四旬節第5主日
「今週の祈り:全能の神さま。御子はすべての人々を罪と死から解放するために世に来られました。聖霊の力を吹き込み、キリストにある新しい命に生かし、生涯、義をもって仕えさせてください。あなたと聖霊とともにただひとりの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。」
〇四旬節第4主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨) ヨハネ11:1~45
「神の栄光のため」
ヨハネ福音書における一連の奇跡物語の最後です。イエスさまが、死んで一度は墓に葬られたラザロを生き返らせました。こんな奇跡を行える方はイエスさまだけです。ですから、この出来事を目撃した多くの人々はイエスを信じました。一方、ファリサイ派や祭司長たちは「このままにしておけば皆がイエスを信じるようになる」と危惧し、この日を境にイエスを殺そうと企み始めました。死んで復活したラザロとは反対に、命の与え主であるイエスが十字架の死を甘受しなければならないのです。なんと理不尽なことでしょう。しかし、イエスさまはすべては「神の栄光のため」と言われました。イエスさまは栄光の冠を自身の頭に戴くことなく、すべての栄光を神に帰せられたのです。
私は音楽の父=ヨハン・セバスチャン・バッハの作品をこよなく愛する者ですが、バッハはしばしば自分が書いたスコアの末尾にS.D.Gというサインを残しました。これはSoli Deo Gloriaというラテン語の略で、意味は「ただ神にのみ栄光あれ」。バッハはルーテル教会の音楽家でしたから俗っぽい面もたくさんありましたが、それでも自分で書いた作品によって有名になろうとか、金持ちになろうとか、そんなことは金輪際考えていなかったのだと思います。その緻密で、均整のとれた、美しく、時に激しく心を揺り動かす音楽を聞いていますと、バッハはそれらの作品によって神の栄光を讃えようとしたのだろうと思います。私たちはどうでしょうか?与えられたものすべて、人生のすべてを神の栄光を表すために用いているでしょうか?
新型コロナウィルスの蔓延がとどまるところを知りません。今や世界中の人々がこの見えない敵との戦いを強いられ、怯えています。特にイタリアではたくさんの人々が感染し、命を落としています。そんな中、自分より若い患者にと人工呼吸器を譲って死んだ神父が話題になっています。彼の名は、ジュゼッペ・ベラルデッリ。ジュゼッペ神父は、イタリア北部ロンバルディア州のベルガモ司教区にあるカスニーゴの町の司祭長でした。神父は以前から呼吸器系の病気を患っていたため教会の信者さんたちが購入した人工呼吸器を持っていたのですが、それを自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、病院で亡くなったそうです。死から命へ。ジュゼッペ神父の死は、若者に命を与え、さらに多くの人々をも勇気づけています。何よりもその尊い行為は「神の栄光」を証ししています。
死に瀕したラザロのことを伝え聞いたイエスさまは言われました。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。」私たちも新型コロナウイルスの脅威に晒されて右往左往するのでなく、復活の命を与えてくださるキリストを信じて、神の栄光のために、今、自分に何ができるか考えてみようではありませんか。
《来週の礼拝》
〇4月5日 午前11時 主のエルサレム入城礼拝
〇司 式:中島和喜牧師 〇説 教:中島和喜牧師「預言者」 〇奏 楽:滝田裕美さん 〇聖書朗読:藏谷俊夫さん 〇礼拝当番:出口輝子さん、滝田裕美さん
〇聖 書:イザヤ50:4ー9a、フィリピ2:5-11、マタイ21:1ー11 〇讃 美 歌:72、77(1-2)、77(3-4)、78