聖霊降臨後第3主日
「今週の祈り:すべての民の主なる神さま。あなたはあなたの民に御心を示し、あなたの民を救う約束を与えられました。私たちがあなたの戒めに耳を傾け、み旨を行うために、あなたの強い力で支えてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。」
(礼拝堂の花)
〇聖霊降臨後第3主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)マタイ7:15~29
「愚かな人」
山上の説教の締めくくりの部分です。イエスさまは、この長い説教を閉じられるにあたって、3つのことを話されました。偽預言者に警戒すること、神の御心を行う者だけが天の国に入れること、そして御言葉を聞くだけでなく行う者となることです。
私は牧師という仕事上、神の御言葉を預かって皆さんに伝える務めを担っています。いわゆる、預言者です。もちろん牧師の仕事はそれだけではなく、祭司のように神と人との間に立って執り成しの祈りをささげること、また羊飼いが羊たちを養うように人々の信仰を守り牧する役目もあります。それらすべてを完璧に出来る牧師なんていないでしょうが、それでもなんとか少しでもそれらの役目を果たしていければ!と願いつつ仕事に励んでいるわけです。それで、「偽預言者を警戒しなさい」とか「『主、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない」と正面切って言われると、ギクッとするわけです。自分は真実な預言者だろうか?いつも主に祈りはしているが、天の国に入れるのだろうか?むしろ、まっさきに天国から閉め出されてしまうのでは?預言者のように振る舞いつつも心は罪で汚れ、祭司のように祈りつつも主の御心を行っているかどうかおぼつかない自分は…と。牧師は普段自信たっぷりに説教をしているように見えるかもしれませんが、その心の内は畏れおののいているのです。
最後のたとえ話しは、極めつけです。岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人。それは、御言葉を聞いて行う人と、聞くだけで行わない人である、とイエスさまは言われます。私は、もちろんイエスさまの御言葉をいつも聞いているつもりです。聞かないことには伝えることもできませんし、預言者としての務めも果たせないからです。しかし、では、御言葉を実践しているか?聞くだけで、伝えるだけで、満足してしまって、自分では何一つ行っていないのでは?と問われているような気がしてなりません。イエスさまの山上の説教を聞いていた人々は、これらの教えに非常に驚いたとありますが、私は自分の信仰者としての、牧師としてのあり方を厳しく問い正されているような気がします。
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また悪い木が良い実を結ぶこともできない」。イエスさまが言われることは、当然至極、当たり前のことです。しかし、その当たり前のことが分かっていて、なかなか出来ない私たちなのです。ですから、私たちはせめてイエスという木に繋がり続けましょう。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と約束してくださったイエスさまに。
〇7月2日 午前11時 聖霊降臨後第4主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉・小林広枝姉
〇聖書朗読:小川敦子姉
〇礼拝当番:出口輝子姉