聖霊降臨後第10主日
「今週の祈り: 神さま。あなたは思いにまさる喜びを、愛する者に与えられます。すべてにまさって、あなたを愛する心を私たちの中におこし、私たちの願いを超えたあなたの約束に与らせてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。」
〇聖霊降臨後第10主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ5:21~43
「 触 れ た く て 」
「信じることが出来るか?」というのが奇跡物語を通して私たちに問いかけられる言葉でありましょう。12年間の出血が癒される、ヤイロの娘が復活する。どちらも現代では起こりえない出来事と言っても良いかもしれません。それを、信じることが出来るか、と。
12年間も出血の止まらない女は、血が止まらない恐怖を抱えながら、医者にかかっても悪化するだけ、長いこと絶望を味わっていたことでしょう。しかし、イエス様によってそれらが克服されました。この人こそ病を治してくれる方という信頼が、イエス様の服に触れさせ、彼女を救ったのです。
ヤイロも同じように、この人ならば救って下さるという信頼でもって、イエス様を訪ねるのです。結果として、死すらも乗り越えるという、期待以上の出来事が起こるのです。
何とも素晴らしい信仰、信頼の姿が描かれています。この姿を見本にしたくなります。でも、よく考えてほしいのです。見本にしたくても、私たちには出来ないと思いませんか?きっと私たちだって、自分や近しい人が病を抱える時、もしイエス様が近くにおられたら、訪ねるし、何とか助かりたいと衣服に触れようとするのではないでしょうか。でも、私たちの目の前にはイエス様はいません。触れたくても、触れられないのです。それでもこのように現実に治癒や復活が起こることを信じろ、と言うのであれば、私たちはこの奇跡の物語から、なにものも得られないことになるでしょう。であるならば、今日の物語は私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。それは、私たちに起こっている奇跡を伝えようとしているのではないでしょうか。
恐らく、私たちの病や死に対して、奇跡を目の当たりにする経験は少ないでしょう。地上での生の中で、奇跡に出会うことは難しい。にもかかわらず、皆さんは心のどこかで、「たとえ何があろうとも大丈夫」と考えているのではないでしょうか。
私たちの信仰は、現実の不幸を前に揺らぐし、絶対的なんて言えるほど強いものでもないでしょう。それでも、皆さんは最後には救いが起こることをどこかで信じているのでしょう?絶対的な信頼とは呼べないかもしれないけれど、奇跡を否定する材料に満ちた現実を生きながら、出会ったこともない奇跡を今もどこかで信じているのでしょう?それこそ、奇跡と呼ぶにふさわしいものでしょう。
現実の不幸を目の前にしながらも、それでもそこに勝利される主がおられる。見たこともないけど、信じる。理屈に反した出来事が、今まさに私たちに起こっているのです。その奇跡を私たちは経験しているのです。その信仰こそが、私たちを本当の意味で、病や死から勝利される主と共に生きることへと導くのです。病や死すらも乗り越えて、最後には全てに勝利される主がおられることに信頼していきましょう。
《来週の礼拝》
〇8月5日 午前11時 平和主日
〇司 式:中島和喜牧師 〇説 教:中島和喜牧師 「多様な愛」
〇奏 楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄
〇礼拝当番:出口輝子姉、滝田裕美姉
〇聖 書:ミカ4:1ー5,エフェソ2:13-18、ヨハネ15:9-12
〇讃美歌:290、273(1,2)、273(3,4),435(1-3),聖餐264(1-3)
#8月1日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。 どなたでもお気軽にお立ち寄りくだ さい。