主 の 降 誕 *喜びのうちにクリスマスの礼拝がもたれました。
「今週の祈り: 全能の神様。あなたは御ひとり子を私たち人間の姿で与え、この世をあなたの光で照らしてくださいました。恵みによって私たちをあなたの子どもとし、聖霊の光によって照らしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
〇主 の 降 誕 説教 中島牧師(週報掲載説教要旨) ヨハネ1:1~14
「 想 像 」
クリスマスおめでとうございます。心からの喜びと嬉しさの中でこの日を過ごしていきたいと思うのです。今年は珍しいことに、24・25日が土日ということで、主日礼拝の日にクリスマスを迎えることが出来ました。聖書には25日にイエス様が生まれたとは記載されていませんので、日にちは必ずしも25日である必要はないのですが、慣例となっている25日に皆で共に主日礼拝に与れることは喜びでありましよう。クリスマスおめでとうとたくさんの人と一緒になって祝っていきたいのです。
さて、そんなクリスマスの日を皆さんはどのような心持で迎えたでしょうか。そもそもクリスマスをどのような日として捉えているでしょうか。クリスマスとはイエス様がお生まれになつたことを喜ぶ日でありますが、それは私たちが想像するような誕生日を祝う日ではありません。単に誕生日を祝うのであれば、今日の主役は誕生日を迎えたイエス様であり、私たちはイエス様が喜んでくれるようにたくさんのプレゼントや感謝の気持ちを持ってこの場所に向かうべきでありましよう。しかし、クリスマスの主役は皆さんであるのです。イエス様が生まれたことが喜ばしいのではなく、イエス様が生まれたことによってあなたが救われたことを喜ぶ日であるのです。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(14節)」言が肉となって宿ってくださったからこそ、私たちは栄光を見ることが出来るようになったのです。神の栄光は、旧約聖書の時代には見ることができない、それを見たら罪ある人間は死んでしまうものと語られていました。しかし、恵みと真理とに満ちた神の栄光をキリストが肉となって宿り、ご自身を通して示してくださったことによって、恵みと真理とに満たされた私たちはようやく神と共に生きるという最も安心できる生き方が与えられたのです。そのことがキリストの降誕によってなされたのだということを私たちが今一度確認し喜ぶ日、それがクリスマスなのです。 そして何よりも、そのことがあなたのために起こったのだということを受け止めるべきでありましよう。世界全体のためとか、生きるすべての人のためとか、そんな大きい枠組みの中の一人にあなたを埋めるべきではありません。ただただ、あなたのためにキリストはお生まれになったのです。あなたを助けるために、救うために来られたのです。それほどまでの深い愛をキリストが向けて下さっているのだと受け止め、自らの心が愛で満たされていくところでクリスマスが本当に喜ばしい日となっていくのです。
私たちの生きる世は常に明るいばかりではありません。むしろ暗闇と表した方が良いことの方が多いかもしれません。しかし、キリストが光として来られ、あなたを、そしてあなたを取り巻くすべての場所を照らしてくださったのです。そのことに信頼し、クリスマスの喜びを深<深く噛みしめて参りましよう。クリスマスおめでとうございます。(中島)
#クリスマス礼拝の後、3年ぶりの祝会(飲食は伴わない)が行われ、三浦神学生の「朗読劇」の朗読に併せて讃美歌を歌ったり、ビンゴゲームを楽しんだりして、楽しいひとときが持たれました。
《来週の礼拝》
#1月1日 午前11時 主の命名 礼拝
*司 式:中島和喜牧師
*説 教:中島和喜牧師「新しく」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:蔵谷俊夫さん
*礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん
*聖 書:民数記6:22-27、フィリピ2:5-11、ルカ2:15-21
*讃 美 歌:338,49,51、260(1,2)、増補35