2人がいてこそ

2022年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回の続き)

 質問1)のみなさんの回答は「98人のグループに属している」でしょうね。

 質問2)の回答は「お願いや努力はしていない」あるいは「そんなことあり得ない」といったところでしょうか。2問とも愚問でしたか。失礼しました。

 では、3つ目の質問です。

 質問3)2人と98人。どちらのグループに属したとしても、生まれてくる本人の願いや努力とは無縁の(そんなことはあり得ないという)、たまたまの結果です。そうして、私たちはたまたま障害がある人、障害がない人、として生まれてきた命です。

 では、どうして、お互いがたまたま生まれてきた結果の命なのに、2人のグループは98人のグループから差別を受けたり、偏見を持たれたりするのでしょうか?

 

 質問には皆様それぞれで、自問自答していただきたいと思います。以下は私の自問自答ですー。

 前回の例え話の続きです。100ピースで完成するジグソーパズルは98個のピースをはめ込んだとしても、完成ではありません。残る2.3%の2個のピースを型どおりにはめ込んで、100人となってこそ完成なのです。我が国は100人がそろって我が国なのです。98人がそろったとしても、それは我が国ではありません。2人を合わせて国民100人。それで我が国なのです。

 2人がいて、彼らが人口比2.3%の知的障害を負っているから、たまたま98人は知的障害を負っていないのです。自分に知的障害がないのは2人の存在、2人の命のお陰なのです。その2人のお陰で、あなたは、私は、たまたま知的障害者とは呼ばれない人生を生きているのです。

 そんな私たちに、2人を差別したり2人に偏見を持ったり、蔑んだりする権利や資格があるでしょうか。2人がいてこその私たち98人なのです。そして100人がそろっての我が国なのです。

 

 問3)どうして、お互いの命はたまたま生まれてきた結果の命なのに、2人のグループは98人のグループから差別を受けたり、偏見を持たれたりするのでしょうか? 

 私の回答:それは、私たちが私たちの社会の価値観を漫然と、無意識に、無自覚に受け容れているから。

 

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