新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

7月29日「今日の礼拝堂」

2018年07月29日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第10主日    

今週の祈り:   神さま。あなたは思いにまさる喜びを、愛する者に与えられます。すべてにまさって、あなたを愛する心を私たちの中におこし、私たちの願いを超えたあなたの約束に与らせてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

〇聖霊降臨後第10主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ5:21~43

「 触 れ た く て 」

「信じることが出来るか?」というのが奇跡物語を通して私たちに問いかけられる言葉でありましょう。12年間の出血が癒される、ヤイロの娘が復活する。どちらも現代では起こりえない出来事と言っても良いかもしれません。それを、信じることが出来るか、と。

12年間も出血の止まらない女は、血が止まらない恐怖を抱えながら、医者にかかっても悪化するだけ、長いこと絶望を味わっていたことでしょう。しかし、イエス様によってそれらが克服されました。この人こそ病を治してくれる方という信頼が、イエス様の服に触れさせ、彼女を救ったのです。

ヤイロも同じように、この人ならば救って下さるという信頼でもって、イエス様を訪ねるのです。結果として、死すらも乗り越えるという、期待以上の出来事が起こるのです。

何とも素晴らしい信仰、信頼の姿が描かれています。この姿を見本にしたくなります。でも、よく考えてほしいのです。見本にしたくても、私たちには出来ないと思いませんか?きっと私たちだって、自分や近しい人が病を抱える時、もしイエス様が近くにおられたら、訪ねるし、何とか助かりたいと衣服に触れようとするのではないでしょうか。でも、私たちの目の前にはイエス様はいません。触れたくても、触れられないのです。それでもこのように現実に治癒や復活が起こることを信じろ、と言うのであれば、私たちはこの奇跡の物語から、なにものも得られないことになるでしょう。であるならば、今日の物語は私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。それは、私たちに起こっている奇跡を伝えようとしているのではないでしょうか。

恐らく、私たちの病や死に対して、奇跡を目の当たりにする経験は少ないでしょう。地上での生の中で、奇跡に出会うことは難しい。にもかかわらず、皆さんは心のどこかで、「たとえ何があろうとも大丈夫」と考えているのではないでしょうか。

私たちの信仰は、現実の不幸を前に揺らぐし、絶対的なんて言えるほど強いものでもないでしょう。それでも、皆さんは最後には救いが起こることをどこかで信じているのでしょう?絶対的な信頼とは呼べないかもしれないけれど、奇跡を否定する材料に満ちた現実を生きながら、出会ったこともない奇跡を今もどこかで信じているのでしょう?それこそ、奇跡と呼ぶにふさわしいものでしょう。

現実の不幸を目の前にしながらも、それでもそこに勝利される主がおられる。見たこともないけど、信じる。理屈に反した出来事が、今まさに私たちに起こっているのです。その奇跡を私たちは経験しているのです。その信仰こそが、私たちを本当の意味で、病や死から勝利される主と共に生きることへと導くのです。病や死すらも乗り越えて、最後には全てに勝利される主がおられることに信頼していきましょう。

 

 《来週の礼拝》

〇8月5日 午前11時 平和主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「多様な愛」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄
〇礼拝当番:出口輝子姉、滝田裕美姉

〇聖 書:ミカ4:1ー5,エフェソ2:13-18、ヨハネ15:9-12 
〇讃美歌:290、273(1,2)、273(3,4),435(1-3),聖餐264(1-3)

8月1日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                                                                                      どなたでもお気軽にお立ち寄りくだ さい。    

 


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7月22日「今日の礼拝堂」

2018年07月23日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第9主日    

今週の祈り:   私たちを守られる神さま。この世の嵐が荒れ狂い、私たちを脅かすとき、み民をあらゆる不安と恐怖から解放し、不信に陥らないように防ぎ守ってください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

 〇聖霊降臨後第9主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ4:35~41

「 なぜ怖がるのか 」

 イエスさまによる奇跡物語が始まります。本日の福音はイエスさまがガリラヤ湖上で突風を静められた物語ですが、更にこの後、悪霊に取り憑かれた人の癒し、ヤイロの娘の癒し、五千人の供食物語…と一連の奇跡物語が続きます。こうしてイエスさまを通して神の力が働いておられることを悟ったペトロは、「あなたはメシアです」という信仰告白(8章29節)に導かれることになるのです。

 ガリラヤ湖は、弟子たちが知り尽くしていた場所でした。彼らの多くはそこで漁を営んでいた者たちでしたし、イエスさまにの弟子とされてからもここで宣教活動をするために、頻繁に舟を利用していたからです。南北20㌔、東西10㌔程度の湖ですから、支笏湖や洞爺湖よりも少し大きいくらいでしょうか?普段は波も穏やかな湖なのです。ところが、この日に限って、ガリラヤ湖が牙を剥きました。激しい突風が沸き起こったかと思うと、舟は波をかぶって水浸し。あわや舟は転覆の危機です。そうなれば弟子たちはみな湖に投げ出され、溺れ死んでしまうかも…命の危険を感じた弟子たちは、イエスさまを起こして大声で叫びました。「先生、わたしたちが溺れてもかまわないのですか」。なんとこの暴風の中、舟が木の葉のように揺さぶられ、弟子たちが慌てふためいていたそのさなかで、イエスさまはともの方で枕をして眠っておられたのです!弟子たちとは全く対照的なイエスさまの姿です。イエスさまはすっかり主に信頼しておられるのです。主に身を委ねておられるのです。それでも弟子たちの叫びに応えるために、イエスさまは身を起こして風を叱りつけ、荒れ狂う湖に言われました。「黙れ。静まれ」。その一言で、風はピタリとやみ、すっかり凪に。あっけにとられた弟子たちを見て、イエスさまは言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。然り、弟子たちは怖いのです。イエスさまが共におられるにもかかわらず、怖いのです。なぜなら、イエスさまがまことの救い主であるということをまだ信じ切れていないからです。だから、弟子たちは互いに顔を見合わせて言いました。「いったい、この方はどなたなのだろう」と。この方に呼ばれ、召され、弟子として従っている自分たちではあるけれども、いったいこの方はどなたなのだろう?と。

 私たちは弟子たちのこの問いに対する答えを知っています。ペトロと同じように、イエスこそメシアであると告白する信仰を与えられています。それでも、疾風怒濤の人生を歩む中で、信仰さえ揺り動かされてしまいそうになるその中で、「主よ、わたしが溺れても構わないのですか」と叫びたくなる時が確かにある…。その時は、はばかることなく叫んで良いのです。「主よ、憐れんでください」「主よ、助けてください」と。私たちといつも共にいてくださる主イエスが、必ずや救ってくださるのですから。 

 

 《来週の礼拝》

〇7月29日 午前11時 聖霊降臨後第10主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「触れたくて」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:秋田直枝姉
〇礼拝当番:小川照美兄、滝田裕美姉

〇聖 書:哀歌3:22ー33,コリント(Ⅱ)8:1-15、マルコ5:21-43 
〇讃美歌:306(1-3)、317,371,306(4-6),聖餐252(1,3,5)

7月25日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月27日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」(『イザヤ書』43章)があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。    


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7月15日「今日の礼拝堂」

2018年07月15日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第8主日    

今週の祈り:   全能の神さま。み言葉の種を私たちの中に蒔いてくださったことを感謝します。私たちが喜んでみ言葉を受け、み言葉に従い、信仰と希望と愛に満たされるために、聖霊の助けを与えてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

  〇聖霊降臨後第8主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)マルコ4:26~34

「 豊 か な 実 」

 今日の聖書箇所では「神の国」について語られています。気になりますよねぇ、神の国。一体どのような国なのかと。今日の箇所の26-29節を読む限り、神の国は人々の気が付かないところで成長していくことが語られています。しかし、私たちが聞きたいのはそういうことではないでしょう。どんなところなのか、どうやってそこに行くのか、本当にあるのか。そういうものでありましょう。たとえ話の中で言うなら、どんな種が蒔かれて、どのような実を結ぶのか。豊かな実とはどのようなものであるのか、それを知りたいわけですが、それらは知らされません。「どうしてそうなるのか、その人は知らない(27節)」と言われているのに、私たちは知らないと気が済まないのです。なぜそうなるのか、結果としてどうなるのか。けれど、そこを追求し続ける限り、私たちは神を疑い続けていく事になるのでしょう。

  私たちは神を疑います。こう言うと「そんなことはない」と言いたくなります。しかし、その疑いは私たちの気が付かないところで表れていくのです。神が「豊かな実を結ぶ(28節)」と言われているのに、私たちはどのように「豊か」であるのかを知ろうとしてしまいます。結果として、私たちが納得のいくもののみを「豊か」と捉えようとする。私たちにとって「豊か」なものが与えられるとき、私たちは神を身近に感じていく。そうなっていく時、私たちは神の救いを、自分にとって都合の良いもののみに限っていく事になるのです。しかし、私たちは人生において必ずしも自分にとって都合の良いものばかりが起きるわけではないことは、知っていると思います。そうなっていく時、自らに与えられているはずの「豊かさ」を私たちは見失っていくのです。神は私はどうなさろうとしているのか、と疑問に思います。豊かさはどこにあるのかと疑っていきます。私たちは神を疑うのです。

 今日の箇所の後半部にはからし種のたとえについて語られています。そこでは、からし種という最も小さな種から、どんな野菜よりも大きく、鳥ですらその葉の陰に巣を作ることができることが語られています。神の国とは、小さなところから始まる。そして、いずれは鳥たちが安心することが出来る場所となる。つまり、神の国はそのように、初めは小さなものであろうとも、いずれは全ての者が安心することが出来る場所であることが示されています。私たちはその成長過程には気が付かないし、一体どのように表されていくのかもわかりません。そこに私たちは介入していく事はできないのです。けれど、私たちはただこれらのことが起きるということを信じていきたいのです。ただ神のなさることに身を委ねて、いつか必ず、豊かな実を結び収穫の時が来ることを信じ待ち続けていきたいと願います。

 先週に引き続き、今週も安息日の討論から始まります。先週の箇所では、「安息日は、人のために定められた」という言葉でもって、安息日は労働の排除を意図しているわけではなく、人が心からの安息に与ることが出来る日として定められたことが伝えられました。

 

《来週の礼拝》

〇7月22日 午前11時 聖霊降臨後第9主日

〇司  式:日笠山吉之牧師                                                                                                                                           〇説  教:日笠山吉之牧師 「なぜ怖がるのか」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:小川敦子姉
〇礼拝当番:蔵谷俊夫兄、滝田裕美姉

〇聖 書:ヨブ38:1ー11,コリント(Ⅱ)7:1-16、マルコ4:35-41 
〇讃美歌:129(1,3,5)、172(1-3),460、365、聖餐250

7月18日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月20日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」があります。         

 

 


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7月8日「今日の礼拝堂」

2018年07月10日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第7主日    

今週の祈り:   力なる神さま。生まれながら弱い私たちは、あなたによらないで正しいことを行うことができません。あなたの戒めを守り、思いと言葉と行いのすべてで、あなたに仕えることができるように、み力で支えてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

  〇聖霊降臨後第7主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ3:20~30

「 罪 の 責 め 」

  ガリラヤで目覚ましい宣教活動を始められたイエスさまを妬み、憎み、抹殺してしまおうとする者たちが、早くもその触手を伸ばし始めます。まずは、イエスさまの身内から…「あの男は気が変になっている」と言いふらされた身内の人々は、イエスさまを取り押さえにやって来ます。誰でも身内の悪口を言われれば、恥ずかしいし、落ち込むし、心配になります。たとえ悪口を言っている側が悪意をもって嘘をついているとしても、言われた方は傷つきます。イエスさまの身内も気のいい人たちばかりだったのでしょう。まんまと彼らの思う壷となってしまいました。噂を信じてイエスさまを連れ戻しに来たのです。一方、嘘っぱちの噂を流した張本人たちもはるばるエルサレムからやって来て言い放ちました。「あの男はベルゼブルに取り憑かれている」「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と。ベルゼブルとは、悪霊の筆頭。つまり彼らは、イエス=悪霊の中の悪霊だ、と放言したのです。

 悪霊呼ばわりされたイエスさまは、たとえ話を用いてその罪を厳しく暴かれます。サタンが内輪もめすれば、立ち行かず滅びてしまうので、イエスの働きはサタンの働きではないこと。また、強い人(サタン)の所有物となってしまった家財道具(サタンによって拘束された人間)を奪い返すには、サタンを縛り上げるほどのイエスの力をもってしかなし得ないこと。このように、イエスさまの御業は聖霊の働きと力によるのであって、断じて悪霊のそれではないことをはっきりと言われたのです。「人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」と。これは、断罪の言葉です。私たちが犯すあらゆる罪を赦し、あがなってくださるイエスさまであっても、決して赦されない罪があるということです。

  神が良きものとして創造されたこの世界にも、れっきとして悪の力は存在します。『創世記』の冒頭の物語は、蛇にたとえられたサタンが弱い人間をそそのかし、神から引き離して破滅に陥れようと絶えず機会をうかがっていることを示唆しています。弱いくせに神よりも偉くなりたい傲慢な私たちは、いともたやすくサタンの言いなりになってしまうのですが、そうならないために、イエスさまが捨て身の覚悟でサタンとの戦いに挑んでくださるのです。然り、イエスさまのご生涯は、最初から最後までサタンとの戦いといっても過言ではありません。その激しい戦いに、イエスさまは勝利されました。十字架の死から復活されたイエスさまは、サタンとの戦いに打ち勝たれたからです。ですから、私たちもまたサタンとの戦いを恐れることはありません。神からの聖霊を祈り求めつつ、主イエスと共にどこまでも歩んで参りましょう。

 《来週の礼拝》

〇7月8日 午前11時 聖霊降臨後第8主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「豊かな実」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:小笠原里子姉
〇礼拝当番:堀川 悦姉、滝田裕美姉

〇聖 書:エキゼエル17:22ー24,コリント(Ⅱ)6:1-18、マルコ4:26-34 
〇讃美歌:382,175(1,2)、175(3,4),358、聖餐251(1,4,5)

7月11日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月13日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」(『イザヤ書』1章)があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。    

 


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7月1日「今日の礼拝堂」

2018年07月03日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第6主日   #信徒礼拝で行いました。 

今週の祈り:   すべての民の主なる神さま。あなたはあなたの民にみ心を示し、あなたの民を救う約束を与えられました。私たちがあなたの戒めに耳を傾け、み旨を行うために、あなたの強い力で支えてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

   〇聖霊降臨後第6主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)マルコ3:1~12

「 あなたは神の子 」

 先週に引き続き、今週も安息日の討論から始まります。先週の箇所では、「安息日は、人のために定められた」という言葉でもって、安息日は労働の排除を意図しているわけではなく、人が心からの安息に与ることが出来る日として定められたことが伝えられました。

 今日の箇所では、安息日の規定について語られているというよりも、人の心の頑なさについて語られていると言って良いでしょう。今日の箇所で登場する人々は、自分たちの伝統や習慣とは違う事を教え行っているイエス様をどのように糾弾するかばかりに思い巡らしていたのです。だからこそ、イエス様は彼らに迫ります。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか」と。この一言でもって、イエス様を糾弾しようとする人々の悪事を暴露したと言っても良いでしょう。しかし、それでも敵対する人々は頑ななままであり、最後にはイエス様を殺す計画を企てていく事になるのです。神の教えよりも自分の方が正しいと考え、頑なな思いを抱き続けていく。このことの恐ろしさは、私たちもよくわかっていると思うのです。どこかにある、「自分は正しい」という思いは非常に強固であり、簡単に解けるものではありません。そこに苦しめられるとわかっていても、抜け出せないのです。けれども、私たちはそこから解放されていく事を望んでいかなければなりません。そしてそれは、「神の子」によってもたらされることを信頼していかなければなりません。

 今日の箇所の後半部では、おびただしい群衆がイエス様の下に押し寄せ、イエス様は結局小舟に乗って湖の方へ行かれたことが記されています。そこに汚れた霊どもがやってきて、イエス様を「神の子」と呼びます。マルコ福音書において、イエス様を「神の子」あるいは「神の聖者」と呼ぶのはほとんどが汚れた霊なのです。人がイエス様を「神の子」と呼ぶのは、ただ一度きりです。それはイエス様の十字架の死を目撃した百人隊長のみです。つまり、私たちは十字架を通してイエス様を見つめない限り、「神の子」としてのイエス様を受け取ることができないのです。

 「神の子」とは、まさしく神の子であり、神と同様の権威を持っている方であることを示します。つまり、私たちがイエス様を「神の子」と呼ぶとき、それはイエス様の権威を信頼することであり、イエス様の教えを神の教えとして、真理として受け取ることであるのです。

 私たちは、ファリサイ派の人々のように「自分が正しい」という思いを抱いてしまうことがあります。だからこそ、私たちはいつも十字架を見上げ、その罪を見つめるとともに赦しの恵みを頂き、「あなたは神の子」とイエス様に対してその信仰を告白して行きたいと願います。

 

 《来週の礼拝》

〇7月8日 午前11時 聖霊降臨後第7主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「赦されず」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:青木比呂子姉
〇礼拝当番:小川敦子姉、滝田裕美姉

〇聖 書:創世記3:8ー15,コリント(Ⅱ)5:11-15、マルコ3:20-30 
〇讃美歌:273(1,2)、320(1,3,4),346、273(3,4)、聖餐260

7月4日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月6日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」(マタイ福音書6章)があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。    

 

 


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