新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

12月23日「今日の礼拝堂」

2018年12月25日 | 今日の礼拝堂

 クリスマス礼拝    

今週の祈り:キリストよ。力を奮って来てください。私たちが祝いの日を迎えるとき、私たちの罪を取り除いて、永遠の喜びに仕えさせてください。 あなたは父と聖霊と共にただひとりの神であって、今もまた、永遠に生きて治められます。

 

 

    〇クリスマス礼拝説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ルカ1:39~55

                                         「幸いな者」(ルカ1:39〜55)

  クリスマスおめおめでとうございます。 クリスマスは、私たちの救い主イエス・キリストの誕生日です。 ですから毎年クリスマスになると、私たちは「おめでとう」と挨拶を交わし合うのです。嬉しいことに、今年のクリスマスは「おめでとう」がさらに増えました。新たに神の家族となった兄弟姉妹たちがいるからです。親子3人が洗礼の恵みに与り、3人の方々が堅信し、お二人が転入されました。洗礼は、罪人が古い自分に死に、神の賜るしい命に生きること。いわば、第2の誕生日です。堅信は、洗礼の恵みに与った人が、神への信仰を告白すること。どちらも嬉しくおめでたいことです。転入される方も、私たちの教会から、おめでたいことですね。

  さて、本日与えられた福音もおめでたい響きで満ちています。洗礼者ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアとの出会い。二人の母親は、それぞれに神から託された子どもをみごもっていました。それで、互いに「おめでとう」と祝福しあったのです。すると、胎内にいた我が子も一緒に喜び踊ったというのです。母親の胎内に宿る子どもは、母親と同じように喜び、楽しみ、悲しみ、泣くと言われています。神の思いがそのまま御子に宿ったように、母の思いもまたその子に宿るのです。

  イエスをみごもったマリアは、嬉しさのあまり歌を歌い出しました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます…」と。『マニフィカート』と呼ばれるマリアの賛歌です。自らを小さく低くし、ひたすらに神をほめたたえるこの素晴らしい信仰告白に、多くの作曲家たちが曲をつけました。J.S.バッハの作品がよく知られていますが、最近私が好んで聴くのは現代イギリスの作曲家、ジョン・ラターによるものです。弾むようなリズムに乗って軽やかに歌われる『マニフィカート』を聴いていると、本当に踊り出したくなります。

 一方、同じ現代の作曲家でもポーランドに生まれ、ホロコーストを体験したグレツキは、『悲歌のシンフォニー』を作曲しました。その第1楽章では、中世の修道院で歌われていた哀歌のテキストがソプラノによって切々と歌われます。「わたしの愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分ち合いたまえ。愛しい息子や、わたしはあなたをこの胸のうちにいだき、忠実に仕えてきたではありませんか。母に話しかけ、喜ばせておくれ」と。十字架に赴くイエスを嘆く母マリアの歌です。これはマニフィカートとなんと対照的なことでしょう。しかし、どちらもまぎれもなく神の子イエスを与えられたマリアの歌なのです。マリアの喜びと悲しみと歓喜と苦悩のただ中にイエスがおられたように、私たちが人生で味わう喜怒哀楽のすべてにおいて御子はおられるのです。

     《来週の礼拝》

〇12月30日 午前11時 降誕後主日

〇司  式:日笠山吉之牧師                                                                                                                                           〇説  教:日笠山吉之牧師 「お言葉どおり」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:秋田直枝姉
〇礼拝当番:小笠原里子姉、滝田裕美姉

〇聖 書:エレミヤ31:10ー14,ヘブライ2:10-18、ルカ2:25-40 
〇讃美歌:16、146(1-2)、146(3-4)、476聖餐253(1-3)    

 


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12月9日「今日の礼拝堂」

2018年12月10日 | 今日の礼拝堂

 待降節第2主日    

今週の祈り:全能の神さま。あなたは洗礼者ヨハネによって、み子の来臨を告げ、その道を備えられました。  私たちにご計画を悟る知恵と、み旨を聞く耳を与えてください。 そして、キリストの来臨を語り伝え、その道を備える者にしてください。 あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、今もまた、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

    〇待降節第2主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ルカ3:1~6

 アドベント・キャンドルに二つ目の火が灯りました。待降節第2主日です。クリスマスまでもうあと2週間あまり。今年も札幌教会では、4日間にわたって(12月22日〜25日)クリスマスの様々な礼拝が計画されています。それぞれの礼拝堂でもたれる「クリスマス礼拝・祝会」はもちろんのこと、24日のクリスマス・イブに行われる「燭火礼拝」にも、また25日の朝の「降誕祭礼拝」にも、どうぞお越しください。

  さて、今日の福音には洗礼者ヨハネが登場します。ヨハネはイエスの親戚に当たります。二人の母親は、エリサベトとマリア。互いに子どもをみごもった喜びを祝福しあう美しい物語が『ルカ福音書』の冒頭に収められています。やがてヨハネもイエスも成長し、共に神の言葉を宣べ伝える者となりました。ヨハネは悔い改めを、イエスは福音を。

 ヨハネは自分の役目をわきまえていました。神から託された使命を知っていたのです。それは、主の道を整えること−救い主を迎えるための道を備えることでした。ですから、彼は荒れ野で叫び、呼ばわる者となったのです。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と。人の心を惑わすものが何もない荒れ野で、人を簡単には寄せ付けない厳しい荒れ野で、ただ主にのみ心を向け、主を迎える準備をせよ!と人々に説いたのです。その言葉は、鋭く、激しく、聞く者の耳に迫り、人々を悔い改めの洗礼へと促しました。それで人々は、彼こそ待ち望んでいた救い主ではないかと期待したのです。しかし、ヨハネは「わたしよりも優れた方」が後から来られると、はっきりと伝えました。然り、イエスです。ヨハネはイエスと自分を比べつつ、イエスについてこう述べました。「わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(3章16節)と。つまりヨハネは、イエスを指し示すことに徹したのです。真の救い主はイエス・キリストただお一人である、と。自分はいわばキリストの黒子に過ぎないのだ、と。

  異邦人伝道に力を尽くしたパウロも、洗礼者ヨハネとよく似ています。彼もまた自分が各地に建てて行った教会の数や業績を並べ立てることなく、徹頭徹尾キリストを伝え、証しすることに徹しました。彼が書き残したたくさんの手紙を見ても、そのことが分かります。その一つ、パウロがフィリピの教会の人々に当てた手紙の一節を最後に読みましょう。「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」(1章9節〜11節)アーメン

     《来週の礼拝》

〇12月16日 午前11時 待降節第3主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「無遠慮」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:小笠原里子姉
〇礼拝当番:秋田直枝姉、滝田裕美姉

〇聖 書:サムエル記下7:8ー16,ローマ16:25-27、ルカ1:26-38 
〇讃美歌:5、45(1-3)、45(4-6)、17聖餐263   

12月12日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           12月14日(金)10:30~と19:00~に「聖書と祈りの会」があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。 

♥ 12月9日礼拝後に午後1時30分からクリスマス・アドベント

 コンサートが行われました。

   スライドを使った寸劇や聖歌隊による讃美歌合唱などで参加者全員で楽しみ、

   最後に森下神学生からアドベントに寄せる「メッセージ」がありました。

  

 


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12月2日「今日の礼拝堂」

2018年12月03日 | 今日の礼拝堂

 待降節第1主日    

今週の祈り:主キリストよ。力を奮って来てください。 み力によって私たちを守り、罪の危険から救ってください。 あなたは父と聖霊と共にひとりの神であって、今もまた、永遠に生きて治められるます。

 

    〇待降節第1主日説教 森下神学生(週報掲載説教要旨)ルカ19:28~40

 私は奈良県出身です。奈良と言えば鹿。修学旅行で奈良公園の鹿に鹿せんべいをやったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。奈良の鹿は野生の鹿ですが、地元の人や神社の関係者によって大切に保護されています。それはなぜかというと、鹿が神様の乗り物で、神聖な動物であると信じられているからです。だから北海道に来てエゾシカの缶詰とかを見ると複雑な気持ちになります。奈良では、神様が白い鹿に乗って奈良にやってきたという伝説から、鹿は聖なる動物とされています。本来鹿は人間の乗り物ではありません。鹿の細い脚では人間の体重を支えることはできないからです。しかし神様を目に見えない、肉体を持たない存在であると思っている人たちにとってはそれでよかったわけです。だから奈良の人たちは鹿こそが神様の乗り物であると信じています。

 私たちはどうでしょうか。私たちの信じる神様は何に乗って来られるでしょうか。イエス様はろばに乗ってエルサレムに来られました。ろばに乗ったイエス様。今日の聖書のお話はそのことを伝えています。今日は待降節第一主日の礼拝です。待降節(アドベント)は、イエス様がこの世に来られることを待ち望み、イエス様が人として地上に来てくださることを心待ちにする季節です。待降節のはじめの礼拝ではイエス様がエルサレムに来られる話が読まれます。私たちがイエス様を迎えるということと、エルサレムの人々がイエス様を迎えるということを重ねているのです。ですから今日はイエス様を心の中にお迎えする気持ちで、イエス様がどういうお方としてこの世に来られたのかということを聖書からみていきたいと思います。

これまでエルサレムを目指して旅を続けておられたイエス様はエルサレムの近郊、オリーブ山に差し掛かります。そこでイエス様は子ろば(若いろば)を連れてくるようにと弟子たちに言われます。それに乗ってエルサレムに入り、ある種の入城行進をするためです。ろばは旧約聖書にも頻繁に登場する動物で、畑を耕したり、荷物を運んだり、あるいは人間がそこに乗って移動したり、人間の生活に密着した生き物であったと言うことができます。そのろばに乗って、イエス様は人々のところに来られます。聖書の研究者の中には、イエス様がろばに乗って来られたということに特別な意味はないと言う人もいます。確かに、聖書の中だけで考えてみればろばはありふれた動物ですし、羊や鳩のように特別な意味を持たされてきた動物ではないと言うことができます。しかし私たちが考えてみたいのは、イエス様がそんなありふれた動物に乗って来られたということです。普通の人が乗るようなろばに、イエス様も乗って来られたということです。

 先ほど私が奈良の鹿の例を挙げましたように、神様が特定の動物に乗って来るという話は世界中、さまざまな宗教や神話に見られます。その多くは、翼の生えた馬など想像上の生き物であるか、鳥や鹿など実際には人間が乗ることのできない動物です。神様は心の中にだけいる存在だから、あるいは神様は体を持たないから、それでいいのです。そのような宗教において神様は人間と同じように振る舞う必要はありません。むしろ神様は人間を超えた、人間とは徹底的に違う存在です。人間という汚れたものが近づくことのできないお方です。ですから神様が普通の人が乗るようなものに乗っていれば、そのありがたみがなくなってしまいます。

しかしイエス様はろばに乗って来られました。人の乗る動物に乗って来られました。それは、イエス様が人となってこの世に来られたからです。イエス様には肉体があって体重があったからです。今日から教会の暦はクリスマスを待つアドベントに入りました。そもそも今私たちが待ち望んでいるクリスマスというのは、神が人になったこと、つまりイエス様が人になってこの世に来てくださったことをお祝いする出来事です。神が人になる。教会にずっと来ているとそんなの当たり前のことように思えますが、しかしこの「神が人になる」という考え方は、実はキリスト教にしかないもの、少なくとも他の多くの宗教にはみられないものだと言われています。他の多くの宗教では、例えば神様は、人が神のレベルに達するまで天の高いところで待っている存在、あるいは預言者や天使を送って、自らは人間と交わることのない存在であると信じられています。

 しかし私たちが信じているキリスト教では、神様はそういうお方ではありません。イエス様は人間の赤ちゃんとして生まれて、私たちと同じように生きて、人間でいることの喜びや悲しみを知ってくださったお方です。人間であるからこそ、時には飢え、時には渇いて、十字架の上で無力に死なれたお方です。イエス様は「待ってる」人でも「自分は行かずに使いを送る」人でもなく、私たちの隣に「来てくださる」お方です。イエス様は人となってこの世に、私たちのところに、あなたのところに、来てくださるのです。だから、イエス様はろばに乗って来られます。翼の生えた馬や、鳥や鹿ではなく、ろばに乗って来られるのです。イエス様が人間として、肉体をもって、確かにこの地上に来てくださったからです。

 ろばに乗ったイエス様。その姿は神が人となってこの世に来られたというクリスマスの奇跡を私たちに実感させてくださいます。クリスマスの日、神でありながら人間の赤ちゃんとして生まれてくださったイエス様は、確かに肉体をもってこの地上を歩かれました。人間であることの悩みや苦しみを知り、人々を憐れんでくださいました。そしてイエス様は十字架で死なれました。イエス様は人であったから、確かに死なれたのです。そして、その十字架の死によって私たちを救ってくださいました。神が人となられた。神が人となって人と共に生き、人のために死んだ。そのことに救いを見出すのがキリスト教です。そのお方が私たちの信じるイエス様です。イエス様がこの世に人としてお生まれになったことの恵みと神秘をこれからの待降節の日々で深く心に留めたいと思います。イエス様のお生まれを待ち望んで、これから始まる待降節を共に過ごしてまいりましょう。

   《来週の礼拝》

〇12月9日 午前11時 待降節第2主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「あなたの道」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:青木比呂子姉
〇礼拝当番:小川照美兄、滝田裕美姉

〇聖 書:マラキ3:1ー3,フィリピ1:3-11、ルカ3:1-6 
〇讃美歌:4(1,3,4)、10(1-2)、10(3-4)、466(1-4)聖餐262   

12月5日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           12月7日(金)10:30~と19:00~に「聖書と祈りの会」があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。 

♥ 12月9日礼拝後の午後1時30分からにクリスマス・アドベントコンサートを行います。

   スライドを使った寸劇で讃美歌を歌います、多数のご参加をお待ちしています!

  


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