新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

4月25日「今日の礼拝堂」

2021年04月29日 | 今日の礼拝堂

    復活節第4主日    

今週の祈り: 良い羊飼い、主キリスト。あなたは失われた者を捜し求め、群れの中に導き返してくださいます。あなたの羊を癒やし、健やかに養ってください。父と子と聖霊の一致の中で、私たちを今も後も永遠に一つにしてください。アーメン

 *新型コロナウイルス感染対策のため、本日も「短縮式文」により礼拝がもたれました。

 

〇復活第4主日 説 教 中島牧師(週報掲載説教要旨) ヨハネ10:11~18             

                      「 羊 飼 い 

 今日与えられた聖書の箇所は、福音書の中でも有名で、特に人気の高い箇所でありましよう。イエスさまが良き羊飼いとなり、羊である私たちを導いてくださる。それも自らの命を捨ててまで私たちを守ってくださるという、イエスさまの深い愛が語られる慰め深い箇所であると同時に、私たちを守ってくださる神の力という励ましまでも語られているだけに、心に留めている人の多い箇所でありましよう。羊飼いと羊という分かりやすい譬えもまた、この箇所を心に残りやすいものとしていると思うのです。

 この箇所を読むうえで大切なことは、二つの関係が語られていることです。一つは父なる神とイエスさまの関係です。父と子は確かな信頼関係で結ばれ、それ故に父なる神はイエスさまを送り、そして子なるイエスさまも父の想いに従い自ら十字架の道を歩んでいくことで、すべての人に命が与えられるという恵みが起こっていくのです。父と子の確かな関係があるが故に、人々に救いが与えられていったのだという事実を私たちに教えてくれるのです。そしてもう一つの関係が、イエスさまと私たちの関係です。イエスさまは私たちを羊として下さりました。守るべき存在であり、愛する存在として私たちを覚えてくださっているのです。「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。(14節)」と述べられているのはつまり、私たちとイエスさまとの間にもまた、父と子のような信頼関係が結ばれているということを示しているのです。私たちはこの関係性を覚えていなければなりません。

 イエスさまという愛情深く偉大な方を前にしたとき、私たちはイエスさまへの信頼を、私だけが神を想っているというような一方通行のものにしてしまいます。しかし、イエスさまもまた私たちを覚え。知っていてくださるのです。一方通行ではなく、双方向での信頼関係が結ばれたということが、羊飼いと羊という言葉の中に示されているのです。その関係性を、イエスさまは囲いの外にいる私たちのところにまで届けてくださったのです。私たちはそのようにしてイエスさまと強い繋がりが与えられているのです。

であるならば、私たちもまたイエスさまからの信頼に応えていきたいのです。そのために出来ることは、ただ信じることです。イエスさまが私の羊飼いとなり、私を今も導いてくださっているのだということをただただ信じていきたいのです。それこそが、命を捨ててまで私たちのために働いてくださったイエスさまに応えられる唯一の方法であるのです。そして同時に、それこそがイエスさまの救いを受け取る唯一の方法であるのです。今日もまた、イエスさまの信頼を覚えて、羊としてこの身を主に委ねて参りましょう。(中島)

 

《来週の礼拝》                               

#5月2 午前11時 復活節第5主日

司  式:中島和喜牧師

説  教:中島和喜牧師「ぶどう」

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:青木比呂子さん

礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒言行録8:26-40、ヨハネの手紙(Ⅰ)4:7-21、ヨハネ15:1-8

賛  美  歌:179(1,3,5)、374(1,3,5)、194


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4月18日「今日の礼拝堂」

2021年04月21日 | 今日の礼拝堂

    復活節第3主日    

今週の祈り: 聖と義である神さま。私たちを命の言で満たし、あなたの子としてくださり、御子の復活の証人として歩むことができるようにしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

 *新型コロナウイルス感染対策のため、本日も「短縮式文」により礼拝がもたれました。

 

〇復活節第3主日 説 教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨) ルカ24:36~48             

                      「 喜びのあまり 

『ルカ福音書』におけるイエスさまの復活物語です。本日の福音は「こういうことを話していると」という御言葉で始まっていますが、それは直前に記されているエマオの出来事を指しています。この日、すなわちイエスが復活された日の夕暮れ時に、二人の弟子たちがエマオへ向かいながらイエスの受難死と婦人たちが知らせてくれた不思議な話しをしていると、いつの間にかイエスさまが同伴され、聖書について熱心に教えてくれました。もっとも弟子たちはその方がイエスさまとは分からず、ただ聖書の話しをもっと聞きたいと思ったので、一緒に宿を取るよう無理に引き止めたのでした。そして夕食の時間になり、その方が食前の祈りを捧げてパンを取り、彼らに裂いて渡された時、二人の目が開け、その方が紛れもなくイエスさまだと分かった!その途端、イエスさまの姿は見えなくなってしまった…二人の弟子はこの出来事を他の弟子たちにも伝えるために、急いでエルサレムに引き返しました。そして、仲間達がいるところに着くと、一切合切を話し始めました。すると、そこにイエスさまが来てくださったのです。36節:こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 復活されたイエスさまが弟子たちへ真っ先に語られた言葉は、『ヨハネ福音書』と同じです。「あなたがたに平和があるように」。イエスさまを失った悲しみと裏切った罪に心を苛まされていた弟子たちに、主は真っ先にそう語りかけてくださいました。それでも、弟子たちはそのお方がイエスだとは俄には信じられません。恐れおののき、亡霊を見ているのだと思っていた弟子たち。そんな弟子たちにイエスさまは「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」と語られます。弟子たちの恐れは次第に喜びへ変わっていきますが、それでもまだ信じられません。すると、イエスさまは「ここに何か食べ物があるか」と言われ、弟子たちが焼いた魚を一切れつまむとムシャムシャと食べられたのです。イエスさまと一緒に囲む夕餉のひととき。弟子たちは最後の晩餐を思い出したでしょうか?まさか再びこんな日が来るとは!イエスさまから御言葉をいただき、イエスさまと一緒に食卓に着くことが出来る日が来るとは!弟子たちの喜びは確信に変わり、彼らはやがて力強く主イエスの復活を証しする宣教者として生まれ変わるのです。

 イエス・キリストを信じる者にとって、死は終わりではありません。十字架の死から復活されたキリストは、今も私たちに御言葉を語り、御糧を与えてくださいます。私たちが食べる時、仕事をする時、休む時、祈る時…私たちの生活の隅々にキリストは共にいてくださり、「あなたに平和があるように」と祈っておられるのです。然り、私たちがこの世の生活を終えて、神のみもとに召された後も。キリストは「あなたに平和があるように」と神の傍で執り成し、祈り続けてくださるのです。(日笠山) 

 

《来週の礼拝》                               

#4月25 午前11時 復活節第4主日礼拝

司  式:日笠山吉之牧師

説  教:日笠山吉之牧師「良い羊飼いに導かれ」

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:蔵谷俊夫さん

礼拝当番:小川照美さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒言行録4:5-12、ヨハネの手紙(Ⅰ)3:16-24、ヨハネ10:11-18

賛  美  歌:87(1,2)、410(1-3)、91(1,2)


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4月11日「今日の礼拝堂」

2021年04月13日 | 今日の礼拝堂

    復活節第2主日    *本日は信徒礼拝で行われました。

今週の祈り: 全能の神さま。私たちは主の復活を喜び祝います。私たちの真ん中におられるキリストの恵みによって、言葉と行いのすべてで復活を証しできますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

 *新型コロナウイルス感染対策のため、本日も「短縮式文」により礼拝がもたれました。

 

〇復活節第2主日 説 教 中島牧師(週報掲載説教要旨) ヨハネ20:19~31             

                      「 主 ・ 神 

 今週はイースターの翌週ということで、イエスさまが復活後初めて弟子たちに現れた場面が与えられました。ここに表されているのは、喜ばしき復活が一人一人の下にまで届けられていくということです。イースターとは「復活のイエスさまが過去にいたことを聞く」ことではなく、「復活のイエスさまと各々が出会う」ことこそが重要であります。故に、私たちは今日、復活のイエスさまが私たちのところにまで出会いに来てくださったということに目を向けていきたいのです。

 そこで与えられた今日の箇所ですが、その中身は非常に豊富であり、とてもじゃないですが一回で全てを語り切ることはできません。そこで今日はイエスさまと出会ったトマスに注目していきたいと思います。今日の箇所は「疑い深いトマス」として有名な箇所と言っても良いでしょう。復活のイエスさまを自分の目で見るまでは信じないと言うトマスの姿に、私たちは親近感を持つのではないでしょうか。私たちもトマスと同じように、「信じるための条件」をどこかで設定してしまいます。「神を見たら」「幸せになれたら」「病気が治れば」等どこかで信じるための根拠を欲してしまうのです。そのように根拠を欲する人々の下にイエスさまは直接来てくださるという愛が示されるために、トマスにどこか親近感を抱く私たちにとってはとても嬉しい箇所として読めるのではないでしょうか。

もちろんその読み方は何も間違ってはいませんし否定する気はー切ないのですが。ただ一つ注意しなければならないことは、トマスに注目するあまりにこの場面の主役をはき違えるということです。この箇所の主役はトマスではなくイエスさまです。イエスさまが復活後に何をしてくださるのかこそが重要であるのです。

イエスさまは復活の後、弟子たちの下にまでやってきて、自分が復活したことを示してくださいました。弟子たちへの愛を示すと同時に、約束の完成の時を示すのです。イエスさまの顕現を見たトマスはこう言っています。「わたしの主。わたしの神よ(28節)」。つまりトマスはイエスさまの中に主・神を見たのです。これはかってのトマスヘの答えでありましよう。14章でイエスさまはトマスにこう言っています。「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。(14:7)」。トマスはまさに主の復活を通して、神を知ったのです。これこそがイエスさまの顕現における神の啓示であるのです。トマスが見たものは。「復活」ではなく「復活を通して神を見た」のであり、このことを私たちも受け入れていかなければならないのです。

私たちに示されるものは、復活ではなく、死も命も含むすべての父である神があなたに示されるのです。その喜びを見つめ、イエスさまの復活を通して私たちもトマスと同じように「わが主!わが神よ!」と喜びの声を挙げていきましょう。(中島)

 

《来週の礼拝》                               

#4月18 午前11時 復活節第3主日礼拝

司  式:中島和喜牧師

説  教:中島和喜牧師「空」

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:青木比呂子さん

礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒言行録3:12-19、ヨハネの手紙(Ⅰ)3:1-7、ルカ24:36-48

賛  美  歌:98(1-3)、101(1,3,4)、89(1-3)


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4月4日「今日の礼拝堂」

2021年04月05日 | 今日の礼拝堂

    主 の 復 活   #復活祭(イースター)おめでとうございます。

 今週の祈り: 憐れみ深い神さま。主イエスは生きておられます。私たちはもはや主イエスを死者の中に捜しません。主イエスは生きて、私たちの命の主となられました。復活のキリストと共に生きる私たちを強め、永遠の命に至るまで神の民として成長させてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

 *本日も新型コロナウイルス感染対策のため「短縮式文」により礼拝がもたれましたが、ひさしぶりに聖餐式も行われました。

 〇復 活 祭  説 教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨) マルコ16:1~8

                      「   主は墓にはおられない 」

 イースターおめでとうございます。コロナ禍に見舞われて早1年が過ぎましたが、今年もご一緒に主の復活の喜びに与ることができることを感謝します。それにしても、今年は春の訪れが早いですね。まだ4月早々というのに、札幌はすっかり雪がなくなってしまいました。そして、花壇にはもうクロッカスの花が!嬉しいことです。ご存知のように、イースターの日付は年によって約1ヶ月変動しますが、今年は北海道の春にぴったり合うように巡ってきました。嬉しさが倍増するかのようです。

 ところが私たちにとっては嬉しい春のイースターでも、最初にこの出来事に直面した人たちにとってはそうではありませんでした。マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ…福音書にはそのような名前が記されています。そこには男性の名前は一人も見当たりません。みな女性です。彼女たちはイエスさまが十字架に架けられた時もそばを離れず、最後までその死を見届けた面々です。その際、彼女たちはイエスさまの亡骸を墓に納めはしましたが、安息日の前日だったのでゆっくりと亡骸に油を塗ってお別れをすることは出来ませんでした。それで安息日が明けるやいなや香料を携えて、イエスさまが葬られた場所に駆けつけたわけです。

婦人たちの唯一の心配の種は、墓石をどうやって開けようか?ということでしたが、それは杞憂に終わりました。というのも、墓石は既にわきへ転がされていたからです。早速、墓の中に入ってみますと、不思議なことにイエスさまの亡骸は見当たりません。その代わり、白い長い衣を着た天使と思しき若者が座っているではありませんか!婦人たちはたいそう驚きましたが、天使の言葉を聞いてその驚きは恐ろしさへと変わりました。天使は確かにこう言ったからです。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。ご覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」十字架上で死なれ、墓に葬られた筈のイエスさまが復活して、かつて弟子たちと過ごされたガリラヤへ先に行かれたなんて、彼女たちには到底信じられなかったのです。それで、彼女たちは震え上がり、正気を失って、墓を出て逃げ去ってしまいました。しかし他の福音書には、天使が言ったとおりイエスさまが弟子たちと再会した出来事が幾つも記されています。然り、キリストは確かに復活されたのです。そして、今も生きておられる!私たちを傍で支え、生かし、日ごとに新しい命を与えるために-私たちに決して滅びることのない永遠の命を与えるために。それゆえ、私たちにとって死は終わりではないのです。(日笠山)

《来週の礼拝》 *信徒礼拝で行われます。

*4月11日 午前11時   復活節第2主日

司  式:滝田裕美(代行)

説  教:滝田裕美(代読)「主・神

奏  楽:若井裕子さん

聖書朗読:小笠原里子さん

礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒言行録4:32-35、ヨハネの手紙(Ⅰ)1:1-2:2、ヨハネ20:19-31

賛  美  歌:93(1,3,5)、298(1,3)、106(1,3)

 


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