Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2023年07月

2023-07-31 | Weblog-Index


高度な音楽の最期の晩餐 2023-07-31 | 音
アルペン交響曲の心理 2023-07-30 | アウトドーア・環境
森の中に木を隠す 2023-07-29 | 文化一般
望まれる開かれた応答 2023-07-28 | 文化一般
アナーキズムの舞台神聖劇 2023-07-27 | マスメディア批評
舞台神聖劇の宗教性の有無 2023-07-26 | 音
凱旋無しのヴューイング 2023-07-25 | 文化一般
マンダリン入りザーネ 2023-07-24 | 文化一般
楽匠の理想、音楽劇場 2023-07-23 | マスメディア批評
十年ぶり完動となるかIXY 2023-07-22 | ワイン
有機的な鳥の囀りの表徴 2023-07-21 | 音
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
九月の旅程を練る 2023-07-19 | 生活
夏の間だけのお楽しみ 2023-07-18 | 生活
エンゲルの表徴の演出 2023-07-17 | 文化一般
フォロー対象のキャリア 2023-07-16 | 文化一般
ルネッサンス以来の匠 2023-07-15 | 音
旅程確定の席取り結果 2023-07-14 | 音  
数日楽しんだ8ユーロ 2023-07-13 | 料理
劇場空間の複雑なリズム 2023-07-12 | 音
いつも注文しているもの 2023-07-11 | 料理
精霊が肉体に宿る音楽 2023-07-10 | 音
謝礼貰えるだろうか? 2023-07-09 | 雑感
聖者のエコロジーシステム 2023-07-08 | アウトドーア・環境
独り立ちしているケーキ 2023-07-07 | 生活
率いられる座付き管弦楽 2023-07-06 | 音
お釜の品定めの結果 2023-07-05 | 生活
悲しみに打ちひしがれる 2023-07-04 | 音
暇潰しのMET公演を髣髴 2023-07-03 | 文化一般
聖人の趣の人々 2023-07-01 | 文学・思想





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高度な音楽の最期の晩餐

2023-07-31 | 
承前)鳥の演奏会で啓示はなされた。そして「スティグマ」となる。フランシスコが聖人となるキリストの十字架上での五つの傷を負うことになる。ここでの舞台は、丁度最初の景でウサギの死体が横たわっていたところへと、跪いたフランソワがうつ伏せになりそして後ろからの黄色いブロブに追われて横たわることになる。

この地球最古の生物こそがアルファーからオメガの創世主となり、合唱として聖フランシスコに語りかけ、ブロブが大きな太陽のように輝き広がっていく。この光景を初日に観た時には感動したが、その音楽がこれしかないとした神の呈示だったに違いない。そこで、第二の晩餐として高度な音楽と歌われる。カトリック者の作曲家にとってはこれ以上のテクストにつける音楽はないであろう。

この視覚的な啓示も素晴らしかったのだが、その音楽特に合唱は高度な表現をものにしており、初演以来これ以上の演奏も無かったろうであり今後も難しいと思う ― 参考に再び初演の録音を聴くと最早この辺りで主役のファンダムも力尽きており今回のマイヤーズとは到底比較に為らない歌唱で合唱も歌えておらず小澤の魔法の指揮も効力を失っている。

バイロイト音楽祭第八回目演出の「パルジファル」におけるシュリンゲンジーフの演出についての回想をしているとまさしく上のブロブが太陽のような環を描いて広がっていくような意匠に記憶がある。ボイスのウサギもその発展としてここで使われていたが、これも影響が感じられる。尤も演出家マーラー自身は2004年から仕事を始めていて、マルターラーの元のみならずシュリンゲンジーフが病気になってからその演出をアシスタントとして行っていた。

メシアンが参照した舞台神聖劇「パルジファル」演出のアイデアがここで発展形として使われることには全く違和感がない。個人的にも、興味が向かう先であったから当然なのかもしれないが、1998年モルティエ博士企画のザルツブルクでの「アシジの聖フランシスコ」、2001年指揮者エンゲルとの対話、2004年バイロイトの「パルジファル」と経験したからには、今回も全く無関係ではおれない制作であった。

残念乍らこの三部七景は合わせて三回しか体験できなかったが、こうして回顧すればその舞台歌唱、演出、奈落全てが万全の出来であった。願わくばもう一度体験したいと思うが、少なくともカメラが入っていたりして、何らかの記録が残っているのが幸いである。ドキュメンタリーの形でも記録に残ることでその芸術的成果は証明されることになるに違いない。(続く



参照:
森の中に木を隠す 2023-07-29 | 文化一般
次はエディプスコムプレクス 2023-05-07 | 文化一般
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アルペン交響曲の心理

2023-07-30 | アウトドーア・環境
本年五月にミュンヘンのイザールフィルハーモニーでアルペン交響曲が演奏された。そこで曲間に登山家のメスナーがコメントを加えていくという企画だった。インタヴューで応えていて、作曲家が登った山とヒマラヤは全然異なるが、それでもこの交響曲にコメントすることがあるかということだった。

当然の事ながらこの交響曲で描かれている出発から登頂そして帰還の情景は典型的な感情であって、歴史的にもゲーテやハイネなどの描いたそれでもある様に居ながらにして、丘を登る以上のものを伝えるものがあるという見解を示している。

夜明けへの出発から、何処かでの地平線上の日の出、登頂との感情表現として理解できて、音楽や言葉や絵などが合わさることで、その辺りの丘を登るのとは異なるものを経験可能だと語る。

リヒャルトシュトラウスの音楽を聴いて、ここは登りの、頂上の、下りのどういう場面過を想像してみる。そこで、ライヴでお話しをする。決して書いたり読んだりしないという。音楽のライヴ感を大切にするのだと。これは恐らくこの企画で最も重要なコンセプトだったろう。なぜならば作曲家自身の経験を反芻しながらの創作を考えればその感覚はまさにライヴ感を伴うもので固定されたものではなかった筈だからだ。

特に音楽ともいえないような前奏の暗い響きについて質していて、メスナーはその心理に注目していて、準備万端を整えた不安だというのである。全て間違いないほど陥る不安で、頂上へと、人よりもはるかに大きな山への畏敬の念は、人が英雄として一矢を射るようなものなどではないとしている。要するに夜明け前の本質的な不安感であるとしている。

そして山へと向かう限り人は必ず死と向かい合っている。だから下山で戻る時いつも復を味わうというのだ。そしてその山の美しさがあるとすれば、本当に厳しい登山の中での感受であり、里から山を見ているようなことではその美しさに触れることがないとしている。

リヒャルト・シュトラウスの「アルペン交響曲」で描かれていることは、概ねこうしたことで間違いはない。実際には高い山に登っていなくてもアルピニズムの心理を描いている。そして、それは傾倒していた一部ニッチェの哲学でもあるかもしれないが、それ以上にガルミッシュパルテンキルヘン周辺の前アルペン地域におけるアルピニズム受容ということで間違いないだろう。その屋敷も一般公開されることになっているが、具体的にはあまり情報がない。



参照:
"ZWEIFEL SIND UNGEMEIN WICHTIG", REINHOLD MESSNER, BR-Klassik vom 7.2.2023
歴史的な感動のその時 2013-08-27 | アウトドーア・環境
これが三度目の正直か 2019-05-03 | 雑感
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森の中に木を隠す

2023-07-29 | 文化一般
NASに繋いでいる二つのHDDを掃除している。容量が一杯になっているからで、重なっているファイルなどを一つに集めた。そうした事務的なデータ数は限られるのだが、そこにオーディオとヴィデオが入ると直ぐに一杯になる。1TGと3TGを予備的なストレージとしている。以前はそれらが全てだったのだが、流石にNASは16TGと一桁違う。

先日のバイロイト音楽祭初日「パルジファル」の批評を読んでいる。あまりこれといったものはないのだが、なによりも共通しているのは、舞台神聖劇の意味に関して、最早環境リベラリストが溜飲を下げるのが今回の公演のハイライトのシーンだなるところの見解である。つまり聖杯として地面に投げ落として割るのはコバルトでありリチウムの玉なのだ。ここに全てが集約していたのは分かった。そもそも音楽的にもおかしかった山だったのだが、私が直後に呟いたようにそこにはミトスがあった。「ネトウヨミトス」と書いたが、より危ない「環境テロミトス」かもしれない。そう言えばバイロイト音楽祭では客席からは舞台に上がれないのでテロの対象にはなっていないのかもしれない。

今回各紙で再び顧みられた2004年のシュリンゲンジーフ演出は、ある意味今回の制作の意味を反比例させている。改めて当時の新聞評などに目を通す。初日の様子で玄人などの座っている席の周辺は総立ちになったと書いてある。同時に強いブーがスキャンダルになった。個人的には第二回目公演を観たのだが、状況は似ていてどちらかといえばブーへのカウンターの方が多かった気がする。

フランクフルトアルゲマイネ新聞が書くようにそこでだけ上演が許されていた劇場での初演から八回目の制作は単刀直入に創作者の創意を呈示したとなって、これほどリダンダンシーのフェールセーフも無い演出はなかったとされ、ゲッツ・フリードリッヒの1982年制作の問いかけにもすべて応えていたとされている。

そこで何が起こっていたかは明らかで、ごったな意匠の中で、何かが起こっていた。それはヨゼフ・ボイスの活動から演繹されていた。当時はそれを示すためのデューラーのウサギが使われていて、それもプロジェクターによって映し出されることで、不慣れな聴衆には情報過多とされたのだった。その分舞台を黒い光が照らし出したのだが、粗20年前の聴衆には眼がついて行かなかったっというのが事実だろう ― 楽匠自身、聖杯など抽象的にあるべきとしている。

それに合わせてブーレーズ指揮の奈落は極力音色を抑えたグレーな色での構造が示されたと書かれている。勿論この作品を楽譜が読める指揮者が振れば今回のような音色混合とはならない。これだけで如何に今回の制作がアンチの制作だけでしかなかったことかが分かるだろう。



参照:
伝統という古着と素材の肌触り 2004-12-03 | 文化一般
デューラーの兎とボイスの兎  [ 文化一般 ] / 2004-12-03
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望まれる開かれた応答

2023-07-28 | 文化一般
窓を締めて就寝すると深さが違う。その様な季節の方がやはりいい。そして暑くないと夕食を早く終えれるのでその影響も大きい。胃腸の調子は好転はしているがまだもう一息である。下着を着けるようになったので、これで治る筈なのだ。

夕方早めに走れるようになったのも大きい。バイロイトからの中継の前に走って帰ってきて、「ラインの黄金」続きを流していた。ビールを飲みながら邪魔にならない程度に流していたのだが、それでも威勢良く鳴らして、声が出てくるとブレーキを掛けて声に合わせようとしていた。素人の指揮である。その様な指揮をしていたのでは海千山千の楽団や歌手に馬鹿にされるしかない。昨年はそれで病気欠場となったと思うが流石に今更自体も出来ないので、一夏だけは振るようだ。

そもそもカタリーナ・ヴァ―クナーがこのフィンランドの指揮者インキネンを新制作「指環」に起用したところで結果は決まっていた。そしてコロナ二年目に「ヴァルキューレ」だけを振って、撤退は既に決まっていた。来年は恐らく浪人者のヴァイクレぐらいが振るのだろう。日本で活躍しているヴァイクレはフランクフルトをお役御免になったので、代わりに入ったグックアイスの代わりにベルリンでちょこちょこと臨時に入るのだろう。

そのような訳で主役の歌手も好き放題歌ってと評されるように芸術的にも程度の低い歌唱となっていた。その中でオッカフォンデアダマロウはとても評価されている。あまり気が付かなかったのだが、それは並ぶ名前からしてピカ一の歌手だと感じていた。放送での紹介を聞くと歌手になる前は音響技術の方を学んでいたというから、楽器でもやっていて、そこまで行かなかったからの選択だったのだろう。そして歌手になったのは幸いでと紹介されていて、今後主役へと未だ大きくなる歌手に違いない。10月の千人の交響曲で十分に通る声を聴かせてくれると思う。

今後のバイロイト音楽祭の新体制での力関係が明らかにされた。37%で連邦共和国とバイエルン州が並ぶ、州に権利を譲った音楽祭友の会は13%と地元バイロイト市と同格となる。小さな二つが協力しても大きな二つのどちらにも勝てないので事実上の主導権は全くなくなる。つまり少なくとも政治的にも公的な体制に反するような支配人が腕を振ることはなくなった。政治家の仕事であるからヴァ―クナー家のカタリーナを追い出すようなことは誰も提案しないが、敵失でプランBへと自動的に進み、その体制が定められる。これで少なくともAfDに関わるような連中が表舞台には出て来なくなるだけで喜ばしい。開かれた議論によっての民主的な運営が望まれる。



参照:
舞台神聖劇の宗教性の有無 2023-07-26 | 音
楽匠の理想、音楽劇場 2023-07-23 | マスメディア批評
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アナーキズムの舞台神聖劇

2023-07-27 | マスメディア批評
承前)終了まで一通り流した。ラディオは念のために録音していたが、映像は流しておいて、ところどころ映像の方の音も流した。つまりオーディオ的にも把握して、演出も分かった。

結論からすると三幕の山をフィナーレのパルジファルの独唱に持って来ていて、そこを最大のダイナミックスで鳴らしていた。興行的に考えれば、その前の「一生馬鹿者」にテノールのシャーガーの顔つきがお似合いと、公演直後にツァイト紙のおばさんが語っていたが、それに尽きる。要するにその急遽代わりに歌った歌手のキャラクターと馬鹿声を百パーセント活かせていた。それはそこへの裏返りそうな声など聴きものであった。

独語歌唱がもう一息とされたやはり代わりに入ったガランチャの強い声とそしてアンフォルタスの上手な歌唱、そして何よりもグルネマンツの名唱がこの公演を価値あるものとしていた。

しかし、演出とその音楽指揮は完全にこの作品の宗教性を完璧に壊していた。抑々最後のフィナーレは浄化された後でのエピソードでしかない筈なのだが、その洗礼の音楽から聖金曜日への音楽へと全く「奇跡」が起こっていなかったのだ ― 楽匠への皮肉と受け留めるべきなのか。

3D眼鏡で見えたものは総合するとちゃちな映像で、最後には劇場崩壊の終焉のようなものもあったようで、愈々カタリーナ自身の自己崩壊が表現されたような塩梅となっている。しかしはっきりしていることは誰かが火をつけない限り、ヴァ―クナー家が無くなっても国の文化記念物としてその劇場は今後とも文化的に利用されることになっている。

そしてその眼鏡はどうも私の眼鏡グラスの瞳孔測定とは異なって眼球の動きに反応していないようで、顔を左右上下に動かさないと見れないらしい。1000ユーロもしてその機能は余りにも時代遅れではないのか。

そこに宗教性のサブカルチャー化などの形での表現はアナーキズムでしかありえない。ここにカタリーナなどと仕事をする連中の危うさを感じる。要するに反エリートであり、同時に芸術家気取りの連中なのだ。前回制作よりは今回の方が誰が観てもよかったと思わせるそのウラウフェンベルク演出のそれがあまりにも酷かったことでもあり、その人物自体がこうした仲間にも含まれていた。

「アシジの聖フランシスコ」の舞台に神聖なシムボルがなければいけないとするシュトッツガルトでの批判とこれは全く意味が異なる。何よりもそこを指摘できない評論家ばかりでこれが最も痛い。



参照:
精霊が肉体に宿る音楽 2023-07-10 | 音
輝く時へと譲るべき大人 2019-07-28 | 文学・思想
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舞台神聖劇の宗教性の有無

2023-07-26 | 
メルケル元首相やEUのフォンデアライン委員長などがバイトロイトに集結する。初日にマリア・フルトヴェングラーなどと同様に招待されているからだ。新制作「パルジファル」初日が生中継される。以前はラディオ中継しかなかったのだが、昨年からストリーミング中継されるようになった。技術的な問題ではなくて、その程度の上演でもストリーミングならば商売にするという複製芸術の価値の低下が証拠付けられる。要するにメディア崩壊の証である。

演出家の意図は分からないのだが、ディクテーションをしっかりつけて表現を最初からはっきりつけている。問題はそのように音楽が書かれているかどうか。指揮者はそこで小さなイヴェントを木管などを故意に強調してつけている。間違いではあるのだが、演出に呼応している限りは受け入れられる可能性がある。それゆえにアーティキュレーションは舞台上と奈落は呼応していない。

最初のハードルである晩餐の音楽となると、合唱も奈落も鳴らし切るしかないということになって、三幕にしわ寄せが来そうである。まさしくメシアンが作曲家ヴァ―クナーは晩餐の変容を信じていなかったと揶揄さわれるところであり、もしそこがそのようにならなければ、少なくとも聴衆を信じさせるだけの効果がなければ、舞台神聖劇とはならないであろう。

さて、どうなるだろうか?演出として音楽として説得力を持つ上演になるかどうか。

少なくとも上記のようなディクテーションの力も借りて歌手は細かな演技と共に見せ場を作れる演出となっている。グルネマンツも最初から解説口調の親切なハンスザックスのようで、これで最終幕のフィナーレ迄しっかり歌い切るだろうか?

音楽的には嘘くさいのだが、少なくとも歌手陣に関しては前回の2019年の上演と比較すれば遥かに上出来である。指揮者がそれほどでなくてもなんとか上演を成功に導くには異なる所で上手く運べば何とかなるのか?

少なくとも一幕が終わって早速一人がブーを素早く出したて、それに反応するように拍手が出た。バイロイトなどでは特に拍手とならない神聖劇なのだが、そうした趣とは全く異なるということになる。しかし、最も重要なのは三幕の聖金曜日の音楽における宗教性なので、そこまでどのように至るのかだけが問われることになる。

夕立となって、貴賓が赤絨毯を歩くところは生中継されなかった。(続く
PARSIFAL (Wagner) - Bayreuth - July 25th 2023




参照:
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
凱旋無しのヴューイング 2023-07-25 | 文化一般
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凱旋無しのヴューイング

2023-07-25 | 文化一般
日曜日のミュンヘンからの新制作「アイーダ」中継を観た。久しぶりにバイエルン国王をローゲに見た。ここ暫くの初日にはその家族の何時も来ている人しか見かけなかったように思う。抑々王族ウオッチャーでないのでなぜかはよく知らない。ペトレンコ時代にも最初の方にしか臨席はなかったと思う。

本来の王のローゲつまり彼のルートヴィッヒ二世などが一人で若しくはヴァ―クナを傍らに観戦していた場所はバイエルン州に権利を譲ったので、恐らくブルーム文化相ではないかと思ったが入っていた。その前にはペトレンコのブレーンであるクラスティングが入って来ていて、文化相の横には支配人のドルニーが入っていた。

BMW主催のオープンエアー中継もしていて、主賓はBMW関係だと思っていたが、違ったようだ。

上演は予想以上に演出が悪く、舞台上の芝居の指導すら出来ていなかった。無意味な演出にスカスカな舞台があっただけだった。放送では初日を聴いていたので知っているが、より細かなところで悪かった。指揮者が真面なフレージングを作ることも無く、その一方イタリアのベルカントが重要だと話しているのを見ると、全然駄目な指揮者だと認知した。

前回のベルリオーズの時は評判が良かったので「ブルートハウス」の前に序に一幕だけ立ち寄ろうと思って券を購入していたのだが、思わぬ渋滞に巻き込まれて叶わなかったのが昨年の五月だった。今回の新制作でかなり評判を落としたと思われる。

リオンの音楽監督なので、エンゲルと同じく支配人の推しで首席客演指揮者になっていても今後が思いやられることとなった。

それ故か期待されていた現在最も優れたイタリアのメゾソプラノとされる歌手が初日から下りて仕舞っていたので、一年に一回のハレの場の上演としては最低の域であった。

今年の暮も忙しくなりそうなので、新制作「こうもり」も行かないとすれば、今年のみならず来シーズンも一度ぐらいしか行かないかもしれない。すると次の9月と10月の二回オペラ以外で出かけることになる。

指揮者選定が間違っていると言えば火曜日にはバイロイト音楽祭が初日生ストリーミングとなる。これも音楽的な失敗は予想されているだけではなく、3D眼鏡使用のとんでもない演出になる可能性が強いので、見逃せない。カタリーナ体制のトドメとなるだろうか。



参照:
創造の霊感と呼ばれるもの 2023-05-17 | 音
外国国歌を起立して歌う馬鹿 2022-03-15 | 文化一般
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マンダリン入りザーネ

2023-07-24 | 文化一般
健康保険の掛け金が戻ってきていた。800ユーロを越えていたので、必要な税金支払いの為に清算しておいた。税金だけでも二種類払い込んでおかないと面倒なことになる。車両税も安くはないが仕方がない。

デジタルコンサートホールに昨年の復活祭の新制作「スペードの女王」の映像がようやく上がったようだ。当初は直ぐにも提供されるような話があったのだが、予想以上に時間が掛かった。恐らくNHKを初めとする共同契約のパートナーが放映などをするのに時間が掛かったのだろう。個人的には何よりもハイレゾで聴けるというのが大きくて、一年以上掛かってようやく再会ということになりそうだ。

この間にベルリンから一週間の無料券が送られてきているので、時間がある時にそれを確認しておこうかと思う。8月25日19時からもベルリンの初日が中継されるのだが、ルツェルンで29日にライヴで接する迄にヴィデオを観ておこうか、それとも20時からの時差で放送を聴くべきか。初日の場合は一週間以内にアーカイヴ化されると同時にハイレゾとして聴けるのだが、29日には間に合わないだろう。

年内では11月3日の極東ツアー前の中継も聴きたいがこちらも放送もあるのではなかろうか。その他9月14日、15日の演奏会はベルリンで17日にミュンヘンで聴くので当分はどちらでもよいだろう。

手元の英語の小説物を探した。英語でチャットして以来、英語の語彙の独語に比較しての欠乏を強く感じたので、フレッシュアップしたい。文法などは最早若いパートナーなどには追い付かなく、こうなれば音で感じるしかないと思っている。やはり映画を観るのが本を読むよりも良いかと思った。そこで自身の為になり同時に興味を持てるのはデーヴィッド・リンチの映画かと思う。ちらちらとは知っていても、「ジエレファントマン」以外全編真面目に観たことがない。

一体何が面白そうなのか、少し調べてみないと分からない。先ずは無料のショートフィルムぐらいを観て感触を掴もうかと思う。さて無料で見つかるか。

先日パン屋で購入したザーネのシュニットはマンダリンが入っていて良かった。もう一つはいつもの種付きチェリーケーキだったが、両方とも水曜日に購入して、冷蔵庫に入れておいたら金曜日までチョコチョコと楽しめた。



参照:
巻き起こる大小の乱気流 2023-01-11 | 文化一般
苦みの残る「愛の学校」 2022-10-28 | 音
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
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楽匠の理想、音楽劇場

2023-07-23 | マスメディア批評
今週は音楽祭開幕に先駆けて、いつものように政治家が発言した。バイエルン州の文化相ブルームで、2025年で任期満了となるカタリーナ・ヴァ―クナーの去就に関わる発言である。基本姿勢は政治家らしくヴァ―クナーのいないバイロイトのプランBは希望を含めて考えていないないということなのだが、バイエルン放送協会の記事では、既に大きな株主であるバイロイト友の会の支持が得られなくなっていて、当初からの危惧までに言及されている。更に文化相はその友の会の株の一部を州が買い取るということで、同じく連邦政府のシェアーよりも大きくして一義的な決定権を持つことが求められているとする報道となっている。

これらを総合すると、どこかでカタリーナに引導を渡して、バイエルン州が後任を選定するという構図が定まることを示している。

するとここから推測されるのは、2025年以降の新体制で、恐らく現在ザルツブルクの復活祭音楽祭の支配人をしていて、2026年からペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの復活祭の計画を進めているバッハラー氏にその白羽の矢が立つものと思われる。

上でも書かれる友の会の保守的な層をも納得させながら、政治的にもミュンヘンでも成功を齎したバッハラー以外には適役がないとして広い支持を集められるに違いない。

勿論個人的には反カタリーナで対抗場として手を挙げた故モルティエ監督の系列で現在シュトッツガルトの支配人ショーナーを推すが、もう一つ音楽劇場として成功して欲しい。その意味からも今回の「アシジの聖フランシスコ」の成功は前回の表彰された「ボリス」に続き大きかった。勿論そこには指揮者エンゲルとの協調作業があった。

先ずはペトレンコがバイロイト復帰してからでも、バイロイトでの本格的な音楽劇場化即ち楽匠が理想とした音楽劇場が漸く実現する道へとショーナーとエンゲルに引き継いで欲しい。

その為にも今回の「パルジファルを」批判的に扱ってその道を継承したメシアンの作品が大きな意味を持つのであった。多額の税金を投資しての音楽劇場の在り方は、様々な意味でシュトッツガルトの劇場が示していることになる。

当該報道番組では、バイロイト音楽祭の問題として、他所の音楽祭などと変わらぬ高額入場券と、また他の劇場で聴ける歌手陣の割には、バイロイト滞在には魅力がなくてと観光的な欠点が並べられて、何よりもICEが止まらないこととしているが、それならばもはや楽匠の音楽劇場のイメージからは外れるのではなかろうか。



参照:
Bayreuther Festspiele: Kunstminister Blume fordert Veränderungen, BR24 vom 21.7.2023
下馬評に至難な金科玉条 [ 文化一般 ] / 2007-09-30
賞総なめの音楽劇場指揮 2023-01-17 | 音
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十年ぶり完動となるかIXY

2023-07-22 | ワイン
腹の調子はもう一つだ。涼しくなってきたので余計に腹が冷える。そろそろ布団も取り換えて残暑への備えも必要かと思う。盛夏も残り三週間も無い。少し寂しい季節にもなる。因みに今年は日除けを出さずに来て、これから出して、昼も日陰のバルコンで過せるようになるか。即ち陽が射し込んでくるので日除けが活きて来る筈だ。

余談ながら昨秋九月からの水漏れは月曜日に解決した。乾いた季節で湿り気の精査が出来たこともあって、水洗すると濡れることが分かった。職人が来て、三十分時間があればパッキングを取り換えるというのでやらせた。懸案の洗水か配水かの結論は為されなかったが、同時に交換して仕舞えるのでその判断の必要も無かった。幸いその便器で用を足した人は殆どいないので、その接続パッキングも明らかに傷んでいたのだが、とても不潔なことはなかった。それでも浸み出していたのは不愉快だった。二人の作業員で30分はとても手軽に終わった。面倒ならば使わない便器を取り換えて足洗い場に改造しようと思っていたが、これで便器さえ清潔にしておけば少なくとも掃除の水ぐらいは問題なく排水可能となった。

十年程前に岩場から腰のベルトにつけていて20m程下に落としたキャノンのIXY。不思議なことにケースに入っていて壊れなかったのだが、日付時刻の電池が壊れたのか二度と時を継続してカウントすることがなかった。ふと気が付いてその予備電池を取り換えられないのかとネットで調べたが難しいことが分かった。更にコードで充電したりしたら回路の関係で再び生き返るかと思ってやってみた。少なくともコードで充電しながら日付を動かそうとすると固まった。そしてコードを抜いて更に電池で駆動させたりして日付を動かした。また電子回路の関係でストロボが焚けるかともあったのでやってみるとシャターが押せなくなっていた。どこかコードで通電を切り替えするコマンドがあるかと思って探していると、工場出しにリセットに気が付いた。どうせ消されて困る調整はないのでやってみた。なんと10年ぶりに予備電池が動き出したようだ。これで十年ぶりに時を刻んでいる ― その後違うバッテリーに帰ると元に戻ったが再び時計を合わせればスイッチオフにしても時は継続的に刻んでいた。そして車中に入れておくとメインバッテリーが放電してしまう問題があったのだが、もしかするとそれもこれで解決するかもしれないと期待している。するとストロボ以外は完動品に戻る。

先日日本からお土産に貰った日本の赤ワイン。基本サンテミリオンタイプでそこにシラーやらファンデル等で味を調えてある。但し2009年となっていて、アルコールが15%と異常に高い。中身はキャリフォルニア産なのでどのような遺伝子操作も許されているので、恐らく毎年の様に同じようなものも生産可能なのだろう。我々がコーラワインと呼ぶところである。

お味の方は中に入っているものとの齟齬はなく、アルコールも思ったより丸まっていたのは年来の熟成のお陰か。ピッツァディアヴォーロのご相伴に丁度いいワインだった。



参照:
報告書類を纏めるために 2023-06-02 | 生活
牡鹿搭からカメラを落とす 2014-04-20 | アウトドーア・環境
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有機的な鳥の囀りの表徴

2023-07-21 | 
承前)鳥の囀りに全てのメッセージが宿っている。その前景において天使が登場することで、音楽する天使、そして鳥のそれが啓示となる。作曲家メシアンにとって最も聖的な表徴である。

鳥の声の採取とその素材の音楽で有名な作曲家であるが、ピアノ曲などは明らかにリズムの実験のようなものであり、テュ―ランガリア交響曲などでも後期ロマン派風の甘い音楽しか聴かせていない。しかし、その囀を管弦楽で扱って、この大曲へとその集大成がここ鳥の説法によって為される。

その大小の鳥の演奏会に集約される。今回はテロップで22種類に及ぶその鳥々囀るところで名前が現れ、それへの言及は各紙であった。しかしそれがこの曲の核である示唆は劇場サイトにしかなかった。初日を一度体験したぐらいでは確信も得られなかっただろう。

最終日のその囀りは見事であった。上で言及した様にリズム的な骨子は基礎になるのだが、やはり囀りのニュアンス迄踏み込むという試みがなされていた。即ち採譜されたものをエンコードすることになる。客演指揮者がどこ迄それを促せたか。メシアンの楽譜もそこ迄音化出来るとなると、リストなどの聖フランシスコ楽曲などとは異なり取り分け大きな意味を持つ楽曲となる。

ピアノから他の楽曲への流れは、「世の終わりの四重奏」の「クロノクロミー」など初期や中期の曲などもあるようだが、やはり「星の渓谷」などの後年の有機的な動機運用が為されているのか。

その最たるものがこの大小の鳥の演奏会だ。そしてそこからこの大作が想起されている。音楽こそが神の表徴であるとテキスト化もされて三部のフィナーレへと持ち込まれているのだが、音楽的にも天使の動機がその予知のようなものであれば、鳥の演奏会がそのもの節理でさえある。同時に演奏は難しい、これを知ると何故初期にピアノ曲としてカタログなどと称して鳥の囀りがリズム的に徹底的に分析的に素材化されたかの理由の推測は容易い。即ち聴者は、そこでのあまりにもの素材化が作曲家独自の無機的ですらある音楽性として感じられ、他の楽想とのあまりにもの落差のようなものを感じたのではなかろうか。

今後とも野外での今回の演奏での森の鳥との呼応などは語られることがあるだろう。しかし、その中でメシアンの音楽的な核を明らかにした演奏としての歴史的な価値も認められてくるのではなかろうか。それはこの音楽劇場作品の歴史的価値ともなりえる。(続く



参照:
地下鉄7分、徒歩6分 2023-06-06 | 文化一般
聖者のエコロジーシステム 2023-07-08 | アウトドーア・環境
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Play Bigの新たな指揮者像

2023-07-20 | 文化一般
ボッフムで安いアパートメントを一泊借りた。それで旅程を考えたら問題なく安あがりに旅行可能なことが分かった。すると適当な席を確保するだけだ。二日目金曜日は「お友達まとめ買い」のオファーがあって結構売れていたのだが、初日は未だ良さそうな席が余っていた。しかしランクとしては第二ランクの52ユーロで全然安くはない。

このトリエンナーレは我々がザルツブルクでパトロンをしていたにも拘わらず右翼ポピュリストの故ハイダー副首相に駆逐されたモルティエ博士が2004年から始めたそうで、私がエンゲルと会っていたのが2002年であり、彼がモルティア博士のセミナーを既に始めていた筈だ。そういうことで、私にとっても当事者でもあり、今回バーゼルの世界最大の現代音楽管弦楽団ジムフォニエッタの音楽監督就任の地元でのお披露目以前にボッフムで初日を迎えるとなれば馳せ参じる必然性を感じた。

実はこの演奏会プログラムを知ったのは最近で、気が付いていなかったのだが、バーゼルの国境を越えたアルザスでの演奏会に訪ねることを考えていたので、旅程が全てだった。距離からすれば片道で100km程の差があり往復200km増加は宿泊の有無の差異となる。しかしそれ以上の価値があるとみた。実際にNDRで中継録音もされるようでそれなりの準備はしてくるだろうと期待できる。

更に話しには聞いていた元炭鉱機材の展示会場になっていてクルップ社がその場所をルールの文化の中心地としたその歴史的建造物ヤールフンデルトハレをも体験したいとも思った。バーゼルの催し物にはまた何時でも行ける。どちらかと言えば他のものに行きたい

今回は先ずはタタール人グバイドリーナの古い曲の再演で高齢の本人は来ないと思うが、二曲目の委嘱作はスイスから作曲家が来るだろう。そして前二曲と同じようにジャズバンドを使ったアンデルセン作品「トリオ」再演はジャズから音楽を始めたエンゲルが再び第一人者として指揮する。そこでSWRの映像素材や映し出されるカルロス・クライバーとエンゲルを比較していたのは何を隠そう私である。

そしてコンサートのタイトル「Play Big」はそのものだ。勿論ビッグバンドのことを意味するが、ペトレンコと賞を分かち合いそのクラシックレパートリーの厳選からクライバーと比較される指揮者エンゲルは、もはや指揮者をプレーしかないというタイトルでしかあり得ない。一度切っ掛けを掴んでしまうとなにもかもがそのパフォーマンスの源泉となって来て、上の二人が特異な指揮者像を形成していったのに相似してエンゲルが雪達磨状に広がっていく稀有な指揮者像を世に問うて来ている。
TRIO excerpt #1




参照:
九月の旅程を練る 2023-07-19 | 生活
エンゲルの表徴の演出 2023-07-17 | 文化一般
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九月の旅程を練る

2023-07-19 | 生活
九月の準備を始める。先ずは、ベルリンのフェストシュピーレの曲目からだ。クセナキスの「ジョンシェス」、ハルトマンの「ゲザンクスツェーネ」、新曲初演、そしてクルタークの「ステレ」。その翌日のヘンツェ作「メデュスの筏」、その翌週のボッフムでのステンアンダーセン「トリオ」をどうしようかと考えている。

ベルリンからミュンヘンに廻って四泊五日の旅から月曜日に戻って来て、木曜日か金曜日にボッフムへ一泊も厳しい。帰りにラインガウで試飲会も厳しいか。それを逃すと10月1日にアルザス往復になる。日帰りで往復となるが、イヴェントとしては前者の方が大きいだろう。10月3日からバーデンバーデンでフィラデルフィア管弦楽団。

ボッフムへはミュンヘン往復と粗同距離になるので、途上でいいところに泊まれるかどうか。調べて見ないと分からない。ルール河周辺の風光明媚なところとか何かあるだろうか?二種類の方法があるが渋滞時間を避けてケルンの環状線を通るのが近道らしいが。

部屋だけは65ユーロで予約しておいたが、まだどうするか分からない。なによりも旅程の方が重要で、それが上手く行かないと厳しい。20分15km程会場からの距離なので、開場前にみるところもなさそうで、18時ごろまで休めるか。

音楽会が引けてからホテルの旧市街まで戻る方が飲み屋はあるかもしれない。翌朝は11時迄なので、夕方には帰宅可能だろうか。

その前には8月末のルツェルンの音楽祭で、ここではレーガーのモーツァルトの主題による変奏曲が極東公演に先駆けて演奏される。それが30日水曜日であり、14時に近郊のアパートにチェックインする。こちらは距離感があるので、ピクニックの準備をしておけば、翌31日木曜日のブラームスのハイドン変奏曲、シェーンベルクの変奏曲、ベートーヴェンの八番にもゆっくり備えられる筈だ。同じプログラムをその日曜日に近くでもう一度聴けることは大きい。

ルツェルンからの帰宅はチェックアウト11時でやはり金曜日夕方には着いているので、翌日土曜日の14時迄のチェックインの為にピクニックの買い物などを考えておかないといけない。ルツェルン駅のコープで日曜日のチーズなどを余分に買えるかどうか。又泊まる郊外のアパートメントの近所でスイスの日曜日まで食せるパンを買えばよいかもしれない。この間にベルリナーフィルハーモニカーはパリで最初のプログラムを土曜日に演奏して、翌日に最終地ルクセムブルクに入る。



参照:
旅程確定の席取り結果 2023-07-14 | 音
やっぱりガダニーニだ 2020-06-22 | 女
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夏の間だけのお楽しみ

2023-07-18 | 生活
久方ぶりに涼しくなった。気持ちよい。夕食には牛肉を買ってあるので、鉄板グリル焼き風に処理して青梗菜や傷んだニンジンを片付けて仕舞おう。ワインは過アルコールの日本産キャリフォルニア赤ワインがあるので、上手く料理にも使って仕舞おう。牛肉はローストビーフ部分なので、それ風のニンニク醤油赤ワイン味がいい。

ここ暫くは飲酒後の就寝前に宇治の新茶を淹れている。コーヒーは眠れなくなるのだが、緑茶は鎮静効果があるようで、特に飲酒後には寝つきがよくなる。残念乍ら紅茶には同効果は薄いと感じている。今回は新茶でより効きそうな感じがある。朝のすっきり感と眼の関係は分からないが、眼の下の隈が消えかけている。やはり目が疲れたと感じる時が酷い。

日曜日の朝からゴミ箱をあさった。ランニング用の靴下が見つからない。前日に洗濯の際に気が付いていたが、やはり探しても無いので、先週のシュトッツガルトでの歩きのあとに何処に入れたか。ランチの紙袋に入れて捨てたかと思って、探した。紙の塵であるから汚くはないが、嫌である。そしてなかったので、車の運転席の下をあさったらあった。助手席の向こう側とか、運転席が一番分かり難くなる。要らぬものを発注しなくて済んだ。

「アシジの聖フランシスコ」千秋楽から一週間経った。まだ色々と振り返っている。またその千秋楽前にチャットの彼女にメッセージを送っていた。内容は、その縛りショーの足の動きから、動物振りの意味が直ぐに分かり、演出の真意つまり「聖フランシスコの全能の神の創造物への博愛」に繋がって、千秋楽にも出かけるつもりだと書いた。そしてトレイラーのリンクから理解してくれるだろうと、「君は全くもって私の愛する生き物だよ」と口説いておいた。一日以上掛かってからハートが返って来ていた。こういうことをその意味するところを博愛の彼女が分かってくれないとお話しにならないのである。

地元のウクライナ女性のパンツが先日から気になって仕方ない。ぴっちりしているので見事なプロポーションがどうしても浮き彫りになる。既に二回程は言及しているのだが、なんとなくお互いに感じる所もある。やはり直截的にここは口説いておかないといけない。最早面倒なこと考えないで、彼女の美しさを求めるしかないであろう。流石に顔つきは十代のはちきれた感じは無くなってきたのだが、まだまだぴちぴち感がある。しかしこれだけの女性がなぜ未だ僕に口説かれているのか不思議なぐらいである。ここは素直に美点を上手に褒めなければいけない。人前でなければセクシャルハラスメントにはならない関係性は流石に築いている。先ずは何よりも気分を高揚して貰わないといけない。ドサクサに河川の池かどこかに泳ぎに連れ出したい。バーデンバーデンへとサウナに連れ込むのもよいなと空想しているだけか?



参照:
煎茶で深い眠りに落ちろ 2008-06-23 | 女
ファーストフラッシュ価値 2022-05-08 | 料理
コメント (2)
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