Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年02月

2022-02-28 | Weblog-Index


ソヴィエトからの流れ 2022-02-28 | 音
上手く機能したストッパー 2022-02-27 | アウトドーア・環境
決して諦めない意志 2022-02-26 | 文化一般
独裁の協力者を許すな 2022-02-25 | 文化一般
イミテーションの先端 2022-02-24 | アウトドーア・環境
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
旅行のアレンジメント 2022-02-22 | 生活
単純化しない重ね方 2022-02-21 | 音
不可思議な国、日本 2022-02-20 | 文化一般
あか抜けないもの 2022-02-19 | 料理
鳴り響くユーゲント様式 2022-02-18 | マスメディア批評
悪魔に対峙する人々 2022-02-17 | 文化一般
襤褸靴の足を引き摺る 2022-02-16 | 生活
近づくフリーダムデイ 2022-02-15 | 生活
南極探検での蓄音機 2022-02-14 | 文化一般
計五泊をブッキング 2022-02-13 | 生活
職業倫理の音楽性 2022-02-12 | マスメディア批評
いざシュトッツガルトへ 2022-02-11 | 文化一般
バイエルン州の緩和開始 2022-02-10 | 文化一般
地盤沈下の音楽の都 2022-02-09 | 生活
『スペードの女王』へと 2022-02-08 | 文化一般
慢性的なコロナ病弊 2022-02-07 | 生活
ヴィヴァーチェに至る時 2022-02-06 | 生活
指揮者の職人的技量 2022-02-05 | 文化一般
卒無く間隙無しに 2022-02-04 | 料理
歴史的な思い出話し 2022-02-03 | マスメディア批評
引用とかモンタージュとか 2022-02-02 | マスメディア批評
キャリアを目指す指揮 2022-02-01 | マスメディア批評
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ソヴィエトからの流れ

2022-02-28 | 
再演「ボリス」の為のお勉強をしている。版のことなど面倒なこともあるが、少しづつものになってきた。序に久しぶりにクラウディオ・アバド指揮「ボリス・ゴドノフ」の録音も聴いてみた。同時に同じプロダクションを夏に再演したヴァレリー・ゲルギーエフ指揮のザルツブルクデビューのプログラムも出してきた。券をみると上階の15列目20番なので第六ランクだった。
Mussorgsky: Boris Godunov - Abbado, Kotscherga,Langridge,Lipovsek,

ヴェルニッケの代表的な演出であるがあのいつも尖がったような舞台も嫌いで、「権力も何もないわ」と思わせ、先端恐怖症にのみ訴えかけるものだった。しかしこれの場合は大きな鐘を置けたので幾らかはそのコントラストをつけられていた。1997年であるから当時のロシアの状況を思い起こす。そして録音はそれよりも早く1993年の収録であった。恐らく楽団の力量もその後上がっていて大成功した上演での方が良かったに違いない。復活祭上演のオペラではカラヤン時代も含めて有数の出来だったに違いない。

そうした前提を踏まえても、アバド指揮は全くよくない。その歌い方もせかせかとしていて十分に練習が出来ていないことが丸わかりで楽譜を十分に読み込めていない。ムソルグスキーの「禿山に一夜」などの原典版を指揮したりと独自のロシア音楽解釈は有名であったが、やはりここでは全く読めていない。こちらがロシア音楽に関する見識が増えてきたこともあるのかもしれないが、少し歌えばまるでベルカントの様にしか歌えない指揮者ではどうしようもない。

その点、新制作「ボリス」のヴィデオでのティテュス・エンゲルの指揮は見事である。版のこともあって、委嘱新曲との繋部分の重ね方やその組み立ては再度細かく審査してみたいが、「(自分こそが)演出に合わせて解釈を変える指揮者だ」と豪語する以上にそのロシア音楽の作り方もそして音色の出し方も素晴らしい。例えば小節の切り替わりや休止を利用しての場面展開や間の置き方は憎いほどで、流石に音楽劇場を意識すると指揮もそうなるのだと感心する。だから曲を楽譜通りに一気に前から後ろへと流すという強迫観念よりもその音符を一つ一つそれこそスヴァルフスキー分析をして、正しく音楽内容を音化するという事に全ての目標が定められている。こんなに丁寧な指揮が出来るのも、拍を深くしてゆったり感を以て演奏できているからだとよくわかる。そしてやはりシュトッツガルトの座付き楽団は上手い。
BORIS: Trailer | Staatsoper Stuttgart


これを聴くと恐らくエンゲルは遠くないうちにバイロイト音楽祭でキリル・ペトレンコを圧して代表的な顔になると思う。その指揮もレパートリーを絞っている分取り分け細部まで明晰でカルロス・クライバーのいい面を思い起こさせ、その楽団にも仕事をさせる指揮ぶりは悠々としてハンス・クナッパーツブッシュに近い。もう少し親切に舞台にキューを出してもいいと思うのだが、場所がより大きな舞台になるとより緊張感のある舞台となる秘訣なのかもしれない。

こうなればロシアの上手い指揮者の演奏を聴きたいと思って、キリル・ペトレンコ指揮録音がどこかになかったかと調べるのだが見つからない。2014年にミュンヘンでナガノ指揮がマディア化されている演出を再演している。時期が時期であるからプーティン大統領の顔も登場するが政治家の一人としてであるようだ。

しかし、2020年新制作された「ボリス」には歴史的な流れの中での権力者としてその顔が舞台に登場している。そのプロダクション自体はベルルーシにおけるロシアの覇権が一つの時代背景として扱われていて、ソヴィエトからの流れとして描かれている。
Teaser: BORIS von Modest Mussorgski/Sergej Newski | Staatsoper Stuttgart




参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
エンゲルが降りてきた 2021-11-01 | 音
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上手く機能したストッパー

2022-02-27 | アウトドーア・環境
二週間ぶりに走れた。短いコースを走り上り終え、下りは三分の二ほどを歩いて下りた。カメラを持っていたので、途中の景色を写した。とても遅い速度でそれも痛めた左足を使わないように右足だけで蹴って走った。それだけで十分だった。

下りのショックで圧縮骨折のようなものを起こしているとの疑いがあったからだが、少なくとも上りだけでは翌日も順調に快方へと向かっている。これで治れば先ず心配は要らないと思う。危惧された痛風の可能性も殆どないと思う。それだけで喜ばしい。

おかげでこの二週間ほどは体調を崩した。月の半分ぐらいになる。毎年この時期は体調を崩すのだが、今年も全く異なる要因で不調だった。そしてアーモンドが咲き始めた。もう春である。

靴紐ストッパーは上手く機能した。右と左で紐の捩じり方で若干異なったりしたのだが、蝶結びをもう少し大きめにすれば完璧に使えることが分かった。殆ど金銭的な価値のないようなストッパーであり、重量も最小限なのだが、なぜかマムムート社はこれの使用をやめた。理由は分からない。フェアートレードに合致しない部品だったのだろうか。使用者としてはこれだけで製品への満足度が一割ほど増した。

ミラノ市から始まった指揮者ゲルギーエフへの最後通牒はついにバーデンバーデンの祝祭劇場まで届いた。シェームオンを発信してから調べると既にスタムパ支配人は同様の通牒を渡していた。これは予想以上の早さだった。

プーティン大統領はパナマ文書において音楽家の名前でマネーロウンダリングをしていたのだが、そこにゲルギーエフが深く関わっていた可能性は高い。バーデンバーデン側からは、倒産後1998年以降に安く多くのペテルスブルクからの引っ越し公演を興行して貰ったお陰で継続が可能となった恩人であると同時に、ロシアマネーを持って来て貰う大きな重要人物でもあった。よって、前任の支配人と劇場の友の会などのショイブレ元副首相などの保守政治家との関係も見逃せない。しかしスタムパ支配人にはその裏のしがらみがなかったと思われる。

個人的には、ゲルギーエフ一座が大きな要素を占めているうちは祝祭劇場に余分な金を落とせないと思っていた。しかしこれで同じマリンスキー劇場がゲルギーエフの下にあっても公演が続くのか否、もしくは新たなロシアンコネクションが生じるのかなど、とても興味津々である。これで7月の二晩の演奏会と12月の七晩の引っ越し公演が差し替えられる可能性が出てきた。ゲルギーエフが自身が出なくても興行師として暗躍するのか、それとも引き上げるのかなど結果が待たれる。

今後ともロシアとのウクライナとの架け橋となるとすれば復活祭のキリル・ペトレンコや何時までやれるか分からないクレンツィス一座だけでは足りないので、どうしても大きなプロジェクトが今後とも必要になるのであろう。私が興味を持てるような催し物になってくれれば一番いいのだが、ロシア関係では中々限られると思う。ユロウスキー関連での活動でもそれ程悪くはないかもしれない。



参照:
独裁の協力者を許すな 2022-02-25 | 文化一般
イミテーションの先端 2022-02-24 | アウトドーア・環境
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決して諦めない意志

2022-02-26 | 文化一般
様々な動きがあった。そして今も動いている。少なくともウクライナは軍事的には最早終わっている。如何にベルルーシ化を避けるかにしか関心は無くなった。隣の陸の国境線で接する大国から軍事的に最小の防衛線を引くことが如何に難しいかが分かる。

嘗て東西ドイツ時代にも国境線を固めていたのは何も亡命者の為だけではなかった。西側には核弾頭も森の中に隠されて、大きな部隊が展開する準備が出来ていたのだった。徴兵でそれだけの要員がいた。

これでウクライナにはプラハの春やハンガリー騒乱の様に僅かな春しかなかったのかとも思った。しかし改めてオクサーナ・リニヴが今度は自らの育てたウクライナジュニア楽団の家族と連名で声明を出したのを読んだ。彼らは、昨年度のザクセン州のモーツァルト受賞団体で、今年もドイツツアーでの公演を予定している。

上述のようなことを考えていたら、とても強い口調で個人的な声明に加えて、32の都市から12歳から22歳までの楽員の連名で、「私達は、欧州の全ての国に呼びかける。一体して、軍事、経済的制裁で抵抗することを求める。私達は、音楽の芸術の全力を以て決して諦めない、世界平和と私達の故郷の真の価値を守る。」と書いている。

このように書かれると、軽々に傀儡政権云々とは語れなくなる。リニヴの人間性はある程度分かっているつもりなのだが、流石にここまで強い意志には驚かされる。まさに先般の写真の印象に違いない。

復活祭の舞台の箱出しが始まったようだ。これで来週ぐらいには指揮者ペトレンコもバーデンバーデンにやって来て、演出家との打ち合わせが始まるのではなかろうか。こういう時期であるから余計に演出やそのコンセプトも注目される。

ペトレンコ指揮チャイコフスキーに触れれば、それがなぜ違うのかが分かる筈だ。あの「マゼッパ」に於いて演出は取り止めになったのだが、十二分に繊細な感情の表現が為された。その芸術的な質が問われる。

それを今西欧から排除されるゲルギーエフ指揮のそれと比較してみればよい。芸術音楽は必ずしも政治的な意味を其処に有している訳ではないが、そのセンスが問われる。更にそれを分かりやすく説明するのはカーネギーホールで共演する予定だったピアニストマツーエフの打鍵を一小節でも聴けばその野蛮さに気が付くだろう。それををマッチョとしてもいいと思う。そうした音楽が今日誰も求めていない。少なくとも西欧においてはである。もしそれが求められている市場があるとすれば、その社会がやはり異なる。

同じ楽譜で同じ歌詞の音楽を演奏してもその演奏家のセンスで変わる。そして受けるか受けないかは聴衆で変わり、その社会で違い、時代でも変わる。だから上の様なマッチョな音楽なんて真面な音楽家は演奏しない。

音楽は政治の投げられるボールにはならないとヴィーナーフィルハーモニカーのフロシャウワーがニューヨークで語っていたが、そのようなセンスのないところに芸術音楽なんて存在しない。



参照:
独裁の協力者を許すな 2022-02-25 | 文化一般
日本人妻たち対慰安婦たち 2017-03-16 | 女
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独裁の協力者を許すな

2022-02-25 | 文化一般
プーティンのウクライナ侵攻に関して指揮者オクサーナ・リニヴらが厳しいコメントを出している。長くこの女流指揮者を集中取材している独海外放送局のドイツェヴェレはウクライナの芸術家数人にインタヴューを取って纏めている。そのドイツェヴェレこそは先日のショルツ首相のモスクワ訪問においても懸案とされたロシア国内放送停止になっている。

「漸くプーティンの正体があからさまになった。」、「独立した国を滅ぼそうとする。自らの文化を持ち、アルファベットを持ち、言語を歴史を持って、独自の芸術家を有するアイデンティティを抹殺しようとする。私たちが独立以来三十年間欧州の国として、マイダンによって大きな犠牲を払ったその発展が今危機に瀕している。」

このように語っている。そして水曜日のフェースブックには、当日の驚きが記されて、プーティンを人殺しとして非難しているようだ。朝五時に母親から電話で起こされて。「戦争が起こった」と知らされた。そして声を上げて欲しいと訴えかけている。

そして予定されていた当夜のヴィーンでのドヴォルザークの「レクイエム」の指揮にはウクライナの国旗色の腰ベルトを巻いて見事に演奏したと批評が載っている。同オーストリア放送局中継放送予定は後日になっている。

そもそもオーストリアでは、現在米国や日本などの関係者が避難しているリヴィヴはハプスブルクの領地レムブルクとして、リニヴもオーストリア音楽家として扱われている。モーツァルトの息子が活躍したその伝統でもある。

そしてヴィーンのフィルハーモニカーがニューヨークに到着した。金曜日のカーネギーホール演奏会にはプーティンの協力者ゲルギーエフが指揮台に立つ。既にShame On Gergiev運動は準備されているが、今回は一部運動家のカウンターだけで済むのかどうか?

その独裁の協力者がミュンヘン市にこれまた独公職から追放のティーレマンの後任として選出されたときに反対運動は上がっていた。しかし今回はより多くの聴衆からボイコットなどの動きが上がるのではないかとされている。ミュンヘンはSPDの市政であって、どうしてもそれを看過してしまった経緯がある。

たかが音楽文化における協力者でしかないとされるかもしれないが、今回のウクライナ東部と同じように2008年にはその南に位置するジョージアでの分裂運動をロシアが支持して全く今週と同じように単独でそれを承認した。その節は大統領選挙もあって、オバマも指を咥える結果になっていた。その占領地でこともあろうに、レニングラード解放を祝うとされたショスタコーヴィッチ七番交響曲の行進曲を指揮して征服の凱旋をしたのがこのゲルギーエフだった。自らがそこの出身でロシア人ではないという言い訳で全てを通していた。もしこの協力者がウクライナで指揮するようなことがあれば流石に二度とミュンヘンの地は踏めない筈である。

歌手のアナ・ネトレブコもプーティン信望者とされているが、やはり今更ながらけじめをつけるべきことはある。明日の金曜日のカーネギー公演が何もなければそれはもう合衆国の文化的敗北に違いない。

Shame On Gergiev

2008年の独立承認凱旋演奏会:
Ossetia Memorial August 2008 - Mariinsky Orchestra, Tskhinvali , Valery Gergiev

2016年のシリアでの対モスリム凱旋演奏会:
Russian Mariinsky Theatre Symphonic Orchestra Concert in Palmyra




参照:
Ukrainische Künstler fordern: Stoppt Putin endlich!, DW vom 23.02.2022
Facebook_Ukrainische-Dirigentin-Oksana-Lyniv-zeigt-Putin-als-KillerFacebookUkrainische Dirigentin Oksana Lyniv zeigt Putin als "Killer", KlaineZeitung vom 24.02.2022
寂しき春の想いなど 2016-04-06 | 雑感
視差を際立せる報道  2008-09-29 | マスメディア批評
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イミテーションの先端

2022-02-24 | アウトドーア・環境
朝一番で散髪した。午後も天気が良くなって、陽射しのある所で居眠りせずに起きているのはとても厳しい。更に髪を切ると栄養が失われて、腹も減る。幸いの室温の上昇乍堪らない。

バラの月曜日の前の週間で誰も客がいなかった。来週からは春本番になるので混むからだ。もは受付で名前を書く必要がなかった。尋ねると二月からだったようでオミクロンには追跡も何も手が負えなくなったのでフリーである。規制を外すといってももうそこから外れている。オミクロン様様で、病院に入院する人も半減してきていて、集団免疫が効いてきている感じだ。

それでも意外なことに理容師協会でもまだ三月四日からの緩和の具体策は来ていないとあった。つまり現在はまだ2Gで3Gだろうという事しか分かっていなかった。これは少し疑問だった。レストラン3Gでまた劇場で2Gならば一段落とせばそれしかない。

やりて婆がまた愚痴っていて上のは現場が分かっていないと、またハイデルベルクのオーデンヴァルトとこちらでは感染が全然違うのに向こうから客が来ればどうなるのかと如何にも考えそうなことを放っていた。

個人的には客が押し寄せるのを避けるだけなのでどちらでもよいのだ。床屋のマスクや洗髪ぐらいはどちらでもよい。洗髪後のウェットカットに慣れてしまうと無いと気持ち悪くなる。

バンバンバリカンを入れてもらったので復活祭あと迄は大丈夫で、あり得るとすれば期限切れでのブースターとかで、サマーカットとなるだけだ。バリカンの調子が悪くて、幾つも引っ掛かって油を塗っていた。それでも出来は良かった。これで来週のシュトッツガルト州立劇場にもシュっとして行ける。二十年ぶりぐらいでとても楽しみである。

久しぶりに歩いて足の調子は更に患部の固さが解れて来て、しこりが一部へと縮小してきた。未だ違和感があるがその前には更に痒みとして現れた。これが結構痒かった。翌日も歩こうかと思ったが、さてどうしようか。走るまでの間は歩くだけでも意味がありそうだが、時間の問題である。

序に懸案の靴紐留めを古い靴から取り出してきた。靴紐は現行のは若干太くなっているがそこから切れる可能性は今迄の経験から少ないと思っている。実際にその留め穴に通してみても抵抗がなかったので、大丈夫だと思う。もし一年で切れれば紐を交換すればよいだけだ。

冬場は殆ど終わってしまったが、これで手袋をしても着脱が楽になる。紐を結ぶ手間だけでなくて、手袋をしていなくても一度解いてしまうと地面に紐の先端が垂れて汚れるのを先端はイミテーションで結んでおくだけで防げる。それが最大の利点なのである。特に春以降はパンツを脱ぐのでどうしても靴の着脱が生きと帰りで二回ある。この手間の省け方は大違い。



参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
トレールラン靴下しアタック 2022-01-04 | アウトドーア・環境
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歴史のポリフォニー今日

2022-02-23 | 文化一般
予想通りの足の回復だ。細い靴が履けた。つまり腫れは治まった。しかし歩くと肝心の肉球が当たる感じで違和感が強い。その辺りは張っていた皮が痛んでむず痒い。水虫症状などに近い。あれだけ腫れていたのだから当然かもしれない。

これで少なくとも普通に歩いて出かけるのは問題がない。問題は走れるかどうかで、無理して走って再び腫れるのが怖い。様子を見ながらのリハビリとなる。既に血圧が上がっているような感じで、このままであると全身症状が悪くなって病気になりそうだ。

3キロほど一時間ほどワイン山から裏の森の道の無いところを歩いた。最初は足の当たりが悪かったが、歩いているうちに温まって登りは爪先迄力が入るようになった。但し走れるほどには解れていない。歩いても降りになると親指の肉球のところが痛痒くなる。痛みより痒みで傷口が癒えてきているのだろうが、これが無くならないと走るとぶり返すと思う。

シュトッツガルトの劇場は既に2Gになっている。入場者を半数にしているからだろう。バーデンバーデンの祝祭劇場が未だにプ2Gプラスになっているのと差である。それも3月4日で全て統一される筈だ。

「ボリス」再演に出かけるのは3月5日の土曜日なので未だ一週間以上のお勉強の時間がある。しかし思ったより手強いの気が付いた。既にムソルグスキー作品自体の多層性に加えて、そこに小話が六つと「歴史のポリフォニー」として曲が付けられていて、そのものベルント・アロイスツィムマーマン作曲「ディゾルダーテン」以上に複雑になっている。ドラマテュルギー的には音楽劇場体験でしかないのだが枝葉迄を吟味するとなるとどこまで手に負えるか分からなくなってきた。民謡の利用の本歌取りも指揮者のエンゲルはルネッサンスフランドル派の天才作曲家ジャヌカン・デュプレをモデルにするとしている。

なるほどティテュース・エンゲルがなぜ同じシーズン前半にミュンヘンで大成功の「死の街」を指揮したキリル・ペトレンコと並び称されたかがこれで分かるのだが、その成果を本当に評価できた専門家がどれぐらいいたのかと訝る。資料を見ると2020年2月2日の初日のあと3月までの公演は何とか実行されたようだが、更に再演されることで更なる評価に繋がると思われる。

それ以上にこのプロジェクトへの評価は委嘱作品を含めての評価となると到底そこいらのオペラ評論家では手に負えなくなっているに違いない。少なくともヴィデオで聴く限りは狙い通りの作曲となっているようだ。この辺りもライヴで確認しないと楽譜も何もないところでは評価しにくい。

このプログラム冊子において、また西ウクライナの指揮者オクサーナ・リニヴが出身のリヴィヴに先週アメリカ大使館などが移動したそのレムブルクのヤノヴィスカの強制収容所について言及されている。そこで扱われた音楽としてタンゴが前述のインテルメッツォとして使われているようだ。元々の史実であるゴドノフの新しいツァーの物語に、そのムソルグスキーの不完全なドラマテュルギーを埋めるように、ソヴィエト時世下での「セカンドハンズの時代」のエピソードがそこに付け加えられている。

このような音楽劇場作品と公演を今日一体どのようにエンターテインメントとして受け止められるだろうか。そのようなものではないからこその音楽劇場なのである。こうした音楽芸術や舞台芸術が現在にも活きるというのはそういうことを指すのである。



参照:
単純化しない重ね方 2022-02-21 | 音
いざシュトッツガルトへ 2022-02-11 | 文化一般
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旅行のアレンジメント

2022-02-22 | 生活
週明け早々ミュンヘンの三月分ティケット売りに並んだ。大変な番号を貰って収穫無しだった。お目当ては、アカデミーの行うハイドンのオペラでスレキーテが振るので聴いてみたいと思った。初日に拘ったので、何枚出たかどうかわからないが無理だった。その日に合わせて列車で出かけることも検討した。往復で駐車料金を入れても一等でも80ユーロ程でいけることが分かった。それなら価値があると思った。しかし移動時間はマンハイム駅経由で14時間ほど掛かって、車で行くのよりも時間が掛かるぐらいだった。車で行けば170ユーロほど掛かった。その価値はあまりないと思っていた。

バイエルン州は一足先に2Gとして検査は免除している。3月の公演であるからこれはあまり関係ないのだが心理的な影響はあるとみた。要するにより多くのオペラファンが戻ってきた感じがする。3Gを見越して購入した人もいるであろう。

バーデンバーデンからも第二週末の旅行アレンジの案内が出ている。それによると聖土曜日にチェックインして、四つ星パークホテルで歓迎カクテル、三段夕食。

翌日の復活祭朝食後、ガイド付きで皆で祝祭劇場迄散歩。そこでバックステージツアーと軽いスナック。午後は自由時間で復活祭の催し物に参加するなど。夕刻にはシャトル輸送で祝祭劇場へ。「イオランタ」を聴いた後に、そこのアイーダレストランで四段夕食、シャトルでホテルに。

復活祭月曜日は、朝食後に「ロシアの歴史的足跡」と称してカジノへと街観光。夕刻シャトルで祝祭劇場へ「スペードの女王」観劇後に、休憩時のシャムパーニュサーヴィス。再びシャトルでホテルに。

火曜日、朝食後解散。

これらを入れて一人1675ユーロで、一人部屋加算45ユーロ。高いか安いかは何とも言えないが、「スペードの女王」最終日の出来は印象として大きいだろう。音楽に関しては間違いないとしても演出共々成功するかどうかはなんとも分からない。特に今回はキリル・ペトレンコの事実上の監修で初めての舞台作りとなり、そこでも批評されることになる。ある意味ミュンヘンの音楽監督時代以上に矢面に立つ。

バーデンバーデンの祝祭劇場では音楽劇場的にはやれることに限界がある。時間を掛けてもどこまで理想が実現可能かどうかも分からない。目標は年間で世界的に最も注目される公演になるかどうかである。ニューヨークタイムズなども主要なプレスはやってくるのだが、それが何処迄の評価となるかどうか。

奇しくも最初の復活祭となってしまったのだが、チャイコフスキーであることの利点を生かし切れるのかどうか。今回の「スペードの女王」で大成功しないぐらいだと来年以降のリヒャルト・シュトラウスでもその限界を作ってしまいかねないので重要である。やはりある程度の舞台づくりが出来ないと駄目である。



参照:
すっきり気持ちの良い夏 2019-07-18 | 生活
賢い女狐はどうなるのか 2022-01-30 | 女
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単純化しない重ね方

2022-02-21 | 
このコロナ禍で学んだことはあった。人生哲学や世事的なことではなくて学んだのは矢張り音楽だった。読書も殆ど出来なかった。原因は様々だが落ち着く暇がなかった。音楽に関してはこの期間に態々出かけたのは重要な公演の山々で、中々抽出できないほどだ。

それでもコロナ禍にありながらもある程度大編成の演奏も体験して更にソーシャルディスタンシング配置とされる小規模の編成ではからずも1920年代をも追体験した。

しかし学んだことはとても個人的なのだが可也普遍的な近代西洋音楽では重要な事だった。元々それ程大管弦楽に集中していたのではなかった。理由は1980年代に既に頂点を迎えていて、レパートリー的にも最早先細り感しかなかったので、1990年以降は所謂メインストリーミングとされるような商業的な催し物にも出入りしなくなった。

ベルリナーフィルハーモニカーのカラヤンサーカスサウンドとされた管弦楽の響きに代表されたような単純化され大衆化されたポピュラーレパートリーとは一線を画したという事でしかないが、ここに来て漸く新たな響きや音楽劇劇場上演なども定着してきていることなどで、やはりその相違に耳を傾ける様になった事の次第である。

嘗て、ある録音監督が楽譜と睨み合わせて音の誤りを指摘する際は自身が弾いていたピアノの様にそこに指を並べて置いてみるというのがあった。要するに五線譜を横置きしてそこに指を置くというのである。これはまたとその時思ったのは、一つは平均率を相手にすればそれで正しい音が取れるだろうが、その他の自然調音された楽器では鳴る響きが異なるだろうと思ったことだ。しかしこの大管弦楽の響きを考える場合にやはり平均率が取り分け便利で、その音を取りやすいと気が付いた。否、音楽におけるデコード作業を考える場合に、作曲に於けるエンコードの平均率へと戻る作業は決して間違いではないと今頃気が付いた。

要するに平均率でも正しく鳴っているかどうかはやはり重要なのだ。それを思い知らされたのは、例えばその和声間でバランスを変えてくるトリフォノフなどのピアノを聴いたりすると、その音色に留意しなければならなくなった。最終的には平均率から離れて楽器間の管楽器法へと広がっていくのだが、その一歩手前でそれを平均率上で想像できるかどうかはやはり大きい。

「ボリス」のお勉強を始めた。先ず何よりも感じたのが思っていたよりもよく出来た楽譜だという印象だ。こんなに素晴らしいのになぜ編曲や未完が残されているのかと思うのだが、それもこのプロジェクトの動機の一部にはなっているのだろうか。少なくとも始まりは新曲から上手に重ねられて始まった。また途中はベルント・アロイスツィムマーマンの作品の様に綺麗にモンタージュされる形で劇が進んでいる。その挿入部内容は音楽技術的だけでなく内容的にとても素晴らしいと思って聴き進むと今度はまた、ムソルグスキーの原作へと戻る。今度はますますその重ね方が複雑になっていて、その成否を厳密に評価しようと思うとんでもなく難しくなってくる。当然であろう、それだけ情報量が増えてくるのだから。それにしても幾らでもプロジェクトに合わせて楽曲を指揮できるよとエンゲルが豪語する様に、とてもクリエイトな仕事ぶりが鮮やかに展開する。おお彼はもうこの方では、つまり音楽劇場指揮者としては第一人者なんだなと改めて思う。



参照:
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
あか抜けないもの 2022-02-19 | 料理
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不可思議な国、日本

2022-02-20 | 文化一般
フランクフルトターアルゲマイネ新聞経済欄の一面コラムにある。「不可思議な国、日本」と題して、ソフトパワーと称するマンガやゲーム等の輸出で豊かさを示していた日本はコロナ前はその海外旅行者受け入れでも2003年の三倍にもなっていて、アベノミクスの成果とされていた。しかし、コロナが始めって今も入国を制限している。留学生の締め出しだけでなくて、外国企業も日本での今後の活動を考慮しなければいけなくなってきた。貿易ゆえのこれは一時的な経済的損失に止まらずに後を引くだろう。もしかすると次の宣伝スローガンは「不可思議の国」となるのだろうかと結んでいる。

足の調子は日一日と良くなっている。しかし未だ走れない。週明けには普通の靴が履けるかどうかだ。そうなれば運動が出来るだろう。しかし軽く再開しないと再び腫れそうな気がする。

それ以上に運動不足が全身症状を悪くしていて、節々が凝って来ていて、更に全身バランスが悪いのでふらふらする。コロナによる後遺症を思わせるような塩梅だ。更に息苦しさや平静にしていても心臓への負担を感じたりと急に病人のような気持ちになってしまう。

金曜日はミュンヘンの新しいホールから生中継があった。音が硬い、マイクロフォンセッティングもまだ整っていない、更に微調整も整っていないようだが、少なくとも放送で聴く限りは決して音響のいいホールではないと思う。これも豊田の設計で、ハムブルクのエルフィーしか他には知らないが、やはり響きが悪い。設計者の好みなのかもしれないが、音色傾向でいうとサイモン・ラトル指揮ベルリナーフィルハーモニカーのつるつるに磨いた音に近い。この音色を芸術的と思う人はそれ程多いとは思わない。少なくとも現代音楽部門でもこういう音響は必ずしも肯定的には受け止められない。

地元の放送局BR交響楽団にデビューしたユジャ・ワンも35歳の様で、もう今出来上がっていないものは今後に期待できるような年齢ではないと思う。その意味からもそのリストのピアノも大変立派であって、今まで聴いた中でも良いと思った。再度リヒテルやホロヴィッツの録音などとも比較してみたい。

伴奏をつけているのはイタリア系英国人のパパーノで、オペラを得意としている指揮者である。劇場でも批判されているようにあまりにも鳴らし過ぎていて喧しい。管弦楽の音が潰れている。先日もヴィーンでプッチーニを振っていた指揮者も酷かったが最近は奈落で鳴らしっぱなしにするオペラ指揮者も増えてきたのだろうか。昔から音楽に関わらず公演でも何でも如何に小声で人の聞き耳を引き付けるかが技とされているが、一体こういう指揮者たちは何を考えているのだろうと思う。要するにピアニッシモで通る音を楽団から引き出せない下手な指揮なのだ。ホールの音響のせいにしてもらっては困る。

それでもドイツ語も結構話し慣れているようで、なぜなのだろうと思う。Wikiによるとバレンボイムとバイロイトやギーレンの下でアイスタントなどもしていたので、その頃にドイツ語を学んだのだろう。ミュンヘンの後任にも請われていたが、この指揮の音楽監督ならば高度な音楽劇場化は無理だったと思う。



参照:
藤四郎の支配人なんて 2022-01-10 | 文化一般
課題を徹底的にやる? 2018-10-28 | 雑感
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あか抜けないもの

2022-02-19 | 料理
オペラ「ボリス・ゴドノフ」の楽譜をダウンロードした。先ずは版などを気にせずにざっくりと流しみよう。参考音源などもあまり気にせずに手元にある名盤のアバド指揮の復活祭版を使ってみようかと思う。色々と問題点が分かって来ればいい。3月5日の公演は挿入されていて、どういうところでどういう風に分かることも大きな目的だ。それがどこまで価値があるのかないのか、成功しているのかどうか。

12月のミュンヘンでの「ジュディッタ」も挿入の是非や価値判断が出来るまでにはそれなりの時間が必要だった。勿論素朴に上手くいっているな、ちぐはぐだなと感じるかどうかが重要で、それらをひっくるめて音楽劇場公演として成功していたか否かが判断される。だから必ずしも知識や見識と音楽劇場体験の効用は比例しない。しかしこうやって文字化してなんだかんだと書く限りは、どうしても判断基準を明白にするためのお勉強は必要だと思う。感性は受け取る方の各々の相違でよく言われる好き嫌いの問題にしかならないからだ。

一方で五月、六月の公演の様相も明らかになって来て、発注申し込みの日程も明らかとなってきた。七月のザルツブルクは、既に各公演の初日はソルドアウトになっている。こちらは、返答が少し遅いようなので確定するまで待たなければいけない。本年はまだ海外からの注文にブレーキが掛かっているだろうからチャンスだとは思うのだが、さてどうなるか。

ミュンヘンの劇場では月末の新制作「ピーターグライムス」初日がバックステージの陽性で流れたようで、二回キャンセルで、3月6日が初日になるようだ。テスト無用の2Gの定員75%で催されるようなので、追加発売される。同時にストリーミング中継もその日に変更された。若干安い料金で入れるならお得なのかもしれない。

新たなパン屋でのプティング付きのブレッツェルを購入した。ここのコンディトライ部門なのかパン屋部門なのかどちらかよく分からない。マイスターはオーナーがコンディトライ、雇われがパンとややこしい。少なくともパンのマイスターの腕は悪くない。原料費もそれなりに使っている。問題はコンディトライ部門との分担のやり方だろうと思う。もう少しこましなケーキ類を作ってもいいと思うのだが、場所が場所だけに冴えない。前アメリカ大統領トラムプ家の在所である。アメリカに渡ろうが、そこにいようが垢抜けないものは垢抜けない。

使った足の調子は、就寝時に目が覚めるような痛みではなかったが、腫れ感はあった。しかし翌朝は腫れが弱まった。前日よりは良くなっている。そして漸く手で揉めるような状況になって来ていて、患部がはっきりするようになってきた。つまり腫れが引いてきたという事だ。但し一週間前に違和感を取るために走ったことを考えれば、その時よりは痛みがあって、到底走る気持ちにはならない。ここからどれぐらい痛みが早く取れるのか、どうか。



参照;
大統領選出後の喧騒 2016-11-11 | 歴史・時事
赤い国を生きた女性 2021-05-23 | 音
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鳴り響くユーゲント様式

2022-02-18 | マスメディア批評
2月16日の連邦政府と各州の討議で3月20日のフリーダムデイ迄の工程表が決まった。各州議会の承認を受けての当面の緩和と、3月4日からの第二段階の緩和などの細部はその枠組みの中で決まる。個人的に関心のあった劇場等は、医療切迫がない限り3月4日を以て2Gに移行するが最低の線として担保されたのが大きい。ブースターを打っていなくてもテストが要らなくなる。必要ならば予定の二三日前にブースターを打つかどうか考えていたが、更に時間稼ぎが可能になりそうだ。二本接種の有効期限が270日までと変わらないので、まだ余裕がある。出来るだけ遅らせる方がその価値がある。

一週間ぶりに買い物に出かけた。足の具合が大分よくなった。しかし平素の靴は足がむくれていて履けなかった。そこで以前の靴に足を入れてみた。紐を解いて靴ベラを使うと入った。痛くはないので、それで出かけた。車を降りて歩く時も問題はなかった。帰宅する事には大分気にならなくなっていたが、それでも一週間前の違和感とは違って腫れている。但し基本は同じだ。違和感を取るために走って駄目になったのだった。

少し足を使ったので就寝時に痛みが出るかもしれないが、様子を見てみよう。腫れ自体も引いてきたように感じるので、全体としては好転してきている様である。

火曜日のヴィーンの楽友協会での演奏会評がよかった。デアスタンダード紙に後半のスークの「円熟」に関してとても気の利いた書き方をしている。

このレトロな交響詩は、ハプスブルク治世の殆ど崩壊時に初演されて、鳴り響くユーゲントシュティルだと書く、それは堂々としてしかし同時にエレガントで、ピカピカしていてもインティームに最後の細部まで美しく形作られていると。ペトレンコは2006年にこの曲をコーミッシェオパーで録音していた、そして五十歳になって、スークの理念を立派な見識を以て体現したと書く。それもしばしば節約された動きで笑みで以て楽団を率いたと絶賛している。

これに関してヴィーナー新聞は、ベルリナーフィルハーモニカーの200%の力演でと書いていて、少なくとも昨夏ルツェルンで同じスークの「夏のメルヘン」を体験した経験からすれば痛いほどよく分かる表現である。CDボックス化されるこれらのスークの一連の大管弦楽曲が今後どのように演奏され受け入れられて行くかは分からないが、大交響楽団の後期ロマン派のレパートリーとして、ある意味マーラーなんかよりも欧州的な文化軸の中で明白に位置づけられる可能性もないとは言えない。

キリル・ぺトレンコが女声合唱迄をも要するこの曲を態々ヴィーンにまで持って行ったかの理由はそこにある。上の新聞ではスークがヴァイオリニストとしてブラームスを体験していた繋がりとかもあるプログラミングとしているのだが、ヴィーンの大管弦楽団がこの曲を立派に演奏できるようでなければいけないという教育的な意味合いもあったのだろう。如何にも教育者らしい態度である。

するとチェコのスークと同じユダヤ系のハンガリー人であるシフが協奏曲を弾いた意味もそこに繋がる。こちらの方はシーズンの楽友協会のレジデンス音楽家であっても散々な演奏で、当然のことながら極評によって迎え入れられた。



参照:
Klingender Jugendstil: Kirill Petrenko im Wiener Musikverein, Stefan Ender, DerStandard vom 16.2.2022
Die Klangfarbe als Attraktion, WienerZeitung vom 16.2.2022
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
南極探検での蓄音機 2022-02-14 | 文化一般
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悪魔に対峙する人々

2022-02-17 | 文化一般
ミュンヘンからメールが入っていた。何を発注していたか忘れていた。既に五月の件で頭が一杯だったからだ。目出度く、新体制初のオペルンフェストシュピーレ初日の当選券である。正直競争率は低くて希望の147ユーロの席は1を切っていたと思う。でも第一希望が叶えられたのは嬉しい。こうして希望通り配券して貰うと劇場との繋がりを感じて足も軽くなり、新体制への支持・不支持を明確に出来ていいと思う。

音楽監督二回目の初日「ルドンの悪魔」の席である。第四ランクなので微妙なところなのだが、要はある程度サイモン・ストーンの演出を確認して、ユロウスキーの腕を含めて制作全体の程度を吟味出来て、なによりも音楽劇場として体験する事である。以前のバッハーラ支配人体制の時とはそこが何よりも異なる。それは「体験」で表せる。

指揮や歌手の音楽の評価を目的としたり、演出を観るというのとは全然異なる。音楽劇場を体験するという意味では必ずしもいい音が聞こえたり、舞台を具に観察する必要もないのだが、新体制のそれではやはり吟味することが沢山あって、ある程度の情報量が必要になる。ペトレンコ音楽監督時代には最初はその様子を立ち見で覗きに行って、演出との兼ね合わせなどと徐々により多くの情報を得るようにしていった。丁度それとは反対の順序になっているのではないか。つまり、ドルニー体制では一度その程度を見極めてしまえばあとは適当に参加できるのではないかと思う。宿は未だ取っていないが、19時始まりで、夏至の頃でそれ程長くはなさそうなので日帰りできるだろうと考えている。

足の腫れ以降二回目の入浴をした。前回の感じでは新陳代謝が早まって症状が進んだ。腫れが大きくなったが使えるようになってきた。今回も親指に力が入るようになってきた。まだ使えないのは親指の肉球のところがぶわぶわしている感じで力が入れられない。印象としては痛風というよりも親指の関節の圧縮疲労骨折とかそれに近い感じがする。内臓器官とは関係がない方が治りがよいだろう。

一方オミクロン風邪症状からの悪寒症状が再びあってこれも気持ち悪い。特に上腕の不調は長く続いていて、故障したところから五十肩の傾向が広がったかと思っているのだが、悪寒と連動してゾクゾクすると余計に悪く感じる。

先日ヴィーンで「マノンレスコー」を歌ったアスミク・グリゴーリアンが批評に反論している。無視しておけばよいものを態々ファイルにして披露するものだから、「羽を生やしてくれるようなものも、また夜眠れないようにする」のも批評と可也怒っている。その事象は既に言及したように指揮者が悪く管弦楽の制御が効かないものだから歌に被せられていたものだ。そのこともご本人は分かっているのは間違いないのだが、それを玄人が上手に表現せずに、「メディアに持ち上げられた声で、この役にはスリムで、上まで届かない」と全く素人のような事を書かれたものだから、「いつも舞台では全力で歌う、評論家もそうしているに違いない」と完全に喧嘩を売っている。

玄人は色々なことが分かっていて、普通は読者に向けてそれが分かるように、演奏者に対しても玄人にも通じるように書くのがプロのジャーナリストである。そこにフランクフルトのダンサーという人がコメントで援護しているからまた面白い。でもあれだけの歌手でもこうした本気度を見せるところが我々には本当に嬉しいのだ。批評家も聴衆も真剣に対峙をしてこそ本当の芸術になるという事の一つの表れである。



参照:
歴史的な思い出話し 2022-02-03 | マスメディア批評
地盤沈下の音楽の都 2022-02-09 | 生活
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襤褸靴の足を引き摺る

2022-02-16 | 生活
足が腫れてから初めて外を歩いた。水曜日の走りからあと違和感があって、金曜日に短く走って数時間後に親指の付け根に痛みが来た。痛みで就寝できなくて、寒気もあって、歩けなくなった。翌日午後には腫れだした。痛風の症状ではあるのだが、風が吹いてもの痛さとは全然異なり、捻挫や打撲骨折に近かったと思う。日曜日には峠を越した。夜風呂に浸かる時も沁みたりすることはなかったのだが、その後に歩けるようになってきた。月曜日は室内で結構歩けたが腫れは痒みを伴って広がり親指から外れてきた。そして火曜日には靴は履けないが、襤褸靴には足を入れられた。通常の歩き方はできないのだが、それほど不自然でなく肉屋まで歩けた。腫れが気持ち悪いが、また悪寒が伴っているが、日に日に良くなり治るのは早いと思う。但し使えるようになるのはいつからか。

バイエルン州のテスト免除が決まった。水曜日の各州の会合でバーデンヴュルテムベルク州も続くことを願っている。少なくとも3月4日以降でいい。私が出かけるのは3月5日。マスクが取れないうちはまだまだ軽い気持ちでは出かけられないが、もう一息だ。少なくともワインの2021年産は最初から試飲できそうで嬉しい。明るく暖かくなれば雰囲気が変わる。

ラウターバッハ保健相が、データを審査した結果、予想通りオミクロン波を抜けたと語り、この間他国よりも死者を抑えられたことを自負している。そして解放の3月20日まで段階的な緩和を進めるのみと語った。同様にWHOは欧州における集団免疫の確立によって遅かれ早かれコロナ禍を抜けて、冬季の次の波に備える時間が十分あると語った。

月曜夜はヴィーンからの「死の都」生中継を楽しみにしていた。なによりもフランクフルトの次期音楽監督グックアイスの指揮が楽しみだった。しかし、直前にPCR検査で主役の一人テノールのフォークトなど肝心の指揮者を含めて四人が陽性となったようで、ストリーミングが中止となった。皆が注目する指揮者が出なければ仕方がない。

しかし、初日の新聞評などを読むと、ヴィナーフィルハーモニカーだけに難しさはあったようだが、輪郭のはっきりした音楽を出来たようで、まずまずは成功したのではないだろうか。主演の一人ミクネヴィシューテの歌も聴きたかった。なぜならばその練習を12月にミュンヘンで聴いたからで、どれ程異なるかが知りたかった。

年齢だけならばヴッパータールの新監督は26歳なので28歳のグックアイスが上であるが劇場もフランクフルトは上のクラスなので注目されている。前日のアスミック・グリゴーリアンに続いてオーストリアのニュースで扱われていて、その注目度が違う。

女性も男性も若い才能のある人が次から次へと出て来て、そのどの一人もメディアがイメージを育てたり、コンクールで優勝したというのとは全く異なる背景がある。そこに留意するべきなのだ。まだまだドイツの音楽劇場も新たな血が注がれている証拠である。特に音楽劇場などは知的に高く、エンゲルが語るように、制作者同士で会話が出来るような指揮者でないとお話しにならない。因みに、グックアイスは、パーカッションからピアノを弾くようになって量子力学を学びつつ音楽の道に進んだと紹介されていた。職人的技術以上に脳が重要視される所である。



参照:
近づくフリーダムデイ 2022-02-15 | 生活
すかさず手が伸びる 2021-10-28 | 文化一般
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近づくフリーダムデイ

2022-02-15 | 生活
明後日にコロナ緩和策が決まる。既にショルツ首相府からの叩き台は漏れ聞こえる。それによると、ショッピングでの接種証明書と陰性証明書は無くなる。更にマスクも義務ではなくて推奨となるとあって驚いた。つまり最初からあった売り子などの保護は接種によって担保できているという事になるのだろうか。勿論接種できない者への救済は必要になる。しかしこれで売り上げは元に戻る。

反対に今迄閉店処置となっていたようなディスコなどでは2G プラスつまりテストが続行される。しかしレストランの規制は3月4日を以て3Gとなるようで、それならば劇場などでそれ以上というのはありえない。早く決定を知りたい。

月曜日にバーデンバーデンからメールがあって、席替えが知らされた。二日目のコンサートでロート指揮「ペトローシュカ」の晩なのだが、上階を塞いでしまった。満席は売れないという予測だろう。まあ、悪い席ではないが、大編成の曲は上手くミックスしない席で、どうしても分析的に聴くことになってしまう。

それは当たっていて、それまでのコンサートの割引も知らせてきていた。しかしロッテルダムの演奏会もジルフェスタ―にさらけ出してしまったシャニ指揮で売れる要素があまりない。更にプログラムも「スコットランド」と名曲で興味の層が限られる。更にロシアのピアニストのヴォロドスへ、そしてヴィーンの交響楽団。こちらもベートーヴェンプロでは致し方がない。そもそもテストまで受けて名曲コンサートに出かける人などは例外的だろう。

サヴィエーロートは、バーデンバーデンではSWR時代に馴染みの指揮者であった筈だ。しかしなぜか売れないとなった。これは心外でマーラーの七番も売れていない。それも熱心な人に今一つ売れていない。ブーレーズフェストの先が思いやられる。やはりブーレーズを得意にしている訳ではないがティテュス・エンゲルを売ってもらうのが手っ取り早いだろう。

更に現在の規制定員75%迄に更に50%でテスト免除であったから、先ずこのコンサートに関しては現時点の制限でテストが要らなくなる。

3月20日にフリーダムデイとする準選挙公約通りにそこで一通りの規制から放たれる。当然のことながらマスク着用も無くなるが、秋から冬季には再びという事らしい。その前に接種のブースターまでの規定をはっきりさせないと駄目である。因みに三月からは日本入国にはブースターでフリーパスとなるようなので、世界的に統一されるのかどうか。

今週中に新たに3月のティケットと5月のそれを予約なり決定しないといけないので、水曜日が鍵となる。それによってブースターの時期なども決めようと思うのだ。バイエルン州も他と並んでブースター直後にテスト免除となる。しかしそもそも3月にはテスト免除の可能性も出てきた。そして4月にも必要なことが確定すれば、慌ててブースター接種する必要もない。そもそもオミクロン波が終了してしまえば集団免疫の為のブースターの意味は一先ず小さくなった。今後は秋以降の次の変異種に向けての対応となるからである。



参照:
ブースター打ち過ぎ注意 2022-01-13 | アウトドーア・環境
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
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