顕現後第3主日
「今週の祈り:主なる神さま、あなたの慈しみはいちも私たちと共にあり、進む道を先立って導き、後ろを守ってくださいます、み光の中へと招き、御子の十字架によって与えられる善き道の歩みを導いてください。救い主、 主イエス・キリストによって祈ります。」
〇顕現後第3主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)マタイ4:12~23
「 十 字 架 」
今日の箇所ではイエス様の伝道が始まり、弟子たちを招く姿を読みました。すなわち、いよいよこれからイエス様の旅路が始まっていくわけです。そのため、マタイ福音書にとって、今日の箇所までが序文と言って良いでしょう。神が地上に一人子を送り、その子を通して「神は共におられる」ということを伝えた後、イエス様を通して神への従順によって与えられる恵みを示し、そこから伝道が始まり、その初めに弟子たちが招かれる。これがマタイ福音書の序文なわけです。「神は共におられる」「神への従順」「招き」この三要素を伝えた後で、イエス様の歩みが始まっていくのです。そしてそれは、私たちの信仰生活にも当てはめられるでしょう。
私たちの信仰生活の序文はどのようなものだったでしょうか。きっと一人ひとりに違うことでしょう。しかし、すべての人にこの序文が適応されているのです。まず神が私たちと「共におられ」、「神への従順」にある恵みを示した先で、私たちを「招き」、信仰生活が始まるのです。つまりマタイの序文は、イエス様の旅路の序文を示すと同時に、一人ひとりの信仰者の序文をも示しているのです。その歩みの始まりは、神によってなされたものであり、神の恵みによるものである。そのことを、まず覚えていなければならないのです。
しかし、そこから始まる旅路は、決していつも良いことばかりではありません。弟子たちがそうであったように、時に悩み、不安を覚え、神に委ねきれないという罪を犯すこともあるでしょう。しかし、イエス様はその旅路の最後には十字架にかけられ、そのような私たちをも愛してくださっていることを示してくださったのです。
イエス様が序文で示された「神への従順」よって、最後には十字架にまで行き着くのです。そしてその先で「神は共におられる」という言葉で福音書が閉じられていきます。つまり、序文にあった要素が、今度は逆の順番で描かれていくのです。マタイ福音書は明らかに序文と最後を反映させていると言えるでしょう。そしてそれは、裏を返せば、「十字架」という「神への従順」の先で「招き」が描かれているともいえるのです。
招かれて赦されるのではなく、赦されて招かれるのです。愛したから愛されるのではなく、愛されたから愛せるのです。常に神から働きかけてくださるのです。この順番を私たちははき違えてしまうことがあります。私たちの信仰の歩みは、先に起こった神からの働きかけという事柄を、時に忘れさせるのです。神に仕えたから招かれる、とでも言うように、救われるために神に仕えるという事柄が起こってしまうことかあるのです。しかし、あなたは既に愛され、赦され、招かれているのです。そのことに信頼して、今日もまた招かれた喜びを抱えて、遣わされていきましょう。
《来週の礼拝》
〇2月2日 午前11時 顕現後第4主日礼拝
〇司 式:中島和喜牧師 〇説 教:中島和喜牧師「山上」 〇奏 楽:若井裕子さん 〇聖書朗読:青木比呂子さん 〇礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん
〇聖 書:ミカ6:1ー8,コリント(Ⅰ)1:18-31、マタイ5:1-12 〇讃 美 歌:151(1-2)、305(1-3)、294,151(3-4)、聖255(1-3)
# 1月29日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~「聖書と祈りの会」を行います。
どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。