アニメ映画「風の谷のナウシカ」

2019年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 このアニメ映画が封切られた頃、私は東京にいたのだろうと思う。今は建て替わってしまったが、当時のJR渋谷駅東口にあった東急文化会館の壁面に、映画上映を宣伝する大きな懸垂幕が長く垂れ下がっていたのを、渋谷駅から文化会館に通じる通路を歩きながら見た記憶がある。「風の谷のナウシカ……?」「ナウシカ? ちょっと変わった名前だなぁ」と思ったことを今でも覚えている。「ナウシカ」という名前は私に不思議なインパクトを与えていたのかもしれない。

 

 ナウシカ  腐海(ふかい)  王蟲(おーむ)  瘴気(しょうき)  ユパ  メーヴェ  風の谷(かぜのたに)  巨神兵(きょしんへい) ……

「その者 青き衣をまとい 金色の野に降り立つべし …… 」

 

 長い長い国家間で繰り返される激しい戦争。人類同士の勢力抗争。それらによって破壊し尽くされた科学文明と自然。その結果、汚染されてしまった自然の中に出現した異形の生き物たち。その放つ瘴気は人間を死に追いやる。そうした終末世界に生きて人類と自然の再生を求め、悲しみと苦しみの中、敢然と起ち上がる少女ナウシカ。

 

 監督宮崎駿の執念の一作。その時の、宮崎駿のその警鐘はいったい誰かの耳に届いたのであろうか。

 35年前、宮崎駿は「腐海」や「王蟲」、「瘴気」や「巨神兵」などを駆使して警鐘を鳴らし、少女「ナウシカ」を登場させて、人類と自然の再生を試みようとしたのだ。

 地球温暖化が地球の自然と人類の未来を破壊する、と多くの科学者が警鐘を鳴らす現在。近年の地球規模の異常気象の報道をたびたび見聞きするにつけ、近い将来、地球温暖化が確実に自然破壊をもたらすことは誤魔化しようがない、否定しようがない、と緊張する私たち。

 経済成長と自然再生。国家エゴと自然再生。果たして、この世界の振り子はいったいどこで止まるのだろうか。

 アニメ映画「風の谷のナウシカ」には原作の漫画がある。長編だ。

 この35年間で何度かテレビで上映されたアニメ映画「風の谷のナウシカ」。それを見るたびに私は「ナウシカ」に密かに声援を送る。巨神兵を動かし、国家エゴをむき出しにして向かってくる者たちに対峙するナウシカ。メーヴェ(ジェット式小型グライダー)を操作し、己の身を犠牲にしてまでも戦うナウシカ。そして、

「その者 青き衣をまとい 金色の野に降り立つべし …… 」の言葉が、その映像とともに印象的に残る。

 

 宮崎駿は多くの作品を作っている。彼の作品の中では、他のどんな作品より何より、私はこの「風の谷のナウシカ」を推す。

 

「風の谷のナウシカ」の歌舞伎化が近々予定されているとの数日前の報道に触発されて、私のこのアニメ映画への思いを書き綴ってみた。

 

 

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