一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
一人ではない
よく映画やドラマであの世に旅立った人がこの世の大切な人のために奮闘するようなストーリーを見かけます。
私が学生時代はちょうど「ゴースト」という映画が流行りました。恋人をなんとか守ろうとする主人公に感動したものです。
霊の言葉を降ろせる友達がいました。その友達から自分が知らなかった先祖の思いを伝えてもらった時に「私は先祖から愛されているんだ」と心から思ったものです。もちろんご先祖様にもいろいろな思いがあってこちらから仏様のエネルギーを送ってあげることで「ありがとう」と本当に喜んでくれました。
霊験あらたかなパワースポットばかりに人は魅かれがちですが自らの先祖のお墓やルーツをたどるだけでよほど功徳を与えてもらえるような気がします。
「見ている。いつでも心配したり一緒によろこんだり」
もちろんもともと人間だから霊になったとしても神仏ほどの力があるわけではありません。しかしそれでも私のことを知っていてくれて愛おしく思ってくれている思いがつたわると身体がジーンと熱くなるのです。
そう私達は一人ではありません。目に見えないだけで多くの魂につながってお互いを高めあっているのです。
けっして上へ上へ目指すのが信仰ではありません。最後はご先祖様につれられてあの世に旅立つのですから。
私が学生時代はちょうど「ゴースト」という映画が流行りました。恋人をなんとか守ろうとする主人公に感動したものです。
霊の言葉を降ろせる友達がいました。その友達から自分が知らなかった先祖の思いを伝えてもらった時に「私は先祖から愛されているんだ」と心から思ったものです。もちろんご先祖様にもいろいろな思いがあってこちらから仏様のエネルギーを送ってあげることで「ありがとう」と本当に喜んでくれました。
霊験あらたかなパワースポットばかりに人は魅かれがちですが自らの先祖のお墓やルーツをたどるだけでよほど功徳を与えてもらえるような気がします。
「見ている。いつでも心配したり一緒によろこんだり」
もちろんもともと人間だから霊になったとしても神仏ほどの力があるわけではありません。しかしそれでも私のことを知っていてくれて愛おしく思ってくれている思いがつたわると身体がジーンと熱くなるのです。
そう私達は一人ではありません。目に見えないだけで多くの魂につながってお互いを高めあっているのです。
けっして上へ上へ目指すのが信仰ではありません。最後はご先祖様につれられてあの世に旅立つのですから。
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