新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

12月4日「今日の礼拝堂」

2016年12月04日 | 今日の礼拝堂

待降節第2主日

「今週の祈り:主よ、私たちの心を奮い立たせ、御独り子の道を備えさせてください。み子の来臨によって、悩み多い世の旅路を照らし、導いてください。あなたと聖霊とともにただ一人の神であり、今もまた、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

     

〇クランツに今日、2本目の灯りがともりました。待降節第2週です。真っ暗闇だった世の中が、私たちの心の中が、少しずつほのかな光に照らしだされていきます。やがて、24日のイブの夜、世界中の人たちが一人残らず1本のローソクを胸の前にかざして心の底から神さまに感謝の祈りができますように・・・・。昔、戦争をしていた人たちも、その夜だけは銃を置いてローソクの光にひざまずいたという話を思いだします。今も、そうでしょうか。今もそうだといいなと、涙ぐみたい思いで日ごとに更新される憎しみの連鎖を思います。それは決して他人事ではなくて、自分自身の心の中を覗いても目をつむることのできない暗闇です。イエスさまがお生まれになるまで・・・。思い切って断捨離ができますように。ただ、ただ、愛と希望の光でイエスさまのお誕生を迎えることができますように・・・・。聖壇クロスに合わせて、紫色の濃淡で今日のお花を飾ってくださったNAさんの祈りも、きっと同じだろうなと思いながら、同じ祈りをもつ友たちの涙や悲しみが迫ってくるのを感じながら、今日も静かで暖かい礼拝にあずかりました。

 

〇待降節第2主日説教                     野口和音神学生(週報掲載説教要旨)
マタイによる福音書3:1-12

 

「その声を聴く」

 

今日の福音書に登場する洗礼者ヨハネは、イエス・キリストに先立ってその道を整えよ、とイザヤによって預言された人でありました。洗礼者という名を冠するのは、当時のイスラエルにとって彼が行った洗礼がこれまでとは違う新しい意味を持っていたからです。当時行われていた洗礼とは、日常的に何度も行われる、水による清めの儀式のことを指すものでした。それは律法に従って肉体の汚れを清めるためのものであり、それを熱心に行うことは敬虔さの表れと捉えられていました。ヨハネが「蝮の子ら」と厳しく呼びかけているファリサイ派やサドカイ派の人々は、他者に敬虔さを見せつけるために、熱心に行っていたのかもしれません。しかしヨハネはそのような彼らに「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言い放つのです。他者に敬虔さを表す行為ではなく、神様に対する悔い改めのしるしとして、ヨハネは洗礼を人々に授けていくのです。

 

ヨハネが授ける洗礼は「悔い改めに導く洗礼」でありました。神様の御言葉に従って歩むことの出来ない罪を、人間誰しもが持っています。アブラハムの約束によって天の国へと招かれる約束があったとしても、その罪を人間が悔い改めることがなければ、天の国に入る以前に裁きを受けることになるのです。そのために、天の国が差し迫ってきている今、神様は悔い改めへと導いておられる、とヨハネは洗礼を授けることによって語るのです。

 

「信仰者の全生涯は悔い改めである」と宗教改革者マルティン・ルターは言いました。私たちが受ける洗礼は一度だけですが、悔い改めるたびにその洗礼の出来事を思い返すことになるということです。なぜなら私たちが悔い改めるのは、罪を赦し、救いに導こうとされる神様がそこにおられる、という恵みを知るからであります。私たちが持つ罪は、常に神様のことを考えて生き続けることを忘れさせてしまいます。悔い改めた直後は、神様から与えられたすべてのことに感謝して過ごすことでしょう。しかし忙しい日々の中において、目の前のことにばかり気を取られ、いつしか私たちが得るすべてのものが神様から与えられた恵みであることを忘れてしまうこともあるのです。だからこそ、神様は今日の御言葉を繰り返し私たちに語られるのです。「悔い改めよ、天の国は近づいた」のだと。預言者によって、洗礼者ヨハネによって、イエス様によって、そして私たちに与えられるすべての事柄の向こう側から、神様は語り掛けられておられるのです。罪によって神様から心を離してしまう私たちを赦し、何度でも悔い改めへと導かれる神様の計り知れない愛が、そこにあるのです。その御声を聞き逃すことなく、天の御国への道を悔い改めと共に歩んでまいりましょう

 

 

 

          

〇足元が冷たい季節になりました。礼拝堂のお花を活けるNAさんは、手芸も得意です。常設の小さなショップには、毛糸の帽子や靴下、手袋など、心のこもった暖かい小物が並びます。「かあさんが、よなべして、てぶくろ あんでくれた~♪」こんな歌がありましたが、もう、「なつかしの歌」ですね。今年50歳になった娘が入園した幼稚園は、冬になると、てぶくろは純毛でおかあさんの手編みで・・との決まりがあって、編み物の不得手な私はなんでこんな幼稚園に入れちゃったんだろうと嘆きました。けれど、この「めばえ幼稚園」で家族はみな救われて教会につながることができました。あの時のてぶくろ編みの苦労を乗り越えたてよかった!神さまのご計画は試練も道連れなのかも・・。

〇12月11日(日)午前11時  待降節第3主日

〇司式:岡田薫牧師

〇説教:岡田薫牧師

〇奏楽:滝田裕美姉

〇聖書朗読:小川照美兄

〇礼拝当番:出口輝子姉
      林三浩兄

〇聖書:イザヤ書7:10-14・ローマの信徒への手紙1:1-7・マタイによる福音書1:18-23

〇讃美歌:

〇「おにぎり食堂」「エンキリディオンの学び」「みんなの会」があります。ご予定ください。

〇7日(水)オープンチャーチです。どなたでもご自由にご参加ください。

 

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