Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2015年6月

2015-06-30 | Weblog-Index


普遍的とはされない特異日 2015-06-30 | 暦
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
遥かなるフェアートレード 2015-06-28 | 雑感
とんでもないことになる  2015-06-27 | 歴史・時事 
日本製エルピーダ社の中古 2015-06-26 | 雑感 
実験に値するのか大洪水 2015-06-25 | 生活
楽譜から響く管弦楽サウンド 2015-06-24 | 文化一般
小さな新帝王誕生の可能性 2015-06-23 | 音
カウンター攻撃の自己欺瞞 2015-06-21 | 歴史・時事 TB0,COM2
古の神話に関する解釈 2015-06-20 | アウトドーア・環境
彼のマンドリン奏者の思い出 2015-06-19 | 音  
偉大なるかなローカリズム 2015-06-18 | 生活
以前のものと比較する 2015-06-17 | 生活
反反理性への感情的高揚 2015-06-16 | 歴史・時事 TB0,COM2
ヴァージョンアップ準備完了 2015-06-15 | テクニック
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感
残された不思議な感覚 2015-06-13 | 雑感
初めての三星商会製品 2015-06-12 | テクニック
刃物要らずの親方殺し 2015-06-11 | 試飲百景
ロハスのスタイルとは一体 2015-06-10 | 文化一般
仮眠後の不健康な運動 2015-06-09 | 生活 TB0,COM2
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景 TB0,COM2
詳しく検証すべき記録 2015-06-07 | 雑感
増設しなければいけないのは 2015-06-06 | テクニック
財政破綻などどこ吹く風 2015-06-05 | 試飲百景 TB0,COM2
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
個体差かどうかの検査 2015-06-03 | テクニック
神の膝元のリースリング 2015-06-02 | 試飲百景 TB0,COM2
あり得ない理想の達成 2015-06-01 | アウトドーア・環境

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普遍的とはされない特異日

2015-06-30 | 
土曜日は「オオヤマネの日」と呼ばれる特異日だった。民間伝承でこの日の天気が先七週間つまりその年の夏を決めるということだ。ワイン街道では朝から雷が鳴り、雨もぱらついた。しかし午前中は肌寒いぐらいだったが、午後からは陽が出て夏らしくなってきた。要するにそれほどかんかん照りの盛夏にはならないということだろう。南ドイツで七八割方当たるようだから、これを信じる。

GPSでまだ走っていない8キロコースを行った。駐車場で一緒になった50年配のおじさんに先に走ってもらって、それをつけるような感じで走り始めた。ジョギングテムポの比較的痩せた人なので、それに等距離をおいて付いていくのは全く問題なかった。逆に抜いてしまうとその後を頑張りすぎるようなので押さえた。何よりもGPSの状況が悪かったのでそちらの方が気になっていた。1キロほどのところで道を逸れてくれたので、そこから真剣に走った。やや登り勾配になるところで辛いところだが、押さえていたので力が入った。

時計は確認しなかったが、歩数は1840歩であった。時計が狂ってしまっていて確認できないのだが、通常ならば11分ペースである。山登りは歩いていても結構苦しくなってくる。登って5140歩で、22分38秒で到着している。足元が湿り気味なので古い靴を履いて下る。太い樫に6分30秒後、降りてきて2KMを13分30秒後だ。全部で52分だった。町よりも摂氏二度ほど低い17度の森の中は気持ちが良かったが、折角のGPSが上手く捕捉出来なかった。

特定のブログ過去記事にアクセスが集まるときは、その内容を確認するために再訪することがある。そして読み返すと、誤字等を訂正したり出来れば読みやすくするのは当然だが、半年ほど前に自身で書いた記事でもその真意をなかなか読み取れないときがある。それは書き方が悪いだけでもないこともあり、しばしばその書いたときの環境を思い起こしてみなければいけないこともある。芸術文化や歴史を振り返るときにも必要な行為だが、自身の書いたものにもそのような必要性を感じることがあるのだ。もちろんその趣旨が読み取れるようになると、今度はなかなか自身の書いたものでもその謂わんとすることに思いを馳してとても興味深いことがある。義務教育の国語の授業のようなお話だが、表現とかそうしたものには必ず付き纏う「普遍性の確保」といった話題でもある。

パワーアップしたワークステーションで、ヴァルトビューネのオープンエアー中継を観た。朗朗がグリークの協奏曲を弾いていた。それを観ていて、確か毛沢東時代にも同じようなピアニストがいたなと思い出した。ヴェトナム出身のそれよりも以前に有名になっていた黄河などを弾いていたピアニストを思い出してしまうのだ。シナ的な特徴を別にしてもその西洋音楽に対するアプローチは全く文革当時と変わっていないということだ。要するに西洋芸術など全く理解できていないということだけだ。なるほど彼が話しているのを見ると、ユネスコ大使としての立場はよいのだが、既に33歳にもなっているのに驚かされる。ドイツにも同じような大人子供の指揮者がいたのを思い出した。



参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
零八憲章刺す天叢雲剣 2008-12-24 | 歴史・時事
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ふれなければいけない話題

2015-06-29 | マスメディア批評
シナでも指揮者キリル・ペトレンコ推挙が大きな話題となっているようだ。これには少し驚いた。それは今開かれているベルリンのヴァルトビューネでのオープンエアーがシナ人の憧れの的になっているからだ。調べてみると朗朗がサイモン・ラトル指揮で登場する。なるほどと思った。日本での爆買いと同じように、どこかに火付け役がいると、十億人の中の決して少なくない群に強い働きかけをしてしまうようだ。マスの恐ろしさは他の民族どころの量感ではない。先日話題となっていた六千人のフランスへの旅行団もフランス中のバスが集められて、団長の実業家はフランスの国務大臣に迎えられたという。因みにヴァルトビューネの入場者数は二万人を超えているから、スタジアム規模なので少々のシナ人が押しかけてもそれほど問題にはならないだろう。

そのような背景もあってシナでもベルリンの交響楽団の指揮者が誰になるか、否音楽監督が誰になるかと、我々でもあまり気にしないような楽屋裏の話のようなものが巷で話されていると聞いて本当に驚いている。日本における西洋音楽の歴史は、軍楽隊は別にしても、飽くまでも啓蒙思想における教養主義が基本にあったために、どうしても通的な感覚が蔓延っていて、上のようなシナ人の感覚からは大分遠い。

ここ十年ほどは音楽産業もシナの市場を抜きにしては語れないのは当然で ― 遠に亡くなった文化勲章の吉田秀和がこの事業に寄与していたと聞く、だから市場に朗朗のような音楽家は欠かせなかった。そして、今回の反応を見ると友好国ロシアの音楽家がサーカス団長になったとして、予想外の反応を示しているようで、今回の決定で鼻息が荒くなったのはバーデン・バーデンの関係者だけではないだろう。バーデン・バーデンへの観光客の増加はロシア人を筆頭に見込まれるが、シナ人も視野に入ってくるのかもしれない。火付け役の腕次第だろうか?それでも来年のヨーヨーマまでなら良いが、りんりんらんらんとなるとこれは御免である。

第一報を告げたディヴェルト紙の親仁のブログ記事と、北ドイツ放送局の反ユダヤ主義発言が大きな話題となって、事後の火種がまだ完全に冷え切っておらず、白煙のようなものが上がっている。前者の特種ねは指揮者ティーレマン一味の最後の一声でもあったかのようだ。後者は、生放送にて敗北したティーーレマンを贔屓して、「ドイツの響きのエキスパートで、その出で立ちは気品溢れる父性ヴォータン如しで、一方ペトレンコはユダヤの小さなグノーム如きで、アルベリヒのようだ」と語り、批判を受ける前に、「決して平均化はいけないのだ」と逃げたとあるから確信犯である ― 誰がミーメか、誰がローゲかは知らないが、まるでゲルマン神話に呪われているかのようなドイツ民族的な感覚はとても現実的なものである。

文字に残して、それを更に自己編集したその記録が残ることで余計に悪巧みを感じさせたのは前者で、「ベルリンの一つの椅子にダニエル・バレンボイム、イヴァン・フィッシャー、キリル・ペトレンコの三人のユダヤ人が」と書いて、ティーレマンがそのようにしたであろうと同様にと悔しさをにじませて、「幸いにもペトレンコは人間的によそ者にならないところが大きいだろう」と述べて、人種主義的な見解を明白にしておきながら、それを自制するように、態々「七十年前とは違うことを喜びつつ」と書き直している ― それどころかこの御仁は、またバイロイトの稽古始での「イゾルテ」キャンセルを巡って新記事を書いており、ここ数年で最大の話題となったアンニャ・カムペの代わりに飛びいる歌手を絶賛しつつ、ティーレマン一味を援護している。何て卑怯な男だろう。

ドイツ最大の公共放送局から、またシュプレンガー出版社のドイツ有数の高級紙からこうした声が聞こえるのはとても情けない。その背景にはティーレマンのような音楽家をのさばらせた社会背景がある。ここで述べられていて、ノイエムズィークツァイツゥングで反論されていることは、詰まらない社会的な動きと見えるが、実はこれはとても芸術文化的な背景があることを忘れてはてはならない。それどころか芸術文化の本質へと迫ることなのだ。つまり負け犬の遠吠えのばか者たちと、それらの理不尽と嘲笑していてはいけないということだ。

今回のベルリンのフィルハーモニカーの選択の裏話として、ティーレマンへの拒絶が強かったということに尽きる。150人の普通の楽師さんのなかではそれなりの人気があって後継者候補に上っていたことが伝えられてる一方、楽団理事会における拒絶とともに反対の意思が半数を超えていたと見えて選任は不可能とされたことで、あらかじめ「ティーレマンは投げた」ということになる。恐らくネルソンズへの強い支持は三分の一も超えなかったのだろう。ヴェテランを除外した後では、実力が抜きに出たペトレンコが最終選択で多数を得たことになる。

フランクフルターアルゲマイネ紙は、この話題をメディア欄でティーレマン支持の女性評論家が扱っている。そして社会芸術的な面に立ち入ることを避けている。要するに安物の話題として流しているに違いない。しかし、これを文化芸術的に扱おうと思えば、とても音楽的な本質へと掘り起こしていかないとならないので、到底彼女の実力では触れることが出来ないのだ。



参照:
Kirill Petrenko wird die Berliner hart rannehmen, Manuel Brug
Verlogene Differenzierung, nmz
Antisemitien-Salon, Was "Welt" und NDR zu Kirill Petrenko sagen, ist unfassbar, FAZ vom 26.7.2015
小さな新帝王誕生の可能性 2015-06-23 | 音
楽譜から響く管弦楽サウンド 2015-06-24 | 文化一般
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感
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遥かなるフェアートレード

2015-06-28 | 雑感
届いたヴェストを試着した。薄いメッシュ生地なので夏でも羽織るのに問題がないと感じた。しかし、ごみが落ちているのに気が付いた。繊維屑である、ポリエステルの屑だ。短繊維産業ならどこでもありえることなのだが、商品化されたものとしては珍しい。そのままベルトコンヴェアーから箱詰めされた感じだ。黒いTシャツを見ると可也付いている。椅子の周りも落とした。直ぐに袋に戻し、車のトランクに投げ入れておくようにした。一度綺麗に叩けば取れるのか、洗ってしまうと縫製が駄目になるのかは分からない。典型的なメードインチャイナである。安いもので出来るだけ使わないでよいものだからそれでよいのだが、室内に塵が増えたことよりも、その工場で働いているシナ人のことを考えると不愉快だ。それほど小さくはないので呼吸系に運ばれるのは少ないかもしれないが、毎日のように排泄の時のこの色がついているのだろう。フェアートレードからは甚だしく遠い。このようなことを思うとシナ人には中共が欠かせないのではないかと思ってしまう。

待ちかねたメモリーが届いた。日本製とは書いていないが検査番号も貼ってあって、一年保証だけのことはある。中古車を購入した感じであり、それほど悪くはない。早速、ワークステーションを開けて、今まで掃除していなかったところまでを吸引力を調整しながら掃除機で吸い取る。そして静電気を解消しながら徐に256MBのメモリーを二枚抜く。十年以上働いてくれていたメモリーで、これでお役目御免である。

そこにエルピーダーのメモリを挿して、準備完了である。徐々に緊張が高まる。上手く作動しない筈はないのだが、その効果に期待するのだ。そして立ち上げるとメモリーチェンジが告示されて、ハードディスクの読み込みが続く。心なしか機械音が異なる。立ち上がり時間はあまり変わらないようだが、ハードディスクの反応が違う。

XPが開いていつもよりも順調にスタンバイ状態となる。早速駆動グラフを提示させると、なるほどネットブロウザーを開くことでの負担は大きそうだ。同時に2GBになっていることを確認して、ハードウェアーの状況を確認する。なんとなく画面の色合いが異なり、色が明白になった感じで、更にYOUTUBEのペトレンコ指揮のショスターコヴィッチの七番交響曲の響きが力ら強い。序に、焼き付けてしまったAGPを断絶するようにした。今までもBIOSでは調整していたのだが、こうして切断してしまうのは初めてである。するとメディアの動きが良くなった感じで、グラフも、振り切れていたのが、96%ぐらいに安定するようになる。ダウンロードしてある「ディ・ゾルダーテン」を再生すると今までにないハイクオリティーが得られた。

経済的徴兵制という言葉を聞いた。日本が進もうとしている軍事大国化の中での軍事要員のリクルート方法を指すらしい。合衆国で一般的になされているリクルートとは知っているが、本当に日本で可能とは思っていなかった。しかし、社会格差が開いてきていて、学生を奨学金ローンで押さえ込んでいるので、合衆国のような方法が可能になっているらしい。少子化で教育を受ける門が大きく開いたかと思えば、学生への経済的な締め付けが嘗てないほど厳しくなっているようなのだ。社会が極端にアメリカナイズされることで、その教育現場も同じようになってきていても全く不思議ではないのだろう。



参照:
日本製エルピーダ社の中古 2015-06-26 | 雑感
反反理性への感情的高揚 2015-06-16 | 歴史・時事
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とんでもないことになる

2015-06-27 | 歴史・時事
ラディオで年金お話が流れていた。北欧の扱い方などを参考としたフレクシブルな年金体制への議論である。高齢化に伴って、能力のある人は七十になろうが八十になろうが楽しみながら意欲があるということで、一律な年金制度を止めて、各々の意思に従う制度にしようとする考え方である。つまり、労働を強制することなく、年金制度を護りながら且つ労働市場に穴を埋めようとする考え方である。同時に年金の破綻を食い止める。理に適った考え方であるが、どれほどの人が楽しみながら仕事を続けるかは分からない。

多くの人は何時まで生きれるか分からないというので、早めに年金を取り返して、楽をしようとしていると思っていたが、意外にそれだけではないようだ。勿論、年金受給を遅らせば遅らせるほど額が増えるので、生活に余裕が生まれるのは当然であろう。また反対に早めに年金を受け取る人は死ぬまで足りない年給で暮らさなければいけないことになる。

ナーヘのデンノッフ醸造所でのゲスト醸造所「キュンストラー」のリースリングについて、まだ書いていなかった。結論からすると旦那に言ったように十年前に出かけたときよりも大分印象が良かった。理由は分からないが、そこのパフューム風の味付け感が背後に隠れて、とても繊細なリースリングに仕上がっていた。試飲したワインは、テロワーの違いを際立たせた、ホッホハイムからタール、リュデスハイムのロットとあった。もちろん真ん中は態々距離のあるホッホハイムの醸造所に頼らなくとも地元の醸造所のよりよい地所のワインとは比較しても仕方がない。しかし最後のものはブロイヤー醸造所との比較になり、どれも州立醸造所との比較になる。なるほど彼の強いテロワーが出ていたがそれ以上の興味は湧かなかった。しかしホッホハイム周辺の馴染みの地所からよいものがあった。

その一つヘーレは、今まであまり購入していないが、なかなか上手に纏めてあった。アーモンドの気持ちよい苦味感の後味は抜群で、残糖と酸のバランスが絶妙過ぎて、酸を感じないほどだ。テロワーの出し方といい、決して容易ではないテロワーのホッホハイムで大変健闘している。

アメリカのピューウリサーチの調査結果が出ている。合衆国の対外イメージへの最新調査結果である。欧州では酷く、連邦共和国で半数しか良いイメージを持っておらず、45%は悪いイメージとされている。これはロシアに対する悪評に次ぐとされる。なによりも市民権を尊重しない国で、そこに軍事国として嫌われる。戦後長く感謝すべき国とされたその反動だとも考えられるようだ。またトルコも含む中近東では言わずもがな評判が悪い。一方、アフリカ諸国だけでなくてインドやヴェトナムそしてメキシコなどでは未だに人気がある国となっているらしい。調査を見ると中共との比較があって、ワシントンが二大国と意識しているのが良く分かる。

沖縄問題からそして安倍政権の従属姿勢へと日本でも合衆国への従属姿勢が明らかにされつつあり、恐らくマスメディアが原発報道同等に報道規制をかけているからこそ合衆国への批判的な視座は十分に浸透していないに過ぎないだろう。しかし、あまり市民権を侵害するようなことをすれば、沖縄知事が警告するように日米関係に取り返しの付かないようなことになるだろう。大韓民国の例を見ても分かる。



参照:
カウンター攻撃の自己欺瞞 2015-06-21 | 歴史・時事
刃物要らずの親方殺し 2015-06-11 | 試飲百景
十分検討に値するやり方 2014-12-13 | 文学・思想
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日本製エルピーダ社の中古

2015-06-26 | 雑感
発注していたIBMのメモリーが一つしか入手できないことが判明した。ペアーで使うのでキャンセルしたが、先ずは製品も見てみたいともって箱を開ける。なんと馴染みのサムソンのメモリーだった。それも番号等を読み明かすと同じ2002年産で、現在使用しているものが年末、今回のものが年始の同じラインで製造されていた。所謂バルク製品と呼ばれるもので、OEMのサムソン商品がIBMの機器のために売る以上に、大量に市場に出ていたのだろう。前回のものの一つにHPと書いていたから、様々なメーカに導入していたヒット商品だったようだ。そこで、全く同じメモリーであるから直ぐに返送する訳には行かない。17ユーロで格安商品で、新品として購入したので、簡単に手放したくない。

既にペアーの中古の同等品を見つけていたので、先ずはそれをアマゾン経由で発注した。二枚組み送料を加えて17ユーロしないので、先ずはメモリーを設置してみてから考えることにする。そして、今度こそエルピーダ社の日本製である。送信速度などが上のものの倍も速いので、実際にどのように動くかはやってみないとわからない。中古としては決して安くは無いのだが、販売店が検査などしていることになっているので、その点は大丈夫だろう。

もしこれが上手く動いてくれればそれでよし、あまっている一つは予備として保持しておいてもよい。また、これが動かなくて返品するとなれば、サムソンの全く同じものの中古品等を探してもよい。送料ともで10ユーロも出さなくても試せるのだから、それほど心配しないでもよいだろう。中古の安いものに手をつけるならば比較的選択することも出来そうだ。いずれにしても両XP機器はこれでメモリー容量2GBになりそうだ。

実は急いで発注しなければいけなかったのは事故停車時のヴェストである。イタリアなどの諸国では早くから携帯が義務付けられていたが、連邦共和国でも2014年から義務化していたのに気が付いていなかった。不携行の罰金額などは知らないが、事故の際にこれを身につけていないと間違いなく減点されるだろう。同乗者への義務でもあるので急いで五人セットを発注した。

本当はそのときに使用する三角警告板も足が壊れていたので発注する必要があったのだ。これも立ち往生したときに出していないと問題になり、不携行でも咎めを受ける。使っていないときは何とか騙せるが足が折れていると、落語「道具屋」の足の壊れた行灯のように立てかける塀ごと移動しなければいけない。これも軽そうなミシェランの商品を試してみることにした。

足元がよくなさそうなので、古い靴で走った。火曜日が沢沿い、そして木曜日は峠と、結構走り付いている。体調は悪くはないが、走る疲れも出ているので、息を上げないことを目指した。拍数は毎分160拍まで上がらないぐらいのジョギングテムポ、つまり本来のアンダンテテムポだ。

調べてみると面白いのは、そのメトロノーム設定の数値で、日本やドイツや十九世紀のフランスのそれなどの比較表が載っている。私の感じとしては必ずしも二拍子を当てはめた訳でも、心拍数を当てた訳でもないが、身体の感覚としての「アンダンテ」であって、モデラートやアレグロでは決してないのである。感覚的に歩くよりは完全に早いが、日本語の音楽用語では「歩くように」となっているが、それはandare a piediとなる用語から来ているので、英語でいえばアンダーレはgoでしかない。早いとか遅いで分類してしまうと議論となるだろうが、ジョギングテムポはアンダンテで、普通の歩行はアダージョで、町歩きや坂を上るのはラルゴだろう。数字の問題ではなく寧ろ言語や生活観の相違ではないか?因みに時速12KMなどで走るのは完全にアレグロで、10KMならモデラート、短距離走りならプレストだろう。これは反復練習無しにそんなに簡単に演奏できる速さではないのだ。

結果は20分49秒、降りてきて35分30秒、途中で便意を催したので、降りに力が入らなかったが、登りで息を切らなかった分、降りは飛ばせる状況があった。あまりスピードばかりを狙うと心拍数170ほどになってしまい苦しみしか残らなくなる。気温が摂氏14度ぐらいの気持ちよい朝だったので、やはり楽しみながら走ることも忘れてはいけないと感じた。それでも降りてくると確り汗をかいていた。



参照:
メモリー拡張前のメモリー 2014-03-14 | テクニック
初めての三星商会製品 2015-06-12 | テクニック
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実験に値するのか大洪水

2015-06-25 | 生活
バルコンから階下の水漏れの話は書いただろうか?一度目は二十年以上前で、二度目は二年前のクリスマス前だった。賠償問題などで揉めているのだが、将来を考えて、原因調査の必要性を感じていた。漸く、水浸しにしてシュミレーション試験をすることになった。バルコンが関係しているのか、関係ないのかがこれで証明できる。

二十年前にはバケツの水を五杯ほどつまり30Lほど流したことがあって、それが漏れたことは無かった。だから少々の試験は全く問題ないと考えていたが、まさか200L以上の水がぶちまかれるとは思ってもいなかった。流石に黙って入られなかったが、これで直ぐに漏れが生じない限り、バルコンが関係しないことは証明できるに違いない。それに掛けてみるのも悪くは無いだろう。どうせ被害が出ても個人的には問題とならない。寧ろ将来に渡って不安を覚えることを排除していくことが肝心だ。

それにしてもこの実験で本当に水が漏れるとしたならば今までに無い水量であり、とんでもない被害が出るに違いない。そしてその水が溜まって時をおいて流れるほどの場所が無い筈だ。そのことからこの蛮行にも一理はあると思った。それでも今晩辺り階下から叫び声が轟かないか不安な夜を過ごすことになる。そして無事翌朝を向ければ万事休すで、次は屋根瓦を外して調査することになるだろう。

今までの二回の被害がバルコンに拠する事例ではなかったと確信しているが、あの水の量を見ると、何か起こっても不思議ではないなと不安になるのだ。そして、その水が漏れる場所は今問題になっている部屋などではないと思っている。とんでもないことにならないか?私は注意したので、責任はありません。兎に角、試験としては全くなっていなかった。当事者の博士も科学者ではなさそうで全く実験というものが分かっていない。

熱いうちに打てと、ミュンヘンのオペラの「ディ・ゾルダーテン」をDLした。本来ならば初日に参上していた筈だが、そもそもその公演も知らなかったので仕方が無い。その後初日の新聞評を読んだだけで、ミュンヘンは遠くて、行きそびれてしまったのだ。そもそもケント・ナガノの時にもいけなかったので、十分に知らないロシア人のそれにそこまで関心を持たなかったのだ。後に歌劇場のサイトにある断片は聞いていたが、とても纏まった評価を下せるほどの質と量ではなかったので、幸運にも全曲のネット中継録画を落とせたので楽しみである。この曲も全曲録音はシュトッツガルトのそれぐらいしかなくて、コンタルスキー兄弟の指揮であって、その中継Videoを観ても十分に満足のいくものとはなっていない。ペトレンコ指揮のそれも中継ものには違いないので、それによって十分な視聴は難しいと思うが、期待が膨らむ ― こちらは急いで観るつもりは無いが、「ルル」の中継録画も序に落としてしまった。

朝早くから一っ走りした。軽く流して後半のスピードを保とうとしたために、その願いは叶ったが、スピードが遅すぎる。早く走る方法は心掛けたつもりだが、片道11分18分も掛かっているので話にならない。往復で23分20秒だ。それでも初めて往復とも比較的まともにGPS計測できた。しかし高度差80Mはどう見てもおかしい。調べてみると出発点が標高253M、折り返し点が271Mで、低い地点で246Mほどだ。高度差25Mぐらいが感覚的にも正しい。湿り気があったので泥が付きやすいから古い靴を使ったのも走りに張りが無かった原因かもしれない。少々走り難いと感じてもスピードとはまた別な話のようだ。アルパインスキー靴を思い出してしまう。



参照:
バルコンからの冬籠り 2014-01-10 | アウトドーア・環境
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
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楽譜から響く管弦楽サウンド

2015-06-24 | 文化一般
昨日はベルリンでの記者会見の時刻あたりからアクセスが増えた。てっきり「安倍政権支持層とギリシャ人を扱った」ことが掲示板等で話題になったものと勘違いしていた。実際は、昨晩のディ・ヴェルトツァイテュングのネットに、信用できる情報として、楽員選挙の結果としての推挙が報じられていたのだった。しかしラディオの文化波では「結果は漏れ伝わらなかった」ともあったので、それは特ダネ的な内部漏洩情報だったのだろう。

日本語で「キリル・ペトレンコ」を検索しても、前日までは八年ほど前に日本語で伝えていた「ドイツ音楽紀行」のコーミッシェオパーの新人指揮者としての紹介記事と、CPOのCDの紹介と、私の記事以外では、フランクフルトやミュンヘンでの公演感想記事、それ以外には情報伝達記事しかヒットしなかった。意外にNHK等でも放送されているバイロイトでの公演での反響も少なかったのだ。それが一夜にして就任報道記事がネットを席巻することになる。

改めて、あまり興味がなくて観ていなかった、フィルハーモニカ―のバーダー氏によるインタヴュー映像を観る。ここ三年ほどはこうしたインタヴューも受けてもいなかったようである。以前見たイスラエルでの英語のそれとはまた違い、とても興味深かった。特に管弦楽のサウンドに関する問いかけで、「どのようにしてそこまで明白なサウンドを準備しているのか?」との問いかけだった。フィルハーモニカ―の間でもわずか三度しかなかった登場の練習で話題になっていたようだ。それは、先日ミュンヘンの劇場でもアシスタントの女性指揮者が語っていた、最後の最後まで厳密な目標が希求される練習としていたものである。

それに対して答えて、「楽譜を読む」ことで、必ずしもピアノでの試し弾きや経験則からの音響などではないとしていて、まさしく現代の大管弦楽団の可能性に深く係わる仕事であることを明確にしている。これは今回の推挙においての芸術的に重要な判断材料であって、20世紀に横行したような「指揮者の作る管弦楽サウンド」に形容される「指揮者の音楽」や「市場に受けるサウンド」とは一線を画すとされるところである。

そのように準備されて練習の指揮台に上がるので、到達する段落ごとに時間配分されており、無駄な時間無く、時間軸にそって弛まなく練習が進行し続けることを楽団員はとても喜んでいる。この辺りに目標へと逆算して行く姿勢は、12月のズル休み演奏会土壇場キャンセルからこの月曜日の朝九時から十二時までの電話での承諾までが全て予定通りに進んでいるかに見える時間マネージメント能力なのだろう ― そもそも時間の芸術家がそれを十分に把握できない限りどうしようもないのだ。

そして、スクリャビンなどのプログラム構成に関しても、その可能性の掲示と同時に、聴衆に対する教育的な配慮に触れており、まさしくこれが楽員への教育でもあるのだ。昨年12月のコンサートのキャンセルには裏があるのは当然だったが、「圧倒的な推挙でないと嫌だ」とした指揮者ティーレマンの単純さと対照的で次元の異なるタクティックスがそこに見え隠れする。どのような分野であろうと150名相当を指導していくには、マネージメント能力が必要であるが、それが自由業である職人の集まりとなると猶更カリスマ性などの単純なものでは治まらない。

このインタヴューでもう一つ興味深かったのは、個人的な質問でその故郷に関する質問への回答である。特にシベリアの本来の故郷とはパセティクな繋がりがあり、ボーデンゼーから東ドイツ、ベルリン、また現在も母親の住む国境に近い南ドイツへと語られ、最後には親戚の住むイスラエルが挙げられる。イスラエルに関しては、当地での英語のインタヴューで、全くヘブライ語が話せない様子だったので、通常のユダヤ系ではないと感じていた。実際に「地学的な故郷に関しては容易に言えない」としており、なかなか複雑な社会的な背景が示唆されている。イタリアではユダヤ系ロシア人のマイスキーとも共演している。

新聞には、いつの間にかティーレマン一味になっていった女流評論家ではない者が、文化欄でその成り行きを伝えている。コントラバス奏者で団員長リーゲルバウワーの電話での早い進行と、今後の成り行きを予想している。バイエルン州の文化相は、ベルリンでの決定に迷わされること無く、既に提示している2018年以降のバイエルンの音楽監督の契約延長を希求し、ペトレンコにも努力して欲しいとした。

ペトレンコがミュンヘンで語った正式の表明は、「この気持ちをなんと捉えようか、歓喜であり、大変な幸福であり、更に畏敬と不安の混ぜ合わさったとなるだろうか。この特別な管弦楽団に恥じない指導者になるため、あらゆる力を駆使して、大きな責務と期待を自覚しています。そしてなによりも、管弦楽団員と一緒になって多くの芸術的な至福の時を、我々の厳しい仕事の成果として、我々の芸術的意味ある人生を満たすものとして望みたい。」とある。

面白いのは、往年の歌手であるアニア・シリアがこの指揮者の見識と、その愛される存在であり且つ妥協無き正確さを指摘して、「誰もが、出来る限り彼のために一生懸命になるのは、彼を失望させたくないからなのです。」と賞賛している。勿論ご主人は彼のドホナーニ氏であるから、このロシア出身の指揮者が既にドイツのこの業界社会に深く関わっていたことを証明している。やはりバイロイトの騒動は、ただの「大人子供」達の嫉妬程度の話ではなかったのだ。



参照:
小さな新帝王誕生の可能性 2015-06-23 | 音
術にならない頭の悪さ 2015-04-10 | 音
嵐過ぎ去って、その後 2015-04-02 | 音
音が鳴り響く環境の考査 2015-04-01 | 音
二十世紀中盤の音響化 2015-02-07 | 音
主の居ない打ち出の小槌 2015-01-26 | 音
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小さな新帝王誕生の可能性

2015-06-23 | 
「キリル・ペトレンコに決定した。」、晴れやかな声で三時間前の13時15分にベルリンで楽団長のコントラバス奏者によってそのように発表された。ニュースに続いて、SWR2で流れたので、バーデンバーデン・フライブルクの楽団の存続の話しかと思った。昨晩ベルリンのフィルハーモニカーの150名近い楽員選挙で選ばれたサイモン・ラトルの後任となる次期音楽監督である。実力からして他にはいないと思っていたが、昨年の面接試験コンサートをズル休みしたことで、指揮者本人の意思が読み切れていなかったので、思わず感動した。

昨晩の推挙後に既に電話で指揮者本人から承諾の回答を得ての発表となったようだ。噂が漏れてこなかったのは、指揮者が断るかどうかが定かではなかったからではないだろうか?拒絶されたら楽団の不名誉となる ― この点は最初の投票で決定しなかった理由でもあろう。これを書きながら先日購入した唯一のCDであるコミッシュオパーとのライヴ録音を流している。管弦楽団の実力の限界も明らかだが、熱心に誠意を持って楽譜から音楽を引き出そうとしている感じはよく伝わる。生であればこれで十分なのだ ― 車中のラディオはシュツッツガルトの放送饗とのリムスキーコルサコフを流していたが、流石に響きが違う。

今回の推挙の理由として、その音楽に語らせる面も大きく評価されたようである。現在の管弦楽団の可能性を期待させてくれる唯一の指揮者であり、容易にメディアに媚びない姿勢と、それ故の市場での期待感は、ベルリンの管弦楽団にとってはとても大きな推挙理由であったに違いない。

個人的には、これでラトル以降のバーデン・バーデンでの復活祭音楽祭を意義つけてくれたことが大きい。次期監督が素晴らしいオペラ上演を約束してくれたのだ。これで、ミュンヘンからは、ザルツブルクへではなくバーデンバーデンへと流れえる音楽通が押し寄せる。券の入手は難しくなるかもしれないが、先ずはこれに素直に喜びたい。



参照:
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
嵐過ぎ去って、その後 2015-04-02 | 音
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ワイン祭り最終日の過ごし方

2015-06-22 | 
今週は結構走った。四回で23KM以上走れば、十分だ。最後は山登りで〆た。雨で地面が濡れていたので態々古い靴で走った。足元も悪く寝不足気味なのでゆっくりと走り始めた。登りは比較的綺麗にGPS補足できたようだ。標高が綺麗に計測されたようで、スピードの上下と坂と反比例している。途中どこかで見かける顔に出会った。BJ醸造所の外回りのケラー氏にしては禿が進んでいたので、彼の兄弟だったのか、それともフォルストのスピンドラー家の誰だったのか、よく分からないが、ワイン関係者の臭いがした。

後半の苦しい坂での落ち込みの減少を目指したのだが、やはりなかなか足が進まなかった。お陰で前回よりも2分ほど余分に時間が掛かった。気温は十分に低かったのだが、一番苦しいところで汗が噴出した。頂上の小屋は夏休みで、キャムプのグループに貸し出しているようで、折り返し点にテントが二張りあった。

駆け足で降りるが、足元が覚束ないのでスピードは登りと比べて時速で1KMほどしか上がっていない。林道に出てからはスピードアップを目指した走りを心掛けて、可也追い込むが時速12KMを超えているのは一箇所ぐらいで、なかなか15KMまでには至らない。強い下りが始まるとその坂の上でどうしてもブレーキをかけてしまい遅くなる傾向があり、降りに速度を上げるのも結構難しい。それでも飛ばしたので58分で戻ってきた。

幾らかは飛ぶ感覚も味わえて走法を改善できたが、全身に疲れが残った。特に腕の振りを強くしたので、上体も疲れて、ブランチを摂った後にベットに潜り込んだ。まだまだ鍛え上げないといけない場所がこれで分かる。体重は71.3KGで殆ど落ちていない。ワインの飲み過ぎである。

そういえば駐車場に乗り込むときに対向車に出会いバックして道を開けた。天気が悪いので誰も人を見かけなかった日曜日なので、不思議に思って、やり過ごすときに顔を見るとアジア人であった。明らかに訳ありそうに窓が開いたので、話すとシナ人で、醸造所の名前を言った。シュミットなど聞いたことがないが、そのまま町へ乗り込むように教えた。調べるとやはりないので、シュピンドラーの間違いではなかったろうか。日曜日であるから醸造所は開いていないがレストランなら開いているだろう。中華なまりのドイツ語であるが、アウディーの高級車であり、レストラン経営者でもなさそうで、BASFに研修の人のようでもあった。生憎車の番号は見損ねた。

ワイン祭りのお陰で、新たにDLしたVIDEO等を見る。同じリデジタル版でもDVD版やBluRay版などがあり、それらを比較してみる。DVDはそのままデーターを落として観れるが、後者は観れるように形式を変えてある。前者ではありえなかったが、流石に10GBを超える映画になるとXP時代のモニターカードでは伝送速度が速すぎて対処していない。しかしWIN8のノートブックでは全く問題がない。XPでも数GBまで落としてある映画なら問題がなさそうで比較的スムースな再生となる。スロー再生しても十分に耐えられるのは驚きだ。

なるほどこうして比較してみると4Kと称する再生システムがあるというが、最新のノートブックでもその差異は理解できる。そして数年前までなら考えられなかった映像データーなどが殆ど問題なくDL出来てしまうのも恐ろしい。ハードディスクの1TGで、これで当分は十分と考えていると、20本もブルーレイを落として、貯めておくと直ぐに200GBにもなってしまうのだ。もう数年するとまた百倍ほどの容量になっているのだろうか。

天気が悪いのにまた音楽が始まった。今日は疲れを癒してポークステーキで一杯やる。腹が膨れたころに黒澤明の映画でも観れるだろうか。こうなるとどうしても映像的な美しさを求めてしまう。ソフトが売れなくなったのは当然としても、デジタル処理の技術であるから究極的にはハードもあまり売れないかもしれない。使用中の液晶や古いブラウン管でもこうした技術的な進歩にある程度の恩恵は蒙る。音楽におけるものほど視覚のそれは気にならない。その差異は明らかで、最新鋭装備の映画館でもコンサートやオペラ劇場のような効果は全く経験することがないからである。自宅のPCで驚くほどの技術的な進展を映画館では堪能していない。3Dなどもある程度は効果があるのだろうが、これも音の世界とは比較にならないだろう。やはり、何よりも生に限るのだ。



参照:
仮眠後の不健康な運動 2015-06-09 | 生活
全く異なる情報処理能力 2015-05-10 | 生活
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カウンター攻撃の自己欺瞞

2015-06-21 | 歴史・時事
ギリシャ問題が話題となっている。特に金融界では注目されている。しかし一方の当事者であるEU内では比較的落ち着いて様子見がされている傾向があるかもしれない。理由は簡単で、欧州人はギリシャ人を知っているからだ。個人的に親密なギリシャ人はいないが標準的には分かっているつもりだ。

最後通牒が渡されて月末までは猶予期間があり、ギリシャ側は再度の申し立てを諮っているが、そのようなものに本気で耳を貸す者はいないだろう。皆が知っているように、そのサッカーの試合運びを見れば分かるように、最後のそこでカウンターをかけてきて一発逆転こそがギリシャの一か八かの戦略である。EUはなにもそれを知っていて乗っていくつもりはないのである。結果は大体分かっているのだ、ギリシャがオウンゴールをしない限りはである。

サッカーほど国民性が出る競技はないかもしれない。昨今話題の日本のそれを見ると尚更興味深い。落ちてきているとはいいながらもまだまだ安倍政権への支持は強いようで、その支持層の考え方などを見ることで、戦前の敗戦へと向かう神民の考え方を、まるで一億光年前の星座を観察するように、目前でそれを観察できるのだ。これほど興味深い観察対象物はない。

どうも安倍政権の核となる支持層は、現在の対米従属路線を認知しながらも、どこかで日本は大日本帝国へと舵を切り直せると考信じていて、その道筋をつけていくのが安倍政権と考えているようである。そのためには富国強兵が欠かせないとして、先ずはその準備をするのが肝心と考えているらしい。これは核武装戦略における外務省のその技術を保持し続けるための原子力政策と宇宙開発計画がそのまま軍事大国化としての条件としている政策姿勢と矛盾しない。

要するに、もはや米軍との合同作戦以外では骨抜きにされてしまっている自衛隊の国防力が原子力発電施設によって沿岸からの防衛も殆ど不可能になっていることにも相当していて、それらが名目上の戦略でしかなくなっていることと合一している。しかしその一方で、知能程度が低いとしか思われないような安倍政権支持層が、必ずしもその矛盾に気がついていないわけでもなく、それほど知能程度の低くない人も安倍政権を支持している事実がある。

そしてそこに共通しているのは何かを信ずる忘我のような境地であり、自らのおかれている環境などというもには出来る限り覚醒しないようにする心理構造なのである ― 最後には神風が吹き、忘我に心身を投げ出し尽くすことで救われると信じている。どのような選挙制度であれ社会であれ、そうした政権が成立している「現実」が全てであって、そこから想像力を馳せてというようなことを極力避けようとする考え方であると観察できるのである。

ギリシャ人は、現政権がなにをしようとしているかも、それがどのようになるかも十分に予測している。日本人は出来る限り見て見ぬ振りをする。しかし琉球人は少し違うようで自らの力で環境を変えようとしている。恒例のワイン祭りで何も出来ないので、昨晩YOUTUBEで名護市長らの訪米報告会などを流し観していたが、とてもその成果を冷静に分析していた。日本のネットでもその成果のあり方は十分に報道されていなかった。しかし実際は全く異なり、沖縄の主張を選挙で立派に選ばれたその知事がするということで、正当性のある声として確りと新基地の拒絶を当事者に伝えることに成功したようだった。大和民が出来ない、しようとしないことを琉球人は立派にやり遂げている。同じ島国でもなぜこれほど違うのか?



参照:
少しは春らしい話題を 2015-03-18 | 生活
基地阻止基金の値踏み 2015-04-11 | 歴史・時事
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古の神話に関する解釈

2015-06-20 | アウトドーア・環境
バイエルン州も中間貯蔵施設を受け入れるということである。いつの間にか四つの候補地が挙がっていて、先日環境大臣バーバラ・ヘンドリックスが原発操業者と会談したとある。英国、フランスからの再処理した燃料を中間貯蔵して、現在計画中の最終貯蔵地ゴーアレーベンの横の使用中の中間貯蔵地への新たな搬入を避けることになる。しかし勿論操業者はこれ以上の経済的な負担はしないということでもある。

バーデン・ヴュルテムベルクのフィリップスブルク、シュレスヴィック・ホルシュタインのブロックドルフ、ヘッセンのビブリスに並んでイザールが挙がったということである。連邦共和国の先進産業州バイエルンは、その原発に対しても決して中間貯蔵を受け入れてなかったので、結局操業して使用している州がその中間所蔵を受け持つことになる。

原発の操業に対して、現在住んでいる住民にとっては中間貯蔵施設はそれほど危険でもなく嫌なものではないが、ライン河の上流と下流でこれが貯蔵されるとなると漏れて一度地下水に触れてしまうととても大変だなと思う ― 福一と同じカタストロフ状況になってしまうのだ。まるでラインの黄金のそのもののようで、ラインの乙女が護らなければいけないのだ。

原発操業を許すということはそのもの永遠にその地が核にまみれるということは間違いのないことのようで、「ニーベルンゲンの指輪」の現代的な解釈は人類が存続する限り核廃棄物と切っても切り離せないものとなる。そうなると二十世紀中盤までのこの神話に関する解釈は、将来は誰も忘れてしまうような、人類史上僅かな時間だけ伝承されていたゲルマン神話でしかなかったということである。

月曜日に峠に登り、水曜日に短い坂を登り、金曜日は沢沿いを往復した。体調はよかったのだが残念ながらGPSが十分に捕捉出来なかったようで、復路は全く異なった場所を走っていることになっている。二回同じコースを往復しても、一度も道を走っていないことになる。衛星写真では広い谷に見えるが実際はそれほど広々していない。だから左に山陰になるのは分かるのだが、もう少し捕捉して貰わないと、正確な速度どころか距離も測れない。

それでもスピードを意識したので往路の途中で時速12KMは出ていたようで、その感覚を少しずつ身につける。しかし、可也脈も上がったようで10分少しの走りで、復路は足が鈍る。それでも最後のスパートは決して悪くはなかったであろう。そのために復路の後半は左足の付け根に張りを感じた。初めてのことだ。時速12KMから15KMを出せるところで出す。先ずはその練習である。



参照:
待降節を迎えるにあたって 2011-11-27 | 暦
地盤に立ち上げれ、農民! 2011-11-15 | アウトドーア・環境
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚 2011-09-05 | 歴史・時事
半ドンでお腹を減らしふらふら 2010-03-20 | アウトドーア・環境
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彼のマンドリン奏者の思い出

2015-06-19 | 
独日協会の理事会に行った。席上日本食の店の評判に話がなり、その一軒のオーナーである越智さんの話となり2010年に亡くなられている事を知った。協会員であり、マンハイムの音楽アカデミーの後、日本食のお店を営まれていた。一度目はどこかで昔のレコーディングのお話しをして、その後長く消息を聞かなかったのだ。パリに住んでいた友人が「マンハイムの飯屋に面白親仁がいる」ということで、店に出かけて、遅くて入店を断られたときに見かけたのが最後だった。その後にあれは越智さんだったと気がついた。あまり流行らない誰も客の居ないお店に10時頃に出かけても相手にされなかったのは当然だったが、それが最後にお見かけしたお姿だった。今は娘さんが劇場前でお店をやっているというが、創作日本食風らしく、評判はあまりよくない。

越智敬と聞いて日本を代表するマンドリン奏者だったと思い出す人はある年齢以上の人だろ。確かアカデミーの生徒の演奏会で、演奏を聴いて、お話ししたのだった。当時は私はハイデルベルク・マンハイムの高等国立音楽院のサポーターになっていたので、そちらの方にはしばしば出かけていたのだが、アカデミーの方はそのときが最初で最後だった。

確かそのときに話をした録音は、ドイツェグラモフォンでヘルマン・プライとのモーツァルトだったろうか。それともエディート・マティスとの録音だったか、いや、ヴィヴァルディーの曲集だったか、ソロアルバムだったように思う。雑誌「レコード芸術」等で、日本人ソリストとして記憶にある人は多いと思う。当時は小澤もDGでは録音しておらず、今でも戦後のDGでは他に日本人の名前は思い浮かばない。だからマンドリンの越智さんと聞いて直ぐにそのディスコグラフィーを思い出したのだった。

生憎手元にはそれらの録音は見つからないが、便利なものでその触りをネットで聞ける。モーツァルトのそれは小柄の氏の見かけ上の天真爛漫さの雰囲気が、モーツァルトのそれと重なってしまうような印象とともに、思いの外の精妙さが聞かれて、なるほどこうした面は実際の対面では隠されていて出てこない側面だったなと改めて感じるのである。ヴィヴァルディにおける拍子感の見事さも、撥弦楽器のお手本のようで、その非凡さを示している。

現在のドイツには氏の弟子を含めて優秀な特に女性のマンドリン奏者もいるが、越智氏のような全身をかけたような演奏ぶりに接するのは難しい。必ずしも身体の大きさとはいえないのだろうが、マンドリンとの帰来の相性というかマンドリン小僧といっても差し支えないようなものがある。その一方、自作の「広島へのレクイエム」は、まさかこれほど直截な音楽表現をしている人が居たとは思えないようなもので、正直その実際の人物像からは全く浮かび上がらないものだ。

協会の前体制のころには深く関わっていらしたようだが、そのころはこちらは殆ど関わっておらず、氏の後任のような立場なってからは殆ど関係がなくなっていた。理由は分からないが、そのような訳で今回初めてご逝去を知らされたのだった。ネットをみると1934年今治の出身で、東京外大卒業後、1961年には外国語の不自由な楽器の師匠の比留間きぬ子に付き添って招聘されるまま、恩人ジークフリート・ベーレントも活躍したザール州で音楽教師としてまたその撥弦楽団のコンサートマスターとして苦労をして生計を立てたようだ。

その後1977年からマンハイムでの教職の傍らベルクシュトラーセに居を構えて、小学校で教える奥さんと暮らし、恐らく独日協会との関係も1980年代から始まっていたのだろう。名前は聞きながらも最初にお会いしたのは1990年代中盤であるから、なるほど丁度そういった時期だったのだ。当時はこちら生意気盛りであるから、初対面の人を誉め殺しすることもできずに十分な昔話を聞く機会もなく、今からするととても残念なことをした。



参照:
Dem Mandolinenmeister Takashi Ochi zum 7. Geburtstag, Edwin Mertes (pdf)
ローアングルからの情景 2006-04-07 | 音
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偉大なるかなローカリズム

2015-06-18 | 生活
先日お隣さんから聞いたことは正しかった。いつも行くパン屋の対抗馬に出来ていたパン屋が閉店したと言うのだ。いつもの帰りに車を徐行させると店は開いてなくて、整理されている様子だった。最初に今通うパン屋に立ち寄る前に訪ねてから、徐々に疎遠になって行ったパン屋だが、自家製のパンを新しく入れた機械で焼いていたので、またもこうした自家製パン屋の閉店は残念である。ここでもそのとき報告したように、ブロツェンはまずまずの出来だったが、パン自体は悪くはなかった。それどころか胡桃入りなどは得がたかった。

しかし今行きつけの店に通うようになると、そこが冬場閉まっている間もその期間だけそこの店に行く気もしなくなくなった。おかみさんは決して悪くはないのだが、開店が2008年夏として半年以内の2009年冬にはなにかも一つ繁盛していない感じで雰囲気が悪くなったのである。こちらも普段はそこに通っていないので益々行き辛くなった感があった。結局七年もたなかったのだ。

理由は色々あるだろうが、老舗の現在通う店の方が若い職人を入れて、恐らく旦那は他所のパン工場の親方をしているのだろう、先代が亡くなってからもパワーアップした感じがした。そのようなことでこちらも頑張ってそこで高額になるケーキなどを熱心に買い続けたのだ ― こうした一軒を買い支えるだけでも大変なのだ。最初は見習い程度だったティーンエイジャーの女職人も腕をつけてきた。歩いていけるようなご近所の人でも同じ距離ならば、老舗を選ぶようになったのではないか?

勿論パンの種類などには相違があって、明らかに老舗が出来る限り素材の限られた中でクラシックなパンを焼き続けるのに対して、片方は警察署や裁判所がある場所柄その客を狙って味パン系の素材が高価なものへと商品を充実させた。私自身は朝食用であり、もしくは必要なときのパンであるので、ケーキ以外にはそれほど衒ったもの要らない。それ以上に重要なのはブロッツェンなどの焼き上がりや出来具合だからである。勿論老舗の方が素朴でありながら、与える点数は五点ほど高かった。それどころか最近は可也いい線に達している。だから時々警察官が態々パトカーを坂の上まで走らせてパンを買いに来ていたのだ。

そして更に悪かったのは、親仁が仕事を終えてから店の小さなカフェーコーナーで新聞を見ながらうろうろしているのだ。それだけならばよいのだが、なにか愛嬌の無いただの職人で、客に対応する気など毛頭ないというタイプの、働いていながらの髪結いの悪い亭主のような感じを漂わせていたのだ ― 清潔感とは違う、清々しさのようなものがパン屋には求められる。せめて親仁に職人を超えて客の話を聞くぐらいの熱心さがあればと感じたのだった。決して小さくない投資をしていて残念に思うとともに、これで尚更老舗の方に期待しなければいけなくなった。

老舗の方もこうした事態を予想していたのかどうかは知らないが、駄菓子屋のようにしていたスペースで立ちカフェーを出来るようにした。坂の上なので態々そこを訪れるか、作業の序に訪れる職人などにハムやチーズを挟んだパンとコーヒーを提供するようになっている。あまり無理をしない範囲で経営を安定させて欲しい。こちらも毎日通うわけには行かないから支出額も知れている。

FAZのオバマ大統領がTTPとTTIPで苦境に立っていることを伝える記事が載っていたが、その社説を読む。経済紙でもある高級紙がこの問題に対してどのようにコメントしているかである。経済面の冒頭なのでそれにしか触れていない。そこには合衆国の車産業の本来ならば最も恩恵を蒙る産業でさえ、更なる為替変動に対するサンクションなどを欲張りしていて、完全自由化には賛成していないことに触れられている。産業関連でもナフタの結果を見て、メキシコに拠点が移るなどの一人勝ちが出来ていない事から、多くの合衆国市民が負け組みになると感じているとしている。要するに、貿易自由化に自信を持ってグローバル化を図れると感じているのは極一部の米国人となっているようなのだ。その他に、他国との貿易交渉が締結してもそれが議会で後追いで否認されるとする法に基づかない交渉締結の問題などが法的議論となっているとされ、まるで東京で起こっていることのそのもののような非法治化がワシントンでも起きているのだろうか?



参照:
年間一千五百万円不要 [ 料理 ] / 2008-11-10
反反理性への感情的高揚 2015-06-16 | 歴史・時事
価値判断のありどころ 2015-05-07 | 文化一般
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以前のものと比較する

2015-06-17 | 生活
週末はワインフェストのお陰で金曜日しか熟睡出来なかった。だから日曜日のクライミングは辞退した。残念だったが、肩を休めるにはそれほど悪くはなかったか。それでも最後に走ったのが火曜日で、何故か間隔が開いてしまった。そこで久しぶりに走る。峠を目指す。今回は胸バンドを外して、以前使っていた万歩計とともに、GPSを使ってみる。これで歩数が分かり、万歩計の時計の正確さも確かめられる。登りは19分3143歩で、降って来て33分5300歩ぐらいだった。GPSでは其々19分20秒、33分25秒となる。これからすると今までの記録がそのまま参考になる。しかし、改めて二回測ったGPSの記録を比べてみて、二回走った各々が途中の林道から外れたり、それどころか峠の位置がずれていたりする。降りにおいても最初のところがずれていたりしている。当然のことながら正確な標高差どころか距離が測れていない。帰ってきてから体重を量ると出かける前の72KGより200G落ちていただけだ。これにはがっくりした。計算では350Kカロリーも使っているのに、汗のかき方が足りなかったのか。

主夫の鑑として、スーパーではレジに多くの商品を乗せながら少ししか金を払わないことで周りの人を驚かすことを誇りとしている。だから先二週間ほどを鑑みて、安売りを逃さない。その筆頭がコーヒーだろうか。出来るならダルマイールの「プロドーモ」を安く買いたいのだが折からのユーロ安でなかなか安くならない。そこで、次の候補であるヤコブスの「クローヌング」やカリタの「モンタナ」へとアラビカ豆を中心として安売りを狙う。特に最後のものは清涼感があるので夏場には一番候補ともなる。しかし、どうもこれも安売りが難しいようで、バーゲンになっていたのは「アウスレーゼ」シリーズであった。どうもそのクラッシックは苦味が強そうなのでマイルドと証するものを試す。カフェインを抜いてあるものは買わないが、封を切ったときの香りは予想以上によかった。なるほど苦味を落としているという意味もその配合の感じから分かった。飽きが来そうだが、安売りだから先ずは飲んでみよう。しかし冷えると思ったより不味く、苦くなっていた。



参照:
詳しく検証すべき記録 2015-06-07 | 雑感
残された不思議な感覚 2015-06-13 | 雑感
酸の量感と質が決め手 2011-11-07 | 料理
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