新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

11月24日「今日の礼拝堂」

2019年11月26日 | 行事報告

   聖霊降臨後最終主日  

今週の祈り:み子を遣わされた神さま。教会の交わりを通して、贖われたすべての人々と共に、私たちを花婿のように、永遠のみ国へ迎え入れてください。、あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 


 〇聖霊降臨後第18主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)ルカ17:11~19

           「惑わされないように

 本日は「聖霊降臨後最終主日」。文字通り、教会の暦の上では最後の主日に当たります。教会の1年の終わりに当たって私たちに与えられた御言葉は「終末」についてのメッセージです。エルサレムの人々が神殿を支えている見事な石と飾られている色とりどりの奉納物に目を奪われていると、イエスさまは言われました。「あなた方はこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」立派で堅固で豪華絢爛に見えるエルサレムの神殿が跡形もなく崩れ去ってしまう日が来る?本当にそんなことが起こるのだろうか?まさか?と人々は思ったようです。彼らは矢継ぎ早にイエスさまに尋ねました。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか」「そのことが起こる時には、どんなしるしがあるのですか」と。

 この類の質問に対して、「それは○○○○年です」「現に今、私たちの世界で起こっている○○がそのしるしです」と得得と答えてみせる輩が今なお後を絶ちません。イエスさまはそのような輩から私たちが惑わされることのないよう「気をつけなさい」と口を酸っぱくして言われました。飢饉や疫病、地震や災害、暴動や戦争、そして『世の終わりの時が近づいた』『私が再臨のキリストだ』と名乗る者の登場…それらは確かに起こることだが、だからと言って終末がすぐには来るわけではない。その日、その時は、ただ神のみが知っておられる。だから周囲に惑わされたり踊らされたりすることなく、落ち着いて自分に与えられている務めを果たしなさい、とイエスさまは答えられたのでした。

 ルターの有名な言葉に「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日、りんごの木を植える」というのがあります。本当にルターが言ったかどうかは定かではないようですが、信仰によってのみ救われることを確信していたルターを彷彿とさせる言葉です。似たような言葉に、アッシジの聖フランシスコの言葉があります。ある日、フランシスコが仲間の修道士と一緒に庭仕事をしていた時、「もし今晩、世の終わりが来ると知ったら、あなたは何をしますか」と尋ねられました。すると、フランシスコはただ一言「庭仕事を続けます」と答えたそうです。たとえこの世の様が移り変わろうとも、浮き足立つことなく、惑わされることなく、神を信頼し、神から託された務めを果たしていく。苦しみの中でも悲しみの中でも、神から離れることなく神と共に歩んでいく。パウロがコリントの教会の人々に語りかけた言葉もまさにそのことを教えているのではないでしょうか。「私の愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にはならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

          《来週の礼拝》

〇12月1日 午前11時 待降節第1主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「約束」                                                                                        〇奏  楽:若井裕子さん                                                                                        〇聖書朗読:藏谷俊夫さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん

聖     書:イザヤ2:1ー5,ローマ13:11-14、マタイ24:36-44                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:1,135(1-3)、135(4-5)、11,252(1-3)

  #11月27日(水) オープンチャーチを10:00~行います。

     どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   

  


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11月17日「今日の礼拝堂」

2019年11月19日 | 今日の礼拝堂

   聖霊降臨後第23主日  

今週の祈り:主よ。あなたの民が切にみ助けを求め、救いの恵みを喜ぶことができるように、その心を奮い立たせてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります

 

 〇聖霊降臨後第19主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ルカ18:1~8

           「  疑  問 

  後二週で教会の一年が終わろうとしています。早いものですね。一年の終わりに向かうという事は、終末への希望を思い起こす時を過ごすという事でもあります。今日の箇所も、終末に対する問答と言っても良いでしょう。

 その問答は、サドカイ派の人々によって起こされます。サドカイ派はファリサイ派と並んで当時のユダヤ人を二分していたグループの一つで、彼らは創世記から申命記までの、所謂モーセ五書のみを大切にし、そこに書いてある事柄のみを信仰の模範としていました。そのため、旧約聖書の後半に書かれていく「復活」「来るべき時」に対する信仰を持ち合わせてはいませんでした。彼らにとって大切なのは現世であり、現世で豊かに生きられてこそ神の祝福に与る者の証であると捉えていたのです。故に、サドカイ派は上流階級の人々が属するグループだったのです。

 そんな彼らが復活に対してイエスさまに問いかけたのは、明らかにイエスさまの教えを否定するためでありました。彼らが復活を否定するために用いたのが、申命記25章にある「レビラート婚」という夫が亡くなった場合、その兄弟が妻をも相続するという掟です。ユダヤ人にとって、家系を継続することは非常に大切なものであり、また神の子としての祝福を受けている者の証であると考えられていたため、家計の存続のためにこのような掟は重要であると考えられていました。これを適応していった場合、もし復活というものがあるのならば、復活した先での婚姻関係はどうなるのかとサドカイ派はイエスさまに問うわけです。

  彼らの問いかけはイエスさまを否定するための意地悪な質問ですが、私たちも同じような疑問を持つことはないでしょうか。復活した後どうなるのか、と。人間関係は、何歳の  状態で復活するのか、どういう環境が与えられるのか、一度くらい考えたことがあるかもしれません。

  私たちはどうしても、復活後の生に対して、今の生の延長線上で考えてしまいます。しかし、それはただの肉体の復活に過ぎません。イエスさまの言う「復活」は、新しい生が与えられていくことなのです。今の生き方とは違う、完成された生を生きていくこととなるのです。

 それがどのようなものなのかは、ハッキリ言って、考えてもわかりません。私たちはこ  の地上での、罪を抱えたままの生しか知らないからです。ただ、イエスさまは「神に生きるもの」になることを伝えてくれました。私たちは神以外のものにすぐに目を向けて、時に悲しみ、悩み、苦しむこともありますが、しかし、来るべき時、私たちはそれらのものから解放されて、ただただ神に対して生きる者とされていくのです。そこにどれだけの喜びがあるか、平安があるか。こればかりは、経験してみないとわからないでしょう。けれども、確かにそれはあるのだとイエスさまは伝えて下さったのです。その時を待ち望みながら、しかし、終末の時を迎えるその時までもイエスさまは私たちと共に生きてくださることを覚えて、これからの日々も喜びと共に過ごしていきたいと願います。 

 

          《来週の礼拝》

〇11月24日 午前11時 聖霊降臨後最終主日礼拝

〇司  式:日笠山吉之牧師                                                                                   〇説  教:日笠山吉之牧師「惑わされないように」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                                        〇聖書朗読:小笠原里子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん

聖     書:イザヤ52:1ー6,コリント(Ⅰ)15:54-58、ルカ21:5-19                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:149(1,4,5)、2(1-2)、2(3-4),358,聖餐260

  #11月20(水)  10:00~ オープンチャーチを、そして 13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

     どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   

  


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11月10日「今日の礼拝堂」

2019年11月12日 | 今日の礼拝堂

   聖霊降臨後第22主日    *信徒礼拝で行われました。

今週の祈り:全能・永遠の神さま。あなたが約束されたものを得、命じられたことを愛するために、私たちに信仰、希望、愛の賜物を、さらに豊かに注いでください。み子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

    〇聖霊降臨後第22主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ルカ19:11~27

           「宝の持ち腐れ

   教会の暦も1年の終わりに近づいてきました。今日の福音は、神の国の完成である終末を待ち望む信仰者に対して、どのような生き方をすればいいかを示唆してくれる「ムナ」のたとえです。イエスさまはこのたとえ話しを「神の国はすぐにも現れるものと思っていた」人々に対して語られました。エルサレムを目指していたイエスさまの旅もいよいよゴールに近づいていましたから、人々は何か大きなことが起こるに違いない!と期待していたのでしょう。そんな人々に対して、イエスさまは浮ついた気持ちにならずに、地に足をつけて、それぞれが神から与えられた賜物を大切にしながら歩むよう諭されたのです。

 たとえ話に登場するのは、王の位を受けるために遠い国に旅立つことになったある立派な家柄の主人とその僕たちです。主人は10人の僕たちに10ムナの金を渡して、自分が王の位を得て帰ってくるまで、これを元手にして商売をしなさい、と命じました。[ムナ]とは当時のお金の単位で、100デナリオン。現在の貨幣価値に換算すると1ムナ=100万円位です。ですから、僕たちはそれぞれ100万円位のお金を託されたことになります。

 さて、主人が王の位を得て、僕たちの所に帰ってきました。主人は僕たちを呼びつけ、どれだけの利益をあげたか報告させました。ある僕は、1ムナを元手として10ムナを儲けました。 10倍もの利益をあげるとは、才覚のある僕です。またある僕は、5ムナを稼ぎました。彼もまたなかなかのやり手です。主人は彼らを「良い僕だ。よくやった」と褒め、それぞれに10の町、5つの町の支配権を授けました。ところが、ある一人の僕は1ムナを差し出して、主人にこう報告したのです。「ご主人様、これがあなたの1ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものを取り立て、播かないものを刈り取られる厳しい方なので、おそろしかったのです」。主人はこの僕の怠慢をとがめ、僕が言った通りに厳しく裁きました。彼が持っていた1ムナを取り上げて、10ムナを稼いだ僕に更に与えたと言うのです。

 私たちは、神からたくさんの賜物をいただいています。動かすことのできる体、仕事が出来る能力、考えることのできる知恵、人を愛することのできる心、そして神を見上げ、神に折り、神を讃美する信仰。それらは、すべて神から私たちに与えられたかけがえのない賜物です。それらの賜物は決して一様ではありません。神はひとりひとりに異なった賜物を必ずや与えておられるからです。「私には何の取り柄もありません」なんて言って卑下しないでください。それは謙遜でもなんでもなく、神から見れば不信仰です。神から与えられた賜物を用いずに、布に隠しておくようなものです。賜物は用いられてこそ、ますます豊かになる。それが、神の国の完成を待ち望む者たちに託された生き方なのです。

          《来週の礼拝》

〇11月17日 午前11時 聖霊降臨後第23主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「疑問」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                              〇聖書朗読:藏谷俊夫子さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

聖     書:マラキ3:19ー20,ユダ17-25、ルカ20:27-40                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:382,388(1-3)、388(4-5)、285,261(1,3,5)

  #11月13日(水) 10:00~オープンチャーチを、そして13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

     どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   

 


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11月3日「今日の礼拝堂」

2019年11月04日 | 今日の礼拝堂

   全 聖 徒 主 日  *先に天に召された方々を覚え礼拝を行いました。

今週の祈り:全能の神さま。あなたは信じる者を主キリストのからだ、唯一の聖なる教会に結び合わされました。私たちを聖徒たちの信仰と献身の生涯に倣わせてください。あなたの民のために備えられた喜びで満たしてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

   〇全 聖 徒 主日 説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ15:1~17

           「残 る 者」 


 今日は全聖徒主日です。先に天に召された方々を覚えると同時に、その人々と今もなおつながりの中にあり、今も共に礼拝に与っているのだという事を思い起こす日であります。思い出して悲しくなったり、寂しくなったりすることもあるでしょう。けれども、必ずそこには慰めが語られる。そのことを私たちは主との繋がりの中から思い起こしたいのです。              

 今日読まれました聖書の箇所は、キリストと私たちの関係性のイメージを教えてくれる箇所でありましょう。イエス様がぶどうの木であり、私たちはその枝である。その繋がりの先に、実を結んでいく。キリストと繋がるところで、私たちは豊かさと出会っていくのだという事が語られました。では、何をすれば私たちは木と枝として繋がり続けられるのでしょうか。それは、キリストの愛に留まり続けることです。キリストが私たちを選び、愛してくださっている。だから、私たちには確かな豊かさが今も与えられ続けている。そのことを信じ、キリストの愛に身を委ね続けていくとき、私たちは枝となり、実をつけていくのです。私たちはそのことを受け取って、今日の全聖徒主日に思いを寄せたいのです。

   この全聖徒生口において私たちは「残る者」でありましょう。普段は中々考えないかもしれませんが、先に天に召された者を思う時、私たちは先に召された方と自分を対比して「残る者」いう感覚を抱いていきます。地上に残った者として、寂しさや悲しさを抱えながら、いずれ来る時を待つ者となっていく。年を重ねれば重ねるほどに、その感覚は強くなっていくのかもしれません。

 キリストは、その私たちの感覚を取り除こうとされるのです。そのことを、今日のみ言葉を通して伝えているのです。キリストはまことのぶどうの木であり、私たちはその枝である。それはつまり、キリストを通して、全ての枝は繋がっているのです。天と地を飛び越えて、その境界線を復活によって取り除いてくださったキリストによって、「先に召された者」も「残る者」も関係なしに、今もなおキリストと共に生き続けているのだという事を伝えて下さったのです。キリストが私たちを愛し、キリストが私たちを含めすべての人をつなげて下さっている。そのことを受け取る時、キリストは先に召された方々が私たちに残してくれた愛をも届けてくれるのではないでしょうか。

 私たちの内にある思い出は、きっと愛に溢れた思い出がたくさんあると思うのです。そのことを思い起こすことは時に寂しい。けれども、その寂しさよりもさらに大きな愛でキリストは私たちを包んでくれるのです。その時私たちは、寂しさではなく、先に召された者たちが残してくれた愛を優しく受け取っていくことができるのです。今年もまた、全ての人々との繋がりの中で、この全聖徒主日を過ごしていきたいと願います。 

  

     《来週の礼拝》   *信徒礼拝で行われます。

〇11月10午前11時 聖霊降臨後第22主日礼拝                    

〇司      式:滝田裕美さん(代行)                                                                                                                                                                     〇説      教:滝田裕美さん「焦り」(代読)                                                                  〇奏      楽:若井裕子さん                                                                                                                                                                                         〇聖書朗読:小川敦子さん                                                                                                                                                            〇礼拝当番:小川照美さん、小笠原里子さん                                                                                            

〇聖 書:歴代誌上29:10ー13、テサロ二ケ(Ⅱ)2:13-3:5、ルカ19:11-27                  〇讃美歌:327(1-3)、295、375、327(4-6)、聖餐258   

 #11月6日 (水) 10:00~オープンチャーチを、そして13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

    どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   

  


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