愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題29 漢詩を読む ドラマの中の漢詩15 『宮廷女官―若曦』-3

2017-02-05 17:25:42 | 漢詩を読む
前回に続いて、第4皇子が若曦に対して言われた文句で、“木は強ければ折れる”について触れます。

この文句の言わんとすることは、おぼろげながら、解るような気がする。‘硬いものは、脆くてポキッと折れ安いものだ’と。この対極の文句に、しなやかで折れにくい代表として柳の枝があり、‘柳に風’という句がある。最近の高層ビルの耐震構造においても、‘しなやかさ’が求められている。

ただ、“木は強ければ折れる”の文句の出典が、約2500年前の書物である『老子』に求められるとなると、其の由来と真意に興味がわきます。

“約2500年前の『老子』”としたが、実は『老子』が著された時期、さらに著者とされている老子についても、生存年代や単一人物かどうかなど不明である。『老子』は今日、上・下二扁で、章立てされていて81章からなる書物となっているようですが、このような整理がいつなされたかも定かではない。

『老子』の内容は、湖南省長沙市にあった前漢時代(BC202-AD8)の墳墓(1973)や湖北省荊門市の戦国時代(BC403~BC221)の墳墓(1993)から、竹簡の形で出土しているようですので、完全な形かどうかは別にして、戦国時代以前にできていたことは確かなようです。

『老子』と聞くと、「道」とか「徳」とか、まず、難解な用語にぶつかり、匙を投げる羽目に陥ります。その用語はさて置き、先達の解説を通して、『老子』の言わんとすることを大雑把に見ておくことが、主題の文句の理解に参考となると思われます。以下は主に、蜂屋邦夫著 『「老子」「荘子」を読む』上(NHKラジオ講座、2010)に依ります。

今日、宇宙科学の世界で宇宙の発生について研究が盛んになされているようですが、『老子』では、今日の宇宙論に匹敵するほどの雄大な発想の世界が繰り広げられているようです。筆者にとっては、今日の宇宙論でさえ難解であるのに、ましてや『老子』の中の論についてをやである。しかし、尻込みしていては先に進まないので、まずは先達の解説を覗いて見ます。

『老子』の論調では、天地万物が生成される前に、混とんとしたカオスの状態があった。このカオスの状態は、音もなく形もなく、捉えどころがないが、何か他の者に依存して存在するのではない。ぐるぐる運動しながら宇宙全体に行き渡っているという。

混沌の運動を通して、例えば、昼夜の交代、四季のめぐりとか、動植物の誕生と死等々、秩序立った天地万物が生み出されていく。その生み出す過程には一定の秩序、根元的な道筋がある、その道筋を仮に「道・どう」と呼びます と。

ちょっと話は横道に逸れます。中国の歴史関連の書物では、人名について、よく “いみな、忌み名、言偏に韋駄天の韋” と “字(あざな)” の両方の記載があります。“いみな”とは、親とか先生など特殊な人だけにしか呼ぶことが許されない“本名”、一方、“字”は、世の中で一般に使われる“仮の名前”ということです。

つまり、‘カオスの状態から、天地が生み出される秩序だった道筋’に対して、仮の名、“字”をつけて「道・どう」と呼ぶことにします と老子は“定義”したということです。そういうことであれば、何も「道」とは?…..云々云々…、と言葉を尽くして理屈をこねずとも、『老子』に入って行けそうです。

ただし、実際は、用語や論の展開の難解さゆえに、その内容の理解は、一筋縄ではいかないようです。後述の」例文をみればご理解いただけるでしょう。『老子』では、さらに論を発展させて、政治論、あるいは人生訓などが提示されていくことになります。『老子』の詳細は、その道の書物に譲ります。

前回挙げた孔子の「道」では、実践道徳を解き、国家の行事、身分制度や個人の礼儀作法とか、非常に人間的な実社会での行為の規律などが論じられています。一方、『老子』の「道」は、宇宙規模の展開をする雄大な思想です。両者の「道」は非常に対照的です。

『老子』の「道」は、後年、「道教」として人々の信仰の基盤ともなっていきます。ただ、著者とされる老子は神格化されていきますが、思想そのものに、“神がお造りになった宇宙”とかいう他者の関与は想定されていないようです。

本稿の主題である“木は強ければ折れる”の文句も、人生訓を述べた一節の中の文句と言えるでしょう。その原文、読み下し及び現代語訳は末尾に挙げました。

主題の理解に関わる範囲で、「道」について、筆者の理解を記すことにします。万物は生まれ、やがて死を迎える。その過程は、必然的なある根元的な秩序のある筋道・「道」に沿って進んでいる。それは如何なる無理もなく、自然に、しなやかに、しかし着実に進んでおり、そのありさまを「柔弱」と呼ぶ と。

そこで『老子』では、“柔らかく弱いものこそ良い”として尊重している。その最たるものは“水”であり、その思想を表す文句として“上善水のごとし”が有名である。その思想をさらに発展させて、人の生きざまにおいても、柔は剛に勝るとする人生訓が生まれてきた。

“木は強ければ折れる”も人生訓の一つであり、その直接的な意味は、改めて解説することもなく、末尾に挙げた引用文の現代語訳に尽きるでしょう。

敢えて付け加えるとすれば、頭の働きも堅い状態は好ましくない、やはり柔軟性を保つことが重要であるという訓(オシエ)も含んでいるのではないでしょうか。心したい点です。

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『老子』第七十六章
原文
人之生也柔弱、其死也堅強。 
萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。
故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則折。
強大処下、柔弱処上。

読み下し
人の生(イ)くるや柔弱、その死するや堅強なり。
萬物草木の生くるや柔脆(ジュウゼイ)、その死するや枯槁(ココウ)なり。
故に堅強なる者は死の徒(ト)にして、柔弱なる者は生の徒なり。
これを以て兵強ければ則(スナ)わち勝たず、木強ければ則わち折(オ)る。
強大なるは下に処(オ)り、柔弱なるは上に処る。
注)枯槁:草木が枯れること。槁も枯れる意。

現代語訳
人は活きている間は弱よわしく柔らかいが、死ぬと堅く強張(コワバ)ってしまう。
万物草木も生きている間は柔らかく脆弱に見えるが、枯れると堅くなる。
つまり硬く強張っている方は死の‘やから’であり、柔らかいのは生の仲間である。
したがって兵は強さだけでは勝てず、木の枝は柔軟性がなければすぐ折れる。
このように弱く柔らかいものこそ、強く硬いものの上位にあるのだ。
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