主の昇天主日
「今週の祈り: 全能の神様。御子は天に迎えられ、御前で私たちのために執り成してくださってます。全世界のための私たちの祈りを聞き、終わりの時に万物をあなたの栄光へと導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
〇 主の昇天主日 説教 岡田 薫牧師(週報掲載説教要旨)
「祝福を残して」 使徒1 : 1-11 エフェソ1 : 15-23 ルカ24:44-53
主イエスは、復活なさった後、40日間、11人の弟子たちに対してだけでなく、多くの人たちに、そのお姿をお示しになられました。そして、この日《イエスは、そこから彼らをベタニアのあたりまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイェスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。》(ルカ24:50-53)とあるように天に上られました。
地上のすべての業を終え、再び来るという約束と共に祝福を残して主イエスは天に昇られたのです。この姿の中に人間の弱さ、裏切り、不誠実、傲慢、卑怯、それらすべてをご自身の痛みとして引受け、贖い、そして今、ただ愛、無限の愛の中に赦しをもって包み込む主の愛を感じます。私たちが、この世の混沌とした、希望の見えない世界の向こう側に、信仰によって見ているものとはなんでしょう。それはパウロが《わたしたちは見えるものではなく、見えないものに日を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。》(コリント二4: 18)とコリント書に記している通り、無限の愛を注ぎ、祝福してくださっている主イエス・キリストの姿ではないでしょうか。そして、その思い描くイメージは今日の弟子たちに祝福を残しながら天に昇って行かれる主のお姿そのもののように感じます。
ところが現実は、祝福に満ちているよりも呪われているのではないかと感じてしまうような混沌。とても小さな一人では到底解決できない問題ばかり‥憤りや怒り、悲しみや嘆きが聞こえ、不正や不条理も目に余るような現実を前にすると生きているのがしんどいと思える時もあります。しかし、今日の福音はすべてのものたちに両手を広げて主イエスが祝福を注がれているのだと力強く語っています。
ここから私たちはどのようなメッセージを受け取ることができるでしょうか?
第一は、神の救いの約束は主の復活で完了したのではなく「現在進行形で続いている」ということ。そして第二に、この神の救いの出来事がすべての人々のものとされる日まで、主は父なる神と共に私たちを祝福し、導くために天に上られたということです。すべてのものの頭として、主は天の神の右の座におられます。聖書の中で天と言われるのは、大空のことではなく私たちがどこからでも見上げることのできる神の御座の事。昇天という出来事を通して、主イエスは地上の生涯とは違う新しいあり方をとられました。私たちが常に仰ぎ見ることが出来る場所へと移られたのです。
主の再臨の日は隠されており、誰にもその日その時はわかりません。けれども、信仰を与えられでいる私たちは、この約束を信じ希望を持って待ち続ける群れとして導かれています。そして絶えず祝福を注いでくださる主イエスによって、どのような時にも、絶望、落胆するのではなく希望を語り続けるようにと促されているのです。
《来週の礼拝》
#5月28日 午前10時30分 聖霊降臨主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「神の息吹」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小川敦子さん
*礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん
*聖 書:使徒2:1-21、コリント(Ⅰ)12:3b-13、ヨハネ20:19-23
*讃 美 歌:119、240,261(1,5)、増補45