今日の礼拝堂(6月20日 聖霊降臨後第4主日)
新型コロナウィルス感染拡大のため主日礼拝がお休みとなり、中島牧師によるオンライン礼拝が新札幌礼拝堂からYutubeで配信されています。ここでは週報にある「Good News」を掲載いたします。
「 眠 る 」 マルコ4:35~41
先週に引き続き今日も4章が読まれましたが、同じ4章と言っても34節と35節の間で場面が大きく移り変わっています。先週の箇所までは格言集かのようにイエスさまの説教が連続して語られていたわけですが、今日の箇所から6章6節までは再びイエスさまの旅路に移り変わっていることに注意が必要です。これまではイエスさまからみ言葉を通して神の国に招かれていくという豊かさをお教えていただいていたのに対し、今日の箇所から始まる旅路では、一転して人間がいかに神を信用しきれないかということが露わにされていきます。
その始まりとして描かれた突風を鎮める物語はまさに、弟子たちの弱さが描かれることを通して、私たち信仰者の弱さが突きつけられていると言って良いでしょう。湖上に出たイエスさま一行は突如として嵐に襲われます。弟子たちの内4名が元々漁師でありましたが、それでも皆が慌てふためいていたということは、相当に大きな嵐であったことが予想されます。それほどまでの大きな恐怖に対して、なんとイエスさまは眠っておられたというのです。何と大胆な方でありましょうか。この光景に対して、弟子たちは「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と非難します。この非難はマルコの特徴的な記載です。マタイ福音書にも同様の物語が書かれていますが、そこでは弟子たちはイエスさまに助けを「主よ、助けてください」と懇願していたのに対し、マルコの物語ではイエスさまを非難しているのです。ここに人間の弱さが描かれているのでしょう。
苦難と接するとき、私たちは時に、神は私たちの問題に無関心なのではないかという疑念を抱くことがあります。なぜ問題が起こるのか。どうして解決してくれないのか。危機的状況であればあるほど、その疑念は大きくなるでしょう。弟子たちと同じように、私たちも直接的ではないにしても、つい神を非難し神の力を軽視するのです。私たちは思ったよりも、信仰を貫くだけの強さをもっていないのです。故に、私たちは常に十字架を見上げて生きていかねばならないのです。私たちは神を信頼しきれない罪を犯し続けます。しかし、イエスさまはその私たちの罪を赦すために、十字架に架けられ死んだのです。それほどまでの愛を、神の子が私たちに示してくださったのです。
罪赦された私たちは、嵐の中で眠っていたイエスさまのように、安心して眠るように日々を送りたいのです。不安や恐れがあっては眠れません。また浅い眠りでは周囲が騒がしくなればすぐに起きてしまうでしょう。神は突風すらも静められるほど、力を持った方であるのです。その力に信頼しこの身を委ねて、深く深く眠りにつくように、安心して日々を過ごしていきたいと願います。(中島)
* 新型コロナウイルス感染拡大のため、通常の礼拝がしばらく休止となりました。 これからは毎週オンライン礼拝がおこなわれる予定ですが、このプログには牧師からいただく「Good News」による説教内容を掲載いたします。