Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年03月

2022-03-31 | Weblog-Index


禍難の時を踏み越えて 2022-03-31 | アウトドーア・環境
ルツェルン音楽祭の視覚 2022-03-30 | 雑感
懐かしいヴィーンの歌劇場 2022-03-29 | 生活
独大統領の不可解な演奏会 2022-03-28 | 文化一般
遠くから想うソヴィエト 2022-03-27 | 文化一般
パーティ券は要らない 2022-03-26 | 生活
春の恋煩いの物忘れ 2022-03-25 | 生活
ヒューマニティーを 2022-03-24 | 文化一般
一発決めようぜ! 2022-03-23 | 生活
将来を決するヤーマイ 2022-03-22 | 文化一般
セシウム137の汚れ 2022-03-21 | アウトドーア・環境
負け組の時代2022年 2022-03-20 | 音
漸くの祝祭劇場への苦情 2022-03-19 | 文化一般
あとから仄々思うもの 2022-03-18 | 歴史・時事
プーティン登場の音楽劇場 2022-03-17 | 音
マンデルにモンドが晩出る 2022-03-16 | アウトドーア・環境
外国国歌を起立して歌う馬鹿 2022-03-15 | 文化一般
公演曲目を確認する 2022-03-14 | 歴史・時事
バーデンバーデン市事情 2022-03-13 | マスメディア批評
呼び起こすDNAの記憶 2022-03-12 | 文化一般
ドイツ系移民モーツァルト 2022-03-11 | 文化一般
どっちでもよかったんだ~ 2022-03-10 | 女
ほぼ決まった今夏の予定 2022-03-09 | 女
音楽劇場のそのセンス 2022-03-08 | 音
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般
世界の実相が描かれる 2022-03-06 | 文化一般
インターバルトレーニング 2022-03-05 | 生活
第三次世界大戦を警告 2022-03-04 | マスメディア批評
「無力ではないのです」 2022-03-03 | 文化一般
独裁者を裏切るとなると 2022-03-02 | 歴史・時事
バラの月曜日の花冷え 2022-03-01 | 暦
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禍難の時を踏み越えて

2022-03-31 | アウトドーア・環境
頂上往復を為した。2月9日以来となるか。事後どうなるかは分からないが、腫れるようなことはないと思う。足を痛めて購入した靴でアタックしたのは初めてだと思う。だから酷使した反対側の右足も大丈夫だと思う。但しバランスが悪いので特に下りで他の部位を痛めないかも心配になる。

下りでは神経に来て目が回りそうになった。車で視覚が狭まる様に走っていても怪しくなってきた。眼鏡を何とかしないと少なくとも乱視が酷くなってきている。眼科に行くかどうかも考慮すべきか。

夏時間になってバルコンを使うようになった。そこで掃除機をかけると出口の光でやられた薄い所に穴が広がる。仕方がないので応急処置的に置いていた竹の敷物を大型化した。アマゾンで探すと大きなのが20ユーロで見つかった。評価は自然の産物なのででこぼこがありそうで別れている。説明通りのものが届いた。色も黒ずんではおらず、こうした陽に当たり濡れた足でも乗る所にはこれで十分だと思う。カーペットを新たにいい純毛のものに張り替えてもこうしたところには敷物をしておかないといけないのもよく分かった。徐々にキッチンとかバスとか恐らくクローゼットとかのリフォームを考えていきたい。

ミュンヘンの二十年越しの新ホール建設の計画が流れそうだ。バイエルン放送協会の交響楽団のホームとして、州政府が建設を企画して、その会場も亡くなった指揮者ヤンソンスの名前をつけることになっていたが頓挫しそうである。なによりも建設費がミリヤードユーロになり、土地借款などとても高くあまりにも贅沢な会場になるというのである。

地元の歌手のゲルハーハーなどもそのような贅沢なものは必要なく、小さめでいいと言い出した。しかし新しいものが欲しいが、それでもミュンヘン市が建築したイザールフィルハーモニーが素晴らしいのでそれでもと語る。問題はバックステージらしいが、バイエルン放送協会には大スタディオがある筈だ。

さて足の状態は現時点では悪くはなっていない。骨の痛みも薄らいでいるから怪我も好転している。流石に就寝中は足に乗る布団の重みを感じた。両足に感じるので、如何に足首が疲れているかとなる。

体重は長めに走ると直ぐに落ちる。これでもう一度身体を解す為にも短く走っておけば来週に繋げると思う。今後は暑くなってきた時の対応だ。今回は曇天で日差しを浴びなかったので、冷たい空気を楽しめた。発汗量も適当だった。短い距離ならばよいが一時間も走り続けるとなると暑さにやられる。兎に角二年間に亘ったコロナ禍期を抜け出すのに気炎を上げたい。

バイエルン州は、劇場での検査書類の提示を廃止した。要するに接種パスというのが海外旅行以外には殆ど無用になった。更にマスク着用もただの推奨になったので、少なくとも個人的には着席時には外す。出入りは周りの様子で着用するが、もう夏場に着用する人は少なくなると思う。ヘッセン、バーデンヴュルテムベルクなどもコロナ規制ほぼ全廃となり、日曜日からは通常の場所では証明書類やマスク無用となる。これで接種義務が成立しなければ海外旅行の為だけに追加接種が必要となる。



参照:
顔にぶら下げる何かよりも 2020-03-31 | 女
年末大当たりは要らない 2019-12-03 | 暦
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ルツェルン音楽祭の視覚

2022-03-30 | 雑感
今年のルツェルン音楽祭は一般売りで席を求める。定期が効かなくなったからだ。今迄の経験からすると、ベルリナーフィルハーモニカ―公演二日の初日は招待客が沢山入る。だから本当に良い席は出ない。招待返上のものが後に結構出る。だから先ずはそれ程高いものを求める必要はない。今迄座っていた席の並びとかが入手可能な筈だ。

コロナ期間中は前が空いていたりして参考にならないので、2019年の座席を参考にする。第三ランクだった。その場合正面のバルコンは二種類あって、第二か第三の双方があって、下階の場合は四列目になる。上階では二列目がある。

初日はマーラー交響曲七番なので、正面がいいがそれも出来るだけ真ん中よりがいい。その条件でどちらかの階でいい方があれば選ぶ。

二日目は大分余っていると思うので、同じクラスでも前半のシニトケのヴィオラ協奏曲に合わせて出来るだけヴィオラが聴きやすい席が欲しい。後半のシュスタコーヴィッチに関しては、練習から本番まで二回聴いているので、バランスは分かっていて、それほど拘らないでもいいと思うが、会場がどのように鳴るかには興味がある。齧り付きと舞台後ろ側以外でいい席が見つかればいい - 齧り付きは余程の玄人か音楽を何も分かっていない人のどちらかにしか需要がない。

写真を見比べて記憶を辿ってみると今まで一番良かったのはルル組曲から第九の席だった。最も印象に残った演奏は「ラぺリ」だったから、やはり真ん中に近い方がよかった。欧州で最も音響の優れている近代的ホールとされているが、それでもそのような差は生じる。視覚的な影響も大きいだろう。

その他の演奏会で興味があるのは、フィリーの9月4日のアメリカンプロの安い席で、翌5日のシベリウスは他所で間違いなく演奏されるだろう。またクリーヴランド管弦楽団の8日のリームの前半が興味深い。こちらもご近所でやりそうなのでそれを待たないといけないが、安くていい席があればとは思う。フィリーに行くならゴルダショルツのリサイタルにも顔を出したい。問題はベルリナーの二日目のあと一日しか空かないことだ。

さて、今迄はぼちぼちマニュアルで売りが始まっていたのが、今回からプリプログラミングされていて、サーヴァの負荷にも自信があるのだろう。すんなり動いて覗くと、予想に反して二日目の売れ行きが良かった。定期に入っていたのか、更に考えていていたように、二階のバルコンがヴィオラ独奏向きに売り切れていた。やはり玄人が結構入るのだと思った。三階に比較的内側に取れたのでそれで我慢した。

今迄の席よりも悪いが、今回は余分な券を購入していないので大分安くついた。グレードアップも可能だったが、後に更に出そうなので断念した。高い券は幾らでも後で出る。少しのお買い得感と、まずまずの視覚で我慢しておこう。

なるほど同じ演奏会をザルツブルクの大劇場で聴けば、より近い席で聴けるのだが、大編成曲に関してはアドヴァンテージはないだろう。但しヴィオラ独奏に合わせることはより可能だったと思う。但し演奏が一回目で安定しない。祝祭大劇場で喧しかったという感想を知ると近くで聴けば余計に綺麗には鳴り切らないホールだというのは分かる。そもそも七番は喧しくなるよりもマンドリンが如何に響くかが聴かせどころだ。期待が膨らむ。



参照:
鳴り響くユーゲント様式 2022-02-18 | マスメディア批評
超弩級の中継放送録音 2019-08-03 | 音
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懐かしいヴィーンの歌劇場

2022-03-29 | 生活
朝食もコーヒーも無しに14時まで動いた。タイヤ交換に出かけて渋滞にも巻きこまれる。来週も歯医者だが少し早いので余計に混む。但し手前で降りるから、渋滞の車はBASF本社工場群への通勤者が殆どだから、その時間には解消している筈である。

気になっていたブレーキペダルの切り替えがやはり壊れたままで、交差点で待っていると親切に後ろの爺さんがストップライト点いていないよと教えてくれた。ここ暫くこういう状態で走ってたことは車検が切れているよりも恐ろしい。そのあとそれに気が付いてゆるゆる走っていても後ろから鳴らされたりすることがあった。緊急停止灯を点滅させて走るべきぐらいだった。

こうなると流石に此の侭では家に帰れない。タイヤ交換のお兄さんはブレーキディスクも替える必要があるが、既にパッドがもあまり残っていないと話していた。マイスターに相談する前に問題が解決しないか支店の工場内で乗り回してみたが、直りそうになかった。それで相談。こうなれば代車を借りてと思っていた。

しかしマイスターがその方に詳しくて、スイッチが壊れていると判断して、部品も在庫があると直ぐ分かり、自分で取りに行った。まさかと思ったが、その場で15分ほどで直せるとなった。部品代も50ユーロも掛からず、仕事賃無料となった。こういうことをされるとやはりもう一台いい車を買いたくなる。直ぐに直って、今迄数年問題だった点も直っている。マイスタ―が急いで怪我して血を流した手を見せたので、ワインをお礼するわと名前を貰っておいた。決して安くない新車を買わせる動機づけになるのはこういうところである。

日曜日には漸くバーデンバーデンの復活祭メインプログラム新制作「スペードの女王」のお勉強の音資料を流した。アスミク・グリゴーリアンが登場する予定だったときは彼女の推薦の父親が歌ってゲルギーエフが指揮しているメトロポリタンでの録音を準備しておいた。しかし彼女も降りて、更にゲルギーエフ指揮のチャイコフスキーには嘘があることに気が付いたので、あまり参考にならないとなった。そしてその代わりのものを探したのだが、それが可也難しい。勿論西欧においては中々本格的な演奏をするのが難しいのを前提として、ゲルギーエフのような修正主義的なものでないとするとソヴィエト時代の模範演奏となるのだが、どう見てもその指揮者の面々から繊細な音楽が流れてくるとは思えない名前ばかりが出てきた。恐らくソヴィエト風はヤンソンスなどの世代なのだろうが、それに匹敵するような名前も浮かび上がらなかった。

そこでYouTubeで出てきたのが小澤征爾指揮のもので、特にヴィーンのそれは当時紹介の時に出かけたことがあるので、その時のフレーニなども懐かしかしい。そして小澤が何が出来て出来ないかはよく分かっている。お勉強には決して悪くはないと思った。一幕を流したが、その通り曲の構造は結構分かりやすいと感じた。12拍子から始まって厄介なのだが、そしてこちらはロシア語のイントネーション迄分からないので、気楽である。同時にこれはこうだなと楽譜を見ていると矯正できるぐらいに慣れてきている。そしてペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーならこう来るだろうというのも見えてくる。小澤はやはり天才だ、楽譜だけでここまでの音楽を引き出せる。それがオーセンティックでなくても、今のヴィーンの国立劇場でこれほどまでの音楽が鳴っているだろうかと当然の事乍ら思わせる演奏である。

写真;帰り道にいつものパン屋で購入したバベス、マツィパンやらが巻き込まれている。英語のベーブの事だ。



参照:
どっちでもよかったんだ~ 2022-03-10 | 女
ヒューマニティーを 2022-03-24 | 文化一般
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独大統領の不可解な演奏会

2022-03-28 | 文化一般
ベルリンの大統領官邸からの中継が急遽決まった。ベルリナ―フィルハーモニカーが演奏することから、地元のRBBTV生中継、デジタルコンサート無料中継並びに官邸サイトでのストリーミングが同時に発表された。

そしてロシア出身のイスラエル人ピアニストキーシンが独奏、キリル・ペトレンコが数曲振ることになった。しかし前日夜半にはペトレンコが健康上の理由でキャンセルした。代わりに日本の女流指揮者が振ることになった。復活祭にも関係のなさそうなアシスタントなので手が空いていて準備をしていたのだろうと思われる。

そのような塩梅で最早誰も注目しなくなった催しものなのだが、出演者はロシア人やベラルーシ人で、辛うじて作曲家だけはキエフから逃げてきた作曲家の曲が演奏されて、当初のプログラムから変更して自作自演でくどくどと演奏していた。なるほどECM好みの作曲家である。

まさしく、奥さんと娘さんで列車で国境を越えてきたようでトレーナーを着て着のみ着のままの感じがよく出ていたが、意気地がないのかあまり長くは演奏していなかった。

しかし、ペトレンコのキャンセルの真相が気になった。そして分かった。前日に在独の無礼なウクライナ全権大使がこの催し物への参列を辞退したどころか、ロシア、ベラルーシばかりでウクライナ人が出ていない、侮辱であると叱責していたのだった。そうなればロシア出身のペトレンコが態々下らないウクライナ作曲家の作品を指揮する必要もなくなる。それが真相であろう。

本来は、ロシアの大統領文化顧問が週中にバレンボイムの声明を引用して声明したように、ベルリンでその反論をするべき機会でもあった。しかしそれ以前にウクライナ側からいちゃもんをつけられた。そして大統領もロシア人やベラルーシ人演奏家へのボイコットに警告を発することはしなかった。そして国民にはウクライナ支援を要請した。これが現在のベルリンの政府の未熟な外交姿勢であり、大失敗に終わった元外務大臣のシュタインマイヤーの企画と声明であった。

これから分かるように、我々が公開文章としたものの趣旨とは遠く、ベルリンの独連邦共和国政府は、二つのネトウヨ国の間で無様な外交姿勢を見せているに過ぎない。それどころかこの無礼なウクライナ大使は、人が死んでいるときにロシア音楽の文化の中で翻弄されるウクライナではないと書いて、婉曲ながらネトウヨの本性を見せている。

要するに我々がこうしたウクライナのネトウヨ連中とも付き合うわけにはいかないという事ははっきりしている。そして独大統領は既に紛争は長期化してドイツ市民の生活にも影響が出てくると警告している。

外交手腕で何も出来なかったものを国民にそのつけを回そうとするのは解せない。コロナ禍の様に殆ど不可抗力のようなものとは異なるのである。この様な失態ばかりで、大統領に再選されるというのが最早政治問題ではなかろうか。連立政権に力がないだけなのだ。



参照:
遠くから想うソヴィエト 2022-03-27 | 文化一般
公演曲目を確認する 2022-03-14 | 歴史・時事
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遠くから想うソヴィエト

2022-03-27 | 文化一般
プーティンがこの機に及んで自ら文化政策の指示を出した。原語情報を調べていないのでよく分からないが、これだけのものは経験したことがない。身近では2000年頃の当時の「リーディングカルチャー論」に対する「マルチカルチャ」が出されたぐらいで、その他では中国共産党の仕事ぶりやハンガリーやポーランドにおける政策、またはトルコを代表にイスラム社会でのそれなど若しくは日本会議のそれらと比較可能か。

全てに共通しているのは歴史修正主義で、それに対するマルチカルチャーがあることで止揚された以外は悉く失敗している。プーティンは我々の公開署名などを逆手に取った形で、キャンセルカルチャーに対して90年前のナチの焚書に相当すると意気をあげている。またミュンヘンを首になった音楽分野での文化政策アドヴァイザーであるゲルギーエフにモスクワのボリショイ劇場とペテルスブルクのマリンスキー劇場の合弁の検討に入る様に指示している。要するに国による文化政策の引き締めで、プーティン本人には大ソヴィエト連邦における書記長の気持ちであるのだろう。その批判の方向も、ハリウッドの映画と同時に日本の教科書を矛先にするなど、この状況での独裁者の発言とも思われない。

誰でもがこれを見て狂っているとしか思わないのだが、さてその肝心の芸術がそれ相応な表現が出来ているのかどうかを吟味するのはそれほど容易ではない。最終的には私たちの社会がそこで提出される芸術を受け入れるかそうでないかに掛かっている。それは政治においてプーティンのような歴史修正を支持するかどうかと同じ事なのである。そこに通常のジャーナリズム同様に音楽なら音楽ジャーナリズムが活躍する場がある。先ずはそこで何が起こっているかを広く分かりやすく伝えることが求められている。

プーティン政権において少なくとも音楽においてはゲルギーエフがそれを体現していて、インタヴューで語る全く同じ内容の発言以上に彼が指揮する音楽にそれが表現されているのかどうか。結論からすると表現者ゲルギーエフは無能でないので現在の立場にありそれなりに国の方針を表現している。

当然の事乍ら古典音楽であるから、デフォルメすることは許されないのだが、それでも様々な方法でそれが表現されていて最終的には音楽家のイメージとして定着している。個人的にはミュンヘンに就任時にカウンター運動を更に強く起こせなかったことを反省している。ゲルギーエフのザルツブルク音楽祭デビュー以来殆ど関心がなく、昨秋になって初めてその録音を聴いてチャイコフスキー解釈がおかしいことに気が付いたぐらいだからである。

もう一つ弁解をすればああした修正主義的なものがカウンターし難いのは、例えばドイツにおけるティーレマン指揮の音楽と同じく、玄人でも騙されてしまうといういい加減さがそこの表現にあるからなのだ。まさしくネトウヨとされるものにはこまごまとファクトチェックをしてカウンター攻撃をしておかないとより面倒なことになるというのと全く共通している。

そしてプーティンの文化関連の参与が、こうした偉大なロシアの音楽家などは今後は世界的に大きな市場である北京や上海そして旧ソヴィエトの周辺国で活躍すればいいと語っている。彼らには大ソヴィエトの夢を追うしかないのだが、そのソヴィエトの偉大な芸術の殆んどは過去のロシア帝政時代のそれを受け継いでいたに過ぎなかった。



参照:
持続性ある文化政策に 2021-11-27 | 文化一般
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般
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パーティ券は要らない

2022-03-26 | 生活
マーモアークーヘンを回収した。歯医者が予定よりも早く始まって終わったので、帰り道に余裕をもって回収可能となった。序に新たなパンも購入した。とてもいいお客さんになって仕舞った。駐車場まで見に行ったけど遅かったとおばさんが語った。まああることというので、「恋をしていたんだ」と話しておいた。「そうかもしれないわね」と如何にもな方言な対話となる。

歯医者でまた驚かされた。引退した筈のオーナーが出てきた。電話予約するときに何かおかしいなと思ったらそういう事だった。勿論アシスタントも違った。こちらから状況を尋ねる前に「メスナーの講演会がよかったと振られた」、あまりアシスタントなどにも聞かせたくない事情があるのだろうか。女医さんを期待していたのだが、それはそれでセカンドオピニオンになるのでいい。しかしその出来には興味がなさそうだったが、問題の右側の部分の問題に関しては直ぐに判断を下した。流石にこの辺りはヴェテランと思わせた。若い女医さんに話してもあまり興味を持っていなかった。

問題点は嚙み合わせの様で、就寝中の歯ぎしりなどによってすり減って軸が狂っているという事だった。だから外見上はどこが悪いというのではなくて、更に気になったので歯根に問題がないかも神経診断で判断して貰った。少しだけ削ったがそれでは根本的には駄目なので、筋肉の緊張を押さえるために就寝用のサポートを作るとなった。場合によれば折ってしまう人もいるという事で、少なくとも右側で噛めないようでは治療するしかない。

もうこれはあそこまで自信がありそうなので信用するしかない。そういえば亡くなった叔父が歯医者でその方面で医科歯科大で博士号を取っていたのを思い出した。兎に角直してもらわないと、ブリッジの左ばかり使って不安であり、胃腸にも悪い。

流石に一年半以上放っておくと歯石も奥の方に溜まっていて痛い思いもした。これで当分は大丈夫か。少なくとも歯磨きはそれ程悪くなかったようだ。口中洗浄液も効果を出していたに違いない。

フランクフルトのオペラで五月の「フェドーラ」を購入した。アスミク・グリゴーリアンが出る二回の公演の後の方がオペラナイトとなっていて、一足早く販売になり、彼女らとのパーティ券も一緒に売っていた。しかし復活祭のキャンセルの後でこちらも愚痴が出そうなので今回は止めて、オペラ鑑賞だけにした。

今回取って来たマーモアクーヘンはチョコレートのコーティングがしてあるもので、未だ涼しい時期はべとべとしないのでこれがまた美味い。

ミュンヘンの初日を撥ねられた。一枚は確保できたので、交換か一般販売で動こう。やはり会場が小さいだけに潜在的に入手が難しい。但し一般販売の日にはホテルが無料キャンセル出来ないので、それまでに交換サイトで何とかしなければいけない。配券で当たった人と交換するか売って貰うしかないのである。少し仕事が増えるのである。



参照:
春の恋煩いの物忘れ 2022-03-25 | 生活
大理石模様のケーキ 2022-01-20 | 料理

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春の恋煩いの物忘れ

2022-03-25 | 生活
夕方に一走りする習慣がついてしまった。短いのでカロリー消費が少なく、これでは痩せない。辛うじて保っているぐらいである。高度差は160mほどあるのでまずまずだが、距離が短い。心拍数173で、平均144、歩速168、平均147もまずまずか。しかし、週間高度差1000mに満たなく、走行距離10キロにも欠ける。夏時間に備えるか、冬時間最後に賭けるか?

室内などは気温が上がって来ていて、街道筋も摂氏17度を超えるとかというのだが、谷を裸で走ると寒い。夕方の上からの風が冷たい。その分走りやすい気候ではある。

月曜日に初日を迎えたヴィーンでの「ヴォツェック」の批評に目を走らせる。生放送をラディオから流して、録音していたのだが、保存する前に捨ててしまった。あそこまでの頓珍漢な指揮は聴いたことがない。現在の音楽監督ヨルダンはやはりもう振らない方がいいと思う。

バーデンバーデンからのお便りを待っているのだが未だ入っていない。ミュンヘンからの通知も未だである。まだまだ予約を受け付けているのをみると配券されそうなのだが、よく分からない。復活祭の方は水曜日の記者会見で来年のプログラムや配役が流された筈なのだが、ネットに漏れていない。週末には予約を入れられる筈なのだが、どうだろう。一週間遅れてベルリンから来シーズンのプログラムが発表される筈だ。同時にオデッサでのヨーロッパコンサートの代わりがどうなるか、また上海ツアーの代わりのツアーが発表が期待される。

傾向としてはこの二年間で流れたところに入れ込まれる可能性がある。既にパリのフィルハーモニーなどにもメトの管弦楽団が2023年に2021年の代わりに訪れるようで、昨年と同様に同じプログラムでバーデンバーデンでの小音楽祭となる筈だ。

フィラデルフィア管弦楽団も秋にツアーするようだが、「エロイカ」の入っているプログラムは要らない。クリーヴランドも同じようにツアーとなる筈だ。

この二年間で聞き逃して残念だったのは、復活祭以外では、ニューヨークのフィルハーモニカー公演とかメータ指揮ヴィーナーフィルハーモニカー、ベルリナーフィルハーモニカーのツアー公演だった。それらの一部でも取り返せると嬉しい。

それ以外ではやはりワインの買い付けが重要になる。抜けた年度は致し方がないのだが、今後飲み頃になるとその年代に穴が開くことになる。その分を早飲みで埋めるという事になりそうで、2021年産を春も秋も少し余分に購入したい。

2021年産の出来に関しても少々目を配ってお勉強しておかないと、久しぶりに試飲会に出かけても右往左往しかねない。印象からするとあまり暑い夏ではなかったのでリースリングにはそこそこ良いと思う。降雨量も少なければそれだけ芳しいリースリングとなる。収穫時期も悪くなかった印象があるが、その辺りは資料を読んで再確認するしかない。

先日購入した「春のパン」はニンジンなどが入っていてよかった。恋煩いかボケッとしていてマーモアークーヘンをパン屋のカウンターに置き忘れたので歯医者の序に回収に行く。



参照:
一発決めようぜ! 2022-03-23 | 生活
とても贅沢なお話し 2022-01-06 | 料理
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ヒューマニティーを

2022-03-24 | 文化一般
ネット署名をした。会員番号350番ぐらいに入れた。ロシアのウクライナ侵略に抗議すると同時に、ロシアやベラルーシの国籍ゆえのボイコット反対の公開書簡である。火曜日にはバーデンバーデンの復活祭から記者会見があってそこでキリル・ペトレンコが新たな声明を出した。

先ず今回の復活祭プログラムについて、「スペードの女王」が柱になっていて、そこでロシア文化を示して、そのヒューマニティーを伝えることが正しい在り方だ。だからこそ、その制作に取り分け責任があるとしている。

そこではロシア人歌手も必要とされて、ウクライナ人がアシスタントに入って、とてもいい準備環境があるとしている。その一方、方々でロシア人やベラルーシ人のアーティストのボイコットが後を絶たなく、それではいけないと強調している。それをして、ロシアとの協調関係が欠かせないとしている。

同時にアナ・ネトレブコが出れなくなったことでの演奏会プログラム前半変更に伴い、会が拡張されて、ウクライナ難民救援のガラコンサートが催されることになった。既にフィルハーモニカーと共にUNO難民弁護大使ペトレンコ自身は十万ユーロを寄付して、復活祭訪問者に広く寄付を募る。

さて、署名運動の筆頭にはミュンヘンの音楽監督ユロウスキーがあって、その周辺の指揮者から署名が集まっている。ラトル、エルダー、パパーノの三人のサー、そして意外にヴェルサーメスト、ガードナー、ティティアーニと広がり方がよく分かる。次のヴェルバー、エンゲルのところの繋がりはユロウスキー直か?マイスターも10番に入り込む。

11番のブレット・ディーンは作曲家らしいがどこから?、ドルニーから支配人や演出家が続く。そのあとに器楽奏者が続くなど、明らかに繋がりが分かって面白い。お友達のお友達だ。

そしてこの書簡の最も重要場部分は、二か国からのアーティスト全てが侵攻を支持している訳ではない。だから、独裁者や支持者のやらかしていることによって一括して裁くのは誤りだ、彼らの直接関与の証拠がない場合としている。

これは問題となっている踏み絵とされるプーティン支持云々を問われるべきではないという事でもある。これは至極当然の事であって、信条などが問われるのもおかしい。例えばネトレブコは明らかにプーティンの信望者であるが、そのことだけで裁くとするならば嘗て合衆国に強制収容された日系人の扱いとあまり変わらない。

我々が、明らかに狂信しているだけのネトレブコを一方的にボイコットするべきではないとしたのはそこなのである。ペトレンコが語ったように、「もし我々がその立場をとるならばただ彼らと対置しているに過ぎない。」と、その通りなのである。

残念ながら、メディア業界などは既に薹が立ったと判断したのかアナ・ネトレブコを切り始めた。少なくとも報道を詳しく見る限り、プーティン政権が終わるまでは時間の猶予を与えるのがあるべき姿だろう。



参照:
一発決めようぜ! 2022-03-23 | 生活
独裁者を裏切るとなると 2022-03-02 | 歴史・時事
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一発決めようぜ!

2022-03-23 | 生活
眠い、気温差が一日で20度超えになると気をつけないと駄目だ。陽射しのところでは気持ちよくなったが、朝晩は零下に冷えるところも少なくない。週末に夏時間を迎えるので、不当も夏仕様にして、バルコンでの生活も出来るように準備したい。何よりも冬の間薄暗く手が入らなかった所の掃除などでサハラの砂と共に掃き清めたい。

日没前に短いコースを走っておいた。殆ど足の問題は無くなってきているが、未だ骨が正常ではないので心配にはなる。先ずは頂上往復しても酷いことにはならないと思う。但し完治には大分時間が掛かりそうだ。

車中のラディオで週末にスイスで起こったロシア国籍ゆえの演奏会キャンセルの件も話題になっていた。直ぐに隣のアーラウ芸術家の家で、「開かれた人間性の場所」と題する演奏会が開かれて、そこに件の若いチェロの女性やウクライナ人の音楽家などが共演したらしい。

そこの催し物には招かれたことがあって知っているのだが、素早い企画と実施は良かったと思う。SNS上でも被害に遭ったロシア女性が訴えたことで、とても厳しい批判が寄せられていたようだ。

座談会番組にはゲーテインスティチュートなどの人が招かれてそうした差別は知らないと話していたが、そもそもそこでは件のゲルギーエフのような戦争犯罪者と通常のロシア人演奏家が業界外では同じように扱われていることがこのような座談会のテーマになる由縁だと分かった。確かに詳しくないとその差異は分かり難い。外から見るとまるでロシア人への差別やロシア文化への嫌悪がある様にしか映っていないようである。

勿論上の話者が語る様に学術分野での公的な資金が流れる共同研究などの中止は、こうした音楽芸術分野でのそれとはまた異なる。やはり、社会を超えて国の支援がなくては成り立たないような活動には影響が出る。

アルテオパーでのミュンヒナーフィルハーモニカーのツアーがヴィーンに続いて開かれる。辞めさせられたゲルギーエフに代わって入ったのは指揮者ネルソンズで、30ユーロでも追加販売に良い席が出ていたので考えていた。つまり基準がブースター無しでテスト無しなら購入しようと思った。しかし、ヘッセン州はチグハグで4月2日まではそうはならずなので断念した。勿論それ程いい演奏会にはなりそうにないので残念ではなかった。

同様にオペラ劇場も変わらずで、こちらが出かけるバーデンヴュルテムベルクとの差がある。フランクフルトにはもうしばらく行く予定はないので、構わない。四月から解放になるだろう。

既に多くの国ではEUの接種証明も廃止しているので、ドイツの場合は接種義務との関係でどうなるかだけである。自分自身の接種済みが消えるのは6月初めで、それまでは外国に遠出しない限りブースターを接種していなくてもそれ程の弊害はない。まだこのまま推移すれば二月以上は時間がある。懸念されるように接種義務化とならなかったときは今度は本気で一発決めないと危なくなると思う。

写真は、殆ど一週間経過のカボチャ種麦芽パンの最後のへた。



参照:
胡桃入りパンの満足感 2021-12-09 | 料理
とても贅沢なお話し 2022-01-06 | 料理
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将来を決するヤーマイ

2022-03-22 | 文化一般
春らしく、なぜか、ふらふらしている。それでも少しだけ落ち着いた。夏への移行期である。先ずはミュンヘンへの発注が終わって気が楽になった。それ以外は新シーズンのみを考えればよい。劇場通いも、ミュンヘンよりもシュトッツガルトへと力点が移っていきそうなのだが、後者の不安点はいい劇場のリフォームプランである。恐らく仮劇場になれば音楽劇場プロジェクトが過激化してくると思う。それに引き換えて、ミュンヘンの場合は保守的でありそれだけの責任があるので容易にはならないのは分かるのだが、まだまだこれという大成功が思い描けない。

その期待の一つに5月の「ヤーマイ」新音楽祭プロジェクトがある。先ずは、モンテヴェルディやヘンデルの曲が合わされる今最も評価の高い作曲家フリードリッヒハースの三部作がメインテーマである。

ここまで書けば延期になったクレンツィス指揮カステルッチ演出の「コーマ」よりもまたは「トーマス」よりもエンゲル指揮グート演出「ブルートハウス」が如何に世界的注目を集めるかは分かる筈だ。

現在シュトッツガルトで再演中の「ボリス」、昨年飛び入りの「ジュディッタ」等でのこの手の指揮ではエンゲル以上の人はおらず、今後とも音楽劇場の如いてはオペラ劇場の将来を担っている。

本当は二日続きで二演目に出かけようと思っていたのだが、既に一つは延期された。これがどれ程全体に影響するのかは分からない。三部作を全て体験するようなセット券は一般売りされておらず、それどころか同じ夜に二演目が同時に異なる劇場で演奏される日程にもなっている。要するに内容的な関連性よりも同時性の方が劇場効果として目されているという事だろう。

正直ドロニー支配人の芸術的な手腕に関してはまだ疑心暗鬼にあり、若干不安に思っている。しかし、本来はその五月にデビューする予定であったエンゲルの腕は最早疑問の余地がない。昔から知っていると逆にどうしてもその姿と重ねてしまうところもあって、客観的評価が難しかったのだが、合わせて都合五晩大劇場公演の指揮を聴いて適当な距離を置けるようになった。

「ボリス」で合唱も指導するティテュス・エンゲル:
Beruf: Chorsänger*in | BORIS | Staatsoper Stuttgart


その演目「ブルートハウス」は、モーツァルト自らが「イドメネオ」を初演したクーヴィリエ劇場で上演される。客席数は満席で510席しかないので予約販売される席は200席ぐらいしかないかもしれない。ミュンヘンの需要からすると否応なしに抽選になるのだが、兎に角当たるかどうか?倍率的にはペトレンコとカウフマンの客席で四分の一の供給数でそれに近くなるか、それともそれでも需要が四分の一以下ならば確率は下がる。

プログラムからすれば、特別枠を作っているユースを入れて大劇場の四分の一ぐらいの聴衆層には働きかけるだろうか。初日が当たらない場合に他の日も追加で発注しておいた。それによって観客動員力も分かるかもしれない。後の一般売りと含めて二枚ぐらい入手可能となれば自由に使えるようになるが、中々入手困難となればそれはそれで力が入る。



参照:
ミュンヘン新体制の船出 2021-06-11 | 文化一般
殆ど移民の為に酸素吸入 2021-03-08 | 歴史・時事
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セシウム137の汚れ

2022-03-21 | アウトドーア・環境
サハラ砂漠からの降砂が酷い。これほどなのは初めてだ。日本の黄砂も酷い時はあったが、これはナノ以下でエアロゾールらしい。そしてなんとセシウム137が検出されている。ウラン由来らしいが、半減期30年でも検出される程度とは恐れいる。濃度としては一平米に八万ベクレルらしい。那須ぐらいの汚染度になるだろうか。そのウランは1960年2月13日のフランスのアルジェリアでの核実験のものとされている。

五月の券を発注する序に宿泊も予約した。しかし配券されるかどうか分からないのに、つい予約金迄払って仕舞った。勿論必要なければ一月前まではキャンセル無料だ。なにか出かける意志が空回りしているようでいけない。

“Close-up” | Romeo & Juliet | Berliner Philharmoniker

ベルリナーフィルハーモニカーがこの時期を選んで昨年の青少年との対話プログラムをYouTubeに上げた。チャイコフスキー作曲「ロメオとジュリエット」序曲の練習風景とそのレクチャーを青少年たちとの対話の中で指揮者のキリル・ペトレンコが行うというものだ。

その最後の部分が圧巻だった。その時も一通り観ていた筈だが、今こうして取り上げられると全くその時とは異なる強いメッセージが伝わる。シェークスピアのそれをチャイコフスキーがどのように音楽化しているかが説明されているのだが、その内容はのちにバーンスタインによって「ウエストサイドストリ―」として違う色彩が加えられている。

しかしそれ以上に、アレグロ・ドラッカでの戦争の動機などを洗いだして、血生臭い市街戦をそして二家庭間の争いの音楽を解説する。現在と全く同じように争いの場となったウクライナ東部での歴史的出来事を描いた「マゼッパ」においても当然その通りであり、昨秋に演奏されたのだが、そこには更に現在日本等でも話題となることの多い「序曲1812年」も引用されていた。

ペトレンコは、演出家が「これはユダヤ人とパレスティナ人との間の話しでもあるかも」と振ったのを受け、「まさしくその通り、双方の二人の若者たちが愛し合うという話しは沢山聞いている、だから今若い時にこそこの曲を紹介して体験して欲しいと思ったのだ。」と語った。「若い人たちが、壁を越えて政治を超え、一つになる事こそが彼らの使命だ。」と強調した。

ペトレンコがどうしてもこれを今アップしたかったのは、まさしくこのメッセージである。同時にそれは、来る復活祭のテーマであるロシア音楽への強い声明でもあり、先にプーティン政権を批判したことに対してバランスを取る配慮もあるだろう。

先日の「ボリス」再演に於いてもロシア文化への配慮などを言及する次元での程度の悪いジャーナリズムも存在する事であり、啓蒙するのも文化芸術界の社会的使命であることを忘れてはいけない。

そのようなことから、何の役にも立たないウクライナ支持の声明などよりも、やることは幾らでもあることは平時と何ら変わらないのである。こういう時に平素には分からないその安物の面の皮が剥がれる。我々が凝視すべきところである。



参照:
世界の実相が描かれる 2022-03-06 | 文化一般
外国国歌を起立して歌う馬鹿 2022-03-15 | 文化一般
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負け組の時代2022年

2022-03-20 | 
承前)NHK国際局がアレクシェービッチにインタヴューをしている。今回のロシア侵攻に関して訊いている。3月20日には再演二日目「ボリス」公演前にシュトッツガルトの劇場で座談会に参加する。

彼女の「セカンドハンドの時代」からの六つのエピソードの話しはどれもこれも壮絶な内容で、語り継がれ死によって断絶するものばかりである。だからここでも当然の事乍ら「アウシュヴィッツ後に詩を書くことは野蛮」が成立する。よって余計にその音楽でしか表現がなされない音楽的な解決方法が重要となる。

家族を生き埋めにされたユダヤ人パルチザンや全てを失いオデッサの街での路上生活の親子、オセチアから追われ死へと向かう女性、難民として逃れたモスクワでの奴隷のような仕事、解放されるや否や裏切り者の嫁となる女性、14歳で自殺した息子の母親、最後の母親はロシアから出ていたのだが2020年2月作者も連絡が取れなくなると語っていた。その話しがボリスゴドノフの死の後に歌われる。

「ディゾルダーテン」を参考にしているという作曲家はこれは一つのカタリシスとしている。そして、この3月5日に再演された。勿論侵攻は誰も予想はしていなかった、しかし当然予感はあったのだった。

既に言及したように、トラウマを破局を踏まえてそれを社会心理とする一方、確率論的に科学的な未来予想も可能となる。同ノーベル文学賞作家はチェルノブイリ禍をもドキュメンタリ―材料としている様であるが、まさしく今回のプーティンによる核による恫喝は、次に核爆弾が投下されるのはウクライナか日本でしかないことを思わせる。当然心理的な落としやすいというのもあるのだが、その通りにフクシマ禍へと三度目の被曝となっているのはそのトラウマのなせる歴史以外の何ものでもない。

そのような観点からすると後半部冒頭に於ける不幸な娘とボリスゴドノフの情景も全く異なった調べが流れる。今回の再演初日にはそのような視点よりも明らかにネヴスキー作の「セコハンの時代」の音楽の精妙さと明晰さに瞠目されたが、作家本人を迎えての二回目公演では、また今のウクライナでの戦況や内外でのロシアの状況を見るにつけまた異なった印象を与えるかもしれない。音楽劇場公演はそうした環境と聴衆の心理状態からのフィードバックで為される活きものであるからだ。

それは、こうして生中継のオンデマンドを観て、下調べをして、実際に体験してみて、またこうして細かく調べていくと明らかにこちらの意識が変わっていく。このプロジェクトがモスクワで上演されるようなことがあればその時は社会が変わっているともいえる。社会がそこに反映されることになる。
#OpertrotzCorona: BORIS | Staatsoper Stuttgart

#OpertrotzCorona: BORIS (English subtitles) | Staatsoper Stuttgart ー 英語字幕版


再演時にはどこの劇場も公演前にガイダンスをする。シュトッツガルトのそれは初めてで途中からであったが、これだけ複雑な内容でありながら、最終的には情動的な価値をも強調していたので、決して悪くはなかった。劇場の質の高さにも繋がる。2020年の初演は、ミュンヘンの「死の街」と同じシーズンであったが、それの方は既にブルーレイ化されて残っているが、いずれ忘れ去られる。しかしこちらは今回の再演を含めて数百年後にも語られるに違いない。(終わり)



参照:
“団結しなければ、せん滅させられる” ノーベル賞作家の訴え、スベトラーナ・アレクシェービッチ、3月18日、NHK,World News
あとから仄々思うもの 2022-03-18 | 歴史・時事
ソヴィエトからの流れ 2022-02-28 | 音
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漸くの祝祭劇場への苦情

2022-03-19 | 文化一般
春の予定の入場券発注が続く。今年はまだまだ入手が容易だ。生憎一枚は公演が延期になった。ロシアからの楽団を使うミュンヘンの劇場のプロジェクトだった。楽団自体は嘗てシベリアのペルムの劇場から創立したもので、その関係は切れたとされている。当初からドイツから出かけた渡世人の核メムバーが仕事人として暗躍したので、ケルンにある楽団と兄弟関係にある。その後はソニーとの関係をつけてメディア的に成功した。

意外だったのは、今回のウクライナ侵略でロシアの国や地方劇場とは関係がない筈の楽団がなぜドイツで公演が難しくなったのか。恐らくオルガルヒの金で寿命を長引かせたのだと思われる。その証拠に指揮者のギリシャ人がシュトッツガルトの放送交響楽団での定期や大ツアーでウクライナ支持のプログラムに替えたことなどでもそこに後ろめたさのようなものを感じる。

ミュンヘンでの公演は序に出かけようと思っていたのだが、暗闇の中で演奏するので暗譜が必要とされて、他の寄せ集めのメムバーでは上演不可能となったとしている。件の楽団は元々ブラック楽団といわれるほどに練習時間を掛けて西側で儲ける金とロシアでの物価やストの間でその活動を可能としていた。広義にグローバリズムにおけるフェアートレード的には疑問があったのだが、今回はひょんなことから網に引っかかった。恐らく今後ザルツブルク音楽祭などにも影響が出るだろう。バーデンバーデンでの音楽祭も秋にもあって、手を切った指揮者ゲルギーエフと穴と共に埋め合わせ方が興味深い。

木曜日にザルツブルクでの復活祭の来年の計画が明らかになった。言われていたようにイタリアからのゲストでなく、新体制最初の年はゲヴァントハウス交響楽団のオペラとなった。バーデンバーデンで夏季に期待されたいたものだが、先を越された。ペテルスブルクからの引っ越し公演も無くなるので、新たなものが幾つも必要になる。以前同様にドレスデンを今後呼んでくるのが予想される。あとはロシアものをどうするかだけであろう。

2023年の復活祭に関しては、ドレスデンのリヒャルトシュトラウス週間と喧嘩することになるが、バーデンバーデンの方が早く企画していたので、一番いい歌手は引っ張ってこれる筈だ。

どちらにしても今年の「スペードの女王」を成功させることが最も重要であり、その状況で今後が見えてくると思う。

そのような折であるから、昨年11月の苦情を今になって漸く書いた。ベルチャ四重奏団演奏会で祝祭劇場のパーソナルが喧しかった事象である。直ぐに文句を言おうと思ったのだが、怒りの方が強くて文章にならなかった。今大切な時期であり、ここしかないと思ったら、落ち着いて書けるようになっていた。祝祭劇場は、分かっている聴衆によって、静けさが保たれているが、パーソナルが騒がしくなければと書いて、11月の状況を説明した。静かな二楽章のアンダンテで、足音を立てて、前から後ろまで壁際迄歩いて、配慮無しにドアを開けて、けたたましく閉めたと説明。書いているとやはり腹が立ってきた。そして最後に、高度な芸術程度だけでなくて、最高品質のオーガナイズで復活祭が開かれるのを楽しみにしていると書いた。ここまで書けば、やらなければザルツブルクに後れを取ることぐらいは分かるだろう。



参照:
コロナ禍が齎した均質性 2021-11-30 | 音
極右の横分けで公職追放 2021-05-18 | 文化一般
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あとから仄々思うもの

2022-03-18 | 歴史・時事
福島沖の地震の速報を見てから出かけた。短いコースを走ってきた。右足には違和感が残っていた。前回の走りは月曜日だったが、火曜日に普通の靴で少し動いた疲れが出たのだろうか。空はサハラ砂漠からの降砂で光が射さないので寒く感じる。もう少し続きそうである。それで気持ちも冴えないので頂上アタックを早々と断念する。その代わりに短めにその途中まで走っておいた。漸く左足でも蹴れるようになってきたがまだまだバランスが悪い。金曜日にどのような状態になっていることだろうか。帰宅の車中のラディオでは、東海、福島原発には異常がないことが伝えられた。地震の度のこの様な情報が流れれば、ドイツにおける原発の延長どころか、老朽化休止の延長なども到底考えられない。

パン屋でニンジンのケーキを購入した。枠に入っていて7ユーロ近くした。アーモンドも入っているようだが、何日ほど楽しめるだろうか。切るとボロボロする。復活祭のウサギの為の餌かどうかは知らない。

パン屋の本店前の道路が工事中で休店している。同じ町の新興住宅街にも支店があって、そこでも製造可能な様で、半日をこの期間時間延長してやっている。スーパーには近いので、寧ろ近いぐらいである。

ウクライナのクリミア半島の北西の右岸出身の女性に話を聞いた。母親がそこに住んでいるのだが、既にこちらに避難していている。爆撃は部分的だが不安でどうしようもないという。それでこちらから電話などで毎日知り合いに電話をとっているらしい。一先ず元気そうでよかったが、また事情が変わってくるのでこれからが大変だと思う。何が出来るか分からないがという話しをした。少なくとも思ったよりも元気そうでよかった。

2015年のノーベル文学賞受賞者スヴェトラーナ・アクセイヴィッチの二年前のシュトッツガルトでのインタヴューを聞くと、問題は民衆にもあることは分かる。70年間も収容所にいたような人々が自由になって街に繰り出してもなにも民主主義どころか右往左往するだけというのだ。同じような事象は、東ドイツでも同じような時にみられ今でも続いている。

少なくともロシアにおけるその信条は、2015年に指揮者のゲルギーエフが語った話しの中に全てが凝縮していた。エルツィン時代の混乱を救ってくれるプーティンが救世主であって、世界の中でのデフォルトの経済のロシアの地盤沈下と自信喪失から救ってくれたのだった。まさしくプーティンの語る地政学的な根っこである。

再びそこで自信を纏って将来への希望を見出すためには、スラヴの兄弟国を手下にしたソヴィエト版ロシア帝国再構築が重要なイメージとなった。そこには嘗ての栄光としてありもしなかったありもしなかった「青春自体はあとから仄々思うもの」があって、歴史修正本などが喜ばれて消費される由縁なのだ。指揮者ゲルギーエフのチャイコフスキー演奏実践はそのものであった。

大坂って、天下をとっていたのはいつの時代とか、そうした馬鹿々々しいネトウヨ談義が花咲くところに、致命的なカタストロフを呼び込む時間の間隙があって、必ずしもリセット可能とはならない物理が横たわる現実が存在する。



参照:
プーティン登場の音楽劇場 2022-03-17 | 音
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般
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