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岸田総理の説明責任

2024-02-22 04:32:52 | Peace Cafe

 見たことのない怪しげな舟が石垣島沖を通過した。多分クルーズ船だろう。何しろ大型船の向こうに見える竹富島が小さく見えるぐらい大きかった。

 岸田総理の口から良く出るのが説明責任である。問題があれば、当人から説明することが、まず行うべき事で、それをまってから岸田総理は判断するという考えのようだ。例えば、今国会では盛山文部科学大臣は、統一教会から選挙の支援を受けていたと疑われて居る。それは忘れたと説明した。岸田総理はそれなら良いという判断である。これが責任ある説明だろうか。

 その背景には統一教会の宗教法人資格を取り消す命令を文科大臣が行うことがある。政府は教団と戦闘状態だ。そのために教団は岸田内閣を潰すことで、教団を維持したいと言うことなのだろう。それで統一教会が情報を報道にリークしているのだろう。すべては暗殺されたアベに原因がある。

 岸田内閣は藁をつかむ状態で、当人が忘れていたと説明しているのだから、問題がないだろうと言うことにすがるしかない。この国会議員は説明をすれば終わりという考え方はどこから出てきたのだろうか。説明責任と言うことは、政治家に何かあったときの特別の対応策にしか見えない。

 企業で何かあれば、写真まで出てきてしまえば、説明では無く謝罪会見をする。細かな説明に関しては第三者で構成される調査委員会を設けて、何でこのような事態が起きたのかを調査をしますので、となる。先ずは謝罪会見から始まる。政治家は何かに守られている。

 原因調査より以前に責任者が、疑われた段階でまず謝罪をすることが多い。盛山氏の場合、写真が存在するのだから、統一教会と関係があったことは明白な事実だ。写真がAIで合成されたものかも知れないが、忘れているのだから、何とも言えないのかもしれない。もちろん本当は良く覚えている。

 盛山氏が世間に対して、自分の過去の不注意を謝罪をするのが始まりでは無いのだろうか。しかし、説明では忘れていたというだけである。そして岸田氏は忘れていたのだから、自民党へ調査の時に、ウソの報告をしたとは言えないというのだ。忘れていたことに責任はないので、問題が無いという論理だ。

 忘れていたことには責任がないなどと、政治家だけの考え方だろう。普通の企業では、1年前に取引で会った人を忘れていたために、取引で大きな損害が起きたとすれば、その忘れていたこと自体が問題になるのだ。何でこんな重要なことを忘れたのかと、責任を取らされることになる。

 大勢に会うからなどと言うことは言い訳にも成らない。所が政治家の説明責任は忘れていたのだから、責任はないとなる。と言うことは政治家の約束することはすべて信用が出来ないと言う事になる。明日お会いしましょうとなっても、忘れていたので会う必要もなくなる。政治家はこれほど信用できないものに成ってしまったのか。

 忘れている場合は免責されるという前提で、政治家は約束をします。などと選挙の時に叫んでいるのか。確かにその約束が果たされることが少ない。平気でウソをつく人間が、政治家だというのが、日本の政治の不幸だ。だから、何かあれば忘れていたのでと説明をする。それで終了。

 推薦書にサインをしたことも忘れたと説明した。それは政治家に必要な知能がないと言わざる得ない。もう明らかにウソだろう。そもそも、推薦してくれる組織が200もあるというからすごいが、その一覧表を作らないというのだ。選挙の報告のために、一覧ぐらい作らないはずが無い。

 一覧がないと言うことは、ウソをついているに違いないとは思うが、名前が残るとまずい組織が、200の中に色々あるので、公表できる一覧表は作れないという事情もあるかも知れない。ともかく、選挙が大事なのだ。次の選挙のこともある、推薦組織の一覧が無いなど考えられない。

 また政策協定書にもサインがあるとも言われている。これを忘れていたとしたら最悪である。政策を協定するのに、読まずとサインはしないだろう。それを忘れるような人間では国会議員を任せられない。まして、文科大臣なのだ。こんな重要なことを忘れていたとしたら当然罷免だ。任命責任は総理大臣にも及ぶ。

 何でも忘れたことで終わらせようという説明では、説明責任を果たしたとは言えないだろう。これから統一教会と対決しなければと言うときに、文科大臣に任命された人だ。肝心の統一教会関係を忘れてしまい、申告できなかったなど、普通ならありえない。忘れたために、岸田氏は間違った任命をしたのは事実だ。知っていて任命は出来ない文科大臣だ。

 パー券キックバック方式でも、その説明は似たようなものだ。申告するのを忘れていたので、修正申告をしましたと言えば済んでしまう。税務署も総額では何億円というお金を取り忘れていたのだ。普通の企業であれば、修正申告では済まないはずだ。

 政治家がとんでもない化け物になっている。世間も政治家などそんなものだと受け入れるのか。しかし、自民党を支持するものはどこの調査でも20%以下だ。世間は申告時期だ、納税拒否運動が起きたって良いはずだ。少額の領収書まで準備して、税務申告をするのが何か馬鹿馬鹿しくなる。

 政党助成金の制度が悪い。領収書が無くてもかまわないお金は一円でも許されないのが、税金の使い道では無いのか。何故政治家だけは特別なのか。政治にお金がいるのは、ある程度は分かるが、領収書の貰えないようなお金がどうして政治にいるのだろうか。

 政治家の公金の出入りはクレジット決済に限定すべきだ。そして必要に応じて公開を義務ずける。これだけで良い。企業献金も禁止する必要は無い。企業の名前が見える化されれば良い。ものの価格にはこういうものが入っていると言うことが分かる。

 そのお金の出入りを見て、国民は投票するようになれば良い。そしておかしな党に献金ばかりするような企業の商品は使わなければ良い。二階氏が3年間で書籍代3472万円を支出していたことについて、自分の本など購入して、配る予定だったが、コロナで配れなかったとした。巧みな弁明だが、自分の本を自分で購入して、選挙民に配るのも公金で許されることにも驚く。

 これなら出版社もどれほどつまらない本でも、政治家本は出版してくれるだろう。政治家の裏金の使い道は賄賂だ。確かにサイン入り本も配るかも知れない。出版記念会も行い、お帰りには本が何冊かのお土産がある。読み終わった本は〇〇古書店にて、買い取ってくれますと、ささやきがあるかも知れない。

 実はこんな形でお金を配下に配っているのだ。本にある政策に、そのお金で協力して下さいということかも知れない。まあ本を読むよりお金の方が効果があるということだろう。サイン入りのその本を、ある古本屋に持って行くと、特別に高く買ってくれると言う制度なのかも知れない。

 実は絵画がそういう使い方をされていると言う話を聞いたことがある。買い取り制度があるものなら、何でも違法には成らないだろう。値段があってないようなものなら何でも良いのだ。統一教会の壺や水晶玉と同じことだ。本でも無いとは言えない。
 
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