Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年11月

2021-11-30 | Weblog-Index


 
殿を務めるは 2021-11-30 | 音
価値のない2Gプラス規制 2021-11-29 | アウトドーア・環境
回顧される幸福の痛さ 2021-11-28 | 文化一般
持続性ある文化政策に 2021-11-27 | 文化一般
均衡とその逸脱から 2021-11-26 | 音
寒さ疲れが出てくる頃 2021-11-26 | 生活
独墺交響楽の響き 2021-11-25 | 音
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
コロナ禍が齎した均質性 2021-11-23 | 音
黒い森の教育程度の低さ 2021-11-22 | 文化一般
どのように転んでも無関心 2021-11-21 | アウトドーア・環境
ペトレンコ指揮の練習風景 2021-11-20 | 音
音楽祭の新機軸を目指す 2021-11-19 | 文化一般
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
濃淡が必要ない電光石火 2021-11-17 | マスメディア批評
言葉不要の高度な表現 2021-11-16 | 音
本物のチャイコフスキー 2021-11-15 | マスメディア批評
白髪のマゼッパのこい 2021-11-14 | 音
スーパーオペラへ熱い思い 2021-11-13 | 文化一般
初めてのコロナ検問 2021-11-12 | 生活
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
スーパーオペラへの道程 2021-11-10 | 文化一般
ムルク谷へと降りて行った 2021-11-09 | アウトドーア・環境
ロマンティックな芸術の意 2021-11-08 | 文化一般
バーデンバーデン初日前夜 2021-11-06 | 文化一般
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評
ロマンティックな再開 2021-11-03 | 音
響きそうなアルテオパー 2021-11-02 | 音
エンゲルが降りてきた 2021-11-01 | 音

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殿を務めるは

2021-11-30 | 
(承前)プログラム休憩後最後に演奏されたのはブラームス弦楽四重奏曲ハ短調である。いつものように一番にはとても力が入っていて、作曲家の友人で宮廷歯科医のビルロート博士はこの曲をして、最初に勉強して四手で弾いておかないとその美しさを見失うと書いている。そのように詰め込み過ぎ感の強い創作となっている。

そうなるとそしてその書式から四艇の楽器が織りなす和声もどうしても分厚くなって、まともに鳴らそうとすると太いチェロの胴音が響きと、到底瀟洒からは程遠い演奏にしかならない。それでもミュンヘン郊外のシュタルンベルク湖畔トュツィンゲンで初演されてから好評だったようで、恐らく四重奏の演奏方法やその会場の大きさなどの相違が余計に演奏を難しくしているのではないかと想像される。

それは今回演奏したベルチャ四重奏団においても決して容易な課題ではなくて、スタイルが注目されることになった。既に言及したようにアンサムブルのあり方に大きく挑戦していて、この曲においても従来ならば聞こえるか聞こえないかのような副声部の寄り添い方が尋常ではなかった。誰が聞いていてもその声部が外されることで和声に穴が開くのは分かる筈なのだが、逆にその声部をしっかりと認識できないのが通常の演奏であり、もし声部を強く押し出すと分厚くなるばかりなのである。ビルロート博士が指摘したこの曲の難しさそのものである。

その観点からの歌いこみや合わせ方、同時に一昨年前までならばどんどんと歌いこんで行った第一ヴァイオリンのベルチャの抑え方が音楽的にもツボに入っていて、第二ヴァイオリンとヴィオラとの絡みが見事で、これは彼のアルバンベルク四重奏団も出来なかった合わせ方であった。なるほどそのイントネーションがやや東欧的であり、最初のモーツァルトでも感じさせた嘗てのスメタナ四重奏団のような若干角の落ちたアーティキュレーションは気が付いた。それによって評価しない向きがあっても仕方がないと思うのだが、しかし合奏芸術として行っているその芸術価値には脱帽である。こうした行いが弦楽四重奏である所以だ。

そのような塩梅で人数の割に激しい拍手があり乍らも、もう一人の盛んな拍手が若干弱っていた様なのも、そのブラームスへの見識だったのだろう。その意味からも、この楽曲の演奏実践の難しさへの克服として、個人的には喝采を惜しむものではなかった。四重奏団のコリーナ・ベルチャなども平素はそこまで満足そうな顔は見せないのだが、こちらの拍手に成したと確信を持てたのではなかろうか。

なにもこちらもいい加減な思い込みでこうした見解を綴っているのではない。その証拠にアンコールでシマノフスキ―の弦楽四重奏曲1番ハ長調二楽章の演奏が、そこに更なる幻想的なから絡みをする曲で、例えば新ヴィーン楽派ともフランスのそれとも異なる独自な音響を示していた。まさしくショスタコーヴィッチの曲とも対にはなるのだが、シマノフスキ―においては真髄な追及であって、ショスタコーヴィッチのようなポストモダニズムにはないだろう。

いずれにしてもこの四重曲全曲を含むプログラムがあれば再び馳せ参じなければいけないと思った。見事なプログラミングと演奏で、その他の趣味の相違を完全に乗り越えていた。最後尾から惜しみない拍手を送った。(終わり)



参照:
光と影のミスティック劇 2019-06-11 | 文化一般
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
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価値のない2Gプラス規制

2021-11-29 | アウトドーア・環境
土曜日は午後に晴れたが寒かった。だから頂上往復を断念した。つまり、ジャガイモなどを摂って、日曜日に備えた。それでも午後から小雨となると確信が持てない。日没4時30分に合わせて遅くとも3時には決断していなければいけない。

結局小雨の中をショーツと手袋で走った。それでも上から降りてくるハイカーなど数件にあった。こちらからすると寒い時にもの好きだと思うのだが、向こうからすれば気が狂っているとしか思われない。我ながらここまでの動機付けはと思わざるを得ない。摂氏2、3度は矢張り寒い。

週が明けると時間もあるのだが天候も余計に雪模様になる。小雨なら雪の方がいいとも思うが、足元が滑ると上るのが苦しい。またパンツを履くようになると余計に厳しくなる。そこで先ず済ましておいた。なぜか下りの体の動きがよくて、腰が張って固くなるようなことがなく、最高速度も時速10kmを超えていた。しかしピッチが212まで上がっているのは計測間違いだと思う。180も出ていないだろう。

頂上領域には倒木に白いものが乗っていたりしたが、足元はそれ程ぬかっていなかったので霜柱などはまだ降りていない。

実は前夜にボルドーの1998年物をあけて体温調整が上手く行かずにヒータをつけて就寝、明け方魘されて起きた。矢張り寝室の温度が高いと熟睡が叶わない。ショック療法的な意味合いもあった。

オミクロンがフランクフルトやミュンヘンの空港経由で見つかったことから、週末に状況が変わった。週明けに完全ロックダウンを3週間以上の可能性も出てきた。また各地で2Gプラスになったことから、専門家からその価値に疑問が呈された。皆が確信していたことでもある。

諸悪の根源は辞める同性愛保健相が接種を促進するために脅し、そして今も未接種者は来年一年間も外出が制約されると吠えている、そうしたポピュリズムにあった。典型的な同性愛者特有の不条理さがドイツの施策を大きく狂わせた。

要するに接種者にはロックダウンが出来なくなって、それでも制御するための2G 規制であり、感染予防に寄与しないハードルを拵えているに等しい。同時にも催し物にはあきれた聴衆がそっぽを向いても返金せずに更に補償もいないというまるで日本政府のような施策となってしまった。

もうこうなれば医療崩壊へと拍車をかけるかそれともロックダウンのどちらしか選択は無くなってきている。

土曜日のフランクフルトのオペラの為に当日の無料抗原検査を予約した。この後どうなるかは分からないが、キャンセルがない限り出かける。しかし翌日までの検査をして翌日もという可能性は少なくなってきた。全てがキャンセルになることを望んでいる。

大統領がお願いベースで接触を控えろと語っても駄目である。この待降節に控える人などは殆どいないのではなかろうか。新政府はの船出は大嵐ではなかろうか。



参照:
寒さ疲れが出てくる頃 2021-11-26 | 生活
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
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回顧される幸福の痛さ

2021-11-28 | 文化一般
承前)ベルリンでの「マゼッパ」演奏に先駆けての指揮者キリル・ペトレンコとクラスティング氏のインタヴューを観た。後半は、「マゼッパ」公演の意味を「スペードの女王」に繋ぐようになっていて、来年の復活祭への意気込みを示すことになって、我々に可能な限りのことはしようと思わせる。

それ以前にチャイコフスキーにおける表現の主体が女性に置かれていて、それが彼自身の母親と重ねられているというのも重要だと思う。勿論ここでは一切そのフロファイルの様なことは語られず、主人公マゼッパへの作曲家の投影にしても音楽的にその心情がよく伺われるとして、指揮者は音楽によって語るという範疇を逸脱していない。こうした姿勢とそれが可能な芸術家というのは本当に尊敬に値するのである ― 勿論ミュンヘンの後任音楽監督はそれをとても巧妙に言葉にして準備しておくのであるが。

序曲においても抒情的な部分において若き日のマゼッパが描かれていて、有名な裸馬に仰向けに縛られて走らされる伝説的な絵画の若い美男子そこに見るとしていて、また情景として構成されている花環を捧げる娘の歌とかの民謡的要素も実はコメントとして機能していると説明される。

そこで言及されている、上の主役マゼッパのキャラクターにしても決してその心情を疑わせない真に迫った表現であると共に、白黒をつけた劇場的な意味づけとはなっていないという事だ。即ち、狂った女をそこに見捨てるマゼッパは極悪人かと問われる?

これは、以前ショパンのファンタジーポロネーズについてロマン派のお話しとまたは後期ロマン派のフランクなどの構造についてのお話しをここに当てはめる。つまりチャイコフスキーにおいては、マーラーの交響曲の例えば「復活」に於ける様な明確なメロドラマ、つまり展開の正反対へのダイナミックスを交差して現れるような劇性ではなくて、現実の人間心理がそうであるように、なかなか解決されない不条理というものがそこで描かれるという事になる。ロシア文学なのだろう。

インタヴューをしているクラスティング氏の絶賛されている文章に戻ると、チャイコフスキーが友人らに語っていた言葉が載っている。

「苦悩の時に、幸福を回顧する以上の苦しみはない」

「マゼッパ」初演後にフィナーレを、本来のプーシキンにおけるオフィーリアの様に入水するものから、幼馴染のアンドレイが虫の息にあるときに子守歌を歌ってあげるという風に差し替えたとある。それによって、マリアはファウスト博士とグレートヒェンとの関係になって、公に出来なかった作曲家自らが求めていた成就しない救いがそこにあったとしてその文章を終えている。(続く)



参照:
忘却とは忘れる事なり 2019-05-14 | 音
交響する満載の知的芸術性 2013-04-03 | 音
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持続性ある文化政策に

2021-11-27 | 文化一般
連立政権の閣僚ポストが出てきた。注目されるのは98年からある文化大臣である。誰もが予想していなかったクラウディア・ロート元緑の党の代表である。バイロイト音楽祭での派手なパフォーマンスなどが印象に残っているのだが、既に代議士を辞めていたことから驚きをもって迎えられている。

最近では2017年の新制作「マイスタージンガー」のバリーコスキー演出に感激していて、スェーデン王夫妻やバイエルン王家当主などとの親交を暖めたようである。兎に角声が大きい、だから前任者のグリュッタース大臣とはまた違って話題になるだろうと予想される。

前任者は無名の代議士であったのだが大臣になって、殆ど直感的に積極的に発言をしたことで、一部には当然ながら反発もあったのだが反面大きな成果もあった。しかし後任者は政治家としてある意味大物で元人気政治家である。要するに甚だ声が大きい。

先ずは様子を見ることになるのだが、緑の党が外交と文化を担うことでより積極的に文化使節を派遣することになると思う。筆頭には来年上海ツアーを行うベルリナーフィルハーモニカーがいて、そのプログラム自体が可也棘のあるものになる予定であるが、外務当局がよりサポートする形になるのではなかろうか。

他方前任者によって圧力が掛かっていたバイロイト音楽祭へは違う形で圧力が掛かるのかもしれない。前任者の時の様に僭越な干渉がない代わりにもっと厳しい態度に出る可能性が予想される。

安売りで購入したココナッツの乾燥品が素晴らしい。ガーナでの自立プロジェクトの様で、ヤシの実を取って来て、洗って、切って、その外実を燃やして中身を乾燥して、袋詰めにするだけの商品らしい。

2012年からのプロジェクトで千人以上の職場を作り、千件の農家から一年を通して供給される原料。それによって家庭の基礎収入が得られるという。更に従業員や輸送関係者には無料食事処が準備されていて、学童前の子供達には施設があり、更なる職業教育期間が用意されているという。

ここにはヤシの実の持続性に関しては触れられていないが、ガーナ政府がやっているに違いない。110グラム入りで、1.99ユーロだった。もっと買い込んでおくべきだった。如何にも健康そうなもので、ココナッツの甘味だけでそれ以上には要らない。



参照:
音楽監督ティーレマンの去就 2020-12-29 | マスメディア批評
持続可能なフェアーな態度 2013-09-16 | アウトドーア・環境
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均衡とその逸脱から

2021-11-26 | 
承前)弦楽四重奏の均質性からその均衡が破られる。ショスタコーヴィッチの14番は書法自体がチェロに捧げられている通り、楽器間の対峙が基本コンセプトになっている。

最初と最後の四重奏曲以外を初演したベートーヴェン四重奏団のチェロ奏者に捧げられていて、既に13番を捧げたヴィオラ奏者は亡くなって、12番を捧げた第一ヴァイオリン奏者との掛け合いなどが扱われている。

14番は初演当時から名曲とされていて、70年代中盤には盛んにNHKでも流されていた。だから個人的にはショスターコヴィッチの曲では最も馴染みがあり、息子のマキシムが振る交響曲15番などと共に、よく耳に入った。しかし生で聴くのはチルギリアン四重奏団の演奏でエディンバラの演奏会で聴いたかどうかで、今回の様に楽譜に目を通してからというの初めてだった。

如何に四重奏者の四人の中での死者と対話をしているようなところが独特で、余りそのようなコンセプトの曲は他に浮かばない。要するに、均質に演奏どころか、あちらとこちらの違う世界で呼応している様な趣なのである。

当夜のプログラム冊子には献呈されたチェロ奏者の名前から「マクベス夫人」のアレクセイに呼びかける歌詞が書き込まれているとある。今シーズンは、ミュンヘンでの「鼻」での第8四重奏曲の挿入があり、そのDSCHの動機、更に交響曲10番におけるその動機、そしてここに至る。よく分かるのは、どの作曲家にも通じるのだが、音楽劇作品での劇的な意味合いなどが純粋な器楽曲においてどのように活かされているかということである。この作曲家にとっても劇作品が大きな意味合いを持っていたことがよくわかる。即ち純音楽性が強調されるところに劇性がとなっている。

今回は当時頻繁に流されていた初演のベートーヴェン四重奏団の録音は聴けていないのだが、非常に高い次元での音楽表現がなされていて、そのコンセプトでもあるテーゼの均衡とそのアンチテーゼの逸脱の表現をどのように扱うかにあった。とても感動的だった演奏であったのも語るまでもない。

ショスタコーヴィッチには限らないのだが、ポストモダーンなコンセプトの楽曲においてどのような表現を成しえるかでのとても良い例となっている。例えばペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが第十交響曲を再演していくときに何が求められて要るかにも通じる表現のありかただ。なぜあの楽曲でダイシンがコンツェルトマイスターを務めているかの理由でもあろう。

まさしくこの曲が、作曲家を死の一年前の1974年春に訪問したクリシュトフ・マイヤーに作曲家が語った二曲のうちの一曲であり、未出版の楽譜として見せられたとある。そして「カルテットはトリオよりも作曲が簡単」とする有名な言葉が出てくる。またマーラーの交響曲10番、大地の歌への言及があったという訪問の時の証言であった。

この曲のアダージョ葬送での12回の繰り返しやマーラー九番でのそれを考えると、死が忍び寄る当時の作曲家の思索の一端に触れるような気もする。

まさしくこのベルチャ四重奏団が恐らくこの一年以上を掛けて成してきたことのその反映がプログラムとして完成していたことにもなる。(続く



参照:
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
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寒さ疲れが出てくる頃

2021-11-25 | 生活
夜更けまで片づけものをしていた。大晦日にも近いが、その前にという事だ。窓拭きも秋の終わりに終えているので、大掃除も待降節前に済ませる。

篭り部屋の床に散らかっていたのは、このコロナ禍中のキャンセルの山の資料とそのシーズンのそれまでの資料だった。片づけるにも片づけられなかった資料である。そしてコロナ禍を記念するいくつかの資料と共に整理が出来た。幻の公演になったものが沢山ある。今後はその手のものも無くなるので片づけられる。

それでも一挙に3G体制から2Gプラスになって、接種者にも抗原検査が必要になった。再び無料で可能になったのだが、その場所に行かなければいけない。外で並ぶのも寒い。すると自主休演というのもあり得る。少々頭が痛い。払い戻しができない。

お勤めで日没前に30分ほど走った。流石にショーツでは寒かった。ジジババグループが遠くからホントかよと言っていた様だったが、手袋がないと本当に寒かった。因みに陽射しがあったが、摂氏5度ぐらいだった。おかげでやはり疲れる。ここ最近の徐々の体重低下もそれが効いていると思う。

これだけ走っていると、土曜日にも何度もお声が掛かった。皆、敬服という。確かに千日回行の様に走り慣れてしまっている。その分、大したもんだといわれると、ゆっくりで全然駄目というしかない。本当に足取りが早くならない。

先日自宅で初めてアンコウを食した。スーパーの安売りで尾のところを購入した。魚は嫌いではないが残りなどが匂うので好き好んで調理はしない。しかし、これは余りにも単純に骨のままグリルして残りもブイヤベースをとれたので全く問題がなかった。白魚のコツは時間をおいてマリネ―することだと分かった。レストランで食するときは頭の方でこれはあまり記憶がない。なによりも白ワインに最高で、それも料理酒のシャルドネ―で十分だった。マリネをプロヴァンス風にしたからでもある。因みにゼートイフェル、海の悪魔である。

確かにぶっとい尻も爬虫類的でもあり、骨太で海で遭遇するのも嫌である。原始生物の名残が強そうで、余りその生態も知りたいとは思わないが、海底20メートルから千メートルに生息というからそのもの深海魚である。でもお味はバター風味でありながら上品。鍋も出来たのか?でも価格が合わないだろう。



参照:
ぼちぼち始めたいお勉強 2021-10-17 | 生活
今冬一番の冷えに備えた 2021-11-24 | アウトドーア・環境
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独墺交響楽の響き

2021-11-24 | 
承前)東京でも演奏される予定だったプログラムの前半はメンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲。この曲はキリル・ペトレンコは2016年4月のヴィーンのニコライコンツェルトで定期公演デビューした時に「大地の歌」の前に演奏され、放送された。更にコロナ期間中にも夏のツアープログラムに第一交響曲も指揮した。

メンデルスゾーンの作曲はドイツ音楽の中心にあるものでナチ政権下に消え去られようとしていた伝統であった。どうしてもペトレンコにはそのルネッサンスを期待したくなる所以である。

今回は公開練習で予定されていたので特別にダリウス・シマンスキーがレクチャーをした。その内容がまた面白かった。つまりこの曲における作りに興味が向かう。要するに語り口調が其の儘音楽になっていて、古城の風景へと「彼の時に」との語りかけから始めるというのである。交響曲にそうした物語を持ち込む形やスコッチの其の儘使うリズム、そして同様にその伝統が移されたドヴォルザーク「新世界」で使われていることと同時に、やはり重要なのは弦と木管との関係。

管弦楽においては、木管こそが音色を制する楽器であり、それがどのように弦と混ざるか、それによって管弦楽の音色が決まる。その観点においてはこの曲の序章からの運びはとても重要な例となる。謂わば19世紀の管弦楽の大きな流れの重要な創作ともなっていて、ブラームスはこの交響曲を研究していて、この創作がなければブラームスの創作もなかったという事になる。即ち独墺音楽のメインストリーム以外の何ものでもない。

さて、そうした視点からすると、ペトレンコ指揮のパユを中心としたベルリナーフィルハーモニカーの試みはまだ完成しているとは言えない。木管楽器陣は各々が顔を合わせながら合わせているのであるが、ペトレンコ指揮のある意味点描的なリズム的正確さの中でどのように木管そして弦楽を合わせられるか、とても大きな課題となっている。

上の点に期待していた聴衆には結果は十分に満足出来るものではなかったかもしれないのだが、恐らくこれが最大の課題であって、とても大きな期待に繋がる。ここ数年そうした比較も含めて最も素晴らしく木管群が完璧な純音程で音色を作っているのはファゴットを中心としたフィラデルフィアの管弦楽団であることを確認している。既に弦楽陣の表現力では世界の頂点に掛かっているベルリナーフィルハーモニカーであるのだ。

後半のショスタコーヴィッチにおいても嘗てのカラヤンサウンドのそれとの比較においてもとてもよく鳴り切る楽団になっていて、ここ二三年で完成へと近づく勢いである。コロナ禍によってその工程が危ぶまれた時期もあったが、どうも肯定的な面があったとするのが共通した見解になりつつある。

極東、東京公演は生憎中止になったのだが、その代わりにバーデンバーデンからスカンディナヴィア公演、ハムブルクを挟んでそしてローマ公演と数回の公演を繰り返した。その結果は知らない。しかし、来年の夏のショスタコーヴィッチ曲の再演も含めて、大きな発展がここで観察される筈だ。(続く



参照:
ビッグファイヴの四つ目 2018-05-28 | 文化一般
そろそろの潮目時 2021-10-21 | 暦
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今冬一番の冷えに備えた

2021-11-24 | アウトドーア・環境
未接種者は既に多くの地域で社会生活から除外された。所謂ロックダウンである。そして接種者にも影響が少しづつ出て来そうである。一週間の入院指数が十万人当たり3人を超えるとアラーム発動で未接種者ロックダウンの2G、6人を超えると接種者も室内で寄るときは抗原検査陰性の必要な2Gプラスとなる。すると既に購入してある催し物の前に検査を受けなければ入場不可となる。再び鼻消毒などが必要になる。もうそれならば興行を中止して欲しい。検査を受けて万が一のリスクは負いたくないのである。

Hospitalisierungsrate
Brandenburg: 3,63
Berlin: 3,19
Baden-Württemberg: 5,84
Bayern: 9,5
Bremen: 5,88
Hessen: 4,48
Hamburg: 1,94
Mecklenburg-Vorpommern: 7,33
Niedersachsen: 2,59
Nordrhein-Westfalen: 4,22
Rheinland-Pfalz: 3,54
Schleswig-Holstein: 4,12
Saarland: 3,05
Sachsen: 4,36
Sachsen-Anhalt: 11,74
Thüringen: 18,35

一方、完全ロックダウンに入ったオーストリアは既に数値が落ちているので効果てきめんの様である。ドイツも既に転換期が来ているようでもあるので、ここらあたりで減少すると助かる。

この冬一番の冷えとなった。摂氏零下となる予想だったので先ずはガレージに入っている車に不凍液原液を流しいれた。ピュア―で70度までだから、5リットルの容器に全部を開けて、注ぎ足して満杯にした。零下数度まではもつと思うので、厳寒地に行かない限り何とかなるだろう。

暖房もここぞと早めにガスを抜いてお湯を通しておく。寝室も暖めておいて、能力が落ちる零時前にベットに入るときに完全にお湯を切って就寝した。朝までそれ程の寒さを感じることなく熟睡して早めに目が覚めた。備えた甲斐があった。

そして予測通りの放射冷却の朝日が強かったので、階下の仕事机に移る前に、暖房をつけて部屋を暖めておいた、陽射しが書き机に差し掛かるころには気持ちよく仕事が出来た。今週来週と先十日程は太陽を見ない生活になりそうなのでなによりもの恵みだった。これで幾らかは生気を貯めた。



参照:
どのように転んでも無関心 2021-11-21 | アウトドーア・環境
初めてのコロナ検問 2021-11-12 | 生活
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コロナ禍が齎した均質性

2021-11-23 | 
ベルチャ四重奏団の演奏会、最後に聴いたのは一年少し前のシュヴェツィンゲンの演奏会だった。初めて聴いたのがその六月のドルトムントでのエベーヌ四重奏団とのジョイント連続演奏会だった。双方ともについて書き留めている。

そして今回三度目の機会を得た。興味は、モーツァルトの所謂プロイセンセットとされるチェロを弾いていた王のためのヘ長調K.590にショスタコーヴィッチ14番嬰ヘ長調、休憩後にブラームスの一番ハ短調のプログラムであった。ショスタコーヴィッチの15番は昨年のメドレーで二楽章を聴いていたので悪くないだろうと思っていた。

出かける前にも意識していたのは楽器毎の作曲意思で一曲目は明らか、二曲目も二人も奏者を亡くしていたベートーヴェン四重奏団のチェロ奏者に捧げられている。それと三曲目のブラームスがどのように結びつくのかと考えさせられるだけで総合コンセプトになっていたことを当夜のプログラム冊子となによりもその演奏で明白にしていた。

コロナ禍中に二回も聴いてそして三回目を聴けば、その意味があまりにも明らかだった。この間も休むことなく活動を続けていた様であるが、矢張りそれでも海外旅行はなく、より合わせる時間は多かった筈である。モーツァルトから明らかに合奏が変わっていた。最初は新たに入った第二ヴァイオリンがいいところを見せられなかったのだが、今やとてもいい仕事をしていて、ヴィオラが無理にでも支える必要が無くなってきていた。そしてそれゆえに突出していた第一ヴァイオリンのベルチャが均質的な音を出すようになってきていて、明らかに昨年までとは変わっていた。要するにエベーヌに負けないほどの均質な合奏が出来るようになっていた。コロナでの日程がなければならなかったものではなかろうか。

冊子には弦楽四重奏曲の成り立ちとその始めに均質性があったとして、それを不均等にすることが、上の前半の曲においてはテーマになっているとも読める。モーツァルトが依頼主の技量に合わせつつおいしいところを用意しているというのはよく知られていることでもあるが、チェロを動かすためにはヴィオラが支えるようにもなっている。兎に角書法が人気のハイドンセットなどのよりも面白い、反面どうしてもその中低音部の扱い方によっても音響として抜け切らないので、それこそチェロでも自身で弾いていない限り、ややだるい印象を持たされているのがプロシアセットではなかろうか。要するに、既にジャンルの発展の中ではここでのチェロと第一ヴァイオリンが中声部に対抗するような作曲は退行しているというコメントともなる。

それを見事なまでに均質にアクセント付けなどをするものだから、出かける前に資料としていたアマデウス四重奏団のような独特な歌いまわしをベルチャからは聴けなかった。それだけ合奏を変えてきていた。その分、フィナーレの舞曲風のノリには第二ヴァイオリンやヴィオラなどが前に出てくる感じになる。もしこのモーツァルトを批判するとすればアーティキュレーションのつけ方とかであるだろうか。(続く



参照:
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
アラテデスコの響き 2020-06-25 | 音
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黒い森の教育程度の低さ

2021-11-22 | 文化一般
ワイン街道を15時に出た。アウトバーンへのバイパス乗り継ぎ箇所が工事中の為に二つ先の乗り口まで走った。途中に銀行があるのでそこに立ち寄って現金を下ろした。バーデンバーデンの祝祭劇場の駐車料金やプログラムその他を買う為だ。先日散髪したので10ユーロ少ししか財布に残っていなかったからだ。

結局トルテとエスプレッソに更にコーヒーで12ユーロ程、更にプログラムと駐車で9ユーロ、入場券の11ユーロの倍ほどになった。更に売れ行きが悪かったので電話で連絡があったように、平土間に席替えになった。メールが入っていなかったのでそこで直接交換した。座ったこともないような屋根の下の最奥の席で、少なくとも視界だけはよく効いた。

音響は会場の残響を楽しむことはできないのだが、少なくとも直接音はしっかりと飛んできた。とても分析的な視聴となった。その事後に目を通したプログラム冊子と演奏会の内容共に素晴らしいもので、それは改めるとして、それ以外にもメモをする必要があった。

祝祭劇場にしっかりと苦情をすることになった。先日の「マゼッパ」の時にも気が付いたのだが、この祝祭劇場で音楽の享受を邪魔するのは空咳でも話し声でも飴の袋の音でも携帯電話のそれでも光でもない。なんと、会場案内人が闊歩してドアを開け閉めする騒音である。これは今後のことを考えるともはや看過できない。

一曲目のモーツァルトのアンダンテで舞台脇ドアの横の腰かけから最後尾まで歩いてドアを荒っぽく占めるおばさんは教育期間一週間は必要であろう。更に後半のブラームスのアレグロで遅れた人を横から入れさす無神経さ。更にアンコールでドアを開けて出ていく会場係員。もう許されないだろう。

私などプロは大抵の音をノイズキャンセルする能力があって、ドア際に座っていなければ気にならないだろう。しかしこれはやはり注意すれば避けれることであって無用の騒音や光である。少なくとも演奏者は気が付く。矢張り許せない。今後世紀の演奏がなされて録画されるときに、編集されなければいけないのが会場係員の立てた騒音だとすれば、なんてことだ。

成程地元のおばさんにそこまで教育する余裕も組織もなかったのだろう。そして今までの興行師のおやじが支配人をしていた時のパーソナルも生きているに違いない。継がれるのは程度の低い係員教育である。

しかしこれからは、ミュンヘンやヴィーンから観光承招致して、世界に問うときにこれは許されない。今回は嫌がられてもいいので厳しくし指摘したいと思う。こうしたことの小さな積み重ねでしか音楽祭の質は上がらない。

ユネスコとの世界遺産のバーデンバーデンのイメージとそれをどんなふうに演出していてもこれでは駄目なのだ。結局シュヴァルツヴァルトの文化程度が低いという事になりかねないのである。



参照:
どのように転んでも無関心 2021-11-21 | アウトドーア・環境
ペトレンコ指揮の練習風景 2021-11-20 | 音
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どのように転んでも無関心

2021-11-21 | アウトドーア・環境
ミュンヘンは状況が悪くなってきているようだ。陽性者数が増えるのは構わないのだが、ICUが逼迫してきている様である。既にトリアージの準備を始めているというからドイツ初めての医療崩壊となる。原因はよく分からないが、バイエルンとザクセンなど東部が悪くなってきているのは気象状況など大陸性のそれがコロナ感染を広げている感じがする。

それを受けてミュンヘンの歌劇場は24日水曜日から来月15にまでは入場者数を四分の一にして更に2G証明に更に抗原検査の陰性を課される。一度払い戻して再販売するようだが、そこまでして出かけたい人がどれぐらいいるだろうか。恐らく火曜日に無料の検査所が紹介されると思われるが、冬の寒い中でそのような検査を受ける人がいるだろうか?事実上休止ではないか。

兎も角、バイエルン州は世界で最も高品質のマスクを義務化した地区であって、その有効性は今でも続いている筈なので、マスクが感染を押さえるというような仮定は殆ど否定されるだろう。ゾーダー知事に言わせると、アルプス地域はスイスでもティロルでも協調精神による接種がされておらず国境沿いは接種率が低いという数字を出してきた。マスクの誤算誤魔化すための方便か?

それだけ感染が広がると、バイエルン放送協会の交響楽団にも陽性者が出て、就任予定のサイモン・ラトル指揮受難曲でのヴィーンでのツアーなどが中止になった。先週まで大編成でバーデンバーデンで開催されていた演奏会が無事に終わったことが夢の様である。何回も復活祭やその順延公演が中止になっていたので溜飲下がる思いである。

手元には年内の入場券が四枚残っていて、まず最初のものは日曜日に問題なく使えそうで、その後の二回のフランクフルトがどうなるか。バーデンヴュルテムベルク州はクリスマス市もバイエルンの様には閉鎖しないが、それだけ規制は厳しくなる。新連立政権に入るだろう専門家ラウテーバッハなどは、上の2G規制、即ち未接種者を排除するだけでは感染拡大は収まらないとしていて、バイエルンと同じように2Gプラスしか方法はないとしている。もしそれでクリスマス迄に収まらなければ万事休すでお手上げという。そして犠牲者を出してもすぐには終了宣言が出せないだろうとしている。要するにどこでどのように収まってくるのかどうか誰も分からないのである。

恐らく接種した大多数の人にとっては、ブースター接種をいつするかぐらいの興味で、その他のことにはあまり興味がないと思う。そもそも政治約束で現政権は医療には余裕があり接種者には二度とロックダウンはないだろう。その為に接種しろという脅しを使ったので、ここでロックダウンに従う人はもういない。もう興味がない。

よって、連立の新政権もロックダウンは言い出せない。それがSPDのラウターバッハの見解になった。脅迫紛いの施策に罰が当たるときがやってくる。



参照:
再開は容易ではあるが 2021-05-05 | 文化一般
四回目のキャンセル 2021-04-25 | 雑感
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ペトレンコ指揮の練習風景

2021-11-20 | 
(承前)改めて祝祭劇場支配人が、練習公開の意味を語っている。今回本番当日の朝一番での練習公開が急遽決まった。勿論お知らせがあれば万難を排して出かけるしかなかった。本番は大切であるが、やはりそのベルリナーフィルハーモニカーの練習風景にも興味がある。ラトル時代にも公開されていたと思われるが、キリル・ペトレンコの練習となるとまた異なる興味が湧く。

実際には友の会など本番に来ない人も来ていたようで70人定員は一杯になっていたと思う。但し一般公開という事で平土間の身近での見学ではなくて、バルコンから離れて拍手など一切ない形でのただのオブザーヴァ―でしかなかった。通常の練習を近くから見学というのとは違う。なによりも指示の細かなところが聞き取り難い。音楽が鳴ったのを想像するしかない。それも予定されていて、一時間半早起きでレクチャーまで受けたメンデルスーンバルトルディーの「スコッチ交響曲」はなくて、ショスタコーヴィッチの10番交響曲となったので、曲が十分に頭に入っていなかった。だから分からぬ講義を聞くようにメモするだけだった。それでも出来るだけ声の通りやすい席を選んで着席したので、練習番号や二言三言はメモ出来たので良かった。

それを本番までの車中でくっていたのだが、全てを再現するのは難しかった。更にそれが本番で上手く行っているところを確認すると同時にここそことチェックするまでには至らなかった。しかし当夜の演奏会は収録されていて、流されないほどの傷はなかったと思われるので改めてチェックすることになると思う。しかしそのプログラム自体もその次にはアーウスで演奏されていたので一過性の記録でしかないともいえよう。

しかし、思い思いに音出しをしていて最後の団員が入った後にいつもの普段着姿で舞台にペトレンコが表れて、急な練習曲目変更を詫びていたようだ。指揮者の意思で変更されたことが分かり、前回のベルリンでの演奏などから問題点をチェックしていたことがどうしても気になったのだろう。逆に「スコッチ」を直すには時間が掛かっても、こちらはより意向に近づけることが可能だったとしてもよい。

最初から飛び飛びで最後まで通していく手際の良さは評判通りで、箋の入っているところをめくり開ける手も恐ろしく早い。本当に数秒を無駄にしない練習風景で、楽団の方もそれに慣れていて、短い集中した時間でものにしていく合理性が更に極まってきているように思われた。

経済性を考えるとあれが出来るからこその超一流管弦楽団であって、やればやるほど効果があって、本番での一期一会の演奏会への成功への最大の近道でしかない。それが出来るのがキリル・ペトレンコであって、経済性芸術性を兼ねた唯一の指揮者という事になる。公開練習を見てそれを再確認した。

時間終了後に我々は会場を後にしなければいけなかったのだが、弦楽奏者など熱心に相談しているのを尻目に会場を後にした。ミュンヘンでも見られたその通りの光景で、こうしたことの積み重ねが阿吽の呼吸に繋がっていくのだろう。

因みに拍手に関してはペトレンコのお願いとして拍手お断りがあったので、流石に誰もそれを破る人はいない。更に舞台上で皆が私服でいるところにカメラを向ける人もいなかった。特定のグループに向けての招待という事での公開なので、その点は紳士協定がよく効いていると思った。こうした高尚な芸術文化畠でそうした前提が無くなれば、芸術家と支援者という関係も存在しない。そうした良識もないところでなんだかんだと蠢いていても芸術行為自体が全く意味のないことでしかない。(続く



参照:
音楽祭の新機軸を目指す 2021-11-19 | 文化一般
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評
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音楽祭の新機軸を目指す

2021-11-19 | 文化一般
バーデンバーデンの音楽祭プログラム発表が通信社によって伝えられている。既に概略は書いたのだが、記者会見では支配人スタムパが色々なことを語っているようだ。

興味深いのは、飛行を避けるトレンドから、滞在型のフェスティヴァルとしての長期的な構想を練っているようである。例えば三泊以上滞在してとなると幅の広いプログラムを体験とか、芸術家と聴衆が同じ場所に滞在しての形での新たな実験を挙げている。

既にコロナ後の再開において、練習に参加したり、又は芸術家と直接関係がある聴衆の熱狂に気がつくと話している。誰のことを語っているのかもはしらないが、まあ、個人的には殆ど当てはまる。傍から見ると「何かキリル・ペトレンコと顔見知りらしいよ」という事になるのかも。

だから、祝祭劇場の方もより強く聴衆と分かち合っていくという事である。言葉を替えて、芸術家を含めて全てが関与していくのを確信しているとしている。つまりこのコロナ期間に、多くの二重に支払った聴衆との時間を持って、また今後それ程夢のようなギャラでなくてもやってくる芸術家との時間を持ったというのである。

確かに「マゼッパ」最終日の聴衆のスタンディングオヴェーションにはその覚悟と確信を感じられたと思うとスタムパ支配人の心中を推していた。コロナ禍ゆえに明らかになったことも多い。少なくとも私自身も度重なるキャンセルがなければ、復活祭への意志を形としては示せなかったかもしれない。

通信社の記事を読んでもそこは伝わり、成程ベルリナーフィルハーモニカーとの金の交渉はハードであろうが、少なくともその他の条件で更なる譲歩は得られるのではなかろうか。その一つとして、来年の本プログラム以外にも室内楽プログラムも湯治者にとってもとても都合の良いプログラムが出来ていて、以前までの小遣い稼ぎの発表の場以上の雰囲気が出来てきている。やはり、それは本プログラムとの関係でのロシア音楽へのコンセプト上の集中など、演奏者にとっても聴衆にとってもの教育的な意思が感じられるからだろう。

更にシーズン年度を一月一日にしたとある。これは上手く使うとスケデュール調整にもいいのかもしれない。年八音楽祭体制をとる。

ベルリナーフィルハーモニカーで五千枚、その他クレンツィスとかヘンゲルブロックで三千枚づつ。続いて売れ行きは悪くはないというのだが、まだこれからである。



参照:
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
スーパーオペラへ熱い思い 2021-11-13 | 文化一般
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2G規制になったバーデン州

2021-11-18 | 雑感
年内の散髪を終えただろうか。もう一度来るかと言われたので、分からないというと、クリスマスプレゼントを貰った。まだ待降節ではない。今迄のインターヴァルからすれば、二月即ち新春迄は何とかなるか。よく分かっていてうなじも短くして呉れた。なによりもやりて婆でなくて、上手い人が刈ってくれたので良かった。

一度は金曜日にアポイントメントを取ったのだが、暇そうなので戻ったら直ぐにやってくれた。自宅まで接種証明書を取りに戻った。おばさんがいたのも大きな動機付けになった。矢張りうまい感じで、こちらの旨も汲み取ってくれる。

床屋に行くのは着物に困るのだが、偶々洗濯前で運動着を着ていたので、汗臭いがそのままでやってもらい洗濯物が一つ減った。なによりもアポイントメントが一つ減っただけでとても余裕感が生じる。

もう一っ走りしておくと、週末も上手く都合が合わせれるかもしれない。日曜日にはバーデンバーデンに出かける。そして既にそこバーデンヴュルテムベルクでは2G規制になっている。つまり陰性検査だけでは入れなくなった。PCR検査を認めてもいい筈であるが高価になるので実質的には誰もいないのであろう。

床屋も彼の州では3Gプラスつまり抗原検査では床屋にも行けなくなった。どんなお金持ちでも床屋だけにPCR検査を受けに行く人はいないだろう。こちらはラインラントプファルツは3Gなので、学校に通っている者などはそれで通る。

話しを聞くと12歳以下はそもそも免除されていて問題がないのだが、それ以上のティーンエイジャーは接種を受けるチャンスがなかったので、受けていない人もいて、24時間以内のテストが問題になっているという事である。やはりそれに合わせて抗原検査を受けるとなると面倒になる。

バーデンバーデンから友の会勧誘のプログラムが入っていた。新たなプログラムも出ていたが、正直クレンツィス指揮シャーガーの「トリスタン」とか馬鹿げたプログラムに更にSWRをロートが指揮してマーラーの七番とかで大したことがない ― 修正、ロート氏にはブーレーズフェストなどをやって欲しい。ゲルギーエフのチャイコフスキーが詰まらないことも分かり、いつまで振るのかのユロウスキーがロンドンフィルでマーラーの九番を指揮する。またドミンゴやカウフマンがショーをしたりで、復活祭以外は芸術的にお話しにならない。

要するにそういうところには一銭も金を出せない。敢えてペトレンコの復活祭以外には金を出しませんよという示唆をし続けるしかないと思う。新支配人のやり方としては急に何かを変えるよりは賢いやり方だと思うが、ゲルギーエフでもクレンツィスでも人が入っているうちは仕方がない。こちらが関与しないだけである。更にそこにネゼセガンのブラームス、ラトル指揮ロンドン饗はエルガープロ、コパチンスキーのサロネンの協奏曲、馬鹿じゃない。



参照:
鼻を噛む余裕もない 2021-08-11 | 雑感
漕ぎ着きたい期待の岸 2021-10-15 | 文化一般
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