展の過程には、大きな犠牲があったことを、それを乗り越えて人類は生き続けていることを。そして、その科学や医学、芸術や音楽などの限界の果てには、超えることのできない存在、神さまが立ち続けておられるのだということを、なぜかクリスマスになると思います。謙虚にならなくてはと思います。すべては神の被造物だという事実、今宵はゆりかごに揺られる赤ん坊のように素直な気持ちで過ごしています。今夜は讃美歌をたくさん歌いました。そして・・泣きました。

 

                                                 

〇フィンランドのソベリ先生からのクリスマスカードです。天使ちゃんは立体的につくられています。先生が手作りをしてくださったように思います。あんまり可愛いので、少しでも多くの方に見てほしいと思って載せました。


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12月20日「今日の礼拝堂」

2015年12月20日 | 今日の礼拝堂

待降節第4主日 クリスマス礼拝

「主キリストよ。力を奮って来てください。私たちが祝いの日を迎えるとき、私たちの罪を取り除いて、永遠の喜びに仕えさせてください。あなたは父と聖霊と共にひとりの神であって、今もまた、永遠に生きて治められます。」         

          

待降節第4主日説教              日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書1:39-45

「祝福された者たち」

4本のアドベント・キャンドルに、すべての火が灯されました。今日は、待降節第4主日。私たちの教会では、一足先にクリスマス礼拝としてこの日を守ります。正式なクリスマス(降誕祭)は、言うまでもなく12月24日から25日にかけてです。それは、イエス・キリストがお生まれになられた日が、まさにこの12月24日の夜から25日の未明に重ねられているからです。ですから、教会でも24日の夕刻から25日の朝にかけて、4回ものクリスマス礼拝を行います。1年のうちでもっとも日が短くなるこの季節、真っ暗な夜のとばりがおりるやいなや、教会ではキャンドルに火を灯し、まことの光としてこの世を照らすためにお生まれになられたキリストの降誕を祝うのです。

クリスマスの基調は、「喜び」と「祝福」です。この私の救いのためにキリストがお生まれになられたという喜びと、そのキリストが御自身の命をかけて私たちを愛してくださるという祝福。それら私たちの喜びとキリストの祝福の音調が、このクリスマスには共に響き合うのです。そう、エリサベトが宿した子=洗礼者ヨハネが、キリストの母マリアの挨拶を聞いて喜び躍ったように。「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。」さらには、その胎動を知ったエリサベトもまた、マリアと彼女が宿した御子が神によって祝福されていることを声高らかに告げたように。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」

私たちにとって、新しい命の誕生という出来事は実に大きな喜びであり、神の祝福そのものです。私自身、今までの50年余りの人生の中で何が一番嬉しかったか?と問われると、牧師になれたことでもなく、音楽の賜物を与えられたことでもなく、二人のこどもたちを授かったことだと即答するでしょう。とはいえ、聖書によると、人はみな罪のもとに生まれて来るのですから、一人の人間が生まれ、育ち、やがて一人立ちしていく過程においても、喜びと祝福ばかりとは限りません。親も子も、時には間違いを犯し、互いに傷つけ、傷つけられる…それでも親は、我が子が産声をあげた瞬間に喜びの声をあげ、祝福されたことは生涯決して忘れないでありましょう。ましてや、クリスマス−神の御子が生まれたこの日。御子を産んだ母マリアだけでなく、一度は家族の縁を切ろうとした父ヨセフも、親類のエリサベトも、御子の誕生を真っ先に告げられた貧しい羊飼いたちも、そして東の国からはるばる訪ねてきた博士たちも、みな神の祝福に包まれながら、天使たちの賛美に合わせて喜びの声をあげたに違いないのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と。皆さんの心の中にも、平和の主イエス・キリストが宿ってくださいますように。そして、いつも喜びと祝福に満たされますように。

〇クリスマスを待ち望むメッセージが伝えられました。教会の暦に従って行われる主日礼拝は、今日はまだクリスマスではなく「待降」の時です。クランツのローソクも真ん中にある大きな太いローソクには点火をしません。その真ん中の光がイエスさまの光だからです。イエスさまは24日の夜中にお生まれになりました。頭では理解していることなのですが、人間の「待つことの苛立ち」みたいなものが、毎年この日にはムズムズとします。でも、この時こそがきっと一番大事な時なのだと思います。今日一番最初に歌った讃美歌は教会讃美歌16番「時は満てり、み子はあらわる。」「暗き夜はいまぞ消え去る。」「望み待ちし君を仰ぐ」。それは、手を伸ばせば捕まえることができるほどに近い時。もうすでに光を放っている時。確かな確かな時です。私たちは毎月聖餐の時、天国の先取りとして、いつか必ず行く天の国の宴をリアルなものとしていただきます。この待降節というのも、きっとそういう、すでに与えられているものと未だ待ち望むものの間の時を、確かな思いで生きるようにと定められているのでしょう。クリスマスの出来事は、私の救いのために祝福と喜びという基調音によって奏でられる。私の心の中にキリストが生まれてくださるという祝福をしっかりと刻んで、大きな喜びの中に24日と25日という喜びの時を迎えましょうと、牧師が身体中で響かせてくれる喜びと祝福がみちた説教でした。

日笠山吉之牧師説教集・・・・日笠山吉之牧師随筆集

恒例の「持ち寄りパーティ」です。みんなでサンタさんの帽子をかぶって気分上々。真っ赤なトナカイさんでも歌ったら、もっと盛り上がるのに・・・と、ひとり呟くお祭り好きの わ・た・し。

  
  
   
  
〇楽しくおいしい愛餐の時は、毎年ビンゴで締めくくります。なかなか開かないビンゴカードをもって、なんとなく焦ります。ビンゴは必ず最後までみんなが平等にプレゼントをいただけることが分かっていても、やっぱり、誰よりも早く「幸運」を手にしたいと思うのは、人間のサガなのかもしれません。ビンゴくらい待てなくて、どうしてクリスマスが待てるんだ? そりゃあ分かっているけど、そこがまた人間らしくて楽しいひと時です。毎年担当をしてくださるオガワ兄とクラヤ兄、ご苦労さまでした。

                     

12月27日(日) 午前⒒時  降誕後主日

〇司式:岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:林三浩兄

〇礼拝当番;小川照美兄
      滝田裕美姉

〇聖書:エレミヤ書31:10-14・ヘブライ人への手紙2:10-18・ルカによる福音書2:25-40

〇讃美歌:47(1,3,4)・19(1・3)・19(4・5)・338(1,3,5)・260(1,3,4)

〇24日はキャンドルライトサービスです。新札幌は16:00からです。ローソクの灯りだけで、イエスさまのお誕生を感謝する静かな礼拝をもちます。どなたでもご自由にお入りください。

 

 


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12月13日「今日の礼拝堂」

2015年12月13日 | 今日の礼拝堂

待降節第3主日

「今週の祈り:全能の神さま。あなたはこの世界においでになり、あなたに心を傾ける者と共に常におられます。私たちの祈りを聴き、私たちの心の闇をみ光で照らしてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。」

  
〇アドベント第3週です。クランツのローソクに三つ目のともしびがともりました。今まで光のなかったところに、3本の光が灯ったら、どんなに明るくなるでしょう。でも現実には、私たちはまばゆいばかりの光の洪水の中で暮らしています。だから、ローソクに三つの光が灯っても、それほどに大きな感動を得ることができません。でも、想像をめぐらしましょう。子どもたちが外に遊びに出られない廃墟のような世界。いつ、身近で爆弾が破裂するかわからない恐怖。明日という日が手の届かないところにある不安。そんな世界が今、世界中のあちこちに現実としてあります。そんな世界にとっては、ローソクの1本の明かりがどれほどの希望になることでしょう。イエスさまは、そういう世界を心に描きなさいとおっしゃっているのではないでしょうか。1本の光を届けるために、何をどうしたらいいか、わからない私たちです。今日、礼拝後、安保関連の法改正反対の署名書が回りました。これはとるに当たらない小さなことだとあきらめるのはやめましょう。それしかできないのではなくて、それならできるのです。「人間にはできないけれど、私にはできる」と、神さまが今日も力強く宣言してくださいました。神さま、イエスさま、信じます。どうかこの世の隅々にまで、あなたの光が届くように、そのために何をなすべきかを教えてください。

〇待降節第3主日説教               岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書1:26‐38

 「神からの恵み」

 天使ガブリエルは《おめでとう、恵まれた方。主が、あなたと共におられる》とお祝いの言葉と同時に《マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさい。》と挨拶しました。そのお告げを聞いたマリアは多いに戸惑っています。当然のことでしょう。ダビデ家のヨセフという人の許嫁ではあっても、まだ彼女たちは結婚していません。ですから思わず《わたしは男の人を知りません》と声を上げています。

 けれども天使は《聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。》とさらに言葉をつづけました。マリアは自分の理解を超える出来事にただ驚くばかりだったでしょう。

 しかし彼女はすべてを聞いた後、《お言葉どおり、この身に成りますように》と言いました。おそらくこの様に答えながらも、彼女の中ですべての不安や不確かな思いが消え去っていたわけではなかったしょう。にもかかわらず、彼女がこのように答えることができたのは、彼女の不安や恐れにもまして力強く響いた神の約束があったからだと思います。

 マタイによる福音書には、夫であるヨセフに天使が現れています。彼は、マリアが身ごもっているという知らせを受けると、《ひそかに縁を切ろうと決心》(マタイ1:19)しました。けれども天使によって《恐れず妻マリアを迎え入れなさい。》(マタイ1:20)と励まされることによって、すべてを引き受ける決意をしました。

 マリアもヨセフも理解を超えた出来事に戸惑い、迷い、悩みます。しかし、《恐れることはない》という御言葉に触れたとき、すべて引き受ける決心を持つことができました。そう、私たち人間は、神さまに対する疑いや迷いをぬぐえない弱さをもっています。けれども、私たちは御言葉に触れ、御言葉を与えられることによって疑うものではなく、信じる者へと変えられてゆくのです。

 クリスマスを祝うということは、この日、マリアに告げられた恵みの知らせを私たちも信じるということです。自分の理解を超えることであっても、にわかには信じられないようなことであっても、神への信頼、神の御言葉へ信頼するのです。やがて生まれてくる赤ちゃんは「インマヌエル=神は我々と共におられる」という意味の名を持つお方です。喜びを持ってこの方をお迎えしましょう。

〇「おことば通りこの身になりますように・・・」マリアの賛歌と言われるこの信仰告白を、私たちはできるでしょうか。身に覚えのないこと、しかも女にとって身もごるというのは、途方もなく未知の恐怖にさえ感じる出来事です。それを、年若いマリアが、受け入れました。そんな大きなことでなくても、私たちは日常の中で思いがけない出来事に直面してうろたえます。病気もそうだし、経済的貧困もそうだし、友たちとの心のずれ、仲間の嘆き・・・・そんなときに、「おことばどおりに」と言えるだろうか。そのことばを、あきらめや居直りでなく、心の底からの神信頼で言えるだろうか・・・・。牧師は、そこには脈々と引き継がれてきた信仰の土台があっただろうと解き明かしてくださいました。信じて、生きてみよう。それは人の業ではなく神のわざなのだから。私には、共に生きてくださる伴侶がいる。神さまの示された道を、神さまと共に生きていこう・・・。今日も、心から励まされました。

さあ、自分ひとりの足元さえも覚束ない私たちだけど、神さまが隣を歩いてくださることを、心から信じてイエスさまのお誕生を待ちましょう。来週は、クリスマス礼拝として守ります。

                       

              
〇焼き物でできた「聖家族」です。素朴で暖かくて、手の平の中にすっぽりとおさめられるくらいの大きさですが、新札幌の宝物の一つです。右は手作りのアドベントカレンダーです。フェルトでつくられたもので、これも毎年和やかな心温まる演出をしてくれています。

                       

〇12月20日 午前11時 クリスマス礼拝

〇司式:日笠山吉之牧師

〇説教:日笠山吉之牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄

〇礼拝当番;小川敦子姉
      滝田裕美姉

〇聖書:ミカ書5:1-4a・ヘブライの信徒への手紙10:5-⒑・ルカによる福音書1:39-45

〇讃美歌:16・34(1-2)・34(3-4)・31・聖餐264(1)

〇16日(水)オープンチャーチです。どなたでもご自由にご参加ください。

〇礼拝後、楽しい、おいしい、祝会があります。お楽しみに!

                  

〇これは、12月13日午前⒑時30分。新札幌礼拝堂の上の空です。無修正の色です。きれいだなぁ…と、思わず写真に収めました。

 

                            

日本福音ルーテル札幌教会のクリスマスのごあんないです。ご都合のよい日時を選んでどうぞお越しください。心静かに教会のクリスマスを共に過ごしましょう。

 

                

 

 

 

 


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12月6日「今日の礼拝堂」

2015年12月06日 | 今日の礼拝堂

待降節第2主日

「全能の神さま。あなたは洗礼者ヨハネによって、御子の来臨を告げ、その道を備えられました。私たちにご計画を悟る知恵と、み旨を聞く耳を与えてください。そして、キリストの来臨を語り伝え、その道を備える者にしてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

       
〇クランツの2本目のローソクに明かりがともりました。アドベント第二週目です。2本目のローソクには「平和」という名前があるそうです。世の中を見渡してみても、自分の心の中を覗いてみても、平和が見当たりません。それでも、この現実のど真ん中にイエスさまがお生まれになる日が近づいています。今日は午後「アドベントコンサート」が準備されています。どんなに哀しく悲惨な歴史の中でも、2000年の間、主の民は神さまのお約束を信じて、天の国を仰ぎ見ながら生きてきました。信仰という一本のバトンをつなぎ続けてきました。さあ、今年も主のご降誕を希望という喜びの中で迎えましょう。新札幌礼拝堂のアドベントページェントの開幕です。

                    

                 
          
      
      
      

                     

〇日笠山牧師のチェンバロとトラヴェルソというフルートの古楽器との演奏会が素晴らしいコンサートでした。トラヴェルソを演奏してくださったのは、牧師のご友人でした。合唱にしろ楽器の演奏にしろ、音を合わせる楽しさは、大きなふくらみをもつ豊かな神さまからのたまものだとしみじみと感じました。

〇ルーテル札幌教会聖歌隊のハーモニーも、美しくて清らかで、心に染み入りました。そして、わが新札幌の演劇集団の朗読劇も、何にも増して素晴らしかった!みんなの明るい笑顔と真剣に演じる姿をご覧ください。イエスさまのお誕生までの道行や、ヨセフとマリアの苦悩や、苦悩を乗り越えた大きな喜びや、三人の博士たちがはるばると旅をしてきて、約束の地にたどり着いた歓喜。天使ガブリエルの大きな愛。夜通し羊の番をしていた羊飼いの驚きの喜び!それらを繋ぐナレーターの素晴らしかったこと。 自画自賛が過ぎたでしょうか。でも、これで3年目のアドベントコンサート。自分たちの手でクリスマスの喜びを作り上げようと決意して始めたものですが、だんだん、様になってきました。来年はさらに工夫を凝らして素晴らしい生誕劇をご披露します。ああ、これが、「世界で初めのクリスマス」だったのだと、最後に全員で歌った可愛い讃美歌に思わず涙が出ました。現実の苦しみや、悲惨な世界情勢は変わらないけれど、私たちは今日の喜びを心に抱いて遣わされていきます。大丈夫です。神さまが一歩先を歩いてくださっているのだから・・・・。

                      

〇待降節第2主日説教             日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書3:1-6

「主の道筋」

アドベント・キャンドルに、二つ目の火が灯されました。待降節第2主日です。与えられた福音書のテキストは、『ルカによる福音書』の3章。そこに記されているのは、洗礼者ヨハネが荒野で人々に悔い改めの洗礼を宣べ伝えた出来事です。ヨハネが人々に語るメッセージは、峻厳そのものです。7節〜「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。行っておくが、神はこんな石ことからででも、アブラハムの子たちを着く出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる…」。

実に厳しいヨハネの説教ですが、彼の説教を福音書に書き留めたルカは、このヨハネの宣教こそが「福音」であると捉えていました。18節「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」ヨハネは、なるほど厳しい言葉で人々に悔い改めの洗礼を迫っていますが、それは人々に罪の赦しを得させ、救いの音信をもたらさん!という熱い思いがあったからこそ。しかも、彼は神が自分に与えられた役割を謙虚にわきまえていました。心揺さぶられるヨハネのメッセージに多くの人々が耳を奪われ、もしかしたらこの人が待ち望んでいたメシアでは?と多くの人々が期待していることを知るやいなや、ヨハネははっきりと言いました。16節「わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と。こうして洗礼者ヨハネは、やがて来たるイエスこそまことの救い主キリストである、と証ししたのです。自分は、その救い主の到来をこの荒野で呼ばわってる者に過ぎないのだ、と。ヨハネは、いわばイエス・キリストの黒子に徹したのです。

こうしてキリストの黒子に徹した洗礼者を、福音書を書いたルカは『イザヤ書』の中に見い出しました。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」他の福音書にはない『イザヤ書』40章4節〜5節の御言葉も、ルカは引用しています。ヘンデルの大作『メサイア』の冒頭で歌われるテノールのアリアと、それに続き冒頭合唱の部分です。私たち罪人は、救い主を迎えるためにいくらその道を整えようとも、道筋をまっすぐにしようと思っても、出来ません。それをやってくださるのは、主御自身−どうあがいても曲がってしまう私たちの道をまっすぐにしてくださるのは、キリスト御自身。それゆえ、私たちに出来ることは、ただキリストを仰ぎ見、キリストの救いを信じて受け取ることだけなのです。

                          

〇12月13日(日)午前11時   待降節第3主日

〇司式:岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:秋田直枝姉

〇礼拝当番:出口輝子姉
      滝田裕美姉

〇聖書:サムエル書下7:8-16・ローマの信徒への手紙16:25-27・ルカによる福音書1:26-38

〇讃美歌:7(1-2)・243・5(1,2,5)・7(3-4)・聖餐252(1-3)

〇9日(水)はオープンチャーチです。ご自由にご参加ください。

 

 


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