Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2013年6月

2013-06-30 | Weblog-Index


とんでもないミクロな話 2013-06-29 | 歴史・時事 TB0,COM0
涼しい夏の岩場の一時 2013-06-28 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
トラウマ脱出の二十歳の衝動 2013-06-27 | 女 TB0,COM2
知的スポーツへの触り 2013-06-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
茶色のファッション靴 2013-06-25 | 生活 TB0,COM0
前日の疲れだろうか? 2013-06-24 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
クローンはピノノワール 2013-06-23 | 試飲百景 TB0,COM2
怪物のような大嵐 2013-06-22 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
夏全開の涼みがてら 2013-06-21 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
カメムシ型の無線マウス 2013-06-20 | テクニック TB0,COM0
サウナのような大気 2013-06-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
絶品の若ニシン箱寿司 2013-06-18 | 料理 TB0,COM5
リセットさせる岩質や摂理 2013-06-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ザントマン娘への贈物 2013-06-15 | 女 TB0,COM4
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活 TB0,COM0
オリエンティールングルート 2013-06-13 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ドイツ女性が足を魅せるとき 2013-06-12 | 女 TB0,COM0
ショーツで先ず走ってみる 2013-06-11 | 雑感 TB0,COM0
今年の特異気象は続く 2013-06-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
ある晴れた日の成果 2013-06-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
真夏のど派手な花火 2013-06-08 | 生活 TB0,COM0
十ユーロ越えのテロワール 2013-06-07 | ワイン TB0,COM0
コマネチカットショーツ 2013-06-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
晴天の大鶏岩にて 2013-06-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
久しぶりのニシン箱寿司 2013-06-04 | 料理 TB0,COM3
さらばWIN95、苦悩の日々 2013-06-03 | テクニック TB0,COM0
技術的な困難さや面白さ 2013-06-01 | 雑感 TB0,COM0
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とんでもないミクロな話

2013-06-29 | 歴史・時事
レープホルツ醸造所の箱に入っている口上書きを改めて読む。以前にも取り上げたかもしれないが、今回は今年分の成分表にも目が行った。そして何よりも先日訪問した際に日本から訪問中のSaar Weineさんが、元ワイン女王の奥さんに語った内容を思わず反芻した。そのワインを味わうようにである。

と言うのは、父親のレープホルツメモについては何度も触れている当代のレープホルツVDP支部長であるが、思いがけずにここでは先々代のおじいさんの事に触れている。つまり、先祖代々の名前が示すとおりのワイン農家と言うだけでなく、おじいさんはテロワーを重要視したという効能書きである。

もちろん現在のVDPが押ししすめているブルゴーニュ風のそれを意味するのか実際は少し違うのかは判断がつきかねる。しかし、再生産の金太郎飴のようなものでなくて毎年葡萄が違うように、その土地によっても違うそれを決して平均化しないというのがモットーだったと言うのである。

その一部は、たとえば今でもVDP以外の醸造所が当然のごとく行っているような減酸やもしくは加酸、そして加糖という手を加えずにとことんアルコール化してとうを出来る限り残さないことがそれだと言うのは、必ずしも作り話とは言えず、それ以前から自然なワインとしてドイツのリースリング造りがあったことは私自身も何度も遭遇している。いわゆるビールにおける自然ビールに代表されるドイツ文化の純粋主義の一つの現れとしてである。

しかしその反面、レープホルツ醸造所の限られた地所において、それほどまでにテロワーを出せる可能性が現在のようにあったとは思えないのも事実である。なるほど1970年のワイン法の改悪以前は細かな地所に区割りされていたのも事実であろう。しかしである、そのテロワーの差異は他の大手醸造所のそれと比べて如何にもミクロでの話しなのである。

そしてそのミクロな世界がなぜか北米の物書きによって1949年とかのミュラー何某のトロッケン・ベーレン・アウスレーゼとして極東の全くワインとは無関係な日本人によって語られるのだ。如何にも情報の輪というものを感じさせる。そして、その彼が購入する銀座の高級なワイン販売店が、ミュラー何某さんをレープホルツ醸造所で栽培しなくなるまで日本市場に紹介していたというから面白い。私などはこの醸造所に顔を出すようになったのは最近ことだからミュラー何某さんが醸造されている記憶もなかったのは当然かもしれない。反対に、それ以前のこの醸造所とそれ以降では如何にその市場やワインの質が変わってきたかということでしかないだろう。少なくとも私が顔を出すような醸造所は急上昇することはあっても顔を出さなくなるまではその質において上昇傾向にある醸造所に違いないのである。

因みに、この血も涙もないほどの辛口の雑食砂岩ワイン2012年産「エコノミーラート」の分析票を紹介する。

エクスレ糖比重88、アルコール12%、残酸7.9G、残糖 0.4G



参照:
クローンはピノノワール 2013-06-23 | 試飲百景
忙しかった週末を回想 2013-05-14 | 試飲百景
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涼しい夏の岩場の一時

2013-06-28 | アウトドーア・環境
雨がちで、肌寒かった。そんな気象条件だから「夏の岩場」と呼ばれる奇岩で登った。陽射しが強く射して、岩の乾きが早い岩場なのだ。その狙いは当たって、秋までは訪れることがないと思っていた、そこで遊んだ。

それでも曇天のためか、出かけたときには誰も居なかったのだが、帰る頃になると一組がやってきた。今回は前回に家族連れが登っていた六級プラスのルートを試してみる心算であった。これは、トップロープの手筈で今回は適わなかったが、次に行くときの楽しみが残った。これほど小さな岩場でも石切り場よりも遥かに楽しめるのは自然の力である。

先ずは最も簡単であるが今まで登ったことのないルートを、当日の朝に届いたシルヴァー色の小さな可動式楔を使って、登った。雨のためか些か黒っぽい色をしていて不気味であったが、登りはじめるとルートのところは草も苔もついておらず全く問題がないことに気がついた。それでもあまり登られていないためか、楔を入れたり手掛かりとなる穴には蜘蛛の巣が張っていてあまり気持ちがよくない。

なによりもルート取りが右へ右へと斜めに登り、一つもハーケンがないので、中間支点の設置の前に先ずは足場と手掛かりが必要になるのだ。五級マイナスの割には技術的に手応えのある一歩もあって、確かな中間支点が取れたときに初めて安心した。

その後はカンテラインへと近づき上の出っ張りを左から回りこむようにして直上した。岩の質も悪くはなく、どちらへとルートが延びているのかさっぱり分らない場所で、出来る限りのフレンズを差し込んで登る気持ちも格別であった。先週の土曜日のチムニー登りの複雑さには適わないが、十分に知的プレーが楽しめた。

その後は、我々の石切り場仲間三人が各々1989年から95年に掛けて開拓したルートをトップロープで登ってみた。最初に登ったの下部はとても気持ちよく中間支点さえ十分に取れればリードしても良いと思った。豪快なのは身近な割れ目登攀で、がっちりと手が入るので、レイバック姿勢で技術的にも素晴らしい。上部はロープの流れの関係から振られずに登れるこれまた割れ目へと繋いだ。本来の繋ぎ方よりも技術的にも岩質も統一されていてとても素晴らしい。但し、トップロープで無ければ上の手掛かりに届かなかったので、七級マイナスでも今シーズンのリードは難しいと感じた。何が足りないかを見つけるのが今後の課題である。

三本目は、その横のルートとなる以前にリードしたことのあるカンテ横からカンテへと直接抜けるルートで、残念ながらロープで振られるので下部の核心部と上部のそれは上手く行かなかった。特に上部のそれはハーケンに手が届いてもカラビナを掛けるのに苦労して、力尽きてチェーンに足を掛けて登った。

相棒は、二本目も最後のオーヴァーハングを乗り越えるだけの技術もないのでいい加減な場所を登っていたが、これでは三本目も全く可能性がないと思い、ロープを立ち木にかけかえた。それでも折角のロープの助けでも綺麗に登ることはなく、いつものように右に回避して好き勝手に登っていた。それでは何の練習にもならなく、自らの技量は上がらないのだが仕方ない。枝を上から投げ落とし、止めろといっているのにロープに激突させるなどどうしようもないあんぽんたんである。本人はこれまた下らない女と付き合ってそれがもめているのだから全く尋常ではない。

何はともあれ、中間支点の取り方も粘り腰しと見当の付け方が大分よくなって来て、それが経験としてものになってきている実感がある。何箇所かは完璧な楔であり、ハーケンと全く同じだけの効力があるのは想像できる。そのような中間支点が設置されれば、今度は身体を堅くすることなく自由に登れるので実力が上がる。但し現時点では、その上の技術的な壁が迫っているので、目標どおり暫くは限度を超えない範囲で同じような困難度のところを色々と登って反復練習するしかないと考える。



参照:
雨勝ちな聖霊降臨祭の週末 2013-05-21 | 暦
知的スポーツへの触り 2013-06-26 | アウトドーア・環境
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トラウマ脱出の二十歳の衝動

2013-06-27 | 
相棒の町医者がおかしな本を読んでいた。女なくても生きていける方法というようなもののようだ。興味がないのでタイトルも見なかったが、一人で落ち着いていれる方法でもある。なるほど奴は一人で部屋にいることも出来ない人間なのである。だから僕に度々尋ねる、「一体一人で夜はどう過ごすのか?」と。

別れた女医さんと未だにパートナーとして一緒に働いているのをみると、余程嘗ての嫁さんの方が確りしているのだろう。恐らく新しい旦那もいないのだろう。そうした関係から見ると、奴の恋人などが、金を引き出すか、結婚を迫るしかないのは当然なのである。第一、現在問題になっている恋人が、一人の小学生の男の子と生活保護を受けているぐらいだから、当たり前のことなのである。

それにしても性的な衝動だけでなく、心理的にも六十を超えてもこのようなものだから、老人の性などというものとは全く異なり、殆ど青少年のそれのようなものである。

僕のブロンドの彼女の話は暫くなかった。理由は簡単である。二週間ほど前に、僕の憧れの彼女が枕元に立ったからである。ここ暫くご無沙汰となっている彼女が突然なぜ現れたかは考えてみれば自明なのだ。ブロンドの彼女には、確かその御み足を魅せて貰ってから、その後一度クールな態度で対したのだが、この夢の後はなぜか急に心理的にお互いに避けるような感じになってしまったのであった。

なにも具体的な出来事や意識はないのだが、以心伝達でなんとなく通じるのは皆が経験している周知の事実であろうが、男女の性愛の場合はそれがとても顕著な形で現れる。それは逆に、その視線や眼孔など一寸した表情やフェロモンの影響か、その熱さも、冷えた感じも直ぐに伝わるということでもある。

その意味からは愛しの彼女に対しては、些か面倒な気持ちがそこにあって、それは一種のトラウマのようになっているものから生じているのと、更に肉体的にその頃は抜歯前のカリエスに犯されていたときであるから、現在の健康状態とは全く異なっていたのである。それは彼女にもそのまま伝わっていた訳で、若干こちらの義務感で口説いていたように感じられていたとしても仕方ないであろう。

ブロンドの彼女とは、再びお互いに目が合うようになった、それどころか以前よりも親密感が増した。その背後には、双方ともに不安があったに違いないが、なんとなくそれが払拭されたような気がする。それどころか僕にとってはトラウマの克服にもなり - 同様な機会は何度もあったにも拘らず最後には気持ちが離れてしまったのと今回はなんか異なったのである、そして殆ど二十代の頃のような衝動的な気持ちが生まれてきたのである。

なるほど愛しの彼女と比較してしまうと、少し若いながらも清楚さや知的な雰囲気には劣るが、長女風のおっとり感や落ち着いた雰囲気は捨てがたい。そしてなによりも、美人度上昇率は秀逸である - もちろん愛しの彼女をも更に美しくしなければいけない。

再び広げられながらも左右へとバランスよく肩から下へと流したブロンドは絵画のように美しい、そして肩は決して出さなくとも、胸元を広めに出した若干雀斑のある少女らしさもとても魅力的なのである。そして、レギンスの上に短パンを履いたとても健康的なファッションとプロポーションは美少女の典型である。

想像する限り、その年齢よりは少し上であるにも拘らずこうした身なりを好み、着こなす若いドイツ女性をあまり知らない - 想像するに彼女は数年前に彼女が着ていた服装を引っ張り出して来たに違いない、それとも妹のそれを借りてきたのか?兎に角、彼女にとってもそのような年上男性を魅了する作り方が出来るのはここ一年ぐらいのことに違いない。それにしてもである、僅か一年足らずで、化粧など一切なくとも、これほど磨きが掛かるのかと驚くばかりである。今後彼女に対して、一体何が出来るかなど一切わからないが、少なくともここまでの美少女を発掘したのは僕だと自負しているのである。

「私のお手伝いでは駄目?」と一歩踏み込んで、とても女らしく語りかける彼女、「そんなことはないよ、今日は時間がないから、またね。」と答えると、とても幸せそうな表情をした。彼女もそれなりに男女間の対話が出来るようになってきた。



参照:
想われ面皰も笑窪の純情 2013-03-03 | 女
豊満なブロンド嬢に迫られると 2013-04-24 | 女
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知的スポーツへの触り

2013-06-26 | アウトドーア・環境
承前)週末の疲れは様々な理由があるようだ。実質三本を長い時間かけて登っただけでそれ以外には何もしていない。暑くもなかったので、疲れの意味はあまり分からない。しかし、集中力の限界に来ていたのは知っている。最初のチムニー登攀は既に書いたように、登り方だけでなくて、中間支点の設置などとても頭を働か避ければいけないのと同時に忍耐強さが要求された。忍耐強さはこの程度の登攀になるともっとも重要な能力の一つのようだ。

その証拠に後続した相棒は、外に広がった割れ目に入れた楔を取るところまで登れなかった。あまりに先の方まで突っ張って進むので、ただ単にザイルの走る方へと登るだけでは到達しないのだ。そこで足場に戻ってから、余っているザイルの中間メーキングを下に投げやって、上から直接降ろしたザイルで確保することにした。それでも中間支点を回収して貰わないと懸垂下降中には遠くて回収できないので、ザイルにぶら下がって貰って回収させた。その後は、同じように屋根の下に入ってきて、頭を上の壁に挟んでいたが、左へと出て貰って、同じように抜けて貰った。

兎に角、頭を使うのである。その次に勧めに応じて登ったのは、左へとラムぺ登るルートから、懸垂下降の視点へと抜けるルートである。これは、大きな傾斜地は、その凹状のところに支点を挟めば、左へと切れ落ちている壁も安全に登って行けるというものである。技術的には何ら問題が無いのだが、確りと大きな楔で中間支点を設置してそれに全てを掛けて行くしかないのである。そしてどうしても支点からザイルまでの間に十分な延長を入れなければいけないのだが、ずり落ちることを考えれば、怖くてどうしても短めにザイルを引っかけてしまうのである。そしてそのラムぺが終わるといよいよ上に小さな庇が張り出している。その下は割れ目に足が入る感じで落ち着いて入れるのだが、上が見えない、勿論立ち上がるまでに出来るだけの中間支点を用意しておかないと怖くてどうしようもない。それ以上に今ひっかけてきたザイルが流れなくなっている。そこで下側からも引っ張って貰ったりして、凹角内に引っかかっているザイルを引き出す。

なんとかザイルが投げれるようになったところで、先ずはこれから立ち上がる岩の頭にシュリンゲを二本連ねて引っかけて中間支点とした。これは外れない限り強い支点である。そしてその上を見ると二十センチほどの割れ目が突っ張りだした岩の鱗に入っているので、そこに楔を掛けた。短いのと岩が平べったく割れそうなので怖いのだが無いよりはましである。そしておもむろに立ち上がると頭上にリングが見えた。最初のボルトハーケンである。しかし簡単には手が届かない。先ずは庇の下の棚に右足を上げて乗り越しを試みてみる。

下は切れ落ちているので怖いのだ。同じような体験はアルゴイの石灰もルートであったのだが、あそこはハーケンが連打されていた。それに比べるとなんと頼りない。乗り越したと同時にリングが目の前に届いた。急いでカラビナを掛けてザイルを掛けてこれで初めて一安心である。そうなればもはや頂上も間近である。ザイルを引っ張りながら下降支点に出た。

若いザイルパートナーでもあり指導員がなぜこれを私に勧めたかは明らかだ。所謂アルプスのそれもドロミテ風の登攀の練習である。そこで如何に落ち着いて考えながら支点を築いて、安全に登るか?彼の試験は合格したに違いない。正しく庇の下の二か所の中間支点こそが安全対策の味噌であった。それが無ければリングへの乗り越えは命がけの行為となるのだ。ザイルが流れなければ切れることもないとは言えない。

こうした経験をつんで初めて、登るためにだけではなくて確保支点などで如何に頭脳プレーであるかを改めて感じるのである。航空機などの運転よりも、殆んどマニュアルのようなものが無くて、絶えずアイデアをひねり出さないといけない知的なスポーツであることが分かる。それも可成りの状況での試行錯誤なので、戦略の専門的な能力に相当していそうである。(終わり)
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茶色のファッション靴

2013-06-25 | 生活
靴を新調した。今まで日常に買い物などに使っていた靴は、前回に日本へ飛んだとき購入したものだろうから、既に五年ほど履いていることになる。流石に底が磨り減って地面の感触が直接伝わる。新購入の切っ掛けは、新調のジーンズを購入する際に見本として写っていた写真に唆されたこともある。

最近はアウトレットがある奇岩地帯の靴街道の本拠地ハウエンシュタインで靴類を買う。ネットで殆どのものを調達しても履物だけは試着してみたい。前回のものもそこで散々探して購入した。探したのはスーツにも黒で使えて、旅行中に山道も歩ける程度の、つまり当時盛んに歩いていたワインの地所を歩ける靴であった。しかし最近はそこを歩くことも殆どなくなり、歩くよりも走る靴を調達しているのでタウンでの靴とオフロードの靴を完全に分けてしまっている。そのお陰で今の靴も保っていたのだろう。

さてそのような事情から久しぶりに黒ではない茶系の靴を探した。探していると想像するものとは違って、ショートブーツ風の靴に目が止まった。十何年前に購入してこの冬も雪や雨の日などに盛んに履いたブーツが駄目になっていたので、雪道で歩けるようなものも欲しかった。夏に暑ければ今はそんなものは買わないのだが、上手に踝パッド周辺が風抜きのようになっているようで全く問題なく使えそうなのである。

なによりもの決めては、造りが昔の厚い底板とすべりゴムの組み合わせなどが靴を硬くしてしまっているのだが、実際には対抗馬であったブガッティーというブランドのそれよりも軽いのである。足がどのように慣れていくかは分らないが、それほど距離を歩くわけではないのでこれでもよいと感じた。

ドイツでの産地元なのでクラークスの靴揃えには事欠かないのだが、嘗て態々英国まで行って購入していたそのブランドを履くことももうあまりなさそうである。当時合うと感じていた足型以上に、最近は更に合う足型を選べるようになっているからでもある。

ジィーンズ同様に靴もファッションブランドのものを履けるようになってきたのは素直に喜ぶべきで、これも何もかも運動とそのダイエットのお陰であることは間違いないようである。伊達ではなくて実際にスポーティなのは事実なのである。

日曜日は疲れで走れなかったが、月曜は忙しい朝の時間を気にしながらも走れた。短い谷沿いの道を、中距離風に走って往路の記録を出した。1125歩、6分である。顎を引いて、目は上目使いに前方を睨む。往復で16分、2500歩であるから、如何に飛ばせたかである。顎を出さないことを考えただけでもスピードがどんどん伸びた。最後までそのペースは保てなかったが、有酸素運動での最高運動域を探ってみたい。恐らくその運動は今後のクライミングの中で最も厳しいものの良い試金石になる筈だ。



参照:
足を通してみてドキドキ 2013-03-12 | アウトドーア・環境
とてもちぐはぐな一週間 2012-05-19 | 生活
足の指の具合に合わせて 2009-09-14 | 生活
多様な価値感を履く 2008-03-24 | 生活
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前日の疲れだろうか?

2013-06-24 | アウトドーア・環境
前日の疲れが響いた。早起きして一っ走りするつもりでいたが、起きて軽く朝食を摂って、書類に目を通していると居眠り状態になった。これでは無理と、運動を諦めて、床に戻ることにする。それほど登ったわけではないのにこれほど疲れた理由は分らない。足腰から肩まで色々と痛む。温度が落ちてきているのでその影響もあるようだ。だからいつまでも気持ちよく寝ていたい気持ちになるのは皆同じようで、いつもの日曜日よりも静かな朝であった。

前日は今シーズン最初の奇岩地方のクラシックルートを登る会であった。それに適当に邪魔をするように出かけたのだ。行き先を聞いて、急いで調べて、登りたい所を試した。最初に選んだのは、最近「聖書」となっている資料で紹介されていて、登ったことのない中で最も容易なルートであるチムニーの短いルートである。要するに身体慣らしに選んだ。それがこの疲れの元凶になったのだろうか?

そもそもチムニーの下の門の足元のようなところまでは、難易度一級の渡り廊下状になっているので、全く問題がなかったのだが、その見た目同様に上部が狭まって曲がっているので、何処から抜けれるのかと思わせるのである。そして左右の壁には殆ど手掛かりがなく、比較的広く広がっているので足を広げて突っ張るのも厳しい。

そしてハーケンやその他の中間支点どころか確実な楔の箇所も見つからない。要するに手のつけようがあまりないのだ。つまり下から見てあそこまで行けばなんとかなるという希望的な観測が全く生じないので、我武者羅に登ってみることはできないのはまともな人間ならば当然である。そして両サイドに突っ張って無事に下りてくるのは難しいと感じさせる。そのような状況であれやこれやと考えながら、資料に書いていた内容を思い起こすが、最初の右側の一箇所に楔を止めるのが精一杯であり、次は可也上で突っ張った状態では、片手の周辺に楔を落ち着いて差し込めないことは一目瞭然である。要するに両手両足を左右に突っ張っているだけで何も出来ないも同然である。とは言いながら、少し試して見なければ分らないと前向きになったり後ろ向きにしたりと試すが、糸口を見出せない。

そうこうしているうちに、下から「どう考えてもあの狭いところは抜けられないから帰ってこい」とパートナーから声が掛かる。こちらは資料を読んでいるのでいらいらするのだが、作戦が立たない。そこで右の奥の方の上部に割れ目が走っているのに気がつく。まさにこれが資料にあった次の中間支点設置地点なのである。なんとなくそのように記憶している。こうなればアクションしかない。そして、頭よりも上部から始まるその割れ目まで登って、その下の端に右足の先をねじ込んで、左足を飛ばさないように突っ張りながら、割れ目に黄色のフレンズを刺してみる。綺麗に挟まれたが割れ目が外側に開いているので可成り不安である。そしてずり落ちたときのことを考えて、更に割れ目の上部へとそれを移動させる。

さて次である、左足の上部に明らかな横の割れ目と足場があるので、そこまで身体を引き上げるが、今度はどうみても反対側の背中の方を向かないと次の一手を打てないことが分る。要するに両手で突っ張りながら下半身を百八十度回転させなければいけないのである。その動作自体は、足場が片方にあったので問題なく出来たのだが、正面の下方は可也下へと落ちているので恐怖心との戦いでもある。そして向きを変えた右の壁の上の方に次の横の割れ目が走っているのを見つけて、そこに手を伸ばして次の小さい楔をねじ込む。資料で読んだ印象の通りである。

そして今度は右手の手掛かりを掴んで左足を手掛かりの壁の方へと引き寄せて、左側の壁とは一旦お別れである。しかし、手掛かりの岩が重なって浮いて脆くなっているので、怖くてそれには頼れない。その端の方へと手掛かりを移して出来るだけ引っ張らずに壁に乗り移ることが出来た。これで突っ張り登攀から垂壁登攀へと場が移るのである。そして、上部の狭くなった煙突に頭を突っ込んで打開策を探るが、ヘルメットが挟めるどころか、眼鏡がギシギシと音を立てだした。これは流石に不可能だと認識して、いよいよ宙に浮いている入り口の方へと横へとへつる。するとどうだろう左手が、気がつかなかった場所に砂時計のようなものを掴んだ。これだと思った。バンド細引きを首から外して、ひっかけようとするが、これで安全性が保障されるまでの焦りを感じた。

中々狭くて手が通らず、細引きの端が反対側から掴めない。しかしこうなればそれしかないのである。もしここで落下すれば中吊りになりそうな按配で心臓が高鳴る。そしてやっと細引きを通してカラビナをかけてザイルが掛けられた。必要があればぶら下れる体勢になったのである。そうなれば大胆に割れ目の端まで行って、オヴァーハングの上の手掛かりを探すことが出来たのだ。資料にあったように手掛かりも足場もあって、見た目以上に容易に乗り越えて、頂上稜線の木の幹に自己確保した。とても長い神経戦のような感じだった。一体どれほど長く中空で突っ張っていたのだろう。(続く



参照:
命を粗末にしてはいけない 2012-07-03 | アウトドーア・環境
岩場で快適な晩を過ごす 2007-06-29 | 暦
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クローンはピノノワール

2013-06-23 | 試飲百景
ピノノワールをハイデルベルクで購入した。いつものゼーガー醸造所である。2011年産はあまり良くなさそうであるが、ブルゴーニュのクローンを使ったドイツ唯一の本格的なピノノワールであるから、とてもよい試金石なのである。ここでは拘りでブラウワーシュペートブルグンダーと称される。これでブルゴーニュの年度やその瓶熟成なども可也多くのことが分る。

そしてなによりもこの8ユーロ程度の日常消費ワインは、フランスのネゴシアンが扱ったブルゴーニュではありえない価格と品質なのである。そのことも奥さんにも話した。なるほどブルゴーニュでも零細農家や地元で飲まれているものには高品質の低価格なものもあるだろうが、よい土地柄となるとネゴシアンがよい葡萄を買い付けてしまうので難しいのではないだろうか。

しかしリースリングを見れば分るように、よいワインになる原料は全てそれに見合った労働が必要になるので、いかによい土地柄でも放っておけば高品質な素材が生まれるのではない。毎年の栽培の積み重ねで始めて土地も葡萄もよくなる。

ブルゴーニュの場合は、リースリングとは異なりネゴシアンの市場がありにもはやそうした余地がないほどに、あまり良くない葡萄も買い付けてしまう市場があるだろうから、品質の悪い素材も同じように売れてしまうに違いないのである。そこから低価格商品では品質が悪くなる傾向があるに違いない。

その点は、ドイツのシュペートブルグンダーにおいては、少量零細生産であり - ゼーガー醸造所は僅か7ha - 先落とした素材も十分に商品化しないといけない現実があるからだろう。同時に購入した2010年産のそれは36ユーロと比較的高価であるから、ブルゴーニュとよい勝負になるに違いない。価格からするとブルゴーニュのPCにどれほど迫れるかと言う感じで、村名ものより割高と言った感じであろう。恐らく、ブルゴーニュものなら20ユーロ台で比較的似たものが買えると予想する。近々、飲み比べをしてみよう。



参照:
久しぶりの寒いランニング 2013-01-15 | 生活
セメントが柔らかくなるように 2011-01-29 | 試飲百景
どちらが七十年先に旨いのか 2009-02-09 | ワイン
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怪物のような大嵐

2013-06-22 | アウトドーア・環境
ハイデルベルクから帰ってきた。途中、プファルツの山並みの暗雲が掛かってくる風情があった。朝からシャワーがあって、幾分涼しくなって、午後からは強い陽射しもあったが、大気が不安定なようである。西側から寒冷前線が近づいている。

フォルストのグランクリュ地所ウンゲホイヤーに車を止めて、地所ヘアゴットザッカー上部の二重十字架とマドンナ像を眺めていると、その背後に眼鏡雲のようなものを見た。見るからに嵐である。

徐々にウルトラQのタイトルのように渦を巻いて近づいてくると、突風が吹いてきた。ちらちらと雨が降る頃には、立ち木が大揺れになった。数十メートルの距離を走って車に戻った。少しでも遅れると立ち木が倒れてきそうであった。遠くでは竜巻のようなものが近づいてくる。

車に乗り込む頃には身体が押されて倒れそうになる。急いで国道まで戻るが、交通は明らかにパニック状態で、路肩に止める車もある。急いで自宅へと車を走らせるが、突風で何度も車が飛ばされそうになる。雹も降らず、雨量も殆ど伸びなかったが風は20分ほど続いたであろうか。



参照:
嵐の中での中身の熟成 2012-07-15 | 暦
劇的な遅い短い夏の終わり 2011-08-27 | 暦
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夏全開の涼みがてら

2013-06-21 | アウトドーア・環境
涼しい岩場とか色々と考えた。結局暑すぎるので隠れた岩場でのんびりとやることにした。それも18時過ぎの気温が頂点を迎えた後を目指して出かけた。前回は結局見つけられずにメインな岩場の方へ向かってしまったが、今回はなんとか探し当てた。地元の人でも知らない岩場である。

一箇所を残して一通り登り終えたが、それはそれなりに練習になった。ヘルメットを脱いでキュロットを脱いで、帽子とショーツで登ったが、それでも最終的には汗を掻いた。降りてくる頃には気持ちよかったが、丁度よい運動量で終えた。

最初に考えていたところも風通しがよくそれなりに涼しかったかもしれないが、恐らく岩が焼けていて、更に必死で登ると大汗を掻いたであろう。今回はそこまでに至らない範囲で練習できたことを喜ぼう。

昨年までならば、このような35度を越えるような炎天下でクライミングなどは意気消沈して考えられなかったのだが、それはそれなりに楽しめる技術や練習目的を明確化できる経験や貪欲な意欲が備わったといえよう。

月末になったら、また新たに可動式楔などを買い足して、ドロミテでの計画までに身につけたいことを習得できるように練習しなければいけない。こうして習慣的に登れるのは、色々と問題も多いパートナーのお陰でもある。それにしても、裸で登る奴を上から見ていて、改めてなんとヤクザな町医者だなと思うのだ。そしてなにか宿木を見つけて写真を取った撮ったかと思うと、幸運を呼び植物として持ち帰りしていた。新年に飾るそれらしい。なるほど宿木は幸せに違いない。そして、岩場の上に吹く、その優しい風に涼む。



参照:
グラン棒棒鶏で十二分に涼む 2010-07-05 | 料理
馬鹿らしく下らないもの 2007-07-15 | 生活
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カメムシ型の無線マウス

2013-06-20 | テクニック
先日来のPC修理で、手元に仕事のできるPCが三台になった。二種類のLINUXと二種類のXPと一種類のWIN8である。これでタブレットがあれば大分使いこなせる。さて、最後に購入したロジテックの無線キーボードとマウスに現時点では満足している。

面白いのはマウスの形状でどう見ても、触ってもカメムシを想起させる。使い勝手は悪くないのでよいのだが、ヘンな感じである。なるほどマウスも今まで使っていた最高級品のアルミからプラスティックになって質感も機能も落ちているが、それほどマウスを弄りまくろうとは思わないのでこれでよいだろう。触るのは禁物である。

寧ろキーボードのタッチの質感の方が気になるが、手首当ての人工皮革はそれほど熱をもたないので、これなら使えそうである。冬はもっと気持ちよいだろう。それ以上に慣れが必要なのはキーの間隔で若干広い感じがして、下手なブラインド入力ではあっちこっちに行ってしまう。

昨今はノートブックに焦点が当てられているので、受信機も極少である。また三年間使用保障の乾電池で充電装置も要らないので、大分配線は減った。

特殊機能ボタンはまだ十分に使いこなしていない。なによりもよいのが、膝の上に乗せたりしてキーを叩くときにも、その素材の当たりなどが悪くなく、角々していないことだろう。

一部から聞いていた無線キーボードの交信の不調からの苛立ちというようなものは現時点では感じることはない。それどころか五メートルほど先からでも打鍵できるのは天晴れというしかない。少なくとも通常のモニターの大きさで、そしてキーボードで画面拡大の遠隔操作をしながら使える範囲では全く交信に問題がないので、モニター環境さえ整えばソファーどころかガーデンのプールサイドなどでも仕事を済ますことができよう。

音声入力なども盛んであるが、やはりスポック船長のように音声交流で仕事するようになる前に、モニターの投影システムの高機能化が待たれる。発熱も冷却音もしない投影システムが普及するようになれば本格的な3D機能が初めて欠かせないものになるに違いない。まだ暫く時間が掛かりそうである。

ロジテックだけではないがこの種のUSB対応商品では、その速度が問題となることがある。今回利用するワークステーションが十年以上前のものであり、USB2の低速度のものしか対応していない、そこで最初にその対応性を調べる必要があった。ネットにもあるように、キーボード程度の機能では高速度の其れは必要なく、問題なく使えたことを書き留めておく。



参照:
ショーツで先ず走ってみる 2013-06-11 | 雑感
脱WIN95は可能か? 2013-05-28 | 生活
失明しそうになる液晶モニター 2009-05-25 | 雑感
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サウナのような大気

2013-06-19 | アウトドーア・環境
月曜日の午前中はまだよかった。しかし午後になって大気はサウナのようになってきた。室内にいればそれほど感じないのだが、いったん外に出ると完全に盛夏である。

天気予報では高温の注意が為されている。予想よりも早く気温が上がって、火曜日の夜から水曜日にかけては夜中でも摂氏20度を越える熱帯夜になるそうだ。2003年に経験したような暑さにはならないだろうが、最近はあまり記憶がないところからするとやはり暑いのだろう。そして水曜日には早くも雷雨がやってきて一挙に温度を下げて、予報ではまた摂氏一ケタ台になりそうだ。半袖・半パンツからまた直ぐに長袖が必要になる。先日洗濯した毛の分厚いセーターがまだ吊ってある。

なるほど空気が比較的乾いた大陸性の気候ではこうしたドラスティックな気温の上下は珍しくはないが、ここに住んでからでは最も激しい動きに違いない。クライミングも岩が乾いていても、陽が強いうちは止めた方がよいので、雷との競争になる。

早起きして、比較的涼しいうちに一走りした。平らな谷沿い往復をした。まだ二度目のショーツが気持ちよい。足が前に出やすいことは感じるが、それ以上に早く走るためにはトラックでの走り方を研究しなければいけない感じで、また一つ課題が出来た。結局往路1200歩7分、復路1300歩9分以上に早くするのには走り方を変えなければいけないだろう。

復路はそれなりにペースが落ちたが歩幅がそれほど短くならなかったので、大分走れるようになってきたと思った。これは、靴やショーツのお陰ではなく、トレーニングの成果で心肺機能が鍛えられてきている証拠だろう。寧ろ往路よりも弱い登りの復路の方が時間短縮の可能性が強い。

大汗を掻くために走ったのだが、意外にびしょびしょになることはなく、止まって暫くしてから汗が出て来た。新陳代謝が昔ほど盛んではないのかなとも思わなくはないのだが、クライミング時の息使いや運動の発汗を考えると必ずしも新陳代謝だけの問題ではなく、体力強化と運動量が増えてきている成果はあるようだ。

あまり暑さを感じなくなったのはここ二年程が顕著で、これはダイエット効果があったに違いない。それでもこうして汗を掻く機会を努力して作らないと、余計に汗つまりのような感じになってスタンバイモードに入りやすくなる体質になっていることは間違いない。また抜糸以降鼻の調子が変わって、ウェーミングアップ前の詰まりが無くなったので、暖機がとても順調に行くようになった。要するにランニングハイへのプロセスがとてもスムーズになったということである。



参照:
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活
ショーツで先ず走ってみる 2013-06-11 | 雑感
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絶品の若ニシン箱寿司

2013-06-18 | 料理
金曜日は再び箱寿司を作った。前回は味見も兼ねて十分な魚の量がなかったのだが、今回は全てを寿司にするために購入した。価格は3ユーロ30ぐらいであるが、祖の価値は十分にある。今回は函寿司だけなので、米の量もミルク米を半合、通常米を一合で、合わせて一合半とした。

青紫蘇がないので、バジルを挟んだが、ひね生姜でも悪くは無いかと思う。その場合はホースラディッシュと粉わさびとは違う配合にしなければいけないだろう。形は、手際を間違えてあまりよくなかったが、寿司米を冷やす時間が取れたので味は悪くなかった。食したのは会合に出かけて帰ってからであるから、二時間ほど経ってからであった。

その分、食べることに専念できた。米自体の味も日本の水稲のように甘くは無いのでその分若干酢に味をつけるべきかと思われる。時間が経ってもパサパサすることはなくこの時期の寿司飯としては万全であった。寧ろ、こうした米になれると日本の水稲は水分が多いので胃にもたれて辛い。そもそも大飯を食する方なので、二合を食して胃がが痛くならない米で無いとと不健康に感じる。

米に関しては、水稲の独自性はあるが、決して日本の米が価値あるものだとは思わない。恐らく米を特別扱いしているうちは日本の農業はひとり立ちできないで破滅するだろう。TPPなどとは全く関係ない市場の自然淘汰の恩恵である。勿論消費者は、正しい情報を入れて、正しい判断を身をもってする必要があるのは言うまでもない。

昨日から今日にかけて鼻の調子が悪い。例の抜糸後の延長線上にあるが、丁度鼻風邪をひいた様な感じになっているのである。昨日から今日にかけてどんどんと気温が上がってきていることにも影響しているだろうが、日焼けと薄着との関係もありそうだ。兎に角暑さに極端に弱い人間としては、外気が三十度を超えると、とても厳しい。

ワイン祭りは漸く終わった。少なくともこれで夜も窓を開けて就寝できるので暑さに対する不安は少なくなった。出来れば明日の朝は早起きして、涼しいうちに一走りして大汗をかいて、恐らく数日も続かないであろう盛夏に逸早く順応してしまいたい。



参照:
久しぶりのニシン箱寿司 2013-06-04 | 料理
欧州からみる和食認証制 2006-11-03 | 料理
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リセットさせる岩質や摂理

2013-06-17 | アウトドーア・環境
バーデン・バーデンで攀じる。来週からは摂氏30度を超えるというので最後のチャンスと思ったからである。シーズン初めから室内のそのままを外で試したかったので望んでいたのだが、一人では限りがあるので、今まで機会が無かったのである。

兎に角、雑食砂岩での其ればかりやっていると感覚が麻痺してくるようで、違う岩質で技量を試す必要を感じたのだ。昨年の転落事故はバーデン・バーデンの六級プラス翌日に起きたことであり、また昨年秋に七級マイナスをトップロープで登って組み易しと感じていたので、実力を上げた今年は七級を登ってみた。予想以上に苦労した。その苦労のし方が雑食砂岩でのそれとは大分違うのだ。特に熱を持ち出したマグマの塊のような黒っぽいここの礫岩では手に汗をかくと肝心の小さな手掛かりから簡単に手を離れてしまうのである。

そうした岩質の違いを経験することは、そのもの自己の技術体系の中での位置づけを明白することによって、疲労や慣れの中でリセットすることにある。具体的には昨年から感じていたような高度な技術の使い方は意外にこの岩質と摂理ではあまり役に立たなくて、精々割れ目の中の突起を掴むぐらいであり、手掛かりの使い方も寧ろ限られる。新しい靴で色々とやろうと思ったが予想外に使い切れなかった。

寧ろ雑食砂岩の其れの方がその摩擦とともに自由自在に使えるということが納得できた。要するに昨年は特に事故を挟んで全く異なる見解に至っていたということになる。なぜ全身傷だらけになるかというと、そうした技術が有効だからということなのである。それに比較すると石灰岩のように角張った手掛かりは無いのだが、また花崗岩のように細かな摂理も無く、小さな突起で手を滑らせないようにということに集約されそうなのがバーデン・バーデンのバッテルトの岩質なのである。涼しいときにまた出かけてもう少し限界域で登ってみよう。



参照:
雲海上のピクニックを愉しむ 2012-10-23 | アウトドーア・環境
バーデン・バーデンを登る 2012-06-17 | アウトドーア・環境
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ザントマン娘への贈物

2013-06-15 | 
赤ん坊の上に吊る廻るようなものは日本語でなんと言うのだろう?ドイツ語ではモビールと称すると知った。若いザイルパートナーの第一子のために皆で贈り物をすることになって、ウィッシュカードを書いてもらった。その最初にあったのがこれだ。初めはバギー類かと思ってもう少し人数を集めなければいけないと思ったが、結局四人の予算で十分だった。

いつもの様にネットで色々と調べてみた。少し面白い題材のものが無いかと考えてサーフィンした。するとあまり聞いたことの無い砂男というのがモティーフとしてでてきた。安倍公房の砂の女ではない、男である。ETAホフマンが子供脅しのフィグアーとしてこれを用いているようだ。

つまりドイツの民間伝承として、ギリシャ神話やローマの伝説からの流れを汲んで存在しているようで、その砂男はそもそも洗濯のための白い砂を売り歩く業者の姿だったようである。いかにも中世ドイツを髣髴させる。もしかするとアンデルセンもそのフィグアーを用いているので熱心な読者なら馴染みがあるのかもしれない。

伝承によると、夜が更けると砂を担いだ男がやってきて、眠りの砂をまくと目が開けられなくなって眠るというのだ。朝起きるとその砂が目に入っていて痛いということである。その話から、よい夢をよい子に悪い夢を悪い子にというおなじみの勧善懲悪の話となるのは近代になってからであろう。

そして今回女の子が生まれたのだが、その上に釣られる人形のザンドマンが親爺の我々の仲間に似ているのである。それが選択の決め手となった。大ヒットしたそのメロディーに付けられている歌詞は、親爺の姿があるのだ。そもそもザントマンならず砂岩地方の奇岩を得意にするザントシュタインマンの親爺にこれほど似つかわしいものは無いであろう。



参照:
ケロイドの皮膚感を覚える 2007-08-06 | 暦
著作権権益を護る密告 2012-08-07 | 文化一般
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