愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題239 句題和歌 2  藤原定家/元稹

2021-11-29 09:02:28 | 漢詩を読む
大空は 梅のにほひに かすみつつ  
  曇りもはてぬ 春の夜の月  藤原定家(『新古今集』巻1 春歌上) 
<大意> 大空は梅の香りで霞んで、ぼんやりとした曇りも果てることのない、
  そんな春の夜の朧月である。 

oooooooooooo 
うすぼんやりとした春の霞に曇る朧月だが、その上、大空一杯に仄かな梅の香りも漂うているよ と。視覚に加えて、嗅覚で捉えた春の宵の情景を詠っています。やはり白楽天の「不明不暗朧朧月」に拠った、定家の句題和歌です。 

上記の表題:「藤原定家/元稹(ゲンジン)」としましたが、定家の句題和歌は、実際は前回紹介した楽天の詩句に拠っています。今回は、白楽天と元稹との交流にスポットを当てたく、元稹の漢詩をとりあげます。 

楽天がある事件をめぐり、中央に上書を提出したため、それが越権行為として咎められ、江州司馬に左遷されました。自ら左遷されたばかりの元稹が、楽天の左遷を伝え聞き、心を痛めて楽天に贈った詩です。下記ご参照ください。

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<元稹の詩> 
 聞白楽天左降江州司馬    [上平声三江韻]  
           白楽天の江州司馬に左降(サコウ)せられしを聞く 
残灯無焔影憧憧、 残灯(ザントウ) 焔(ホノオ)無くして影(カゲ)憧憧(トウトウ)、 
此夕聞君謫九江。 此の夕べに聞く君が九江(キュウコウ)に謫(タク)せられしを。 
垂死病中驚起坐、 垂死(スイシ)の病中 驚きて起坐(キザ)すれば、 
暗風吹雨入寒窓。 暗風(アンプウ) 雨を吹いて寒窓(カンソウ)に入(イ)る。 
 註] 江州:現江西省九江市; 司馬:州の刺史(長官)を補佐する次官。主として 
  軍事を司る; 左降:左遷; 残灯:光が消えかかっているともし火; 
  憧憧:揺れ動くさま。ともし火がまさに消えかかって揺らめいている; 
  謫:貶謫、左遷と同じ; 垂死:病が重く、死にそうな状態; 
  暗風:闇夜に吹いている風; 寒窓:寒々とした窓。    
<現代語訳> 
  白楽天が江州司馬に左遷されたことを聞いて  
ともし火の炎が消えかかり、影がゆらゆらと揺れている、
今宵 君が九江に左遷されたことを聞いた。
私は今にも死にそうな病に臥しているが 驚いて起き上がると、 
雨を含んだ夜風が寒々とした窓に吹き込んでくる。 
                   [石川忠久 NHK新漢詩紀行に拠る]

<簡体字およびピンイン> 
 闻白楽天左降江州司马 
          Wén Bái Lètiān zuǒ jiàng jiāng zhōu sīmǎ  
残灯无焔影憧憧、 Cán dēng wú yàn yǐng chōngchōng, 
此夕闻君谪九江。 cǐ xī wén jūn zhé jiǔjiāng.  
垂死病中惊起坐、 Chuísǐ bìng zhōng jīng qǐ zuò, 
暗风吹雨入寒窓。 àn fēng chuī yǔ rù hán chuāng. 
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藤原定家(1162~1241)は、「ヘンな歌を詠む」異端児としてデビューしたが、後鳥羽院歌壇で “新風の歌”、いわゆる“新古今調の歌”の作者として認識されるようになる(閑話休題156)。『新古今集』(1205)および『新勅撰集』(1235)、また『小倉百人一首』の編者である。

当歌は、前回読んだ大江千里(閑休238)と同じく、白楽天の詩に拠った句題和歌で、二番煎じの感がないでもない。しかし“「梅のにほひ」が霞んでいる”と優艶な、新古今調の歌風が窺い知れる歌と言えよう。

元稹(779~831)は、唐代中期の私人・文人・宰相。字は微之(ビシ)、元九とも言われる。北魏・道武帝の祖父・代王拓跋什翼犍の子・拓跋力真の十二世孫にあたり、隋の元巌の六世孫にあたる。しかし彼の代には零落していて、幼くして父を失い、母の手一つで育てられた と。 

15歳で明経科に、28歳で進士に合格した秀才である。高級官僚となり、積極的に改革を行い、宦官や保守派官僚に疎まれ、しばしば左遷の憂き目に遭っている。楽天の7歳後輩に当たるが、同年に吏部試験に合格したこともあり、生涯を通じて親友であり続けた。 

815年、元稹は、通州(四川省達州市)の司馬に流謫され、その地に着いたばかりの頃、楽天が越権行為の咎で江州司馬として左遷されたことを聞く。その頃、元稹は重い病気で寝込んでいた時である。その時に元稹が楽天に贈った詩が上掲の詩である。 

楽天が江州に左遷されたわけは以下の通りである。13代憲宗(在位805~820)の治世下、淮南西道節度使・呉元済が反乱を起こした(814)。憲宗は、名臣の宰相・武元衡に全権を委ねてその討伐に当たらせた。その最中、呉元済派朝臣の放った刺客により武元衡が暗殺された。

長安で太子左善太夫の職にあった楽天は、“暗殺者の捕縛ばかりでなく、裏で操っている存在を明らかにすべき”との趣旨の上書を送った。それが越権行為とされたのである。なお、武元衡は、門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)(807)で、詩人であった。

順風満帆の高級官僚であった楽天が初めて味わう大きな挫折であった。元稹の詩を受けた楽天は、「この詩は、他人が聞いても切ないのに、ましてや僕の心はなおさらだ。読むたびに心が痛む」と、元稹に手紙を書いた と。 

元稹と楽天は、「元白」と併称されるほど交流を深めた。その過程で、元稹は、贈られた詩に唱和して返す詩を、次韻(ジイン)の形式で詠んで送り返すというやり方を創造している。当時、「元和体(ゲンワタイ)」または「元白体(ゲンパクタイ)」として一世を風靡したという。次韻については先稿(閑休237)をご参照ください。

後世、北宋代の蘇軾は、著書の中で「元軽白俗」 ―“元稹”は軽薄、“白楽天”は卑俗― と、元・白の詩風を批判している。因みに、楽天には次のような伝説があるようである:詩を作るたびに、文字の読めない老女に読んで聞かせ、理解できなかったところは平易な表現に改めた と。 

後年、蘇軾は、楽天に関して、「安分寡求 ―己の分に安んじ、欲求が少ないー」の人であるとして、引退閑居した楽天に対する憧憬の念を詠った詩を残している。
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