主 の 変 容
「今週の祈り: 神様。あなたはモーセとエリヤが証する信仰の神秘を御子の変容において確かなものとし、輝く雲の中から「これはわたしの愛する子」と宣言され、私たちもあなたの子としてくださることを示されました。キリストと共にあなたの栄光を受け継ぐ者として、私たちを喜びで満たしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
〇 主 の 変 容 説教 中島牧師(週報掲載説教要旨) マタイ17:1~9
「 こ れ は 」
昨年から副鼻腔炎という病気に悩まされ、体調不良の日が増えてしまいました。体が細い割には風邪をあまり引かないというのが自慢だったのですが、いよいよ見た目通りに体の弱い人へと変貌しつつあります。イメージ回復のためにも健康に気を付けたいところです。皆さんも、まだまだ寒い日が続きますので体調にはお気を付け下さい。さて、いよいよ次週から教会の歩みは四旬節、つまり十字架の歩みへと進んでいきます。その転換点に置かれているのがこの変容の出来事です。主が顕れるという顕現の栄光から、十字架という苦難への歩みは、一見すると全く違った事柄に見えます。しかし苦難と栄光が両立するというのが十字架の出来事であり、そのことを先んじて示すのがこの変容の出来事なのです。マタイ16章で弟子たちは信仰を告白し、その先でイエス様から死と復活の予告を聞くこととなりました。自身の信仰をハッキリさせたその矢先に苦難が宣言されたのです。弟子たちは鶩いたことでしょう。ですが、その予告がなされてすぐに、今度は変容の出来事という神秘的体験と出会うのです。この順番は非常に面白いと思います。というのも。弟子たちの信仰告白という喜ばしい出来事がされたのですから、そこに対して変容の出来事をもって神の権威をよりハッキリと示し、そこから受難告知をもって苦難の道を進んでいくとした方が。転換点が分かりやすいと思うのです。なぜ苦難の道を歩むという宣言をしたその一歩目にわざわざ変容という神秘的出来事が備えられているのか。それは、苦難の道もまた神の栄光を示すものであるのだと言うことを伝えるためでありましよう。
イエス様の十字架の歩みは、人の目からすれば神の栄光とは程遠いものです。弟子たちもまたそのように考えていたのです。受難告知と変容の神秘的体験という、真逆にしか思えないそれらに対する無理解を抱え、気持ちを整理できないまま彼らは山を下っていったのです。この弟子たちと同じように、私たちも苦難の歩みから神の栄光を見いだせないことがあります。私たちは十字架の死を、復活という大逆転を前提にして、ようやく栄光の出来事として見ることがあります。しかし、十字架の死とそこに至る苦難そのものが神の栄光の道行であるのです。苦難と栄光、その両立を私たちはどれだけ理解できているでしょうか。私たちは復活祭という喜びに向かっていくのではありません。十字架の死という「神の栄光」に向かっていくのです。そのことを覚えて、私たちは四旬節に向かっていきたいのです。
来る四旬節に私たちは悔い改めの日々を過ごしていきます。それは罪を見つめ落ち込むときではありません。私たちの罪をイエス様がその死をもって赦し、再び神と共に生きる道を備えて下さったことを覚える時であるのです。そのことに思いを寄せることを通して、私たちは十字架の死こそ神の栄光が示されていることに気が付かされていくのです。苦難と栄光が示されるその日に向けて、悔い改めの日々を主と共に歩んでいきたいと願います。(中島)
《来週の礼拝》
#2月26日 午前11時 四旬節第1主日 礼拝
*司 式:日笠山吉之牧師
*説 教:日笠山吉之牧師「霊に導かれて」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:清水美年子さん
*礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん
*聖 書:創世記2:15-17,3:1-7、ローマ5:12-19、マタイ4:1-11
*讃 美 歌:150(1-3)、454(1-3)、増補46