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初春、冬の名残の雪が朽(ク)ちた木の枝に融け残っている。遥かに見ると花と見間違えるよ と。敢えて“朽ちた木”としたのは、地名・“朽木(クツキ)”との掛詞を活かした“遊び心”であろう。更には、“朽ち木”と“白雪(梅の花)”の組み合わせの妙味も感じられます。
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[歌題] 残雪
春きては 花とかみらむ おのずから
朽木(クツキ)の杣(ソマ)に ふれる白雪
(『金槐集』 雑・538; 『新勅撰集』巻十九・雑四・1306)
(大意) 朽木の山に 春が来た今、朽ちた木には白雪が残り、自然に花と見間
違うことだ。
[註] 〇おのずから:自然に、たまたま; 〇朽木の杣:近江にある地名、
固有名詞の朽木を普通名詞の朽木(クチタ キ)に引きかけている。
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<漢詩>
残雪 残雪 [下平声六麻韻]
宛転冬春謝、 宛転(エンテン)として冬春に謝(シャ)し、
淒淒朽木霞。 淒淒(セイセイ)たりて朽木(クツキ)霞む。
雪斑留腐木, 雪の斑(ハン) 腐木(クチキ)に留まり,
看錯自此花。 自(オノ)ずから此を花と看錯(ミアヤマ)らん。
註] 〇宛転:転々とする、声などがよどみなく発せられるさま; 〇謝:入
れ替わる; 〇淒淒:うすら寒いさま、風が冷たく吹くさま;
〇朽木:山の名、または地名、地図上“クツキ”とある; 〇腐木:朽ちた
木、歌での“山の名”との掛詞に当たる; 〇看錯:見誤る。
<現代語訳>
残雪
何時しか 時は冬から春へと移り替わり、
うすら寒さを覚える中、朽木(クツキ)の山には春霞が掛かる。
朽ちた樹々には斑状に白雪が残り、
自ずと残雪を花と見間違えることだ。
<簡体字およびピンイン>
残雪 Cánxuě
宛転冬春謝、 Wǎn zhuǎn dōng chūn xiè,
凄凄朽木霞。 qī qī xiǔmù xiá.
雪斑留腐木, Xuě bān liú fǔ mù
看错自此花。 kàn cuò zì cǐ huā.
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実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。
[詞書] 雪の木に降りかかれるをよめる
春立てば 花とや見らむ 白雪の
かかれる枝に 鶯の鳴く (素性法師 『古今集』 巻一・春上・6)
(大意) 立春を迎えて 白雪が降りかかった木の枝で鶯が鳴いている、
白雪を花と見間違えているのであろう。
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昔を思い出しつゝ、懐かしがっていたが、袖の露に映る“月影”が昔と異なっている と。物事に対する見かたは、見る方の“心”の有りようによって変わるものである。作者は、思い人に心無い仕打ちを受けたのであろうか、と想像しつゝ、漢詩にしてみました。
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思い出(イデ)て 昔を忍ぶ 袖の上に
ありしにもあらぬ 月ぞやどれる
(『金槐集』雑・561; 『新勅撰集』巻十六・雑一・1077)
(大意) 思い出にひたり 昔を偲んでいるが、袖に置かれた露には昔の月影
とは似つかぬ影が映っている。
註] 〇昔を忍ぶ:昔を懐かしがっている; 〇ありしにもあらぬ:昔に似
ない; 〇月ぞやどれる:思いでの涙にぬれた袖に月が映るのである。
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<漢詩>
被辜負想 被辜負(ウラギラレ)た想い [入声四質韻]
默默以回憶, 默默(モクモク)として以(モッ)て回憶(カイオク)し,
綿綿懷昔日。 綿綿(メンメン)として 昔日を懷(シノ)ぶ。
月影宿余袖, 月影 余が袖に宿(ヨド)すも,
何図見殊実。 何ぞ図(ハカ)らん 実(ジツ)と殊(コト)なるを見る。
註] ○辜負:裏切る; 〇默默:黙って一つのことを続けるさま;
〇回憶:思い出す、追憶する; 〇綿綿:長く続いて絶えないさま;
〇余:私; 〇何図:事物、事態が意外だという気持ちを表す;
〇実:これまでの記憶に残る実際の昔の様子。
<現代語訳>
裏切られた想い
黙黙として思い出に耽っており、
絶えず過ぎ越し日々を偲んでいる。
袖の露に映る月影に目を遣って見ると、
何と曽て見た月影とは似つかわぬものであった。
<簡体字およびピンイン>
被辜负想 Bèi gūfù xiǎng
默默以回忆, Mòmò yǐ huíyì,
绵绵怀昔日。 miánmián huái xīrì.
月影宿余袖, Yuèyǐng sù yú xiù,
何図见殊实。 hé tú jiàn shū shí.
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実朝掲歌の“本歌”として次の歌があげられている。この歌では、“露”自体が昔と変わったということである。あるいは紅に染まっているのでしょうか? 実朝が、私歌集にも目を通していて、しっかりと咀嚼していることは、驚きである。
ふきむすぶ 風は昔の あきながら
ありしにもあらぬ 袖の露かな (小野小町 『小町集』)
(大意) 吹いて露を結ぶ風は昔と変わらないが、私の袖の露(涙)は昔と
変わってしまった。
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実朝は、三浦半島の三崎にはしばしば訪ねており、この歌は、建歴二年(実朝21歳)三月九日 三浦三崎の御所に行かれた折の作。磯辺で目にした老松に感動して詠った歌である。
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[詞書] 三崎という所へまかれりし道に、磯べの松年ふりにけるを見て
よめる
磯の松 幾久さにか なりぬらむ
いたく木高き 風の音哉
(『金槐集』雑・586; 『玉葉集』巻十六・雑三・2191)
(大意) 三崎の磯の老松は、如何ほど時を経たであろうか、随分と高く聳え、
また松籟の音も高いことだ。
註] 〇三崎:相模の三浦半島の三崎; ○幾久さにか:幾久さになった
のであろうか; 〇木高き風の音:木高き松の風の音の意; 〇高き:掛
詞、松の木の高いのと、松風の音の高いのと両方の意を掛けている。
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<漢詩>
磯辺聞松籟 磯辺に松籟を聞く [下平声七陽韻]
三崎磯老松、 三崎は磯の老松、
経歴幾星霜。 幾星霜 経歴(ケイレキ)せしか。
聳立一峨峨, 聳(ソビ)え立つこと 一(イツ)に峨峨(ガガ)たり,
松籟也高翔。 松籟(ショウライ) 也(トモ)に 高く翔(カ)ける。
註] 〇松籟:松の梢を渡る風、またその音; 〇経歴:年月を経る;
〇幾星霜:幾年月; 〇峨峨:高く聳え立つさま。
<現代語訳>
磯辺で松籟を聞く
三崎の磯辺の老松は、
幾歳月 経たであろうか。
高々と聳え立っており、
松籟もまた音高く、天空高く渡っていくことだ。
<簡体字およびピンイン>
磯边闻松籁 Jī biān wén sōnglài
三崎磯老松、 Sānqí jī lǎo sōng,
経历幾星霜。 jīng lì jǐ xīngshuāng.
耸立一峨峨, Sǒnglì yī é é
松籁也高翔。 sōnglài yě gāo xiáng.
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三浦の御所とは、頼朝が建てた3ケ所の別荘で、それらは今日、それぞれお寺として残っているようである。その折、尼御台所(政子)、御台所(正室)、北条義時や大江広元等々同道し、船中舞楽を愉しんだとある。