愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題365 金槐和歌集  雑3首-3 鎌倉右大臣 源実朝

2023-09-14 09:39:05 | 漢詩を読む

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初春、冬の名残の雪が朽(ク)ちた木の枝に融け残っている。遥かに見ると花と見間違えるよ と。敢えて“朽ちた木”としたのは、地名・“朽木(クツキ)”との掛詞を活かした“遊び心”であろう。更には、“朽ち木”と“白雪(梅の花)”の組み合わせの妙味も感じられます。

 

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  [歌題] 残雪 

春きては 花とかみらむ おのずから 

  朽木(クツキ)の杣(ソマ)に ふれる白雪 

       (『金槐集』 雑・538; 『新勅撰集』巻十九・雑四・1306) 

 (大意) 朽木の山に 春が来た今、朽ちた木には白雪が残り、自然に花と見間

  違うことだ。 

  [註] 〇おのずから:自然に、たまたま; 〇朽木の杣:近江にある地名、

  固有名詞の朽木を普通名詞の朽木(クチタ キ)に引きかけている。 

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<漢詩> 

  残雪         残雪    [下平声六麻韻] 

宛転冬春謝、 宛転(エンテン)として冬春に謝(シャ)し、 

淒淒朽木霞。 淒淒(セイセイ)たりて朽木(クツキ)霞む。 

雪斑留腐木, 雪の斑(ハン) 腐木(クチキ)に留まり, 

看錯自此花。 自(オノ)ずから此を花と看錯(ミアヤマ)らん。 

 註] 〇宛転:転々とする、声などがよどみなく発せられるさま; 〇謝:入

  れ替わる; 〇淒淒:うすら寒いさま、風が冷たく吹くさま;

  〇朽木:山の名、または地名、地図上“クツキ”とある; 〇腐木:朽ちた

  木、歌での“山の名”との掛詞に当たる; 〇看錯:見誤る。 

<現代語訳> 

  残雪 

何時しか 時は冬から春へと移り替わり、

うすら寒さを覚える中、朽木(クツキ)の山には春霞が掛かる。 

朽ちた樹々には斑状に白雪が残り、 

自ずと残雪を花と見間違えることだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  残雪     Cánxuě 

宛転冬春謝、 Wǎn zhuǎn dōng chūn xiè, 

凄凄朽木霞。 qī qī xiǔmù xiá.    

雪斑留腐木,  Xuě bān liú fǔ mù  

看错自此花。  kàn cuò zì cǐ huā.   

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実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。

 

  [詞書] 雪の木に降りかかれるをよめる 

春立てば 花とや見らむ 白雪の 

  かかれる枝に 鶯の鳴く (素性法師 『古今集』 巻一・春上・6) 

 (大意) 立春を迎えて 白雪が降りかかった木の枝で鶯が鳴いている、

  白雪を花と見間違えているのであろう。  

 

 

zzzzzzzzzzzzz -2 

 

昔を思い出しつゝ、懐かしがっていたが、袖の露に映る“月影”が昔と異なっている と。物事に対する見かたは、見る方の“心”の有りようによって変わるものである。作者は、思い人に心無い仕打ちを受けたのであろうか、と想像しつゝ、漢詩にしてみました。

 

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思い出(イデ)て 昔を忍ぶ 袖の上に 

  ありしにもあらぬ 月ぞやどれる 

       (『金槐集』雑・561; 『新勅撰集』巻十六・雑一・1077) 

 (大意) 思い出にひたり 昔を偲んでいるが、袖に置かれた露には昔の月影

  とは似つかぬ影が映っている。  

  註] 〇昔を忍ぶ:昔を懐かしがっている; 〇ありしにもあらぬ:昔に似

  ない; 〇月ぞやどれる:思いでの涙にぬれた袖に月が映るのである。

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<漢詩> 

   被辜負想      被辜負(ウラギラレ)た想い  [入声四質韻]

默默以回憶,  默默(モクモク)として以(モッ)て回憶(カイオク)し,

綿綿懷昔日。  綿綿(メンメン)として 昔日を懷(シノ)ぶ。

月影宿余袖,  月影 余が袖に宿(ヨド)すも,

何図見殊実。  何ぞ図(ハカ)らん 実(ジツ)と殊(コト)なるを見る。

 註] ○辜負:裏切る; 〇默默:黙って一つのことを続けるさま; 

  〇回憶:思い出す、追憶する; 〇綿綿:長く続いて絶えないさま; 

  〇余:私; 〇何図:事物、事態が意外だという気持ちを表す; 

  〇実:これまでの記憶に残る実際の昔の様子。   

<現代語訳> 

 裏切られた想い 

黙黙として思い出に耽っており、

絶えず過ぎ越し日々を偲んでいる。

袖の露に映る月影に目を遣って見ると、

何と曽て見た月影とは似つかわぬものであった。

<簡体字およびピンイン> 

 被辜负想      Bèi gūfù xiǎng

默默以回忆, Mòmò yǐ huíyì,

绵绵怀昔日。 miánmián huái xī.  

月影宿余袖, Yuèyǐng sù yú xiù,   

何図见殊实。 hé tú jiàn shū shí.  

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実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。この歌では、“露”自体が昔と変わったということである。あるいは紅に染まっているのでしょうか? 実朝が、私歌集にも目を通していて、しっかりと咀嚼していることは、驚きである。

 

ふきむすぶ 風は昔の あきながら  

  ありしにもあらぬ 袖の露かな  (小野小町 『小町集』) 

 (大意) 吹いて露を結ぶ風は昔と変わらないが、私の袖の露(涙)は昔と 

  変わってしまった。 

 

 

zzzzzzzzzzzzz -3 

 

実朝は、三浦半島の三崎にはしばしば訪ねており、この歌は、建歴二年(実朝21歳)三月九日 三浦三崎の御所に行かれた折の作。磯辺で目にした老松に感動して詠った歌である。

 

ooooooooo  

  [詞書] 三崎という所へまかれりし道に、磯べの松年ふりにけるを見て

   よめる  

磯の松 幾久さにか なりぬらむ 

  いたく木高き 風の音哉 

     (『金槐集』雑・586; 『玉葉集』巻十六・雑三・2191) 

 (大意) 三崎の磯の老松は、如何ほど時を経たであろうか、随分と高く聳え、

  また松籟の音も高いことだ。 

  註] 〇三崎:相模の三浦半島の三崎; ○幾久さにか:幾久さになった

  のであろうか; 〇木高き風の音:木高き松の風の音の意; 〇高き:掛

  詞、松の木の高いのと、松風の音の高いのと両方の意を掛けている。 

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<漢詩> 

 磯辺聞松籟  磯辺に松籟を聞く     [下平声七陽韻]   

三崎磯老松、 三崎は磯の老松、 

経歴幾星霜。 幾星霜 経歴(ケイレキ)せしか。 

聳立一峨峨, 聳(ソビ)え立つこと 一(イツ)に峨峨(ガガ)たり, 

松籟也高翔。 松籟(ショウライ) 也(トモ)に 高く翔(カ)ける。 

 註] 〇松籟:松の梢を渡る風、またその音; 〇経歴:年月を経る; 

  〇幾星霜:幾年月; 〇峨峨:高く聳え立つさま。 

<現代語訳> 

  磯辺で松籟を聞く 

三崎の磯辺の老松は、

幾歳月 経たであろうか。

高々と聳え立っており、

松籟もまた音高く、天空高く渡っていくことだ。

<簡体字およびピンイン> 

  磯边闻松籁   Jī biān wén sōnglài

三崎磯老松、 Sānqí jī lǎo sōng,          

経历幾星霜。  jīng lì jǐ xīngshuāng.  

耸立一峨峨,  Sǒnglì yī é é

松籁也高翔。  sōnglài yě gāo xiáng

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三浦の御所とは、頼朝が建てた3ケ所の別荘で、それらは今日、それぞれお寺として残っているようである。その折、尼御台所(政子)、御台所(正室)、北条義時や大江広元等々同道し、船中舞楽を愉しんだとある。

コメント
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