Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2023年08月

2023-08-31 | Weblog-Index


想定内外の旅絵日記 2023-08-31 | 雑感
グラス向こうの先見性 2023-08-30 | ワイン
12音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
聖アントンのコラール 2023-08-28 | 生活
11月に明らかになる価値 2023-08-27 | 音
初日へと期待が膨らむ 2023-08-26 | 女
アルツハイマーになる人 2023-08-25 | 雑感
特大シュニッツェル 2023-08-24 | 雑
光から「木曜日」の授賞 2023-08-23 | 文化一般
続かない乱暴なやり方 2023-08-22 | 雑感
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
男を求めるスラヴ女へ抗う 2023-08-20 | マスメディア批評
重なり感がないこと 2023-08-19 | 生活
独音楽正統的継続の英雄 2023-08-18 | 雑感
時代遅れの安定成長感 2023-08-17 | 文化一般
安売りブランドで愛嬌 2023-08-16 | 生活
高度な音楽劇場の背景 2023-08-15 | 文化一般
布団生地に惚れてしまう 2023-08-14 | 女
ハルマゲドンの巨匠現る 2023-08-13 | 音
ブラームスのイライラ感 2023-08-12 | 音
そして歴史の証人になる 2023-08-11 | 音
ハイレゾで見える真実 2023-08-10 | 音
八時間に及ぶ千秋楽公演 2023-08-09 | 音
バービーと広島のミーム 2023-08-08 | 文化一般
新茶を一月で飲み終える 2023-08-07 | 料理
プログラムを紐解く為に 2023-08-06 | 文化一般
アーカイヴに残る事情 2023-08-05 | 文化一般
資料調べとダウンロード 2023-08-04 | 文化一般
LGBT的多様性の色合い 2023-08-03 | 雑感
もう一つのアルペン交響曲 2023-08-02 | アウトドーア・環境
音楽的な面白さを聴かせる 2023-08-01 | 女
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想定内外の旅絵日記

2023-08-31 | 雑感
初日を旅日記しておこう。予定通り、10時頃にワイン街道を出発、途上ストップアンドゴーもなく、工事現場も二箇所ほどしかなかった。よって、宿泊地には予定の14時よりも早く、13時45分頃に到着。途上でトイレ休憩と通行券を購入したので万全であった。検問所でも停止しなかったのも大きい。

予定通りの田舎であるが、14時を待って、コード番号を入れてチェックイン、同じ番号で地下駐車場にも入れて、荷物の搬送経路もまずまずで、完璧とは言えないが、よく出来ている。しかし、掃除の洗剤の匂いとか地上階だけに窓も完全には開けにくいので、扇風機を回した。コロナ期間中は問題が大きかったと思う、

ルツェルンから30キロ以上あるだけに、ワイン街道からは近いが、ラッシュ時には一時間は見ておかなければいけないのと、部屋が小さいのがやはり使いにくい。

それでも18時にはkkl駐車場に入庫出来たので問題なかった。前座プログラムに出かけたかったからである。ポッペの作品を依頼者のマルキが振るということで興味があった。その指揮ぶりや練習での指示を聞いていたらなるほどなと思った。指揮技術的なこともあるのでまた改めてと思うが興味深かった。そして作風もよくわかった。指揮者としても活躍しているのでそうだろうなという感じだ。

さて肝心のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハモニカー演奏会第一夜は想定を超えていた。それだけベルリンでよりも進化していたことでもあり我々からすると昨年の悪夢のような第二夜のキャンセルの鬱憤を晴らしてくれた。第一夜でもその意味では昨年は身体が動かず今回のような軽やかさとは全く異なっていたことまでを思い浮かばせた。

兎に角、大管弦楽団であれほど美しいピアニッシモやそのダイナミックスの広さは経験したことがない。昨年もサウンドチェクで音を割るなと指示していたようだが、本年は更にリヒャルト・シュトラウスの作曲もあるがフォルテシモが美しく鳴り響いた。なるほど残響の質もあってイングリッシュホルンが前に出てくるようなことはないがすべて楽譜通りに聞き取れてそして包まれていた。

ザルツブルクではコンツェルトマイスタリンのピアニッシモがその楽器配置から聞こえないとの批評があったが、ルツェルンではありえない。まだ第二夜が残っているので最初にカラヤンサウンドとの比較で批評されたのがルツェルン公演であるが、大いなる反響が待たれる。

そして前半のレーガーは演奏者自体の進化もあるが会場で聞くと全く得も云われぬ美しさでこの様は大管弦楽の響きを初めて聞いた。キリル・ペトレンコが世紀の天才指揮者だというのはこれを聞けば誰も否定はしまい。所謂マイクには乗り難い響きであった。

生憎コロナ禍の後遺症で入りは悪かったのだが ー 反対に無料の前座プログラムは小ホールが詰まっていた ー、十分な手応えはあった。高揚した面持ちでcoopで買い物をして、出庫は21時40分を過ぎていた。

帰りは田舎道でアルコールでも入っていたら大変だたった。それでも間違えることなく戻ってこれた。リースリングが進む、度数も低めだったのだがほとんど飲干してしまって想定外となった。



参照:
初日へと期待が膨らむ 2023-08-26 | 女
変ホ長調の英雄の主題 2023-03-29 | 音

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グラス向こうの先見性

2023-08-30 | ワイン
お出かけの準備が進んでいる。最後にジャガイモサラダを作って、そして道中に肉屋によってパンやソーセージぐらいを持って行けばよい。期限はまだ長いが料理用に下したバターを持って行くか。

野菜果物は、やはりキュウリは逃せない。プチトマトは十分にあるので、それ以外にも運転中に口に放り込めるものを選ぶ。洗って持って行くので、傷みにくいものがいい。卵もゆでていく。ハード眼鏡ケースも持参。

ワインは九月第二週にグランクリュワインを取りに行くナーヘのものを冷やして持って行く。道中のお勉強の為の音源も一通り揃えた筈だ。充電類も整えてある。

税金の整えは出来なかったが来週にはなんとかなるだろう。急ぎの署名類は給油の前に投函しておく。月末なのでいろいろと決済事項がある。

同じような旅行は繰り返していても持ち物が多いので結構忘れ物や事案があってこうして書き起こさないと怪しい。

今回は6月のタブレットをオンライン化して初めての泊りなのでプリペイカードに15ユーロを課金しておいた。スイス内のローミングはEU内と同じ様なので普通には使える筈だ。SNSに使えるかどうかは一度試してみたいとも思う。通常は500MBまでの容量なので写真や短いヴィデオぐらいが精々か。

燃料はリットル1.81越えそうなので、満タンにするとそれなりの額となる。最低価格の1,819は逃したが1,839で手を打った。

床屋の来週の予約も明日ぐらいに入れておこうかと思う。その為の現金をスーパーで買い物のついでにクレディットカードで準備しておきたい。スイスでの現金は50フランで足りなければ中央駅でカードで出せばよい。

新しいジーンズを今回初めて旅行に使うのだが、細身のウエストのボタンを外さずに走っていけるかどうかである。伸びがあるのでそれほど締まらないと思うのだが、長く乗ったことがないのでよく分からない。

週末にルクセムブルクに出かける前に試飲会に行くシャルツホフベルクのリースリングを開けた。日本など海外ではエゴンミュラーの銘柄の甘口として有名だ。2015年は特別な年度でそのコクのオイリーで尚且つアーモンド風味は賞賛されたのだが、今回開けてみると、やはりザール地方のワインらしく亜硫酸がかなり残っている。これだからモーゼルザール地方のワインは甘口で勝負してきたのだが高級から口へとの転換が上手く行かなかった。要するの葡萄の健康とその熟成の方法を学び切れていない。

ミクロクリマ的に難しい面はあるのだが、そこをクリアーできないと駄目なのである。だからもう一つ上のものを今回は前注文しなかった。それでも今回試飲会でじっくりと味わって、問題点などを醸造所と話してこれれば今後の参考になると思っている。購買者からすればある程度の額を出すとすれば偉大な熟成をしない事にはお話しにならないのである。二年ぐらいで飲み干して仕舞える日常消費品ならば気持ちよく飲めて食事に合わせれれば何も問題がないのであるが、寝かすとなるとより品質が問題になってくる。このリースリングでも酸がやはり引っ込んできている。



参照:
2015年産のお見事な出来 2017-05-20 | 試飲百景
晩夏のセレナーデの準備 2022-08-31 | 生活
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12音作曲の楽曲分析

2023-08-29 | 
夏のツアーの裏プログラムを見ている。手元にある書物にはシェーンベルク作曲「管弦楽の為の変奏曲」のアナリーゼはなかった。例えば弟子で解析で有名なライボヴィッツのそれにも違うところで書物にしているからとあった。実際に一冊の本になってしまうので、簡単には為らない。そこで1931年にフランクフルトの放送交響楽団の依頼で即ちそこの指揮者であったロスバウトの依頼でその前日に演奏した音源を使って講演をしたものがある。

フルトヴェングラー指揮で初演されて当然の如く上手く行かなかったのだが、フィルハーモニカーの当該頁にはその二週間後のフルトヴェングラー指揮の定期公演のプログラムが載っていて、それが今回この一月にベルリンの定期で三日間演奏されたプログラムと同じようにベートーヴェンの交響曲八番ヘ長調が演奏されていた。これは勿論偶然ではない。

そして上の講演でシェーンベルクはよくあり得るであろう12音を使った作曲技法で表れる調性つまりここでは変ト長調の中でナポリ七度を形成するヘ長調について言及していて、とても残念なこととしている。勿論望むべきことではないとある。

実はそれに似た経験を例えばリゲティ―の「ロンターノ」などの密なクラスターが調性感を醸し出すことから、楽譜にははっきりとその様な強調は一切するなと書いてある例がある。だからこそ日本で人気の英国人指揮者を許せないのであり、そうした受け狙いの詐欺行為が商売でしかないと思うともうどうしようもない。勿論本人はケムブリッジで学んでいるような人間だから全てを知って敢えてやっている。

要するにこうした演奏家には素人はどうせ分からないだろうという人を馬鹿にした姿勢があるのだ。そこで面白いのが、このシェーンベルクの講演において、こうした複雑な音楽構造は訓練を積んでいないと到底聴き取れないだろうと言い切っていることである。

上の場合は音名BACHが主題となっているのだが、実はこの音楽技法の場合は音程関係がとても重要になる一方、過去の長短の調性システムへの配慮は必要なくなる。つまり、所謂近代西洋音楽の200年程の音楽の中でも、これが音楽教育としてなされているのが多く、それ以前のルネッサンス音楽若しくは現代の音楽を専門教育としてされている層はそれ程多くはない。そういうことで個人的にはそうした教育が理解への妨げになっているのだろうと感じることが多い。

さてお勉強の為に残された時間はあまりないのだが、やはりその変奏の手段を振り返ることで、このプログラムだけでなく、シェーンベルクが上の講演でテーマとしたブラームスにおける先駆性にも同時に注目しておきたい。ロスバウトに書き送った手紙には、自分自身は先人ブラームスとの知己はないが、その後継者である人々の作曲技法を通してそれを扱っていきたいというのがある。

まさしく夏のツアープログラムにおけるレーガーの変奏はそのものであり、そしてリヒャルト・シュトラウスもその前にいた人ではある。そしてブラームスによっての影響とは様々な意味で無関係ではなかった。(続く)



参照:
聖アントンのコラール 2023-08-28 | 生活
特大シュニッツェルを❣ 2023-08-24 | 雑感
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聖アントンのコラール

2023-08-28 | 生活
そろそろ旅行の準備である。燃料代が上がっているので様子をみて、可能な限り安く満タンにしたい。二泊で音楽会場と2往復で140km増えて640kmに加算されて最短780kmであるが、更に一日は近郊に出かけるところもあるかと思う。帰りの安そうなところは見当が付いている。そこまで戻って来たい。エンジンオイルは少し足しておく。

パン屋は木曜日の朝に取ってこればよいか。水曜日は14時にチェックインして、KKL車庫入れ18時なので35km先で一時間は見ておきたい。一休みして帰宅後の準備だけであまり余裕はないだろう。やはり水曜日にはポテトサラダと何かで誤魔化しておくのがよさそうである。出来るだけ二泊を有効に使いたい。

逆算すると、10時前に出発で、途中で通行券を購入、更に現金は50フランで其の儘とする。宿からはチェックインコードやWLANのパスワードなど全て来たので通常は問題なく泊まれる筈だ。水曜日には天候が回復しそうなのでそれも助かる。気温も凌ぎやすいので、衣装も例年の如くでよい。シャツも散髪にも行っていないので古いもので、土曜日の試飲会などにも使えるだろうか。旅行用のミニノートブックもファイルを清掃しておかないと使いづらい。延長ケーブル類も忘れてはいけない。

お勉強では、より焦っている裏プログラムのブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」で久しぶりに原曲「聖アントニンのコラール」に立ち戻った。そこからハイドンのそのコラールを使ったオルガン曲へと、そこから管楽版、そして嘗てアルゲリッチが亡くなったフレーレとともに盛んに連弾していた版へと辿れてよかった。特に連弾版はとても参考になる。やはり変奏などの構造を窺うには便利である。

そこで気が付いたのは、ベートーヴェン交響曲八番のリスト編ピアノ版である。これも下手な演奏を聴いているよりも良さそうで、一月にベルリンで演奏された録音などと共に持ち歩きたい。勿論そこでシェーンベルクの「管弦楽の為の変奏曲」のピアノ版があればなと思ったのだが、ピアノ譜しか見つけられなかった。それも50ユーロ以上して総譜よりも高そうで笑ってしまった。総譜のコピーは既にDLしてあるので、お勉強の方法だけである。

先日面白い名前のリンゴがあったので購入した。ジャズとカンジという商標で其々スキフレッシュとニコター種で前者がロイヤルガラ、後者がガラマストとかで、特に前者はサクサクしていて甘く水気もあったので悪くはなかった。ワインは面倒な種はあまり飲まないので関係ないのだが、リンゴは出来るだけ色々な種類を試すようにしている。

果物は何を持参するべきか。車中で摘まむものもいいのだが、チーズを購入するのでそれに合わせるものを考えたい。ナッツ類も欲しい。帰りにはフランスのスーパーに寄れるので、そこで週末の次の旅行の買い物を考えればいいだろう。バターをどうするか。紅茶はティーバックを持参する。

持参する白ワインをどうするか。週始めなので買えないかもしれないとなると、持って行くものは限られる。その他の赤ワイン類はスイスで購入する。お腹の調子は安定してきているので助かる。そしてズボンを履く生活になっている。ヨーグルトも持って行こう。



参照:
新たな宿での予定を練る 2020-02-13 | 生活
九月の旅程を練る 2023-07-19 | 生活
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11月に明らかになる価値

2023-08-27 | 
ベルリンからの生中継を観た。いつものようにメルケル元首相夫妻などブロックAに有名人が居並んだ。その前にペトレンコのブレーンのクラスティングが座った。氏の解説はプログラムよりは一歩踏み込んでいた。より強調されていたのは、作曲家レーガ―のワキングホッカーぶりでその背後には音楽家庭ではない出身とかの環境があって、とにかく時間を惜しんで作曲に勤しんだということのようだ。そうした態度がその筆致に表れていると思う。

その様なことで楽団がどの声部も合わせることに留意してまだまだ自由な音楽を奏でるには至ってはいなかった。しかし、それだけに決して容易ではなく、少なくともツアーに出て三回演奏して、そして11月に繰り返される。どうしてこのプログラムが二つのツアーに掛かるかというとそれは繰り返せば繰り返す程成果が出てくる楽曲であるということだからである。何故レーガ―曲がフルトヴェングラ―指揮による演奏以降ベームなど限られた限られた客演指揮者によってのみ演奏されていたという理由である。

それは復活祭で既に二回の試奏を行った「英雄の生涯」に至っては、放送でも明らかに鳴りは変わっていて、その透明性は未だ嘗てなかった水準に達していた。これほどまでに総譜の各システムが聴き取れる演奏などは存在しない。それは今回の練習中にも話題になっていた様であり、如何に正しく音化すればそのように鳴る総譜だということが知れた。そして、ベルリンの放送局が語るようにヴァイオリン協奏曲だとされるコンツェルトマイスタリンが遙かに良くなっていた。

弦楽陣を率いる堂々とした姿勢や観て観られる引率をとても考えていたようで見事であった。なによりもフランコベルギー派とみられるそのヴァイオリンの響きが打って違って鳴る様になっていたので、楽器が変わったのかと思った。プロフィールには、借与されているストラディヴァリウスの1683年の名器を使っていたようだが、遙かによくなったその理由はよく分からない。弓も奏法にもあったのかもしれない。

兎に角、音が柔らく弾けて、ベルリナーフィルハーモニカーの鋼一点張りの特徴に更なる可能性が生じる。そうした柔軟性は復活祭でのソロの語り以上に表現の幅が大きくなっていて、同じ流派のカラヤンのコンツェルトマイスターのシュヴァルベを思い起こさせた。技術的にはこのサレイカ・フォルクナーの方が上手かもしれない。大きな賞賛が投げかけられている。

放送での批評にもあったようにシーズン初日はその後のツアーの為の本番練習でしかなく未だ目覚めていない感じがあったとされていたが、この「英雄の生涯」も更によくなっていくだろう。

いずれにしても八回も九回もこれを演奏するときには前半後半共に未だ嘗てない大管弦楽団のアンサムブルとなっている筈だ。昨年のマーラー七番でニューヨーク、シカゴなどで大きな影響を与えたと思われるベルリナーフィルハーモニカーの公演、11月には東京でパラダイムシフトに相当する影響を与えると思われる。まさしくペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの知られざるその芸術的価値が極東でもはじめて明らかになる。



参照:
初日へと期待が膨らむ 2023-08-26 | 女
見事なシカゴの音楽会批評 2022-11-20 | マスメディア批評
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初日へと期待が膨らむ

2023-08-26 | 
愈々ベルリンでシーズン初日となる。遂に来たかという感じだ。プログラムからすればそれ程話題にはならないのだが、「モーツァルトの主題による変奏曲」はフルトヴェングラー以来初めてシェフが振るということで、またそこで作曲され初演された「英雄の生涯」は十八番でありクラウデイオアバド以外は皆振った曲で、初日に持ってきた意味は大きい。そして初めて初日を女性が率いることになる。

既に復活祭で二回の本番練習を聴いたので、この間の進展ぶりに注目である。そして極東公演の成功も彼女が大きな責任を担う。その為にも前半のレーガーの作品は注目される。本日生中継される演奏を聴いてしまうと過去のアーカイヴが聴けなくなるので急いで良さそうな二種類の録音をYouTubeで見つけた。

一つは、バイロイトで日本でも活躍し他ホルストシュタイン指揮演奏で、これは同じようにカペルマイスターと呼ばれたカイルベルトの演奏とは遥かに良い。これは、モーツァルト指揮者がバイロイトで振った時に「モーツァルトの眼鏡を通したヴァ―クナー」とされたが、その反対を行く「ヴァ―クナーを通したモーツァルト」のような充実しながらも透明感のある響きで、まるでマイスタージンガーの様な趣で素晴らしい。

しかし、レーガ―が書き込んだ密な対位法の筆使いは音響として演奏されていて、細やかな筆使いまでは見えない。恐らくバムベルクの交響楽団ではそのアンサムブル的にも限界があったのだろう。そして比較対象にベルリナーフィルハーモニカーを前記したベーム博士が振った録音が見つかった。

これは素晴らしかった。ベルリナーフィルハーモニカーの弦をこれまたいつものようにとことん扱かしての演奏は、少なくとも音響的にヒンデミートのような面白さとなってその基本のアンサムブルが違う。同時にこの指揮者特有のあまりにもザッハリッヒな合わせ方をさせるので、対旋律などがあまりにもぶっきらぼうとなる。

これで今晩ペトレンコ指揮で最早新境地のアンサムブルに至っているベルリナーフィルハーモニカーがどのような演奏をするかが予想出来る。三人目のコンツェルトマイスタリンのヴィネータ・ザライカフェルクナーは、ラトヴィア出身で2008年に大阪の室内楽コンクールで優勝している。教師からするとフランコベルギ―派のようで、駄目になったアルティメス四重奏団に入る前にベネルクスで仕事をしていた。

既に「英雄の生涯」でパウリーナの下りを上手に弾きたのは分かっているが、それ以上にこのレーガーの目の積んだメッシュをどのように率いるかが楽しみである。彼女の弓使いなどは決して悪くはない筈である。

兎も角、このプログラムを水曜日ともう一度11月に聴けるのは嬉しく、もう一つのプログラムを木曜日と日曜日に聴けるのは幸福だ。恐らくもう一つのプログラムにこれで集中できるようになると思う。そして9月の日曜日には催し物で騒がしくなるとあったので全く関係なしに旅行に出ていられるのも幸せである。日帰りの出来るザールに二泊は勿体無いかと思ったが、これだけでも一泊伸ばした価値があった。



参照:
特大シュニッツェルを❣ 2023-08-24 | 雑感
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
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アルツハイマーになる人

2023-08-25 | 雑感
英国の指揮者が乱暴したりのボケが話題になっている。昨年かも日本人絡みで何かあったようだが全く関心がないので追っていない。なぜならばそうなることは二十年ほど前から、我々のフランクのバッハの会でして知っていたからだ。しかし当時は総会にも出かけておらずただ定期会員で音楽を聴いていただけである。

それでも、一昨年かのピアニストのシフの失態もなにもかも同じように10年以上前から分かっていた。これらに共通しているのはとても一面的なことしか芸術においてさえ興味がなくなっているその態度である。要するにアルツハイマー症とか脳が働かなくなっている。

特にピアニストの場合はまだ20歳代から生で聴いていて、とても賢く知能の高い人だと思っていたから、とても残念に思い、指揮者に関してはバロック団体を振っていた時の名演が録音等でも未だに耳から離れない。なるほどフランクフルトでもバッハの指揮で招聘されるほど、その意味ではスズキのバッハなどとは違った。しかしハムブルクなどで活躍するようになってお手本はフルトヴェングラーだとか語る様になって、その程度が疑われたのだが、実際に会員で出かけた演奏会を通して考え方やそこでやっていることがよく分かった。過去の文章でドグマと認定している。

芸事でも何でも突き詰めれば突き詰めるほど違う風景が見えて来てそうした過去の何かが目標となることなんてないと思われるのだが、少なくとも口に出すのも憚られると思うのだが、思い込み激しく脳の制御が効かなくなると老人性の拘りが表に出てくる。

確かに職人的なそういうものは馬鹿でないと出来ない所もあるのだが、その世界観が広がらないとすると、これは若い時からの職業的な特性でもあるとも言えなくはない。ハイデルベルクの学者がアルツハイマー性の疾患は十代から二十代までのその在り方で決まると言う結論を出していたのだが、自らのその頃の脳の働かせ方なども鑑み、何も他人ごとではない。

特に上の指揮者の場合は、その後フランクフルトで独自の団体でブラームスの交響曲ツィクルスをやって売れ残りの情報がラディオで流れたので出かけたことがある。バッハへと同様な拘りは甚だしかった。そして昨年同じようなシュタインバッハ版の演奏を聴くためにお勉強に彼らの録音を聴いた。それは実演と異なってしなやかさも細やかさもあって決して悪くはなかった。

その差異が技術的なものにあるのか、それとも録音プロデューサーのコンセプトと指示が効いていたのかはよく分からない。しかしその差が老人の脳の疾患と同じぐらいに大きいのである。

後を歩むサイモン・ラトルにおいても来月にミュンヘンで正式に就任演奏会が行われ中継される。そこでチェコの正統的な指揮者クーベリックとかを再び語りだしたら要注意である。なぜならば、ロンドンに都落ちしてからとても雑で辛抱が出来ないような仕事をし続けていたからである。そして独墺音楽にも拘って国籍迄修得すると言い出した。その次は奥さんと同じチェコ人にでもなるつもりだろうか。とても危ない。



参照:
個性が塗り潰された音響 2008-10-03 | 音
ブラームスの弟子筋 2022-07-31 | 文化一般
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特大シュニッツェルを❣

2023-08-24 | 雑感
葡萄は順調に実をつけている。リースリング種の場合未だ一月はぶら下げておく。なぜならば酸が分解していないからだ。即ち生物的に未熟性である。これからは寒暖があって、糖を貯めたりする工程に入る。朝晩の冷えが酸の量感を推し、同時に熟成へと向かう。

だから既にその葡萄の素養はほぼ決まっていて、試してみると2023年産の味質が分かる。未だ実った葡萄ではないので葡萄泥棒にはならないのだが、一番困るのはいい加減に剝ぎ取ってそこから黴などが生えることである。

抑々この時点でワインの味が分かるにはそれなりの経験が必要で、ここで判断できるような人は高級ワインも分かる。勿論上手に実を採る。

触っての柔らかさは順調で水膨れもしておらず、皮も薄くはない。予想通り、酸は可也分解していて、甘みがある。同時に乾燥した夏のお陰で地中深い根から水を吸い上げることで土壌感が強い。これだけで高級葡萄の可能性が高い。しかし今後は如何に寒暖差の大きさで分解された酸が貯められていくのかに掛かっているだろう。

恐らく早めの収穫となるので、10月初旬までの天候が期待される。しかし、例年の様子からして、粒は小さいものの健康な完熟を迎えそうで、酸の量感だけが問題となるところだろう。

ベルリンのシーズン初日が明後日に迫った。公式のプログラムが出ているのでダウンロードして目を通した。極東公演でも演奏されるプログラムであり、夏のツアーの表プログラムであり、来週の水曜日にルツェルンで聴くことになっている。

曲目紹介を読みむと、先ずはレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」は結構お決まりの内容で誰が書いているのか不審に思った。なぜならば恐らく演奏されるそれとは大きな差異があり、あまり参考にならない曲の描き方で、少なくとも指揮者ペトレンコのブレーンのクラスティング氏ではないと思った。そして確かめるとどうして彼が書いていて、なぜこうした継ぎはぎのような内容になっているのか不思議に思った。なるほど後半のリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」に関しては最後にマイニンゲンでのブラームスとの散歩中の若いシュトラウスに語った言葉が載っていて興味深かった。

シューベルトの舞曲の八小節のメロディーを研究しなさいに集約されていた。これで極東ツアーの二つのプログラムに直結させてある。そしてそれが終わった後で、改めてレーガーについての言及があった。先のところではモーツァルトへと戻って来ての清楚さのようなものがあったのに対して、最後は無署名の言及がこともあろうに、シェーンベルクの過程演奏会での話題としてもレーガーの作品が最もそこで演奏されていた楽曲であり、そして同時代の創作者にレーガ―の転換者としての役割が容易く見落とされていたとある。レーガーの死後にもシェーンベルクはもっと知っておくべきだったと書いて、先ずは多作である事、そして亡くなっているにも拘らずまだよく知られていないからだという言葉が挙げられている。

すると最初に書いてあった、「今すぐに時間シュニッツェルを持って来てくれ」という大食漢ぶりのの記述はこの作者の本業であるドラマテュルギーであったのか。



参照:
蕾が膨らむところ 2023-05-12 | 生活
独音楽正統的継続の英雄 2023-08-18 | 雑感
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光から「木曜日」の授賞

2023-08-23 | 文化一般
NHK深夜の番組で復活祭「影のない女」が放映された。想定外の演出への反応があった様子である。既に四月における各紙の反応などには言及しており、その演出への評価は保留されている傾向もあった。

なぜそのようにしか評価できなかったかは明らかで、仕手役においた無言の少女役の扱いに閉口していたからで、そこで適当な解釈を書き加えることで、演出自体への評価を難しくしていた傾向が甚だしかった。

しかしTVで観た感想は、それ以前に面白く、よく分かったというような反応が多かった。これはまさしくこのリディア・シュタイヤーが人気と共に評価されている面であって、それ自体には誰も非難のつけようがない。

彼女が初日前に我々に語ったことでも、如何に複雑で深遠な内容であってもそれを如何に聴衆に投げかけるかという触媒のような仕事をしているということで、その通りの結果となっている。

そこで彼女がオーストリアから合衆国に追われたユダヤ人家庭の娘であったので、そうした触媒機能として「ハリウッドなどに影響を受けたエンタメ要素を当然の如く使う」という本人の弁があった。

そこで彼女の出世作として経歴の最も上に書かれ続けるバーゼルでのシュトックハウゼン作「光」から「木曜日」を少し観た。少しというのは全体の一部でしかない「木曜日」自体が四部構成になっていて、その一部は導入でジャズバンド風に軽く演奏されショーピースとなっているのだが、二部は当時のバイエルン放送協会の批評にある様に、完成後三十年目にして初めての舞台上演そのもの舞台でしっかりと演じられている。

そのヴィデオはダウンロードしてから大分経つのだが、通して観ていなかった。一つには音質があまり良くなくて集中できなかったからで、漸く一幕の「ミヒャエル、青年期」だけは通した。演出に馴染みが出来たのでその流れから観通せた。

しかし反対に今迄は、大抵そこで指揮者と呼ばれる人が何をやっているかが分からずに来て、そして2019年になって初めてエンゲルがペトレンコと並び称されるようになったのだ。

私自身も暫くコンタクトがなかったのでその間の仕事の変化や構築がよく分からなかった。しかしここ二年程追っかけてみて、エンゲルのやっていることは、嘗ては楽師長が作曲など全てをやっていて、そして大作曲家が自作初演を振って、そして専門の指揮者が現れた。そして、カラヤンのようなメディアプロデューサを兼ねて、ペトレンコの様に音楽祭で自らのオペラ上演の為に芸術監督をするようになった。しかしエンゲルの場合は、その作曲へと演出家と一緒になって踏み込む。それが場合によって解釈を変えるというまでの大胆な発言となっている。要するに今世紀なって現れた新しいタイプの指揮者であるということだ。少なくとも音楽劇場作品においては第一人者として総合プロデューサー的な仕事を音楽から為している。ティテュス・エンゲルが今世紀前半を代表する指揮者だと言い切れるようになったのはそれが漸く分かったからである。



参照:
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
朝から晩までの一日 2023-04-03 | 文化一般
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続かない乱暴なやり方

2023-08-22 | 雑感
週明けから暑い。早朝に走って汗を掻いておけば午後は楽になるのだが、蒸し暑さが堪える。就寝時に窓を開けていることからやはり胃腸の調子が不安定になりかけている。予報を見ると土曜日には完全に秋になりそうなので数日の辛抱である。冷たいものを避けようと思ってもどうしても摂ってしまって、来週の旅行に体調を備えられるか。月末水曜日には出かけるので、来週初めには準備しないといけない。

走る時に犬を連れた家族づれを抜いたりしたので久しぶりに緑のベンチで30分で登りを折り返した。往復33分42秒は決して早くはないが、まずまずで、心拍数も171まで上げれたのは大きい。最高歩速195が登りで記録されている。短いながらも久しぶりの運動らしい運動になった。こうやって計測ミスはあっても数字を知ると一寸でも元気になる。

コロナ以降、以前に戻すのに時間を掛けているが、ここ一週間ほどは関節がむずむずしている。丁度何か液が溜まっているような感じで、使っていないのに、肘や痛めた肩に意識が削がれる。酷使してみたい衝動に駆られるのだが、余計に痛めるのは避けたい。

先日届いた救急箱を見ると2022年の基準としてマスク二枚が加わっていた。要するに事故や故障の時は救急などの人に対応しないといけないのでマスクが義務化されていたようだ。全てが利権であるが、多くの中身は2028年まで使えるようで、またどこでも使える。早速古い箱を開けて中身を見ると、平常使うものは絆創膏と包帯を切る鋏と金銀シート、そして手袋ぐらいで、これらは自宅で使える。これであとはスイスの通行所を購入するだけである。

今日まで記念撮影の写真が送り付けられていないのでシュトッツガルト通いも交通違反無しで走り抜けたようでなによりである。燃料は現在高騰しているようなので、来週まで騙し騙しで安くなるのを待とう。

やはりジャガイモサラダ等を持って行って、それ以外はCoopの干し肉とチーズ、そしてワインを購入、パンはアパートの近辺で調達すれば安上りか。衣装は気温や天候からすれば例年通りで行けるだろう。

日曜日にはザールブルッケンの放送局から1990年11月の録音が流された。指揮者がネルソンという人で、ハムブルクの州立劇場の日本引っ越し公演を当時の音楽監督フォンドホナーニと振り別けた。その時に「影の無い女」のドホナーニに対して「ローエングリン」を指揮して未だに脳裏に焼き付いている響となっている。昨年のミュンヘンのものなどはだから一向に記憶に残らない。そしてペルトのバッハの演奏曲やチャイコフスキーの協奏曲、シベリウスの二番などを聴かせたが、この放送楽団からこれ程充実した響きは聴いたことがない。歌い口も今の最後に複数のSのついている指揮者とは大違いで、やはり素晴らしい指揮者だったと確認した。バイロイトでもヴォルフガンクに重宝されたようで早い死が残念だ。共演しているのがチャイコフスキーコンクール優勝後に反政府音楽家として拘束されていたガヴリーロフで、更にペレストロイカ以降の西側でも生中継中に椅子に立ち上がって、キャリアを捨ててと、そしてカムバックしたということで、映画化されるのが待たれるところとなっている。若いラトルとのプロコフィエフの一番のLPを大切に持っているが、現在の様にトリフォノフなどが出てくるとそのあまりにも乱暴なピアニズムは波乱万丈の音楽家人生を予知していたか。



参照:
台詞が音楽を導く 2023-05-15 | 音
重なり感がないこと 2023-08-19 | 生活
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戦後に初演された楽劇

2023-08-21 | マスメディア批評
レーガ―作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」(1914年)を真面目に聴いた。そのLPはテレフンケンレーベルの二枚組ボックスの1968年盤である。都合同種の変奏曲が二曲にバレー組曲が入っていて、最後のカペルマイスターと称されたカイルベルトが手兵のハムブルクの座付き楽団とバムベルクの交響楽団を振っている。

以前からこの録音しか知らなかったのでこういう曲だと思っていたら、全然違うようで、少なくとも作品132のそれは可也動機の扱い方など面倒なことになっている。それが分かると同時にこの指揮者は名歌手のブリギッテ・ニルソンなどに言わせると、カラヤンなどよりも遙かに能力があって、クナッパーツブッシュのようなふらついた爺ではない立派な指揮者となる。

しかし、この録音を詳しく聴くと全く楽譜が読めていない。演奏させるだけの技がなかたっというよりも楽譜からあるべき音楽の構図が読み出せていない。恐らくこの指揮者にとっては各変奏の調性の変化ぐらいにオリエンティーリングしていたのだろう。カペルマイスターとは楽長さんのことを指すのだが、まさしくそれ以上の見識はないということだ。

そこでペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが何処迄読み込んでその動機の逆行形などをどのように見事に演奏するのかが想定できるようになる。またしてもこの楽曲においても歴史上はじめてその真価に光が当たることになるだろう。同様の事象はコロナ期間中のヒンデミート作「ヴェーバーの主題による変容」における決定的な演奏にもあった。彼の曲に比較して今回のモーツァルトのピアノソナタイ長調K331 の一楽章と馴染みのある主題が使われている。しかし、パロディーのようなヒンデミ-トの変容とは異なって生真面目に可也エグイ変奏が為されている。そして六拍子のそれがペトレンコ指揮で徹底的に再現されるのは想定外である。

1914年のその時にはシュトラウスには構想はあって作曲を始めて戦後に初演されることになるのが「影の無い女」である。NHKで放映されるものの多くは最後の三回目の公演だと思った。少なくとも二幕を聴いた限り、乳母役のシュスターが二回目には一人で歌ったようなもので名唱だったのだ。理由は染物屋の女房役が調子が悪く歌だけが袖で歌われていたからだ。ミナリザ・ヴェレーラの初日の歌は凄まじく、真ん中を休んで最後に合わして来ていた。今回の歌手陣の中で最も注目された歌手で、今後この歌手無くしては楽劇はならなくなる存在であろう。

皇后のエルザ・へ―ファ―の歌は絶賛されて、ヴァルキューレが謳うコロラテューラと書かれたのは、通常はありえない高い音でのギャラントな技巧と力強い歌声を兼ね備えていて、ライヴで接する迄はその体格とも想像がつかなかった。

その皇后とこれまた上背はなくとも重量級であり乍ら上にも声の出るクレイ・ヒリィーの皇帝と一緒に踊らせるという演出でまさしくこの楽劇の重量感を象徴していた。二人共舞台人としてとても勝れた人材であるのを感じさせた。

繋げられている喝采の部分は他日のものが繋がれているようで、それなりの編集はなされている様なのだが、是非これもハイレゾ配信を待ちたいところである。これは売れそうなのでブルーレイも発売されるかもしれない。そして日本での引っ越し公演は?



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男を求めるスラヴ女へ抗う 2023-08-20 | マスメディア批評
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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男を求めるスラヴ女へ抗う

2023-08-20 | マスメディア批評
「スラヴ女は外国の男を求めている」、この書き込みがあったのは3月だった。その時に少なくとも私を含めて三人の男は間髪入れずに動いた。最後の一人はチャットパートナーの顔を見た感じで、何も語らずに10ユーロ程を投げて行った。惚れ惚れした。

今更またこんなことを繰り返し言及するのか、なぜならば日本では性を商業化し乍お立ち台に立って身体を触れたとかでその反応に議論が起きているからだ。このような例はまさしく性が商業化されている事であり、セックスチャットでも起こっていることと全く変わらないからである。

なるほどそこではノンヌードとかのジャンルもあり、なに一つ強制されていないが、少なくとも金銭を払っているカスタマーは何らかを希望する資格はある。しかし、上の様な民族的なヘイトは許されない。なぜならばそこは世界中の人種や性別を越えての性的な自己主張がなされる場であって、それが商業化されているからである。

要するに建前上は誰にも強制されないで自身の性の経済的な価値を計れることになっている。しかし実際上は商業的な構造が出来ていてその中で軋轢が生じているのでロシアンマフィアと戦うという姿勢を個人的には表明せざるを得なかった。それでも一般的にはさもなければ売春しなければいけないような状況よりもマシではないかと思われる場合が多い。それだけでそうした世界的な機構の価値が認められる。

先に書いたように古典的な女性運動以上にLGBTへの認識はその性を自身の手に戻すということでしかない。そこには社会的なカテゴリーも制約も存在しない、そこにあるのは人権の基礎にあるアイデンティティーの尊重である。

何故に軽微な身体的な接触などが親告罪であってその基本は民事的な問題であるか。なぜならば何ものも肉体的な制約を受けるべきではなく、社会的にもそこに抵抗権が認められているということに過ぎない。自身の身体を社会的な制約の中に置くということが誤りだからこそ上の様な商業的な性の価値が合法的に築かれているのである。

日本では全てが為政者によって制限されることを殆どの市民が望んでいるようで、こうして恐らく八割以上の日本の市民は基本的な人権には無関係に生活しているのである。そういう素朴な市民が民主主義的な社会を構築するのはとても難しい。

日曜日の夜半にNHKで放送される復活祭での「影の無い女」の性は百年以上前の欧州でのその扱いであった。要するに古い社会的な概念でのそれが世界大戦での人口減少問題と堕胎でのせめぎ合って揺るぎ、どうしてもその社会的なそしてそのモラルをもう一度考えざるを得なかった背景がある。

そうした背景を今日の我々が改めて私達の問題として受け留められない事には、こうした大掛かりな制作を多大な資金と労力をかけて再創造していく価値などはないのである。百年以上前の楽劇という舞台音楽作品を上演する価値があるのかないのかはそのもの私達聴衆に何を働きかけるかどうかのみに掛っている。我々の身体の制約に抗う契機にならないようでは上演するにあたらない。



参照:
LGBT的多様性の色合い 2023-08-03 | 雑感
記憶に残る三月の前半 2023-03-12 | 女
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重なり感がないこと

2023-08-19 | 生活
序に購入したパジャマが届いた。早速袖を通し脚も入れてみた。以前よりも大きな感じがするのは、縫製がゆったりしている事と小さめに慣れてしまっていることの両方だろう。勿論袖と足首の締めがなければ長過ぎて使い辛い。XL56の182cm向けとなっていて、もう一つ上のXXL56が183cm、更に上は185cmが上限となっている。56の着用の記憶はあるようなのだが、何をするにも長過ぎた。

生地のシングルジャージがセカンドブランドにしてはいい感じで全く文句はなく、洗濯後の伸びだけが気になる。足首も写真の様に大き目に開けてあって、洗濯で緩んで来たら考えればよい。綿であるから少し縮むとは思うが分からない。絶対に伸びてダラダラしてくるのは襟元だけで、それは厳寒には不利になる。出来れば秋口などに浴衣風に寛ぎたい寝巻である。兎に角価格が29ユーロということで文句のつけようがない。

「英雄の生涯」の名録音を聴く。手元にはショルティ指揮ヴィーナーフィルハーモニカーの1978年の録音である。当時のヴィーナーフィルハーモニカーがよくやっていて、ソロは二十歳代のライナー・キュッヒルが弾いている。技術的には冴えているのだが、あまり何も語らないのは、ショルティ指揮の演奏と相似である。フレーズをしっかりと出して音節をはっきりさせることで、この曲の魅力であるカスケード状の重なり感に欠け、歌えば歌うほど無意味になる傾向が強い。ショルティ―指揮が不必要にまで音化するといわれるそのもので、同デッカレーベルではオペラ名録音も沢山残しているのだが、そこ迄の音楽的な印象が残らない。

現在の関心事は、来週末に迫ったベルリナーフィルハーモニカーのシーズン初日において、これまで復活祭で二回ほど本番練習したこの曲の演奏がどうなるのか、そして前半のレーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」とどの様に組み合わされて一夜の祝祭的なプログラムとして完成するのかである。

レーガーの曲は比較的短く、「英雄の生涯」も40分少々の曲であるから、両方合わせても70数分しか掛からない。ペトレンコ指揮で今迄で最も短いプログラムであろう。その様なこともあり何処迄集中した演奏になるのかどうか。

復活祭の感じでは確かにパウリーナの音楽は語るのでそれなりの充実度が期待されるのだが、それ以上に大きな若しくは釣り合いの取れたヒーローの物語が語られるのかどうか。

なるほど前半のレーガーの曲では徹底的に対位法的な発展の絡み合いから多くの事が生じそうなのであるが、こちらはまだお勉強しないとその可能性がよく見えない。

再び本格的な夏空が戻って来た。来週末までは暑い日々となりそうで、それが終われば本格的な秋になるだろう。吹く風に落ち葉が俟ったりしているのでここに来ての暑さは残暑でしかない。しかし、7月には胃腸の調子も崩していて、例年よりも関節などにも疲れ感があって夏バテ感がある。あまり冷たいものには手を出さずに一挙に秋に備えたい。

夏休み明けの洗濯屋に7月のシャツを出しておいた。9月は続けての旅行が重なるので、予備がないと困ることがあるかもしれないので、来週には回収する予定である。



参照:
独音楽正統的継続の英雄 2023-08-18 | 雑感
彫塑の必要な若者様式 2023-04-17 | 音
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独音楽正統的継承の英雄

2023-08-18 | 雑感
車のトランクの救急箱を見た。朝走る前に気になっていた「賞味期限」を確認。案の定6月で切れていた。勿論夏を越えたら使えなくなるわけではないが、救急箱は義務であって、切れていたら罰金を取られる筈だ。場合によれば減点となる。もし事故が起こって包帯が解けて出血死となれば責任が圧し掛かる。それによっての刑事責任というよりも民事で餌食となる材料を与える。

だから遵法精神で運行責任を負わなければいけない。ほろ酔いで酒気帯び運転などは罪はない。しかし何かが起これば保険金が払われなくなることを覚悟しなければいけない。少々の金でそうしたリスクを避けられるならば大変な費用対効果である。

早速アマゾンで発注した。中はまだ開けてもいないが、同じものを発注した。数十セント値上がりしているが、七ユーロ程度のもので来週明けに届けばその間二回程しかそれも数キロしか走行しない。粗リスクはない。なによりも再来週のルツェルン行きの国境超えの準備となる。

週末まで待たないと確信は持てないが、7月に走り回った時の交通違反の可能性は薄くなってきている。特にプフォルツハイム周辺の迂回路を走った時には道が分からずにやばかったのである。既に7月9日からも五週間を経過しているので、通常は御免であるが、抑々スピード違反をしているかどうか分からない所では皆目見当もつかない。彷徨してしまったところが気になるだけである。

レーガー作曲「モーツァルトの主題による変奏曲」の周辺事情が興味深い。先ずレーガ―がこの曲を作曲したのはマイニンゲンの宮廷劇場の音楽監督の時で、それ以前のバッハからブラームスへと引き継がれたドイツ音楽の伝統の発展がその対位法的な発展の創作の原点にあった。

勿論ドイツの音楽語法の代表としてベートーヴェンの創作からの発展があって、それに対峙したのがブラームスであり、最後の交響曲四番において対位法的な発展がその内容となっている。その第四交響曲がマイニンゲンのハンスフォンビューローの下で準備されて作曲家の指揮の下で、既に21歳のリヒャルト・シュトラウスの手に渡る1885年に初演された。若き作曲家を引き継いだのがその校訂で再び口に上るシュタインバッハ、それらを1911年に引き継いだのがマックス・レーガーであった。

その主題とその発展の目的から、飽く迄も透き通り軽やかな管弦楽手法を理想としたことは想像に難くない。シュタインバッハのブラームスで語られた事とも全く矛盾していない。オルガン的な音響は忌まわれたとなる。

シーズン前にキリル・ペトレンコが語ったことを思い出したい。何故既に三分の一が成就されたその新たな音響が必要であり、どのような方向へと導かれていくのか?そして今回の夏のツアーのプログラム、そして11月に定期で新たに採り上げられるブラームスの交響曲四番。

フォンビューロらを継いでマイニンゲンそしてベルリンのシェフとなったペトレンコ、その「英雄の生涯」は、まさしくカラヤンが目した十八番であった。そして全くそれを完膚無きまでに塗り替えてしまうだろうドイツ音楽の正統的な継承者としての生涯への宣言であったのだ。



参照:
終身指揮者ペトレンコの意志 2023-06-17 | 音
ハルマゲドンの巨匠現る 2023-08-13 | 音
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