新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

5月21日「今日の礼拝堂」

2023年05月26日 | 今日の礼拝堂

    主の昇天主日    

今週の祈り: 全能の神様。御子は天に迎えられ、御前で私たちのために執り成してくださってます。全世界のための私たちの祈りを聞き、終わりの時に万物をあなたの栄光へと導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

 

  〇 主の昇天主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

            「祝福を残して」     使徒1 : 1-11 エフェソ1 : 15-23 ルカ24:44-53

 主イエスは、復活なさった後、40日間、11人の弟子たちに対してだけでなく、多くの人たちに、そのお姿をお示しになられました。そして、この日《イエスは、そこから彼らをベタニアのあたりまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイェスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。》(ルカ24:50-53)とあるように天に上られました。

 地上のすべての業を終え、再び来るという約束と共に祝福を残して主イエスは天に昇られたのです。この姿の中に人間の弱さ、裏切り、不誠実、傲慢、卑怯、それらすべてをご自身の痛みとして引受け、贖い、そして今、ただ愛、無限の愛の中に赦しをもって包み込む主の愛を感じます。私たちが、この世の混沌とした、希望の見えない世界の向こう側に、信仰によって見ているものとはなんでしょう。それはパウロが《わたしたちは見えるものではなく、見えないものに日を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。》(コリント二4: 18)とコリント書に記している通り、無限の愛を注ぎ、祝福してくださっている主イエス・キリストの姿ではないでしょうか。そして、その思い描くイメージは今日の弟子たちに祝福を残しながら天に昇って行かれる主のお姿そのもののように感じます。

 ところが現実は、祝福に満ちているよりも呪われているのではないかと感じてしまうような混沌。とても小さな一人では到底解決できない問題ばかり‥憤りや怒り、悲しみや嘆きが聞こえ、不正や不条理も目に余るような現実を前にすると生きているのがしんどいと思える時もあります。しかし、今日の福音はすべてのものたちに両手を広げて主イエスが祝福を注がれているのだと力強く語っています。

 ここから私たちはどのようなメッセージを受け取ることができるでしょうか?

 第一は、神の救いの約束は主の復活で完了したのではなく「現在進行形で続いている」ということ。そして第二に、この神の救いの出来事がすべての人々のものとされる日まで、主は父なる神と共に私たちを祝福し、導くために天に上られたということです。すべてのものの頭として、主は天の神の右の座におられます。聖書の中で天と言われるのは、大空のことではなく私たちがどこからでも見上げることのできる神の御座の事。昇天という出来事を通して、主イエスは地上の生涯とは違う新しいあり方をとられました。私たちが常に仰ぎ見ることが出来る場所へと移られたのです。

 主の再臨の日は隠されており、誰にもその日その時はわかりません。けれども、信仰を与えられでいる私たちは、この約束を信じ希望を持って待ち続ける群れとして導かれています。そして絶えず祝福を注いでくださる主イエスによって、どのような時にも、絶望、落胆するのではなく希望を語り続けるようにと促されているのです。

 

《来週の礼拝》                               

#5月28 午前10時30分 聖霊降臨主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「神の息吹

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:小川敦子さん

礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒2:1-21、コリント(Ⅰ)12:3b-13、ヨハネ20:19-23

讃  美 歌:119、240,261(1,5)、増補45

 


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5月14日「今日の礼拝堂」

2023年05月15日 | 今日の礼拝堂

    復活節第6主日    

今週の祈り: 永遠に生きておられる全能の神様。あなたは天と地のすべてを一つに結びつけてくださいます。豊かな憐れみによって、あなたのすべての子どもたちの祈りを聞き入れ、全世界に真理と平和の聖霊を授けてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

  

 

〇 復活節第6主日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

              先週の福音から 

         「雨の日でも信じてる」使徒7:55-60 ペトロ一2:2-10 ヨハネ14:1-14

 「心を騒がせるな」と聖書にいわれているが、わたしたちは心を騒がせざるを得ない。ミサイル攻撃で亡くなる方がおられ、難民としての保護を求めているのに危険な母国に強制送還されていく人がいる。わたしたちが生きていくこの社会は、理不尽さに満ちている。わたしたちは、生涯の終わりに天に迎えられることを信じているが、将来に希望を探すのに困難を覚えるこの世界の中で、トマスのように、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません」と問わざるを得ない。わたしたちは、イエスさまに従って栄光を得たいと願っているのに、イエスさまは天に行くには、「道であり、真理であり、命である」イエスさまご自身を通らなければ、そこに行くことは出来ない、と云われる。よってわたしたちに安易な道はなく、たとえ心を騒がせながらでも、イエスさまが愛されたこの世に向きあっていくほかない。トマスに続いてフィリポは、父なる神さまとイエスさまとの関係について問う。イエスさまは応えて、ご自身が天の神さまと一なる存在であると教えられ、イエスさまを信じる者は、イエスさまが行う業を行い、なおさらに「大きな業」を行うのだと教えられた。さまさまなことに「心を騒がせて」しまうような小さなわたしたちにはにわかには理解できない。ルーテル教会の全国総会が行われ、宣教についてさまざま話されたが、教会にももはや小さな力しかない。それでも、世界に眼を向ければ、実に24億人もの人たちがイエスさまの「互いに愛しあいなさい」との教えに生きようと、取り組んでいる。ひとりひとりのなせる業は小さくても、天に戻られたイエスさまがお送り下さった聖霊の働きにより、結果として2000年前のガリラヤでの不思議な業よりも、さらに「大きな業」が行われている。それが可能なのは「わたしが父のもとへ行くから」だとイエスさまがお教えくださった通りである。天へと至る道を求めたトマスに対して、イエスさまは「道であり、真理であり、命である」イエスさまご自身を示して下さった。なのでわたしたちもトマスと、またフィリポと共に、イエスさまご自身を求めながら、雨雲を越えた先にあるはるかなみ国をめざして、この道をあゆんでいきたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#5月21 午前10時30分 主の昇天日 礼拝  

司  式:小泉 基牧師

説  教:小泉 基牧師「わたしたちの物語に

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:小笠原里子さん

礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒1:1-11、エフェソ1:15-23、ルカ24:44-53

讃  美 歌:111(1-4)、278(1-3),増補45

 


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5月7日「今日の礼拝堂」

2023年05月08日 | 今日の礼拝堂

    復活節第5主日    

今週の祈り: 全能の神様。御子イエス・キリストは道であり、いのちです。私たちが互いに愛し合い、主の戒めの道を歩んで、御子の復活の命を世界中の人々と分かち合うことができるように恵みを与えててください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン

  

〇 復活節第5主日  説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)

         「その道」(使徒7:55-60、ペトロ2:2-10、ヨハネ14:1-14)

 いつの世も、自分の運命を不安に思っている人は少なくありません。現代でも新聞、雑誌、テレビ番組、様々な媒体に書かれている占いに一喜一憂しています。見たり聞いたりしてしまえば、気にはなってしまうもの。けれども私たちの幸いは、未来を運命まかせではなく、神と向き合うなかで恵みとして受け取ることができるという所にあります。そこには必ず、直接自分のために備えられた道があり、私に語りかけてくださっている神の働きがあります。ですから、私たちはすべての未来が、運命任せとは考えません。

 《心を騒がせるな。神を信じなさい》(14:1)との主イエスの言葉を言い換えれば「思い煩わないでいいんだよ。すべてを神に委ねていいんだよ」という慰め、励ましの言葉として捉えることができます。 主イエスご自身も、これから十字架の死という苦しみに向かわれるのですが、主が見据えておられたのは「死」だけではありませんでした。その先にある「復活」の希望。すべてを神に委ね、信頼して歩むべき道を進まれました。その主イエスご自身が、私たちにも《神を信じなさい》と言われるのです。私たちはこの方を信じ、この方と共に生き、この方に導かれて生きることが許されているのです。

 しかし弟子のフィリポは《主よ、わたしたちに御父をお示しください》(14:8)となおも納得できていません。それはそうかもしれません。彼らはまだ復活の主との出会いという「決定的な体験」をしていないのですから。主は 《フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は父を見たのだ。なぜ『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父のうちにおり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなた方に言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい》(14:11)と言われます。そして、十字架と復活という業を通して、弟子たちを疑う者ではなく、信じる者へと変えられました。

 私たちは、真の道であり真理であり、命である主イエスによって、招かれ、縁あって出会うことができました。それぞれの事情や状況は違えども、この小さな教会に必要とされているのです。知恵を出し合い、祈りを合わせながら、信仰共同体としての歩みを進めつつ、福音を世に伝えて参りましょう。(岡田)

 

《来週の礼拝》                               

#5月14 午前10時30分 復活節第6主日 礼拝 

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「約束

奏  楽:若井裕子さん

聖書朗読:青木比呂子さん

礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖  書:使徒17:22-31、ペトロ(Ⅰ)3:13-22、ヨハネ14:15-21

讃  美 歌:101、439,増補45


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4月30日「今日の礼拝堂」

2023年05月01日 | 今日の礼拝堂

    復活節第4主日 

 *本日の礼拝は、4月から新札幌礼拝堂ではオンラインで礼拝が持たれることとなり、その最初の礼拝でした。 

 

 

〇 復活節第4主日  説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)

             先週の福音から

           「パンをわけて食べる」

    (使徒2:42~47 1ペトロ2:19~25 ヨハネ10:1~ハネ20:1-18)

なんだか力を失い、自分のやっていることの意味がわからなくなることがある。そしてそのような負のスパイラルに入り込むと、布団の中で、人から言われた嫌な言葉、過去の姉な記憶を思い出したりして、いつまでも眠れなかったりし、ますます力を失ってしまう。エマオに向かって歩いていた2人の弟子たちも同様だった。イエスさまへの期待が大きかったが故に、ふたりの失望もまた大きく、自分たちがイエスさまと取り組んできた宣教は、意味のないものだったのかと自問しながら、エルサレムを後にしたのだった。不思議なことは、彼らが“天使からイエスさまの復活を聴いたという女性たちの報告を信じられなかったこと。そしてイエスさまと出会い、語らいながらもその方がイエスさまだと気づかなかったこと。わたしたちも負のスパイラルに入っていくとき、そのように目の前の物事から目が閉ざされ、それに向きあうことが出来なくなってしまう。だからこそこの弟子たちも、エルサレムから逃げ出してきたのだった。「暗い顏をして」、物事が見えずに「立ち止まって」いる弟了たちを晁てイエスさまは嘆かれる。わたしたちの物わかりの惡さも、イエスさまの嘆きの対象である。弟子たちは、イエスさまから「聖書全体にわたって」話を聞かせてもらうが、それでもそれだけでは目は開かれなかった。弟子たちの目が開かれたのは、イエスさまと食卓を囲んだとき。弟了たちは、これまで何十回も繰り返してきた「バンを取り、賛美の祈りを唱え、バンを裂いてお渡し」くださった、イエスさまとの食卓の経験を思い出したに違いない。その時ふたりの目が開け、共にいるのがイエスさまであると理解したのだった。教会はそのことを聖餐式という形で記念し続けて来た。また、變餐会という形で日々の食事を共にすることもまた、大切にし続けてきた。ふたりの目が開けたとたんに、目の前にいるイエスさまの姿が見えなくなったというのは興味深い。しかし、目が開かれた2人は、イエスさまの姿が見えなくなったことに、もはや落胆しない。彼らは、イエスさまが、目に見えない形で共にいて下さるという事を理解し、他の弟了たちにこの経験を報告するため、急ぎエルサレムヘととって返したのだった。わたしたちも、アタマでは理解できないことが、聖餐式のパンとぶどう酒の存在によって、なんとな<腑に落ちるというようなことがある。聖餐式を通して、また仲間とわかちあう愛餐を通して、なんどでもイエスさまの愛を感じ取り、力をいただいていきたい。(小泉)

 

《来週の礼拝》                               

#5月7 午前10時30分 復活節第5主日 礼拝  

司  式:岡田 薫牧師

説  教:岡田 薫牧師「その道

奏  楽:滝田裕美さん

聖書朗読:蔵谷俊夫さん

礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん

 


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