Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年05月

2022-05-31 | Weblog-Index


ユートピア解説の抽象性 2022-05-31 | 音
週末の行ったり来たり 2022-05-30 | 生活
真正ハイカルチャー 2022-05-29 | 音
「スペードの女王」の影 2022-05-28 | 音
痛みを分かち合う芸術 2022-05-27 | 音
キャラクター付けの衣装 2022-05-26 | マスメディア批評
時間無く昇天しそうに 2022-05-25 | 暦
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
間に合わないところだった 2022-05-23 | 生活
クーヴィリエ劇場への道 2022-05-22 | 生活
モーツァルト所縁の劇場 2022-05-21 | 音
アイスケ―ニゲンも過ぎる 2022-05-20 | 暦
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
特別な音楽劇場の作業工程 2022-05-18 | 文化一般
一堂に会する音楽劇場 2022-05-17 | 音
最期に開かれたのか? 2022-05-16 | 文化一般
次の頂点に再到達の音響 2022-05-15 | 音
次の目的地は如何に 2022-05-14 | 雑感
年中行事になる動機づけ 2022-05-13 | 生活
持続的多様性のある味 2022-05-12 | 料理
バタバタしないように 2022-05-11 | 料理
根源のフェークニュース 2022-05-10 | 文化一般
創作のカミングアウト 2022-05-09 | 文化一般
ファーストフラッシュ価値 2022-05-08 | 料理
そこそこ話題になる話 2022-05-07 | 生活
露文化排除のウクライナ 2022-05-06 | マスメディア批評
興奮の復活祭の追憶 2022-05-05 | 雑感
緑の風に誘われて試す 2022-05-04 | 試飲百景
マイオーケストラとの日々 2022-05-03 | 暦
西風に乗ってくる琥珀 2022-05-02 | 歴史・時事
音楽を以て示すモラール 2022-05-01 | 暦
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ユートピア解説の抽象性

2022-05-31 | 
バーデンバーデンの新しい音楽祭の初日に出かけた。そのコンセプトもあまり定かではないのだが、サロネンの新曲などが入っていて、如何にも怪しい。どうも支配人の好みのニュージャズとか、ECMのニューシリーズなどに近い印象もする。コンセプトが見えないというのは、そうしたポストモダーン的な若干古臭い感じがするから見えてこないのだろう。

それでも指揮者のフランソワ・ザビーエロートを古巣に迎えたのは良かった。指揮の印象は先月の復活祭二日目でベルリンのフィルハーモニカ―を振った時と指揮は同じながら上手く振れていたと思う。

楽団もその間に吸収合併でつまらない楽団になってしまっているが、そこそこ昔の面影もあって、やはり馴染みでもあったのだろう。マーラーの交響曲七番の指揮も若干端折り気味でご当地の故ブーレーズ指揮を思い起こさせるのだが、勿論その様な精緻な指揮ではない。大変影響されていながらお手本の様にはならないのがなによりも痛い。

それでもフィナーレの音色旋律的な管弦楽もよく鳴っていて繋がりも大変良かった。すると余計に嘗てのあの弦の独特のクセナキスの空気力学的な楽曲のような音響にもならず、管も嘗てのブリキのような凄まじさはなく、下支えの弱い嘗てのSDRの響きにもなっていたのに気が付く。その反面、若干艶っぽい音も出せるようになってるのだが、そこ迄にも至らない。

主席指揮者の影響もあってか弦楽器は嘗てよりガサツになっているのだろう。若く見えるコンツェルトマイスターリンが引っ張っていたが、2016年からそのポジションにあるようだが初めて見る。誰の弟子筋かは分からなかったのだが、調べるとジュリアード出とあって、スドラディヴァリウスを弾いているとあるが、あまり良く鳴っていなかった。

当日は生中継されていて、編集に再びオンデマンド化されて、嘗てのギーレン指揮の九番とかそうした歴史的な演奏の列に並ぶようだ。音楽祭全体の総合プログラムになっていて、なんと価格が10ユーロと復活祭そのそれを超えていた ― 因みに私のティケット購入価格は15ユーロだった。そして現金もなくて、中は態々見させて貰わなかったが、正直ヴァイオリンのコパチンスカヤ劇場の内容などは全く興味がないので些か迷惑だった。

公演前のレクチャーの内容も大変程度が低かった。対象になっている聴衆の質を低く見積もっているのかどうか分からないが、四楽章フィナーレの評価とか作曲意思に纏わる文学的なものだった。一楽章ではここで言及した再現部前の別次元へのトランスを強調していて、今日そうした形而上の音響表現を一緒になって抽象的に喜んでいるようなオタク解説者がいると知って驚かされた。若いとは言ってもそれ程若い訳ではなく博士号を取っていてあの程度の知能ではどうしようもない。

この楽曲の先にユートピアをと力説していたと解説のあった指揮者のロート氏が、公演前に外に出て来て端でたんべを吹かしている様では情けない。ああいう時間に呟きを転送するのだなと分かった。心理的に明らかに老けている。人気が一向に上がらないのも頷ける。



参照:
週末の行ったり来たり 2022-05-30 | 生活
真正ハイカルチャー 2022-05-29 | 音
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週末の行ったり来たり

2022-05-30 | 生活
コロナ禍以降初めてのワイン試飲会に出かけた。参加人数は少なく表向きは変わらなかったが、着席場所が決まっていて、今迄の様に立って試飲するのではなく座って試飲する形になっていた。天気もよくスクエアー一杯に机が配置されていて、気持ちよかった。

正確には2019年9月以来になるだろう。個人的にはワインを取りに行ったりはしているが、多くの人が一斉にの試飲会は久しぶりだった。

自分でグラスを持って行って注いで貰うのも以前と変わらず、人数が少ないだけにスムースにという感じはある。なによりも講話がないのが悲しいのだが、それはまた来年である。なによりも試飲会となっただけで嬉しかった。

ワイン自体は濃くがあって、同時に旨い酸が特徴だった。だから最初から飲みやすい。9月のグローセスゲヴェックス試飲会迄は買い足しに来ないでいいように多めに購入しておいた。

翌日はバーデンバーデンでの音楽会があったので出来るだけ早めに終えて翌日に備えた。最近は眼が疲れていて、朝から調子が悪いのだが、当夜のプログラムのマーラー交響曲七番のお勉強もした。演奏会は19時半前に終わるので食事は後でもよかったのだが、昼も食しておいた。

往路にフランスのスーパーに立ち寄るので15時に出発して、いつもの様に買い物を済ませた。来年の復活祭までの次のバーデンバーデンでの予定は未定である。コロナ再来の危険もあるのだが、夏はネゼサガン指揮欧州室内合奏団のブラームスツィクルスなどで、これはティロルでのエンゲル指揮カメラータザルツブルクのそれとの同時期の真向勝負になる。

暮のマリンスキー劇場の引っ越し公演も指揮者に関わらずキャンセルになるので、クリスマス時期に何を入れてくるのだろうか。

土曜日の帰宅時にガレージで車に戻ろうとすると手前に停めていた車のハッチバックが突然開いて腕を強く打った。何事が起ったのか分からなかったが、車はバックで動いていないことを確認して曳き殺されることはないと分かった。後ろから来たおやじがリモートで開けた、それに激突したのだった。幸い腕だけだったか、後に確認すると袖のボタンが割れていた。袖には筋が入っていたが破れてはいなかった。車は幾らか歪んだと思う。この様な事故があるとは思いもしなかった。



参照:
中々お目に掛かれない様 2019-09-23 | 試飲百景
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
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真正ハイカルチャー

2022-05-29 | 
毎度のことながら8月31日気分である。当日になって、どんどんとマーラー交響曲七番の見えないところが見えて来て端からどうしようもない。今年はまだ現実に9月1日までに時間があるので、肝に銘じておこう。

キリル・ペトレンコ指揮のミュンヘンでのライヴ録音を再び聴いた。そして一年前の感想を読むと基本的には同じことを書いている。やはり二楽章で軍隊ラッパが出てくるのをすっかり忘れていたのはご愛敬だ。演奏の表情に関してはあまり付け加えることがないのだが、曲は一年前より分かってきた。

マーラーは、フィナーレを書き上げ、第一楽章の導入部を湖畔で浮かんだ時点で全体の構想も明らかになったと語っているが、作曲技法的にどういう経過でこうなるのか迄はよく分からない。それが分かればこの曲は卒業ではないか。但し実際に音化するのはこれまたとても厄介な仕事であることは疑いの余地がない。やはり難しいと思う。

その中でこの世界最古の座付き管弦楽団が前音楽監督の下で記念碑的な演奏をしていることも間違いない。往年のリヒャルト・シュトラウス指揮の録音などと共にこうした座付き楽団の演奏として人類の記録となるものだと思う。本物のハイカルチャーである。

それにしても作曲家のざっくりしたプログラムは分かるのだが、またその職人的な腕があったとしてもよくもこれほどの発想に到達したなと思う。やはり天才作曲家か。

チャイコフスキーの影響は、上のCDのブックレットにも中間楽章を扱ってその組曲を挙げている。しかし最も影響を受けているのは心理的なメロドラマ配置、つまりここでも扱った復活交響曲のそれがここに来て最も極端な形で対照化されていることだろうか。

今晩の演奏が何処迄核心に迫れれるのかどうかは分からないが、大いに期待したいところである。実は三月にはハーノーヴァ―の劇場でもエンゲル指揮でこの曲が演奏された。大変反響は大きかったようだ。些か遠かったので出かけなかった。現実に当日演奏会直前に陽性者が出たとかで危うく中止になる所だったという。こういうことがあるのでまだまだ不安定な時期であった。出かけていたら大変な損失となる可能性すらあった。しかし少なくともレパートリーとして持っているということで、どこかいい管弦楽団で聴ける機会があればと思っている。



参照:
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
「スペードの女王」の影 2022-05-28 | 音
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「スペードの女王」の影

2022-05-28 | 
マーラーの交響曲七番のお勉強をしている。思っていたよりも遙かに刺激的だ。今迄はどうしても六番の陰に隠れて不完全な印象を持っており、出来上がった閉じた作品に対して歪な開かれた作品の印象が強かったからだ。

今回改めて一楽章の「グランディオ―ソ」に至る序奏の再現の前の恐らくこの交響曲で最も印象深い部分の始まりで兵ラッパがF管トラムペットで鳴る。ここを聴くと最早バンダで響く「スペードの女王」の兵舎のシーンを思い出さずにはいられない。マーラーにおいては付き物になっている兵隊ラッパであるが、良く語られるのは子供の時に近くの兵舎で鳴らされたそれが反映しているとされることである。ここでは二楽章からの夜の響きを聴くか、もう少し調べないといけない。

音楽監督グスタフ・マーラーは、「スペードの女王」1906年にヴィーンで初演指揮していて、そこを追い出された後は死の前年の1910年3月5日にメトロポリタンでアメリカ初演指揮をしている。チャイコフスキーの影響は様々に感じられるマーラーであるが、やはり特別な作品だったと思われる。その主人公ヘルマンのアウトサイダー性はチャイコフスキーの分身であったとともに、マーラーにとってもとても大きな共感を与えたのではなかろうか。少なくともその創作の影響はもう無視できない。

今回バーデンバーデンでは復活祭とは全く別の枠組みで演奏されるのだが、音楽監督だったペトレンコは夏のオープニングツアーでベルリナーフィルハーモニカーでこの曲を振る。勿論この曲は更に複雑なのだが、スラブ的なイントネーションの読み取りは強ち誤りではないと思う。所謂独墺的なイントネーションだけではどうしても活きてこない動機などが散りばめられているのではないだろうか。キリル・ペトレンコの活動に接して、感心するだけでなく、感謝しかないと思うのはこうしたところでもある。

先日オペラ上演の演出に関して、所謂読み替えとかされるものに対してのバイエルン放送局でエッセーがあったが、その結論はオペラ上演においても絶対あってはならないのは停滞であって、何ら新たなものがないならば存在価値が無いという結論だった。古い古典とされるような演目を繰り返しやっていても芸術的な意味は無くなるということである。要するに、真面な演奏や公演が達成されたところでその作品や演目での再創造の意味は無くなる。

例えば日本の古典芸能などの古いものを繰り返し相も変わらず上演するという考え方は創造的な芸術分野では当てはまらない。例えばモンテヴェルディ作「オルフェオ」を如何に再演しても当時の人と同じように感動するなんて言うことはありえないのである。要は如何に創作者のおかれた社会やその環境を上手に把握出来るようにして、現在の我々が創作の時と同じように思いを巡らせれるようにする企画や制作が必要なのはそれ故なのである。一流の古典とか高度な芸術とかはそうしたものなのである。



参照:
痛みを分かち合う芸術 2022-05-27 | 音
特別な音楽劇場の作業工程 2022-05-18 | 文化一般
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痛みを分かち合う芸術

2022-05-27 | 
承前)シュトックハウゼンの1996年のダルムシュタットでのセミナーのそれとハースの想いは異なっていた。68歳になっていた二十世紀後半のモダーンを代表していた作曲家とは、つまり生活と芸術が乖離したような所謂現代音楽が社会的な意味合いを持ち得ることはないという観想である。

そのような乖離は、ラッヘンマンにもノイヴィルトにも無いとしている。リゲティの「マカーブル」における懐疑は、時には露出狂的だが、あまりにも現実的なものである。

音楽は人のエロを描いているのではないが、その思い通りにならない苦を描いている。シューベルトにおいてもその通りで、チャイコフスキーの同性愛もその通りだ。

そして、目の前にいる若しくは理想の聴衆を思い描いているとも語っているハースは、自分が聴衆の様に先ず聴いているという。そしてその効果を問いかける。今回の「ブルートハウス」の展開の部分にも短く映画音楽のように響くパッセージも出てくる。しかしそれとは最も異なるのはライヴで演奏されているという事になるようだ。
OBSERVATIONS: BLUTHAUS - Behind the scenes zum neuen Festival JA MAI


ハースの三部作をして、技術的な困難を乗り越えることで今後劇場のレパートリーになるだろうとする批評の根本はここにある。

その心は、既に言及した作曲家の最新インタヴューの「痛みを分かち合う」ことを可能とする音楽劇場への創作態度であり作曲作法となっている。これが二十世紀後半ではなくして今漸くこうして創作された背景であり、その歴史的な視線とも一致する。

恐らく多くの聴衆にとっては、百年前のアルバン・ベルク作曲「ヴォツェック」以降のリヒャルト・シュトラウスなどのエピゴーネンとされる復古的な楽劇の数々や戦後のアロイスツィムマーマン作曲「ディゾルダーテン」、アンティオペラの「ルグランマカーブル」そして最早オペラではないメシアン作曲「サンフランソワダシス」に、モンテヴェルディからモーツァルト、ヴァ―クナーを経て突然音楽劇場の頂点としてハースの三部作が輝くとされても中々理解できないかもしれない。

それが、今回の企画の核であった。ドルニー支配人のアイデアとされるハースの三部作をオペラの最初の頂点にあったそれを組み合わせた。そしてこれでハース作の音楽劇場が二十世紀後半のモダーンを越えてきたことが知らされるのだが、当夜のプログラム冊子には今回の企画として同様に重要なモンテヴェルディについてハイデルベルク大学の音楽研究所の前ディレクターが重要な文章を出している。(続く



参照:
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
モーツァルト所縁の劇場 2022-05-21 | 音
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キャラクター付けの衣装

2022-05-26 | マスメディア批評
承前)新聞に更なる評が出てきている。企画や制作に深入りする前にその評価も紹介しておかなければいけない。フランクフルトターアルゲマイネ新聞は、その書き手はある意味我々の仲間で、最初からそこにおかしなことは書いていないと思ったら、上手に綴っていた。

特に演奏に関しては、娘を性的に支配した父親役のボー・スコーフスの力強いグリッサンドと母親役の関係や、それに対してカウンターテナーのハーゲン・マットツァイトのキャラクター付けに言及している。最後の役は公演前に楽屋入口に近いところに衣装らしきでいるのを観察していて何役かと考えていた人だった。

ブルーのスーツでこの時期に不可能ではないが、珍しいなと思ったのでやはり不動産屋役の衣装だった。舞台の背景やプロジェクトに映される光景はモノクロで、誰かが書いていたように演出のクラウス・グートのいつもの殺風景なコンクリート壁の室内に対して、衣装はカラフルながら、昨年のコメディー「マスケラーダ」のカラフルさではなく、各々のキャラなどを引き立てるコミックな衣装となっていた。

勿論、現実とトラウマの世界双方を行ったり来たりして出っ放しの主役ナーディア役ヴェッラロッテ・ベッカー、更にプロジェクトとライティングそして、三人のテルツァ-童子の素晴らしい三重奏が特筆される ― これに関しては改めて言及するしかないだろう。そしてハイライトは、登場者と演出だけでなく、ティ―トュス・エンゲル指揮の室内合奏団として、BRの様にお役目を果たしたとだけではなくて、スポーティーな要求をされていたとしている。ここまで書けば少なくとも音楽関係者には指揮者として何を成し遂げたかは明らかになる。

そしてこれら一つ一つであっても、最後の激しい喝采の理由になる所だとして、創作者を含めて例外なく全ての関係者にそれは当て嵌まると大絶賛としている。流石の通称ベックメッサ―の表現である。

中々短い字数では書き尽くせないことは分かる。それでも大風呂敷を広げて感想を述べたくなるのが今回の企画であり、実演実践だった。実際に、「ブルートハウス」と月曜日に初日だった「トーマス」がプログラムで一緒に扱われていて、その内容に二つのインタヴューは既にここでも言及した様にネットで紹介されていたものだ。しかしそれに終わらず、「トーマス」の演出家のマーラー女史のインタヴュー以外にも、死への医学的な見解や、トラウマに関して、そしてハースの作曲家としての位置づけが書かれている。

特にシュトックハウゼンとの関係において扱っていることは、今回の開催された新たな音楽祭の基本的な企画意図になるようなことであり、とても興味深い。その意味するところは既にインタヴューなどでも明らかだったのだが、客観的に叙述されている。(続く



参照:
Horrorglissando in Vaters Stimme, Max Nyffeler, FAZ vom 25.5.2022
徐々に遠くなる二十世紀 2008-08-26 | 音
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
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時間無く昇天しそうに

2022-05-25 | 
やっと喉の痛みも取れた。木曜日は「キリストの昇天」で休みになる。その前に片づけておかないと、金曜日からワイン試飲会の間にバーデンバーデン行きが挟まれて忙しい。更に来週土曜日が「ルサルカ」初日になるので、お勉強をしておかないといけない。

またまた時間的に厳しい状況になった。そして来週の週末は「聖霊降臨祭」で月曜日までお休みになるので、これまた金曜日までに済ましておかないといけないことが分かった。今頃土曜日の初日の売れ行きが悪い理由の一つも分かった。出かける人も多いからだ。例年ならば地元のワイン祭りがあって、こちらも落ち着かないので、出来るだけ出かける様に計画するが、今年は幸いにもコロナで最後の中止の年となった。

週末の演奏会はマーラー作曲七番交響曲である。生で聴いたのは大分以前になる。同じバーデンバーデンでケント・ナガノ指揮で聴いたのが最後だろうか。CDは最も多く持っている楽曲なのだが、やはりお勉強しておかないと駄目だ。今年は少なくともあと二回は聴くことになるので、やればやるほど価値がある。

ミュンヘンからのお土産は、コーヒーとワインを除いて平らげた。初めて購入した夏菓子がそれなりに楽しめた。四種類あってカシスやパナコッタなど三種類を試してみたが、味の違いというより作り方が違うように工夫してあって面白かった。そういうところがやはり気が利いていると感じさせる。

テリーヌもいつも通り旨い。ワインはフランケンのダルマイヤーエディションの2019年物ジルファーナで昨年も飲んだものだろう。枯れていなくて、価格のわりにその点でも立派だ。ダルマイヤーはしばしば他所で購入すよりもお得な商品が多いのである。

コーヒーは流石に値上げしていたのだが、それでもその価値はやはり高い。今回はグアテマラ・サンセバスチャンというのとジャワエステートという二種類を購入してみた。双方とも南国産で、きっと夏時期にはいいだろうと考えた。

後者の特徴は酸味とチョコレート風味で、コーヒー味チョコレートのような懐かしい味がある。ジャワチョコレートというのも昔あっただろうか。それに比較して前者は、より強いのだが、柑橘類風味と書いてあるのももう一つ分からない。カカオと黒チョコレートというのは若干分かるが、もう少し味わってみないといけない。

次回出かけるときには飲み干しているだろうか。列車で出かける予定なので、お土産はあまり考えられないのだが、立ち寄れば序にという気持ちになる。



参照:
間に合わないところだった 2022-05-23 | 生活
カフェインで騙し目を覚ます 2021-12-25 | 雑感
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「シーズン最高の初日」の意

2022-05-24 | 文化一般
音楽劇場新制作「ブルートハウス」は恐らく今シーズン最高の成果となるだろう。既にミュンヘンで最も有名なオペラ批評家は地元紙にシーズン最高と見出しを付けた。今回は初演ではなかったが、明らかにそれ以上の意味合いをエポックとして持つのではないか。21世紀前半のとなるだろうか。

そもそも音楽劇場とはなんぞやとなる。ネットを見ても様々な定義付けがあるだろう。イタリアのモンテヴェルディによって確立されたオペラも、音楽と芝居と踊りなどの総合芸術であることは変わりない。しかしそれぞれ各ジャンルがバロック期から古典、ロマン、現代へと各々の発展をしたことから、20世紀になって再び統一として目された概念ともされている。

ここで注目したいのは、今回の指揮者ティテュス・エンゲルも新たな統合を目したカーゲルに習っていることでもあり、また名支配人の故モルティ―エのセミナーを開いていたことも忘れてはならない。

奇しくも大スター歌手ヨーナス・カウフマンが、ミュンヘンを筆頭とするオペラ劇場のメッカで客足が落ちて半分も入っていないことから、将来を危惧すると話しているとの報道が流れ、まさしくオペラ劇場と音楽劇場の差異を図らずしも浮き立たせているのではなかろうか。

なぜ今回の制作が21世紀前半での価値を持ち得るのか?それは作曲家の音楽的技法の秀逸にもある。しかし、同様のウルトラクロマティック若しくは微分音によるクラスターとか倍音スペクトルとかは、少なくとも20世紀中盤には使われていていて、音楽劇場的な作品にも使われていないわけではなく、若い優秀な人がその技法で以て新作の室内オペラなどを書くのは何ら特別なことではない。

それどころか今回上演の作品も初演されてから10年経っている。当時の放送でも作曲家のハースもマイクの前で色々と話しているのを車中で聴いた記憶がある。個人的には近所で初演がありながら行くつもりは毛頭なかった。理由は様々あるのだが、そもそもハースがそこ迄重要な作曲かどうかはロート指揮でのピアノ微分音協奏曲を聴くまでは認識していなかった事が大きい。しかし、シュヴェツィンゲン音楽祭でのオペラ公演はルネ・ヤコブス指揮モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」以外にそれ程成功していなかったのである。

それでは、今回は不発だった初演やそれからヴィーンでフェストヴォッヘでの制作とは何が大きく違ったのだろうか、それらを直接体験して比較しなくても、今回明らかに成功していたことを具体的に沢山上げることが可能だと思う。(続く


写真:嘗ての中庭に屋根をつけてロビーにしたクーヴィリエ劇場。



参照:
モーツァルト所縁の劇場 2022-05-21 | 音
ゆく河の流れは絶えずして 2005-08-01 | 音
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間に合わないところだった

2022-05-23 | 生活
予定通りには行かなかった。十分に余裕を以て11時前には出発した。しかし懸案のアウトバーン閉鎖部分が簡単には越えられなかった。土曜日は貨物がまだまだ多く、予想していたような行楽客は少なかった。しかし高速で走っている交通が山道で信号のあるようなところに流れれば、そこまで考えなかった。アウトバーンは交通量は少ないように見えたがとんでもなかった。

アウトバーンを降りたのが14時前だったと思うが、二時間程渋滞に巻き込まれた。その間に移動した距離は25キロほどだったか。その間に田舎のスポーツ広場で小用を果たしたりしたが、一か所に止まって15分ぐらいはあまりにも厳しい。だからナヴィで迂回路の迂回路を探しておいた。そこ迄で約半分だ。脇道へ抜けるまで二時間ほど掛かった。

そこの迂回路はバイロイト初日に向かうときにも使って失敗したことがある。今回もネットではニュルンベルク経由が推奨されていた。50km以上長く走ることになり、燃料費も嵩むので、地道を走るのをよしとした。結局30kmほど余分に走った。

アウトバーンに戻ったのは16時前で、歌劇場で17時から開かれる公演には間に合わないことが分かった。それでも地下駐車場まで残り160kmもないので、18時過ぎにはガレージ入りできるので、ダルマイヤーでの買い物は可能になった。なによりも迂回路を走り続けていたら20時の公演にも間に合わなかった。それだけはなんとかなった瞬間だった。山道でも小用を済ましていたので、いつも立ち寄る休憩所も通過した。燃費が悪くなったのだけは痛かった。

差し引きで若干安くなったのは、本来ならば16時頃に入っていた駐車料金だろう。二時間程の代金だから7,50ユーロ以上余分に必要だった。ダルマイヤーの値上がりした250gのコーヒー価格と変わらない。

天気は良かったのだが、気温はそれほど上がらなかったので、冷却水温度も摂氏96度限界で何とかなった。これから夏は少し気になる所である。復活祭の時に一度だけ燃料が気化したのかスカスカしてしまったのだった。

帰路は、車に戻ったのは22時20分、どんなに頑張っても午前様2時前帰宅が限度だった。実際には燃料10リットルだけでも余分に入れて、途中二回車を止めて、無事もどってきた。眼の調子は悪くなかった。2時半過ぎに戻れた。喉の調子は悪かったのだが、コーヒーの香りが眠気を抑えてくれたのだろうか。比較的元気に帰宅した。



参照:
クーヴィリエ劇場への道 2022-05-22 | 生活
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
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クーヴィリエ劇場への道

2022-05-22 | 生活
お出かけの用意である。先ず衣装をどうするか。夜になると結構涼しくなりそうだが、陽が長いので、オペラが引けて22時過ぎでも15度ぐらい予報である。舞台写真も出てきていて、やはり極限心理の色合いを使っている。こちらもややこしい細かな色彩になるか。

朝の冷えで風邪気味になって、喉が痛い、二三分掛けて塩水で嗽をしたので、朝までに治るだろう。睡眠も貪りたいところである。あとはピクニックをどうするか。早めに出かけるので、二食分は欲しい。飲み物は二リットル近く欲しい。バナナも足しになる。帰路の眠気覚ましにはソーセージも効く。

結局喉の調子は若干良くなったが鼻水などが出て来て、回復傾向が明らかになってきた。これで咳き込むなどにならなければいい。

公演時間は二時間と出た。休憩を挟まないので最初と最後のモンテヴェルディもそれほど長くは演奏されないのだろう。休憩がないので飲み物を飲んでも一度だけ、それ以外にはプログラムを購入するだけなので、現金はそれ程必要ない。

早めに車庫入れになるので、結構な額になるが仕方がない。駐車場からクーヴリエ劇場へのアクセスは確かめた。以前見学した時は、レジデンス見学の続きで劇場に出た感じがしたので定かな記憶がなかった。車を駐車場に停める位置によって、それほど遠くない筈だ。いつもとは違う出口の方に駐車する。

マーモアークーヘンも残りを持って行けばよいだろう。お土産で甘いものは買うつもりである。道中は、シュットガルトからの山登りの途中でアウトバーンを降りて迂回するようになっている。交通量さえ過剰でなければ、それ程余分には時間が掛からないだろう。交通事情はまずまずと考えている。

コロナ感染で一度味覚が駄目になった。その後ワインでもなんでも苦みが気になるようになった。どうせ気になるならと出来るだけ情報をシャットアウトするようになっていたのだが、最近ようやくブラックティーやその手のもので苦みも何もなく味わえるようになってきた。正常化してきたのだと思う。

来週は二件もワイン試飲会がある。コロナ以前の2019年秋以来になるだろう。味覚のリハビリを進めていかないといけないとの動機付けになっている。試飲しておきながら正確に判断できなければする意味がない。



参照:
モーツァルト所縁の劇場 2022-05-21 | 音
マスク無しゲマインシャフト 2022-04-05 | 雑感
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モーツァルト所縁の劇場

2022-05-21 | 
土曜日の初日の準備をしている。作曲家ハースのインタヴューでの楽曲説明と2011年のシュヴェツィンゲン音楽祭での録音を参考にする。

先ず作曲家は、この曲のウルトラクロマティックで始まって、どちらに行くかどうかが分からない暗中模糊とした中での不安定な気分を口外している。個人的にはブルックナーの第五交響曲などのそれを感じる。それが徐々に長調の属七和音に近づき、ピアノの音階域を上下する大きなスケ-ルの中で、所謂シェパード効果が生じる。

名曲の中ではアルバン・ベルク「ヴォツェック」における永遠に下降する音型などもそれである。基音の変化とその倍音の干渉によってその効果が生じる。

そして、主人公が近所の嘗ての惨事を知っている近所の人との絡みで短調へと転換する。

上の録音を聴いて、先ず何よりも言葉が聴き取り難いと感じた。会場はロココ劇場でミュンヘンのクーヴリエと姉妹関係にあるモーツァルト所縁の劇場である。だから不利さはないのだが、バロックサイズの楽団と声との相性が悪い。なるほど微分音の出し方などはSDRの楽団が入っているので上手なのだが、声と上手く合っていない。更に芝居などが始まると主役のサラ・ヴェ―クナーがいつもの如く大声を張り上げていて、全く配慮することがない。芝居もなにか音を出すことしかない声出しで全く良くないのだ。すると今度は奈落の楽団が喧しい。当時の放送なども若干思い出すが、力が入っていた割には空回りしていたと思う。

見ると、指揮者も演出家もボンの劇場の人たちでなるほど程度が低いと思った。特にこうした初演とか現代ものとかになると破綻なく仕上げるだけが精一杯なのがこうした地方劇場の常である。作曲家も不満だったのだろう、2014年には同じような歌手陣で今度はムスバッハ演出でヴィーンの芸術祭で同じようなキャストで今度はクラングフォールムヴィーンが改訂版を演奏している。放送管弦楽団とそれほど変わらないであろう。指揮者は、これから共同制作のリヨンで指揮をするルーデルという人で、批評を読むとやはり言葉がチンプンカンプンとあったようだ。

先ず今回は、初の劇場上演ということで、そしてクラウス・グート演出なので先ずは舞台として通じないものは上演されない。更に指揮もティテュス・エンゲルであるから舞台音楽的にも拙くはならない。その意味からはキャスティングの問題もあるが特別に期待をしている。副主演でもある不動産屋のカウンタテノールも喧しくて聞けないような録音だが、まだ少なくとも二回は通して聴かないと分からない。



参照:
芸術音楽で可能となること 2022-05-19 | マスメディア批評
創作のカミングアウト 2022-05-09 | 文化一般
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アイスケ―ニゲンも過ぎる

2022-05-20 | 
足が疲れている。ベットでも寝返りするとコブラ返りしそうになる。水分は摂っている筈なのだが、ダメージが大きいのだろうか。もう一つ、虫か花粉のような走っている足に纏わり付いたりする。そこがかさぶたの様になったりして美容上あまり宜しくない。もう一度短く走っておきたいところだが、さてどうなるか。

燃料が高騰している。少しでも安い給油の為に少しでも走っても得かどうか。現行の価格ならば、ミュンヘン往復で150ユーロ程になりそうだ。殆ど倍額になっている。次の機会は列車の安売りを試してみようと思う。

旅行で助かるのは今回の暑気は金曜日をピークに一雨来る。ミュンヘンは半日ほど遅く午前中に雨が降るようだが、あまり暑くない方がいい。ピクニックにもお土産の保存にも都合がいい。

ここ暫くの暑気で深い睡眠が難しくなっていた。金曜日の夜は長く深く眠りたいものである。窓を開けて就寝したりで、又明け方に冷えて、摂った水分が溢れてくる。

独テレコムの契約無しのプリペイドカードがネット課金出来なくなっていた。これは想定外で、ガソリンスタンドなどでそのコードカードを売っているところに出かけて課金を済ませておかないと長い距離を走る時には不安になる。安い燃料を入れるのと同時にこれを済ませておかないといけない。

先日走ったついでに、ワイン地所で成長具合を確認した。小さな葡萄の房が出来ていた。知らないうちにそこ迄進んでいたようだ。調べると今年のアイスハイリゲ、つまり観天望気的に遅霜が降りる日は過ぎていた。5月15日だった。これで霜被害はないかもしれないが、今度は雹が降って、そのものにダメージを与えるやら葉が落とされてしまう可能性がある。

昨年の2021年産は中々良い結果となりそうで、摘み取りも遅くまで放っておけて、将来性もありながら旨い酸も効いているようなので楽しみである。来週は二日試飲会に通うことになっている。コロナ禍後初めての試飲会となる。



参照:
「八十八夜とは氷聖人の日」 2018-05-30 | 暦
一堂に会する音楽劇場 2022-05-17 | 音


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芸術音楽で可能となること

2022-05-19 | マスメディア批評
今週は暑く、週末出かけるので、走行距離を落とす。頂上まで駈ける自信がない。無理すれば行けるが、週末にも足が攣りそうになった。水分を摂っているので、辛うじて事故にはなっていない。先ずは汗を掻くことを目的として、週末前にも軽く走っておけば何とかなるか。ボルダーリングは車の負担もあるので我慢しよう。

週末の新制作「ブルートハウス」のお勉強。演出家クラウス・グートのインタヴューが出ている。演出内容について語っている。まだ総稽古は済んでいない筈だが、実際に舞台に試してみて、舞台での心理面などの反応が変わるので、演出も変わるとしている。これは少々驚きだった。演出家として可也台本を読み込んで決めてくる人だと勝手に思っていた。

ヘンデル・クラウスの脚本はとても密に書かれているらしいのだが、ハースの音楽とは別途に進行しているようで、それをしてグートにとっては、最も音楽劇場としての面白さはそうしたテクストに関わらずに、音楽が心理的にも独自の状況を創出する所だとしている。

何かここまでは昨日ここで言及したことと似てはいないか。それをしてグートは音楽劇場の総合芸術性だとしている。それが最も扱われているのが、この「ブルートハウス」だとしている。そこに付け加わるのは更に重要な聴衆となるだろうか。

舞台設定を敢えて2000年代としている。理由は、オーストリアで相次いだ十歳から誘拐されていたナターシャ・カムプッシュや父親の子を十人も生んでいたフリッツルの娘などの被害者視線、そのものがこの音楽劇場の内容にもなっているからということのようだ ― 作曲家はその物語に自らの生い立ちを密かに見出していた。

勿論こういう話しを聞くと、もう私たちはその音楽劇場に既に一歩踏み込んでいるに違いないと感じる。

そして他の新聞は、作曲家のハースへのインタヴューを舞台写真らしきものと載せている。総稽古はまだかと思うが、衣装稽古の写真だろうか。明らかに主人公のブロンドで黒服のナーデャがスポットライトの中で膝をついて屈していて、背後にはその家で悲惨な死を遂げた両親や関わりのあった人のような影がある。

作曲家は、2011年のシュヴェツィンゲン音楽祭での「ブルートハウス」初演時には自らがナチとして躾けられていた事を口外できなかった。そして「分かたれた痛みは半減する、まさにそれが芸術によって起こることだ。」、「誰もが痛みを分かつことが可能、そして自らの痛みが違っているのを発見する。それが音楽で可能となることが素晴らしい。」と話す。



参照:
Festival „Ja, Mai“ an der Bayerischen Staatsoper: Gespräch mit Georg Friedrich Haas, Merkur vom 17.5.2022
特別な音楽劇場の作業工程 2022-05-18 | 文化一般
一堂に会する音楽劇場 2022-05-17 | 音
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特別な音楽劇場の作業工程

2022-05-18 | 文化一般
承前)疑問を呈した。しかしその前にもう一度終景における演出の変更について考察しておこう。そこでは主人公のヘルマンが、カードの目を外しただけであっけなく自射してしまう。原作においてはその神も仏も無しのニヒリズムが強調されるところなのだが、ここではチャイコフスキーは古い聖歌をコーダに使った。この傾向は最期のオペラ「イオランタ」においてより明白になる様に明らかに神的な光を求めていた死を遠からず覚悟していた作曲家であり、ここではどこまでも主人公への慈愛の念を音楽化している。この作品がドラマテュルギー的に最後まで中々嵌まり難くしている由縁だろう。

そこにト書きには無い祈りの場を見せることで、その意味は可也大きく変わる。その演出意思以上にここで注意したいのは、途中で代えてまで変更してしまったやり方である。もしこれがミュンヘンの大劇場で行われていたならば、常連さんにだけでなくメディアでも大きな話題になったであろう。

制作の基本コンセプトとして音楽的な意味合いが先にあるとすれば、途中から演出が変更されるのはおかしい。またはその重心が移されるのは不自然ではないかとなる。実は、こうした演出の変更があってから二晩目のカメラも入っていない千秋楽には更なる細かな変更があった。少なくともヘルマンのメーキャップはより陰影がつけられた。到底満員にもなっていない晩の為に試みたのは何だっだのか。

明らかに重心が移されたので、そのヘルマンの歌唱が四日間でも最も素晴らしい出来となり、終演後の喝采も初めて主役に相応しい沸き方をした。つまり、演出の変化は音楽的にも大きな影響を与えたということであり、同様な状況はその後のベルリンでの演奏会形式での批評等にも表れていた。

劇場においては歌手の体調が悪いなどは日常茶飯の変化であるが、そうした場合でも破綻が起きないように劇的に支障が起きないようにするのが劇場指揮者の腕である。しかし今回の場合は、音楽的な追求からそれに寄り添う演出まで変更になって、千秋楽からまだベルリンでの公演へと飽くなき音楽的修正が為されたとも考えられる。こうした作業工程自体が、そして演出家が最後まで手を加えるというのも特別なことだった。

上記の明らかな演出上ひいては音楽上の頂点は、これらの事から聖金曜日の第三夜にあったとして間違いないだろう。恐らく、残される映像も当夜のものを主にして、録音もその他の取り換えや修正などが為されるものと予想する。

もう一つ、この作品のフェーク構造において、とても音楽的に重要な部分はネオロココの舞台化であった。これもこの作品の理解を難しくしている要素でもある。(続く



参照:
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
まるで座付き管弦楽団 2022-04-16 | 文化一般
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