新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

1月26日「今日の礼拝堂」

2020年01月27日 | 今日の礼拝堂

   顕現後第3主日    

今週の祈り:主なる神さま、あなたの慈しみはいちも私たちと共にあり、進む道を先立って導き、後ろを守ってくださいます、み光の中へと招き、御子の十字架によって与えられる善き道の歩みを導いてください。救い主、 主イエス・キリストによって祈ります。

 

 〇顕現後第3主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)マタイ4:12~23

           「   十 字 架  」

  今日の箇所ではイエス様の伝道が始まり、弟子たちを招く姿を読みました。すなわち、いよいよこれからイエス様の旅路が始まっていくわけです。そのため、マタイ福音書にとって、今日の箇所までが序文と言って良いでしょう。神が地上に一人子を送り、その子を通して「神は共におられる」ということを伝えた後、イエス様を通して神への従順によって与えられる恵みを示し、そこから伝道が始まり、その初めに弟子たちが招かれる。これがマタイ福音書の序文なわけです。「神は共におられる」「神への従順」「招き」この三要素を伝えた後で、イエス様の歩みが始まっていくのです。そしてそれは、私たちの信仰生活にも当てはめられるでしょう。

 私たちの信仰生活の序文はどのようなものだったでしょうか。きっと一人ひとりに違うことでしょう。しかし、すべての人にこの序文が適応されているのです。まず神が私たちと「共におられ」、「神への従順」にある恵みを示した先で、私たちを「招き」、信仰生活が始まるのです。つまりマタイの序文は、イエス様の旅路の序文を示すと同時に、一人ひとりの信仰者の序文をも示しているのです。その歩みの始まりは、神によってなされたものであり、神の恵みによるものである。そのことを、まず覚えていなければならないのです。

 しかし、そこから始まる旅路は、決していつも良いことばかりではありません。弟子たちがそうであったように、時に悩み、不安を覚え、神に委ねきれないという罪を犯すこともあるでしょう。しかし、イエス様はその旅路の最後には十字架にかけられ、そのような私たちをも愛してくださっていることを示してくださったのです。

 イエス様が序文で示された「神への従順」よって、最後には十字架にまで行き着くのです。そしてその先で「神は共におられる」という言葉で福音書が閉じられていきます。つまり、序文にあった要素が、今度は逆の順番で描かれていくのです。マタイ福音書は明らかに序文と最後を反映させていると言えるでしょう。そしてそれは、裏を返せば、「十字架」という「神への従順」の先で「招き」が描かれているともいえるのです。

 招かれて赦されるのではなく、赦されて招かれるのです。愛したから愛されるのではなく、愛されたから愛せるのです。常に神から働きかけてくださるのです。この順番を私たちははき違えてしまうことがあります。私たちの信仰の歩みは、先に起こった神からの働きかけという事柄を、時に忘れさせるのです。神に仕えたから招かれる、とでも言うように、救われるために神に仕えるという事柄が起こってしまうことかあるのです。しかし、あなたは既に愛され、赦され、招かれているのです。そのことに信頼して、今日もまた招かれた喜びを抱えて、遣わされていきましょう。 

        《来週の礼拝》

〇2月2日 午前11時 顕現後第4主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「山上」                                                                                        〇奏  楽:若井裕子さん                                                                              〇聖書朗読:青木比呂子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん

聖     書:ミカ6:1ー8,コリント(Ⅰ)1:18-31、マタイ5:1-12                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:151(1-2)、305(1-3)、294,151(3-4)、聖255(1-3)

  # 1月29日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~「聖書と祈りの会」を行います。

  どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月19日「今日の礼拝堂」

2020年01月20日 | 今日の礼拝堂

   顕現後第2主日    

今週の祈り:私たちを贖う方、私たちの力である聖なる神さま、聖霊によって私たちを永遠に捉えてください。あなたを礼拝し、忠実に仕える恵みを与え、あなたに従う喜びを見出すことができるように、救い主、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

 〇顕現ご第2主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ1:29~42

           「 神の子羊 」 

 今日の日課は『ヨハネ福音書』が伝えるイエスさまと洗礼者ヨハネとの出会いです。先週の日課で私たちは『マタイ福音書』のテキストから、イエスさまが洗礼を受けるためにヨハネの元へ出向いたことを知りました。そこには、イエスさまに洗礼を授ける役目を与えられたヨハネの戸惑いと従順が記されていました。「私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが私のところへ来られたのですか」と言ったヨハネに対して、イエスさまは「今は止めないで欲しい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と答え、洗礼を受けたのでした。その時、天が開け、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の声が聞こえ、聖霊が鳩のようにイエスさまに降って来た!その出来事を振り返って、ヨハネは今まさに自分に近づいてくるイエスさまを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言い、「この方こそ神の子である」と証ししているのです。

 ヨハネのこの言葉を聞いた弟子たちや周りの人たちはさぞ驚いたに違いありません。というのも、この時点でイエスさまはまだ何の宣教活動を始めていなかったからです。力強い説教も語っていなければ、驚くべき奇跡も行なっていませんでした。したがって周りの人たちには、イエスはナザレ村出身の平凡な大工の男にしか見えなかったでしょう。しかし、洗礼者には見えていたのです。イエスさまが神の子であることが。イエスさまが世の罪を取り除く神の小羊であることが。そのようにヨハネの目を開き、彼に信仰を与え、洗礼者としての使命を与えられたのは神です。然り、聖霊は洗礼者ヨハネにも豊かに注がれていたのです。

 「小羊」は聖書にしばしば登場します。まず『出エジプト記』には、屠られた小羊の血を家の鴨居に塗ったイスラエルの民が救われた過越しの出来事が記されています。また「小羊」は神への献げ物として律法に定められてもいます。そして『イザヤ書』53章には、多くの人々の過ちを担って神に執り成す「主の僕」の姿が小羊として描かれています。それら「小羊」に重ねられてきた救い主のイメージが、今、まさにイエス・キリストにおいて成就されようとしている!そのことを洗礼者ヨハネはいち早く見抜いたのです。信仰によって、聖霊の導きによって、悟ったのです。

私たちにもヨハネと同じ信仰が与えられています。イエスさまを「神の小羊」と告白する信仰が。キリストこそ「世の罪を取り除く神の小羊だ」と歌う信仰が。聖餐式の折に歌う「アグヌスデイ」の賛歌が、まさにそれに当たります。私たちはこの賛歌を聖餐式が行われない時でも、礼拝以外の場であっても、常に口ずさもうではありませんか。ヨハネがイエスさまを見つめて、何度も「見よ、神の小羊だ」と力強く証ししたように。

        《来週の礼拝》

〇1月26日 午前11時 顕現後第3主日礼拝

〇司  式:日笠山吉之牧師                                                                                   〇説  教:日笠山吉之牧師「わたしについて来なさい」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                              〇聖書朗読:小笠原里子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:藏谷俊夫さん、小笠原里子さん

聖     書:イザヤ8:23ー9:3、コリント(Ⅰ)1:10-18、マタイ4:12-23                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:157(1-3)、240、328、157(4-6)、聖256(1-3)

  # 1月22日(水) 10:00~オープンチャーチを、そして13:00~「聖書と祈りの会」を行います。

             どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月12日「今日の礼拝堂」

2020年01月14日 | 今日の礼拝堂

   主の洗礼主日    

今週の祈り:父なる神さま、主イエスが洗礼を受けられたとき、あなたは「わたしの愛する子」と告げ、聖霊によって油を注がれました。キリストと一つになる洗礼を受けるすべてのあなたの子どもが、その召しに忠実であるように、あなたの霊を与えてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

 〇主の洗礼主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)マタイ3:13~17

           「  子  」

  2020年も始まり10日以上が経ちましたが、札幌の方々にはまだご挨拶をしていませんでしたので、この紙面にてご挨拶をさせていただきます。皆さん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ、お手柔らかに、よろしくお願いいたします。

 さて、新年が明けてから二週目は必ず主の洗礼の記事を読みます。主が洗礼を受けるという事は私たちにとって不可解な行動かもしれません。なぜなら、洗礼というものは神から人に与えられる恵みであり、神であるイエスさまにとっては不必要に思われるものだからです。マタイ福音書はその謎に対して、福音書で唯一イエスさまの言葉を通して答えを示しています。15節で主に洗礼を授けるという行為に戸惑うヨハネに対し、イエスさま「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と言われました。この言葉が、マタイ福音書が示す、主の洗礼に対する答えであります。

 マタイ福音書は2章と3章の間でイエスさまが赤子から成人になっているため、時間にして30年ほど経っています。しかし、3章の1節では「そのころ」という30年の時間が経っている際にはおおよそふさわしくない言葉で物語を継続させています。そのため、4章22節までがマタイ福音書における序文になっていると考えられるのです。序文には大きな意味があり、イエスさまがどのような方であり、これから何をしようとされるのか、救い主としての全体像が序文で示されるのです。

1章から2章においては「イエスさまが何者であるのか」ということに焦点を当てながら、イエスさまを通して救いがすべての人々にもたらされていくことが語られました。続く3章においては、ではイエスさまはその救いを何によってもたらすのか、という事が示されていくのです。その中で、15節の「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしい」という言葉は大きな意味を持っていると言えるでしょう。「正しいこと」とは、神への服従であり、神にすべてを委ねて生きていくことであります。イエスさまは受ける必要のない洗礼を通して、神に従いきる姿勢を示し、その応答として「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という、神からの恵みに与っていくという神と子の関係性を示すと同時に、私たちをその道へと誘おうとされるのです。

徹底した神への服従、その中で私たちは神の恵みに出会っていくのです。その道は、イエスさまが服従の極致として十字架にかけられたように、私たちの望むものとは時に違うこともあります。しかし、神にすべてを委ねていくところで私たちは、自分が望む以上の、神の愛という大きな満たしを受け取っていくのです。主にすべてを委ねて、主の愛に満たされつつ、今年も一年を平安に過ごしてまいりましょう。

        《来週の礼拝》

〇1月19日 午前11時 顕現後第2主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「二日目」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                              〇聖書朗読:小川敦子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖     書:イザヤ49:1ー7,コリント(Ⅰ)1:1-9、ヨハネ1:29-42                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:299、55(1-3)、55(4-5)、307,聖258

  # 1月15日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~「聖書と祈りの会」を再開します。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月5日「今日の礼拝堂」

2020年01月05日 | 今日の礼拝堂

   主の顕現主日    *信徒礼拝で行われました。

今週の祈り:神さま。この日あなたは星の導きによって御子を世界中の人々に顕されました。私たちが生活のただ中で、あなたに気づき、ついにはあなたの栄光を仰ぎ見ることができるよう、信仰によって導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

〇主の顕現主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マタイ2:1~12

           「 ひれ伏して拝む方 」


 新年明けましておめでとうございます。2020年が幕を開けました。今年はどんな1年になるのでしょうか?悲喜こもごもいろいろなことが起こるのでしょうが、たとえどんなことがあろうとも、まことの救い主を見失うことなく歩んで行きたいと思います。

 個人的には、私は今年2回目の東京オリンピックを体験することになります。というのも、私が生まれたのは1964年、東京で初めてのオリンピックが開催された年だからです。もちろんまだ1歳にもならない頃でしたので何も覚えていませんが、記憶のどこかには当時の日本を覆っていた高揚感のようなものが眠っているのかもしれません。昨今のオリンピックの商業主義には文句の一つも言いたくなりますが、それでもそこで繰り広げられる数々のドラマや選手たちのひたむきさには拍手を贈らずにはいられないでしょう。思いがけず、札幌でもマラソンと競歩が行われることになりましたから楽しみですね。

 さてマラソンといえば、この正月には箱根駅伝をゆっくりと見ることができました。昨年の台風で道路も寸断され、いまだ箱根登山鉄道は不通のままですが、それでも関係者の尽力によって今年も例年通りのコースで駅伝が行われました。結果は青山学院大の2年ぶりの優勝という結果に終わりましたが、他の大学のレベルも高く、区間新記録が続出しました。駅伝はマラソンと違って個人競技ではなく、長い距離を10人もの仲間たちとタスキを繋げながら走ります。繰り上げスタートにならないようになんとかタスキを繋げようと必死で走る選手たちを見ていると、どのチームにもがんばれ!と思わず声援を送りたくなります。それは、私たちの教会をご覧になっているキリストも同じではないでしょうか。がんばれ札幌教会、恵み野教会!がんばれ北海道特別教区!がんばれ日本福音ルーテル教会!信仰の諸先輩たちが一生懸命に繋いできたタスキを、しっかりと渡しておくれ!あなたたちの世代でタスキが途切れてしまわないように、わたしの福音をしっかりと伝えておくれ!そうキリストが私たちにエールを送っておられるような気がしてなりません。

 生まれたばかりの幼子キリストを拝むためにはるばる東方の国から訪れた占星術の学者たち。彼らが歩んだ道のりはマラソンや駅伝よりもはるかに長く厳しいものだったでしょう。それでも彼らは暗闇を照らす確かな星に導かれて、キリストのもとにたどり着くことが出来ました。私たちの信仰生活もいつも順風満帆とは限りません。私たちは様々な出来事を前にして、信仰が揺らぎ、キリストを見失ってしまいそうになるかもしれません。しかしたとえ私たちがそうであっても、インマヌエルの主は確かにおられるのです。私たちの傍らに、私たちのただ中に。そのことを忘れずに、今年もキリストに私たちの絶えざる祈りと、讃美と、思いのすべてを捧げようではありませんか。

        《来週の礼拝》

〇1月12日 午前11時 主の洗礼主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「子」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                              〇聖書朗読:青木比呂子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:小川照美さん、小笠原里子さん

聖     書:イザヤ42:1ー9,使徒10:34-43、マタイ3:13-17                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:182(1-3)、249,60、182(4-5)、聖254

  # 水曜日のオープンチャーチと「聖書と祈りの会」は冬休み中です。

     来週の1月15日(水)から再開します。 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月29日「今日の礼拝堂」

2020年01月01日 | 今日の礼拝堂

   降降節第1主日  

今週の祈り:主なる神さま。私たちが自分の力に信頼できないことを、あなたはご存じです。幼子イエスを守られたように、私たちのすべての者を災いと逆境から守ってください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、御子。主イエス・キリストによって祈ります。

 

 〇待降節第1主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)マタイ2:13~23 

          「 預  言 

 マタイ福音書は他の福音書と比べ、旧約聖書とのつながりを重視し、神の預言が成就したことを随所で引用されます。今日の箇所においても、3つの預言(15、18、23節)が引用されています。マタイはこの引用を用いて、神が確かに約束を果たしてくださる方であること、イエス・キリストを通して救いが果たされていくことを伝えていきます。

 そのようにして旧約とのつながりを重視するマタイは、イエスさまの降誕物語においても、旧約の型を用います。それはモーセの出エジプトです。出エジプトは奴隷状態にされていたイスラエルの民に神がモーセを遣わし脱出させ約束の地へと導く救済物語です。 ユダヤ人にとってもとりわけ重要視されていた救済物語を、マタイはイエスさまの降誕物語に用いることで、イエスさまを通して新しい出エジプトが起こっていくことを示そうとしています。しかし、今日の箇所において面白いことは、出エジプトのような場面が語られているけれども、その内容は全く逆であるということです。

 出エジプトにおいてイスラエルの民を苦しめていたのはエジプト人であり異邦人でありました。そのため、エジプトから脱出しなければならなかったのです。しかし、今日の物語においては、イエスさまを虐げようとするのはイスラエルの王であり、そのため、エジプト「へ」脱出していくのです。このことを通して、救いに与るものはイスラエルの民ということではなく、もちろん異邦人のみということでもなく、占星術の学者たちのようにイエスさまを救い主として受け入れる者たちが救いに与っていくことが示されました。全ての者に信仰を通して救いが与えられていくのだと。マタイはそこに何ら喜びなどの感情を登場人物たちに表させることはしません。ただただ、それが事実だということを伝えるのです。      そのようにして全ての人に信仰を通して与えられる救いとは一体何でありましょうか。新しい出エジプトは私たちに何からの脱出を与えてくれるのでしょうか。それは、罪からの解放であり、人間の支配ではなく神の支配の下に生きていく豊かさを与えるのです。

 人間の王であるイスラエルの王ヘロデは、新たな王の誕生に脅えイエスさまを殺害しようと企てました。しかし、人間の思い、欲、そういった罪に縛られ続けるところでは、私たちは死と直面していくだけなのです。

 そうではなく、神が与える救いは私たちを罪から解放し、ただ神に信頼して生きていく喜びを伝えると共に、もはや死すらも超えた永遠の命の中を生かされていくという喜びに与ることができるのです。

 イエスさまは私たちに救いの道を示してくださいました。与えられた救い主と共に、新しい一年も平安の中で過ごしていきましょう。

     《来週の礼拝》   *信徒礼拝で行われます。

〇1月5午前11時 主の顕現主日礼拝                    

〇司      式:滝田裕美さん(代行)                                                                                                                                                                     〇説      教:滝田裕美さん「メシア」(代読)                                                                  〇奏      楽:若井裕子さん                                                                                                                                                                                         〇聖書朗読:青蔵谷俊夫さん                                                                                                                                                           〇礼拝当番:出口輝子さん、滝田裕美さん                                                                                            

〇聖 書:イザヤ60:1ー6、エフェソ3:1-12、マタイ2:1-12                                                                         〇讃美歌:178(1,3,5)、53(1-3)、53(4-6)、49,聖262   

 #  水曜日のオープンチャーチと「聖書と祈りの会」は冬休みです。1月15日(水)から再開します。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする