新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前11時より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

8月19日「今日の礼拝堂」

2018年08月20日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第13主日 *音楽礼拝で行いました。 

今週の祈り:   恵みの父なる神さま。み子はすべての人に、まことのいのちを与える糧として、この世に下られました。私たちにこの糧を与えて、み子が私たちのうちに生き、私たちがみ子のうちに生きることができるようにしてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

 

 

〇聖霊降臨後第13主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ6:30~44

 「飼い主のいない羊たち」 

  有名な五千人の供食物語です。五千人とは、イエスさまの話しを聞くために人里離れた所まで押し寄せてきた男たちの人数。実際には、男だけでなく女や子どもたちもいたでしょうから、1万人以上もの人々だったと考えられます。こんなにも多くの人々をイエスさまはどうやってわずか5つのパンと2匹の魚だけで養われたのだろうか?という点に関心が向きがちですが、奇跡は奇跡として受け入れましょう。つまり、イエスさまにはこれほどの御業をなされるだけの力があるということです。誰かが差し出したわずかばかりのパンと魚をイエスさまが手に取り、賛美の祈りを唱え、それを弟子たちに渡して配らせるとすべての人が満腹した!そればかりでなく、パンの屑と魚の残りを集めると、12の籠にいっぱいになった!このようにイエスさまはすべての人々を養い、満ち足らせることの出来る唯一のお方だということをこの物語は伝えているのです。

  私はむしろイエスさまが養われた1万人以上もの人々が「飼い主のいない羊のような有様」だったと表現されている箇所が気になります。彼ら大群衆がさながら「飼い主のいない羊」のようであったということは、彼らには「まことの良き羊飼い」がいなかったということです。預言者エレミヤが語ったように、この世の牧者たちはその群を養うどころか、散らし追い払うだけ…その厳しい御言葉を聞くと、私も牧師として襟を正される思いがいたします。もちろん牧師といえども罪人の一人に過ぎず、まことの良き牧者とはイエス・キリストを置いて他におられないのですが。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。」(ヨハネ福音書10章14〜15節)

  「飼い主のいない羊のような有様」だった人々は、身も心も飢えていました。だからこそ、疲れていた弟子たちへの迷惑も顧みず、イエスさまのもとに押し寄せて御言葉を貪るように聞こうとしたのです。そのような人々の悲惨な有様をご覧になったイエスさまは、決して彼らを追い返したり、無視することなく、「深く憐れみ、いろいろと教え」てくださったと言います。ここにイエスの愛があります。イエスさまはご自身のはらわたが痛むほどの愛を寄せて、彼らの飢えと渇きを憐れんで下さったのです。すなわち、御言葉と御糧をもって、主は彼らを憐れんでくださったのです。果たして私たちは、今日イエスさまのもとに押し寄せた人々のように、飢え渇いているだろうか?御言葉を心から求めているだろうか?「御言葉をください、降り注ぐ雨のように、恵みの主よ。飢えと渇きに苦しみ呻き、闇路さまよう命のために。」(教団讃美歌第2編80番)主のみ前にあって常に御言葉を渇望し、主によってのみ満たされる者でありたいと思います。

 

 《来週の礼拝》

〇8月26日 午前11時 聖霊降臨後第14主日

〇司  式:森下真帆神学生                                                                                                                                           〇説  教:日笠山吉之牧師 「逆風の中で」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:小川敦子姉
〇礼拝当番:堀川 悦姉、滝田裕美姉

〇聖 書:ゼファニヤ3:18ー20,エフェソ4:1-16、マルコ6:45-52 
〇讃美歌:388(1,2)、239(1-3),409,388(3,4),聖餐264(1-3)

8月22日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月24日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。    

 


8月12日「今日の礼拝堂」

2018年08月15日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第12主日   #信徒礼拝で行いました。  

今週の祈り:   私たちの造り主、救いの神さま。新しい祭司の群れに入れられた私たちが、誠実にあなたの召しに応え、福音の証し人として、あなたの約束を全世界に告げ知らせる者にならせてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

〇聖霊降臨後第12主日説教 森下 神学生(週報掲載説教要旨)マルコ6:6b~13

「 私が神学生になるまで 」

 今日の日課はイエス様が弟子たちを送り出される場面です。イエス様は12人の弟子たちを呼び寄せ、宣教させるために彼らを送り出します。このときのイエス様は食べ物も、持ち物も、なにもくれません。むしろイエス様は弟子たちに、あれもこれも持って行ってはならないと命じておられるのです、イエス様はどうしてこのように命じられたのでしようか。イエス様の時代、旅をしながら神様のことを教えた伝道者たちは、彼らから教えを聞こうとする人たちの家に泊まらせてもらい、必要なものを世話してもらうのが普通でした。ご自分の弟子たちもそうであることをイエス様は望まれたのです。ですから弟子たちは、これから出会う人たちが自分たちを受け入れて、きっと世話してくれるということを信じて、何も持たずに旅立ったのです。自分の力に頼るのではなく、誰かに助けてもらうことで生きていく。ひとりで頑張るのではなくてみんなで頑張る。弟子たちにはそのことが求められていたのだと思います。自分のお金や、自分の食べ物、持ち物にこだわるよりも、これから出会う人を信頼することが大事だよとイエス様は弟子たちに教えられたのでした。

  ではイエス様ご自身は何もしてくがさらなかったのでしようか。聖書を丁寧に読むと、イエス様がくださったものが一つだけあることに気づきます。それは[汚れた霊に対する権能]でした。汚れた霊に対する権能。それは「神様の力」のことです。聖書の時代、人間には治せない病気や困りごとが、汚れた霊の仕業であるとされていたことはみなさんもご存じだと思います。そして、そういったことに苦しむ人たちが「罪人」と呼ばれて仲間はずれにされていたのもまた、この時代の特徴でした。私たちの時代にあってもそれは同じです。偏見や差別に苦しむ人たちは今もたくさんいて、けれど私たちはそれを見ないようにして暮らしているのだと思います。しかしイエス様はそのような人たちから目をそらすことはありませんでした。  むしろ弟子たちを真っ先にそのような人のもとへと遣わされました。そのときイエス様が汚れた霊を追い出す権能を弟子たちにくださったことで、神の力によってそのような霊を追い出すことができるようになりました。そうすることで、差別され、仲間外れになっている人たちを救うことができたのです。この時弟子たちは自分たちに能力かおるからこのようなことができたわけではありません。神の力をイエス様から授けられたからです。自分の力で人を救うのではなく、イエス様によってプレゼントされた神様の力によって人を救う。誇るのは自分の力ではなく神の力だと、イエス様は弟子たちに教えておられます。

  イエス様が弟子たちを送り出されたように、私たちもどこかへ送り出されていきます。イエス様は弟子たちに食べ物も持ち物もくださいませんでした。それは、弟子たちがこれから出会う人に助けられ、信頼し、一緒に生きていくためです。イエス様はたった一つ、汚れた霊に対する権能、つまり神様の力をくださいました。それは、弟子たちが自分の力ではなく神さまの力によって働くためです。私も、そして私たちもまたそうやって送り出されています。あなたが、これから出会う人に助けられるように、あなたが働くとき神さまの力が働くように、イエス様はあなたを送り出してくださるのです。私自身もこれから出会う人に心を開いて、神様の力に信頼して、送り出されていきたいと思います。

 

 《来週の礼拝》 

 〇8月19日 午前11時 聖霊降臨後第13主日      #音楽礼拝で行われます。 

〇司  式:中島和喜牧師 (代行:滝田裕美)                                                                                                                〇説  教:中島和喜牧師 「他力本願」 #証し:森下真帆神学生「私が神学生になるまで」                               〇奏  楽:若井裕子
〇聖書朗読:小笠原里子姉
〇礼拝当番:小川照美兄、滝田裕美姉 

〇聖 書:エレミヤ23:1ー6,エフェソ2:11-22、マルコ6:30-44 
〇讃美歌:210(1,2)、258,328,210(3,4)、聖餐257(1-3) 

 


8月5日「今日の礼拝堂」

2018年08月07日 | 今日の礼拝堂

 平 和 主 日    

今週の祈り:  全能の神さま。あなたはすべての真理と平和の源です。すべての人の心に平和と愛の灯火を灯し、世界の国々の指導者をあなたの英知で導いてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

  〇平 和 主 日 説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ15:9~12

「 多 様 な 愛  」

 私が小学校4年生に進級する際、牧師である父が千葉県の教会に遣わされるという事で、それまで住んでいた帯広から引っ越すことになりました。私の母はとても心配性でして、途中で転校することになった子供たちが引っ越した先でも友達ができるかどうかとてもとても心配していたそうです。そして迎えた転校初日、学校から帰ってくるなり、私が「友達の家に行ってくる」と元気に飛び出した姿を見て、いらぬ心配だったと思ったそうです。それ以来、「あなたは名前の通り、どこでも平和に生きていける」といわれるようになりました。

 私の名前は「和喜」と言いまして、「平和を喜ぶ」という意味で名づけられました。そのような名前ですから、いつも平和について悩みながら生きてきました。今日は平和主日です。一人で悩むのではなく、皆さんと共に「平和」について考えたいと思うのです。

 「平和」とは何であるか。現代でこそ「戦争がない状態」という意味で使われていますが、第二次世界大戦以前は主に「秩序が整えられた状態」という意味で使われていました。つまり、秩序を整えるためであれば、戦争を行うことすら容認されていた時代があったのです。 この考え方は現代では大変危険な考え方のように思われます。しかし、歴史を紐解いていくと、実に戦争という出来事の複雑さが見えてくるのです。キリスト教徒でありながらも、平和のために、宗教のために、自分たちの教理のために、武器を持って戦った人々がいました。邪な思いがなかったとは言いませんが、それでも、自分たちに与えられた愛に従って戦った人々がいたのです。

 愛があれば争いを避けられるというわけではありません。愛故に、戦ってしまうこともあるのです。それは武力をもっての争いには限りません。私たちの日常の中でも、愛のために戦うことがあれば、時には愛と愛がぶつかり合うこともあるのです。私たちの示す愛は完璧な愛ではありません。自分の思いが混ざり、結果として多様な愛の形を抱いていくのです。しかし、愛をもってしても争ってしまうのならば、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

 今日、私たちには「愛にとどまりなさい」という言葉が与えられました。私たちはいついかなる時も、このことを忘れてはなりません。私たちは完璧な愛をその身で実行することは出来ません。だからこそ、キリストからの愛にとどまり続ける、それはすなわち、キリストの愛を受け取り続けるということです。キリストの愛に満たされるとき、私たちは優しい気持ちになるし、誰かを愛そうという心を頂いていきます。私たちは常に、この愛によって押し出されていかなければならないのです。その先に起こす出来事が完璧じゃなくてもいいんです。けれども、私たちの内にその愛があるならば、その愛が私たちを「キリストの平和」へと導いて下さるはずです。その愛に押し出されて、その愛に信頼して、キリストの平和を実現する者として遣わされていきましょう。

 《来週の礼拝》 

 〇8月12日 午前11時 聖霊降臨後第12主日      #信徒礼拝で行われます。 

〇司  式:中島和喜牧師 (代行:滝田裕美)                                                                                                                〇説  教:中島和喜牧師 「準備」(代読:滝田裕美)
〇奏  楽:若井裕子
〇聖書朗読:青木比呂子姉
〇礼拝当番:小川敦子姉、滝田裕美姉 

〇聖 書:アモス7:10ー15,エフェソ1:3-14、マルコ6:6b-13 
〇讃美歌:169,278(1,2)、278(3-5)、395、聖餐253(1-3) 

8月8日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                            どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。                                       

        


7月29日「今日の礼拝堂」

2018年07月29日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第10主日    

今週の祈り:   神さま。あなたは思いにまさる喜びを、愛する者に与えられます。すべてにまさって、あなたを愛する心を私たちの中におこし、私たちの願いを超えたあなたの約束に与らせてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

〇聖霊降臨後第10主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ5:21~43

「 触 れ た く て 」

「信じることが出来るか?」というのが奇跡物語を通して私たちに問いかけられる言葉でありましょう。12年間の出血が癒される、ヤイロの娘が復活する。どちらも現代では起こりえない出来事と言っても良いかもしれません。それを、信じることが出来るか、と。

12年間も出血の止まらない女は、血が止まらない恐怖を抱えながら、医者にかかっても悪化するだけ、長いこと絶望を味わっていたことでしょう。しかし、イエス様によってそれらが克服されました。この人こそ病を治してくれる方という信頼が、イエス様の服に触れさせ、彼女を救ったのです。

ヤイロも同じように、この人ならば救って下さるという信頼でもって、イエス様を訪ねるのです。結果として、死すらも乗り越えるという、期待以上の出来事が起こるのです。

何とも素晴らしい信仰、信頼の姿が描かれています。この姿を見本にしたくなります。でも、よく考えてほしいのです。見本にしたくても、私たちには出来ないと思いませんか?きっと私たちだって、自分や近しい人が病を抱える時、もしイエス様が近くにおられたら、訪ねるし、何とか助かりたいと衣服に触れようとするのではないでしょうか。でも、私たちの目の前にはイエス様はいません。触れたくても、触れられないのです。それでもこのように現実に治癒や復活が起こることを信じろ、と言うのであれば、私たちはこの奇跡の物語から、なにものも得られないことになるでしょう。であるならば、今日の物語は私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。それは、私たちに起こっている奇跡を伝えようとしているのではないでしょうか。

恐らく、私たちの病や死に対して、奇跡を目の当たりにする経験は少ないでしょう。地上での生の中で、奇跡に出会うことは難しい。にもかかわらず、皆さんは心のどこかで、「たとえ何があろうとも大丈夫」と考えているのではないでしょうか。

私たちの信仰は、現実の不幸を前に揺らぐし、絶対的なんて言えるほど強いものでもないでしょう。それでも、皆さんは最後には救いが起こることをどこかで信じているのでしょう?絶対的な信頼とは呼べないかもしれないけれど、奇跡を否定する材料に満ちた現実を生きながら、出会ったこともない奇跡を今もどこかで信じているのでしょう?それこそ、奇跡と呼ぶにふさわしいものでしょう。

現実の不幸を目の前にしながらも、それでもそこに勝利される主がおられる。見たこともないけど、信じる。理屈に反した出来事が、今まさに私たちに起こっているのです。その奇跡を私たちは経験しているのです。その信仰こそが、私たちを本当の意味で、病や死から勝利される主と共に生きることへと導くのです。病や死すらも乗り越えて、最後には全てに勝利される主がおられることに信頼していきましょう。

 

 《来週の礼拝》

〇8月5日 午前11時 平和主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「多様な愛」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:蔵谷俊夫兄
〇礼拝当番:出口輝子姉、滝田裕美姉

〇聖 書:ミカ4:1ー5,エフェソ2:13-18、ヨハネ15:9-12 
〇讃美歌:290、273(1,2)、273(3,4),435(1-3),聖餐264(1-3)

8月1日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                                                                                      どなたでもお気軽にお立ち寄りくだ さい。    

 


7月22日「今日の礼拝堂」

2018年07月23日 | 今日の礼拝堂

 聖霊降臨後第9主日    

今週の祈り:   私たちを守られる神さま。この世の嵐が荒れ狂い、私たちを脅かすとき、み民をあらゆる不安と恐怖から解放し、不信に陥らないように防ぎ守ってください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

 〇聖霊降臨後第9主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)マルコ4:35~41

「 なぜ怖がるのか 」

 イエスさまによる奇跡物語が始まります。本日の福音はイエスさまがガリラヤ湖上で突風を静められた物語ですが、更にこの後、悪霊に取り憑かれた人の癒し、ヤイロの娘の癒し、五千人の供食物語…と一連の奇跡物語が続きます。こうしてイエスさまを通して神の力が働いておられることを悟ったペトロは、「あなたはメシアです」という信仰告白(8章29節)に導かれることになるのです。

 ガリラヤ湖は、弟子たちが知り尽くしていた場所でした。彼らの多くはそこで漁を営んでいた者たちでしたし、イエスさまにの弟子とされてからもここで宣教活動をするために、頻繁に舟を利用していたからです。南北20㌔、東西10㌔程度の湖ですから、支笏湖や洞爺湖よりも少し大きいくらいでしょうか?普段は波も穏やかな湖なのです。ところが、この日に限って、ガリラヤ湖が牙を剥きました。激しい突風が沸き起こったかと思うと、舟は波をかぶって水浸し。あわや舟は転覆の危機です。そうなれば弟子たちはみな湖に投げ出され、溺れ死んでしまうかも…命の危険を感じた弟子たちは、イエスさまを起こして大声で叫びました。「先生、わたしたちが溺れてもかまわないのですか」。なんとこの暴風の中、舟が木の葉のように揺さぶられ、弟子たちが慌てふためいていたそのさなかで、イエスさまはともの方で枕をして眠っておられたのです!弟子たちとは全く対照的なイエスさまの姿です。イエスさまはすっかり主に信頼しておられるのです。主に身を委ねておられるのです。それでも弟子たちの叫びに応えるために、イエスさまは身を起こして風を叱りつけ、荒れ狂う湖に言われました。「黙れ。静まれ」。その一言で、風はピタリとやみ、すっかり凪に。あっけにとられた弟子たちを見て、イエスさまは言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」。然り、弟子たちは怖いのです。イエスさまが共におられるにもかかわらず、怖いのです。なぜなら、イエスさまがまことの救い主であるということをまだ信じ切れていないからです。だから、弟子たちは互いに顔を見合わせて言いました。「いったい、この方はどなたなのだろう」と。この方に呼ばれ、召され、弟子として従っている自分たちではあるけれども、いったいこの方はどなたなのだろう?と。

 私たちは弟子たちのこの問いに対する答えを知っています。ペトロと同じように、イエスこそメシアであると告白する信仰を与えられています。それでも、疾風怒濤の人生を歩む中で、信仰さえ揺り動かされてしまいそうになるその中で、「主よ、わたしが溺れても構わないのですか」と叫びたくなる時が確かにある…。その時は、はばかることなく叫んで良いのです。「主よ、憐れんでください」「主よ、助けてください」と。私たちといつも共にいてくださる主イエスが、必ずや救ってくださるのですから。 

 

 《来週の礼拝》

〇7月29日 午前11時 聖霊降臨後第10主日

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                                                                           〇説  教:中島和喜牧師 「触れたくて」
〇奏  楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:秋田直枝姉
〇礼拝当番:小川照美兄、滝田裕美姉

〇聖 書:哀歌3:22ー33,コリント(Ⅱ)8:1-15、マルコ5:21-43 
〇讃美歌:306(1-3)、317,371,306(4-6),聖餐252(1,3,5)

7月25日(水)10:00~14:00は、オープンチャーチを行っています。                                           月27日(金)10:30~と19:00~の2回「聖書と祈りの会」(『イザヤ書』43章)があります。                                                           どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加くだ さい。