Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年9月

2020-09-30 | Weblog-Index


飲食と同じ芸術音楽需要 2020-09-30 | 文化一般
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
千人収容の夢物語 2020-09-27 | 雑感
因果応報のロックダウン 2020-09-25 | 雑感
国内ツアーのその意味 2020-09-24 | 文化一般
マスク舞踏会の夜 2020-09-23 | 文化一般
ヴァークナーも誇りに 2020-09-22 | 女
天使が下りてくる 2020-09-21 | 文化一般
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
間隔のある受け渡し 2020-09-19 | 音
ヴィーンとミュンヘンの差 2020-09-18 | 文化一般
危険地域ヴィーン 2020-09-17 | マスメディア批評
ディールのやり方 2020-09-16 | 生活
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
ザルツブルクのブラームス 2020-09-14 | 音
怪しくなる10月の予定 2020-09-13 | 生活
要らないと思っていた 2020-09-12 | 雑感
女声につける女性指揮者 2020-09-11 | 女
無いよりはまだ益し 2020-09-10 | マスメディア批評
縛られた「蝶々夫人」生中継 2020-09-09 | 生活
僅か八十人程の音楽会 2020-09-08 | 生活
フランクフルト歌劇場再開 2020-09-07 | 文化一般
コロナ死者の為のミサ曲 2020-09-06 | マスメディア批評
ラクロワに黒マスク集団 2020-09-05 | 文化一般
衝突する伝統からの確立 2020-09-04 | 音
楽師さんの練習法 2020-09-03 | 生活
マスク禁止運動を展開! 2020-09-02 | 生活
社会的距離感への不満 2020-09-01 | マスメディア批評
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飲食と同じ芸術音楽需要

2020-09-30 | 文化一般
バーデンバーデンの祝祭劇場から電話があった。11月7日の席を都合してくれた。勿論、マスクについても質した。レストランと同じだと説明した。素晴らしい。まさしくそれである。誰がフォークを運ぶ度にマスクを取り外しするものか。

ベルリンでは催し物の扱いが政治議論にもなっている。10月から1,000人までの入場へと数字を上げることになっているからだ。それもマスクをして人を詰め込んで経済性を上げようという事でしかない。聴衆の安全を考えるならばバスの乗客の様にマスクなどしないでいい状況を先にとる必要がある。だからメルケル首相はベルリン政府を批判している。規制の社会的調整以上に先ずは感染状況を改善するべきなのだ。

ベルリン当局内もSPDの健康相は、屋内で200人まで野外で500人までに下げようと言う意見に対して、左翼党や緑の党はそもそも問題になっているのは個人のパーティーなどで催し物で大きなクラスターは出ていないと下げることに反対した。同時に緑の党の経済相は、感染が起きた時は誰が責任を持つのかと疑問も呈した。

ベルリナーフィルハーモニカーも半分まで早く入れたいとしていた。それによって経済的計画が可能となる。しかし最早それは夏の間の希望でしかなくなった。同時に舞台上での間隔を縮めたいとキリル・ペトレンコは強く希望していたが、管理しているのが労働保険であり、未だに解決していない。

経済的にも芸術的にも解決していないが、やはりここで今までの苦労を水泡に帰す様な事をしていないというメルケル首相の言葉は正しい。時機を見て後戻りしないように支えて行かなければいけない。又メルケル首相はG7諸国の中で最もコロナ対策費に歳出しているのにも係らずその赤字は最も少ないのは自負してもいいと思うと話した。その通りである。

希望した席よりも舞台に近い方をオファーされたので受けることにした。理由は間隔が開いて5分の1ほどしか入らない会場の残響も考えて、いつもよりは前に行く。空調の音は大きくなるかもしれないがそれは受け入れようと思う。

そして、残りの金額を寄付すると申し出た。祝祭劇場を代表して礼が返って来た。「今迄告げなかったのは、これを待っていたのだ。」と告げておいた。こちらの思いは伝わっただろう。通常ではない思い入れが漸く解かれる気がする。中々一言では言い切れないが、先に繋がってくれればよい。

大した額の寄付金ではない。しかし、どのように先を進めていくかで、同じような人達の協力は得られると思う。こうした事の一つ一つが祝祭劇場を本物にしていくと思う。あまりにも理想的な感じがするかもしれないが、芸術文化活動からそうした理想像を除いて一体何が残るのだ。

フランクフルトのアルテオパーの方も安い方の席は全て出た、あとは最後のシングル席と最高価格のシングル7席、ペアー席6席となった。やはり音楽通やファンは安い席を狙う。高額席は寄付ぐらいの気持ちの人でないと買わない。それでも一般売りでもこれだけの熱心な人が買って行った。素晴らしい演奏会になると思う。

嘗てフルトヴェングラーが第三帝国下でもなぜ亡命しなかったかと訊ねられて、それはベルリンの聴衆がいないところには芸術活動が無いと信じていたからとしていたが、まさしく11月の国内ツアーはそのような状況に近いと思う。



参照:
国内ツアーのその意味 2020-09-24 | 文化一般
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
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天使が下りてくる歌劇

2020-09-29 | 
毎年発表の「オペルンヴェルト」誌のシーズンの表彰が発表された。先ずは、「本年の歌劇場」にはフランクフルト市立歌劇場とジュネーヴの劇場が選ばれた。

そして、「本年の歌手」にはマルリス・ペーターセンが四度目の受賞である。女声では、アスミク・グリゴーリアンとペーターセンが毎年別け合うような状況はしばらく続くだろう。男声はカウンターテノールのヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキーが選ばれた。前者の対象は、昨年秋のミュンヘンでの「死の街」のマリエッタとマリーの歌唱で文句の無いものだ。同時にヴィーンでの「サロメ」も対象となっている。後者はカールツルーヘのヘンデルフェストでの歌唱の様で、昨年のフランクフルトでも側転し乍ら歌う実力は掛け値の無いものだった。

そして座付楽団としてミュンヘンのシュターツオーケストラが九度目の受賞で、その音楽監督キリル・ペトレンコも「本年の指揮者」に選ばれた。同時にティテュス・エンゲルが同じ賞を受賞した様で魂消た。

彼からは先々週ぐらいにメールが入っていて、どうしたのかと思っていた。暫くご無沙汰していて、二十年近く会っていない。だからヴィデオなどで活躍を見て頭髪だけが気になっていた。最近はシュトッツガルトの劇場だけでなくSWR交響楽団も定期的に振っているようで、予定されていたクレンツィスは出なくなったがドナウエッシュンゲン音楽祭で指揮することになっている。将来的にも彼がそこの主になるのではなかろうか。とは言っても最近は、お誘いのプログラムなどはそれとなく送られて来ていたが、長くその指揮を聴いていない。こちらもこの間に色々とお勉強した事であり新たにその音楽に接してみたいと思っている。少なくともとても難しい活動分野で賞を取る位だから余程いいのだろう。少なくとも2018年の小さなフランクフルタールントシャウの批評だけは眼を通していた。

それどころか、偶々であるがその時に彼が振った「青髭公の城」の批評を切り出して、同じ文章にあったキリル・ペトレンコの記事とくっつけて二人の名前を並べて表示していたのは、何を隠そう私である。まさかこうしてキリル・ペトレンコの横にティテュス・エンゲルの名前が活字になるとは!本人も喜んでいると思うが、一度彼のチューリッヒの自宅に電話した時に話したお母さんも喜んでいることだろう。こうした一寸した広報が深層心理的に効いているかもしれないと思うと私も嬉しい。

再度調べてみると、同じ記事に出るようになるのを取り持ったのは歌手のクラウディア・マーンケだと彼女は言うだろう。ペトレンコ指揮の千人の交響曲に続いてエンゲル指揮の「青髭のユーディット」を歌ったからだった。

二週間前のメールは、ベルルーシの反政府運動家マリア・カリスニコヴァが連行されたことに関する解放へのアピール署名へのお誘いだった。そこの口掛け人に名前を出していた。直ぐに署名を二筆しておいた。こちらも当時からすると指揮者に関する審美眼が可成り厳しくなっているので、どのような評価で受賞に至ったのかの真意を確かめたい。

車中のニュースでは、ラインラントプファルツ州知事トライヤーは、全国会議でメルケルらに提言するとあった。それは、現在の新感染者指数50で問題にしていたら遅いのでその前の35ぐらいで規制を自動的に始めるというものだ。それを超えた地域は公共の場ではマスクとなるが、逆にそうでない地域には必要ないと当然の事である。問題は数字が出たところは買い物客も逃げるという事になる。

祝祭祝杯の人数制限は当然で、これは最も手っ取り早い対策だろう。勿論街中のマスクは役に立たないが少なくとも人出を散らす効果はある。あとは追跡に人員不足などがあるようだが、35ぐらいがその調査の限界であることも背後にあるだろう。要するに50にもなったらお手上げで、やれることはロックダウンしかないという事だろう。



参照:
音楽劇場としての条件 2019-11-22 | 音
難民の是非を問わない 2019-10-28 | 文化一般
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ナイトガウンも必要に

2020-09-28 | 生活
ベルリンからのデジタルコンサートホールを聴いた。聴いたというのは、アーカイヴになったものは生放送よりもオーディオ品質が上がると知ったからだ。320kBit/sが出ているのはアーカイヴだけで画像も4Kとなっている。しかし生は256kBit/sしか出ていない。確かにアーカイヴになって音質はよくなった。

先日のベルリンのムジークフェストでのアルバンベルクの「ある天使の為に」の演奏があまりに良かったので何回か鳴らしている。初日のラディオ放送も悪くはなかったのだが、こうして三日目の演奏がアーカイヴになると圧巻だ。

この演奏が他所で聴けそうにもないので出かけなかったのは残念に思っている。元々のプログラムもスークの曲が組み合わされていて、コロナ禍が無ければ旅行を計画していたかもしれない。来年以降もベルリンに出かけるとしたらこの期間中になるだろうかと考える。そう言えば最初の訪問も86年のその時だった。

兎に角いい音で聴かされるとこれは我慢出来ない。今回これらの生中継のアーカイヴからSACD化*されたキリル・ペトレンコ指揮のボックスが出る。予想通り五枚組で、ブルーレイが二枚ついている。一枚はオーディオで一枚は映像だ。24 bit/96kHzオーディオだが、サイトからハイレゾ24bit/192kHz を落とせるのは、前回の「悲愴」の場合と同じである。これは矢張り価値がある。

内容自体は、ベートヴェンの七番交響曲の2018年のオープニングコンサート、九番の2019年の就任披露演奏会、チャイコフスキー五番の2019年3月の定期演奏会、六番は2017年3月の定期の既出、フランツシュミットの四番の2018年4月13日定期、ルディシュテファンの2012年12月の定期からの演奏である。

装丁もローゼマリー・トロッケル関与で興味深い。価格は予想通り69ユーロで、こうしたライヴ演奏と録音にしては安くはないのだが、10ユーロ相当のDCHの一週間券付いて来るので、実質的には59ユーロと送料になり、悪くはない。コロナ禍で発送が遅れるとあるが、在庫があるうちは発注すれば来週中には着くだろうか。

陽が射し込まないと室内でも寒い。上に羽織っているが一気に長袖となりそうだ。月曜日の早朝は摂氏4度まで下がる。長袖のパジャマは先週から着ている。ナイトガウンも必要になって来た。

隣の棟の爺さんが死んでからその辺りにハトが寄るようになった。人気が無いのを察するのだろう。こちらもツガイの様子を見ながら放置しておいたから寄るようになってしまった。風よけが出来ていいのだろう。しかしハト被害が起きそうなので、気が付いたら小まめに追い払うようにしている。それでもツガイそうなのだけは戻ってきたがる。これで冬場は他所に行ってくれると助かる。


訂正:SACDと思っていたのはあまりに良過ぎるハイレゾマスターCDだった。


参照:
テーブル予約をする 2020-06-18 | 生活
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評

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千人収容の夢物語

2020-09-27 | 雑感
コロナ感染の第二波をどう乗り越えるか。先ずは個人の集まりの特に会食を禁止にしなければ駄目だろう。これは酒飲みの者はアルコールが入ると感染どころではなくなるのを知っている。飲酒の禁止までとか誰かが書いていたが、結婚式などのパーティーではそれしかないと思う。さもなければ禁止しかない。

腹具合が悪くなってから十日以上経つだろうか?フランクフルトでうつった可能性があるかどうかは定かではないが、コロナの新たな症状である。生理痛に似ているようだが、これはなったことが無いので分からない。兎に角、腸の働きがおかしくなっている。便通もあるのだが、すっきりしない。走って帰って来ても調子のよいのはその後だけで午後になると特に夕方になると調子が悪くなって来る。もう少し様子を見てみたい。

ベルギーとオランダからの報告によると二度目の感染が確認されたようだ。ベルギーのルーヴァン大学のマルク・ファンランストによると、六七ヵ月経過後にどれほどの人が再び感染するかは分からないとしている。

四月に回復して再び陽性になった33歳のIT技術者から変異したコロナが見つかったという事で、そのような変異による再感染で、沈潜していたコロナの再燃ではないとされている。その他の専門家も、普通の風邪でもウイルスに再び感染するという事で、またウイルスが口蓋に長く潜んでいるという事は考えられないとされている。

朝早くから準備をしていた。雨が止んだ所でパン屋に行って、通り雨が過ぎるのを待って、峠攻めへと走りだそうと思ていたからだ。暗いうちに出かけてパン屋に入ると朝起き爺さんらが既に居た。森の駐車場に車を停めてもう一雨待っていた。外気温は摂氏11度と寒い。Tシャツとショーツで走る限界に近づいてきている。特に雨が残っていたので冷たかった。

山は雪のようなので、そろそろ冬タイヤの準備である。ブレゲンツに出かける前にと思っていたが、演奏会中止は避けられそうにない。ドイツのフォアアールベルク交響楽団のシーズン最初の四回の演奏会は急遽キャンセルされたようだ。理由は州知事が木曜日に発表した室内催し物250人定員にフェルドキルヒ400人、ブレゲンツ1000人の金曜日から日曜日までの演奏会が引っかかったからだ。

その会見を改めて聞いてみると、観光の為の影響が大きいので州民が力を合わせて、コッホ研究所の危険地帯指定を外せるようにつまり指数50人以下になるように対策したいという事だ。その一つとして二三週間の催し物制限で成果を上げたいとあった。目標は11月頃からのスキーシーズンにあると明白だった。その為に手っ取り早いところから制限して行くというほかなかった。丁度ヴィーンとは反対でこれは盲点だった。そして東の端の首都でも西の端でもドイツからは誰も来ないことになればその匙加減はほとんど意味を持たない。

同じようにベルリンの状況は悪い。来月からは催し物も千人まで許可されるようになっていたが、これは取り消しになるだろう。そもそも満席にならないような状況で定員を増やして最低のソーシャルディスタンシングも守れないことなど認知される訳がない。バスで二十分ほど必要に迫られて移動するのとは違うのである。誰がマスクまでしてそんな危険なところに金まで払ってまで訪れるだろう。

ベルリナーフィルハーモニカーも入らなくなってきている。千人体制つまり年内は半分を入れれることはもうなくなったと思われる。発売は10月11日なのでジルフェスタ―までの発売の状況が変わる可能性が強い。年内の連邦共和国からの支援の確約は既に受けたようだが、更に穴が空くようになる可能性が強く、ベルリナーフィルハーモニカーも経営的に危機に陥るだろう。英国では三分の一の演奏家は転職を考えているというが、ざっと考えてドイツも管弦楽団は劇場などを含めて半分ぐらいになると予想する。

年末までは今の状況よりは悪くはなっても良くはならない。年が明けても最初のコロナ中止から一年経過してもつまり三月過ぎてもそれ以前に戻っている可能性はあまり期待できなくなってきた。とても厳しい状況である。



参照:
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
ヴィーンとミュンヘンの差 2020-09-18 | 文化一般
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因果応報のロックダウン

2020-09-25 | 雑感
駄目だ。フォアアールベルクがコッホ研究所によって危険地域にリストアップされた。十月に出かける予定の二地域は比較的良かったのだが、ドイツでの指数50ぐらいなのだが挟まれる地域が90を超えている。インスブルックやクッフシュタインは100を超えているのだが言及されていない。恐らく検査事情など全てを鑑みているのだろう。

これで三週間後に迫った演奏会はキャンセルになる可能性が高まった。少なくとも指揮者のキリル・ペトレンコは里帰り出来ないだろう。危険地区に指定されても必要があれば旅行は可能だが、ドイツに帰って五日目ぐらいにはPCR検査を受けることになる。その間は自宅待機である。そしてそこで陽性となれば更に二週間は自宅待機である。

ペトレンコのベルリンでの次の日程は10月最終週の稽古と本番で、引き続いてドイツ国内ツアーとなる。陽性になったところで全てキャンセルになる。まさかそのような危険は冒さないだろう。

万が一開催となった時にも国境検査はしないというので、知らぬ顔をして演奏会に出かけて知らぬ顔をして帰宅も可能である。しかし、五日後にはどこかでPCR検査を受けなければならず、もし陽性ならば二週間であるから、こちらも同じようにアルテオパーにも出かけられなくなる。もし検査を受けずに感染が発覚したとすれば多額の罰金を払う事になる。有料検査となれば最低120ユーロ取られるようだ。無理して出かける意味などは全くない。

少なくともここ暫く体調がとても悪くても、これは自分の経験から気をつけていたで終わる。その感染がアルテオパーなどで人にうつして発覚する可能性もとても小さい。要するにかかっているのかいないのか分からない典型的な状況におかれるだけだ。しかし、敢えて危険地域に入って戻ってくるとなるとそれなりの責任が問われる。

宿は直前までキャンセル可能だ。小さな感染域なのでクラスター潰しが可能ならば数値は直ぐに下げることは可能だがコッホ研究所が取り下げるにはそれなりの根拠と時間が掛かる。稽古を考えると、来週ぐらいに取り下げの話しが出ないと間に合わない。交響楽団がキャンセルを含めてどのように動くか。代理の指揮者などを立てずにすんなりと延期にして欲しいと思う。ペトレンコの日程を合わせるのは難しいが、延期が決まればそのままでよい。

大根の葉の部分を育てるのが習慣になった。今回は出来るだけ茎の数の多いものを購入したので、予想通り大根葉が育った。季節がらバジルの方は駄目になったので、キッチン唯一の緑である。まだ他の鉢はバルコンに置いてある。水栽培であるが何時でも新鮮な緑を食せるだけに楽しみである。何にしようかと考えている。

それにしても調子が悪い。この地域の新感染指数も11まで上がった。ハムやドルトムントでも大規模クラスターが結婚式などで起きて2000人程が一機に自宅待機となっている。兎に角パーティー類で人が寄って飲食をすることは禁止にすべきである。その代り飲食業の付加価値税は一時止めればいい。16%でも安くなれば使う人も多いだろう。

マドリッド市民はこの十四日間で1%が陽性というから、もう閉鎖を続けるしかない。武漢の様に食料補給とかを第三者がしていくしかないのだろう。我が市が少なくとも三人出た時でも数字的にはまだまだ及ばなかったので、街に出るだけで直ぐ感染するのは明白だ。日常食料品なども配給して行くしか方法が無い。感染病とはそういうものだとそれを見るとよく分かると思う。そして一寸油断するとどこでも同じようになり得る。

そのような街がオペラ上演だとかなんだとか言っているのが如何に狂っているか。ヴィーンはまさにそれに近づいていて、このまま続けていれば同じ状況になるのも間違いない。



参照:
マスク舞踏会の夜 2020-09-23 | 文化一般
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
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国内ツアーのその意味

2020-09-24 | 文化一般
零時前から構えていた。11月のフランクフルトの公演の券が発売されるからだ。そもそも同じ日の券は3月に購入していた。そして減員でそれが無効になった。お知らせも無いのである。とんでもない。二度手間で、本当に熱心な人でないと買い替えなどに気が付かない。しかし最初は私は偶々気が付いて37ユーロの席を購入しておいた。半分も売れていないのでそのまま席替えで対応できるかとも思っていた。しかし実際には異なった。

個人的な関心は、ベルリンのフィルハーモニーでの様な劣悪な環境ではなく、安全な環境でマスクも無しに気持ちよくという事に尽きたので、減員半数では安全性も快適性も保てなくなっていた。そこで四分の一以下収容の予想で挑んだ。

ここのネットサイドで今までそれほど狙い撃ちした覚えが無かった。理由は会場のアルテオパーは興業屋が纏めた後での発券が多く、それ以外はそれほど問題なく入券可能だったからだ。二月に譲って貰った席の隣のバルコン最前列ど真ん中に座った人も年初ぐらいに購入したといっていた。その向こう側は当然半額で来ていた中共からの音楽学生らしきだった。更に結構空いていた。スポンサーのドイツェバンクの人達は平土間に、プレス席も平土間となると、あとの常連さんなども好みの席があって、定期会に入っていない演奏会でこその券だった。

今回も編成が60人ぐらいという事で天井桟敷は避けたかった。音が暈けるのと音量が足りないのは厳しいからだ。そこで平土間の視界の効かなさを、又サイドの音響の悪そうなのを考慮して中央バルコンを狙った。価格は最高価格で150ユーロである。

さて零時には窓口は開かなかった。仕方が無いので未明の四時過ぎに目覚ましで覗いてみた。やはり閉じたままだった。ホットラインが通じるのは午前十時なので、一時間毎に目覚ましを掛けてちょこちょこと見た。起床してから九時過ぎに開けると、一か所写真が変わっているのに気が付いた。11月5日過ぎに開催されるアンサムブルモデルンの指揮者の写真が変わっていた。来たと思った。要するに作業に入っている。案の定、予め調べていたバックドア―から入ると窓口が出来ていて入れた。フロントドーアが開いたのは一時間後だった。

そして座席表を見た。一般発売買い一番乗りである。予想通りシングル席は限られていた。しかし想定していたよりも減員していて、恐らく五分の一から六分の一だと思う。400人ぐらいだろう。金額関係なく一通り見たが、選択は殆ど無かった。

手数料込みで154,35ユーロ、安くはない。ザルツブルク音楽祭では同じプログラムで90ユーロほどで出ていた。宿泊料が無くても燃料代120ユーロとして、どれほど安く付いたか高くついたか。何よりも異なるのは間隔である。安全性であり、安心感と気持ちよさだ。流石にペアー席で300ユーロ支払う心算は無かったので、それに比較すればこれで良いかとも思う。

寝不足になったが、結果には満足で、このような催し物があるだけで幾らでも払いたい気持ちにさせてくれる。自分自身は10月にフォアアールベルクでペトレンコ指揮の演奏会に行くが、やはり今回は二月に協調作業の最高到達地点を聴かせてくれたベルリナーフィルハーモニカーとの演奏という事でとても感慨深い演奏会になると思う。この間の事を考えると、お互いに無事でようこそという気持ちになるだろう。今回の企画がアメリカ旅行の前にという事だったが、多くの人は同じような気持ちのリピーターだと思う。恐らくそれはケルンでもハムブルクでも同じだろう。そしてバーデンバーデンではまた更なる気持ちが募ると思う。

そのような演奏者と聴衆の新たな繋がりと語ったイゴール・レヴィットではないが、キリル・ペトレンコもその聴衆の集中をして成果だとしている。こうしてマスに語り掛けるのではなく熱心な人が集うところで必ずや新しい局面へと進むと思う。少なくともクナッパーツブッシュ指揮などでベルリナーフィルハーモニカーが独国内を慰問のように回っていた戦時中や、プロバガンダに使われたフルトヴェングラー指揮の演奏会の雰囲気がもう手に取るように分かるようになって来た。作られたものの裏にある社会心理である。そして今傷痍軍人の代りにマスクをした聴衆が集う。



参照:
2023年以降の計画の発表 2020-04-25 | 音
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
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マスク舞踏会の夜

2020-09-23 | 文化一般
スペインのマドリッドはロックダウンとなった。その日のオペラ劇場で大きなプロテストが起こった。SNSにヴィデオや新聞紙上にも沢山の記事が載っている。フランクフルターアルゲマイネ新聞文化欄の右肩には、階級闘争の形としても扱っている。スペイン左翼の敗北を背景にしているとして、彼らはスペイン内乱前の1931年の第二共和国旗を掲げるのだとある。

そもそもプロテストは天井桟敷から起こった。あまりにも列に詰め込まれている人々が全くソーシャルディスタンシングされていないと声をあげ、先ず劇場側が非を認めて払い戻しを認めた。実際には当局の規制では定員の75%まで入場可であったが、あまりにも密になるので51.5%に減員してあったとされる。そして平土間も後方は兎も角前半の齧り付きは可也込み合っている。ヴィデオで見る限り、本当の天井桟敷には誰もおらず、前に詰めている感じもするが、どのように席が決まっているのかは分からない。

そして新聞にあるように声を聴きに来る通はそこにいる訳で、天井桟敷席は通人向けの場所である。しかし、ここ王の劇場ではやはり席によって社会層が異なるという事があるようで、一等席は239ユーロとされる。そこには左翼のルサンティマンがあるとされる。

で結局、二度三度と再開されながら妨害でキャンセルとなった。新聞には、表に出ろと叫んだのは当日からのロックダウンを決めたそこに居合わせた政治家への野次だったとされている。因みに上演されようとしていたのはヴェルディ作曲「仮面舞踏会」だった。まさしくポリティックパワーを描いた作曲家であった。

しかしこれはまさにマスクをして五割以上に詰め込もうとするネオリベラリズムへの反旗でもあって多くの人達の共感を得ると思う。ベルリンの市井のクロイツベルクでは他の地域の何倍の新感染指数が問題になっている。その地域をロックダウンしなければ他の地域へと広がってドイツの首都はヴィーンの様に閉鎖されるように成るかもしれない。今ここで規制を強めないと制御が効かなくなる。

チューリッヒでもよりによって合唱オペラとされる「ボリスゴドノフ」が合唱と管弦楽はリモートで中継されてスピーカーから流れるというもので、合唱に関しては視覚的に満足な結果とはならなかった様だ。スイスも無理してマスクまでさせて観劇がなされている。もうそろそろ暴れる聴衆が出てきても良いのではないか。若しくはもう誰も来なくなるだろう。11月からのベルリンの情景を予想させるに十分である。

今各地で行われている文化活動という名の興行は愈々多くの人に嫌悪を与えるようになるかもしれない。それはこうした訪問者から反旗を翻していくからである。毎日混んだ地下鉄で通い、安い券の為に並ぶ熱心な人たち、彼らの足が遠のく。エンターティメントとして劇場を訪れる稼ぎのある高価な席に座る人たちは態々マスクまでしてそんなところには行かない。収益性を上げようと画策すればするほど会場に空席が目立ってくるだろう。

「プロアルテ」などの高価なギャラを払って、高価な価格で売るような興行師主催の出し物は席を減らすのに躊躇している。商売にはならないからである。結局キャンセルになる可能性が高い。次の企画を出して集金しないことには返金が出来ない興業師も出てきているだろう。秋から年末にかけて倒産なども増えるかもしれない。

11月からのバーデンバーデン祝祭劇場での催し物の実施はどのようになるのか分からない。しかし少なくとも支配人スタムパは、「興業の為の興行はしない、そうではなくて、音楽に、作曲家に、演奏家に一心に耳を傾けるために催すのだ。」と言い放った。実際は分からない、しかしこれだけでも力を貸したいと思わせる。



参照:
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
落ち着き払ったメータ指揮 2019-04-16 | マスメディア批評
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ヴァークナーも誇りに

2020-09-22 | 
就寝前に大きなニュースに驚いた。バイロイトのカタリーナ・ヴァクナーの復帰やらに合わせて週明けはと思っていたが、就寝が二時間ほど遅れた。彼女がヴェルト紙に語ったことが流されたからだ。数時間前には出ていたようだが、気が付かなかった。

なんと2021年のバイロイト音楽祭史上初の女性指揮者は、予想していたヨアンナ・マルヴィッツではなくてオクサーナ・リニヴだった。彼女が新制作演目の「さまよえるオランダ人」を振っていたことは気が付いていたが、2017年4月の事で事象が後先になってしまっていた。つまりカタリーナ・ヴァークナーが上演地バルセロナの劇場を訪れてそれを聴いていたという事だ。だから二年後に女性指揮者と言われても、至近にヴァークナーを指揮しているマルヴィッツの方が目についた。また今年ザルツブルクをデビューしたとしても来年下りればよいというだけの事と考えられた。これで来年はマルヴィッツ指揮は「コシファンテュッテ」ではなくて新制作「魔笛」となるのだろう。

本題のオクサーナ・リニヴの選定だが、彼女が2017年に就任したグラーツの音楽監督を2020年を最後に辞める事情がよく分からなかった。2020年から暫く世界中の楽団や劇場を回るものだと思っていたので、既に2017年過ぎに打診があったとは思わず、その後の活躍もよく分からなかった。内部情報が入ってこなくとも様々な周辺状況で判断できるのだが、リニヴの場合は煙幕が引かれていた。春にバイエルン放送協会でインタヴュー記事が出て、SWRがマルヴィッツにしたものに対応していた。マルヴィッツはフランクフルトで新制作があった。リニヴは秋にミュンヘンのフィルハーモニカーと放送交響楽団の両方にデビューする予定があったからだと理解した。

リニヴの場合は、ドイツ国内では今年2月のミュンヘンでの新制作「ユディット」が生放送されて大きな反響があったが、それ以前にはそれほど注目される仕事はしていなかった。キリル・ペトレンコのアシスタント時代にロビーなどで話していたり、代わりに指揮をしていたぐらいだった。それが盲点になった。だからフランクフルトに出かけようと手薬煉を引いていたのだった。

今回今迄取材をし続けていたドイツェヴェレに対して素晴らしい言葉を発している。

ヴァークナーは、彼のオペラにおいて女性そのものを本質的に脚本化していて、そもそも取り分け解き放たれた女性として描いている。彼の死140年後に女性が指揮台に立って彼の素晴らしい音楽に息吹を与えることをとても誇りに思うでしょう。

"Richard Wagner hat den Frauen in seinen Opern tragende, handlungsweisenden Rollen auf den Leib geschrieben, sie eigentlich extrem emanzipiert dargestellt. Deshalb glaube ich, dass er auch stolz wäre, dass nun fast 140 Jahre nach seinem Tod erstmals eine Frau seine wunderbare Musik am Pult zum Leben erweckt."

バイロイトの音楽祭の初日を振る最初の女性としてこれほど立派な言葉を発する人がいたとはまた驚きだ。なるほど彼女が女性の比率を上げるための採用とされるのは心外として、ここまで明白な声明そのものが彼女の芸術的な真価に相当するもので全くそこには齟齬が無い。

バイロイトデビューとなるロシアの演出家チェルニアコフ、そして同じくデビューのアスミク・グリゴーリアンのゼンタと今までにない程の万全の制作が準備されている。レニヴは、前者とはミュンヘンの「ルル」公演でお馴染で、後者と前者とは来年の新制作「スペードの女王」パリ公演で仕事をする予定になっている。


バイロイト音楽祭は、来年何としても開催したいとしている。問題になる奈落は一時間十五分までの空気循環が可能という事で、そこにPCR検査を受けて演奏させ、舞台上では合唱は予め録音したものでパクパクとするとしている。

恐らく、客席は五分の一ぐらいの収容となるのだろう。通常年でも新制作の初日の入場券を獲得するのは特別難しく、来年は今年キャンセルされて返金していない人々が優先となる。コロナ騒動が無ければ狙っていたのだが、慌てないでもよいだろう。先ずは開催が可能になるかどうか?



参照:
女声につける女性指揮者 2020-09-11 | 女
フランクフルト歌劇場再開 2020-09-07 | 文化一般
無価値なストリーミング 2020-04-21 | 音
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天使が下りてくる

2020-09-21 | 文化一般
腹の具合が悪い。一週間ぐらいになるかもしれない。大腸カタルとかそれに近い感じだ。腹もゴロゴロして落ち着かない。腸が機能していないから胃がゴロゴロするのか、胃が機能していないのかはよく分からないが、とても具合が悪い。

バムベルクからの中継を少し観た。人気ピアニストアンデルスキーがモーツァルトを弾いて同地の交響楽団が合わせるというものだ。チェコの指揮者フルサのモーツァルトはフルート奏者パユに合わせるリハーサルで聴いていたので知っていたが、その時散々打合せしておきながら前々上手くいかなかった。楽団が違ったからだろうが、何かこの人は協奏曲を合わせるのに精力を使い過ぎのようだ。ピアニストのモーツァルトファンタジーに合せて熱心に音楽を作っていた。

一流楽団の一流指揮者は適当に合わせる術を持っているのだが、この指揮者はそのようにしない。テムポを適当に合わせて行くだけではない。その直後に初めて観聴きするトリアノフというロシアのピアニストに合わせるベルリナーフィルハーモニカーを流した。ピアニストの方はアメリカで演奏してりうのを聴いているのでどのような演奏をするか分かっているのだが、ザルツブルク音楽祭での批評の様に可成り違うところで音楽をしていて、本当に上手に適当に指揮者のキリル・ペトレンコが合わせていた。

昨年はランランにも合わせていたぐらいだから、そのやり方は分かっている。以前に客演指揮の時代に合わせていたのはフォークトという人で、これもおかしなテムポを取っていたのだが、流石に今度のトリアノフは更に遠くまで行っていた。本来ならばルツェルンで聴いていたのだった。それ以前にニューヨークフィルと合わせるのを五月に聴いていたのだが縁が無かった。三楽章が始まるなりのワイドな弾き振りは皆の笑いを誘った。恐らく今後もあまり縁がなさそうなピアニストかも知れない。上のポーランド人と同じように演奏するプログラムにもよるかもしれない。

同じ協奏曲でも土曜日に中継のあった三日目の「ある天使の想い出に」の協奏曲を演奏したペーターツィムマーマンとの演奏は格別だった。器楽奏者であそこまで歌と同じように寄り添う指揮をする共演者はあまりいない。キリル・ペトレンコがこのヴァイオリニストを珍重しているのが当然と思わせる。こうしたソロの器楽奏者は本当に得難い。それでいてこの曲を弾きこんでいるようでよく入っている。流石に最終日は、楽団にも小さな傷はあったが、更に良かった。三日分の素材で商品化できるものが出来るだろう。

ベルリナーフィルハーモニカー財団の損失の大まかな内訳が出ている。どうも一番大きいのはフィルハーモニーの賃貸料が入らない事のようだ。大ホールで一晩四万一千ユーロ、室内楽ホールで六千ユーロで、年間370件の賃貸があるところがごっそり落ちて、四百五十万ユーロの減収となっている。

また、アメリカツアーや各地フェスティヴァルでの出演が無くなったことでの減収。それらを合わせて60%の予算を売り上げているというが、そこに穴が空いたことになる。新聞はデジタルコンサートホールやベルリナーフィルハーモニカーメディアを挙げているがそのようなものは大赤字かである。だから少しでも売り上げをと思って25日にディスク等が発売されるという事なのだろう。

因みに穴が空いた分は連邦共和国からも補填されるという事で、当然のことながらTVや国内ツアーなどでその意義を国内でも知らしめなければいけない。

しかし、ここに来て、危険だと思うような人々はもうコンサートホールには当分戻ってこないことを考えれば、何もかもを半減しなければいけなくなっている。要するに予算も半減で、当然のことながらベルリナーフィルハーモニカーの給与も時短から当面は上げられない。それどころか、音楽業界の全てにおいてギャラが今後半分になって行く可能性がある。ムターが高額をとってもそれだけの聴衆を集めないとなればその経済的価値が無いという判断が下される。彼女の演奏会に自らの安全を冒してまで出かける馬鹿はもういない。



参照:
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音

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音楽会マスク着用様々

2020-09-20 | 雑感
マドリッドがロックダウンになった。丁度こちらでもあったような形だが、当然ドイツではそれを避けるためにはどんなことでもした方がよい。フランスも規制強化になっていて、解放どころではなくなってきている。逆行は、社会心理としても厳しく、なんとでもして避けたいところだ。次にはアムステルダム等のベネルクス三国、そしてヴィーンなどがロックダウンへと近づいている。特に最後の首都はオペラなどを毎日上演しているようではロックダウンへとまっしぐらになっている。PCR検査等の方法をとってクラスターを最小限に抑え込んでいても、実際の巷の感染はそれとは関係なく社会的心理の方が大きいからだ。そもそもマスクをしているようでは購買意欲も湧かないので経済にブレーキを大きく掛ける。

ベルリンで金曜日午前に会見があった。フィルハーモニカーの11月以降の日程に関する発表だったが、そこから11月以降の状況が見えて来た。結果はプランBに落ち着いた。米国ツアーの前半は、独国内ツアーとなった。そして舞台上での間隔も短くなる決定には至らなかった。しかしこれはまだ十月中までに改正される可能性がある。

具体的には、二種類のプログラムで、フランクフルト、ケルン、バーデンバーデン、ハムブルクを回る。一つはオープニングと同じシェーンベルク、ブラームスのプログラム、もう一つは、委嘱作「サビーナ」、メタモルフォーゼン、ショスタコーヴィッチのプログラムである。二つ目は、ベルリンでも10月末に4回演奏されるが、更に2回会場を増員して演奏されるようだ。

ベルリンの当局者の判断で、10月から千人まで入れらるようになったのに引き続き、11月からベルリンの劇場群に続いて完全マスク着用に移行するようだ。目標は50%入場だと思うが、その10月のマスク無しの630人x4回が完売していないのに、更にマスク付きの二千席も出ないだろう。但し、この2回は完全な録音・録画に充てられていると思われる。

因みに、ペトレンコの記録シリーズがCD化されることが同時に発表されて、ベートーヴェン、チャイコフスキー、フランツシュミット、ラディシュテファンの作品が製品化される。当然ハイレゾ音源も「悲愴」時の様に提供されるであろう。シュテファンは以前の演奏であろう。チャイコフスキーは五番、ベートーヴェンは二曲共出るだろうか?フランツシュミットはルツェルンのが欲しいが、編集したものはベルリンでの演奏でもそれなりにいいだろうか。

さて、個人的な関心は、演奏会中のマスクが外せないほどの危険な状態で座らされるのかどうかに尽きる。先ず11月4日のフランクフルト公演は既に購入してある37ユーロの席は返金になって新たに購入することになる。ヘッセン州であるが先日出かけた歌劇場は市立でここは私立である。しかし大枠はヘッセン州の決まり通りだ。つまり、州都ヴィースバーデンの劇場などは半数の500人までが入場を許されているが、アルテオパーの素晴らしいコロナ条件頁には1.5mの間隔が明記されている。更にフィルターePM60%と加湿まで書かれていて非常に気持ちが良い。実際に今迄の経験でも可成り強力な空調が入っていることは知っている。そして拍手まで外して於ける。市立歌劇場と同じ表現で、ブラヴォーでは着用しろとも深読みできる。寄付をしたいほどの気持ちであるが、出来れば二月に譲って貰った時の様にいい席を狙いたい。

翌日5日のケルンは千人も入れてマスクを終始していることになっている。11月11日、12日のベルリンと同じだ。10日のエルブフィルハーモニーも公演中は座っていればマスクを外してよいことになっていて、プラザ内でも食事時や人と離れていれば外してよいことになっている。

さてバーデンバーデンでは、現時点では500人収容で、これもバーデン・ヴュルテムベルク州の規制に拠っている。因みに支配人スタムパは協会長としてロビー活動をして共和国全国統一を目指したが、バイエルン州とゾーダー首相バーデン・ヴュルテムベルク州クレッチマン首相によって見事には打ち砕かれたのだろう。当然現状からして両州其々新感染者指数17と22では規模を上げる状況には無い。

結果マスクは、ロビーでの食事を椅子に座って食するか、ホールの椅子に着くかで外してよいことになっている。食事も音楽も同様なのだ。これは格別に優れた論拠だと思う。その一方、マスクを出来ない人は医者の証明書と同時に48時間以内のPCR検査陰性証明が必要になる。これも罰金を厳しくした州のそれに対応している。

これで、ケルンとベルリンは出かける価値も何もない。しかし最終の11日と12日は素晴らしい演奏が収録されるだろう。疎かにされた聴衆の安全とは関係の無いお話しなのである。

アルテオパーとバーデンバーデンは異なるプログラムとこれはケルンとハムブルクと同じ関係にあって、少なくともここワイン街道からは同距離ぐらいになっていて、まるで私の為のツアーのようなものである。両会場ともマスク無しで愉しめるとすれば、幾らでも払いたい気にさせるのである。



参照:
フランクフルト劇場再開 2020-08-31 | 生活
音楽会を愉しめるように 2020-08-29 | マスメディア批評




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間隔のある受け渡し

2020-09-19 | 
放送でベルリンのムジークフェストを聴いた。一部は無料のストリーミングなどあったようだが、やはりペトレンコ指揮のプログラムがその価値を上げていた。なによりもアルバン・ベルク作曲の協奏曲が取り分け素晴らしかった。楽器間の間隔を空けることでこの作品の楽器間の受け渡しが三次元的に変位するのが画期的だった。この作品は、放送や録音などで様々なものを聴いているスタンダードな協奏曲の一つだと思うが、その本質的な良さを実感できる演奏は知らない。この演奏は生で聴きに行くだけの価値はあったかなと思う。

最初は完売していたように見えたが、実際には当日も券が売りに出されていて、ネットでも見かけ更に会場前でも売りがあったようだ。750人が捌けないという事になる。計画では10月から1000人までの入場が許可されて、恐らく三分の一体制へと準備が整っているのだが、翌日の現地の放送が伝えるように徐々に信頼感を得ることで、慎重な人の気持ちを解くようにしなければいけないとなる。

よってベルリンのオペラ劇場連合が行うようなマスクをして半分とか満席とかというのは全く通じない。日本の呼び屋さんが言うように半分入場で三割となる。つまりマスク着用では半分も出ないと思われる。愈々そうした主催者への信頼感が失われて、そうした劇場や団体は今後の経営的な維持は難しくなると思う。

兎に角、舞台上での距離が縮まることは歓迎であるが、このような演奏によって、今までやっていたシェーンベルクの協奏曲やベルクのルル組曲の演奏がもう一段高度な演奏になることは確信した。支配人が既に反論していたように、開幕演奏会に接し一部に恐らくフランクフルターアルゲマイネのオッシー親仁を含めて、その演奏がバラバラに聴こえるという非難に対しては、これを聴いてみろとしか言えない。これでも否定的な感想を抱くとすればそれは楽曲を理解していないに過ぎない。

今回の演奏を聴いて、改めてミュンヘンでの「ルル」初日の演奏を思い出している。DVD化はされたのだが、なぜかあの制作にはそれほどの反響が無かった。その理由はよく分からなかったのだが、ベルクの「13楽器」とか一部の作品は矢張り難曲であり続けているのかとも思った。

それにしてもソロのツィムマーマンの演奏も良かったが、それに絡む弦楽ソロ奏者たちの絡みはもう他にはない高度なもので、一体誰が弾いているのかと思っていた。そしてトレイラーを見るとなんと辞めた筈のスタブラーヴァ―がコンツェルトマイスターで、コロナで半期引退を伸ばしたことが理解された。なんと幸運な登場だろう。そしてなんと誰かなと思っていたホルンは、ミュンヘンのデングラーではないか。

しかしまた難しいバルトークのソナタをアンコールで弾くとは。バッハかなとも思っていたがバッハの方が誤魔化しが効かないというのはある。中々この人はやることが賢いと思った。そしてこの演奏は、ユリア・フィッシャーなどでは到底叶わない。なぜこのヴァイオリニストの共演が多いかがよく分かる。ピアニストではここまで共演できる人はまだいないかもしれない。



参照:
ヴィーンとミュンヘンの差 2020-09-18 | 文化一般
フクシマ禍から蜂の巣へ 2019-09-16 | 文化一般
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ヴィーンとミュンヘンの差

2020-09-18 | 文化一般
今更のようにヴィーンの新聞がミュンヘンと比較している。新聞記者はどうしてヴィーンがこのようになったかぐらいのその裏事情は分かっている筈だが惚けをかましている。今更催し物の制限が全く異なって、ヴィーンでは規制通り500人から750人入れれるのに対して、ミュンヘンでは、安全処置が適っていなかったら年内は催せないことになっていると書いている。いい加減にしろと言いたい。忖度してなにも書けなかったのが君らではないか。

そのドイツはどうか?月末になって少しづつ11月以降の予定が出て来た。ベルリンの劇場などはただ単に客席を詰めてマスクをさせるという蛮行に出ている。そのような情報を見ると、八月に考えていたように一向に状況が改善されていないことに気が付く。新感染者数も落ちてはいない。しかし共和国全体では部分的にそれも一時的に過去七日間で十万人中50人を出すクラスターが発生する地域は数カ所にも至らない。

地元も一時のように零行進にはならないが1から10までの間を彷徨うっている。それもサーカスやら大回転車が世界最大のワイン祭り時の様に設置されていて、個人的には祭りが行われていると聞く。要するに探るだけの開放を態とさせているのだが、それ以上に新感染者が突発することはない。

ベルリンのフィルハーモニーは、10月から千人を入れて、11月からは楽器間も1mと2mへと縮められるだろうか。それによって舞台上での制約も少なくなり、場合によっては半数近い人数の客席を埋めれるようになる。更に支配人の言葉によれば一人頭充分な立方と最新の空調設備があるので空気を全て換気可能な利点を使いたいとしている。

年内は大掛かりな楽器編成の大曲や大合唱を避けることは既に決まっていることで、その中で次の段階に進めれば文句の出ない所である。近々公になる新たな規制からの開放でそのようになることが期待されている。後戻りは難しいが時間を掛けて次の段階へと奨めて行く方が遥かに建設的なのである。

今晩から三日間、変更されたプログラムとして、アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークの交響曲五番が組み合わされたプログラムが演奏されて放送される。元々はクセナキスとスークの曲が入る予定だった。その代りの五番の交響曲はキリル・ペトレンコが初めて振るという事で興味深い。

沢沿いを走り乍、最近はヴァイオリンのツィムマーマンと共演することが多く、その音楽が合うのだろうなとは思っていた。そして以前に話していたベルリン以外では演奏しないという曲にスークはどうだったか分からないが、この五番は含まれるだろうなと思った。要するに自信を以て世に問うというような演奏ではないという事になる。

ミュンヘンでのコンサートでもそのような曲は含まれていたのだが、ベルリンではどのような演奏になるのだろうかとこれまた愉しみである。それは10月末のショスターコーヴィッチの交響曲九番がどのように扱われるかにも若干関係している。バーデンバーデンで同じプログラムを演奏するというのはプランBとしてあり得るからだ。その時に祝祭劇場でも千人入れられるとなると何とかなる。

11月4日がブラームス四番のプロで、新規制で間隔を詰められるようならばヴェーベルンの「パッサカリア」演奏が可能かどうか。休憩問題は千人ならば時間さえかければ何とかなるように思われるがどうだろうか。



参照:
時の管理の響き方 2016-09-16 | 音
マスクを素早く着脱 2020-07-11 | 文化一般
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危険地域ヴィーン

2020-09-17 | マスメディア批評
承前)ヴィーンの楽友協会の機関誌にあるキリル・ペトレンコの記事の更なる注目点。2006年2月10日のベルリナーフィルハーモニカーデビュー時の詳細がある。先ずはバルトークの第二ヴァイオリン協奏曲をテツラフの伴奏で指揮している。後年、次の2016年9月にミュンヘンの座付楽団との再訪の欧州ツアーではバルトークの一番の協奏曲でツィムマーマンの伴奏指揮をしている。リゲティ作「ロンターノ」に続いて、休憩後の後半はチャイコフスキーの運命交響曲のプログラムである。

そしてこの時のベルリンでは後半はラフマニノフ作曲交響曲二番であった。それからいつもベルリナーに招待されて成功した ― この文章が書かれた時はベルリナーフィルハーモニーの後任に選ばれる未だ一月前である。後のインタヴューでペトレンコは答えている。

「このようなトップ管弦楽団を前にする時は、ベストを尽くそうと思いますが、私がはっきり示したかったのは、私の音楽的世界から現れるものでした。」

このような頂点にある特別な管弦楽団の練習は直ぐに高度なところから始めるのでしょうか?

ペトレンコは少し考えてから、「そうとも言えるが、そうでもないとも言える。勿論ある決まったスタンダードがあって、そこから始めるというのはあります。それが高い。しかし、指揮者として管弦楽団の前に立って最初から分かっている訳ではないのです。何処でも同じように始めます。― 音色、質、正確さ、バランス ― 特に管弦楽団内のバランスということからです。その楽曲にある難しい箇所を特別に克服しないといけないのはどこの管弦楽団でも同じです。」

就任までそして就任後のペトレンコと楽団がやってきたことはまさしくこのバランスであり、より正確に、上質にそして失われた音色への意識であっただろう。まだその終着点までは見えないが方向性は定まっている。就任に伴う宣伝ヴィデオに言及されている通りである。まさしく客演では絶対不可能なことが出来るようになってくるのだ。

2009年6月11日にフランクフルトの公演直後楽屋裏を探しても見つからず、隠れた通用口からひそひそとリュックサックを背負って現れたのはキリル・ペトレンコだったという ― その後に新制作「トスカ」を振った時にも駅へと向かうシュツワーデスバックを引いた姿で日本から来た人に交差点で声を掛けられている。

記者は声を掛けると、親しみを込めて微笑みながら、「ああ、一体ここで何をしているんですか?」と尋ねられた。そこで一気に考えていたことを解き放つと、ペトレンコは殆ど照れたような顔をして、「パレスティーナ、いい作品ですよね」と答える。その繋がりをと問えば、故郷でのラフマニノフへの心酔へと遡る。

そして、ヴィーンの国立歌劇場でこの曲を聴いて、そのラフマニノフとの共通性に目覚めたという。そしてそれから十年ほど経って新制作として指揮台に立つことになったと綴られる。(続く)

そのヴィーンが水曜日にロベルト・コッホ研究所で危険地域にリストアップされた。通常の観光旅行などは出来なくなる。幸いなことに同様に危険なインスブルックなどは除かれていて、その街の規模とか見通しの良さ、国境線から近いことも関係するだろう。そのお蔭で峠の北側のガルミッシュパルテンキルヘンは感染が広がっている。先ずはフォアアールベルクなどが除かれていて、オーストリア政府や各州が適切な対応を取れば10月のコンサートは開かれる可能性がある。オーストリアはヴィーンなどの流通交通量を抑えない事には感染も抑えられない。

五月のヴィーナーフィルハーモニー活動再開の時から第二波到来、そして首都が危険地域になるであろうことは想定していた。その通りの展開になった。想定外だったのはザルツブルクが持ちこたえたことで、これは賞賛に値する。



参照:
怪しくなる10月の予定 2020-09-13 | 生活
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般
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ディールのやり方

2020-09-16 | 生活
床屋に時間通り出かけた。一人お客が入っていて、パーマ掛か何かの準備を終えるまで二三分待っていた。帰りに肉屋に寄ってから30分ほどして戻って来た。20ユーロでウェットカットしてサージカルマイクまでついているのでお得感が強い。残暑カットにして貰った。満足である。次は11月始めで何とかなるだろう。

ARDの財政削減からNDRが五億ユーロの圧縮となる。クヌートNDR会長 ― 知己のある元クラシック部長あのクヌート氏なのか ― 、二つの管弦楽団は残したいようだ。BR交響楽団の話題でも新音楽監督を辞める元メルケル首相片腕ロバート・レッドフォードのBRヴィルヘルム会長の置き土産にして欲しいとされている。

ハノーヴァーの管弦楽団を残すというのは我々からすると七不思議で、それならばカイザースラウテルンのビルボードトップのポップス楽団を残すべきだったと考える。ハムブルクとハノーヴァーの経済的政治的な関係を知らないと分からないのだろう。やはり人口偏差なのだろうか。

交響楽団を守る時にいつも犠牲になるのは合唱団となる。既にNDRの常任メムバーは半分で室内合唱団とされているが、完全に切り離すとなる。ビッグバンドも無視される。シュツットガルトのSDRは特別な合唱団だったがNDRはクリスマスとかフェスティヴァルでしかそれ程お呼びがかからないらしい。

しかし、それを言うと年間六十回の演奏会の為に百万ユーロが支払われていて、新会場のエルブフィルの名を名乗り乍も他の超一流ゲスト楽団の様にフィルハーモニーにとっても経済的にも旨みが無いとされる。要するにあってもなくてもいいような楽団である。

この辺りの事情はエリブフィルを訪ねてその演奏会の状況などを身近に感じると分かる人には直ぐに分かる。多くの人が感じるように北ドイツは冬が長いので演奏会の意味合いやその社会への定着が異なるというのは現実とは異なるという事だ。

ヴィーンでの感染のエピセンター等が明らかになった。細かな地区ごとの地図が出たからだ。それを見ても我々の様に土地勘が無いとあまり分からない。それでもよかったのは国の反対側のフォアアールベルクの地区ごとの感染状況も分かって、十月に宿泊予定の街は境界の街で感染度が低く今でも黄色地域だと分かった。だからホールと同じ行政区のフェルトキルヒになって、滞在が面倒なことにはならないだろう。予定通りに開催されるかどうか?

ヴィーンの国立オペラで陽性者の接触者として二人が「愛の妙薬」再演から降ろされた。指揮者と歌手で、二人とも研修者と陽性接触があったからだ。その研修者は大学のオペラ公演で客席にいて感染した50人近い聴衆の一人だった。感染経路は分からないが舞台関係者では照明の人が陽性とされていて、踊り子が客席に出て来て踊ったというのでクラスター化してしまった。それをして国立劇場の新支配人がロスチッチが激怒した様だが、真相は分からない。コロナのエアロゾール感染なんてそのようなものなのだ。

学校の催し物「メリーウィドー」がいい加減に行われていた訳ではない様で、その事と感染者が出る事の関連性はそれほど感じない。重要なのはどれほど管理しても起こる時は起こるのでその可能性だけの問題で、実際に「愛の妙薬」と「メリーウィドー」では関係者の数も聴衆の数も全く異なって、如何に国立歌劇場などの公演が未だに休止になっていないことの方が不思議なのである。

ヴィーンの政府が各地域と連絡を取ってその具体的な規制を決めて行くというのだが、恐らくそれはヴィーナーフィルハーモニカーとの交渉と同じように政治的な駆け引きだけに終わって実質が伴わないようになるのであろう。



参照:
サージカルマスク品定め 2020-07-08 | 生活
怪しくなる10月の予定 2020-09-13 | 生活
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